Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第11話

「ロンドン塔。十一世紀にイングランドを征服したウィリアム王がロンドンを外敵から守るために建てた宮殿にして要塞だ。十七世紀までは国王が居住する宮殿として使われ、その後、1834年までは王立動物園として使われていた。とはいえ、俺はその動物園のことを実際に目の当たりしたわけではないが。テムズ川のほとりにあるこの塔は、イーストエンドを象徴する場所でもある。ちなみに、このロンドン塔ではアーサー王伝説にあやかりワタリカラスの飼育が行われているんだ。アーサー王伝説は知っているか? しかし、ここは必ずしも華やかなだけの場所ではない。十三世紀からは監獄としても使用されるようになり多くの人間――当時の政権の政敵や王族が処刑されてきた。このイギリスの誇るべきものであると同時に、暗部の象徴でもあると、俺は思う」

 ロンドン塔を右手のひらで指しながらサムはテムズ川のほとりへと向かって歩き、建設中の巨大な橋を指さす。

「あれはタワーブリッジだ。二年前から着工された。完成はまだまだ先になるだろうが、蒸気機関を利用して真ん中から橋桁が二つに別れて跳ね上がる構造になっている。こういった構造の橋を跳開橋と言う。このテムズ川はイーストエンドロンドンの生命線だ。橋を架けて人々の往来を確保することは町の発展に必須だが、同時に船もここを通らなくてはならない。ゆえにこのような橋を跳ね上げる構造が採用された。まさしく大英帝国の栄華を象徴する大建築だと思う。俺はこうしてときどきここまでその建設風景を眺めに来るんだ」

 サムは饒舌だ。テムズ川沿いの遊歩道を歩きながら、流れるようにこれら建築物についての蘊蓄を語る。そして、その後ろをとぼとぼとした足取りで光正がついて歩く。

「へー。そうなんだ、すごいなー……って、なんで図書館を出てから今日半日、ロンドン市内の観光名所を歩いて巡っているんだよ!」

 光正は歩き疲れた足を両手でさすりながら、半ば恨みがましくサムを睨みつけた。

「お前が勝手に俺から離れないといってついてきているんだろう?」

「そりゃアンタから離れないとは言ったけどさぁ!」

 ロンドンまでの旅路である程度鍛えられたとはいえ、もともと光正の体力は人並み以下だ。こんな風に半日近く歩き続けた経験などない。それでもサムに啖呵を切った手前逃げ出すわけにはいかず、なんとか意地と根性でその後について歩いているのである。

「大体、ロンドンの観光名所を回って一体何がしたいんだよ!」

 光正は今日サムが出向いた場所を思い返す。周囲の奇異の目線も全く意に介さずに大英博物館の敷地内を走り抜け、通用口から出て行こうとするサムに追いついた。そこからはもう何があっても離れない覚悟でついていったのだが……バッキンガム宮殿にウェストミンスター大聖堂。そこからハイドパークを散歩して、キングスクロス駅へ。途中のカフェテリアではフィッシュアンドチップスを食べ、蝋人形館を見学し、リバティ百貨店を冷やかし、ビッグベンを横目に見つつウェストミンスター橋を渡り……

「いや、ひょっとしたら、ロンドンの観光名所を見て回ったら満足して帰るかもしれないと思って」

「そんな顔して、お茶目か!」

 光正は残ったありったけの力で叫んだ。

 くまなくロンドンの観光名所を回った上に、歩きながらサムが詳しく観光案内をしてくれるので、もしもロンドンに観光旅行に来ていただけなら大満足で日本への家路についていたことだろう。しかしながら、光正は観光をしに来たわけではない。

「……ふっ。ただ逃げ回るのもしゃくだからな。このロンドンで、俺が気に入っている場所を巡らせてもらった」

「あー、はいはい。おかげでアンタがどれだけロンドンが好きか、よーくわかったよ。司書じゃなくて観光案内にでも転職したら?」

「悪くはないが、本が読めなくなるのは困る。散歩は趣味に留めておこう」

「嫌みを言ったんだけど」

「わかっている」

 サムに鼻で笑われて、光正の胃の腑から腹立たしい気持ちがふつふつと湧き上がってくる。第一、光正はすっかり足が棒のようになってしまっているのに、サムの方はまだまだ元気で、その健脚ぶりがもまた癇にさわる。

