Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第24話 エピローグ

 セント・トーマス病院の廊下をレインが颯爽と歩く。

 ただ巨大な建物が一棟倒壊、公園にも隕石が落ちたような大きな焦げ穴が出来た、という惨状ながら人的被害はなかったはずだが、心なしか病院にいる患者達も医療従事者達も落ち着きなく振る舞っているように見える。無理もないことだな、と思いながら、レインは大きく肩を回した。結局徹夜になってしまった。そしてこれからやるべき仕事も山積みである。

 ――それでも、事件が解決した後始末であるから、気分はだいぶ軽い。

 コンコン、と短く扉をノックし、レインは中へと声を掛ける。

「ロンドン警察、レイン警部補だ。入るぜ」

 そう言って返事を聞く前にドアを開ける。お互い勝手知りたる仲だ。この程度の無礼講、全く問題ない。

「やや。警部補クンではないでにゃんすか」

「あら。レイン警部補、早速昨日の今日でお見舞いに来てくれたのかい?」

 椅子に座っていたウィローハウスはそう言って立ち上がり、ベッドに横たわるテューダーが冗談めかして言った。テューダーの上半身に巻かれた包帯が痛々しいが、昨晩と打って変わり顔色はよい。

「単なる見舞いだったらこっちも気楽だったんだがな。実際に今回の一連の事件の犯人と接触したお前さんらに簡単な事情聴取さ」

 言いながらレインはベッドの方へと歩み寄る。病室は個室で、テューダーの他に入院患者はいない。

「せっかくだから手土産の一つでも持参できればよかったんだが、生憎そんな暇など全くないものでね。容赦してくれ」

「馬鹿言ってんじゃないよ。アタシの命を拾ってくれただけで、土産は十分過ぎるほどさ」

 景気よくテューダーは笑ってみせる。

「加減はどうだい、テューダー検閲官?」

 レインに尋ねられ、テューダーは右腕を動かし力こぶを作ってみせる。

「検閲官だって体はしっかり鍛えているのよ。おかげで体力は人一倍さ。それにアンタの紹介してくれたお医者様の腕もよかったみたいでね」

「なら、何よりだ」

 レインは唇の端でかすかな笑みを浮かべる。

「あのお医者様、無愛想かと思ったら結構親切な御仁でね。何かとアタシの事を気に掛けて、ちょいちょい顔を出してくれるんだよ」

 テューダーが右手を招き猫のようにしながら噂話をしたときだった。レインが開けたドアの向こうから声が響く。

「……人の噂話は当人に聞こえないようにやってもらいたいものだがな」

 迷惑そうに言いながら、噂の外科医はつかつかと病室に入ってきた。レインが道を譲ると、真っ直ぐにテューダーの傍らへと向かう。

「傷口を確認する。あれから余計な出血はないか?」

「大丈夫よ。アンタの腕もよかったし、手術中ボーヤもアタシに魔法で麻酔をかけてくれてたんだったね」

 外科医は興味なさげに鼻で笑う。

「ふん。魔法で傷つけられていたから、弾丸の摘出が必要なかったのが不幸中の幸いだったな。傷口も綺麗だったし、撃たれた場所もよかった。おかげで縫合も楽だった」

 無愛想な態度をとりながらも、外科医は丁寧にテューダーの傷の状態を確認する。

「顔色も悪くないし、傷口が開いた様子もないな。まぁ、それだけ口が回るなら心配する必要もないか」

「ありがとさん。こうやって定期的に診てもらえると心強いねえ」

 テューダーに礼を言われても、外科医は再び鼻で笑う。

「……夜中に飛び込みで緊急手術をやらされたんだ。それが徒労に終わるのは許しがたい。それだけだ」

 どこまでも無愛想である。それでも仕事に対する責任感の強さとその実力から、レインを始めとした警察の人間やその他の関係者の多くからの信頼を集めているのがこの男だ。

「昨晩は無理言って悪かったな、先生」

