Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第4話

 大英博物館図書部――ロンドンの大英博物館に属し後にイギリス最大の大英図書館の母体となった。古今東西のあらゆる書籍を蒐集し、一説には千万冊を超える蔵書を有すると言われている。まさしく、十九世紀イギリスの誇る知の象徴の一つであった。

 大英博物館図書部の利用には許可が必要であるとはいえ、実際には幅広い人物がこの図書館を利用していた。魔導士見習いであるリオ・ショーもその一人である。

 魔導書は己が言葉で文を綴ることにより発動する。よりよい魔導士となるためには、自分に最も合う文体を見いだし、それを自分のものにしていく必要がある。己を知るためには、他を知らなければならない。そうやって世界の中に自分を位置づける。

 守衛に入館証を見せたリオは、軽く会釈をした後、真っ直ぐに図書館の中へと向かう。巨大な建物の壁という壁を覆う本には目もくれず、彼は真っ直ぐにカウンターへと向かう。

「おはようございます」

 司書達が集まりそれぞれの作業を行っているカウンター。リオはその中でもわざわざ一番奥にいる一人の男に声を掛けた。

「……リオか」

 分厚い本を両手で広げ読んでいた男は、声だけでリオだと判断した。そして本をテーブルに置いてゆっくりと立ち上がる。

 男のあまりにも整った顔立ちは、逆に相対するものに畏怖を与えるほどだ。浮世離れのあまり幽鬼か妖精か――何にせよ、この世のものではない存在と勘違いされた経験は多々ある。

「毎日毎日、熱心だな」

「いやー、僕はまだまだ魔導士見習いですからね。勉強の日々です」

 ぐっと拳を握るリオ。ともすれば女子とも間違えられるほどに華奢に見える彼だが、目標に向かって真っ直ぐに進む精神的な強さは、彼の見た目からなめてかかると大いに痛い目を見るほどのものだった。

「この間薦めた本は全部読んだのか?」

「はい! とても勉強になりました」

 他の司書達は二人の会話を気にすることなく作業を続けている。この二人がほとんど毎日のようにこんなやりとりを繰り返しているからだ。

「ここで長話は迷惑になるな。いつもの場所へ行こう」

 男はリオにそう言ってから振り返り、司書仲間達に「少し出ます」と告げた。司書仲間達は言葉は発さず右手を挙げてそれを許可する。

「では、行こうか」

 男は自分の席へと行き、外套を手に取る。

「待たせた。中庭で話そう」

「あ、はい。でも、いいんですか? その、お仕事は?」

 リオの心配を男は一笑に伏せる。

「問題ない。俺が担当する部分の目録作業はもう終わっている。後は本を読みがなら、たまに来る来館者の相手をするだけだ」

 男は堂々と言ってのけた。人によっては傲慢不遜な態度と捉えられてしまうかもしれない。しかし、それは紛れもなくただの事実であった。

「一度本を読んだだけで内容を全て暗記できる――サムさんの能力は本当にすごいですね」

「知識は得ても、オレは自分がそもそも何者かもわかっていない」

 リオの言葉に対し、サムは謙遜ではなくそう返した。

「どれだけもがいても、オレにはこの十年間の記憶しかないんだ」

 大英博物館図書部司書のサム。十年以上前の記憶を無くした男。

 

 リオが大英博物館図書部を訪れていた頃、光正はチャックとレインと別れ、一人マルティンの研究室に残っていた。

 レインが「赤星にとっても悪い話じゃないさ」と言っていたとおり、彼はマルティンに光正の宿居候を提案してくれたのだった。案の定、マルティンは大喜びし(最もさすがにその後すぐ光正の状況を察して申し訳なさそうに謝ったが)、光正の居候を快諾してくれた。光正はある意味人身売買に近いものを感じないこともなかったが、泊まるところが出来たのはありがたかった。あの薄暗い地下の牢屋に戻らないだけマシである。さらに聞けば研究調査協力費としてお金までもらえるという。

「お相手できずすみません。近々ある学会の準備が忙しく」

「いや、お気遣いなく」

 資料の山に埋もれながらマルティンが申し訳なさそうに光正に言ったが、どちらかというと光正にとっては願ったり叶ったりの状況だ。

 光正としては早くここロンドンに来た目的を果たしたかったが、居候させてもらう手前、じゃあまた夜に戻ってくるからさようなら、とは言いづらい。しょうがないので、手持ち無沙汰に研究室隅の椅子に座っている。

