Write to reach you ~希望の暁~ 作:けんごち
Dに代筆屋の正体がサムであると教えられたとほぼ同時にチャックは走り出していた。大英博物館図書室に侍のサムならいるはず。
本来ならば同僚であるテューダーとウィローハウスにも情報を共有すべきところであったが、忌むべき禁書の存在に、一刻も早く事態の解決をという気持ちの方が勝った。実際問題、情報を共有したところで三人一緒に行動をするわけではない。それにイギリスに数多く存在する魔導士の中でもエリートであるチャックには、魔導書を用いた戦闘においても誰にも引けをとらないという自負があった。
しかし、大英博物館まで走り抜いたチャックの成果は芳しくなかった。司書に訊けば、サムはすでに帰ってしまったという。もともと仕事の非常に早い男で、自分の分の担当が終わればさっさと帰ってしまうことは珍しくないとのことだった。だが、そのついでとばかりに司書が付け加えた話がチャックの心を粟立たせた。
――そういえば、サムが帰る直前に一人の若い男が訪ねてきたんですよ。なんか言い争っていました。魔導書を書いてもらうまで離れない、って。
その瞬間、Dの証言と同僚の話がチャックの中で繋がった。やはり侍のサムが代筆屋で間違いない。そのサムを訪ねてきた若い男について気にならないわけではないが、そのときはそこまで気を回している余裕はなかった。
司書達は、サムの行き先に心当たりはない、と言った。サムが自分の来訪に感づいて逃げたした可能性もある。一刻も早く追跡を行う必要がある。
チャックはそのまま図書館を飛び出した。
この広いロンドンをしらみつぶしに探している時間はない。ならば、あまり魔力を消耗したくはないが、仕方がない。
チャックは博物館前の通りまで出て、自らの魔導書を開いた。
――人を探しているのです。旅人はカラカラに乾いてひび割れた唇を動かしてそう言いました。妖精達はお互いの顔を見合わせ、首を傾げます。旅人さん、ここは妖精の国。あなたたちの世界よりも何倍も何倍も大きいんだ。この世界でたった一人の人を探すなんて、到底無茶だよ。一生歩き回ったって、きっとこの世界の十分の一も巡れやしない。妖精達の言葉に旅人はうなだれました。しかし、妖精はこう続けます。自分の足を使って自分の目で見つけようとするからダメなんだ。ごらん、尋ねればいいんだよ。大地に風に草木に。そうすればきっとすぐに見つかる。そう、こんな風にね。
「チャック童話、妖精の国の異邦人。さぁ、大地よ、風よ、草木よ。私に教えてください。あの侍のサムがどこにいるのかを!」
太陽は傾き始めていた。訊けば、サムが図書館を出たのは午前の出来事だったという。そのまま真っ直ぐにどこかへ逃げたのなら、それなりに遠くまで行っていることを覚悟すべきであろう。魔法による探索は、足を使った人捜しよりも遙かに効率的で早いとはいえ、それでもそれなりの時間はかかる。
チャックは、下手をすれば一晩かかるかもしれないと覚悟を決め、辛抱強く魔力を広げていった。しかし、チャックの危惧は杞憂に終わった。一時間も経たないうちに、それは見つかった。
「……見つかった。この方角、この距離は、ロンドン塔のあたりか? 意外と近い。私に気づいて逃げ出したというわけではないようだ」
チャックは南東の方角を見やる。そして、魔法を解除したと同時に再び走り出した。
*
大英博物館からロンドン橋を渡る三マイル弱の道のりを、チャックは四十分ほどで駆けた。そして橋を渡った先で、ついに発見したのである、侍のサムを。それと同時に、サムが誰かと話をしている事に気づいた。どういう状況で何の話をしているのかはわからないが、もう一度見失う前に拘束する必要がある。
サムの話し相手が光正であると気づいたとき、チャックは驚きはしたものの、それ以上は気にもとめなかった。おそらく図書館に現れたサムに会いに来た若い男は彼だろう。つまりは、わざわざ日本から代筆屋に代筆してもらいに来たということか。なんにせよ、サムの拘束に関して問題となる相手ではない。
そして、今、チャックとサムは間に光正を挟んだままにらみ合っている。
魔導士同士の戦闘において、迂闊に先に手を出すのは悪手だ。魔法を紡いでいる時間に攻撃されてはひとたまりもない。後の先をとること、それが理想的な戦い方である。
