早苗さんと神父くん   作:トマトルテ
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十四話:聖者は十字架に磔られました

 死神の口づけがゆっくりと離れていく。

 そして、それに付随していくように信一の体から力が抜ける。

 まるで毒リンゴを食べた姫君のように。まるで母親の胸の中で眠る幼子のように。

 彼はゆっくりと目を閉じ、天使に抱き留められる。

 指1つ動かすことなく。

 

「ね……」

 

 そして、その光景を呆然と見つめていた早苗が震える口を開き。

 

「寝取られたぁあああッ!?」

 

 寝取りの怒りで悲鳴を上げた。

 

「このクソビッチ天使がぁッ! よくもよくも…ッ! 私の信一さんをぉおおッ!!」

「お、落ち着きなさい早苗! あんた顔が般若みたいになってるわよ!?」

「ああん? それがどうしたんですか。今の私は復讐にかられる悪鬼羅刹。化け物でも悪魔でも喜んでなってやりますよ!! というか、そこのビッチ天使! どこにキスした!? ビッチのくせに恥ずかしそうにキスの瞬間に羽で顔を隠しやがって! 純情乙女かおらぁッ!!」

「……早苗が壊れた」

 

 余りにも堂々とした寝取り展開に、早苗は完全にプッツンしてしまった。

 もはや口調が乙女のものではなくヤクザのそれである。

 この変わりようには、幻想郷のヤクザと名高い霊夢もドン引きである。

 

「ど、どこになど……私の口から言えるわけないだろ」

「殺す」

 

 そして何より、争乱の元凶であるサリエルの乙女力との対比がすごい。

 先程までの威圧感はどこに行ったのか、ポッと頬を染めて恥ずかしそうにうつむくサリエル。

 乙女がするべきでない表情でメンチを切ってくる早苗。

 この状況を見て、どちらが彼女に欲しいかと聞かれれば、100人中99人はサリエルを選ぶだろう。

 

 因みに残りの1人は信一である。

 

「あんたは絶対に許さない。例え神が許しても私が許さない!」

「そうか、それは怖いな」

「心にもない顔で言って…! とにかく信一さんは返してもらいますよ!!」

 

 怒り故か、ただ単に拘束時間が切れたのか、サリエルの邪視を振り切って突っ込む早苗。

 それに対してサリエルは意外にも、素直に信一を離して後ろに退く。

 ただ、ちょっと名残惜しそうに彼の顔を見つめてだが。

 

「何を…?」

「返してやるさ。目的は果たしたからな。ただし…」

 

 どういうつもりだと剣呑な目を向ける早苗に、サリエルは淡々と冷たい声で返す。

 そして早苗も信一に触れたことで気づいてしまうのだった。

 

「魂はこちらで()()()()()もらうがな」

 

 彼の体には既に魂がないことに。

 

「しん…いちさん…?」

 

 体を揺すってみるが反応はない。

 瞳孔を確認してみるが開いている。

 呼吸も、心音も、血液も、何もかもが。

 

 ―――死んでいる。

 

「嘘…でしょ?」

 

 膝が崩れ落ちる。

 嘘だ。そんなはずがない。

 さっきまで普通に会話をしていたのに。

 こんなことがあっていいはずがない。

 

「信一さん…信一さんさん…ッ。なに死んだフリなんてしているんですか? 早く起きないと怒っちゃいますよ? ほら、怒りますよ。だから…! 目を…開けてくださいよ…ッ」

 

 信じられない。

 目の前の出来事は、きっと彼の悪戯だと信じたくて胸に耳を当てる。

 それでも何も……聞こえない。

 

 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 

 命の音が聞こえない!

