Write to reach you ~希望の暁~   作:けんごち

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第8話

 何かが壁に激突した音、そしてそれに続く得体の知れない叫び声に男は思わず魔術書を抱え立ち上がった。一体何が起こったのだろうと、男の意識は考えをまとめようとするが、まるで水を手で掬うように混乱で考えは形を失い消えていく。

 怪物怪物怪物怪物――

 男の頭の中にこだまするのは、その言葉だけだ。

 こうなれば代筆屋の手によって書かれた魔導書だけが頼りだ。男は手先を震わせながらも魔導書を広げ、体勢を低くし猫のように辺りの様子を窺う。

 手元にあるランタンに火をつけようか、しかしそれでは怪物の目印になるだろうか。暗闇の中で息を潜めるべきなのか、それとも魔術書を掲げ雄々しく待ち構えるべきなのか。結局、男の考えは何一つまとまらないまま、ただ時間だけが過ぎていく。逃げ出すにも、どこへ逃げ出せばいいかわからない。

 男の背後で誰かが立ち止まる足音が聞こえた。刹那男は叫び、背後へ向かって魔法を放つ。今まで出したことのないような、強烈な炎の魔法。一本の火柱が真っ直ぐに暗闇の中を飛ぶ。

 

――昔々のことです。一羽の鳥が神様にお願いしました。その鳥は青い顔に大きなトサカ、そして炎のような赤い喉、そして何よりも飛べない翼を他の鳥たちに笑われていました。哀れに思った神様は、飛べない代わり早く走れる脚をあげました。その鳥は火を食べることで、三日三晩も走り続けることが出来るようになったのです。

 

 男がそれが魔法だと気づく間もなく、火柱が空間に飲み込まれて消えていく。あまりにもあっけないその様に、男は口を開けたまま立ち尽くすことしか出来ない。

「チャック童話、ヒクイドリのお話。いかがでしたか?」

 近づいてくるにつれ、ランタンの灯りがその優美な姿を照らし出す。炎を浴びせられたにもかかわらず、涼しげに笑うその人物。それは――

「協会の検閲官だと!」

 男は叫んだ。全くもってして予想外の人物が現れたからだ。

「いきなり人に向けて魔法を放つとは、中々に乱暴な方ですね。そんな乱暴者には、こういうのはいかがでしょう?」

 チャックは優美な笑みを崩さずに、魔法を唱える。

 

――妖精の国に現れた乱暴者に神様は言いました。私はこの鎖でお前を縛り付ける。悪いことを考えなければ、この鎖は重くもなく痛くもない。しかし、お前がもし悪いことを考えでもしたら、そのときはこの鎖は岩よりも重く、そして万力のように強くお前の体を締め付けるであろう、と。

 

 男の腰の周りに鎖が現れ、それが男の腰に回る。

「悪いことは考えない方が、貴方自身のためですよ」

 口調は慇懃ではあるが、やっていることには容赦のかけらもない。チャックはゆっくりと男に歩み寄ると、男の魔導書を取り上げる。

「貴方はこの魔導書をどこで手に入れましたか?」

 チャックの質問に男は首を振る。その様子に、チャックは短くため息をついた。

「手っ取り早くいきましょう。貴方のこの魔導書は代筆屋によるものですか?」

 男は目を見開く。協会の検閲官が現れた時点で、用件はこの魔導書にあるとはすぐに察せられたが……。

「そうだ」

 諦めた様子で男はうなだれた。検閲官相手に程度の低い嘘は通じない。

「おや。いきなり魔法を撃ってきた割には、素直ですね」

「検閲官相手に嘘が通じないことは知っている」

「それは手間が省けてなによりです。では、質問を続けます。この代筆屋とは、誰ですか?」

 チャックの質問に男は首を横に振った。

「それは知らないんだ。嘘だと思うなら、魔法でも何でもかけてみるがいい」

 しかし、男の答えにチャックは失望しなかった。これまでの代筆屋の動きから、間に仲介者もしくは直接接触しない工夫をしていることはわかっていたからだ。

「では、質問を変えましょう。貴方は、この魔導書を誰から受け取って――」

 そこまでチャックが喋った瞬間、チャックの背後の十字路から何かが飛び出してきた。思わずチャックは質問を打ち切り、魔導書を背後へと構える。

 男の仲間か、それとも怪物か。しかし、チャックの視界に飛び込んできたのは、意外な人物の顔だった。

「レイン警部補!」

 転がるようにして路地裏に出てきたのは、チャックの見知った警察官だった。どこをどう走り抜けてきたのか、彼のえんじ色のコートは埃にまみれところどころがほつれている。

 額に前髪を汗で張り付かせながら、レインはチャックを見上げた。

「よう、ロウ検閲官。こんなところで会うとは奇遇だな」

「何をやっているんですか……しまった!」

 チャックは慌てて捕らえた男に向かって振り返った。魔法は、意識の集中で維持する。つまり、レインに気を取られてしまった今、チャックのかけた拘束魔法が解けてしまった。

 拘束が解けたことに気づいた男は身を翻し一目散に走り出す。

「待ちなさ――」

「危ねえ!」

 追いかけようとしたチャックの体をレインが引いた。チャックはその勢いで地面に尻餅をつく形になる。その直後、一つの光の線が、チャックの手にしていた男の魔導書を打ち抜く。真ん中に空いた黒い穴から紅い炎が立ち上がり、瞬く間に男の魔導書を包む。

