Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第18話

 セント・トーマス病院――十三世紀から存在するロンドンの中でも歴史在る病院の一つである。その玄関先に馬車を停め、レインは素早く守衛に急患の連絡に向かった。魔導協会からはおよそ三千フィートの距離。馬車を急がせたため、十分と経たずにに到着はしたが、時間の猶予はほとんどない。

 夜であり、当然病院も開いていないが、レインには確信があった。レインの――いや、ロンドン警察がよく世話になるあの外科医なら、この時間でもまだ病院に残っているはずだと。

 そうして守衛に連絡をし、外科医の到着を今かと待っているときだった。耳をつんざく轟音にレイン達は後ろを振り返った。

 土煙がもうもうと舞っている。方角は彼らがやって来た方向。

「……なんてこった」

 状況を理解したレインが、呆れすら感じさせるような表情をした。

「あれは私たちの来た魔導協会では?」

 マルティンもレインに追随する。その顔は、論文で理解の難しい箇所を発見したときのものに近い。

「にゃんと……。きょーかいの建物が、まさか崩壊するとは」

 ウィローハウスですら冗談を言えない。もしもあのまま協会の建物の中にいたら、と想像すると、背筋が冷える。

「協会の中に、お前さん達以外の人間はいたか?」

 レインが冷静にウィローハウスに状況確認した。ウィローハウスは首を横に振る。

「にゃにゃ。時間が時間であったでにゃんすから、職員は誰も残っていないでにゃんすし、守衛さんの待機所も建物の外にあるでにゃんすから、守衛さん方もお逃げになってくれているとは思うでにゃんす」

「なるほどな。もし人がいた可能性があるなら、こっちからも早急に救助に向かわせる必要があったが――なにせ建物が崩壊するなんて事が起こっちまっている状況だ。全容が把握できない以上、下手に近づかないほうがいい」

 言いながらレインはテューダーの様子を確認する。目は閉じているが、意識を失ってはいないようだ。レイン達の会話が聞こえたのか、それとも傷が痛むのか、苦々しげな表情を浮かべてはいるが。

「建物一つを一瞬で崩壊させる――そんな恐ろしいエネルギー、津波でもなければ説明出来ません。一体、何が起こっているのでしょうか」

 マルティンが不安げに目を眇める。

 光正が夜になっても帰ってこないため、マルティンは唯一の心当たりとして警察署にいるレインを訪ねた。それで、光正のいそうな場所として魔導協会の名が上がったため、ちょうどそこに用事があったというレインを伴って移動しただけである。マルティン自身は、この状況に関する情報を持っていない。しかし、非常に厄介かつ危険な事態が生まれそうな気配は全身に刺さるような空気からひしひしと感じる。

「何をぼさっと突っ立っている。急患はどこだ?」

 崩壊する建物に気をとられていた三人の意識は、現れた一人の医者へと向けられた。

 耳を隠すくらいまでに伸びた髪と、フレームの細い眼鏡。見た目は三十代と言うには少し若そうに見える。冷徹そうではあるが、同時に理知的なたたずまいの男は、遠くに見える土煙を一瞥しただけでレイン達の方へと真っ直ぐに向かってくる。

