麦わらと夜兎 作:人参腎
「なぁ、イカゼ」
辛くもローグタウンから脱出し、偉大なる航路に入るために嵐の海を進む麦わらの一味。
甲板に置かれた樽の上で胡坐をかき退屈そうに体を揺らすイカゼに、鍛錬を終えたのだろう汗だくのゾロが声を掛ける。
普段よりも重々しい表情を浮かべるゾロに対して、イカゼは普段通りの飄々とした表情で振り返る。
「お前あの時なんで攻撃を当てられたんだ?」
あの時、というのはスモーカーとの一戦のことだろう。
ルフィ、ゾロ、サンジの三人がかりでも一撃も加えられずただただ防戦一方だったあの戦いで、イカゼだけがスモーカーの煙の体を捉えることが出来た。
それがゾロにとっては気がかりで、また世界一の大剣豪を目指すゾロからしてみれば自分に斬れない物があるというのは到底看過出来ない事態でもあった。
それこそ仲間とは言え他者にその術を乞うほどには。
「なんでって、特に何もしてないよ」
「は?」
だから、イカゼから帰ってきたその言葉に思わず耳を疑った。
「まぁ俺は
ただ近づいてこうやってぶん殴っただけ、そう言って再現をするように番傘を振るうイカゼ。
嵐にも負けない豪風がその威力を示すように吹き付けるが、ゾロの目から見ても確かに特別な動作はないように見えた。
「その傘借りてもいいか?」
「どうぞ」
ならばイカゼが知らないだけで番傘に秘密があるのか、そう思って借り受け実際に手に取ってみるが……それでも変わった点は見受けられない。
強いて言えば普通の番傘よりも遥かに重量があることと、見慣れないボタンが幾つかあるだけだ。
「これ押してもいいのか?」
「まだ調整中で一番上のしか使えないよ」
誘惑に負け、指示通り一番上のボタンに指を添えるゾロ。
こっち向けないでね、という言葉通り空に向けてそのボタンを押し込めば、
「うぉおおおお!?」
ズガガガと銃声が鳴り響き嵐の空に銃弾が咲き乱れる。
敵襲か!?とウソップが飛び上がったが、それどころではないゾロは冷や汗を垂らしながらイカゼに詰め寄る。
「こんなもん仕込んでるなら先に言えバカ!」
「こっち向けないでねって言ったじゃん」
「もっと他に言うことがあっただろ!?」
危険すぎると番傘を押し付けるように返却するゾロ。
イカゼは面白いでしょ? と揶揄うような表情だが、この分では番傘の方にも何か秘密があるという線もなさそうだとゾロは嘆息する。
「ゾロたちは気合いが足りないんじゃない?」
「あ?」
そんなゾロを見兼ねてか、銃弾を補充し終えたイカゼは樽から飛び降り言葉を溢す。
要領の得ないその言葉にゾロが顔を顰めるが、イカゼは気にせずに言葉を続ける。
「ぶん殴っても当たらないなら当たるまで殴り続ける、それだけでしょ」
ゾロたちはあの時当たらないって諦めてたんじゃない? その言葉にゾロはハッとしたように目を見開く。
殴っても蹴っても斬っても、一切の攻撃がスモーカーには通じなかった。
時間がなかったというのもあるが、確かにあの時ゾロは自分の攻撃が通じないからと諦め逃げの一手を取り続けていた。
精神面でも負けていたのだと、ゾロはイカゼの言葉で気づかされた。
「疑わないこと、強いて言えることがあるとすればそれくらいかな」
自分の力を疑ったゾロと疑わなかったイカゼ。
それこそが当時の二人の決定的な違い。
なるほど、と納得してゾロは愛刀に触れる。
身体能力と戦闘技術以前に絶対に勝つという気概が足りなかったのだ、気合いが足りないと言われるのも無理はない。
「理屈はよく分からねぇが……それもそうだな」
世界一の大剣豪になる、そのためには迷っている時間はない。
自分を納得させるだけの答えを仲間から貰えた。
であれば、後はひたすら先を目指し鍛え続けるだけだ。
「ありがとなイカゼ」
「今度戦ろうよ、それでチャラにしてあげるから」
「ハッ、望むところだ」
麦わらの一味の戦闘員同士、こうして言葉を交わすよりも拳と剣を交える方が性に合ってる。
お互いそれを理解しているからか、そこから先に言葉はなく各々鍛錬に精を出すのだった。
▽
「いやー面白かったね」
「どこがよ!」
海路を逸れて凪の帯に入ってしまい、海王類から一悶着あった光景を思い出し笑うイカゼ。
しかしナミのツッコミの通りそう思っているのはどうやら彼だけのようで、甲板の上は死屍累々のような酷い在り様だった。
「し、死ぬかと思った……」
特に船から振り落とされ、あわや捕食されかけたウソップは一生のトラウマ物だろう。
ルフィが腕を伸ばし救い上げ九死に一生を得たが、続くように他の海王類が襲い掛かって来る光景は一味に凪の帯がどれだけ危険な場所なのかを強く印象付けることになった。
「どうせなら一匹くらい持って帰れば良かったな。俺、海王類って食べたことないんだよね」
どんな味するんだろう、と考えるイカゼは呑気なものでナミから呆れられている。
「おーいお前ら、進水式でもやろうぜ」
そうこうして再び大嵐の海域に戻ってくると、樽を運んできたサンジがそう提案して断る理由もなく全員集まることになった。
「進水式って何?」
「船の完成とか航海の無事を祈ってやるやつだ。今回は偉大なる海に船を浮かべるって名目で、夢でも何でもいいから一言ずつ言ってこの樽の上に足を乗っけて最後に全員で壊すんだ」
「へー、いいねそれ」
サンジからの説明を受けイカゼが何を言おうか考えていると、どうやら他の仲間たちは既に決まっているようで各々夢を語りながら樽の上に足をかけていく。
「オールブルーに海賊王、大剣豪に世界地図、それで勇敢な海の戦士かあ」
「そういやお前は初耳だったか」
「ルフィは知ってたけど他はそうかも」
「んじゃ、最後にお前の夢でも聞かせてくれよ」
揶揄うように言うサンジの言葉にイカゼは悩む。
夢、と言われてもイカゼには思い当たるものがなかった。
失った記憶を思い出したいという気持ちはあるが、それを夢にするのは違うしそんな大層なものでもないからだ。
どうしたものかと少しばかり悩んで、しかし腹が決まったのかイカゼは不敵な笑みを溢し樽に足をかける。
「俺より強いヤツに会いに行く! ついでに世界の美食巡り」
「ハハッ、いいじゃねぇか」
戦い好きで大食漢のイカゼらしい夢に破顔する一同。
そうして各々が夢を語り合ったのを見計らい、船長のルフィが音頭を取り声を上げる。
「いくぞ! 偉大なる航路!!」
山を駆け上がって、麦わらの一味は偉大なる航路に突入した。