Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第19話

 銀河を渡る鉄道の話――幼い頃のリオにサムが語った話の中で、リオの一番のお気に入りだった。十九世紀中盤の鉄道狂時代。蒸気機関車はまさに産業革命の象徴であり、イギリスが世界に名だたる列強であることの証明だった。リオが生まれたのは、狂騒が収まってからであったが、それでも彼にとってイギリス国民にとって鉄道とは夢の象徴だった。

 サムは街を見下ろす。かつてこの場所からロンドンの灯を見たものはいないだろう。月にまで届きそうな高みから、見下ろした街の光は生命の輝きだった。この街のどこかにリオがいる。もしかしたら、この光景を見ているかもしれない。いや、見上げていて欲しい、とサムは思う。

 銀河鉄道――これこそがサムの描く希望の形だった。

「戦艦が近づいてきた!」

「甲板に人影が見えます。あの二人、やはりジョナサン・ワイルダー!」

 光正とチャックが運転室から身を乗り出していた。列車はすでに戦艦よりも高い場所に到達している。光正達は戦艦を見下ろす場所にいた。

 これはサムの一つの矜持でもあった。今、この世界でロンドンの最も高い場所にたどり着いた人間、それはジョナサンではなく、自分たちでありたかった。

 サムはゆっくりとこのロンドンで一番高い場所から月を見上げる。地上では戦艦に覆い隠される月も、ここからなら何にも邪魔されることなく、その光を存分に照らしつけてくれる。

 ――さぁ、行こうか。

 サムはゆっくりと空の澄み渡った空気を飲み込み、それらが血液を通じて全身に行き渡ったのを感じた後、下を見下ろす。ジョナサン・ワイルダーとフィリップ・マイルズ。彼らを倒さなくてはならない。この街を守るために。

「……覚悟はいいか」

 下を向いたまま、サムは光正とチャックに尋ねた。

「ここまで来て、何もせずに帰るって? そんな馬鹿な話があるか。日本からはるばるロンドンまで行くと決めた時点で、腹は括っていたんだ。今さら覚悟なんて訊くなよ」

「検閲官として――いえ、一人の私という人間として、姉弟達や友人達のいるこの街の上にこんなものが浮かんでいることは許すわけにはいきません。なんとしてでもここは押し通る!」

「……フッ。ならば、行くぞ」

 サムが魔術書に魔力を込める。列車は空中で大きな弧を描き、真っ直ぐに戦艦の甲板へと向きを変える。

「今だ! 降りろ!」

 サムの合図で、三人は一斉に運転室から飛び出した。甲板までの距離はおよそ二フィート。真っ直ぐに重力に導かれ、甲板に降り立つ。そして、それを見届けるかのように列車はきらきらと光る砂になり、夜空に溶けて消えていく。

 光正、サム、チャックの三人はゆっくりと腰を上げ、ジョナサンとフィリップの二人に対峙する。

「やぁ、ようこそ。我が船へ」

 両手で乾いた拍手の音を立てながら、ジョナサンは甲板に降り立った三人に対して優美に笑ってみせた。

「まさか列車で空を飛ぶとは思わなかったよ。実に面白いものを見せてもらった」

 三人が追いついてきたというのに、ジョナサンは全く余裕の表情を崩さない。

「しかし、驚いたよ。ロウ検閲官、君には怪物になる魔法をかけたはずだったんだが、失敗したかな? しっかりと君が怪物に変化するのを確認しておけばよかったよ。やはり実験はちゃんと時間の余裕を持って行うべきだな」

「ええ、貴方の魔導士としての力量不足のおかげで助かりましたよ。とはいえ、見当違いの思い込みに振り回されて貴方に不意を突かれてしまった。この一件は私の今後の教訓としましょう」

