Write to reach you ~希望の暁~ 作:けんごち
「どうしたらいいんだろう……」
朝の喧噪も去り、人通りの少なくなったロンドンの街角。そこで光正は空を見上げながら一人呟いた。
勢い込んでマルティンの家から大英博物館への道へと出たのはいいものの、よく考えてみれば、異邦人である光正は図書館に自由に出入りすることは出来ない。昨日は運良くレインと出会えたから、そのままなし崩し的に入れてもらうことが出来たが……。
「守衛の人に、『昨日、レイン警部補と来た者です』って言えば通してもらえるかなぁ……。いや、多分、無理だろうな。さすがに僕一人じゃなぁ」
最初は大股で歩いていたものの、歩幅はどんどんと小さくなり、今となっては立ち止まっている時間の方が長い。
もう一度レインに同行してもらえるように頼むか? いや、しかし、それで代筆屋に魔導書の代筆を頼みに来たという目的がばれてしまっては困る。特に、チャックは検閲官としてそういった行為を取り締まる立場の人間だ。チャックの性格から言って、光正が知り合いだからといって手心を加えるとは到底思えない。
「ロンドンまで来て、僕は一体何をやっているんだろう」
目の前に大英博物館の門は見えている。歩けばもう五分とかからないだろう。しかし、その距離が本当に遠い。どうしようもなく、遠い。
「あれ? あ、おはようございます!」
途方に暮れる光正の背中から声を掛けてくる人物がいた。このロンドンで過ごした数日で出会った人物――しかし、この声はチャックでもなくレインでもなくマルティンでもない、とここまで考えたときに光正はその人物の正体に気がついた。
「リオさん!」
振り返り光正はその名を呼ぶ。それがあまりに大きな声だったせいか、リオは少し恥ずかしげに頬を掻いた。
「確か昨日レインさんと一緒におられた方ですよね……えっと、失礼ながらお名前は?」
「あ、こちらこそすみません。僕は赤星光正といいます。日本からやって来ました」
そういえば昨日会ったときは何かと慌ただしくて、自己紹介もしていなかったことを光正は思い出した。
「光正さんですね! 僕はリオ・ショーです。って、僕の名前は知ってましたよね?」
「あぁ、はい。えっと、レインさんから聞いて」
昨日、ほんの数分会話しただけの相手なのに、リオは大して不審がる様子も見せない。人なつっこい性格なんだなぁ、と光正は思った。
「光正さんは日本からはどういったご用事で?」
そりゃ当然そういう質問をするよな、と光正は納得する。
「日本からロンドンの警察組織について勉強しに来たんです」
光正は昨日のレインのでまかせに乗っかることにした。実際、この説明を図書館の守衛に通してしまっているし、リオに対してもそういう風に説明してしまう方が余計な疑念を抱かれずにすむだろう。
「日本からはるばるサムさんに会いに来られたんですか! あれ……ってことは、もしかしてサムさんの記憶について何かあるんですか!」
リオは勢い込んで光正の両手を握りしめる。これには光正も面食らう。
「え、いや……まぁ、捜査秘密で」
それっぽいことを言って誤魔化そうとするが、リオの勢いは止まらない。
「本当ですか! よかったー! サムさん、ずっと自分が何者なのか知りたがっていて、でも僕たちでは力になれなくて、十年経っても何の情報も出てこなくて……」
感極まって泣きそうになっているリオに対して光正は狼狽しつつも、頭の片隅では冷静にこれがまたとないチャンスだと判断していた。
「よかったら、サムの魔法について何か知っていることがあったら教えてくれるかな?」
「サムさんの魔法ですか? でも、サムさんは記憶力を買われて図書館で魔導協会関係の仕事をしていますけど、サムさん自身は魔導士ではないはずですよ? それ専門の教育を受けたこともないはずですし。ただ本の知識はすごいから、魔導書の添削をお願いすると、学校の先生よりもよっぽど正確ですけどね」
我がことのようにリオは胸を張る。
「そうだね。でも、もしかしたら、こう何か魔法に関係する出来事があったりしたんじゃないかな?」
「うーん、そうですねえ」
リオは腕を組み真剣に思い出そうとする。リオを騙していることに心苦しさを感じないわけではないが、この程度の嘘に気後れするくらいなら、そもそも光正はロンドンまでやって来てはいない。
「あ! そういえば一度だけ」
「何かあったの?」
「僕の従姉妹が魔導士なんですけど、十年近く前だったかなぁ……うちに遊びに来ていたいとこの魔導書になんともなしにサムさんが書き込みをしたらしくて」
「書き込み! それで?」