「夜分に悪いな、先生」

「挨拶はいい。状況を説明しろ」

 レインに対して世間話をするつもりはないとばかりに冷たく言い放ち、医者は馬車の座席に横たえられたテューダーへと歩み寄る。

「魔法で撃たれたらしい。一応、止血はしている」

「撃たれたのはどれくらい前だ?」

「二十分も経ってはいないと思うが」

「出血量が多いな。すぐにオペを行い傷口を止血する。そこの長髪の人。僕が持ってきたストレッチャーをここに」

 医者は入り口に置いてあるストレッチャーを指さした。指名されたマルティンは慌ててそのストレッチャーを取りに走る。

「そして、そこの君。君は魔導士か?」

 今度は医者がウィローハウスを指さした。突然の指名にウィローハウスはこくこくと頷く。

「ならば何かしら役に立つだろう。君はオペのサポートに入ってくれ。何せ夜間なもので人手が足りない。レイン警部補、患者をストレッチャーに乗せる。君はそれを手伝え」

 レインは上半身を医者は下半身を抱えて、テューダーをマルティンの持ってきたストレッチャーに移す。

「魔導士、君は僕と一緒に来い。麻酔代わりになりそうな魔法は使えるか?」

「にゃにゃ! ワガハイ、そーいうのは得意分野でにゃんす!」

 医者はウィローハウスに返事もせずに、ストレッチャーを押していく。そのときであった。ウィローハウスが土煙の中に浮かぶ巨大な影の存在に気づく。

「にゃにゃ! なにやら大きな魚のようなものが浮かんでいるぞな!」

 ウィローハウスは思わず協会の方を指さした。しかし、医者は振り向きもしない。

「何をしている。建物が崩壊しようが、何が空に浮かぼうが、医者として僕がやるべきことに変わりはない。急げ!」

 この状況にも全く動じない医者にたしなめられて、ウィローハウスも慌てて走る。そうしてレインとマルティンを振り返ることもなく、二人の姿は病院の中へと消えた。

「あとはあの先生に任せるだけだ。なァにあの先生の腕の良さなら、散々世話になっている警察が保証するさ」

 半ば自虐的にレインは言う。セント・トーマス病院はロンドン警察署から近いため、何かあった場合よく警察官が担ぎ込まれるのだ。

「それはよかった」

 マルティンもほっと胸をなで下ろす。テューダーと面識はないが、けが人の命が助かるに越したことはない。

「しかし、だ」

 レインは空を見上げる。夜空に浮かぶ月、その前に一つの大きな影が立ち塞がっている。

「やれやれ。空にあんな無粋なものを浮かべられちゃあ、星見の邪魔だぜ」

 レインは腰に手を当てため息をつく。やはりもう事態は自分たち警察の手には負えない状況になっているようだ。頼みの綱である魔導協会もまた、テューダーという優秀な魔導士を欠いている。ならばもう希望はないのか? 絶大な力を手に入れたジョナサン達に対抗する術をこのロンドンは持たないのか?

「ん? 見てください、レイン警部補! あの空に浮かぶ軍艦に向かって、何かが登っていきます! あれは――汽車?」

 マルティンが指さす。一つの列車が真っ直ぐに、夜空に一本の線を描くように登っていく。それはもう一つの幻想的な光景であった。

 思わずレインの表情が綻ぶ。Dの言葉を思い出す。チャックとサム、この二人は出会うべきだと。

「なるほど。これがあいつらの物語か――」

 胸の前で拳を握りしめ、レインは小さく祈りを捧げる。もう自分たちに出来ることは、それしかないから。

 やれるだけのことはやった。後は全ての希望をあの列車に託すだけだ。

 

  *

 

「ボス! 魔導協会が崩壊しました!」

 人相の悪い男が慌てた様子でカフェに駆け込んできた。しかし、報告を聞いたDは表情に何の驚きを浮かべることもなく、紅茶のカップに口をつける。

「うーん。やっぱりここの紅茶はぶちうまいのう」

 のほほんとした様子で紅茶を賞味するDにさらに部下は食いついてきた。

「いや、ボス! のんびり茶をしばいている場合じゃなくてですね! 魔導協会の建物が崩壊して――」

「聞こえとるけえ、そうきゃんきゃん吠えなさんな」

 手をひらひらと振りながら笑うその様子は、まさしく十代の少年のものだった。報告に来た男は毒気を抜かれて、はぁ、と間抜けな相づちを打つ。

「情けない話じゃが、もうあの一件はワシらの手に負えん。右往左往するだけ無駄じゃ」

 確かにDの言い分は部下の男にもわかる。代筆屋に代筆させた魔導書を持たせて魔導士くずれ二十人ばかりで怪物狩りを仕掛けたが、成果は全くもってして芳しいものではなかった。結果、Dは自分たちはこの一件から手を引くという判断をしたのである。