 ジョナサンに対してチャックは冷静に嫌味を込めて返した。

 魔道士同士の戦いは、精神力の勝負である。いかに相手に対して心理的に優位な状態に立つか、それが勝敗を分かつ鍵となる。

「さて、私は検閲官として、貴方方を禁書執筆の容疑で拘束します。抵抗せずにおとなしく拘束された方が、痛い目を見なくてすむと思いますが、いかがでしょうか」

 チャックは慇懃な態度で申し出た。

「抵抗すると痛い目を見る? それは君たちの方がってことかな?」

 ジョナサンは茶目っ気たっぷりに手をひらひらと振ってみせる。

「まぁ、今のは検閲官としての話の枕のようなもので――少なくとも、私は貴方方がおとなしく捕まるような人間ではないことは重々承知しておりますよ」

 微笑みながら、チャックは魔導書を開く。

「徹底的に痛い目を見てもらいますよ。お覚悟を」

 そうしてチャックが魔法を詠もうとしたときだった。サムがチャックの肩を掴み、それを止める。

「……まだ仕掛けるな。あいつらのあの余裕、その理由が気になる。それにそのゴーグルの男、フィリップといったな、そいつがさっきから沈黙しているのも気味が悪い」

「しかし、サム。このままにらみ合っていたところで」

 チャックは抗議するが、サムは首を静かに横に振る。

「ジョナサン・ワイルダー。俺は魔導図書館の司書だ。よって魔導協会に関連する人間の名簿の管理も行っている。お前がかつて魔導士として教育を受けていたことも知っているぞ」

 サムは静かにジョナサンを見据える。

「しかし、そこにあった情報には、お前と人を怪物に変容させる魔法を繋ぐものはなかった。そしてお前は学校を卒業後、筆を折ったのか、魔導士としての活動をしていない。つまり、お前が人を怪物に変える研究を始めたのはここ最近、一年以内の出来事だな?」

「プライバシーもへったくれもないね。いいのかい? 司書がそんな情報をぺらぺら喋って?」

 ジョナサンは余裕を持ってサムを見返す。

「……さらに、だ。ロンドン塔の傍で俺達と別れてから、お前達はずいぶんと早くグリーンパークまでたどり着いたな? 過去の情報を鑑みるに、この戦艦を作り出した魔法、これはお前によるものではないだろう。つまり、フィリップ、それらはお前の仕業だ。高速での移動を可能にする乗り物を生み出し、空に浮かぶ軍艦を作り出し――つまり、お前の得意とする魔法は、マシーナリーだ」

 サムは視線をフィリップへと向ける。そして、ここへ来て初めてフィリップが三人に対して反応を示す。

「……なるほど。悪くない推理だ」

 サムはフィリップの反応を肯定ととった。

「二人とも、気をつけろ。この男の戦闘能力は、かなり厄介だ。その気になれば、殺傷能力に特化することもできるはずだからな」

 サムの言葉に光正は唾を飲み込んだ。機械――蒸気船の艦隊を前にして日本が開国に追い込まれたことはまだ古い記憶ではない。これからの時代の戦争は、機械こそが主役になる、日本国民はそれを思い知らされた。

「機械を操る魔導士、か。そんなのがいるなんて」

 光正は呟いた。魔導士の使う魔法は人間の想像力の産物である。ゆえに寓話的なものである事が多い。機械を専門に取り扱える魔導士は、極めて希な存在だった。

「驚くべきことだろうか? 機械もまた想像力の産物であることには変わりはない」

 フィリップは無表情のまま相対する三人の顔を見比べる。

「この船は戦艦だ。その気になれば君たちの列車を撃ち落とすことも出来たんだけど、それはあまりにも無粋だろう? 君たちは自分たちの力でここまで来たと思っているかもしれないけど、実際は私たちが招待したようなものだということをお忘れなく」

 ジョナサンが悪戯っぽく唇に指を当ててみせる。

「挑発には乗るなよ」

「わかってるよ。特にチャック、君は気をつけてくれよ」

「失礼ですね。貴方と違って私は魔法戦のプロですよ」

 三人が冷静さを失わないことを確認したジョナサンはつまらなさそうに息を吐いた。

「あー、こんな小細工は通用しないか。まぁ、いいや。フィリップ、後は任せるよ」

「……了解した」

 ジョナサンは背を向けて戦艦の奥の方へと歩いて行く。

「待て! ここへ来て逃げるのか!」

 光正がジョナサンの背中に向かって叫ぶ。

「逃げる? 人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私は私でやるべき事があって忙しいんだ。もう実験を行う必要もないし、君たち三流魔導士の相手をしている暇はない」