「はい。それで、えっと、その従姉妹が自分の家に帰ってから魔導書を使ってみたら、今まで出したこともないような強力な魔法が出せたって。魔導書って本人自身が書かないと効果が全然でないものなんですけど、なんていうのかな、波長というか文体というか……そういうのが合うと、そんなこともあるんだなぁ、って話になりましたね」
光正は拳を握りしめた。これだ、と確信した。間違いない。リオの語った出来事はまさに『代筆』そのものだ。そう、日本人の代筆屋は、やはりサムだったのだ。
「リオ君、サムさんを紹介してもらえるかな? 今日はレインさんと別行動で、僕一人だと図書館に入れないんだ」
「あぁ、そうなんですか! 僕もちょうど図書館に勉強しに行こうとしているところで。でも、レイン刑事を置いて勝手に行っても大丈夫なんですか?」
「レイン刑事はレイン刑事で何かロンドンで事件があってそれで忙しいみたいで。それにほら、あの人ってふらっとどっかに行っちゃったりするところあるから」
「確かに」
光正の説明にリオは口に手を当てて笑った。どうやら、彼にもレインがどこかへふらっと消えてしまうことに心当たりがあるらしい。
何にせよ、運がいい。風が光正に向かって吹いている。船出を迷うべきではない。
「じゃあ、僕が案内しますよ。昨日一度図書館に来ているのなら、守衛さんにもそんなに言われないと思いますし」
「助かるよ」
本当は光正の方がリオの両手をとって感謝を述べたいくらいではあったが、その気持ちは抑えておいた。
ロンドンまで来た目的がもう目の前にまで近づいている。興奮で震える両腕を抑えつつ、光正は平静を装った。
*
大英博物館図書室。世界に名だたるイギリス連合王国の誇る知の宝庫だが、昨日既に一度訪れていた分、光正が目新しさに圧倒されることはない。リオと共に足を並べて魔導書部へと向かう。障害となった守衛も昨日の光正のことは覚えていたのか、リオと並んで歩く姿を呼び止められることはなかった。
いける。心の中で、光正はそう確信する。
「それじゃあ、僕は自習室の方へ向かいますので」
魔導図書部の入り口で立ち止まり、リオはそう言った。
「え? リオさんはサムに会わないの?」
「はい。さすがに昨日もいろいろと魔導書についてお時間を取らせてしまったりしたので、今日くらいは邪魔にならないようにしようと」
「そう、か……」
少し残念にも思うが、光正にとっては願ったり叶ったりの状況だ。リオが隣にいる状況で、どういう風にサムに代筆の件を切り出すのかが問題だったからだ。
「じゃあ、僕は行くよ」
「はい。サムさんによろしくお伝えください」
人当たりのよい柔らかい笑みを浮かべ手を振りながらリオは行く。
確かレインの話では、リオが十年前にサムの第一発見者だったらしい。こんなことを光正が思うのは筋違いかもしれないが、サムが最初にいい人に出会えてよかったな、と思った。
光正は深呼吸をし、自分の両頬を両手で張る。図書館に似つかわしくない音が鳴り響いたが、気にはしない。
真っ直ぐに前へ進む。昨日、レインと歩いたのと同じ道だ。この先に、魔導部の司書達がいる。
そしてその姿を網膜が捉えた瞬間、光正は理解した。あの男が、サム、だ。なぜかはわからないが、確信を持ってそう言える。昨日、彼の姿はここになかったから、彼の姿が人の目を引く容姿をしていたから――そういった要素もあるだろうが、それ以前にもっとその存在の深い場所で光正は理解した。
暴れ出しそうな心臓と、暴発しそうな呼吸を抑えながら、光正はカウンター越しにその男の目の前に立つ。男は目の前に光正を気にするそぶりも見せず、何かの目録に視線を落としている。その自然さが、不自然なまでに光正の心を粟立たせる。
この男が、この男が代筆屋。光正がロンドンまで、自分の人生を賭けて会いに来た男。
「アンタが侍のサムだね。魔導図書館の司書をしているなんて、驚いたよ」
意を決して光正はサムに話しかける。そしてサムの一挙手一投足を見つめる。
サムの前髪が揺れた。サムは目録から視線を外すと、ゆっくりと顔を上げる。そして光正の顔を見つめた。おそらくその一瞬で彼の中にあるデータベースの中で光正の照合が終わったのであろう。
「……今日はもう閉館だ。用があるなら明日……」
白々しいにも程がある嘘だ。サムは自分の記憶を辿り、目の前にいる人物に心当たりはなく、関わるのはただの厄介ごとであると判断したのであろう。ここで光正が開館時間について文句を言うのは簡単だが、それではおそらくサムのペースに飲まれる。ならばここで、仕掛ける。
「魔導書を書いて欲しい。アンタ、代筆屋だろ?」
光正はサムの反応を探る。声は潜めた。光正の発言はサムにしか届いていないはずだ。ならば、サムはどう対応する? 誤魔化すか? うろたえるか?
