Write to reach you ~希望の暁~ 作:けんごち
光正は途方に暮れている。すぐ目の前にある大英博物館の入り口が、すごく遠くに見えている。
ロンドン、グレートラッセル通りに大英博物館はある。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンからは南西へ徒歩十五分程度。目と鼻の先だ。まだまだ学会の発表準備で忙しそうなマルティンに、ちょっと散歩に出てくると告げて、大学の守衛所で道を尋ねて光正はここへとやって来た。
ここの図書室に行き、サムという男に会う――ただそれだけのことだったのだが。
「図書室に入りたい? なら、許可証は?」
「許可証? 許可証なんているんですか?」
問い返した光正に図書室の守衛は心底あきれかえったように右手でぼりぼりと頭の後ろを掻いた。そして、人差し指で光正の胸を突いた。
「いいか? 知っての通り、ここの図書室は魔法との関係が非常に深い。つまりは、我がイギリスの国家機密の宝庫だ。そんなところに――貴様、中国人か? とにかく国外の許可を持たない人間を入れるわけにはいかない」
「いや、でも」
ただ中で働いている人に会いたいだけだ、そう告げてサムを呼び出してもらおうかとも考えたが、光正はそうはしないでおいた。もしもサムが本当に代筆屋だった場合、その存在は違法だ。となれば、自分がサムに会いに来た、という証拠を気軽に残してしまうのは、危険に過ぎると考えた。
なので結局迷い込んできた観光客の体を装い、とりあえずは敷地の外に出て、そして途方に暮れているというわけである。
マルティンは大学の研究者だからある程度自由に出入りできるのだろうか? ならばマルティンに頼めば――いや、だめだ。関係のない人を巻き込んではいけない。
こっそり侵入するにも、セキュリティはかなり厳しいだろう。下手すれば強制送還、いや投獄すらありうるかもしれない。
考えれば考えるほどに手がないことに気づかされて、光正は道ばたに座り込み頭を抱える。
「赤星。お前さん、こんなところで何をやっているんだ?」
聞き覚えのある声に、光正は顔を上げた。座り込んでいるせいか、余計に身長差を感じる気がする。太陽を背にして光正の顔をのぞき込んでいるのは、つい一時間ほど前に別れたレイン警部補だ。
「え。いや、その……大英博物館の図書室に入れないかな、と思って」
つい光正は自分がここにいる理由を喋ってしまった。言ってしまってから、どうしようか光正は慌てたが、光正が対策を練るよりも早くレインが口を開く。
「ほう。お前さんも魔導士だったな。なら、図書室には大いに興味があることだろう。運のいいことに俺の目的地も図書室だ。連れて行ってやろう」
「え、ほんとに?」
意外なレインの提案に光正は立ち上がった。今一何を考えているか捉えどころがなくて、時々意地の悪い冗談を言う男だが、願ってもない申し出だ。
「ついて来な」
言うてさっさと歩き出すレインの後を、光正は慌てて追いかける。
「よう。ロンドン警察のレイン警部補だ。捜査活動の一環で、ここの図書室を利用したい」
先ほど光正がけんもほろろにあしらわれた守衛に対し、レインは懐から出した身分証を見せる。
「あんたか。通っていいぞ」
それなりに通い慣れているのか、守衛は身分証を見ることなく、右手で、さっさと行け、とレインに合図を送る。
「ありがとうさん。あと、一人助手を連れて入りたいんだが」
「助手?」
語尾を上げて守衛が問い返す。
「あいつさ」
レインが親指で指す先、手持ち無沙汰の光正が突っ立っていた。
「さっき俺が追い返したアジア人のガキじゃねえか。あのガキがあんたの助手だって?」
守衛は不審がる様子を隠そうともしない。
「はるばる日本から来たんだ。イギリスでの警察組織の在り方を勉強するためにな。ちょっと先に行ってもらっていたんだが、図書室に入るのに許可が必要なのを伝え忘れていた」
「……あんたの言うことを疑うつもりはないが、さっき追い返したときにアイツはそんなことを一言も言わなかったぞ」