「なんだと!」

「……つまり、このフィリップという男一人で俺たち三人を相手取るということか」

「仮にも協会の検閲官が……舐められたものですね」

 しかし、ジョナサンは三人の言葉を意に介することもなく立ち去っていく。

「舐めてなどいない。私一人で十分に勝算がある。ただそれだけのことだ」

 フィリップは魔導書を開く。

 

 ――土煙と鼻につく臭い。この独特の臭いが、恐るべき火薬の秘密だ。歪な物質の形。その歪みに込められたエネルギーが一度開放されれば、それは連鎖的に全てを爆発的な反応へと導く。それはほんの一瞬。放たれるエネルギーの速度は、他の追随を許さない。

 

「まずい! 身をかがめろ!」

 サムは叫び、隣にいた光正の体を突き飛ばす。瞬間、サム達の眼前に火柱が立ち、身を爛れさす熱風が彼らを襲う。

 

 ――あの山を越えて、さらに雲一つ分の高さ。そこに風の国はあります。この世界に吹く風は、全て風に国で生み出されるのです。風の妖精達は毎日風の国から降りてきて、王様に言われたとおりに風を起こします。時として妖精数人がかりの仕事になり、それは嵐と呼ばれる世界で一番強い風になるのです。

 

「チャック童話――風の国」

 爆風が起こるとほぼ同時にチャックが魔法を詠んだ。チャック達の身の回りに風が巻き起こり、その風の流れはまるでベールのように迫り来る熱風を受け流す。

「貴方はご自分の魔法に自信がおありのようですが、あいにく私も魔法には自信がありましてね」

 髪を搔きあげチャックは優美に笑ってみせる。

「……なるほど。さすがは検閲官。小手調べは通じないか」

 魔法を破られてもフィリップの鉄面皮に変化はない。

「先ほどは不意を突かれてしまいましたが、今度はそうはいきませんよ。さぁ、後がつかえているのです。今度はこちらから手早く拘束させてもらいますよ」

 

――男はある森の中の廃屋に逃げ込みました。薄暗く、ところどころ壁は崩れ、鬱蒼とした空気が壊れた窓から流れ込んできます。しかし、男はその誰も寄りつかない状況に安堵の息を吐きました。部屋の真ん中、半ば朽ち果てたテーブルの腰をつけて男は息をつきます。するとどうでしょう。木の床だと思っていたものは、薄暗い泥のようなものでした。ずぶずぶと、男の足は泥に沈んでいきます。罪の重さで、もがけばもがくほどその泥は柔らかく、男を深く飲み込んでいこうとします。

 

「チャック童話、地獄に繋がっていた小屋。……逃がしませんよ。検閲官として、貴方を拘束します」

 チャックの魔法でフィリップの足元はぬかるみのようになり、フィリップは足首まで沼の中に埋まってしまった。

「……これで拘束出来ると思っているのか? 私の上半身は自由なままだぞ」

 つまらなそうに言って、フィリップは魔術書を開く。追撃を繰り出す構えだ。

「ご心配なく。私の仕事は貴方の動きを止めるまでです」

 涼しげに返してチャックはサムに視線を送る。サムは頷くと魔術書を開く。

「サム。検閲官としては対象の拘束が第一です。しばらく身動きがとれない程度に痛めつけるつもりでお願いします」

「了解だ」

 検閲官になったばかりの頃、新人指導してついたテューダーの言葉をチャックは忘れたことはない。普段はふざけたことばかりを言うテューダーであったが、この言葉をチャックに伝えるときだけは真剣だった。

 ――いいかい、チャッキー。検閲官だからって思い上がっちゃあいけないよ。人が人を裁いちゃいけない。法で人を裁くんだ。アタシ達は検閲官として秩序を守る立場。まかり間違っても我を通して私刑なんて、やっちゃあいけないよ。

 例え相手が禁書を用いて人を怪物に変えていた犯罪者だとしても、殺してはいけない。拘束して、きっちりと法の裁きを受けさせる。それが検閲官の矜持だ。もしテューダーがこの場にいたとしても、きっとチャックと同じ判断をしただろう。

