早苗さんと神父くん   作:トマトルテ

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九話:人は神の下に平等である

 

「信一さん! 遊びに来ましたー!」

 

 バーンと、教会の扉を開け放ったのはパーフェクト美少女、東風谷早苗。

 今日も今日とて西洋河童こと西山信一に会いに来たのだ。

 

「あれ? 留守ですかね。まったく不用心なんだから」

 

 しかし、肝心の信一は教会におらず、静かな空気だけが早苗を迎えたのだった。

 

「それにしても、こういうときは携帯の有難みを実感しますね」

 

 誰でも迎え入れるという意図からか、鍵の開いていた教会に小言を言いながら入っていく早苗。

 外の世界とは違い、幻想郷では携帯などという便利なものはない。

 そのため、早苗は信一が帰ってくるまでにご飯でも作っておいて、良妻力をアピールしておこうかなと呑気に考える。

 そして、勝手知ったる顔で居住スペースへと向かうのだったが、そこであるものを見つける。

 

「あれ? これは……」

 

 早苗は一枚の紙を拾い上げ、手に取ってまじまじと観察する。

 それは少女らしい字体に、ハートマークや白蓮自身のイラストがあしらわれたチラシ。

 製作者のお茶目さを感じられる内容に早苗は見覚えがあった。

 

命蓮寺(みょうれんじ)建立手伝い募集のチラシ……ああ、そういうことですか」

 

 現代風に言えば、そのチラシはボランティアの募集。

 であれば、信一がどこにいるのかも分かる。

 

「ボランティアに参加するのは、キリスト教徒からしたら義務みたいなものですもんね」

 

 早苗は、そう小さく呟いて新たなる目的へと向かうのだった。

 もらった合鍵でちゃんと教会の鍵を閉めてから。

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。お茶を入れてありますので、少しお休みしませんか?」

「かたじけない、(ひじり)殿」

 

 工事作業の手を止めて信一が振り返ると、そこにはにこやかな笑みを浮かべる尼公(あまぎみ)が居た。

 彼女の名前は(ひじり)白蓮(びゃくれん)。幻想郷に新しく建てられる寺、命蓮寺の住職だ。

 だが、ただの住職というわけではない。

 

 不思議なグラデーションがかかった髪が示すように、彼女は魔法使いであり人外に近い。

 そして、従える弟子達も妖怪ばかりで、単なる僧侶とは一線を(かく)する。

 そもそもが、千年近くも魔界に封印されていたという経歴なので、寿命が人間のそれではない。

 

「いえいえ、寺の建立を手伝ってもらっている身ですから、お礼を言うのならこちら側です」

 

 しかしながら、物騒な評判とは違い彼女本人は非常に礼儀正しく、何より優しい。

 そもそも封印された理由も、弱い妖怪を保護していたことが発端なので、聖人と言っても過言ではない。

 

「それに……一度お話を聞いてみたいと思っていたんです。キリスト教というものの」

 

 だが、如何に聖人と呼ばれるような優しさを持っていても、彼女は1人の宗教家だ。

 当然、別の宗教とは信仰のために争うことも理解している。

 これはそのための情報収集だ。もっとも、彼女の場合は勉強の意味合いの方が強いのだが。

 

「なるほど、では我が話せることは全て教えよう」

 

 そんな意図を理解しながらも、信一は堂々と頷く。

 

「あら? もう少し渋るかと思ったのですけど」

「逆に問おうか、聖殿。貴方ならば教えを請われて拒絶するのかと?」

「ふふふ…いいえ。いかなる者であろうとも教えを求める者は拒絶しません」

「そうだろうな。後に裏切る提婆達多(ダイバダッタ)すら釈迦は受け入れたのだ。それは自らを十字架へと導いたユダを受け入れたイエスと通ずるものがある」

 

 縁側に腰かけながら信一は話す。

 彼のスタンスはどこに行こうが、誰に会おうが変わらない。

 求められれば全てを与える。それだけだ。

 

「粗茶ですがどうぞ。…そうですね、宗教は違えど似たような話はありますよね」

「かたじけない。…そもそもの話、世界のほぼ全ての宗教は突き詰めていけば『日々善い行いをせよ』という教えに集約される。ならば、それを説いた開祖達の行動が似るのもある意味で当然のことだと言えるだろう」

 

 差し出されたお茶を口に含みながら信一は語る。

 『人に優しくしなさい』どこの国の子供も教わる当たり前の道徳。

 それはほぼ全ての宗教で教えられている教義でもある。

 宗教の教えにそこまでの違いはない。

 

「だが、どの宗教にも決定的に違う部分がある。時にそれは同じ宗教内でも分裂の要因となる」

「ええ。仏教でも宗派により、違いも争いもあります」

「しかり。違いは些細なものから大きなものまで様々だが、我らの考えの違いは実に単純だ」

 

 しかし、世界は宗教同士の争いで日々満ちている。

 それは何故か? 