「まったくだ。警察――特に君はやっかいな案件しか持ってこない」

 謝るレインに対して外科医はつれなく対応する。

「話を聞くのに問題はないと思うが、何せ昨日の今日だ。聞き込み自体は構わないが、患者の体力をしっかり考慮してもらいたい」

 それだけを言い残して外科医はさっさと部屋から出て行く。

 残されたレインとテューダーはお互いの目を見て笑った。

「ね? 親切な御仁だろ」

「あぁ。よく知ってるさ」

 今度はレインがテューダーの傍に歩み寄る。

「警部補クン、椅子に座るでにゃんすか?」

 ウィローハウスが自分の座っていた椅子の座面をぽんぽんと叩く。

「いや、長居するつもりはないので気遣い無用だ」

 レインはウィローハウスに断りを入れると、懐からペンと手帳を取り出す。

「さていきなりの質問ですまないが……今回の一連の事件の犯人は作家のジョナサン・ワイルダーで間違いないんだな?」

「あぁ、そうさ」

 テューダーが頷く。

「テューダー検閲官にウィローハウス検閲官、あの夜何があったかを詳しく話してくれ」

 レインの質問にテューダーとウィローハウスは昨晩の出来事を説明する。チャックの禁域の鍵が奪われたこと、それを知らせるサインが二人に来たため魔導協会へと急行したこと、そしてそこでジョナサンとフィリップの二人と鉢合わせ戦闘になったこと――

「アタシがあのゴーグルくんに負けて、ボーヤに助けられてからはアンタも知っての通りさ」

「なるほどな」

 レインはテューダーの話を書き留めたページをペンの反対側で叩く。

「奴らは禁域にいって何をするつもりだったのか……瓦礫の山に全て埋もれちまった今となっちゃあおいそれとわかるもんでもないね」

 テューダーがため息をつく。崩壊した魔導協会、もちろんその中にはいくつもの機密文書や到底外に出すことは出来ない魔術書があった。これからそれらの回収および確認をしなくてはならないと思うと気が遠くなる。

「魔導協会の後片付けについてはロンドン以外からもイギリス全土から応援が来るそうだ。お前さんはのんびり傷を癒やしていればいいさ」

「みんなには申し訳ないけど、お言葉に甘えさせてもらうとするかねえ。こんなガタの来ている体じゃあ、迷惑を掛けるだけだしねえ」

「ワガハイも看病とやらをせねばならんでにゃんすからねえ」

「ボーヤ、アンタは五体満足元気なんだからこんなところで油売ってないで手伝いにでも行ってきな」

 テューダーは右手で追い払うような仕草をしてみせる。そうするとウィローハウスは舌を出して、しゃがみ込んで体を隠す。

「でもね……これで全て無事解決大団円ならよかったんだけど、この事件であの子を失ったアタシらにとっちゃね……」

 テューダーがそう寂しそうに呟いたときだった。

「すみません、レイン警部補。私としたことが寝坊を……」

 謝りながら病室に入ってくる人影。一瞬、テューダーは目の前で何が起こったかを理解出来なかった。しかし、その人物が誰かを認識した瞬間、思わず大声を出す。

「チャッキー!」

「おはようございます、テューダーさん。フィリップに撃たれたと伺いましたが、傷の加減はいかがでしょうか?」

 慇懃に頭を下げるチャック。

「顔を出すのが遅くなってすみません。昨日の夜はほぼ一睡もできなかったものですから、明け方に気を失うように眠って気がつけば昼過ぎだったという次第で――」

「いやいやいや、そうじゃなくて、アンタ、アイツらにやられちゃったんじゃあ?」

 傷口の痛みも忘れ、テューダーは幽霊でも見た顔で上半身を起こしチャックを指さす。

「あぁ、それについてですがこちらにおられる赤星さんと――」

 そう言ってチャックが自分の隣を指したとき、初めてテューダーは光正も部屋に入ってきていることに気がついた。チャックに気をとられるあまり、光正の存在が視界から消えていたのである。