「お前さん出身はマンチェスターだったか? 訛りがきついせいでわからなかったみたいだぜ?」
レインが光正に目配せをする。言葉がわからないふりをしろ、と。
それを受けて、光正はへこへこと曖昧な笑みを浮かべながら何度か頭を下げて見せる。
「ちっ。あんたも大変だな」
「しがない公僕だからな」
レインが親指を図書室の入り口へと向ける。光正はレインの元へと走りより、わざと下手くそな発音で、サンキュー、と言うのを繰り返しながら守衛の目の前を通り抜けた。
*
「え。いないんですか!」
図書室の真ん中で素っ頓狂な声を上げた光正に、司書達が人差し指を口に当てて静かにするように、とたしなめる。光正は慌てて自分の口を塞ぐ。
「なんだ。お前さん、本じゃなくて人がお目当てだったのかい」
レインが涼しい目で光正を見やる。
図書室に入ってからは、レインは真っ直ぐに司書達のいる中央のカウンターへと向かった。光正も目的地は同じだったので、おとなしくそれに追随した。
「いや、まぁ、その……マルティンさんにここに日本人がいると聞いて」
「あぁ、なるほど。故郷が懐かしくなったか」
「そういうのでもないけど……」
なんと言い訳したものか。とにかく光正にとってはばつの悪い事態である。
「まぁいいさ。で、魔導協会関連の資料を管理しているのは、サムなんだな? あの侍のサム」
レインは対応してくれている司書にもう一度確認する。
「ええ。それらはサムが一括で管理しています」
「わかった。それで、サムは今席を外している、と」
レインの言葉で、光正はもう一度がっくりと肩を落とした。せっかく中に入れたと思ったのに、肝心のサムが不在とは。
「いつも遊びに来る男の子と外へ出たので、しばらくすれば戻ってくるとは思いますが」
仕事かと思ったら、誰かと外にサボりに出ているらしい。なんかいい加減な奴だなぁ、と光正は思った。
「そうか。そこまで急ぎの用でもないから、出直しても構わないか」
レインはここでサムを待つ気はないらしい。余計に光正は暗澹たる気持ちになる。
「ちなみに一つ訊いておきたいんだが、いつも遊びに来る男の子、っていうのは誰だ?」
捜査官の習性なのか、レインは尋ねた。
「えっと、リオ・ショーという男の子です」
「あぁ、なるほど。あの子か」
その名前にレインは納得した様子で頷く。
「そのリオって人、知ってるんですか?」
好奇心で光正はレインに尋ねてみた。
「あぁ。お前さん、サムが十年以上前の記憶を失っているというのは知っているか?」
「はい。マルティンさんから」
「その記憶を失ってロンドンの街で倒れていたサムを最初に発見したのが、リオ・ショーという当時五歳の子供だ。だからまぁ、リオはサムにとって恩人ということになるな」
「へー、そんなことが」
「それからリオの家族が警察に届け出たが、結局は身元はわからず。しかしながら、一度読んだ本は内容を全部記憶するという特技があったことからリオのじいさんの紹介でここの司書として働き始めた、というわけさ」
「レイン警部補、詳しいですね」
すらすらと過去の出来事を述べるレインに光正は感心した。
「そりゃそうさ。十年前、新米だった俺が初めて担当した事件だったからな」
*
「この二文だが、同じ動詞が連続している。ここの表現は考え直した方がいい。あと、この段落だ。三人称だが、同じ段落内で視点がばらばらに動いている。この段落は視点によって二つに分けるべきだ。それから、この部分。一つの文が長くリズムが悪い。ここも二つに分けるか、もしくは思い切って表現を変えてしまった方がいいと思う」
「なるほど……」
サムが指さす場所を追いながら、リオはサムの指摘を書き留めていく。
二人のいるいつもの場所――大英図書館の裏道にある木陰は、人通りも少なく静かで、道の両端にある切り株が椅子のようになっていることから、サムとリオの二人にとってお気に入りの場所だった。魔導士見習いであるリオは、ここでサムに魔導書の添削をしてもらうことがほぼ日課となっている。
「さすがサムさんですね。指摘が正確だなぁ」