 

「あ…あ…ああ…ッ」

 

 目の前が真っ暗になる。

 彼を死に至らしめた天使への憎悪すらわいてこない。

 あるのは悲しみ、痛み、苦しみ、そして―――絶望だけ。

 

「さて、天国への道が開かれるかどうか。閉ざされたこの世界にも、主が救いの手と共に降り立てるか。全ては試練を乗り越えられるかどうかにかかっている」

 

 そんな絶望に沈む早苗の方を見ながらサリエルは口を開く。

 まるで、明日の天気の話をするように何でもないように。

 

「しかし、案ずることはないぞ、()()()()。主は常に汝の中にあり、また汝は主の中にあるのだからな。神ならば、人を()()()()()()ことも可能だろう」

 

 言いたいことは終わった。

 言外にそう告げるようにサリエルは大きく翼を広げて飛び去っていく。

 だが。

 

「おっと、ただで帰らせると思ったら大間違いだぜ」

「分かんないことだらけだけど、今やるべきことは何となく分かるわ」

 

 そうは問屋が卸さない。

 帰ろうとするサリエルを囲うように、魔理沙と霊夢が立ち塞がる。

 2人とも怒涛の展開で理解できないことがほとんどだ。

 しかし、長年の経験から理解できることもある。

 

 こういうことの解決方法は。

 

「「敵をぶっ飛ばすこと」」

 

 首謀者をとっちめることである。

 

「フ、フフフ……私の力を見てもなお挑んで来るか。ああ、全くもって―――素晴らしい!」

 

 その行動に対してのサリエルは恍惚の笑みを浮かべてみせる。

 これこそが人間だと。強者を前に丸まって震えるのではなく、知恵と勇気を振り絞り挑む姿。

 これこそが神が愛する“光”だ。

 

「そうだ! そうでなくては生きているとは言えない! 安寧という停滞の道を選ぶのではなく、常に進化という茨の道を選ぶ! それでこその人間! 生命! 光だ! ああ…許されるのならば、お前達を抱きしめ口づけを贈りたいところだ。だが」

 

 このまま人間への試練として力の限り戦いたい。

 そう願ってしまうのも無理のないことであった。

 しかしながら、今の彼女にはそれが許されない。

 

「今は先客がいる。片手間で相手をするのは失礼だろう。故にここは引かせてもらう」

 

 チラリと息のない信一とそれを抱きしめる早苗を見つめ、六枚の翼で自らを覆い隠す。

 そして光となって消え去るのだった。

 

汝らに祝福を(יברך אותך)

 

 最後に、そう一言残して。

 

 

 

 

 

 どれぐらいの間、ここでこうしていたのだろうか。

 彼が目を開けて、まず思ったことはそれだった。

 時計を探してみるが、辺り一面は白い靄がかかったようで何も見えない。

 恐らくは雲の中とはこういうものなのだろうと、漠然と思うような光景だ。

 

 それと同時に、首が思うように動かせないという事実に気付く。

 首だけではない。五体全てで満足に動かせる部分などどこもない。

 まるで、かの者のように磔にされたように。

 

「……なるほど。これが十字架に磔にされるということか」

 

 信一は自らの現状を理解し、そして。

 

 感動した。

 

「イエス様と同じように十字架にかけられるとは……感無量だ」

 

 痛みとか、苦しみなんてものは度外視して信一は喜んでいた。

 キリスト教徒は、イエスのような誠実な生き方を日々目指して生きている。

 なので、イエスのようにと言えば進んでやる信者は多い。

 

 だが、十字架にかけられて喜ぶのはただのヤバい奴だ。

 

「この焼けるような痛み。呼吸すら妨げられる苦痛。一つ一つがイエス様の愛の深さを感じさせる。ああ…! イエス様はこれほどの痛みを自らの罪科ではなく、我ら人類の原罪を償うために背負ってくださったのか。なんという慈悲深さ! なんという愛! これ程までに救世主(キリスト)の意味を理解できたのは初めてだ! 主よ、やはり貴方は偉大である!!」

 

 ドMでもこれ程までに感動は出来まい。

 それぐらいの感情の昂ぶりを見せる信一だったが、正気を失ったわけではない。

 

