Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

14 / 24
第14話

 グリーンパーク。バッキンガム宮殿の北に位置するロンドン最大の公園の一つ。平日ならば遊びにきた家族連れや散歩する人々などで賑わうこの公園も、連続殺人事件と怪物に怯える現在のロンドンでは、夜となってしまえば全く人がいない状態になる。そんなグリーンパークの中をチャックは進んでいた。手には自分の分ともう二冊の魔術書――先ほどサムが投げつけたものと、そして今朝イーストエンドロンドンで発見された禁書を携えている。

 サムの魔術書を手に入れた今、筆跡鑑定を急ぎたいところであるが、この作業には慎重を期す必要がある。

 発見された禁書は非常に危険な代物だ。チャックの見立てが間違っていなければ――これは、人を怪物へと変容させる忌むべき力が込められている。

 本来ならば筆跡鑑定は協会内のオフィスで行うべきだが、それは普通の魔術書の場合。一体どのように作用して人を怪物へと変えるのか全くわかっていない現状で、この禁書を協会内で広げることは、例えて言うなら爆弾解体処理を協会内で行うことに等しい。万が一にでも、協会の建物内で怪物が発生するような事態は避けなくてはならない。よって、そう判断したチャックは一人協会の近くにある人気のない公園に向かっているのである

 チャック自身、この作業を一人で進めることが危険であるのは百も承知だ。しかし、人を怪物へと変容させる禁書がばらまかれていた、という事実を周囲に告げるには確証が欲しい。憶測の段階で検閲官が口外するにはあまりに危険が大きすぎる。イギリス社会が大混乱に包まれることは分かりきった話である上、魔導士とそれ以外の人々の関係に軋轢が生じるかもしれない。

 

――この国では妖精達が郵便屋さんをしています。妖精達は手紙を受け取ると、すぐに宛先の元へと空を飛んで向かいます。力のない妖精さん達にとっては、手紙くらいの重さがちょうどよく、郵便屋さんはまさに彼らの天職なのでした。さぁ、今日もわかい妖精の郵便屋さんが一通の手紙を携えて夜の闇の中を飛びます。彼らの放つ光が周りを照らすので、真っ暗な夜でも真っ直ぐに郵便を届けることが出来るのです。

 

「チャック童話、妖精の手紙」

 チャックが魔法を詠むと、チャックの右手の傍に一匹の妖精が表れた。チャックは魔術書に手紙を書き綴り、そのページを破って妖精に託す。

「私にもしものことがあったら、この手紙を魔導協会のテューダーさんへ」

 妖精に手紙を預け、チャックは緊急事態への対処をテューダーに託した。

 テューダーはチャックよりも八歳年上の先輩だ。冗談と悪戯好きでいつもふざけているような人であるが、その能力には全幅の信頼を置いている。チャックにもしもの事があった場合――テューダーならきっと迷わずに確実に『怪物』を退治してくれるだろう。

 チャックはもう一度周囲を確認する。夜の公園は深い闇に包まれた海の底のようだ。チャックたてる一つ一つの音が、深い暗闇へと消えてしまうかのように錯覚する。

 この場所なら、最悪の事態が起きたとしても人的被害を出すことはないだろう。きっとテューダー達なら間に合う。

 チャックは懐から禁書を出し、それを右手で広げる。必然、心臓の鼓動は速くなり、ページを手繰る手は震える。

 この禁書の危険性を理解してからすぐに、これはチャックのオフィスにある金庫に仕舞った。サムを尋問した際に見せたのは、あくまで似た表紙を持つ魔術書を使って簡易的に作ったレプリカである。もしもサムが本当にこの禁書を執筆した犯人であった場合、禁書を手で持って現れるのは、爆弾を抱えてたき火に当たるくらいに愚かなことだ。

「よし。では――」

「誰か、助けてくれー!」

 チャックの決意の声は誰かの悲鳴にかき消された。チャックは慌てて周囲の様子を窺う。確かに人がいないことは確認したはずであった。しかし、その人影は木々の向こうからこちらへ向かって走ってきた。