いかに魔法を短い時間で起動させるか――それが魔導士の命題であるがゆえに、魔道士達は魔導書を持ち歩く。あらかじめ言葉を貯めておいた魔導書を用いれば、魔法の起動に用いる言葉の付け足しが最小限で済むからだ。
チャックは、魔法の早さにおいては誰にも引けをとらないと自負していたし、実際、イーストエンドロンドンの路地裏で炎の魔法を飲み込んでみせたように、その実力はイギリス魔導協会の中でも最上位に位置する。よって普段ならばそのまま力押しで行くのだが、いかんせん目の前にいる代筆屋の力が読めない。
「どうした、検閲官? 俺を捕まえるんじゃなかったのか?」
「そういう貴方こそ私から逃げ回るのではなかったですか?」
サムとチャックがお互いの出方を探る。
「ちょ、ちょっと待てよ、二人とも! こんな街中で戦ったら周囲の迷惑だろ! チャック、アンタもアンタだよ! 魔導協会の検閲官なら、市井の人間の安全を第一に考えるべきだろ!」
光正は叫ぶ。しかし、チャックは表情を微動だにさせない。
「市井の人々の安全を守る? ええ、そのためですよ。こんなものをばらまくような魔導士を放置しておく訳にはいかない。そのために少々騒ぎになったしても、それは些末なことです」
「ふっ。エリート様はずいぶんと傲慢だな」
「幸いもうすぐ日が沈みます。あなたの怪物騒動のおかげで、今のロンドンの夜には人っ子一人いません。遠慮は無用ということですよ」
サムの挑発にもチャックは乗らない。そしてこの機を逃さず魔導書を開き、仕掛ける。
――風の王様は言いました。君は私をただ形のないものだとみくびっているようだが、風とはとても恐ろしいものだ。見よ、あの大木を。樹齢三百年を超えこの大地にしっかりと根を張ったあの木でさえ、私たち風が一旦暴れ狂えばご覧の通り。体を折り曲げ、まるで私にひれ伏すかのように倒れておるではないか。なんなら、君を私の風で吹き飛ばし、あの月まで運んでみせようか?
「チャック童話、風の王様」
チャックの言葉が終わりやいなや、荒れ狂う突風がサムと光正を襲う。日本で体験した台風など比ではないその力に、光正は地面を這いずって、体勢を低くしなんとかその風をやり過ごすことで精一杯だ。ローブがまるで船の帆のようにバタバタと音を立てて波打つ。
――風の声は止んだ。茜射すこの街に凪が訪れる。まるで万物の創生主がこの地に降り立つのを待ち構えているようだ。今にもあの雲の割れ間からそれは現れそうに思える。きっと風の神も恐れをなしひれ伏しているのであろう。
しかしサムは荒れ狂う風の中でも悠然と魔導書を開き、魔法を詠んだ。と、同時に荒れ狂っていた風が嘘のようにピタリと止まる。
「な! 私の魔法に干渉しただと!」
チャックは驚愕の色を隠さずに叫んだ。
「忘れたのか? 俺は代筆屋。魔力に干渉するなど、造作もないことだ」
不敵な態度でサムはチャックに返す。その態度にチャックは奥歯を噛む。
「……確かに一筋縄ではいかないようです。しかし、私のチャック童話は一話だけではありませんよ」
――ある村には道鬼という怪物がいました。その怪物は道の中に潜み、ちょうど日が沈む夜と昼の境目を縫うようにして現れます。ですから、この村の人々は日が傾き始めると、急いで家へと帰り、外を出歩くことはしませんでした。夜と昼の境目から道鬼が現れ、道を歩く旅人の足を掴みこの世界ではないどこかへと連れ去ってしまうのです。
「チャック童話、夜と昼の間の怪物」
チャックが魔法を詠み終えると同時に、光正は気づいた。黒い二本の腕が自分の足首を掴んでいる。それは地面から生えていた。まるで、地面の中に得体の知れない怪物がいるかのように。
「うわぁ! お、お化けだ!」
足首を掴む黒い腕を見て、光正は悲鳴を上げた。
――妖精は貴方の鏡。いいことをすればいい妖精が目の前に現れる。けれども、悪いことをした子の前には悪い妖精が表れる。いいかい? いい妖精と悪い妖精の見分け方は簡単だよ。もしも口から鋭い牙が生えていたら、それは悪い妖精だ。悪い妖精は悪い子を手に持ったナイフで切り刻む。けど安心しなさい。貴方の罪を認めて懺悔をすれば、悪い妖精は消えるからね。でも、自分の罪を認められない子は――妖精に切り刻まれてしまうよ?