「さて……つい喜びで取り乱してしまったが、これからどうしたものか。ミカエル様に裁きを受けるものとばかりに思っていたのだが」

 

 自分が死んだこと自体は理解していたのだ、この狂信者は。

 そして、現状については自分が罰を受けているとは欠片も思っていない。

 むしろ、彼にとってはご褒美だ。ハッキリ言って変態である。

 

『よくぞ、来たな。愛し子よ』

 

 そんな変態の下に霞の奥から声がかけられる。

 ()()()。ただの一声を聞いただけで、信一はそう思った。

 それ程までに美しい声であった。男性でも、女性でもない。

 だが、その声はあまねく美女の声を寄せ合わせても、足元にも及ばぬほどに美しい。

 人でないことは明らか。生物でもないことすら明らか。

 万人の理解に及ぶところにある者ではない。

 

 そして、その声はこう名乗った。

 

『わたしは子らの創造主。天の主だ』

「主…だと?」

 

 その言葉に信一の表情が変わる。

 まるで、あり得ないものを聞いたとでも言うように。

 怪訝そうに眉をひそめて。

 

『そうだ。愛し子よ、よくぞ生という試練を乗り越え天国の道へと辿り着いた。さあ、これよりわたしと共に神の国に行こう。案ずるな、神の国には全ての幸福と救いがある』

「ほお……それはどのようなものか聞いても?」

 

 どこまでも優しく甘く、相手を労う声で語りかける神を名乗る者。

 それに対して信一は、十字架にかけられたまま問いを投げかける。

 

『天国では多くの天使が侍り、豪勢な食事で子らをもてなすだろう』

「なるほど…他には?」

 

 天使からの祝福。地上では考えられないような食事の数々。

 如何にもな天国の情報にも、信一は興味がないように流す。

 

『天国では生命の危険に脅かされることなどない。永遠の安寧が約束され、皆が母に抱かれる幼子のように生きていける』

「他には?」

 

 とっとと終わらせろ。

 言外にそう漂わせながら、信一は続きを促す。

 とてもではないが、神を前にした狂信者の行動ではない。

 

『何よりだ。神の国へと行けば全ての試練は終わる。飢えに苦しむことも、痛みに苦しみことも、死に怯えることもない。試練から解放され愛し子らは、ようやっと救いを得るのだ』

「なるほどな……ならば我の返せる答えは1つだ」

 

 神を名乗る何者かが語り終えると、信一は確信したように答えを返す。

 

 

「去れ、悪魔(サタン)よ。人はパンのみに生きるにあらず」

 

 

 神の姿を真似る大罪人へと。

 

『……いつから気づいていた?』

 

 美しい声のままであるが、そこにおどろおどろしさが加わったものに変わる。

 だが、それに怖気づくことなく、むしろ信一は嘲るように鼻を鳴らす。

 

「確信したのは天国に救いがあると言ったところからだ」

『何がおかしい?』

「当然だ。イエス様を信じる時点で人は皆、()()()()()()。イエス様を信じた者が天国に行くのは真実だが、天国に行くことが救いではない。イエス様に救われたことを信じることこそがキリスト教。主がそのことを間違えるはずがない」

 

 そう、サタンは与えようとし過ぎたのだ。

 目に映る欲を餌に信一を引き込もうとしたが、それは間違いだった。

 真のキリスト教徒ならばこう言うのだから。

 

「そして、神と共にある。天国にこれ以上の幸福があるはずがない」

 

 神と共に生きる。それこそが究極の幸福。

 だというのに、サタンは目先の欲だけを彼に伝えた。

 真に全知全能足る神ならば、信一が望んでいることが手に取るように分かるはずだというのに。

 

「なにより……異教の神を愛する我に神が声をかけてくださるはずもない」

 

 そして、何より。彼は気づいていた。

 早苗を愛する限り、神が自分を認めるはずがないと。

 だからこそ、サリエルの訪問にも、サタンの誘惑にも動揺することがなかったのだ。

 