「化け物だ! 僕の目の前で、人か怪物になった! この目で見たんだ! 助けてくれ!」

 悲壮な表情で叫びながら、チャックに向かって走ってくる人物。その顔にチャックは見覚えがあった。

「あれは……ジョナサン・ワイルダー?」

 そう、今巷をに賑わせている怪物事件を題材にしたホラー小説を書いている作家。数日前に書店で見たような自信に満ちあふれた姿ではなく、長い髪は乱れ汗で額に張り付いている。

「やった……! 人がいたぞ……。助かった……」

「……一体、貴方はこんな夜に何を」

 駆け寄ってくるジョナサンにチャックは声を掛けた。ジョナサンはチャックのすぐ傍にまで走り寄ってきた後、数秒呼吸を整えてから、ゆっくりと口を開く。

「……私はジョナサン・ワイルダー。小説家だ。最近頻発している怪物事件をテーマにした小説を書いている。その取材を兼ねて夜の街を調べていたら……人間が怪物になる瞬間を目撃してしまった。私は、怪物を調べていたからわかる。奴らは凶暴かつ獰猛だ。人なんて、簡単に殺してしまう。だから、すぐに迷わずに逃げ出したよ……」

 訥々と喋りながらジョナサンは肩で息をする。

 その姿を見て、チャックには内心ジョナサンを軽蔑する感情はあった。怪物騒動、そして殺人事件――それをおもしろおかしくホラー小説のテーマにし、人々の恐怖煽ることでベストセラー作家となっているこの男。自業自得だとは思う。しかし、それでも検閲官という立場として、禁書が関わる事件を見過ごすわけにはいかない。それに、禁書によって人がどのように怪物へと変化するかを見た唯一の目撃者だ。

「貴方の状況はわかりました。私は魔導協会の検閲官です。貴方を保護しましょう。そして、どのように人が怪物へと変化したか、その証言もお願いします」

「わかった。わかったよ。なんでもするから、とにかく助けてくれ」

 言葉とは裏腹にチャックの声は冷たい響きを帯びている。哀れな男だ、と助けを懇願するジョナサンの顔を見つめながらチャックは思う。

「検閲官……なら、すぐに僕が怪物を見た場所に案内した方がいいかい?」

「いえ、ちょっと待ってください」

 チャックはジョナサンの提案を保留した。確かにすぐにでも現場に駆けつけたいところであるが、それよりも先にやらねばならないことがある。

 チャックは左手でサムが投げつけてきた彼の魔術書を開く。そして、右手の禁書、左手のサムの魔術書、この二つの筆跡鑑定を始める。

 代筆屋のサムが禁書をばらまいたという確証が得られれば、魔導協会や警察全体を動かすことが出来る。一番大切なのはそこだ。そうすれば事件は一気に解決へと向かうはず。

 しかし――チャックのこめかみに冷や汗が流れる。おかしい。どう考えてもおかしい。検閲官は筆跡鑑定の達人だ。意識的に筆跡を変えてみせる程度の小細工など簡単に見破れる。だから、おかしい。

「回収したサムの魔術書筆跡と禁書のそれが一致しない……どういうことだ」

 二つの魔術書を持つチャックの両手が震える。予想だにしていなかった事態だ。

「ありえない……いくら優秀な代筆屋とて必ず痕跡は残るはず……」

 どれだけ目をこらしてみても、二つの筆跡に一致する部分は見当たらない。むしろ、どう考えてみても、別の人物が書いたものとしか思えない。

 サムの投げてよこした魔術書は偽物だったのか? いや、それはあり得ない。チャック自身の目で、サムがこの魔術書を使って魔法を詠んでいるところを目撃している。ならば、一体どういう――

「まさか、禁書を書いたのは、サムではなく別の人物だというのか」

 チャックの胸の中から戸惑いがあふれ出るように一人言を発した。そのままチャックはよろめきそうになる。サムではない――だとしたら、この恐るべき禁書をばらまいている犯人は一体? 人々を怪物へと変えている狂気の魔導士は誰だというのだ。

