早苗さんと神父くん   作:トマトルテ

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13、口づけ、死。今後の展開の結構なネタバレタイトルです。


十三話:死に至る口づけ

 悩みがあるときは一人静かに礼拝堂で祈りを捧げるに限る。

 それが信一の習慣であったし、今回もそうするつもりでいた。

 しかし、今は招かれざる客人のせいでそういう訳にもいかない。

 

「悩みがあるなら私が聞いてあげましょうか?」

「悪魔に助けられる気など毛頭ない。納豆をやるから消え去れ」

「まあ酷い。乙女がこんな夜更けに訪ねてきたのに、そんな態度じゃモテないわよ」

「心に決めた1人が居ればモテる必要などない」

「あら、惚気? 羨ましいわね、神父さん」

 

 教会に居るのは信一とレミリアの2人。

 今は夜なのだが、吸血鬼はむしろ夜が活動時間なのでレミリアは絶好調である。

 なので全力で投げた納豆の束も、あっさりと掴まれて手に入れられてしまう。

 信一にとっては迷惑なことこの上ない。

 

「それで、その愛しい人と別たれるのが怖いのが悩み?」

「……なぜ分かった」

「フフフ、今までにも見てきたことがあるのよ。()()()()()()

 

 意味深に笑いながらレミリアは信一の足元に近づいていく。

 

「寿命を延ばす気なら手伝ってあげましょうか? これは契約よ」

「吸血鬼の眷属にするつもりか?」

「正解。あなたは私に忠誠を誓う。私はあなたに滅びぬ肉体を与える。安心して、悪魔はどこぞの神様とは違って契約は破らないわよ」

 

 クスクスと笑いながら信一の前に立ったレミリアは彼を見上げ、冗談交じりに告げる。

 

「跪きなさい」

「……断る」

 

 僕になれという提案は当然のごとく却下される。

 しかし、普段の信一とは違いそこには僅かな迷いの時間があった。

 

「フフフ、よっぽど相手のことを大切に思っているのね。あの狂信者が1人の女のために、悪魔に靡くかもしれないと思うと笑えてくるわ」

「心配するな。今の言葉で如何なる道を選ぼうともお前の下にはつかぬと誓った」

「あら、つれないわね」

 

 冗談か本気かもわからない軽口の応酬。

 そこに真意があるかなど、とてもではないが分かったものではない。

 しかし、レミリアにとってはそれで十分だった。

 

「……でも、いいわ。人間のあなたには興味があるけど、そうでないあなたなら興味が失せそうだわ。人間は人間のままが一番美しいわよ」

「自分勝手な奴だな」

「そうよ、女の子はワガママな方が可愛いでしょう?」

 

 そう言って優雅にスカートの端をつまんで一礼をするレミリア。

 その姿はまさしく貴族の令嬢。

 凡夫とは違う存在だと一目で分からせる仕草を残し、彼女は入り口まで歩いていく。

 

「さて、そろそろ帰るとするわ。あなたの悩みを解決するのに、私より適任な奴が来たし」

「適任だと?」

 

 早苗が来たのかと訝しむ信一。

 だが、レミリアはそれを否定するように嗤ってみせる。

 

「ええ、もっと言うなら―――()()()って奴かしら」

 

 夜にも関わらずに差し込んでくる光に目を細めながら。

 

 

 

 

 

 天使とは神の御使いである。

 七大天使を筆頭にして、人間の住む物質的な世界とは違う霊的な世界に住まう。

 彼らの使命は神を賛美すること。神の手足となり働くこと。

 そして何より、人間が()()()()()()人間を守ることだ。

 

 ミカエルはその手に持つ炎の剣で、キリスト教徒を守護する。

 ガブリエルは神のメッセンジャーとして、主の言葉を人間に伝える。

 ラファエルは傷ついた人間をその手で癒す。

 

 このように天使は人間にとって味方であり、信仰すべき対象だ。

 それは時に天使を信仰するのをやめるようにとの御触れが出るほどと言えば、人間がどれだけ天使を崇拝してきたか分かるだろうか。

 