「チャック童話、いい妖精と悪い妖精」
光正とサムのそれぞれの目の前に二つの小さな影が現れる。光正はその姿に目をこらした。小さな、人形のような姿。妖精だ。そして口には――牙が生えている。
「ひぃ!」
悲鳴を上げた光正を見て、妖精はにやりと笑った。そして背中からナイフを出す。ナイフに夕日が映り、それがまるで血の色のように見える。
「さぁ、貴方方の身動きは封じましたよ。貴方の罪を白状なさい。もし、そうしなければ――その妖精に切り刻まれてしまいますよ」
童話は子供のための話というが、時に残酷極まりなく理不尽だ。そして、容赦なくサムと光正に襲いかかる。
「も、もうだめだー!」
光正が叫んだ瞬間だった。再びサムが全く魔法を意に介さない様子で優雅に魔導書を開く。
――罪とはなんだ? 私は何度も自分に問いかけた。罪、罪、罪――それは誰が決めるものだろうか? 誰によって裁かれるものだろうか? もしも何かを奪い去ることが罪というのなら、あぁ、私の体はあの湖の水を飲んでしまった。あの鹿を殺し、その肉を食べてしまった。小麦ですら生きているかもしれない。何も奪わずに生きていけば私は罪から逃れられるのか? いや、そうすれば私は私自身の命を奪ってしまう。そう、罪とはつまり存在するということ。つまり、誰も罪からは逃れられないのだ。ゆえに罪を裁くという者よ。その存在は自己矛盾の塊。つまりは存在そのものを許されるべきではないのだ。
サムの詠んだ魔法を受けて、妖精達は頭を抱えて苦しみだした。そして地面に倒れ伏し、あっという間に灰になる。
「またしても私の魔法を打ち消すとは!」
「す、すごい」
表情を歪めるチャックと、尊敬の念を持ってサムを見つめる光正。
「……光正」
「え?」
魔術書を構え、チャックと相対したままサムは光正の名を呼んだ。サムが自分の名前を呼んだことに光正は驚き、返事の代わりに問い返してしまった。
「一つ教えろ。あの検閲官は、自分の決めつけを肯定するために、平気で証拠を捏造するような人間か?」
「え、えーと」
いきなり何を問いかけてきたのだと光正は戸惑うが、必死に今までのチャックとのやりとりを思い返す。
「確かにあの人は慇懃無礼で偉そうで嫌みな奴だけど……仕事に対しては真面目だ。そんな卑怯な真似はしない、と思う」
「……そうか。わかった」
何かに納得したのか、サムは頷く。
「二人で何をこそこそと話しているのです? 逃走の算段ですか? しかし、まだ貴方方の足には私の枷がはまっていることをお忘れなきよう」
チャックが再び魔導書を開き、二人に追撃の魔法を詠もうとする。しかし、それよりも早くサムが動いた。
「検閲官。これをくれてやろう!」
サムは手に持っていた魔導書をチャックに向かって投げつける。
「な!」
さしものチャックもサムのこの行動には意表を突かれた。魔法の詠唱を中止し、両腕で魔導書を受け取る。
「自分の魔導書を投げるとは……諦めたということですか?」
魔導士にとって魔導書を手放すということは、騎士が剣を投げ捨てるのと同じく、降伏を意味する。
「こんな魔法のやりとりをしていてもきりがないからな。さすがにお前は優秀な魔導士だ。もっと簡単に出し抜けると、低く見積もっていたことは詫びよう」
サムはぶっきらぼうに言った。
こうしてチャックに相対していれば魔法を無効化することは出来るが、さすがのサムも逃げるために背中を向けてしまってはチャックの魔法に対抗することは出来ない。そんなじり貧の状況であった。