『哀れだな、人間。ただ女を愛することすら許されんとはな。改宗でもすれば楽なものを』

「人間とは欲深いものだ。愛する女も、信仰も、どちらも切り捨てることが出来ん」

『そうしてどちらも抱いたままに溺死するか? いや、既に死んだ後だったか』

 

 信一は既に死んでいる。

 これは変えようのない事実だ。

 だがそれが、天国に行けることにつながるわけではない。

 

『貴様は神からの救いを疑った。それは救いの手を自ら離すということだ。今の貴様に天国の扉を開くことは出来んよ。まあ、だからこそ、こうしてわたしが貴様にちょっかいをかけられるのだがな』

 

 キリスト教徒が天国に行く方法は1つ。

 イエスからの救いを心の奥底から信じることだけ。

 如何に罪を重ねていようとも、それが出来れば天国に行けるし、逆にそれが出来なければ如何に善行を積み重ねようとも行けない。

 

 単純でいて難関。

 まあ、だからこそ、信一のような狂信者が生まれやすいのでもあるが。

 

「ふむ、それは語弊があるな」

『なに?』

「我は確かに寿命を延ばそうと考えた。しかし、イエスの様の救いを信じなくなったわけではない。だからこそ、サリエル殿の口づけを受けたのだ」

『何が言いたい…?』

「キリスト者は体の復活、永遠の命が約束されている……今更ながらに気付いたというだけだ」

 

 問われたものの、信一は自分が優位に立っているとでも言うように嘲るように返す。

 この返答にはさしものサタンもイラつき、剣で刺すような言葉を向けてくる。

 

『復活できると信じて命を差し出したとでも言うのか? 声すらかけられぬ貴様が?』

「それでも我には信じることしか出来ん。自分は既に救われているのだとな」

『愚かな……貴様を救う神などこの世のどこにも居ぬというのに……』

 

 十字架にかけられながら自身の救いは約束されていると断言する信一。

 一体何の根拠があって言っているのか、サタンにも分からない愚か者。

 復活すると言っても、それは世界の終末にだ。

 それまで早苗が生きている保証などどこにもない。

 どう考えても上手くいくはずなどない。彼の望みは決して叶えられない。

 それを理解しているからこそ、サタンは。

 

『ああ…だが、そんな愚かな貴様だからこそ。わたしは―――救いたいのだ』

 

 信一を救おうと思ったのだ。

 ふいに辺りを覆っていた靄が晴れる。

 そして、1人の少女の姿が現れる。

 

「な…ッ」

『貴様が望むことはわたしが叶えてやる。愛する女と永遠に共に過ごしたいのだろう。ならば、この場所で永遠に愛を育むがいい。案ずることはない。神に最も近い存在であったわたしならば、1人の人間を完全に再現することなど容易い。体も、記憶も、性格も、細胞の1つまで完全に再現してやろう』

 

 サタンが何かを言っているが、信一の耳には入ってこない。

 その姿を見間違えるはずがない。その顔を忘れるわけがない。

 だって、それは。

 

『あれ? ここは…て、信一さん! なに磔にされて若干嬉しそうな顔してるんですか!?』

 

 紛れもない早苗のものであったから。

 

 

 

 

 

 日本という国を作った神が居る。

 

「早苗……もう離れなさい。奇跡でも起きなきゃ、死んだ人間は蘇らない」

「…………」

 

 イザナギとイザナミ。2人は夫婦であり、多くの神々を生んでいった。

 

「そうだぜ。敵討ちなら手伝う。だから今は…」

「霊夢さん…魔理沙さん……」

 

 しかし、妻のイザナミは火の神であるカグツチを生んだ際に死んでしまう。

 その死を嘆き悲しんだイザナギは、妻を連れ戻すべく――

 

「私、信一さんの後を追います」

 

 ―――黄泉の国へと向かうのだった。

 




小悪魔早苗ちゃん誕生。信一は誘惑に耐えきれるのか……。


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