「本当は私も一刻も早く日本の海についてのお話を伺いたいのですが」

 光正が、寿司職人でも和食料理人でもない、と言ったときは心底がっかりしていたが、マルティンは持ち前の情熱ですぐに立ち直った。曰くは、近いうちに光正をイギリスの海へ連れて行きたいらしい。海洋学が専門ではない光正でも、実際にイギリスの海を目の前にし、その日本との違いを問われればある程度は答えられるであろうという目論見だ。

 ここでふと一つの疑問が光正の頭の中に浮かんだ。

「ねぇ、マルティン博士」

「はい、何でしょうか?」

 せわしなく資料の束から何かをノートに書き写しながらマルティンは返事をした。

「マルティン博士は僕をすごく珍しがってくれているみたいですけど――ここロンドンに他に日本人はいないんですか?」

 光正の質問にマルティンは顔を上げた。

「あぁ、そのことですか。――実は光正が私の知っている二人目の日本人ではあるのですが」

「え?」

 二人目という言葉に光正は即座に反応した。椅子から立ち上がり、マルティンの方へと駆け寄る。

「二人目っていうことは、僕以外にもいるってことですか?」

「あ。えぇ。そうですが」

 光正の剣幕に面食らいつつもマルティンは肯定する。

「その人って知り合いですか? どこにいるかわかりますか? 連絡取れるんですか?」

 先ほどのマルティンにも負けないくらいの質問攻めだった。

「……そうですね。確かにこんな遠い地球の裏側まで来たら同胞の方が恋しくなることでしょう」

 マルティンは頷きながら、資料の束から一枚紙を取り出し、その白紙部分を破いた。

「ここに彼の働いておられる場所と名前をお書きしましょう」

 そう言って、メモを書き取り光正に渡す。そのメモを受け取る光正の手は震えている。

「ありがとう、助かります」

 そのメモの内容を一読してから丁寧に折りたたみ、光正は懐にしまい込む。

 光正は、何の当てもなく代筆屋を探すためにロンドンに来るほど無謀な男ではない。彼をロンドンへと向かう決意をさせてものがあった。日本にやって来ていたイギリスの貿易商の証言――『代筆屋は日本人だった』。

 その情報が正しいかどうかはわからない。しかし、例えイギリス人には中国人と日本人の区別は付かないとしても、日本人ならば両者を区別出来る。さらにはいくら大都市ロンドンとはいえ、そこにいる日本人など数が限られているだろう。そこにこの旅の勝算を光正は見いだしていた。

「ただ、期待されると申し訳ないので、あらかじめ言っておきますが」

「え?」

 興奮に震える光正に対して、マルティンは心底申し訳なさそうに口を開いた。

「その人は日本人ではあるそうなのですが――十年以上前の記憶がなく、日本にいたかどうかすらも覚えていないのです」

 どういうことだ、と光正は思う。記憶がない? ロンドンに来るまでのことを何も覚えていない? しかし、それでもとにかく一度会わなければならない。

 十年以上前の記憶を無くした男――大英博物館図書部の司書、サム。侍のサム。

 

 

 光正をマルティンの研究室において、レインとチャックは建物の外へと出ていた。建前上は、寝床のない光正をマルティンに預けてきたという形だが、本音は、彼をこれ以上事件に関わらせないためだった。ここから先は全てが機密事項となる。

「ロウ検閲官。さっきの話に続きなんだが、お前さんはそういった化け物を召喚できそうな魔導士に心当たりがあると言うことか?」

 道すがら、レインがチャックに尋ねる。

「……往来でするような話ではないのでは?」

「誰も聞いちゃいないさ。それにここだけの話だが、警察の立場としては、意地でも化け物説を受け入れる気はないらしい」

「と、いうと?」

「連続殺人事件の犯人が化け物でした、なんて与太は通用しないのさ。一度、化け物を見たというホームレスが真夜中に警察署に突っ込んできたことがあったんだが、その情報も結局は黙殺された」

