Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第6話

 路地裏はドブと汚物の臭いで溢れている。イーストエンドオブロンドン。大英博物館からは東へ徒歩三十分程度の距離だ。十九世紀ロンドンの中でも貧困層がひしめき合う街。そして、切り裂きジャックによる被害者が発見されたのもこの場所だ。

 サムは表情を変えることなくその路地裏の暗い道を歩く。道の端に浮浪者が溜まっているが、彼らが何かをしてくる気配はない。ただその場に腰を下ろして、植物のように息をしている。

 サムはリオと別れた後、一度、鞄を取りに家に戻った。二十冊近くの本が入った鞄は、掛けた肩に食い込むが、サムはそんなことは全く意に介さずに、このスラム街を進む。

「おい、兄ちゃん!」

 サムの行く手を長髪で汗と埃にまみれた饐えた臭いのする男が遮った。サムは男には視線を向けずに、辺りの様子を窺う。男が行く手を遮るとほぼ同時に、男の仲間達がサムを取り囲んでいた。

 ある程度予期はしていたトラブルに、サムはため息をつく。

「ずいぶんと綺麗な顔と身なりだな? こんなゴミためを歩いて、どこへ行くんだ?」

 サムに話しかける男には、二本の前歯がなかった。

「無視かよ。まぁ、いいけどよ。ここを通るなら、通行料が必要なんだわ。おとなしく有り金とその服を置いていきな」

 実にわかりやすい強盗だ。こんなところをほっつき歩いていてごろつきに出くわすのは、藪を抜けようとすれば蜂に会うくらいの話だ。

 男の仲間達はじりじりとサムとの距離を詰め逃げ道を塞いでくる。道ばたの浮浪者達は、変わらず植物のように動かない。穴ぼこのような目を胡乱にサム達に向けているだけだ。

「お前達は、どこかのファミリーに所属しているのか?」

「はぁ? それが一体どうしたってんだよ」

 この状況下でサムが発した言葉が意外だったのか、男は不審そうに目を眇めた。

「この辺りの顔役がいるだろう? そいつとはどういう関係か、と訊いているんだ」

 サムは質問を重ねた。

「うるせえよ! 金を出すのか出さねえのか、どっちだ、あぁ? ぶっ殺すぞ! ……いや、そういやお前、綺麗な顔してるよなぁ。とっ捕まえて、そういう趣味の変態にでも売り払うってのも有りなんだぜ?」

 ろくでもないが、これがスラムというものだ。サムは小さく息を吐く。もしかしたら、自分もリオに見つけてもらえなければ、ここにこうしていたのかもしれない。

「悪いが、お前達と話をする気はない」

 サムは鞄を地面に置き、懐から魔導書を取り出す。

「てめぇ、魔導士か!」

 サムが魔導士であることを理解した男たちは一斉にサムめがけて突進した。魔導士に魔法を使わせないためには、魔法が発動する前に魔導書を奪い取る必要がある。それは、このスラム街で生きていた者達の、生活の知恵、だった。

「悪いが、もう遅い」

 

 闇の静寂に光の筋が揺れる。ここは夜ではない。ただ現世の光から隔離された塵溜めのような場所なのだ。そこに巣くう男たちは奪う。死骸にたかる蟻のように。そして、男たちは眠る。根腐れをした草木のように。深く、深く、ヘドロの底のようなこの場所で

 

 糸の切れた操り人形のように男たちは全員前のめりに倒れた。その様子を、サムは上から睥睨する。

「危害は加えない。おとなしく、寝ていろ。もっとも、風邪くらいは引くかもしれないが」

 一瞬のうちに男たちを襲ったサムの魔法。意識を刈り取られるように、男たちは泥のような眠りの中に沈められていた。

 道の向こうから拍手の音が鳴り響く。サムはそちらに視線を向けると、魔導書を構えた。

「いやー、さすがは先生じゃ。まげな魔法じゃのう」

 拍手をしながら道の先の暗闇から姿を現したのは、少年だった。身長はそんなに高くはない。このスラムにいるにしては、身なりは綺麗だ。そして、その快活そうな笑顔は、リオと同い年くらいの印象をサムに与えた。