 ここでチャックは左手に持った禁書が異常な光を放ち始めたことに気づく。

「これは……この魔力の反応はどこかで……まさか!」

 間違いない。禁書の魔法が――人を怪物に変える魔法が発動しようとしている。しかし、魔術書の魔法が発動するためには、少なくともどこか近くにこれを書いた魔導士がいないといけないはず。それゆえにチャックはサムを尋問する際にもこの禁書を置いてきたのだ。

 魔導士が、近くにいる? ということは――

「ぐわぁっ!」

 チャックの意識が一つの答えにたどり着いた瞬間、チャックは脇腹を貫くような衝撃に吹き飛ばされた。そして、その衝撃で懐からチャックの魔導書が飛び出し、芝生の上を滑っていく。

 何者かが自分を攻撃した。いや、何者か、ではない。その正体ははっきりとわかっている。それは――

「童話作家が推理小説の真似事かい? チャック」

 先ほどまでの恐怖と動揺に歪んだ顔はすっかり消えてなくっなっている。ジョナサンが酷薄な表情で余裕の笑みを浮かべながら、倒れ伏すチャックを見下ろしている。

「ジョナサン……! 代筆屋を騙り、禁書をばらまいていたのは……」

 チャックは歯嚙みしながジョナサンを睨みつける。何をされたのかはわからないが、体に力が入らず立ち上がることが出来ない。

 なんということだ。おそらくは何らかの魔術書を追跡する魔法が禁書にかけられていたのだろう。そのため、ジョナサンはチャックの位置を正確に知ることが出来たのだ。

「そう、私だ。ふふ、失敗作のおもしろい使い道を思いついちゃってさ」

 当たり前に、冗談を言うようにジョナサンは笑っている。その表情の普通さが逆にジョナサンの異常性を際立たせている。

 チャックは一番やってはいけない失敗をしてしまった。禁書を書いた魔導士と助けを呼べない場所で一対一になること。もしもの事態を考え、人のいない場所で魔導書の鑑定を行おうとしたのが裏目に出てしまった。

「その様子だと、この禁書の話は人にはしていないね? それなら、わざわざ夜中にこんな公園の真ん中に一人出てくる必要なんてないからね」

「ふん……どうだか。私の身にもしもの事があった場合、すぐに協会の同僚に連絡が行く手筈になっている。貴様にはもう逃げ道はない。極刑は免れえぬだろう」

 チャックはジョナサンを睨みつける。しかし、それが虚勢であることはすでにジョナサンに見抜かれている。

「……ちょうど私の実験は新しいフェーズに達しているんだ。今はね、魔導士をベースにして、魔法を使える怪物を生み出す実験をしている。この試みは成功したよ。もっとも、そいつは代筆屋のサムにあっさりと始末されてしまったが」

「貴様……気が狂っているのか?」

「狂っているのか、狂っていないのか、なんていうのはどうでもいい。それは他人の主観できまる事柄だ。意味がない」

 本当の狂人は自分が狂っていると思ってはいない。まさにこのジョナサンがそうだ。

 通常なら、ここでチャックは己の魔術書を開き反撃をしている。しかし、不意打ちを食らった衝撃で、チャック自身の魔導書は二フィートほど離れた場所に落ちてしまった。いくら検閲官とはいえ、この距離にある魔導書を用いて魔法を詠むことはできない。

「くっ!」

 一か八かの賭けだ。チャックは地面を這い魔導書へと手を伸ばす。しかし、やはりジョナサンの方が早かった。

「ちゃんと後始末はしてるよ。こんなふうに……ね!」

 何か大きな音と共に何か熱いものが突き刺さったとチャックは感じた。衝撃の後で、激痛が広がる。すぐにそれが銃で撃たれたためだとチャックは気づいた。チャックの手は、魔術書に届かない。