しかし、サムは表情一つ変えずに返す。
「……金はあるのか? 見た限りそうは思えないが」
あまりにも冷静な対応に光正の方が逆に面食らってしまった。否定することはせず、またはっきりと肯定することもせず。こちらから仕掛けたつもりが、逆に完全に光正の出方を見られている。
「えっと十ポンドくらいなら……」
そう、十ポンド。ロンドンの街にたどり着いた際に路銀が尽きたとしても、絶対に手をつけなかったお金。ここまで来て、代筆屋に頼む依頼料がないなどとは笑い話にもならない。例え野宿を何日することになろうとも、数日食べ物を口にすることが出来ずに飢えに苦しむとしても、絶対に手はつけないと覚悟を決めたお金だ。もしこれでも足りないとなれば、マルティンに借りることも出来るだろうが、それはできる限りしたくない。
「舐められたものだな。最低でも百。それで話くらいは聞いてやる」
「百ポンドだって! そんな大金……あ、おい、待て!」
サムはそれだけ言い捨てると、何事もなかったかのように身支度を始めた。
「閉館だと言っただろう? もっとも明日来ても話を聞くつもりもないがな」
サムは堂々と荷物をまとめ、司書室の奥へと消えていく。まさか、本当に帰るつもりなのか……いや、面倒ごとから逃げると言った方が正しいか。
「僕は諦めないからな! そのためにわざわざ日本から来たんだ」
光正はサムの背中に向かって叫ぶ。ここは図書館だ。マナー違反も甚だしいことだろう。しかし、そんなことは知ったことではない。
「聞いているのか! 魔導書を書いてもらうまで、アンタから離れないからな!」
光正は叫んだ。しかし、サムは振り返らず、周りの司書達もただ眉をひそめるだけだった。
*
魔導協会の廊下を歩くチャックの顔色は優れない。連日の夜の見回りの疲れもあるが、それ以上に今チャックの手の中にあるものの影響が大きい。
禁書――魔導協会はいくつかの魔法を禁書として禁じている。それらはおよそ人道に反するものであったり、社会秩序を破壊する可能性を持つものが挙げられる。例えば、通貨や高価な貴金属を錬成する魔法がそれらに該当する。しかし、チャックの手にある禁書は、それらとは全く気色の違う、より凶悪で狂気に満ちたものだった。
「チャッキー、ちょっとアンタ、顔色が優れないわよ」
そんなチャックを見かねたのか、同僚のテューダーが話しかけてきた。
「テューダーさん。いえ、ここのところ少し立て込んでいただけで」
「にゃにゃ! チャックくん、その顔、まるで幽鬼の様相ぞな! 無理せず今日は家に帰って寝こけるべしでにゃんす!」
同僚のウィローハウスまで寄ってきた。チャックは苦笑いを浮かべながら、軽く手を振ってみせる。
「大丈夫です。これしきのこと」
「これしきのことって、アンタ自分の顔を鏡で見た方がいいわよ。せっかくの美人さんが台無しじゃない」
普段ならテューダーに反論する気力もあるが、今ばかりはそんな気も起きない。チャックはしょうがないとばかりに首を振る。
「……確かに自己管理も出来ないようでは検閲官は務まりませんね。仮眠でもとることにいたします。どのみちレイン警部補からは午後まで待てと言われておりますし」
「レイン警部補? アンタ、また代筆屋がらみの案件かい?」
テューダーが顔をしかめる。確かに代筆屋は彼ら検閲官が取り締まるべき事柄なのだが、どうにもチャックは入れ込みすぎているように思える。
「検閲官として見過ごせませんので」
「見過ごせませんって、アタシ達も同じ検閲官なんだよ? アンタ一人でばかり抱え込まないで、アタシ達も頼ってくれたらいいじゃないのさ」
「そうでにゃんすよ、チャックくん!」
ウィローハウスもテューダーに同調する。テューダーはともかく、若くして検閲官を仰せつかっている分ウィローハウスは魔導士としては優秀なのだが、いかんせんどうも遊び心が強すぎるところが生真面目なチャックと合わなかった。
チャックは悩む。彼ら二人のこの状況について説明しようか。確かに一人で抱え込むのはつらい案件ではあるのだが、ここはもう少し慎重に裏取りをしてから二人の助力を仰ぎたいところだった。