「……そのホームレスの方にお話は?」

「無理だな。当直の警官が無理矢理外に追い出そうとしたら――ショック死したよ。本当に恐ろしいものを見たという形相でな」

 レインの言葉にチャックは唇を噛む。

「なんということでしょう……」

「だからお前さんたちの領分と言ったのさ。さァて、ここまで腹を割ったんだ。そっちのネタもばらしてもらうぜ」

 視線を合わせないままレインは歩き続ける。

「化け物を作り出す――魔法に、それに近いものが存在しないわけではありません」

「ほう。興味深い話だな」

「テューダー検閲官……今朝貴方を案内した髪の長い方の方ですが、彼の得意とする魔法は歴史――かつて存在した兵団を実際に顕現させることが可能であると伺っています」

「なるほど。その理屈で言えば、化け物を顕現させる魔導士がいてもおかしくないということか」

「ただ――」

 チャックは立ち止まり、深く息を吸い込んだ。

「魔導協会には、そのような魔導士の存在は記録されていないのです」

 レインも足を止めチャックを振り返る。

「つまり、そんな『野良』魔術師がいるということかい?」

 しかし、レインの言葉にチャックは首を振る。

「魔導士の素質のある者は、幼少期から専門の教育を受けます。その際に必ず協会に登録することを義務づけられるのです。ですので、このイギリスで生まれ育った魔術師の情報ならば、必ず協会の目録に記載されているはずなのです」

「なるほど。つまりお前さんも、今回の一連の事件の犯人が魔導士である可能性を考えていたわけか」

「この事件に関して調べていたというわけではないのですが、結果的にそのような形になりましたね」

「その目録から漏れる可能性があるとすれば?」

「大きな可能性は二つです。まず一つ目は、どこか国外からやって来た魔導士の犯行」

「つまりは赤星みたいな奴か」

 レインが茶化すように言う。

「ふっ。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、到底想像できませんね、彼が化け物を産みだしている姿は」

 固かったチャックの表情も幾分和らいだように見えた。

「そもそも、そんな化け物を実際に顕現させる程の力がある魔導士はそうそういません。魔導協会内ですら、テューダー検閲官を含めて数人いるかいないかといったところです」

「しかし、外部から来た魔導士という可能性は考慮しておこう。それで、二つ目の可能性は?」

「……協会内で不正が行われている場合です」

「ほう。これはまた穏やかではない話だな」

 レインは再び茶化してみせるが、今度はチャックは乗ってこなかった。

「私の調べた協会の目録が改ざんされている可能性。そして――代筆屋です」

「代筆屋? あの魔導書を代筆するとかいう奴のことか?」

「はい。にわかには信じられないことですが、相手の文体を完全に真似して魔導書を代筆するという代筆屋が実際に存在するのです」

「その代筆屋に代筆された魔術書を持つ人間は、協会のあずかり知らぬ事というわけか」

「私は協会の命により、その代筆屋を追っているのです」

 チャックは拳を握り混む。魔法は、素晴らしい力だ。しかし、同時に悪用されればどのような被害をもたらすかは考えるにも及ばない。チャックがこれまで集めた情報によれば、代筆屋による魔術書はロンドンの裏社会に出回っているという。幸か不幸か、まだ、代筆屋の尻尾を掴めるような事件は起こっていないが、それも時間の問題だろう。

「よし、わかった」

 レインがぽんと手を叩く。

「お前さんはそのまま代筆屋の線を追ってくれ。俺は、目録が改ざんされた可能性を潰そう」

「……わかりました」

 チャックはレインの提案を呑んだ。正直、目録が改ざんされた可能性を追求するにあたり、協会内の人間に協力を依頼することは危険な賭けだった。部外者のレインが動いてくれるというのなら、ありがたい話だ。

「ところで、レイン警部補」

「なんだ?」

「どうして私にこの話を持ってきたのです? 貴方なら協会のもっと上の立場の人間にも話を通すことが出来たはず」

 チャックの質問をレインは軽く鼻で笑ってみせる。

「単純に、俺の見立てでは、お前さんが一番信頼できる人間だからだ。例えば、何のかんの悪態をついていたが、赤星を牢屋に入れたのは殺人鬼から守るためだし、冷たい態度をとって見せたのも、あいつをロンドン以外の場所へ追い出してやりたかったからだろう?」

「買いかぶりすぎですよ」

 今度はチャックが鼻で笑って見せた。それに対してレインは大げさに両腕を挙げて見せる。

「なんにせよ、レイン警部補、もし代筆屋に関係する情報があったら、私に教えてください」

「了解だ。じゃあ、こっちも一つ教えてもらうぜ。ロウ検閲官、協会の目録とやらはどこにあるんだ?」

 レインの言葉に、チャックは一つの方向を指さす。

「ここからすぐ傍です。大英博物館図書部――そこで魔導協会の全ての資料が管理されています」

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