「文句ないだろ?」

 ジョナサンが笑いながら、立ちのぼる硝煙を口で吹く。夜の夕闇に白い煙が紛れて消えていく。

 まるで水瓶に穴が開いたように力が抜けていく。チャックは地面に倒れ伏したまま動けない。

 もう自分には魔法を詠むことはできない――チャックは観念する。しかし、すでに詠んだ魔法ならば、動かせる。そう、先ほど召喚した妖精を、テューダーの元へ。

 チャックは自分の魔力の全てを込める。人間の足では妖精に追いつくことは出来ない。テューダーとウィローハウスに助けを求めることが出来れば、最悪の事態だけは避けられる。ここから魔導協会までは近い。十分に、今のチャックの魔力でも保つはずだ。

 

 ――鋼鉄の弾丸がその羽を貫いた。哀れな妖精はもんどり打って地に落ちる。妖精は、一秒間に五十フィートの速さで飛ぶ。しかし、弾丸は一秒間に千フィート。逃げ切ることなどあたわず、そのすさまじい運動能力の差を小さな身に受けて、無残にその羽を散らすのみだった。

 

 しかし、チャックの希望は簡単に打ち砕かれてしまった。

「……魔法、だと」

 チャックが顔を上げた先に、ゴーグルを掛けた男がいた。まるで、機械のような存在感。いつからそこにいたのか、チャックは全く気がつかなかった。

 その男が、チャックが最後の力を振り絞って放った妖精を撃ち落とした。妖精の羽が飛び散り、その姿は光に紛れて消えていく。

「馬鹿、な……」

 チャックの意識が遠のいていく。もうどうする手立てもない。もはやチャックには絶望しかなかった。抗う術が残されていない。

「さすがだ、フィリップ。ウィリアムテルもびっくりのワンショットキルだね」

「……任務完了」

 ジョナサンに褒められても表情一つ変えず、フィリップは呟く。

 ここで、何かを思いついたようにジョナサンが手を打った。

「そうだ、禁域の鍵を借りていくよ……って、もう聞こえちゃいないか」

 にこやかに笑いながら、ジョナサンは意識を失ったチャックの懐に手を伸ばす。そして、一つの鍵束を手に取った。それはチャックのベルトに鎖で繋がれている。

「魔法金属の鎖、か。それなりに管理はしっかりしているようだね」

 ジョナサンは鎖を右手でもてあそぶ。そして、フィリップにウィンクで合図を送る。

 

――それは鋼鉄すらも噛み切る神の金属アダマンタン。別名金剛石と呼ばれるそれは、実は炭で出来ている。結晶の配列の違いが、世界最強の物質を生み出すのだ。その金剛石を極限まで薄くした刃。それはいとも簡単に全てを切り裂く。

 

 フィリップは魔法を詠み、巨大な鋏を顕現させる。それは鋏としてはあまりにも巨大で、クワガタムシを連想させるようなものであった。長い持ち手はてこの原理により強い力を生む。二十一世紀の未来でチェーンカッターと呼ばれる器具と全く同じ構造をしていた。

 フィリップはその刃を鎖に当てると、無言のまま力を込める。鎖は抵抗はしてみせたが、あっさりとその身を二つに分かってしまった。

 ジョナサンは唇の端だけで笑うと、戒めの解けた鍵を高々と掲げる。

「フフ……これで、森羅万象が記された禁書『アカシックレコード』がこの手に……」

 魔導協会の禁域と呼ばれる場所――そこでは古今東西、イギリス魔導協会が蒐集してきた禁書が集められている。禁書の存在自体は危険なものとはいえ、その学術的価値は非常に高い。そのために協会内ではそれらを破棄することはせず、厳重に管理している。

 検閲官は禁書を取り締まるという立場上、この禁域に立ち入ることを許されている協会内でも数少ない人材だ。万が一にでも盗難されてしまうことがないよう、検閲官のベルトに強固なワイヤーで繋いでいるわけだが……今回はそれが裏目に出たことになる。

