麦わらと夜兎 作:人参腎
『僕は将来、光月おでんみたいな侍に───ううん、光月おでんになりたいんだ!』
微睡みの中でまた夢を見ている。
暗雲立ち込める空の下、どこから拾って来たのか二振りの刀を担いでそう語るのは鬼のような角が特徴的な夢見る少女。
その脳裏には釜茹での刑に処された最強と謳われた侍の姿が鮮明に浮かび上がっており、当時の自分の価値観を一変させるほどの衝撃だったあの光景を、月日が流れた今でも少女は決して色褪せさせることなく偉大な憧憬として自身の記憶に刻みその影を追いかけ続けていた。
『ふーん、あんなバカ殿にねェ……』
対して、少女の向かいに腰を下ろしその話を聞いていた少年からの反応は正に対極。
弱肉強食こそを是とする少年からしてみれば、どれだけ偉大で屈強な侍だったとしても敗者である以上は憧憬を抱くに値せず、ましてや少女から伝え聞いたその最期も鑑みれば謀略に踊らされ家臣と言えども他人に夢を託し釜に沈んで行った末路はバカ殿以外の何物でもない。
少女の話を退屈そうに、
『ふん! ■■はあの時いなかったからそんなことが言えるんだ! 光月おでんはお父さんをあと一歩のところまで追い詰めたすっごく強い侍なんだから!』
『でもあの人に勝てなかったから死んだんでしょ?』
『それはお父さんたちが卑怯な手を使ったからだもん!』
激昂する少女が想起するのは侍の従者のくノ一が釜茹での前で語った事件の真相───自身の父が将軍と手を組んで無辜の民たちを人質にしてかの侍をバカ殿へと陥れたというもの。
人としての尊厳を踏み躙り、交わした約定を鼻で笑うように破り捨て、今まさに尽きようとしている命を肴に浴びるように酒を煽る姿は、その内心がどうであれ幼い少女から見れば鬼畜の所業として映るのは至極当然。
しかしそんな悪意の直中に晒されながらも、それでも最期まで己の在り方を曲げなかった侍だからこそ、当時その光景を間近で目にしていた少女は心からの敬意と憧憬を抱いたのだ。
『だから僕が光月おでんになって、今度こそお父さんからワノ国を取り戻すんだ!』
気づけば涙さえ浮かべ刀を振るうことに熱中し始めた少女を、その胸の内を聞かされた少年は興味なさそうな表情から一転して口端を上げながら眺めていた。
それは別に少女の言葉を聞いてバカ殿への認識を改めたわけでも、弱肉強食の理に何か思うところがあったわけでもなく……ただ一点、最後の言葉だけは自身の夢と重なっていたからに他ならない。
『旦那をぶっ飛ばすのは俺だよ───ヤマト』
『え……?』
ひょいっと軽快な動きで少年に刀を取り上げられた少女が、告げられた言葉の内容も相俟って呆然としたように少年を見据える。
そんな少女にお前に侍は向いてないよ、と微塵も剣の才能を感じられなかったが故に近くの岩場に立て掛けられていた金棒を投げ渡しながら、少年は慌てて金棒を受け止める少女の姿に愉快そうに喉を鳴らして少女とは正反対のその憧憬に想いを馳せていく。
『■■、お前は何のために強くなる?』
『あんたを越えるために決まってるじゃん』
『ウォロロロ! 相変わらずクソ生意気なガキだ……』
それは
『どっちが先に旦那をぶっ飛ばせるか競争だね』
呆けている少女にまァいつもみたく俺が勝つけどと少年が笑えば、その笑みで全てを察した少女は涙と鼻水に塗れた顔を袖で拭うと負けじと口端を吊り上げ少年へ言葉を返す。
『いいや! それだけは光月おでんになる僕の役目だから、例え■■でも絶対に譲らないからね!!』
『はは、剣の才能皆無なのによく言うよ』
『う、うるさいな! こういうのは心意気の問題だよ!』
わいわいと気づけば歳相応の雰囲気で戯れる二人には既に先ほどのような湿っぽい雰囲気は欠片もない。
俺だ、僕だと言い争っていた二人はやがて埒が明かないと番傘と金棒を手に衝突し大気を震わせるが、それすらも二人にとってはじゃれ合いに等しい日常の一コマであり、半日ほど経って互いに地面に背中を預けた両者はどちらからともなく言葉を発して笑い合っていた。
『あのさ、■■』
『ん?』
気づけばすっかりと暗雲が晴れ星々を露わにしていた月夜の空の下、どこか真剣な眼差しで空を見上げていた少女がポツポツと言葉を溢していく。
『いつかお父さんを倒して自由になったらさ───』
自身の両手にはめられた枷を擦りながら話すその内容は、未だにこの鎖された世界以外のことを知らない少女のもう一つの夢。
言葉を続けていくにつれて未知に目を輝かせ好奇心に心を躍らせていくその姿に、少年は倒した後のことなんて考えたこともなかったと僅かに呆気に取られながらも、そんな未来の自分を想像して不思議と悪い気持ちにはならなかったが故に、少年は話を終え期待に胸を膨らませて返答を待つ少女に肯定を返す。
『───いいね、楽しそうだ』
『だよねだよね! それじゃ約束だよ!』
そうして少年は、少女とたった一つの約束を交わしたのだ。
▽
宮殿の兵士たちをも巻き込んで開催された大宴会を終えアラバスタ全域を包囲し始めた海軍の動きを察知した麦わらの一味は、船長のルフィが目覚めたことと溜まった
「ビビは来ねェのかな……」
「アルバーナの式典の放送が聞こえたろ、つまりはそう言うことだ」