「仲間がいたのですか!」

 燃え上がる魔導書を一瞥し、チャックは狙撃を受けた方向を睨む。しかし、深い霧に包まれ、そこにいるはずの魔導士の姿は視認できない。

「追いかけなくては」

 ならば逃げ出した方の男を追うまで。チャックは立ち上がり駆け出そうとした。

「待ちな」

 しかし、レインが後ろから腕を回し、チャックの体を捕らえた。

「何を! そもそも貴方が割って入ってきたせいで」

「そいつはすまなかったな。だが、闇雲に走らない方がいい。化け物がうろついていやがるからな」

 レインの落ち着き払った言葉にチャックは驚愕を隠さなかった。

「まさか、貴方は」

「あぁ。ついさっきそいつに襲われて、命からがら逃げてきたってとこさ。口の中に拳銃の弾をぶち込んでやったが、まぁせいぜい喉に針でも刺さった程度だろうよ」

 チャックは体の力を抜いた。いや、力が抜けたと言った方が正しいかもしれない。

「あの魔導士は、私の姿を見るやいなや魔法を撃ってきました。奴も、この怪物騒動に関係があると?」

「さァな。それは俺にはわからん。ただ、この深い霧だ。お前さんだとわかっていて撃ったわけではないかもしれないな」

「……あの男は怪物に怯えていた、と?」

「その可能性もある」

 レインはチャックの体を離す。チャックは服装を整えると、改めてレインに向き合う。

「なんにせよ、化け物が本当にうろついていることがわかったんだ。この場所からは離れた方がいいだろう。今まで、建物の中で襲われた前例はないからな。どこかに逃げ込めば安全かもしれん」

「仕方ないですね。しかし、男は取り逃がし、代筆屋の手による魔導書は灰に……。なんの成果もなしですか」

 チャックは燃えかすとなった魔導書を睨みつける。代筆屋に繋がる大きな手がかりを得られたはずだったのだが。

「何の成果もなかったわけではないさ」

 しかし、レインは言った。

「少なくとも、化け物が実在することはわかった。そして、お前さんが尋問していたあの男――あいつの顔は知っているぜ。あいつはDのところの魔導士崩れのチンピラだ」

「D、ですって?」

 耳慣れない符牒にチャックは怪訝な表情を浮かべる。

「あぁ。イーストエンドロンドンを仕切るマフィアのボス。そいつの通称さ」

 なんということでもない、というようにレインは言い切った。

「奴らのヤサはわかっている。明日にでもそこへ行ってとっ捕まえてやればいいさ」

 

「レイン警部補を襲った」

 双眼鏡をのぞき込みながら無機質にフィリップは告げた。屋上の縁に座っていたジョナサンが、興味深そうにフィリップに笑いかける。

「へぇ! 当たりを引いたのは警察かい。で、どうなったの?」

「怪物の口の中に棒状のものをたてかけ、口の中に拳銃を撃ち込んだ」

「痛そうだね。それで?」

「迷路のような路地裏を走り抜け、うまく逃げたようだ」

「なるほど。この間のアジア人旅行者のときもそうだったけど、路地裏を細かく逃げ回られると追いつけないみたいだね」

「そうだな。アレは目に触れた者に襲いかかるだけだ。視界から消えた者を追いかけはしない」

 ジョナサンは立ち上がり、尻についた埃を払う。

「では、僕たちもそろそろ怪物狩りといこうか、フィリップ」

「もういいのか?」

「あぁ。警察に嗅ぎつけられたとなったら、ちょっと面倒だからね。その前にこっちで仕留めてしまおう」

「了解」

 その一言と共にフィリップは魔導書を開く。

 

――それは鋼鉄で出来たヤギだった。ヤギはその優れた身体能力で、崖のような壁さえも登ってみせる。その機械も同じく、そのキャタピラーは壁を噛み、壁面を自在に走ることを許す。そしてそのサスペンションは、例えタワーブリッジから落ちたとしても傷一つ付くことはないだろう。ただ一つ、ヤギとは違う点を挙げればそれは――肉食獣のような獰猛さをもって大地を駆けることだった。

 