「大丈夫です」
結局、チャックの口から絞り出されたのは、そんな言葉だった。
テューダーは呆れ半分に顔をしかめるも、それ以上何かを言うことはない。ウィローハウスもそんな状況を察したのか、わざとらしく両腕を挙げる仕草をしてみせる。
「では私は少し仮眠をとりますので」
「チャッキー。アンタがそうしたいっていうのなら、アタシ達には止める権利はないけど、なんにせよ、無理はよしておくれよ。アンタにもしものことがあったら、アンタの弟さんや妹さんに説明するのはアタシ達なんだからね。アタシはやだよ、そんなお役目」
冗談めかしてはいるが、テューダーの目は真っ直ぐにチャックを射貫く。
「……肝に銘じておきます」
「中国のことわざに三十六計逃げるにしかず、とあるでにゃんす。逃げの一手を打つのもアリでにゃんすよ?」
「珍しくウィローハウスさんが真面目なアドバイスを。わかりました。いざとなったら、ちゃんと逃げますよ」
チャックは腕に抱え込んだ禁書を握りしめる。本来なら同僚である彼らと情報を共有せねばならないところであるが――この本に込められた悪意は彼らの手に負えるようなものではない。一人で抱え込むのがよくないことは当然わかっている。しかし、こんなものはできる限り誰の目にも付かないように早急に闇に葬りたかった。
*
イーストエンドロンドンの路地裏。十九世紀ロンドンきってのスラム街だ。路地裏には饐えた臭いがはびこり、太陽は出ているというのに独特の薄暗さがある。そんな中を、レインは慣れた様子で進む。
「スラム街は初めてかい、ロウ検閲官」
「……初めてですが、問題はありませんよ」
それが強がりだとわかっていたが、レインは茶化すことはしなかった。
時刻は午後三時。朝、レインが怪物に襲われた現場検証で禁書を見つけた後、レインとチャックの二人は一旦別れ、この時刻前に再び合流した。レインはその間に昨日裏取りをし損ねた図書館所蔵の魔導協会の目録が改竄された可能性の確認を、チャックも一旦禁書を協会の自室に保管するために、というそれぞれのやるべき事があったというのもあるが、そもそもレインから、Dのヤサに行くのはこの時間以降である必要がある、と言われたのが一番大きな理由である。おかげでチャックは少し仮眠をとる事が出来たが。
「本当にあのDに会えるのですか?」
「あぁ。今日の午前中に約束なら取り付けてきた」
「約束?」
「Dのところのチンピラにな。今日の午後、俺たちが会いに来る、と」
「……マフィアの人間が、そんなあっさりと言うことを聞くものなのですか?」
「なァに、元々ある意味では警察と縁の深い連中さ。それに、お前らの身の回りを掃除してやろうか、と提案したら、あっさりとこっちの要求を呑んでくれたぜ」
チャックはレインの辣腕ぶりに半ば呆れる。掃除屋の異名をとる彼は、やるとなったら徹底的に洗い出すことで有名だ。マフィアどもにとっては実に厄介な人間に違いないだろう。
「さてと、Dとの待ち合わせはここだ」
レインは足を止めて、道の東側にあるカフェテリアを指さす。マフィアのアジトとしてはいささか奇妙な感じもあるが、こうして人の目を欺いているのかもしれない、とチャックは考えた。
「一応言っておくが、俺たちは話をしに来たんだ。物騒な真似は勘弁だぜ?」
「それは相手次第です」
レインの忠告を流しつつ、チャックは店へと進む。外から見る限り店内に人気はない。テラス席に少年が一人座っているだけだ。ということは、店の中にさらに階段が何かがあって、このカフェの建物は擬態といったところなのだろうか。
レインは迷わずに店の中に入る。チャックもそのすぐ後に続く。
問いたださなくてはならない、代筆屋のことを。これまでろくに証拠を残さなかった奴の、やっと掴んだ尻尾なのだ。
「よう。学校の方はどうだい?」
レインが不意にテラス席の少年に話しかける。
「おう、まぁ、ぼちぼちじゃ。っちゅうても、やっぱり勉強っちゅうやつはなかなかにしんどいのう。ついていくのがやっとじゃて」
