麦わらと夜兎 作:人参腎
『僕のたった一人の親友なんだ』
脳裏を過ぎった友人の言葉に、エースはついて来れているかという確認も込め改めて自分を追走するイカゼに視線を送る。
自然系の能力者という自身の特性を加味せずとも、世界最強と謳われる白ひげの船で二番隊隊長を任されているエースは素の身体能力だけで見ても偉大なる航路前半の海賊たちのレベルを遥かに上回っており、全力ではないとは言え悪魔の実の能力を使い縦横無尽に町中を駆け回るエースに追い縋れる存在は楽園と称されたこの海では僅かなものだろう。
『そいつは強ェのか?』
『うん、当時の僕は一回も勝てなかったよ』
今やったら僕が勝つけどね! と根拠のない自信と共に胸を張る友人だが、夜通し
だからこそ、偶々通りかかった店の前でイカゼを見つけた時はまさかとも思ったし、一目見ただけでも実力者だと分かるイカゼを目の前にした時は友人から聞いていた特徴と一致していることからコイツに違いないと考えていたものの───
「(───朱色の髪に菫色の番傘……おれに平然と着いて来れてるし他人の空似とは思えねェんだがな)」
もしイカゼがエースの友人の探している人物であるならばエースは友人から預かっている物を渡さなければならないのだが、如何せん決定的に違う要素が一つだけある。
「(しかし、イカゼなんて名前は初耳だ)」
友人から聞いていた名前と異なるのだ。
もしや偽名かとも考えたが偽名を名乗っているようには見えなかったし、何よりこれから
隠し名があるとは聞いていないし、友人とあそこまで親しそうな関係で本名を教えていないという線もないだろう。
耳に胼胝ができそうなほどに聞かされたその名前をエース自身が忘れるはずもないため、それを考えればどこまで似ていても目の前の人物は友人の探し人ではないのかもしれないとエースは迷い確信に至れないでいた。
「(……ルフィと合流したらその辺含めて聞いてみるか)」
どうやってイカゼと出会いこのアラバスタまでやって来たのか、それを知れば何か手がかりの一つくらいは見つかるかもしれないと結論を下しながら、エースはイカゼが無関係ではないと言う己の直感を信じてナノハナの出入り口を覆うように展開される白煙の中へ身を投じる。
「逃がさねェぞ、麦わらァ!」
「ち、力が抜けるゥ……」
十手を喉元に押し付けられているルフィを目視すれば様々な感情が胸の底から込み上げてくるが、それらを一度隅に置いたエースは能力を駆使して白煙を払い除け、覇気をまとった右足で自身の接近に気づき驚愕に目を丸めるスモーカーの脇腹を蹴り飛ばす。
「久しぶりだな、ルフィ」
「あはは、凄い凄い。あ、ただいま船長」
「エース!? それにイカゼも!」
何が何だか分からないと混乱するルフィの反応に満足そうな笑みを浮かべながら、エースはルフィとその背後にいる仲間たち、そして隣に立つイカゼにナノハナの出口を指差しながら起き上がって来たスモーカーの前に立ち塞がる。
「積もる話はここを出てからだ、海軍はおれが止めといてやるからお前らは先に行け」
「手伝おうか?」
「お構いなく、この程度何ともねェよ」
「おー、言うねェ……それじゃ船で待ってるよ、お兄さん」
「あとお兄さんは止めろ、気持ちわりィ」
イカゼと軽口を叩き合いながらナノハナを後にするルフィたちを見送ったエースは、どうしてお前がここにいると無言の眼差しと共に白煙を漂わせるスモーカーに肩を竦めながら同じように体から炎を放出して相対する。
「色々と事情があってね、見逃してくれると助かるんだが」
「却下だ、麦わら共々大人しく捕まるんだな」
「こりゃ手厳しい」
互いに自然系の能力者。
能力による有効打は両者共に持ち得ないが、スモーカーには能力を封じる海楼石の十手が、エースには自然系の実体を捉える覇気がある。
そして二人は海賊と海兵、出会ってしまったのならどのような相手であろうと戦うのが定め。
「火拳!」
「ホワイトブロー!」
僅かな沈黙の後、炎と白煙が衝突した。
▽
「───そういう訳で、エースと会ったのは本当に偶然なんだよね」
「あんたねェ……よりにもよってこのアラバスタで滅多矢鱈に動き回るのは止めなさいよ、どっかでぶっ倒れたんじゃないかって普通に心配になるから」
エースと出会った経緯をルフィたちに説明し終えると、嘆息したナミから変装とアバラスタの環境を考慮して遮熱性と遮光性に優れた衣装一式を手渡される。
どうやらナノハナでイカゼのためにとビビが買ってきてくれたものらしく、普段着から着替えたイカゼはその性能の高さと普段着以上の動きやすさに素直に感心を露わにしていた。
ちなみに、その横で当然ながらサンジが羨ましさから烈火の如く憤慨しているのは言うまでもない。
「代わりに夜は冷え込むと思うけど、その辺はあんたの方で調整しておきなさい」
「寒さにはめっぽう強い方だからこのままでも問題ないくらいだよ。ありがとね、ビビ」
「ふふ、少しでも力になれたなら良かったわ」
これならいつものように動けそうだと、その上に普段から着用しているフードの付いた羽織をまとったイカゼを見て、そう言えばドラムではコート一つ着ていなかったわね、と周りが寒さに震えている中で身震い一つしていなかったイカゼの姿を思い返したナミは、とことん太陽だけが嫌いなのねェと最早その体質に呆れを隠せなかった。
「───すまねェ、待たせちまったか?」