「まったく……司書のくせにずいぶん体力があるんだな」

「まとまった休日にはオックスフォードまで歩いて行くこともある」

「……それ、どれくらいかかるんだよ?」

「さぁ。トータルの道程は丸一日といったところか。遠回りするルートでどこかに立ち寄ったり、途中の森でキャンプをすることもある」

 その健脚ぶりもさもありあん、と光正はうなだれた。歩いて丸一日かかるということは、大体横浜から箱根くらいまでの距離だろうか? なんにせよ、光正自身はずっと生まれ育った街から出たことがなかったので、そんな長距離を踏破した経験などなかった。

「そろそろ腹も減ってきたな。ディナーといこうか?」

 サムがくるりと光正を振り返り、笑いかけてみせる。

「……そうやって、僕に虎の子の資金を使わせるつもりだろ」

「ふっ。それなりに頭は回るようだな。一文無しになればおとなしく日本に帰るかと思ったんだが」

 にやりと悪戯っぽく笑うサムが光正には恨めしい。

「俺が代筆屋であることは、誰から聞いた?」

 サムは表情を真面目なものに変え、光正に問う。

「イギリスから日本に来ていた貿易商だよ」

「そうか。まぁ、察しはついていたが」

 サムはつい一年ほど前に代筆をしてやった貿易商の顔を思い出す。遠い日本へ行きしばらく現地に滞在すると言っていたから、ロンドンで自分の噂が広まることはないと油断していた。まさか日本で自分の噂を聞いて、しかも代筆してもらうためだけにわざわざ日本からロンドンまでやってくる物好きがいるとは夢にも思わなかった。

「なら訊くなよ」

「確認は大事だ」

 光正は目を眇める。しかしながら、こうやって足を止めて無駄話をしているうちに、光正の体力もだいぶ回復してきた。なんとかマルティンの家までは戻れそうだ。もっとも、あちこち歩き回らされたせいで、帰り道に自信はないが。

「……アンタ、自分が日本人であること以外、記憶がないんだって? 十年前、どうやってロンドンまでやって来たかもわからないんだって?」

 光正の問いに初めてサムはその表情に驚愕を浮かべた。

「驚いたな。そこまで調べているのか」

「調べたというか、成り行きで知ったというか。レイン警部補経由でリオくんにも会ったんだよ」

「リオにまで……なんでまた、あの警察官はお前を紹介するようなことを」

「そんなの僕が知るわけないだろ」

 光正は近くにあった手頃な大きさの岩に腰掛ける。若干座り心地は悪いが、足は休まる。

「……この十年間、ずっと俺は自分を探している。何も覚えていなかったくせに、自分が日本人だということだけははっきりとわかっていた。日本に、何か俺のルーツに関するものがあるのかもしれない」

 サムは立ち止まったまま、光正に語りかける。落ちてきた陽がテムズ川に反射し、サムの姿を照らす。

「お前の知っている日本に関する話を俺に聞かせろ。それ次第では、代筆の件も考えないわけではない」

「日本のこと、か」

 サムはマルティンとの会話を思い出す。彼も日本の海に関する知識を光正に求めた。しかし、ただ漫然と日本で生きてきた光正にマルティンに語って聞かせられるほどの知識があるわけもなく、うろ覚えの知識で曖昧に答えながら自らの無知を歯痒く思った。そして、今のサムの言葉が、その歯痒さを思い出させた。

「申し訳ないけどね、僕は自分の生まれた街から出たことがない。このロンドンまでの道行きが、人生初めての大冒険さ。だから、アンタに語って聞かせられるほどの知識もなにもないんだよ。アンタが、このロンドンの名所について語ってくれたようにはね」

 光正は素直に自分の気持ちを吐き出した。

 歯痒さ――そればかりをずっと感じて生きてきた。魔導士の家柄、魔導士として優秀な兄、そして魔法の才能のない自分。人は、魔法など使えなくてもいいじゃないか、と言う。世の中には、魔法が使えない人間の方が多いのだから、と。しかし、それは全くの見当外れだ。世の中の人間のうち、魔法が使える人間の方が多かろうが少なかろうが、自分自身には関係のない話だ。これは、自分自身の問題だ。自分の、あるがままの在り方についての問いかけだ。