 だが、しかし。天使の中には堕天使とされた者達がいる。

 

 最も有名な堕天使と言えば、言わずと知れた魔王ルシファーだろう。

 神の最も近くに侍る権利を持ちながら、人間に嫉妬して主に反逆を起こした大天使長。

 天使の半分が彼についていったと言えば、その力の大きさが分かるだろう。

 

 故に人間は堕天使を恐れ同時に軽蔑した。

 逆に言えば恐怖の対象を司る天使を、人間は自分の都合で()()使()()()()()()

 

 それは行き過ぎた天使信仰を抑え、本来の一神教に戻す意味合いもあっただろう。

 だが、同時に。人間は幻想だとしても信じていたかったのだ。

 天使が人間の守護者であるならば。

 

 人間に苦難をもたらすはずがないと。

 敵意を向けるはずがないと。

 何より。

 

 ―――人を死に至らしめるはずがないと。

 

 死もまた、人間が歩む道の1つに過ぎぬという事実から目を逸らして。

 

 

 

 

 

「ねぇ、パチェ。さっき出かけた時に面白いことがあったのよ」

「さっきと言うと、レミィが最近よくちょっかいをかけている神父のことかしら」

「ええ、そうよ。寿命のことで悩んでいるみたいだったから、私の眷属に誘ってあげたのよ」

「親切そうに言ってるけど、吸血鬼の(しもべ)になれなんて、キリスト教徒に喧嘩を売ってるだけよね?」

「悪魔に洗礼を勧めてくる相手には良い意趣返しよ」

 

 レミリアの居城である紅魔館の中にある大図書館。

 その中で実にいい笑顔で紅茶を啜るレミリア。

 そして、そんな友人を若干呆れた表情で見つめる図書館の主、パチュリー・ノーレッジ。

 

 長く伸ばされた紫の髪に、同系色のゆとりのある服を着る魔法使い。

 喘息持ちで肌も白く、一見すると貧弱な美少女に見えるが、その魔法の腕は超がつく一流。

 仮にも吸血鬼であるレミリアと、親友を張れる程度には凄まじい少女である。

 

 もっとも極度の引きこもりなので、滅多に外に出ずに本の山に埋もれる日々が日常なのだが。

 

「それで、面白いことって何かしら? まさか僕として手に入れたの?」

「残念だけどそうじゃないわ。代わりに神父自家製の納豆は手に入れたけど」

「……悪魔が神父相手に施しを受けてどうするつもり」

「施しじゃないわ。貢物よ、これは」

 

 今にもため息をつきそうなパチュリーの顔も、嬉しそうなレミリアの目には映らない。

 実はレミリアは吸血鬼であり、なおかつ外国出身にも関わらず納豆が好きなのだ。

 大豆を炒ったものを投げられるだけで、水ぶくれができるくせに不思議なものである。

 

「で、それが面白い話?」

「もちろん違うわよ……ちょっと、そこで意外そうな顔をしないでよ」

 

 レミィのことだからそんな感じの話だろうと思っていた。

 何も語らずとも目をパチクリとさせる彼女の顔から、レミリアは言いたいことを読み取れた。

 親友故の以心伝心と言えば聞こえはいいが、ちっとも嬉しくないレミリアであった。

 

「まったく、あなたは普段私をどう思っているのかしら」

「泣く子も黙る吸血鬼、スカーレットお嬢様よ」

「心にもない誉め言葉をありがとう、図書館の大賢者様」

 

 お互いに全く褒める気のない賛辞をかけ合いながら、ダラリと姿勢を崩すレミリア。

 因みにパチュリーの方は姿勢は正しいものの、パラパラと本をめくっている。

 どうせ大した話じゃないんだろうという態度を丸出しだ。

 

 これでは面白くないと思うのがレミリアだ。

 自分もダラけているが、それはそれ。これはこれなのだ。

 とにもかくにも、彼女はパチュリーの興味を引き戻すべく本題を口にする。

 