「お前は、誰だ? なぜここにいる?」

 サムは少年に尋ねる。少年自体に不審な点は見受けられないが――そのような少年がこんなスラムの底にいること自体が不審なのだ。

「いや、なに、先生に敬意を表して――いや、ちゃうのう。ほれ、あれじゃ。礼儀じゃ、礼儀」

「礼儀? 要領を得ないが」

 サムは周辺の気配に神経を尖らせる。間違いなく、囲まれている。しかも、今度はこのごろつきどもの日ではなく、数十人単位でいそうだ。

「ほうかのう? ワシが注文したもんは、ワシが出向いて受け取るんがスジじゃろ」

 少年の言葉にサムは目を見開く。まさか、と思う。足元に置いてある鞄。その中身は代筆を依頼された魔導書。それを受け取りに来たということは――

「まさか、お前が六代目の――Dなのか」

 少年は笑いながら何度も何度も頷いてみせる。

「ほうじゃ、ほうじゃ。ワシ、こんなナリじゃけえ、みんな信じてくれんのよ」

 こんな年端もいかない少年が、このイーストエンドロンドンを牛耳るマフィアの六代目だとは、サムには理解は出来てもそれを信じることは出来なかった。

 

 

 サムが代筆屋を始めたのは、自分を知るためだった。

 この能力を発見したのはただの偶然だった。サムがまだリオの家に厄介になっていたとき、リオの従姉妹が遊びに来た。訊けばその従姉妹も魔導士だという。サムは興味本位で彼女の魔導書を読み、本当に特に何か理由や目的があったわけではないのだが、未完成だった魔導書の続きを書いた。そのときは何事もなく彼女は自分の家に帰っていったのだが――その後、学校の授業で、彼女自身も想定すらしなかった規模の魔法を発動させてしまったとサムはリオ伝手に知った。そのときにサムは理解した。自分が、彼女の魔導書を『代筆』してしまったということを。

 魔導書は、使う本人が書いたものでなければその効果を存分に発揮でない。相性があるからだ。文体、語彙、表現の癖、言葉の誤用――そういった要素が魔導士本人と適合しなければいけない。ゆえにどの魔導士も、魔導書を代筆する、ということは試しすらしていなかった。

 しかし、サムには魔導書を代筆することが出来た。人の書いた魔導書を読み、その特徴を読み取る。そして、それを自由自在に再現することが出来た。当人が理想とする言葉を、文体を、サムは作り出すことが出来た。

 おそらくはサム自身の一度読んだ本の内容を暗記できる特殊能力に根ざしてはいるのだろう。しかし、それだけでは説明できない部分も大きかった。人とは違う――つまり、それはサムの個性ということ。そして、それを知ることは、サム自身の秘密に迫るということ。

 司書として働く傍ら、サムは魔導書の代筆を行わせてくれる人間を探した。口が堅く、出来ればその後で遠くに行ってしまうような人間が最も望ましい。そう言う意味で、今までで一番よかった客は、日本に行くと言っていた貿易商だった。その男には、何かの手がかりでも掴めればと考え、つい自分が日本人であることを話してしまったが――まぁ、さしたる問題は起こるまい。

 あと自分自身の過去について調べるためには、金が必要だ。魔導書の代筆という行為は、前例がないため明確に法律で違法と明記されてはいないものの、そのような行為を魔導協会が許すわけがないだろう。禁忌は高く売れる。

 そうやって代筆屋をしていたサムに、一週間前一人の男が接触してきた。どこからどう情報が漏れたのかはわからないが、その男はイーストエンドを縄張りとしているマフィアの人間だと名乗った。そして近々起こる抗争のために、二十冊程度、魔導書の代筆を依頼したいと。

 サムに断るという選択肢は許されなかった。相手はマフィアだ。協会や警察とは違う。言うことを聞かなければ、どんな報復に合うかはわからない。サム一人ならば魔法で切り抜けることも出来るかもしれないが、リオやその家族に危害が加えられてしまうかもしれない。

 仕方なくサムはその依頼を受け、二十冊の魔導書を代筆した。そして、あらかじめ依頼してきた男に指示されていたとおり、魔導書をイーストエンドロンドンまで運んできたのだが――