「あ、どうもこんにちは」

「こんにちは……って、アンタは確か、この間の日本人のボーヤよねえ?」

 挨拶を交わした後、テューダーが首を傾げる。確かこの日本人は一文無しになってロンドンまでやって来たただの変わり者だったはず。

「ちょっと待ったでにゃんす!」

 ここでウィローハウスの声が病室中に響き渡る。ぴょこんとベッドの脇から顔だけを突き出して、チャック達を見ている。

「そのチャッククンが本物のチャッククンか、それを確認するまではワガハイは信じないぞな、もし!」

 言いながらウィローハウスはチャックを指さす。弁明すべく光正が口を挟もうとしたが、それをチャックは右手で制する。

「……ウィローハウスさん。私が本物かどうか、どうやって判断されるおつもりですか?」

「ふっふっふ。本物のチャッククンなら、ワガハイの質問に答えられるはずでにゃんす」

 ぴょこんと猫が飛び跳ねるようにして、ウィローハウスがチャックの前に踊り出る。

「では問題でにゃんす! チャッククンがいつも出張に行くたびにワガハイにお土産で買ってきてくれる甘美な甘味、それは一体なんぞや!」

 ウィローハウスはチャックを真っ直ぐに指さす。どういう答えを返すのかと、光正がチャックの表情を伺うが――

「私はウィローハウスさんを餌付けするような真似をしたことはありません」

 きっぱりとチャックは言い切った。そんな答えでいいのかと光正は肝を冷やすが――

「それでこそチャッククンでにゃんすー!」

 そう大声を出しながらウィローハウスがチャックに抱きつく。チャックは面倒そうに顔をしかめながらも、すぐに表情いっぱいに笑顔を浮かべた。

「ウィローハウスさん、ちょっと、そうがっしり掴まれると動きにくいのですが」

 チャックがウィローハウスを押しのけようとするが、ウィローハウスは顔をチャックの体に押しつけて離れない。

「まぁまぁ、いいじゃないのさ、チャッキー。アタシだって満足に体が動いたら、アンタに抱きついて頬ずりしてやりたいぐらいだよ」

「テューダーさんまで」

 チャックは諦めたようにため息をつく。そして頭を下げる。

「なんにせよ、ご心配をおかけしました」

「全くでにゃんすよ!」

「まぁまぁ、結局無事ならそれでよかったじゃないかい」

 口を膨らせるウィローハウスと口に手を当てて笑うテューダー。

「で、赤星さん、だっけ? アンタがチャッキーを助けてくれたんだってね」

 テューダーに話を振られ、一瞬光正は戸惑った。

「あ、いえ……実際にチャックを助けたのは僕じゃなくてもう一人の」

「もう一人? なら、その御仁にもお礼を言わなきゃねえ」

 テューダーが微笑むと光正は落ち着かない気持ちになる。

「でも、もう万字郎は――」

「その方はとてもお忙しい方だそうで、この一連の事件を解決された後、また遠くへ旅立たれました」

 光正の言葉をチャックが遮った。

「……そうかい。なら、いつかお会いできるのを楽しみにしているよ」

「ええ。私もです」

 テューダーが柔らかい表情で言うと、チャックも頷く。そしてチャックは光正の肩をそっと叩く。

「お前さん達には積もる話もあるだろうが、ちょいとこちらの用件を先に済まさせてくれないかい」

 レインが手刀を切り話に割って入る。

「関係者であるお前さん達には知らせておこうと思ってな」

 レインは手帳のページをめくる。

「今朝、朝一でジョナサン・ワイルダーの家の家宅捜索を行った」

 ジョナサン・ワイルダーという言葉を聞いた瞬間、その場にいた全員の背筋が伸びる。

「さすがは掃除屋の異名を持つ腕利き刑事さんだねえ。仕事が早い」

「この稼業は基本時間との闘いでね。やることは山積みなんだが、まずは犯人を洗うことが先決だ」

 テューダーに対して何でもないことのように応えるとレインは続ける。

「同じく夜勤だった俺の部下たちに行ってもらったんだが、やはり家主のジョナサンは不在。そして強引に窓から家の中に入り捜索を行ったところ――白骨死体らしきものが発見されたそうだ」

「白骨死体だって!」

 思わず光正が大きな声を上げると、周囲から静かにするようにと仕草でたしなめられる。

「レイン警部補。それは今回の怪物事件の被害者、ということですか?」

 チャックがレインに尋ねた。しかし、レインは首を横に振る。

「さすがに骨になっちまえばそいつがどこの誰かはもうわからない。しかし、それは丁寧に寝室のクローゼットの中に埋葬されるようにあったそうだ。ドレスと――花を供えられてな」

 パタン、とレインは手帳を閉じる。

「その白骨死体が事件に関係あるかどうかはわからないが、ジョナサン・ワイルダーにとっては大切なものだったんだろうよ」

 深く息を吐くようにレインは言った。

「さァて、ここからがお前さん達に頼みたい仕事だ。そのうちジョナサンの家から押収された魔術書がここに持ち込まれる。お前さん達にはそれの検閲をお願いしたい。俺たち警察の素人判断はよくないからな」