 

「天使がおちてきたのよ」

 

 

 ピタリとページをめくる手が止まる。

 先程とは別の意味でパチュリーが目をパチクリとさせる姿に、レミリアは満足そうに頷く。

 

「どう? 面白い話でしょ」

「……確かに、レミィが天使に恐れをなして帰ってきたのは面白い話ね」

「ちょっと、なんで私が逃げ帰って来たって話になっているのよ」

 

 キリスト教徒を悪魔の手から守るために、天使が降りてきたのだと納得するパチュリー。

 しかし、それをレミリアはプリプリと怒りながら否定する。

 

「私はただ()()()()だから役目を譲っただけよ」

「役者不足? そもそも演じる役が天使と悪魔じゃ正反対だと思うのだけど」

「あら、私の言葉をよく聞いていなかったのかしら。パチェ、天使が()()()()()()()

 

 そこまで言われてパチュリーは気づく。

 天使と悪魔は真逆の存在だ。しかし、一文字加えるだけで同じ存在になる。

 

「堕天使……そうね、悪魔の大本は堕天使ルシファー。確かに演じる役は同じね」

「フフフ…残念だけど、純粋な悪魔より堕天使の方が神父の心は削れそうでしょ?」

「そうね。信じている者から直接裏切られるのは辛いと思うわ。で、誰が堕ちてきたの?」

「えーと、そうね……天使の名前は」

 

 どう言ったものかと少し考えるように目を瞑るレミリアだったが、すぐに笑みと共に口にする。

 

 

「―――サリエル(神の命令)よ」

 

 

 魂の腐敗を死によって防ぐ天使の名前を。

 

 

 

 

 

 それは夜に起きた明確な異変であった。

 人里でも、山の守矢神社でも、博麗神社でも確認できる異変。

 図書館に引きこもっているパチュリーは気づかなかったが、外に居れば誰でも分かる類のもの。

 

 天使の梯子。

 

 雲の切れ間から光が差し込み、放射状に辺りを照らし出す現象。

 正式名称は薄明光線(はくめいこうせん)と呼ばれるものだ。

 天使の梯子という名称は、聖ヤコブが夢の中で天使がその光を階段として使っているのを見たことから名づけられた名称である。

 

 外の世界であれば、ただ美しいと人々の記憶の片隅に残る程度のもの。

 だが、ここは科学で否定された幻想が集う世界。

 

 その光は自然の光と一線を画した神々しいものであり、何より夜に現れたという異常さ。

 天に住まう天使が、その梯子を伝い降りてきた事実を示すように。

 天使が―――幻想郷唯一の教会に降り立った証として。

 

 光は燦々(さんさん)と降り注いでいた。

 

「信一さん! 信一さん! 何があったんですか!?」

「ちょっと西洋河童の奴何をやらかしたのよ! 面倒ごとだったらただじゃ置かないわよ!」

「お、やっぱり霊夢と早苗も来てたか。まあ、こんな分かりやすい目印もそうはないよな」

 

 そして、その光を目印として3人の少女が集まっていた。

 1人目は酷く狼狽した様子で教会に突進している風祝、早苗。

 2人目は異変を起こしたのなら容赦はしないとやる気満々の巫女、霊夢。

 3人目は祭りにでも来たかのようにワクワクした様子を見せる魔法使い、魔理沙。

 

 3人共抱く感情は違うが、早急な異変の解決を目指して来たのは変わらない。

 故に示し合わせることもなく、3人仲良く教会の扉を蹴破って突入する。

 

「し、信一さん……」

「これは……一体」

「どういうことだ…?」

 

 そして3人は目撃するのだった。

 6枚の蒼き翼。透き通る白磁の肌。踵まで届く白銀の髪。血よりもなお赫い瞳。

 修道女のような青の衣と、十字の文様が刻まれた鎌のような杖を携えた天使が。

 