「エース!!」
各々が準備を整えカルーがビビの密書を手に国王のいるアルバーナ宮殿へ駆けだしていった頃、スモーカーたち海軍の追手を撒いて来たエースがメリー号へとやって来る。
自分たちがあれだけ手を焼いていたスモーカーに傷一つ負うことなく余裕綽々と言った雰囲気で戻って来たエースの姿に、ウソップやナミ、チョッパーは怪物の兄貴は大怪物なんだなとある種の納得を示し、自然系の能力の前に完封を喫していたゾロとサンジは驚愕を、ルフィは改めて示される兄の強さにどこか嬉しそうに笑っていた。
「さっすが、今度俺とも手合わせしてよ」
「そいつァお眼鏡に適ったってことでいいのか?」
「花丸上げちゃいたいくらいだね」
身体能力、悪魔の実の力、覇気の練度───そのどれもが今までの航海の中で出会って来た敵たちとは比べ物にならないほどに研ぎ澄まされているのを傍で見ていて実感したイカゼは、闘争心を露わにして挑発するように覇気を立ち昇らせてみるも、しかし当のエースからの返答はこの国でやることがあるんだろ? と言わんばかりの素っ気ない眼差しのみであった。
「……しょうがないなー」
「まァ、おれにもおれのやることがあるからな。お前らに会いに来たのはそのついでなんだ」
そう言ってエースが語っていくのは黒ひげというかつての部下が自分の船で仲間殺しという最悪の罪を犯して逃亡していること、隊長として始末をつけるためにその黒ひげを追いかけて偉大なる航路を逆走していること、そしてどうせ逆走するなら賞金首にでもなった
ついでに白ひげの船に仲間共々来ないかと一味は勧誘を受けたが、当然ながら海賊王を目指すルフィはいやだと即断。
弟の夢を知るエースはそれでも自分は白ひげを海賊王にならせてやりたいと、まるで自分と戦う覚悟は出来てるのかとルフィに問いかけるも、ルフィは迷いなくその言葉に頷き望むところだと返す。
そんなルフィにやっぱりお前は変わらないなと内心で嬉しく思いながら、エースはうんうんとルフィの言葉に賛同するように頷くイカゼへ視線を向ける。
「率直に聞くぜイカゼ───ヤマトって名前に心当たりはあるか?」
「え? あー、そう言えば店でも知り合いに似てるとか言ってたっけ」
「ああ。正直おれはお前とそいつが無関係だとはどうしても思えねェ」
「うーん……」
嘘は許さない、と言わんばかりのエースからの真剣な眼差しを前にどうしたものかとイカゼは首を傾げる。
当然ではあるがイカゼにはその名前には何一つとして心当たりはない。
今までの航海で耳にしたこともなければ、その名前自体も目覚めてからは初耳のことだ。
しかしそもそもの前提として自分は記憶喪失で、あの無人島で目覚める前の記憶は最近は僅かではあるが夢に出てきたりすることはあれども、その大半が未だに思い出せないままなのも確かだ。
ならばこそ、もしかしたら記憶を失う前の自分ならその名前に思い当たる節があるかもしれないとエースの話を聞いて考えていたイカゼは、その心の内をどうやって今のエースに波風立てずに伝えればいいのか悩んでいるところに───
「───エース、イカゼは記憶喪失なんだよ」
「…………は?」
そこに特に何も考えてない
▽
ルフィたちと別れ、その首を狙ってやって来たB・Wのビリオンズの船団をあっさりと壊滅させたエースは、愛用している
「記憶喪失とは随分面倒なことになってんなァ……」
メリー号の甲板でルフィから告げられたイカゼが記憶喪失だと言う衝撃の事実。
どうしてそんなことになったのかはさておき、他でもない弟の言葉にそれでは思い出せなくて当然だと納得を示したエースは、記憶を失ってしまったとは言え、それでもイカゼが
『あいつらはみんな死んだって言うけど、僕は彼がそう簡単に死なない奴だって知ってるからね』
「……お前の言う通りだったよ、ヤマト」
事前に聞いていた容姿と自身に並ぶ健啖家、そして強い奴と戦うことが大好きな戦闘狂───ナノハナとメリー号でのイカゼとのやり取りを思い返したエースは、その言葉が何一つ間違っていなかったと笑みを溢す。
まさか弟の船に乗っているとは思いもしなかったが、一度言ったことは絶対に曲げないルフィがイカゼの記憶を一緒に探すと言ったのなら記憶喪失のことは何も心配することはないだろう。
白ひげを海賊王にするという夢はこれからも変わることはないが、同時にその夢を阻める奴がいるとしたらそれはルフィ以外にはいないともエースは思っている。
だからこそ、いずれルフィたちが新世界に足を踏み入れてヤマトが待つワノ国に辿り着いた時、きっとその時にはイカゼの記憶は戻っているという予感がエースにはあった。
『約束したんだ、だから僕はここで彼を待ち続けるよ』
あれから随分と時間が経ってしまったが、きっとヤマトは今もあの場所で実の父親と戦いながらイカゼを待ち続けているのだろう。
白ひげの
『これは?』
『その紙の示す先にお前を待ってる奴がいる』
それこそが、別れ際にルフィとイカゼに手渡した二枚のビブルカード。
ルフィに渡したビブルカードはエース自身のものだが、イカゼに渡したものは他でもないヤマトのビブルカードだ。
絶対になくすなよと言葉を続けるエースに、掌の上でゆっくりと進むビブルカードを興味深そうに眺めていたイカゼは常では考えられない真剣な面持ちで頷いていた。
あんな顔が出来るならきっと大丈夫だろう。
「待ってるぜルフィ、イカゼ───海賊の高みで」