 フィリップの言葉と共に一つの大きな機械が形作られる。彼はヤギと表現したが、それはまるで戦車のような姿をしていた。

「ひゅう! これはすごい! このままこのビルを下れるのか?」

「あぁ」

「よし。なら運転は任せてくれ。振り落とされないようにしてくれよ!」

 おもちゃを与えられた子供のような表情でジョナサンは運転席に乗り込む。大してフィリップは無表情のまま助手席に乗り込み、双眼鏡を構えた。

「南南西、距離は三百ヤード」

「了解!」

 ジョナサンはアクセルを踏み込む。それと同時に車体は直滑降をする。

「ははは! これはまた刺激的だ!」

 そのまま地面にぶつかった衝撃でジョナサンとフィリップの体が浮く。

「フィリップ、怪我はないかい?」

「ない」

「そりゃそうか。僕が無事なんだからね! じゃあ、追いかけるとするか」

 車体は地面を削るようにして霧の中を這うように疾走する。

「右へハンドルを切ってくれ」

「了解」

 フィリップの指示に従い、ジョナサンは車を操る。本来ならこんな濃い霧の中、まともに運転できるはずはないのだが、フィリップ正確な指示がそれを可能にしていた。

「距離、あと二十ヤード。正面だ」

 フィリップが告げるとほぼ同時にジョナサンの視界にも怪物の巨体が捉えられた。怪物の目が二人の乗った車体の姿をはっきりと捉える。

「さっき警察官を襲った場所とほぼ近いね」

「あぁ、あまり移動はしていない」

 怪物を目の前にして、少し脳天気過ぎる位の調子で二人は会話する。その距離はもう五ヤードもない。

「さて、来るよ、フィリップ」

「任せてくれ」

 一瞬、車体に驚いたような様子を見せた怪物であったが、そこに二人の人間が乗っているのを認めた瞬間、迷わずに口を開き襲いかかってくる。

 

――それは空間を割き、例え数千ヤード離れた彼方へでも正確に照準を定めることを許した。鋼鉄で出来た銃。しかし、それは銃と呼ぶにはあまりにも異形過ぎた。銃身の外径は二フィートにも達する。その破壊力はまるで、神々が地に落とす雷のようであった。

 

 開いた怪物の口は、フィリップが顕現させた巨大な銃身を飲み込んだ。口を閉じることもままならないまま、化け物の鼻先だけがフィリップの目の前へと迫る。

「先ほどの銃弾とは、文字通り『一味』違うぞ」

 フィリップの言葉と同時に放たれた弾丸が怪物の脳髄を貫いた。その衝撃に怪物は後頭部から地面にたたきつけられる。頭の後ろ半分を吹き飛ばされ、即死していることは明らかだった。

「さすがフィリップ」

「単純に目標めがけて口を開けて襲ってくるだけだ。対応は非常に容易だった」

「そうかい? 警察官は手も足も出ず命からがら逃げ出しただけだったていうのに」

 車から降りて、ジョナサンは怪物の死骸を見下ろす。

「こんなにあっさりと始末してよかったのか?」

「実験って言っているだろう、フィリップ」

 霧に包まれた暗闇の中、ジョナサンの額にある蜘蛛のタトゥーが鈍く光る

「力は十分だったが、知性が足りなすぎた。失敗作だよ」

「失敗作、か」

「あぁ。フィリップ、君にはわからないかもしれないが、作家は失敗作を衆目に晒したくはないんだ」

 失敗作と呼ぶが、ジョナサンの表情にはある程度の満足が見て取られる。

「警察官に目撃されたが」

「かまいはしないよ。証拠がなくなれば、それはただの噂だ」

「わかった。後始末はしておこう」

「よろしく」

 ジョナサンは悪戯っぽく笑いながら、魔導書を懐から出す。

「実はね、次の『実験』の仕込みももう終わっているんだ。この反省を活かしてね」

 

 ジョナサンとフィリップは霧のロンドンを歩いていた。怪物の死体は、これまで通りフィリップの魔法で跡形もなく焼き尽くした。また、フィリップが顕現させた機械も、彼が魔力の供給を止めればその姿を現世に留めることは出来ない。

「最初は、ただ切り裂くだけだった。けれども、今となってはどうだい? まるでサメのようになんでもかみ砕けるようになったじゃないか」

 いつになくジョナサンは饒舌だ。口では警察官に気づかれたことを不安がってはいながらも、実際にはその事実に彼の精神は高揚していた。

「どんどん、どんどん、進化していっている。僕のやり方は間違ってはいない」

 フィリップは相づちも打たずただジョナサンの隣を歩く。彼が口を開くのは、情報のやりとりをする必要があると判断した場合のみだ。

「アイデアが尽きないんだ、フィリップ。また明日も、協力してもらうよ」

「それは構わない」

 無愛想にフィリップは歩き続ける。

「と、ああーと! しまった、大切な魔導書を落としてきてしまった!」

 急に立ち止まったジョナサンは、そう大声で言いながら大げさに天を仰いで見せた。その様子を、フィリップは全く表情を変えずに見つめる。

「落とした? 置いてきたのではなく?」

「なーんだ、わかってたのか」

 ジョナサンはあざとらしい仕草で口を尖らせる。

「いいのか? 情報の漏洩では」

「いいんだよ。仕込みさ。そろそろ最終段階が近づいてきているからね。ちょっとばかし、趣向を変えるんだよ」

 笑いながらフィリップの肩をジョナサンは叩く。フィリップは迷惑そうな表情も浮かべず、ただなされるまま体を揺らす。

 街の灯に照らされるジョナサンの額には、もう蝙蝠のタトゥーはなかった。

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