小さなノートとペンを手にリオは感心した様子で頷く。
「いや。オレは技術的な部分を指摘しているだけに過ぎない。全体的な言葉の選び方、リズム、プロットについては、特に指摘すべきところはない」
謙遜ではなく、至極当然のようにサムは言った。
「いや、でもやっぱりそういうのを見てくれるのは、ありがたいですよ」
「……リオは学校に行っているんだろう? そっちの先生は指摘してくれないのか?」
「確かに授業とかはありますけど……」
そこで言葉を切って、リオはばつが悪そうに笑ってみせる。
「サムさんの方がよっぽど指摘が正確で、自分としても納得できるものなんです」
「オレは図書館の一司書に過ぎないが」
「いやいや! 読書量とか、それに基づく知識とか本当にすごいですし、なんていうか、なんでも知っているような気がします!」
「まるでアカシックレコードのような言われようだが、そこまでではない。たかだか十年分の知識だ。この星の命にとっては、瞬きにすらならないほどの、短い時間だ」
半ば自嘲気味にサムは言う。
「いや、サムさんの十年は人の十年とは違うと思いますよ! あ。十年と言えば、話は変わるんですけど、サムさんって、十年前から見た目が全然変わらないですよね」
まじまじとサムの顔を見ながらリオは言った。この世のものとは思えないほどに整った顔立ちだが、さすがに十年も付き合いがあるとだいぶ見慣れてきた。
「人はある程度の年齢を超えればあまり見た目が変わらないというが――オレ自身、自分の正確な年齢はわからないが、それを踏まえると大体三十歳前後となるのだろうか」
「三十歳ですか……なんか、それも信じられないですね」
十年前のサムを思い出しながら、リオは首を傾げた。三十歳前後にしては、ずいぶんと若く見える。
「リオはあのとき五歳か。そう思うと、ずいぶん大きくなったものだ。たかだか十年と言ったが――十年という月日は大きいな」
「ですね……。でも、僕、五歳でしたけど、あのときのことはまだ覚えていますよ」
当時五歳だったリオは、家の周りで遊んでいるときに、強い光を見た。しばしその光は瞬いた後、消えた。なぜ誰かを呼ぼうともしなかったのか、今となってはリオ自身もわからないが、導かれるようにリオはその光の方へと歩いた。そして、光の代わりに、その場に眠るように倒れていたサムを見つけたのだった。
「あそこでリオに見つけてもらえたから、オレは救われた。リオの家族達にもよくしてもらえて、この司書の職まで紹介してもらえた」
「それは僕の力というか……僕はただサムさんを見つけただけで」
「いや。リオがオレを見つけてくれなければ、何も始まらなかったよ」
リオの書きかけの魔導書を閉じながら、サムは目を閉じる。
「でも、あのときは驚きましたよ。流ちょうな英語を喋るから、てっきりイギリス人かと思ったのに、まさか日本人って言われるなんて!」
「それだけは、覚えていたんだ」
サムは苦笑する。他には何も覚えていなかったくせに、自分が日本人であるということだけははっきりと記憶していた。
「ずいぶんと不自然な話だ。おかげで、しばらくは警察の取り調べを受けたり監督下に置かれたりしたな」
「ですねえ。どこかの国のスパイだの、記憶喪失のふりをしているだけだの、禁術で記憶を奪われただの、僕もいろんな噂を聞きましたよ」
「結局は何もわからずじまいさ。自分の名前もな」
言って、サムは立ち上がる。
「けれども、オレはリオに名付けてもらったこの名前は気に入っているんだ」
「あー……」
照れたような困ったような顔でリオも立ち上がる。
「なんか、すみません。僕、日本人と言えば侍だから、侍のサムなんて安直に名付けてしまって」
「いや、いいんだ。オレが日本人だと言ったから、せめて日本にちなんだ名前をつけてくれたんだろう」
サムは満足そうに表情を崩した。彼がこのような表情を見せるのは、リオだけだ。
「それに、スシやサシミなんて名付けられるよりはずっとましさ」
「いくら五歳の僕でも、そんな名付けなんてしないですよー」
