──努力という言葉が認知され始め、私の行動はすべて無駄になった。
「私の思う天才っていうのはね」
霊夢は言った。
日常における何でもない会話に、こういう“議論”に似たものを持ち出すのはここでは珍しくなかった。
霊夢は酒の席に昔の偉人の俳句を持ち出したり、小難しい諺を引用する。遊びに自らの理論を持ち込むことは日常茶飯事で、適当に語った。社会情勢、と堅苦しいものは幻想郷にはなかったが、そういうことにも人里離れた土地に住むにしては疎くなかった。
ようするに、賢い子だった。
生きるのが抜群に上手い。
「私の思う天才っていうのはね、やり方を知らないの」
「それは経験談だな」
「直接天才と呼ばれることはないんだけどね。ほら、取材とかであれば……たまに言われるわね」
「取材って、たかが知れてるぜ」
「それはどうでもいいでしょ」
取材、と言葉にすることが可笑しい。
阿求の「天才巫女様の異変のときのお話を」などという言葉に躍らされる霊夢は、確かに単純で──確かに天才だがそれは微笑ましくもある。「怠けてばかりで」という友人たちの冷やかしも「でも、霊夢ならなんとかする」という“当たり前”の前に成り立つ。
「天才という性質は、もう身体の一部。心臓をどうやって動かしているのか分からないように、天才もどうやって成り立っているのか分からない」
その表現はぴったりだった。
霊夢はただ空が飛べるだけ、しょぼい能力だと言ったあの能力。万物から“浮かせている”のはもはや霊夢の能力ではなく、霊夢自身だ。
「空を飛べても、その方法を知らないのなら意味はないわ」
「空は飛べるのに、歩く練習をするなんてな。お前の赤ん坊時代もたいそう可哀想なもんだ」
「だから天才なのよ。天才は歩いてはいけないの?」
「天才は歩いても褒められない」
小さくため息が聞こえる。
「魔理沙は私が羨ましいって思わない?」
「能力には羨ましく感じるが、それは天才が羨ましいってわけじゃないな。最初から出来るっていいよな」
「それってどっちよ、羨ましくないの?」
「羨ましくない」
霊夢がふうん、と言った。
興味がなさそうにも聞こえたが、寂しそうにも聞こえた。
私の天才へのあこがれは霊夢といる限り尽きなかったが、それは羨ましさなどではなかった。天才は生まれもった能力で、当たり前。それは誰かの顔の良さや手相の良さを羨ましがるようなもので、どうして羨ましがったりするのだろう。
天才は、違う。
私には理解できない。
「じゃ、霊夢は私のこと羨ましいか?」
「え」
お互いに見つめ合う。
霊夢は絶望したような顔をしていた。ほんの少し落胆した程度なのだろうが、もっと顔が白く浮かんで見えた。
「……そんなこと、考えたことも」
だよな、と言いそうになるのを堪えた。
言えば、霊夢はもっと顔色を悪くしそうだったからだ。同意は霊夢への羨ましさがないことを浮き彫りにする。霊夢は羨ましがって欲しかったのだな、と分かっていた。出来るだけ近い位置にいたいと、理解してほしいと思っている。
努力家という性質は天才の前では霞みがちだ。
私の性質に“努力”が付与され、私の人生はなんなのだろうと思った。努力は目標があり、その目標に辿り着いていないものの言葉。
私は今、どこにいる。
魔法は、終わりが来るだろうか。
「霊夢、私たちって我が強いよな」
霊夢はまだ沈んでいてきょとんとしたが、いつものように笑った。
「あんたから見れば私は馬鹿かもね」
「私もな」
言葉の意味が貼り付いて離れない。
霧雨魔理沙という名前も、いつしか意味しか残らない。どうかずっとそうであってほしい。そう思う。
天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである──Wikipediaより