 しかし、ここで魔法を詠もうとしていたフィリップは動きを止めた。唇にうっすらとした笑いすら浮かべてサムを見る。

 何か変だ――その様子に第三者として状況を見ていた光正は違和感を覚えた。フィリップが危機的状況にあるのに、ジョナサンが何も仕掛けてこないのも気味が悪い。何か嫌な予感がする。何かを間違えてしまっているような――

「サム、チャック、気をつけろ! こいつらの様子は何か変だ!」

 光正は叫ぶ。その様子を横目に見て、サムは魔法を詠む手を止める。

「赤星さん、一体何を! 今が絶好の機会なのですよ!」

 チャックが光正を振り返る。しかし、光正はチャックを力強くにらみ返した。

「……く。確かに奴らにはまだ未知な部分は多いが」

 チャックは苦々しげに奥歯を噛みしめる。光正が覚えている違和感を、フィリップと対峙しているチャックも薄々覚えている。全てがうまくいきすぎていて、むしろ誘導されているようにすら思う。しかし、だからといって、現状、代替案があるわけではないのだ。

 どうなるかはわからないが、これ以外に為す術はない。チャックがサムにこのまま魔法を放つよう指示しようとした瞬間だった。

「テカゲンムヨーテカゲンムヨー」

 どこか気の抜けた声が響き渡る。三人はすぐにそれがフィリップの右肩の上をぱたぱたと舞う鳥のようなものが発している事に気づく。よく見れば、それは紙片だった。それがパタパタと生きもののように舞っている。フィリップにとってもこんなものが現れたのは予想外だったようで、不思議そうにその鳥を見つめている。

 刹那、鳥の姿を見上げながらチャックはこの意味を悟った。

「サム! 魔法力を上げて迷わず奴の胴体を撃ち抜け!」 

 サムは頷く。

 

 ――いくつもの光の筋が輝いている。荒れ狂う雲の中にその船は突っ込んだ。雷が容赦なく船に降り注ぐ。それは神の怒りであったのかも知れない。人の分際をわきまえず、天空へと飛び立った人間への。まさしくこれはバベルの塔の悲劇の再来だった。

 

 サムが魔法を詠む。雷が真っ直ぐにフィリップへと向かい、その胴体を容赦なく撃ち抜く。その衝撃に、両足首まで拘束されていたフィリップの体は弾かれるように真後ろに吹っ飛び甲板に激突する。辺りに焦げた臭いが充満し、その破壊力の高さを雄弁に物語っている。

「な、なんて破壊力の魔法だ……。けど、こんなんじゃ、人間の体なんて簡単にバラバラになってしまうじゃ」

 光正が目を見開きながら、チャックの様子を窺う。確かに彼は最初は拘束を最優先すると言っていた。しかし、これでは拘束どころか、原形を留めているかどうかも怪しい。

「……先ほどの声、間違えようがありません。あれはウィローハウスさんの魔法でした。おそらくはフィリップに魔法力が向けられたときに発動するよう仕掛けられていたのでしょう」

 手加減無用――一体何があったのかまではチャックにはわからなかったが、それがウィローハウスの伝えたいメッセージであることはわかった。普段から冗談と悪戯ばかりしているような人物ではあるが、冗談や悪戯でこんなことはしない。おそらくテューダーとウィローハウスは魔導協会の中でジョナサンとフィリップと戦ったのだ。そして、その中でウィローハウスが託したメッセージが、手加減無用という言葉だった。