スシやサシミと呼ばれるサムを想像してリオは笑った。いくらなんでも、食べ物の名前を人にはつけないだろう。イギリスの感覚でいえば、ポテトとかフィッシュとか、そういう名前に相当するだろうか。
「いや、実際にそういう名前をつけてきそうな奴に会ったことがあるんだ」
「ふふ。その人、よっぽど魚が好きなんですね」
サムはある日突然図書室まで自分を訪ねてきた男の顔を思い出し、そのときの話を今度リオにおもしろおかしく聞かせてやろう、と思った。
*
光正は思う。最初は代筆屋を探すために大英博物館図書室まで来たはずなのに、どうして自分はうさんくさい警察官と一緒に昼ご飯を食べているのだろう、と。
「どうした、赤星。フィッシュアンドチップスはお気に召さなかったかい?」
「いや、そういうわけじゃないんですけどね」
カフェの外にあるテラス席。天気は快晴、日当たり良好。端からは優雅なランチタイムに見えることだろう。
レインはサムが図書室にいないとわかると、さっさと出直すことを決めた。レインがいなければ、光正が図書室で待つ大義名分もない。
光正は、帰ってくるまで待とう、と進言したかったが、それで不審がられるのはごめんだ。特に、このレインという男はどうにも勘が鋭いような気がする。
そうやって外に出た後、レインの方から「昼飯をおごってやろう」と言ってきた。正直、文無しの光正にとってはありがたい申し出である。あのままマルティンの研究室にいれば、昼ご飯の当てもあったかもしれないが、そんなことはつゆとも考えず外に飛び出してしまった。というわけで、光正には断る理由も意義なく、お相伴にあずかっているのである。
「日本人は、こういうとき昼飯にどんなものを食べるんだ?」
フォークでポテトを刺しながらレインが尋ねた。
「そうだねえ。きつねうどんとかかなぁ」
「狐? こいつは驚いた。日本人は狐の肉なんて食うのかい」
レインに言われて、光正はぶるぶると首を横に振った。
「いや、違う違う。きつねうどんに入っているのは、油揚げっていって、えっと……豆腐を揚げた奴が入っているんだ」
「豆腐? それがまたなんで狐になるんだ?」
「日本では油揚げは狐の好物って言われているんだよ。だから、油揚げを使ったお寿司は稲荷寿司って呼ばれてるし」
「イナリ? そいつは一体なんだい?」
「ああ、えっとねえ……お稲荷様は狐の神様なんだ」
光正の説明にレインは愉快そうに膝を打った。
「日本人はなかなかにおもしろい名付けをするな。なるほど、きつねうどんに稲荷寿司か。機会があれば、俺も食べてみたいもんだ」
「こんな話をしちゃったから、僕も日本食が懐かしくなってきたよ……」
日本を発って二か月弱。醤油と出汁の味が恋しい光正だった。
「っと。赤星、金を置いていくから、こいつで会計をしておいてくれ」
「え。ちょっと、どうしたのさ?」
何の前触れもなくレインは席を立ち、硬貨を数枚テーブルの上に置いた。そのまま外套を羽織り、テラス席の柵を跳び越える。
「あーもう! 待ってよ!」
光正は慌てて残りのフィッシュアンドチップスを頬張ると、ウェイターにテーブルの上を指さし、釣りは要らないと手を振って、レインの後を追う。
レインは真っ直ぐに通りを歩く一人の少年に向かって駆けているようだった。
「ちょっとすまないが、お前さん、リオ・ショーだな?」
光正がレインに追いついたとき、レインはその少年に声を掛けていた。声を掛けられた少年は不思議そうな顔をして、レインを振り返る。
「あ、はい。僕がリオですけど……」
返事をしつつ、リオは首を傾げる。声を掛けてきた人物にも、声を掛けられた理由にも、心当たりがない様子だ。
「俺のことは覚えていないかい? まぁ、あのときお前さんは五歳。覚えてないのも致し方ないか」
「覚えてないかって……あ! 警察の人!」
リオはレインの顔を左手で指さして、右手で口を覆った。
「覚えていてもらったようで、何よりだ。では改めて。俺は、ロンドン警察のレイン警部補だ」
「はいはい! 名前は覚えていなかったですけど、レインさんの顔は覚えています! すごく身長が高くて印象的でしたし」