「しかし、魔導協会の建物が崩壊するなんてのは……」

 それでも部下の男は納得できない様子だ。無理もない。Dが直接怪物退治から手を引くと決断した後も、一人サムに監視をつけておいた。その男から逐次報告される情報により、今回の一件がジョナサン・ワイルダーによるものであることが明らかにされ、さらには怪物が禁書により変容した人間であったことまでわかってしまったのである。その後の追跡により、ジョナサン達が魔導協会に押し入ったところまではわかっていたのだが――

「ぜってえこれは怪物騒動と無関係じゃないんですぜ! さらにはわけのわからねえ船みてえなもんが空に浮かび上がったてんで!」

 興奮した部下の男の口調が荒くなる。しかし、Dは手のひらを見せてそれを遮ると、紅茶のカップをテーブルに置いた。

「ワシかてわかっとる。けど、ワシはもう全て賭けたんじゃ」

「賭けた、って何にですかい?」

 きょとんとする部下の男に笑いかけてDは立ち上がる。

「ロンドンでこの事件を解決出来るのは、あいつらしかおらんからのう。全部賭けてもうたのなら、ワシらにはもうどうすることもできん。泣いても笑っても同じじゃったら、笑とったほうがええじゃろ」

 Dはテラスの柵に手を掛け、空を見上げる。

「ほれ見ろ。ワシらの希望が空へと上がっていっとるけえ」

 Dは夜空を登る列車を指さす。そして満面の笑みで部下の男を振り返った。

 

  *

 

 魔導協会崩壊の一報は、リオの家を喧噪の渦中へと放り込んだ。

 あまり他人に対して口外していないが、リオの祖父は魔導協会の会長――つまりトップである。出自の怪しいサムが大英博物館図書室の魔導協会に関する資料を取り扱う司書として働くことが出来たのも、この祖父の力添えが大きい。

 そんなリオの家であるから、魔導協会崩壊の一報はすぐに報告され、同時に情報収集と対応に追われることとなってしまっている。ただ、まだ一介の学生にすぎないリオには出来ることはなく、所在なげに騒ぎを間近で見つめているだけだった。

「協会が崩壊って一体どういうことなんだ! テロか?」

「まったくわかりません! ただ目撃者の報告では、内側から崩れるような感じであったと」

「禁域にある魔術書が暴走したのか!」

「これまで何も起こらなかった魔術書が、今日になって自然に暴走したとは……。何か人為的な操作があったかと」

「検閲官達はどうした! 禁域の管理は彼らが行っていたはず!」

「まだ連絡の取れない状況です!」

「本当に魔法なのか? あんな巨大な建物一つを崩壊させる魔法なんて聞いたことがないぞ! 爆弾かもしれない!」

「報告です! 建物の崩壊跡から、一隻の船が現れ、それが空に浮かんでいると!」

「船が空に浮かぶ? どういうことだ! そんな魔法、聞いたことがない!」

 慌ただしく人が出入りしている。大声を出すことで不安を打ち消そうとしているのか、すべては部屋の片隅にたたずむリオにも丸聞こえだ。おかげでどういう状況下は大雑把に察することは出来たが、かといってリオに出来ることがあるわけでもない。

 手持ち無沙汰にリオは窓の方へと歩み寄る。見上げれば、西の空に月明かりを遮るように巨大な影が浮かんでいるのが見える。おそらく、あれが空に浮かぶという船なのだろう。その姿に、禍々しさをリオは感じた。

「サムさん、大丈夫かな」

 ぽそりと口をついて出た言葉は、サムを心配するものだった。なぜか昨日、夜に家にやってきて、絶対に夜は外出するな、と言ったサムの顔が思い出される。詳細については、サムは、知らなくていい、と全く教えてくれなかったが、何かが起こっていることは十分に察せられた。

 この事件にサムが巻き込まれていないように、とリオは祈る。魔導協会が崩壊し、船が空に浮かぶなんてまともな事態ではない。

「――あれ? 何かが空に向かっていく」

 空を見つめるリオの目に一筋の灯りが映った。直にそれが列車であることにリオは気づく。

「……サムさん」

 リオはサムの名を呟いた。いつかリオがまだ幼かった頃に、サムが語ってくれたお話をリオは思い出す。この広い空、そこに浮かぶ星々を繋ぐ銀河鉄道の話を。

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