「わかりました。いいでしょう。おとなしく降伏するというのなら、私としても余計な魔法の詠唱は望むところではありませんからね。ではおとなしくお縄についていただきましょうか」
「断る」
「なんですと!」
不敵なサムの態度にチャックは不快感を露わにした。魔導書を投げ捨て、足を拘束された状態で拒否権などあるものか。
「言ったはずだ。俺は覚えのないことでみすみす捕まるほどお人好しではない、と」
そう高らかに宣言しながら、サムは懐からもう一冊の魔導書を取り出す。
「な! 魔導書が二つあっただと!」
「ふっ。そう驚くことではないだろう? 俺は代筆屋だ。魔導書を二冊書くなど造作もないことだ」
サムは隣でへたり込んでいる光正の首根っこを掴み立ち上がらせる。
「わ! ちょ、何すんだよ!」
「置いていってもいいんだが、まぁついでだ。お前も、協会に捕まったら困る後ろ暗い身だろう?」
「僕を悪人みたいに言うなよ! そりゃ代筆を依頼しに来たってばれちゃったけど……」
魔導書の代筆依頼未遂。よくて国外追放、悪くて収監といったところか……。
「検閲官。さすがのお前も集中力が乱れたな」
サムは両足を掴んでいる手を振りほどき、テムズ川の岸へと跳んだ。
「しまった!」
サムに魔導書を投げつけられたことで意識が乱れてしまった。このように何かを顕現させる魔法は、魔力の供給が弱まれば一気に弱体化する。
「ちょ、待ってよ!」
慌てて光正も足を掴む手を振りほどきサムの後を追う。
サムは迷わずに川岸に停泊していた小さなボートに乗った。ボートは川岸に打ち付けられた杭にロープを使って固定されている。このままボートを奪って川を伝って逃げ切ろうという算段である。
――少年達は海へと渡る。憧れていた自由への旅。彼らを縛る鎖はもはやこのボートを繋ぐ一本のロープのみ。一番年長の少年が満を持して斧を振りかざし、そしてその戒めを切り裂いた。
チャックは魔法でボートを繋いでいたロープを切り、岸を靴底で蹴った。ボートは離岸し、ゆっくりと川の流れに乗って動き出す。
「アンタからは離れないって言っただろう!」
光正は岸から全力で跳ぶ。そしてなんとかサムのいるボートに着地する。着地の衝撃でボートが大きく揺れて川に落ちそうになるが、そこはなんとかこらえる。
「テムズ川を伝って逃げるおつもりですか? しかし、貴方が選んだその道はまさに袋小路。川に入ってしまった以上、逃げ道は限られていますからね!」
チャックはボートに乗った二人を睨みながら、魔導書を開いた。
――少年達は逃げ出しましたが、ここは巨人の国。巨人はあっという間に十フィートもの歩幅で追いついてきます。そして、川下へと向かう少年達のボートを追い抜くと、川へと巨人は飛び込みました。大きな波に少年達の小さなボートは揺られます。少年達は逃げようとしますが、川の流れは常に海に向かっています。なすすべもなく川に流されるまま、少年達は巨人に捕まってしまうのでした。
「チャック童話、巨人の国」
チャックが詠唱を終えると同時に、川に巨大な人影が現れた。チャックが魔法で顕現させた巨人だ。
「さぁ、貴方方に逃げ道はない! なすすべもなく川に流され、このまま巨人に捕まってしまいなさい!」
巨人はサムと光正から見て川下に現れた。その距離は五フィートもない。巨人はゆっくりと前屈みになり、その巨大な両手を光正達に伸ばす。
「も、もうだめだー! 逃げられない!」
オールも何もない。ボートを川上へと運ぶ術がない。いや、もしオールがあったとしても、川の流れに逆らってあの巨人から逃げ切ることは出来ないだろう。