「なにせ十年前のことだ。覚えられていなければどうしようかと思ったが、よかったぜ」
「ちょ、ちょっと待って!」
談笑する二人の間に光正が割って入った。
「この人がリオ・ショー? 当時五歳で、記憶喪失だったサムの第一発見者だっていう?」
光正は二人の顔を見比べながらレインに確認した。
「お前さん、ちらっと話しただけなのに、なかなか記憶力がいいじゃないか」
「茶化さないでくださいよ」
口を尖らせながら、光正は今度はリオの顔を見た。よく見ると、骨格なんかは男のそれであるが、顔立ちといい雰囲気といい、まるで女子のような柔らかさを感じさせる。もし日本で生まれていたら、いい女形の役者になっていたかもしれない。
「あ、ええと。こんにちは、はじめまして」
「あ。ごめん。ええと、こちらこそはじめまして」
状況がわからないなりにも、リオは光正に挨拶をした。見た目に違わず礼儀正しい少年のようである。
「あの……警察の方が僕に声を掛けてきたというのは、えっと、どういうご用件でしょうか?」
「あぁ。実はお前さんに用があるというよりかは、サムの方に用があるんだ」
「え! サムさんについて何かわかったんですか!」
リオがレインに向かって前のめりになったので、光正は間に挟まれて潰されるような形になっている。
「いや。俺が用があるのは、記憶喪失のサムではなく、司書としてのサムだ」
「はぁ」
期待がはずれたせいで、目に見えてリオは落胆した。
「変に期待させちまったようで、すまなかったな」
「いえ……僕の方こそ早とちりしちゃって」
間に挟まれながら、あのレインが茶化さずに素直に謝るとは、と光正は思った。
「さっき図書室の方に行ったんだ。そうすると、サムがお前さんと一緒に外へ出た、という話を聞いてな。で、今はお前さん一人なのかい?」
「はい、そうです」
リオは真っ直ぐにレインを見て答えた。
「サムと一緒だったていうのは?」
「あぁ。えっと、さっきまでは一緒に僕の魔導書を見てもらったりしていたんですけど、さっき別れて。それで、僕はまた図書室に戻ろうかなって」
「え? 図書室に戻るのに一緒じゃないの?」
話を聞いていた光正が素っ頓狂な声を上げた。
「あ、はい。サムさんは別れ際、別に用事があると言って別の場所へ」
「その場所に心当たりは? どこに行くって言っていた?」
「いえ。僕は特に何も聞いていないです」
「ってことは、またはずれか……」
光正は落胆の色を隠さずその場にへたり込む。おそらくレインもリオに訊けばサムの居場所がわかると思ったのだろうが、その目論見ははずれたわけだ。
しかし、レインの方は落胆の色は一切見せず質問を重ねる。
「ほう。それはわかったぜ。ちなみにサムに変わった様子はなかったか?」
「いえ。特には思い当たらないです」
「そうか、わかった。呼び止めてすまなかったな、お前さん」
「いえ。僕の方こそお役に立てずすみません」
リオは丁寧に頭を下げる。本当にレインのような人相手にも礼儀正しくて律儀な人だな、と光正は思った。
「ちなみにお前さん、一応これは捜査の一環だから、俺がお前さんに声を掛けたことは誰にも言わないでくれ。もちろん、サムや他の司書達にもな」
レインが釘を刺したとき、リオは何かを思い出したように手を打った。
「あ! 思い出しました! そういえば、サムさん、別れ際にちょっと変なことを言っていました」
「変なこと、だって?」
レインの目が鋭さを増す。飄々と捉えどころのない風を装っているが、やはり捜査官だ。
「ええ。サムさんは、これからオレは別の場所に寄る用事があるって」
「ほう。それで?」
「で、それから、なぜか僕に『念のために言うが、オレの後にはついてこないでくれ』って。そのときは何かプライベートな用事があるのかな、って特に気にしなかったんですけど」
リオの発言に、レインと光正はお互いの顔を見合わせた。どうやら、なにもない、わけではなさそうだ。
光正は内心代筆屋に近づいた手応えに興奮しつつも、同時に警察官であるレインもまたサムに近づいていることに一抹の不安を覚えた。