「……俺が、お前の代筆を拒否した理由だが、ただ面倒で何の儲けにもならなそうだからという以外にも理由はある」

 唐突に話を切り出したサムを光正は不信感を持って見つめる。一体どういう理由を追加するのか。それで光正に納得して何も持たないまま日本に帰れと言うのか。

「そもそも俺が代筆をするのは、能力のない人間に対してだけだ。緻密さと精密さを著しく欠いた稚拙な文章表現、陳腐極まりない精神、魔導書、いや言葉に対して真っ直ぐに向き合おうという真摯さのかけらも見当たらない態度――その足りないものを俺が補ってやる。添削、と言えば聞こえがいいな。そうだな、程度の低いリクエストを形にしてやる、とでも言うべきか。どうしてそんなことが出来るのか、俺自身にもよくわからないが、対象の語彙や文体を再現した上でその品質を高める。それが代筆屋の仕事だ」

「全くもってして、耳の痛い話だね」

 光正は半ば自嘲気味に笑う。自分なりには真摯に魔法と向き合ってきたつもりだが、結果が出ないということはそういうことなのだろう。

「しかし、俺にはお前が魔法の才能がないとは思えない。話してみた感じ、というか、これまで代筆屋として魔導士達と接してきた経験上な」

「は! 何をわかったような口をきいているのさ」

 光正は表情を歪め、上目遣いにサムを睨めつけた。

「魔法の才能がないとは思えない? アンタが僕の何を知っているって言うんだよ。今までずっと魔導書の勉強はしてきた。でも、僕に出来た魔法なんていうのは、せいぜい出来損ないの手品レベルだ。なんなら実演して見せようか? アンタの顔の前で爆発を起こして、その前髪を揺らすことくらいは出来るかもな」

「……魔法の本質は、言葉による世界への干渉だ。言葉を通じて魔力の形をなし、それをもってして世界に問いかける。巨大な炎を出したり、想像上の怪物を顕現させるだけが、魔法の価値ではない」

「何もないよりかはましだろう!」

 光正は叫び立ち上がる。そうだ。いつだって『持っている』人間はわからない。持たざる者の気持ちを。気休めなら、何度も、いろんな人間から投げかけられた。しかし、そんなものに意味はないのだ。自分の在り方を決めるのは、自分自身。その自分自身が疑問を持つ限り、納得も諦めもない。

「僕は、僕を知りたい。僕に本当に魔法の才能はないのか。別に何かを成し遂げたいわけでもない。それで誰かを見返したいわけでもない。ただ、納得したいんだ。自分自身の在り方に、納得を」

 光正は一気に言葉を吐き出した。胸の奥でずっとつかえていたもの。言葉にしてしまえば、それはとても簡単な一つの単語になってしまう。納得――けど、そのたった一つの言葉に込められた意味は、重い。