港町タマリスクを目前にしながらもしかし取り決めていた場所にビビの姿はなく、それどころか式典のスピーチを聞こうと全員が町の中央に向かったことで人っ子一人見当たらない有り様であるが───そのスピーチの主こそが、今宮殿広場で受話器を取っている他ならないビビ自身なのだから無理もない。
本人に面と向かって告げられたわけではないためルフィだけは頑なにビビの声に似ているだけだと言って諦めなかったが、それでもビビが海賊ではなく王女としての立場を選んだということは誰の目にも明らかだった。
「ビビが来てねェわけねェだろ! 下りて探そう、絶対にいるから!!」
「いい加減にしろルフィ、もう海軍の追手も来てんだ……おれたちの時とはワケが違う」
気持ちは大いに理解出来るがと窘めるようにサンジが肩に手を置けば、ベンサムが身を挺してまで海軍の注意を引いて自分たちを逃がしてくれたという事情もあり、今回ばかりはルフィも顔を顰めたままではあったが大人しく引き下がらざるを得ない。
メリー号も″黒檻のヒナ″率いる軍艦によって大きな痛手を受けてしまった以上、海軍の追手が目視できる距離にまで迫ってきている現状ではこれ以上の停滞は命取りに繋がるのは明白。
ここらが潮時だとサンジからの無言の眼差しを受けたルフィが、拳を握り締めながら後ろ髪を引かれる思いで出航を宣言しようとして───
「───王女様らしい重役出勤だね」
「みんなァ!!」
「クェェ!!」
マストに寄りかかっていたイカゼが番傘をずらして視線を上げれば、その視線の先には確かに先ほどまでスピーチをしていたビビと相棒のカルーの姿。
諦めていた二人の登場に船上で歓声が沸き上がり、一同はすぐに港町に引き返そうと各々慌ただしく甲板を駆け回って行くも……そんな姿を遠目から眺めていたビビは目を細めながらもどこか寂しそうな笑みを溢すばかり。
そしてその笑顔の意図は、すぐに本人の口からルフィたち以外にもスピーカーを通してアラバスタ全土に伝えられることになる。
「お別れを! 言いに来たの───!!」
この国を心から愛しているから一緒には行けないことを感謝の言葉とともに告げられて、王女として国に残ることを決断したビビをしかし責める者は誰一人としていない。
何故ならその言葉が嘘偽りのない本心であり、そのためにビビがこれまで必死に足掻いてきたことを全員が理解しているから。
ならばこそ、その決断をルフィたちが心から尊重することは当然であり───
「───いつかまた会えたら、もう一度仲間と呼んでくれますか!?」
仲間として、言葉なく左腕の印を空に突き上げることに迷いはなかった。
「わざわざこっちに出向いてまでお別れを言いに来るなんてね……ビビらしいと言えばらしいけど」
「ああ……強い女だ、ビビは」
納得こそしたがそれはそれとして胸に飛来する寂しさは別の話だと言わんばかりに咽び泣くルフィたちを後目に、イカゼとゾロはこれまでのビビの奮闘を称えるように笑い合うと双子岬で初めて出会った時のことを語っていく。
ラブーンを捕獲しようとMr.9と苦心していた頃を思えばつい別の笑みが漏れてしまいそうになるが、まさかそこから王下七武海の一人が主犯の陰謀に巻き込まれることになるとは思いもしなかったし、ウィスキーピークからリトルガーデン、ドラムを経由してアラバスタに辿り着いて今に至る道のりは息つく暇さえない波乱万丈の連続だった。
「ほんと、ルフィといると退屈しないよ」
「はは、違いねェ」
イカゼがルフィに誘われ麦わらの一味に加入してからと言うもの、問題事に巻き込まれなかったことなどただの一度としてなかったが、どうやらそれは初めて仲間になったと言うゾロの頃から不変のものらしい。
次の島でも何らかの事件に巻き込まれるかあるいは首を突っ込んで騒ぎを起こすんだろうなと確信しつつ、全然大歓迎だけどねとイカゼが肩を揺らしていると、ふと思い出したように悪い笑みを浮かべたゾロがイカゼの脇腹を刀の頭で突いてくる。
「おいイカゼ……お前ウィスキーピークの勝負の件、忘れてねェだろうな?」
「…………あ」
賞金稼ぎ100人斬りとMr.5ペアの処理をどちらが早く終えて酒場に帰って来るかという勝負を自分から仕掛けておきながらすっかり忘れていたイカゼ。
あはは、と気まずそうに頭を掻きどうにか有耶無耶にしようとするイカゼだったが、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに刀の柄で金銭か酒を要求するゾロに、諸々事情はあるが負けたのは事実だし海賊らしく
「あれ? 色々買っておいたはずなんだけど……」
特段酒を好んで飲むことはなく精々がゾロとの付き合いで嗜む程度のため、ルフィが酒の盗み飲みをしないことも加味すれば買って早々になくなることはないのだが……どういうわけか倉庫に目的のものが見当たらない事態にイカゼは首を傾げる。
よくよく見れば酒以外にも保存食の一部がなくなっているし、所々に人のいた形跡が残っていることにイカゼが訝しんだところで見聞色が倉庫内の気配を察知してそれと同時に肩を叩かれ振り返れば───
「───ふふ、お邪魔してるわ」
「……こりゃ驚いた」
ミス・オールサンデーことニコ・ロビンが我が物顔で倉庫の一角を改造して寛いでいた。
次の島に到着する前に勝手にやって来た