「ふむ……このタクワンという食べ物は触感が面白いな。ライスが実に進む」

「お気に召されましたかな?」

「うむ。お代わりを貰ってもよいか?」

「求められれば全てを与えるのがイエス様の教え。どうぞ、ご存分に」

「感謝するぞ」

 

 なんか信一と仲良く食卓を囲んでいた。

 

「何やってるんですか、信一さん!?」

「早苗。食事中だ、静かにしろ」

「あ、すいません……て! まずはこのおかしな状況を説明してくださいよ!」

 

 ツッコミを入れるものの、食事中と言われて思わずその良識から黙りそうになる早苗。

 しかし、すぐに状況の異常さを解明する方が先だと思い直し、疑問をぶつける。

 ただし、先程よりも少し音量を落としてだが。

 

「サリエル殿が我の下に訪れたので歓待している。見たままの状況だぞ」

「もっとこう…! 詳細な説明が必要でしょう! 特にサラッと流してますけど、サリエルさんってどう見ても天使ですよね!?」

 

 なんかもうちょっと反応しろよと詰め寄る早苗だが、信一は不気味な程に普通だ。

 彼女の中の信一なら天使を前にすれば感動で涙を流すはずなのだが、これはおかしい。

 それとも、もう泣き倒した後なのだろうか。

 

「へー、あれが天使か。悪魔は見たことあるけど天使は初めてだな。ご利益でもあるかもな」

「無表情で山盛りのご飯を食べてる姿で得られるご利益なんて、大したものでもないでしょうけどね」

 

 モグモグと無表情で、白米とタクワンを食べ進めるサリエルの姿に、霊夢は苦笑する。

 無表情ながらも、何となく幸せそうな空気を醸し出す姿は普通の少女にしか見えない。

 しかしながら忘れてはならない。彼女はれっきとした――

 

「汝らの認識は正しくないな。サリエル殿は、堕天使として扱われている」

 

 堕天使だ。

 

「堕天使? 何か悪いことでもしたの? 天使も案外俗なものなのね」

「本人を前にズケズケと言うなよ、霊夢……それに私にとっては別に悪じゃないぜ」

「何か知ってるの魔理沙?」

「ああ。今思い出したがサリエルってのは、人間に魔術や魔力を教えた存在だ」

 

 そう言って魔法使い霧雨魔理沙はサリエルをジッと見つめる。

 魔法にも色々と種類があるが、少なくとも西洋圏の魔法の基は目の前の天使であることに間違いはない。

 

「この閉ざされた世界で生きながら、よく私のことを知れたな人間」

「うおっ! ま、まあ、魔法に関する本を手当たり次第に読んできたからな」

 

 突如としてサリエルに話しかけられて、思わずビクッとしてしまう魔理沙。

 しかし、サリエルの方は特に気にした様子もなく、むしろ満足そうに笑う。

 

「やはり私は間違っていなかった。人間の知りたいという願望はそのまま“光”となる」

「……なんのことだ?」

「知識を得るという行為は時に罪とされる。アダムとイブが知恵の実を食したようにな」

「知ることが罪なんて馬鹿げてるぜ」

「この世界に住むお前達に言って分かるかは分からないが、兵器を生み出すことが一番良い例だろうな。製作者に悪意はなくとも、大量殺戮兵器を生み出すための知識が一度出回ればその被害は恐ろしいものとなる」

 

 核エネルギーが良い例だろう。

 最初は新しいクリーンなエネルギーとして考えらえていたそれも。

 今では全世界が憎む罪の証だ。

 

 核兵器により人間は、世界を滅ぼすという夢物語を現実のものに変えてしまった。

 一度放ってしまえば、核抑止論により敵も味方も滅び去る。

 人類の滅びの時計を進めたのは間違いなく核だ。

 

「だが、その罪こそが人間をより高みへと進歩させる」

 

 しかし、その核という罪の知識が人間を更に高みへと進ませる。

 そう、これは試練なのだ。核に頼り切る世界ではいずれは滅びる。

 だから核に変わる何かを生み出そうとしている。

 もっと根源的に兵器ではなく、外交で済ませようという動きも昔より増えた。

 