「ウィローハウスさんたちもすでに戦っていたってことか……」

 光正はそこで口をつぐんだ。今、こうしてジョナサンとフィリップが自由に振る舞っているという事実が意味するところを、理解したくはなかったからだ。

 仰向けに転がっているフィリップの状態はわからない。しかし、その体からブスブスと黒い煙がでていることから、相当のダメージを受けていることは推察される。

「……確かに俺は手加減をせず魔法を放った。しかし、手応えとして、仕留めきれたわけではないようだ」

 サムが倒れているフィリップを指さす。そうするとフィリップがゆっくりと上半身を起こし、そして立ち上がる。

「まさか! あの魔法が直撃して立ち上がれるなんて!」

 理解しがたい状況に思わず光正は大声を上げた。

「……ウィローハウスさんの伝えたかったことがわかりました。拘束するつもりで手加減した魔法を放っても奴には通じなかったのです」

 チャックは手の震えを抑えられなかった。自分たちが戦っているのは、ただの人間ではない。このフィリップという男もまた、一種の怪物のような存在なのだ。

「くっ……まさか、ここまでやられるとはな……」

 立ち上がり、まるでシャツについたスープの染みでも確認するかのように、フィリップは自分の状態を確かめる。

「すぐに修理しなければ……」

 そう呟いて、フィリップはローブを投げ捨てた。その瞬間、対峙している三人の目が大きく見開かれる。

「なんだアイツ……体が機械で出来ているのか!」

 その異様な光景に真っ先に叫んだのは光正だった。

 サムの魔法でずたずたになったローブを脱ぎ露わになったフィリップの体。その体のほとんどは鈍く月明かりを反射する金属に覆われていた。特にダメージの大きかった右腕は、皮膚も肉もそげ落ち、金属の骨格と関節という異様な姿が露わになっていた。

「生物というものは、物理的にあまりに脆弱だ。それは弱点となる」

 右手の動きを確認しながらフィリップが呟く。

「それを克服するため、私は己の肉体を魔法で改造し続けてきたのだ」

 言いながらフィリップは魔術書を手に取り、何やら一人言のような魔法を詠む。フィリップの体が青い光で包まれ、衝撃で歪んだ金属骨格が放っている音が消えていく。

「自ら修復と進化を繰り返す超生命。クックック……フィリップは私の最高傑作さ」

 余裕の表情でジョナサンが見下ろしていた。言葉の端々に三人を嘲笑う響きが込められている。

「最高傑作だと……まさか? それじゃあ奴は……」

 いち早くジョナサンの言葉の意味を理解したサムがフィリップを見た。

「馬鹿な……怪物ならまだしも『人間』の創造など……前例がない!」

 チャックもサムに追随して叫ぶように声を上げた。

 魔導士は魔法で様々なものを顕現させる事が出来る。しかしながら、それらは得てして単純化されたミーム、つまり情報遺伝子を元に生み出されるような存在であり、本質は比較的単純だ。だが、人間は違う。なまじ自分たちが人間であるからこそ情報を単純化することが出来ず、ゆえに魔法で人間を顕現させるという試みは、歩いたり喋ったりする人形という結果に帰結するしかない。

 ジョナサンはサムとチャックの混乱を愉快そうに見つめる。まるで最後の最後のどんでん返しに成功した小説家のようだ。そして不意に表情から笑みを消し、口を開く。

「前例なら君の目の前にいるだろう。悔しい限りだが……なぁ、サム」

 ジョナサンはサムを指さす。忌々しげに、そして嘲笑うように、ジョナサンはその指先を回してみせる。

 サムは目を見開いた。そしてジョナサンの言葉を反芻する。前例――魔法で創り出された人間。

「な、何を言っているんだ……」

 理解を拒むようにサムは首を振る。しかし、ジョナサンの言葉は乾いた大地に水を撒いたかのように、容赦なくサムの内側へと侵食している。

「俺が……造られた存在……?」

 サムは両手で頭を抱えた。どうしてだろうか。サムにはジョナサンの発言を否定する言葉がない。魔術書を書くときにはあれほどすらすらと言葉が出て来るのに、何も出てこない。空っぽだった。

「サム、あなたと私はよく似ている。記憶も喪失しているではなく……」

 フィリップが鏡を見るようにサムを見つめる。その言葉に感情のかけらも見えないからこそ、よりいっそうの真実味を帯びて響く。

「そもそも過去が存在しないから……? ならば俺は……俺は何者なんだ!」

 サムは叫んだ。十年間、ずっと探していたもの。自分が何者かを証明してくれる、自分だけの過去。しかし、そんなものは存在すらしていなかった。足元が崩れ去っていくような感覚を覚え、サムは両膝を地面につける。

 敵を目の前にしているのに何をやっているんだ――サムは自らを奮い立たせ立ち上がろうとするが、まるで下半身がなくなってしまったかのように、その体を動かすことは出来なかった。

 

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