 この辺り一帯を支配するマフィアのボス、通称D。人々の噂から、最近六代目に代替わりしたと聞いてはいたが。

「ほいじゃ、先生。ブツを渡してもらおうかのう」

 サムは鞄を持ち上げ、それをDに手渡した。

「一応、中身は改めさせてもらうけえ。ちょっくり待っとてくれや」

 Dは鞄を開き中の魔導書の数を数える。

「この一週間でよぉ出来たのお。さすがは先生じゃ」

「……先生と呼ぶのはやめてくれないか?」

「なんでじゃ? 先生は先生じゃろ」

「オレは魔導士でも作家でもない」

 サムはため息をついた。つくづく、この無邪気で明るい少年がマフィアのボスとは信じられない気持ちになる。

「……こんな大量の魔導書を使って、何をするつもりだ?」

「そんなん決まっとるけえ。かちこみじゃよ、かちこみ。今晩から抗争の幕開けじゃ」

 とてもそんな物騒な話をしているとは思えないほど、Dの笑顔に屈託はない。こんなスラムの中でごろつきどものボスをしていると言われるよりも、リオの友達と紹介される方がよっぽどしっくりくる。

「ワシんとこにも魔導士はおるんじゃけど。ほれ、どいつもこいつも協会の連中と比べたら落ちこぼれじゃからのう。こうでもせんと心許ないんじゃ」

「お前達は……一体何をするつもりなんだ」

「先生。それは興味をもたんほうがええ」

 一瞬、Dの瞳に修羅場をくぐり抜けてきた人間のすごみが垣間見えた。そのことにサムはたじろぐ。

「先生には世話になったからのう。言うといちゃるわ。今晩、ロンドンの街中に出ん方がええ。ちいとばかしドンパチやるかもしれんからのう」

 Dは魔導書の入った鞄を担ぎ、元来た道へと歩き出す。それと同時に周りにいた人間の気配も移動するのが、サムには感じられた。

「あぁ、そうじゃ。そいつらはそのまま転がしといたらええ」

 Dは笑いながら、先ほどサムが眠らせたごろつきどもを指さす。

「じゃあの」

 手を振りながら、Dは去って行った。いつの間にか、サムの周りにいた人間の気配も消えている。

 サムは狐につままれたような顔でしばらくたたずんでいた。そして、やがてこの街に恐るべき事態が迫りつつあることを肌で感じていた。

 

 

 夜。光正はマルティンの家の二階にある一室にいた。

 あれからレインと別れ、光正は再び大学の研究室に戻った。そして、マルティンの仕事が終わるのを待って、彼と一緒に彼の実家に行ったのである。マルティンの母は突然の来客に驚いていたが、その日は奮発した素材で彼らのルーツであるというスペイン料理で歓待してくれた。

 提供されたマルティンの子供の頃の服を寝間着として、光正はベッドに座り窓から空を眺めている。

 あの後、光正はレインにロンドンで起きている連続殺人事件がどんなものかを尋ねた。

 最初の犯行は1887年の終わりだったという。一人の娼婦が喉を掻き切られて死んでいるのが発見された。そしてそれから1888年の今に至るまで、ロンドン市内で何人もの死体が発見されたのというのだ。切り裂きジャック――そう名乗る男からの手紙が新聞社に届いたのは、何人もの娼婦が殺された後の1888年の九月だった。彼は自らが娼婦達を殺したという犯行声明を出した。この一件はイギリス社会にセンセーショナルに受け止められ、混乱の火種がくすぶり続けている。

 しかしながら、レインはこれまでに起こった犯行の全てが同一人物の手によるものであることには疑問を呈した。一週間前に起こった殺人事件――今日、レインがマルティンに協力を求めた事件――では、マルティンが『サメに襲われた死体』と見立てたように、凄惨な有様だった。初期の『喉を切り裂いた』犯行とは大きく一線を画している。

 ゆえに警察内部での見方も混乱しているそうだ。そもそもこれらの事件が連続しているのか、それとも複数の模倣犯によるものなのかすらもわかっていない。その上で、怪物騒動まで持ち上がってきた。ここ最近のロンドンの霧は濃い。そこに加えて連続猟奇殺人事件なんて起こっているものだから、そのようなデマが流れるのだろう、というのがほぼ警察の公式な見解とみて間違いないらしい。

 しかし、レインは言った。これらの事件が同一犯によるものかはわからない。だが、少しずつ、何か恐ろしい悪意のようなものが成長しているように感じられる、と。

 光正は窓から月を見つめた。

 月は赤く血の色のように染まっている。ブラッドムーンだ。

 今夜、全ての歯車が動き出す――

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