少年はレインと顔見知りなのか、明るい笑い声を交えながら応えた。
「レイン警部補。知り合いとの挨拶は大事かもしれませんが、それはまた後にしてもらえませんか」
チャックがレインの袖を引く。しかし、レインは不思議そうな顔で振り返った。
「後にしろって、なんでまたそんなことを言うんだい、お前さん」
「なんでって……当たり前じゃないですか、私たちは、Dに会いに来たんですよ」
「あぁ。だからさ」
「いや、だからさって……え」
チャックはレインの言葉の意味に気づく。Dに会いに来た、だから少年に話しかけている――
「まさか」
「さすがに察しがいいな、お前さん」
「いや、しかし!」
チャックは驚愕を隠さずに、レインと少年の顔を交互に見る。
「そうじゃ。ワシがお前さんの会いたがっているDじゃ」
「そんな……彼はまだ年端もいかない少年じゃないですか!」
チャックに指さされて、Dは仕方なさそうに笑って立ち上がった。
「まぁ、こういう反応には慣れているけえのお。っちゅうか、警部補も人が悪いのう。あれかじめ言うちょいてくれてもええじゃろ」
「あらかじめ言ったところで、からかわれていると思われるのがオチさ」
レインとDは親しげに話す。
「まぁ、ええ。立ち話も何じゃ、座りんさいな。ここの紅茶はぶちおすすめじゃぞ」
Dに促されるままに、レインとチャックは対面の椅子に腰を落ち着けた。
「そうは言われても、信じられません。この少年が、あのDだなんて」
「正確には、ワシは六代目のDじゃ」
「Dの代替わりはつい最近の話でな」
レインとDの説明にもチャックは今一納得しきれないでいた。つい最近の代替わり、ということはDが若いというのは説明がつくが、それにしても目の前にいるDは若すぎる。
「まさか、私たちがこの時間まで待っていたのは」
「あぁ、学校が終わるのが、ちょうどこの時間だからな」
なんということだ、とチャックはテーブルに突っ伏しそうになる。
「学校に行くのは学生の義務じゃけえのお」
Dは至極楽しそうに笑う。
「で、検閲官。わざわざ警察まで動かしてワシに会いに来た用いうのは、昨日の夜、ウチのもんが間違こうてお前さんを撃ってしもうた件についてか?」
Dは早速に話を切り出す。さっきまでの快活な少年の表情が色を潜めたことに、この瞬間、チャックは彼がDであることを理解した。
「……それもありますが、それ以上に訊きたいことがあります」
「ほう、なんじゃ?」
「代筆屋をご存じですね?」
チャックの言葉にDは目を丸くした。それを尋ねられるとは予想してなかったようだ。
「なんじゃ。お前さん、検閲官いうから、そりゃ代筆屋の先生を取り締まる立場じゃろうが……わざわざそのためにマフィアのボスに会いに来たんか?」
チャックの仕事熱心さに呆れるような口調だった。
「では、質問を変えましょう。貴方方は――禁書に関わっていますか?」
チャックは懐の自らの魔導書を握りしめる。核心を突いた。もし相手が何か仕掛けてくるのなら、こちらも反撃するまでだ。
「ロウ検閲官。その手を離しな。蜂の巣にはなりたくないだろう?」
しかし、そんなチャックの動きを察したレインが牽制する。
「しかし……」
「構わん構わん。ワシが、ええ、言わな、特に何も起こらんよ」
Dは明るく笑いながら顔の前で手のひらを振る。
「しかしまぁ、禁書とはなんか物騒そうな代物じゃのう」
「すっとぼけないでいただきたいのですが」
「すっとぼけとらんよ。ワシャほんまに知らんけえ。けど、それがこの化け物騒動に噛んでるゆうんか?」
「……原因そのものだといっても問題ありません」
「なるほどのう」
Dは納得した様子で何度も頷く。
「で、その禁書を書いた人間に心当たりはあるんか?」
「少なくとも、協会に登録されている資料の中には該当する人物はいません。しかし、協会の管理外にあって、さらにそれだけの魔法を使いこなせる人物が一人だけいます」
「それが代筆屋の先生、いうことか」
さすがにDの頭の回転は早い。伊達や酔狂でこの年でマフィアのボスになっているわけではなさそうだ。