「人間は知識を得る度に、その知識により大きな罪を被る。何の成長もしていないと、歴史を齧っただけの人間は達観したように言う。だが、それは違うのだ。人間は自らが犯した罪を乗り越える度に、より大きな光を発し成長してきた。如何なる絶望もその勇気と知恵を振り絞って乗り越えて見せた。ああ……やはり人間は素晴らしい」

 

 ウットリとまるで熱にうなされるように人間を語るサリエル。

 そんな姿に信一以外の3人はゾッとしたような寒気を感じる。

 そして、頭ではなく心で理解するのだった。

 

「なるほど……あんたが堕天使の理由がよく分かった」

 

 目の前の存在は人を守る存在ではなく、苦しめる存在なのだと。

 

「当然だろう。私は死を司る天使、霊魂の看守、神が人間に与えた原初にして最大の試練」

「……そんなお偉いさんが、信一さんの所に何の用で来たんですか?」

「決まっている。魂の腐敗を、霊魂が汚れるのを防ぎに来たのだ…」

 

 食器を置き、ゆっくりと椅子から立ち上がるサリエル。

 その姿からは、先程までのぽわぽわとした空気は完全に消えている。

 

「―――死をもって」

 

 今そこに居るのは信一を殺しに来た殺戮の天使、サリエル(神の命令)だ。

 

「魂の腐敗? 霊魂の汚れ? 勝手なことを言わないでください。信一さん程生真面目に生きているキリスト教徒は、この世界にはいませんよ」

「以前までならばだろうな。だが、ここに来てからの奴は違う。命に執着を覚え始めた。主の救いに疑問を覚え、寿命を延ばすべきかと迷い、光無き醜くき生を悩み始める様だ」

「信一さんが…?」

 

 今の今までそんなことに気付きもしなかった早苗が、驚いて信一を見つめる。

 だが、信一は何も語ることなく無言のまま目を逸らすだけだ。

 

「神を名乗りながら気づかなかったか? やはり自らのことしか考えぬ紛い物の神か。主ならば彼の悩みに気付いたぞ? 主ならばその苦しみに寄り添えたぞ? 主ならば救えたぞ?」

「…ッ! 勝手なことを言わないでください! あなた達の方こそ今の今まで救う機会がありながら、信一さんに対して何もしなかったじゃないですか!? それなのに罪を犯した途端に()()()()()だけなんて、それでも神様ですか!」

 

 主以外の神は認めないという思考故か、早苗にキツイ当たりをするサリエル。

 早苗の方も、恩恵を与えずに罰だけ与えに来た天使に怒りをあらわにする。

 自分の想い通りに生きている間は無視をして、そこからちょっとでもズレたら理想と違うと言って始末するなど余りにも自分勝手ではないかと。

 

「フン、主が神でないというならば一体何だと言うのだ?」

「―――悪魔」

 

 早苗の余りにもパンチの効いた言葉にサリエルの表情が消える。

 これはまずいと隣の霊夢と魔理沙は戦闘態勢に入る。

 しかし、サリエルの次の行動は全くの予想外のものであった。

 

「ク…フフフフフ!」

 

 彼女は笑ったのだ。言い得て妙だと言わんばかりに。

 主への侮辱を、まるでジョークを聞いたように笑ったのだ。

 

「フハハハ! 悪魔…そうか、悪魔か……」

「堕天使だから、自分の神のことを嫌ってるのかしら」

「いや、そんなことはないぞ巫女よ。何より私は自分の意志で堕天した身だ」

「それってよっぽど不満があったってことじゃない」

「さて、確かにそういう風にも見られるかもしれないな」

 

 霊夢の言葉に何やら楽しそうに返すサリエル。

 どうやら他教徒であっても、純粋な人間には優しいらしい。

 