「……ふっ」

「何がおかしいんだよ」

 笑い出したサムを光正は睨みつける。今すぐにでも、その胸ぐらをつかんでテムズ川にたたき込んでやりたいくらいの気持ちだ。

「何がおかしい? 何を言っている、おかしいじゃないか。魔法の使えないお前と、代筆屋の俺。二人とも、同じ悩みを持っているなんてな」

「……同じ悩み?」

「あぁ、そうだ。俺も納得したい。自分という存在について、な」

 サムはテムズ川に落ちる夕日を見つめる。十年間、ずっと同じ夕日を見つめ続けていた。変わらない日々に、解決の糸口の見えない自己に霧のようないらだちを覚えながら。

「……やれやれ。アンタとこんな話をするつもりはなかったんだけどな」

「俺もだ。適当にふっかけて連れ回してやれば諦めるかと思ったが、その根性は見込み違いだった」

「納得できないまま、一生を終えるのはごめんだからね」

「……しかし、悪いがやはり代筆は出来ない。お前自身でも無理だとしたら、俺が代筆したところで結果が変わるとは思えない」

「適当なことを言って誤魔化そうとしているんじゃないよねー?」

「信じる信じないはお前の勝手だ」

 光正は腰に手を当てて大きく息を吐いた。結局目的の魔導書の代筆は成し遂げられてはいないが、なぜかこれはこれで気分はそう悪くはない。

「日本から来た侍。だからサム、か」

「あぁ、いい名前だろう? せめて日本に繋がりを、とリオにつけてもらった」

「スシとかサシミにならなくてよかったね。僕の知っている人に見つかっていたら、そうなっていたかもよ」

「そういえば、そういう名付けをしそうな奴に会ったことがあるな。日本の海について熱心に訊かれたが、生憎俺は全く日本の記憶がない」

「あー……多分、それ、同一人物な気がするなぁ」

「ふっ。確かにいくらロンドンが大都市とはいえ、そんな人物が何人もいるとは思えないな」

 光正とサムはお互いの顔を見合わせ、唇の動きだけで笑い合う。

「……そういえば、お前の名前を訊いていなかったな」

「それ、今さら訊く?」

 なんとも間抜けなやりとりだ、と光正は額を抑える。

「僕は光正。赤星光正」

「俺はサム。侍のサムだ」

「知っているよ」

 そう言って光正が相好を崩したときだった。光正にとって聞き覚えのある声が、テムズ川沿いの遊歩道に響く。

「やっと見つけましたよ、侍のサム」

「チャック!」

 光正が振り返った先にいたのは、チャックだった。しかし、普段の慇懃で優美な振る舞いは影を潜め、その手は魔術書を携えている。まさしく臨戦体勢だ。

 チャックは光正を一瞥する。

「やれやれ、また貴方ですか。しかし、それは今はどうでもいいこと。私が用があるのは、そちらの日本から来た侍の方です」

「用がある、だと?」

 チャックに指さされ、サムが戸惑いと不信に満ちた視線を投げ返す。

「立場上、図書館は頻繁に利用しますから、私の顔に見覚えはありますね?」

「魔導協会のチャック・ロウ、だったか」

「ええ。その通りです。しかし、私の協会での役職についてはご存じないですかね?」

「ふん。悪いが、俺はただの図書館の司書だ。資料のやりとりで交わす情報以上の事は知らん」

「だったら、教えて差し上げましょう。私はチャック・ロウ。魔導協会の検閲官です」

 検閲官、という言葉にサムが眉をひそめる。

「……検閲官? 協会のエリート様が、俺に何の用だ」

「この魔導書について何かご存じないかと思いましてね」

 チャックは構えている自分の魔導書とは異なるもう一冊を懐から出して見せた。

「さて。図書館の目録を調べたほうが早いと思いますが」

 サムはその魔導書の表紙を一瞥して、すっとぼけた様子で返事をする。

「生憎、この低俗な本の記録など、どこを探してもありませんでしたよ」

 しかし、チャックはサムの答えをある程度予測していたのか、全く動じず慇懃な態度は崩さぬままに返す。

「ですから、執筆した本人に尋ねに来ました……代筆屋さん」

 チャックの口から代筆屋という言葉が出た瞬間、光正の背中に冷たいものが走った。検閲官という立場上、代筆屋の存在は看過できるものではない。チャックに代筆屋の件についてばれるわけにはいかない、と気をつけていたが、一体どこからチャックに情報が漏れたのか。そして、それならばこのチャックの剣呑とした雰囲気もわかる。

「探すのに苦労しましたよ。図書館に行ったら、来客が来た後、貴方はさっさと帰ったと言われたものですから。して、その来客が貴方が代筆屋だと騒いでいたという」

「え! ってことは、僕のせいで!」

 思わず光正が叫ぶ。ついその場の勢いがあったとはいえ、あれだけ人がいる場所でサムを代筆屋であると言ってしまった。それがまさか当日中にチャックの知るところになるとは。

「この男が代筆屋であるという情報を知ったのは、貴方の軽率な発言からではありませんよ。もっともおかげで確信を持つことが出来ましたがね」

 チャックは涼しい顔で狼狽する光正を横目に見る。

「さて、この本について洗いざらい吐いてもらいますよ」

「待て、本当に俺は……」

「問答無用。禁書執筆の容疑により貴方を拘束し、審問を行います」

 チャックはゆっくりとサムに歩み寄る。ロンドン魔術協会に属する全ての魔導士にとって、協会の命令は絶対だ。しかし、サムは協会に所属する正規の魔導士ではない。

 サムは一歩大きく後ろへ交代すると、懐の魔導書に手を当てて対決の姿勢をはっきりと見せる。

「……覚えのないことでみすみす捕まるほどお人好しではない」

「仕方ありませんね。ならば……チャック童話で貴方の罪を暴きましょう!」

 迷いのない仕草でチャックは魔導書のページを手繰る。同時に、サムも懐から魔導書を出し、それを開いた。

 そんな二人の間に光正は挟まれている。かたや魔導協会のエリートである検閲官、もう一方は代筆屋。どう考えてみても、チンピラ魔道士同士の喧嘩というレベルではない。

「わっ……ととっ! こ、こんなところで戦いを始めないでくれよー!」

 ただ魔導書の代筆を頼みたかっただけなのに、何を一体どう間違えてこんな状況になっているのか。二人の間に挟まれている光正は、泣き出したい気持ちでテムズ川のほとりにて叫んだ。

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