「ついに……ついに私は究極生命体『神』を創造するのだ! ハハ、アーッハッハッハ!」

 倒れ込んだまま動かなくなったチャックの顔を見下ろし、ジョナサンは高らかに笑う。予定外の展開ではあったが、ついにアカシックレコードをその手にすることが出来る。その興奮は抑えきれなかった。

 

  *

 

 サムと光正は魔導協会へと向かっていた。人を怪物にする禁書がばらまかれていることが明らかになった今、事態は早急に収拾せねばならない。この案件を解決するにあたり魔導協会の協力は不可欠であり、そのためには彼らはチャックに会う必要があった。

「サム、本当に魔術書を使って人を怪物に変える、なんて芸当は可能なのかい?」

 早足で歩きながら、光正がサムに尋ねる。さすがに今日一日は歩き回り過ぎた。走る体力はもう残っていない。

「……わからない。しかし、はっきりと言えるのは、怪物になった人間を元に戻すことは……残念ながら不可能だということだ」

「不可能? どうして? 魔法で変えたのなら、魔法で元へ戻せるんじゃ」

 光正の反論にサムは目を閉じて首を横に振る。

「おそらく魔法で人の存在定義を書き換えるのだろう。確かに魔法で顕現させたものは消える。しかし、この人を怪物に変える魔法の場合は――そうだな。例えて言うなら、魔法で壊したコップは、魔法が消えても壊れたままだということだ」

「それはつまり、怪物になってしまった人は、魔法で存在定義を壊されてしまったわけだから、もう元へは戻れないっていうこと」

 サムは頷く。

「あぁ。怪物から人間に戻すことは、原理的には出来るはずだ。……しかし、それが元の人物と同じであることは、ないだろう」

 光正は顔を痛々しげにしかめる。そんな恐ろしい魔法を生み出す禁書がこの世にあってよいはずがない。ならば、あれだけチャックが焦って行動をしていたのもわかる。むしろ問答無用で殺そうとしてこなかっただけマシというものだ。

「ねぇ。だったら、サム。僕、気になったんだけど」

「なんだ?」

 光正は自分でサムに語りかけつつも、一瞬迷うような仕草を見せたが、思い切って口を開く。

「禁書で怪物へと変質させられた人間の人格ってどうなっているんだろう?」

「……どういう意味だ?」

「いや、だってさ、例えば僕が怪物になってしまったとしてもさ、人を襲って噛み殺したいとか、そんなことは考えない気がするんだよ。助けを求めることはあっても、夜な夜な人を殺して回るなんてしないと思うんだ。たぶん、ほとんどの人がそうじゃないかな? そうだとしたら、怪物には元の人格は残っていない気がするんだ。でも」

「さっき俺たちが出会った怪物には明らかに人格――怪物相手にその言葉が正しいのかはわからないが、は確かにあった」

「うん。だから、どこからそれは来ているんだろうって。ほら、さっきの怪物にしてもさ、あの台詞回し、まるで娯楽小説の一節みたいだったじゃないか」

 光正の言葉を聞いたサムは目を見開き立ち止まる。 

「光正……よく気づいた。そうだ。あれはまるでホラー小説のワンシーンだったんだ。エンターテイメント小説に現れる人を襲う怪物。そう、そうだ」

「ちょ、どうしたんだよ、サム」

 光正も立ち止まり、ぶつぶつと一人言を呟き始めたサムの顔を見る。しかし、サムはそんな光正の視線など意に介さずに、ひたすらに頭を回転させ続ける。これまで自分が記憶してきた、膨大な知識の中にある一文を検索するように。

「光正。俺は代筆屋だ」

「あ、え、うん」

 急に何を言い出すのか、と思ったが、光正はとりあえず頷いた。

「俺は人の文体を完璧に再現することが出来る」

「そうだね。で、なんで急にそんなことを?」

「あったんだ。さっきの怪物のセリフ、それと完全に合致する文体が、俺の記憶に」

 その言葉と共にサムは悔しさを一切隠さずに奥歯を噛みしめ眉間に皺を寄せる。

「書店で平積みされていたからなんとなく手に取って流し読みしてみただけだったが――あれは、まさしくジョナサン・ワイルダーの文体そのものだ」

「え!」

 サムの発言に光正は思わず大声を出してしまった。

「くそ……なんてことだ。奴らは、気づいたんじゃない。最初から、知っていたんだ。怪物はもともと人間であることを。そうだ。なぜなら禁書を作りばらまいたのは――奴ら自身だからだ」