「そうだな……私は神を裏切りし者。イスカリオテのユダのようなものか。ならばそのように振舞おう。災厄を振りまき人間への最大の試練を与えよう!」

 

 一歩前に踏み出す。

 それだけで濃厚な死の圧力が、早苗達を押し潰さんとばかりに襲う。

 しかしながら、彼女達も様々な修羅場を潜り抜けてきた身。

 負けじと応戦する構えを見せ。

 

「……天地の創造主、全能の父である神を信じます」

 

 守ろうとした信一自身に遮られてしまう。

 

「ちょっと! あんたが前に出たら意味がないじゃない!」

「信一さんどいてください! そこの天使を殺せない!」

「何か考えがあるのか…?」

 

 霊夢、早苗、魔理沙の訝しむ目線を背中で感じながらも信一は揺らがない。

 ただ、覚悟を決めて使徒信条を読み上げる。

 

「父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

 主は聖霊によって宿り、おとめマリアから生まれ。

 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り。

 三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き。

 生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます」

 

 それは異教とキリスト教の境界を明確に表すもの。

 洗礼の際や重要な儀式の際には欠かせぬ信条。

 これには12人の使徒が共同で書いたという伝承があると言えば、どれだけ重要視されているか分かるだろう。

 

「聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし。

 ()()()()()()()()()()()()を信じます―――アーメン」

 

 目の前の天使でも、十字架にでもなく、天上の神に奉げられた祈り。

 それを聞き届けたサリエルは感嘆したように息を零す。

 

「覚悟はできているのだな…?」

「いずれは乗り越えねばならぬ試練だ。覚悟は関係ない」

「そうか……ならば」

「ああ、天使よ。汝のなそうとしていることを、今すぐなしなさい」

 

 早苗には信一の言っていることが理解できなかった。

 それでも、とてつもなく嫌な予感がすることだけは分かった。

 

「し、信一さん…!」

 

 だからすぐに彼の下に駆け寄ろうとして。

 

「邪魔をしないでもらおうか」

「…ッ!?」

 

 サリエルの赤き邪眼で身動きを止められた。

 彼女は邪視の始祖と呼ばれるほどの存在で、一瞥しただけで弱き者であれば殺せる。

 それ故に非常に畏れられ、逆に彼女の名前が書かれた邪眼除けの護符が売られた程である。

 

 何はともあれ、そのレベルの邪眼であればさしもの霊夢達もしばらくは動けない。

 そして、その時間があれば。

 

「さあ、試練を始めよう」

「……ああ」

 

 天使は人を殺せる。

 

「信一さん、待ってください!」

「早苗……案ずるな」

 

 連れていかれる。

 もう二度と出会えないかもしれない場所へ。

 だから、早苗は動かせない身体で精一杯に叫ぶ。

 しかし、信一から帰ってきた言葉は酷く落ち着いたものだった。

 

「神は決して―――乗り越えられぬ試練を与えぬ」

 

 振り返ることなく告げられた言葉は、一体誰に向けられたものなのだろうか。

 これから離別の試練を受ける少女に対してなのか。

 あるいは。

 

「ああ…ッ! 素晴らしいぞ、人間!」

 

 死の試練を受ける自らに対してなのか。

 

「いいから早くしてもらえまいか?」

「フフフ、すまない。“主”も首を長くして待っていることだろうしな。しかし、これだけは言わせて欲しい。お前がこれからどうなろうとも、これだけは伝えておきたい!」

 

 信一の言葉の真意は分からない。

 それはサリエルとて同じだろう。

 しかし、彼女はそれを気にすることもなく、花の咲くような笑みでプレゼントを贈るのだった。

 

「人間よ、私はお前を愛している! だからこそ君に――」

 

 情熱的な愛の言葉と。

 

 

「―――死を贈る」

 

 

 死に至る口づけを。

 




身動きができない状態で、恋人がキスされる光景を見せられるNTRの王道展開(真顔)

サリエル様の性格・設定はかなりオリジナルです。
容姿以外はオリキャラと思った方が良いかも。

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