「昨日、そちらの方に質問させていただいた結果、彼が使っている魔導書が代筆屋の手によるものであることがわかりました。代筆屋に代筆を依頼したのは貴方ですね?」
「そうじゃ」
至極あっさりとDが認めたことにチャックは拍子抜けしそうになる。しかし、そこはなんとか表情には出さずに踏ん張った。
「何のために」
「かちこみじゃよ、かちこみ。化け物退治じゃ」
「化け物、退治ですって?」
「ほうじゃ。二日前、死体が見つかったじゃろ? アレはうちの若いもんじゃ。化け物をやっつけるためにに夜の見回りをさせとったんじゃが……逆にやられてもうた」
Dは忌々しそうに顔をしかめる。
「じゃけえ、うちにいる魔導士たちに前線を張らせようと思うてのう。けど、ワシんとこにおるんは、お前さんらのようなエリートじゃないけえ、魔法も下手くそじゃ。じゃから、代筆屋の先生に頼んで、エモノを用意してもらったんよ。まぁ、それでまさか化け物より先に検閲官にかち合うとは思わんかったが」
「結局、怪物の当たりを引いたのは魔導士ではない俺だったしな」
レインがDの言葉に付け加えた。
「そのために代筆屋に魔導書を……。これは立派に我々が検閲官として取り締まるべき事案ですが、しかし、今はそんなことに労力を割いている場合ではない」
「見逃しもらえるなら、助かるけえ」
Dの軽口にチャックは睨みつけるが、Dは全く意に介する様子もない。
「代筆屋の情報と引き換えに――」
「代筆屋は、大英博物館図書室司書のサムじゃ。侍のサム」
チャックの言葉が終わらないうちにDが先に答えた。あまりにもあっさりとしすぎていて、逆にチャックの方が面食らう。
「え?」
「やから、お前さんも協会の人間なら知っとるじゃろ? 検閲官なら図書館もよう利用するじゃろうし」
「いや、しかし」
「なんじゃ? ワシがお前さんに嘘言うても、なんもええ事ないじゃろが」
からからとDは笑う。チャックは隣のレインの表情を見た。レインは黙ってチャックに頷き返す。
「……わかりました。それでは早速大英博物館図書室のサムに、代筆屋の容疑として尋問をします!」
間違いない。ついに、代筆屋の正体を突き止めた。
言うが早いか、チャックは立ち上がりそのままレインを放って駆け出していく。レインとDは止めることもなく、そんなチャックの背中を見送った。
「お前さん、あんなにあっさりと情報を流すのは不義理ってことにはならないのかね?」
レインが先ほど、学校はどうだと訊いたのと同じ調子で、尋ねる。
「あくまでワシらは怪物退治が最優先じゃ。それにのう、ワシはこれでも人を見る目はある方じゃ。なんにせよ、事件の解決には検閲官と代筆屋の先生が出会う必要がある、そう思うただけよ」
紅茶に口をつけながら、至極当然のことのようにDは答える。
「やれやれ。しかし、お前さん達が自警団のようなものを結成して、怪物退治をしようとしていたとは……やはり警察は信用ならないかい?」
「ただのワシらのケジメいうだけじゃ。自分らのシマを荒らされて、のうのうと笑うとるわけにはいかんからのう」
Dか紅茶のカップを皿の上に置く。
「この辺り一帯は、ワシの家みたいなもんじゃ。どんな汚い場所でも、家いうたら大事なもんよ。そんで、家いうたら、何事ものう平和なんが一番じゃ。ワシらはそのために動く。ただそれだけじゃよ」
Dはテラスの柵に背中を預けイーストエンドロンドンの路地裏を見回す。
「最初の方に切り裂きジャックとやらに殺されてもうた娼婦も、ウチの管轄の人間じゃ。正直、よその連中にとっては、こんな路地裏で客を取る娼婦なんて、どっかで野垂れ死ぬか殺されるか程度の違いかもしれん。もともと治安の悪い地域じゃ。暴力、窃盗、殺人は日常茶飯事。けどのう……夫の暴力から逃げたはいいが学もなくろくな仕事にもつけん。それでも飯は食わんといけんから、体を売る」
半ば自虐的にDは笑ってみせる。そして、真っ直ぐな目でレインを見据えた。
「そうやって四十過ぎまで必死こいて生きてきて、最後は化け物に無残に殺される。せめて誰かが本気で仇をとってやろうとしてやらにゃ、浮かばれんじゃろ」