 レインに言われて、チャック達三人は頷く。

「幸い私はジョナサンの筆跡を知っています。ジョナサンが犯人だという物的証拠が出れば、より確たるものになるでしょう」

「アタシもこの通りだからねえ。寝ながらで出来る事ならなんでも協力するよ」

「ふむふむ。我がロンドン魔導協会の誇るお二方さえいれば百人力。ではワガハイはお邪魔にならぬよう家に帰ってのんびりお菓子でも食べるとして」

「ボーヤ、アンタも働くんだよ」

 テューダーにたしなめられて、ウィローハウスはおどけてペロッと舌を出す。

「話はまとまったようだな。というわけで、お前さん達検閲官のお歴々はこの病室で待機していてくれ。そのうち俺の部下が来る」

 そう言って、レインは光正の方へ顔を向ける。

「さて。赤星、お前さんにも訊きたいことがある。ちょいとこっからの帰り道に付き合ってもらうぜ」

 レインは右手の親指で出口を指す。光正としても断る理由はないので素直に同意する。

「じゃあ、行くぜ」

 レインに肩を叩かれ、光正は残った三人に会釈をしながら病室を出た。

 

  *

 

 レインと光正は並んでロンドンの町並みを歩く。昨日の騒動が嘘のように街は日常のままである。そのことに光正は安堵すると共に、ここにいるべき人物がいない喪失感もまた感じているのであった。

「お前さんはマルティン博士のところに戻るんだな? 俺も大学の近くまでは付き合うぜ。なにせ昨日の夜からお前さんのことをひどく心配していたからな。早く顔を出して安心させてやれ」

「あー、そうだねえ……」

 レインに言われて、光正は申し訳なさそうに頬を掻く。

 あの宇宙生命体との戦いが決着した後、光正とチャックの二人はさすがに疲労困憊で文字通り一歩も動けず、その場にうずくまっていたところをレインに助けられた。二言三言レインと会話したような記憶はあるが、そこからすぐに記憶は抜け落ち、気がつけば警察署内の救護室で煌々と照る太陽を見上げていたというわけである。

 そして『起きたら病院に顔を出すように』というレインの言付けを受けて病院に向かったわけで、要はまだ光正はマルティンに事情を説明していない。

「そう心配しなさんな。一応、マルティン博士にはお前さんが見つかったことは伝えてある」

 レインに言われて光正はほっと一安心する。なんだかんだそつなく仕事をこなしてくれる人である。

「で、サムについてだが――」

「あぁ、うん」

 いつもは単刀直入に尋ねてくるレインが珍しく言葉を選ぶような振る舞いをする。その様子から、光正はレインが大体の事情を察していることを理解した。

「あの夜についてこちらで把握している大雑把な事情は、ジョナサン・ワイルダーとフィリップという男が魔導協会に押し入ったこと、そこで賊は二人の検閲官を襲い禁域へと侵入したこと、そして魔導協会が崩壊し空に戦艦が浮かび上がった」

「うん」

「それから、だ。戦艦に一列の列車が向かっていった。列車は消え、戦艦は空中で崩壊。その破片はグリーンパークに降り注ぎ、そして二度ロンドンの街全体を照らすような強い光が観測された」

「そうだね」

「一度目の光は爆発。これはグリーンパークで見つかった巨大な焦げ穴とも一致する。そして二度目の光は、星を降らせた」

「あぁ、そうだよ。星が降って――そしてロンドンの街は救われたんだ」

 言葉とは裏腹に光正の表情は冴えない。

「状況から見て、お前さん達が事件を解決したんだろう。だが――その場にいたはずのサムだけは見つからなかった」

「レイン警部補。どうしてサムが一緒にいたと?」

「刑事の勘さ。魔導協会に問い合わせてみて、グリーンパークにあんな大穴を開ける魔導士に誰も心当たりがないとのことだったが――代筆屋のあいつなら出来るかもしれないだろう?」