 サムは右手で壁を思い切り打ち付ける。

「自分の間抜けっぷりに腹が立つ」

 吐き出すようにサムは言った。その表情には、自分に対する怒りが溢れている。

「そんなの……普通は、人を怪物に変えるなんて、そんな真似をする奴がいるなんて思わないから、仕方がないよ」

「奴らが俺たちが検閲官と戦ったことを知っていたのも――観察していたんだ。禁書をばらまいている奴らにとって検閲官の動きは気になるだろうからな」

 全てのピースがサムの中で繋がっていく。奴らは禁書をばらまき、人々を怪物に変え、そしてその退治を自作自演していたのだ。

「ちょっと待ってくれ、サム。僕たちは、さっきジョナサンたちとの会話で、あいつらに何を教えた? チャックに君の魔導書を渡して、そしてチャックが筆跡鑑定を行うから君の潔白は晴れるはずだって、そう言ったよね?」

「あぁ。……まさか」

「あのとき、ジョナサンは満足そうな顔で引き下がっていった。僕はそれが気になっていんだけど、もしかしたら、チャックが筆跡鑑定をするタイミングで何かを仕掛けるつもりなのかもしれない」

「その可能性は、あり得る。おそらく、今の奴らは魔導士をベースにした怪物を生み出すことに力を入れているはずだ。となれば、検閲官であるチャックは、奴らにとって最高の実験台だ」

「どういう風にして禁書が発動するのかはわからないけど、少なくともそれを手元に置いている以上、その危険性は高いはずだ。つまり、チャックが危ない!」

「……チャック検閲官のことだ。おそらく禁書の危険性はよく理解していることだろう。筆跡鑑定においても最悪の事態を起こさないように慎重を期すはず」

「慎重を期すっていうのは?」

「俺だったら、人気のない場所を選ぶ。人のいる場所で万が一にでも怪物になってしまえば悲惨な状況になることは目に見えているからな。禁書がどういう範囲で有効なのかもわからない以上、作業は一人で行うだろう。その場にいる人間が全て怪物になるなんて事態になってしまえば目も当てられない」

「つまり……チャックはどこか人気のない場所にいる可能性が高い、ということ?」

「あぁ。そして場所はおそらくは魔導協会の近くだ。いざという事態に応援を呼ぶならその方が都合がいい。となれば、グリーンパークがセント・ジェームズパークか。この二つの公園は協会から近いが、バッキンガム宮殿からも近い。だから、避ける可能性もある。少し先のハイドパークまで足を延ばしているかもしれない」

「ロンドンの地理はわからないけど、なんにせよ急ごう! サム! チャックは君の魔導書を持っているはずだ。そこから居場所を突き止める事は出来ないかい?」

「近くまで行けば魔力を感知することができるが、何にせよ、賭けだな」

 サムと光正はお互いの顔を見て頷きあい、走り出す。足はもうくたくたではあったが、そんなことは言っていられない。ジョナサンが禁書を持っているチャックに何かを仕掛ける前に、チャックに合流する必要がある。

「ここから全力で走れば、あと十分程度で着く。悪いが、ついてこられないようなら遠慮なく置いていくぞ、光正!」

「遠慮なんてしなくていいさ! 僕は君につきまとってやるって言っただろ! 日本では『武士に二言はない』って言うんだよ! 僕は侍じゃないけどね!」

 大声で叫び自らを震え立たせながら光正は走る。魔法の才能のない魔導士――でも意地と根性だけなら誰にも負けない。

 落ちこぼれ魔導士でも魔導士だ。これは魔導士としての在り方に関わる問題だ。その矜持に掛けて、光正には事態を見過ごすという選択肢はなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。