そう光正が絶望した瞬間だった。
「光正。お前はユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのマルティン博士に会ったことがあるな」
「あ、あるけど、それが一体何だって言うんだよ!」
この状況に不釣り合いなくらいに落ち着いた声色でサムは光正にマルティンの話を切り出した。
「あの人は話し好きだ。海の話をしだせば止まらない」
「そ、そうだねー!」
迫り来る巨人の腕を見ながら、光正はマルティンの話を思い出すどころではない。
「お前は、マルティン博士からこんなおもしろい話を聞かなかったか? この世界には、海へと流れるはずの川が逆流する現象があると言うことを」
サムは魔導書を開く。
――雨が山へ降って川となり、川は海へと還り、再び海から雨雲として山へと降り注ぐ。そう、川は海へと、より低い場所へと流れるのだ。しかし、今、私の目の前にあるこの光景はなんだ? 川がうなりを上げて逆流している。この世界の破滅が近いのか! あぁ、遠くの海でリヴァイアサンが怒り狂っているのか! 私は今目の前で怒っている光景に、この地球に存在する何者かの恐るべき力を感じざるを得ない。海嘯――この恐るべき海の力よ!
轟音がとどろく。サムが魔法を唱え終わると同時に川が激しく波打つ。そして――川下から川上へと激しい勢いで逆流を始めた。
「な、なんですと!」
目の前に光景にチャックが目を見開いた。
激しく逆流する川に巨人は足を取られ、後ろ向きに倒れ込む。巨大な水しぶきが上がる。
「ブリストル海峡に流れるセヴァーン川のボア。海嘯と呼ばれる川の流れが逆流する現象だ。海から来る波が地形条件により重なり合い、大逆流となる現象だとマルティン博士は言っていたな。遠くブラジルでは、アマゾン川でポロロッカと呼ばれる大規模な海嘯が見られるらしい。マルティン博士が死ぬまでに一度でいいからこの目で見てみたいと目を輝かせていたよ」
悠々とした様子で逆流する川の流れに乗りながらサムは語る。しかし、光正はボートにしがみつくので精一杯だ。
「こ、こっちも覚悟が必要なんだから、川を逆流させるなら、事前にそう言えよ!」
「悪いな。そんな時間も余裕もなかったからな」
「こ、これ、いつ終わるんだよ?」
「さぁ? 俺も川を逆流させたのは初めてだからな。それでもまぁ、せいぜい行ってスタンフォードというところだろう」
「イギリスの地理がわからない! スタンフォードってどの辺にあるんだよー!」
全くもってしてなんて一日だ、と光正は泣きたい気持ちになる。巨人を顕現させたり川を逆流させたり、このイギリスの魔導士どもはむちゃくちゃだ。
「なんにせよ、逃げ切れたな」
サムは遠ざかるチャックの姿を見つめる。巨人が倒されてから、チャックはそれ以上追撃の魔法を仕掛けることはしなかった。
「さすがに、川を逆流させるのは……想定外でしたね」
悔しいという感情を通り越して半ば呆れた様子でチャックは遠ざかっていくボートの影を目で追う。
代筆屋――想像に違わず、恐ろしい魔導士だ。もしも彼が本気でチャックを倒すつもりで襲いかかってきていたら、どうなっていたかわからない。
「まぁ、いいでしょう」
しかし、チャックはそれ以上意に介する様子もなく、半ば満足げに懐にあるサムの魔導書に視線を向ける。
「どちらにしても、彼らとは一旦距離をとる必要があった。これならこれでこちらとしても好都合」
そう呟いた後、チャックはサムの魔導書を懐に抱え、その身を翻した。