「……そっか。レイン警部補はサムが代筆屋だって、知ってたんだね」

「いろいろあってな」

 街の中に声が溢れている。子供の声、男の声、女の声、老人の声――しかしその全てが今は光正の耳にはまるで遠い世界の音のように聞こえる。

「詳しい説明はちょっといろいろ時間がかかるけど、この街は万字郎――いやサムが救ったんだ」

「万字郎っていうのは、あいつの本名かい?」

 レインに問われて、光正は頷く。

「そう。万字郎、百千万字郎。それが、代筆屋サムの本当の名前」

「そうか……アイツは一番知りたかったことを知ることができたんだな」

 レインが空を見上げる。晴れていても、快晴とは呼びがたいベールがかかったような空。

「……この事件の全容についてだが――警察は公式な記録としては残さない」

「え?」

 光正は思わずレインの顔を見上げる。レインは何でもないことだ、と言うように微笑んでみせる。

「人間を怪物に変容することが出来る、そんな事実が明るみに出て模倣犯が現れればしゃれにならないからな。今回の一件は、あまりにも危険すぎる。結局は未解決事件として、そのまま全て闇に葬られるだろう」

「……そっか。僕も、それがいいと思うよ。万字郎も、チャックも、そして僕も、ただこの街が救いたかっただけだから。昨日と変わらない日常が今日もあるのなら、僕はそれでいい。十分だよ」

「そうか。なんにせよ、日本からこっちに来たばかりだっていうのにお前さんには散々世話になったな」

「こちらこそだよ」

 光正は笑う。その笑顔は先ほどまでとは違い、心からのものだった。

「あ、レイン警部補!」

 向かいから歩いてくる男が声を掛けてきた。大きな鞄を肩から提げ、その中にぎっしりと本が詰まっている。

 その男の人相の悪さに光正が戸惑っていると、それを察したのか「あれは俺の部下の警察官だ」とレインが小さな声で言った。

「ご苦労さん。病院まで証拠物品を運んでいるところか?」

「はい。一応、俺の目で見て怪しそうだと思った奴をまずは優先的に」

「そうか。テューダー検閲官の病室にロンドン魔導協会の誇る腕利きが三人揃っている。連中の手にかかればあっという間に作業は終わるだろうさ」

 なるほど、と光正は理解する。病室を出る間際、ジョナサンの家から押収した魔術書らしきものの検閲を頼むと言っていた。この若い警察官はそれを運んでいる途中なのだ。

「あと警部補。これは関係ないかも知れないんですが」

 そう言ってレインの部下は光正を見る。どうやら光正の目の前で報告をしてもいいものかどうか思案しているらしい。

「あぁ。彼はこの事件の関係者みたいなもんだから、問題ないぜ」

 それを察したのかレインが部下に告げた。

「そうですか。では」

 レインの部下は懐から一枚の紙を取り出す。

「白骨死体が見つかった場所、その傍にシルクのハンカチに包まれてまるで埋葬するように置いてありました」

 レインと光正は差し出された紙を確認する。それは一葉の写真だった。若い男女が映っている。おそらくは何か改まった機会に撮影したのだろう。男女ともに正装で、二人ともカメラに向かって幸せそうに微笑んでいる。

「……これはジョナサン?」

 写っている男の顔を見て、光正が呟いた。昨日の夜とはだいぶ雰囲気は違うが、これはジョナサンで間違いない。ということは、隣で写っている女性は――?

「やれやれ……こんなもん、見ちまうんじゃあなかったな」

 レインは写真を取り上げ自分の懐にしまうと、つぶやきと共に深い息を吐いた。

 

  *

 

 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンからの帰り道、光正はなんともなしに万字郎と共に歩いた道を辿っていた。

 マルティンの研究室を訪れたら、案の定、熱烈な歓迎と抱擁を受けた。まだほんの一晩家に泊めてもらっただけの関係なのに、マルティンがここまで光正のことを心配し大切に思ってくれることにどこか胸の奥がむず痒いような気持ちになり、柄にもなく光正は顔を真っ赤にして照れてしまった。聞けば、昨晩は帰ってこない光正を心配してマルティンは警察署まで行ったのだという。ロンドンの街全体が怪物に怯える中、それでも夜の街へ光正を探しに飛び出してくれたことに深く感謝し、そして心配を掛けたことを光正は心から謝罪した。

 マルティンは、光正が無事ならそれでよかったです、と笑ってくれた。さらには今日の晩ご飯は光正の好きなものをご馳走したいので何か考えておいてください、とまで言った。

 いい人に出会えた、と光正は思う。きっと代筆屋の一件などがなかったとしても、光正はマルティンに好感を持ったことだろう。確か万字郎もマルティンに会ったことがあるようなことをほのめかしていた。もしも万字郎とマルティンと光正、三人が一緒になる機会があったのなら、それはきっととても楽しいものだったのにと思う。

 ほんの一日程度の出来事だったのに――この街には万字郎との思い出が溢れている。

 光正は大英博物館を横目に見つつ南に下ってテムズ川まで出て、川沿いにロンドン塔へと向かう。

 昨日の夕方、万字郎の魔法で逆流させた川に乗り移動した。まだ二十四時間も経っていないはずなのにずいぶんと遠い日の出来事のように思う。思い返せば、とんでもなく大変な目に遭っていたはずだが、今となっては全てが懐かしそして楽しかったように思える。

「君がここにいてくれたらよかったのに」

 光正はテムズ川の川面を見つめながら呟いた。

「お! あんた、赤星光正じゃな? 日本人の」

「え? あ、はい」

 欄干に体を寄せて川を見ていたら唐突に声を掛けられた。光正は反射的に返事をすると、声の主を確認した。

 年の頃は十代半ばくらいだろうか。光正よりも若く見える。活発そうな雰囲気と溌剌とした笑顔が印象的な少年。しかしながら、光正の記憶にこの人物の顔はない。とはいえ、光正のフルネームで呼んできたのだから、自分の事を知っているのは間違いないのだが。

「えっと……すみません、どちら様でしょうか?」

「あぁ、わしが誰かなんてどうでもええけえ」

 光正の質問を少年は何でもないことのように笑い飛ばす。どうでもよくはないのだけど、と光正は思う。

「お前さんにもろうてもらいたいもんがあるんじゃ」

 言いながら、少年は一つの紙包みを光正に差し出した。

 知らない少年から正体のわからないものをもらう――常識的に考えれば警戒して当然なのだが、どうにも少年の笑顔を見ているとそんな気持ちは湧いてこず、光正はおとなしく紙包みを受け取る。

 包みをゆっくりと開くとそこに入っていたのは――

「これは――羽根ペン、かい?」

「ほうじゃ」

 少年は満足そうに笑って頷く。

 光正は羽根ペンをつまむと、それを太陽に透かしてみた。羽根ペンなんて使ったことはないが、なぜかどことなく懐かしい気持ちになる。初めて持ったはずなのに、不思議と手になじむ。

「これは、一体?」

 光正が尋ねると、少年は悪戯っぽく笑う。

「これは代筆屋の先生の家から失敬してきた」

「え?」

 思わず光正は聞き返した。代筆屋の先生、とこの少年は言った。つまり、これは万字郎の――

「……警察の連中が先生のところの家捜しをしちょる。全部重要な証拠物品じゃ。多分、根こそぎいろんなもんが押収されてしまうじゃろうけえのお。そうなると面倒じゃ。じゃけえ、ワシがその前にそいつをかっぱらってきた」

 光正はペンと少年の顔を交互に見る。今の発言をそのまま理解するなら、この少年は万字郎の家宅捜索が始まる前にこのペンを取ってきた、ということになる。しかし、だとしたらなぜそんなことをしたのか。

「どうして君がそんなことを――」

「細かいことは気にしなさんな。先生には借りがあるけえ。きっとそいつはお前さんに使うてもろたほうが先生も喜ぶじゃろう思てのう」

 それだけ言って、じゃあの、と少年は背を翻し歩き出す。

「ちょ、ちょっと待ってよ。本当に一体君は?」

 光正が呼び止めると少年は振り返った。

「先生に伝えといてくれ、ワシらの街を救ってくれてありがとの、っての」

 少年はそれだけを伝えると再び前を向き、イーストエンドロンドンの街中へと消えていった。

 

  *

 

 大英博物館、かつて万字郎が働いていた建物の前で光正は馬車を待っていた。チャック、レイン、マルティン、テューダー、ウィローハウス、そしてリオと光正の見知った面々もいる。

 これから光正は馬車に乗り、日本への帰路につく。ジョナサンの事件が解決してから一週間、まだまだ魔導協会も警察も目を回すくらいの忙しさだろうに彼らはわざわざ見送りに来てくれていた。

 チャックが一歩光正に向かって歩み出る。

「日本に帰るのですね、赤星さん」

「うん。短い間だったけれど、お世話になりました」

 光正がチャックに深々と頭を下げる。

 思えばロンドンに到着した初日、チャックが光正に声を掛けてくれなければ怪物に殺されていたかも知れない。もっとも地下牢に入れられた扱いに関しては、未だに許したわけではないが。それでも最初にチャックと出会わなければ、レインと知り合うこともなく、万字郎を見つけ出すこともできなかったかも知れない。そしてきっと――チャックがいなければジョナサンとの戦いで勝利を収めることはできなかっただろう。

「あと魔導協会には日本までの旅費まで出してもらえて」

 光正がそう言うと、テューダーが大げさにのけぞってみせた。

「なぁーに馬鹿なことを言ってんだい。禁域を破られるっていう協会の不始末を解決してくれた恩人相手にろくにお礼もしないとなっちゃあ、ロンドン魔導協会の名折れだよ」

「それにチャッククンの命の恩人とあらばもう二往復くらいしてもらってもかまわないくらいでにゃんす」

 テューダーとウィローハウスはそう言って笑ってみせる。

「赤星さん。僕の祖父の方からも粗相がないようにと言われてますので」

 リオが小声で言った。

「そうそう。この子のおじいさまはなんてたって協会の会長だからねえ。大手振って行けばいいのさ」

 テューダーがリオの背中をぽんと叩く。

「……それにサムさんには僕たち家族も大変お世話になったので」

「あ……うん」

 光正は目を伏せる。万字郎の話を出されるとリオに対してどんな顔をしていいかわからない。リオがどれだけ万字郎に懐いていたか、そして万字郎がどれだけリオ達のことを大切に思っていたか――それはよく理解している。

「サムさんは本当にこのロンドンの街が大好きで……休みの日はいつも街を散歩していたんですよ。まるで生き字引みたいに、ずっとロンドンで暮らしていた僕なんかよりも詳しくて」

 うん、知ってる――そう言いそうになって光正は口をつぐんだ。声に出してしまえば、寂しさが溢れそうだったから。

「だから、僕も、サムさんが守ってくれた街をこれからも守ってもっといい街にしていきたいと思います……いつか、サムさんと再会したときに胸を張れるように」

「ありがとう、リオくん」

 光正とリオは固い握手を交わす。女の子のような見た目のリオだが、その手はちゃんと骨張っていて力強さがあって――やはり男の子なんだな、と光正は思う。

「マルティンさんも、本当に僕がロンドンに滞在した一週間お世話になりました」

 光正はマルティンに深く頭を下げる。一文無しで転がり込んできた光正が、衣食住一切困らずに過ごせたのはマルティンが居候させてくれたおかげだ。

「何を言うのですか、光正。私もあなたから日本の話をたくさん聞けて、とても楽しかったですよ」

 マルティンが笑う。本当に裏表のない笑顔だな、と光正は思う。最初は圧倒されていたマルティンの海に対する情熱も、慣れてくればそれが少し心地よいものにも思えてきたのは不思議だ。

「光正。あなたとお話をして決意しました。私は近い将来、必ず日本へ行きます。そして、日本の海を研究するのです。あなたが語ってくれたお話に、私はすっかり魅了されてしまいました」

「そんな大げさな……でも、日本に来たら必ずうちによってください。大歓迎ですよ」

「ほう。お前さん、なら、俺も大歓迎してくれるかな?」

 悪戯っぽくレインが話に入ってきた。

「どうしようかなー、レイン警部補を泊めるとなんかいろいろ暴かれちゃいそうで怖いし」

 冗談めかして光正が返した。

「おいおい。プライベートでまで仕事をする気はないぜ? まぁ、掃除しなきゃならないことがあるのなら話は別だがね」

「ふふ。でも、レイン警部補にも大変お世話になったね。それにまだいろいろと忙しい中、わざわざ見送りに来てくれてありがとう」

「こんな稼業をしていると、人との繋がりに礼節を欠かさないことの大切さが身に染みてわかるもんさ。それに赤星――なんだかんだ言ってもお前と一緒に過ごした時間は楽しかったぜ」

「そうだね。こちらこそいろいろ気を遣ってもらってありがとう」

 光正は深く頭を下げる。思えばこのレインが縁を繋いでくれたことがロンドンでの出会いを導いてくれたのだから。

「俺もいつか日本へ行きたいもんだな。お前さんの言っていたきつねうどんとやらを一度食べてみたい」

「わかったよ。おいしいお店、探しておく」

 光正はマルティンと抱擁した後、レインと握手する。

「……サム……いえ、万字郎さんのことは、残念でした」

 チャックが続き申し訳なさそうに頭を下げる。謝罪から入るのは実に生真面目な彼らしい。

「ううん。僕の中に彼の存在を感じるから、寂しくないよ……」

 光正は首を振る。強がりではなく、実際にそうだった。あのジョナサンを打ち倒した魔法、それを放つ瞬間にはっきりと光正は万字郎の存在を、彼がロンドンで過ごした十年間の物語を感じた。懐の魔導書の温かみを感じるたびに、それをはっきりと思い出せる。

「そうでしたか……彼は赤星さんの中で生き続けるのですね」

 光正は頷く。物語は――人の記憶はその終幕まで残り続ける。だからこそ、物語には人を幸せにする力がなくてはならない。物語を紡ぐ者にはその責任がある。

「それに、万字郎を生み出した本は、実家の蔵に残っているはずなんだ」

 九歳だった光正の紡いだ物語。十九世紀ロンドンにふと現れた日本人、侍のサムとあだ名された男、魔力に直接干渉できる最強の魔導士――そしてロンドンを救う男、百千万字郎。

「あの魔導書に魔力を込めれば、もしかすると、また――」

 いつか再会することを想って――

 

  *

 

 テューダー検閲官は光正との出会いをきっかけに、ロンドン魔導協会の責任者として日本の魔導協会との橋渡し役を務めた。後の日英同盟の締結には、彼の努力が大きかったと言われる。

 ウィローハウス検閲官はテューダー検閲官と共に日本へ視察に行った際に、現地で見た落語に魅了される。そして、そのまま日本に住み着いてしまい、自身の魔法に落語のスタイルを取り入れた新しい魔法の研究に取り組んだ。

 Dは今回の事件で繋がった縁を活かし、警察及び魔導協会と連携して裏社会の立場からロンドンの治安維持に尽力した。その活躍は、毒をもって毒を制す悪しきをくじく任侠として、後に『偉大なる六代目』と称えられた。

 リオはその後魔導学校を卒業するも魔導士としての道には進まず、魔導図書館の司書となった。万字郎の跡を継ぐ形で、魔導協会の活動のサポートをし続けた。

 レイン警部補はその後もロンドンの治安を守るために忙しい日々を送った。結局光正と約束した日本訪問は出来なかったものの、「きつねうどんは来世の楽しみにとっておくか」と笑っていた。

 マルティン博士は光正が日本に帰ってからすぐに訪日。光正の家に厄介になりつつ、西洋の手法を用いた日本の海洋研究の第一人者となる。後の世で、日本の海洋学の父と称された。

 

  *

 

 船は汽笛を鳴らし、グレートブリテン島から離れていく。光正は甲板から一人その風景を見つめている。

 イギリスにやって来たときと同じひとりぼっちの旅。しかし、往路で感じていた孤独さはない。ただ心の真ん中に穴が開いたような寂しさはある。

 ロンドン魔導協会から旅費に加えて十分過ぎる程の謝礼をもらった。帰り道は、路銀が尽きることを心配して食事を抜かすこともないだろう。

 一大決心をしてのロンドン行きだったが――それを決行してよかった。かけがえのない出会いがあったし、それに――本当に知りたかったことを知ることができた。

 鞄を甲板に置き、光正はイーストエンドロンドンで少年から受け取った万字郎の羽根ペンを取り出そうと、ローブの内側をまさぐる。すると、ぽとんと一つの紙包みが落ちる。

 光正はそれを拾い上げた。そして中身を取り出す。

 中身は十ポンドの紙幣。何があってもこれにだけは手をつけるまいと決意していた、虎の子の一枚。

 すっかり忘れていたけど、こんなところに入れておいたっけか、と光正は一人笑う。

 きっとこのお金を使うことはないだろう。光正にとってはだだの紙幣ではないから。

 光正は再び紙幣を紙包みに戻すと、今度はちゃんと万字郎の羽根ペンを取り出した。

 ここから先、横浜までの旅程は長い。あと二ヶ月はかかるだろう。

 光正はその間に手紙を書こうと思う。宛先のわからない手紙を。

――僕の内側が君の外側で、僕の左側が君の右側で。きっと僕たちはそんな関係だった。僕は物語を書こう。九歳の僕から十九歳の僕へ。そして、いつか君に届くように。

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