 

「神を人の上に置くか、平等の者として扱うか。これが我らの埋まらぬ溝だろう」

 

 答えは単純。自分と違う者を敵とみなす人の悪性があるからだ。

 

「聖殿。貴方は『人も妖怪も神も仏も全て同じ』と説くのだな?」

「はい。この世に居るもの全ては平等なのです。不当な差別などあってはならないのです」

「ああ、確かに。我もその言葉には素直に賛同したい。差別などあってはならぬし、この世は平等であるべきだとも思っている」

 

 朗らかに、それでいて自分の信念を曲げる気などない、とばかりに語られる聖の言葉。

 それを受けて、信一もまた彼女の言葉は正しいと頷く。

 だが、しかし。

 

「だが、1人のキリスト教徒として言わせてもらおう。この世は()()()()平等なのだ」

 

 神と人間が平等などという言葉は、決して受け入れられなかった。

 

「神の下に……ですか」

「そうだ。我らが信じる神は唯一絶対の存在。全知全能。何人たりとも並び立つことは許されぬ。それ故に人と神が平等ということはあり得ん」

 

 唯一神とは神の中で唯一という意味だけではない。

 この世に存在するありとあらゆるモノの中で、1つだけということも意味する。

 故に平等という言葉とは最もかけ離れていると言えるだろう。

 神の隣に立つことは許されず、同じ力を持つことも許されない。

 仮に神と並び立とうとするならば結末は万人共に同じ。

 

 (ロウ)で出来た翼を焼き尽くされるだけだ。

 

「なるほど、興味深い話です。ですが、疑問があります。なぜキリスト教は、そうまでして神を絶対のものとしているのですか?」

「ふむ……その成り立ちは話せば長くなるが、平たく言えば()()()()()()()だろう」

「救われたいから?」

「そうだ。人は弱い。故に自らを救ってくれる、縋るべき存在が必要なのだ」

 

 信一に自らの意見を真っ向から否定されたというのに、朗らかな笑みを浮かべる聖。

 それに対して、信一も相も変らぬ無表情を貫くが、自然と言葉には熱が籠りだす。

 

「我らの教義としては、ただ神を、イエスを信じさえすれば人間は救われるとある」

「ただ信じるだけで…ですか。南無阿弥陀仏と唱えすれば極楽に行けるという考えと同じですね」

「その通りだ。そして、この考えにおいて必要不可欠なものは上位者の存在だ」

「上位者?」

 

 平等とは真っ向から反対するような言葉に、聖は静かに問いかける。

 

「簡単な話だ。溺れ苦しむ者を救うには溺れていない者が必要だろう? 手を伸ばす弱者に、手を差し伸べることが出来る強者が必要なのだ。仮に全てが平等ならば、一体どこの誰が溺れる弱者を救い上げてくれるというのだ? 故に神は絶対的な存在でなければならない。山よりも重い苦しみから救って欲しいと願い、それに応えてくださる絶対の存在。それこそが、我らが主なのだ」

 

 所詮は他力本願と言われるかもしれない。

 神を信じてさえいれば、後は神が勝手に救い上げてくださる。

 自分勝手な解釈だ。願う相手が平等である人間であれば、癇癪を起こされるか、無視される。

 

 だが、神は違う。

 絶対の存在であるからこそ。明確に上に立つと定められているからこそ。

 身勝手な救いを求めても平然と応えてくださるのだ。

 その温かな手で、人を神の国へと引き上げてくださるのだ。

 

「平等と言えば聞こえはいいが、それは縋れる存在が居ないということでもある。

 どれだけ辛くとも、泣きたくとも、自分の足だけで立ち続けなけれならない。

 しかし、主が居ればそれらの問題は即座に解決する。

 

 辛ければ主の大樹のような愛にもたれかかり休めばいい。

 泣きたいのなら、声の限りに世の理不尽を神に吐き掛ければいい。

 復讐を望んでも何もせずともよい。主は悪を許さず必ず罰してくださる。

 

 何も案ずることはない。神は全知全能、唯一絶対。

 その愛は人類全ての想いを受け止めてなお余りあるのだ」

 

 人は必ずと言っていいほど、自らよりも上の存在を作る。

 民の上に王を。王の上に神を。

 それは人間が誰しも心のどこかで、全てを誰かに委ねてしまいたいと思っているからだ。

 

 赤子のように、ゆりかごの中で永遠にまどろんでいたい。

 全ての義務を放り出して縋れる何かをいつだって求めている。

 

「聖殿、貴方の平等主義は素晴らしい。我も神を含めなければ素直に賛同するところだ。

 だが、1つに問いたい。全ての者が平等ならば―――人は一体誰に縋ればいいのだ?」

 

 人は弱い。だから縋ることのできる絶対の存在が必要なのだ。

 それが信一の考えだ。

 

「人が縋るべき存在…そのために平等を捨てた上位者が必要ということですか……」

「さよう。自らに縋りつくを哀れな子羊達を救うために、主は孤高の唯一神となられたのだ。それはイエス様が人類の原罪を贖うために、自らを十字架にかけたことからも分かるだろう」

「全ての罪を。全ての救いを。自ら1人に集約させた神がキリスト教なのですね」

 

 信一の話を聞き終え、瞑想するかのように静かに目を閉じる聖。

 自らの信念を否定されても。彼女は狼狽えることも、激昂することもない。

 ただ、閉じた瞳の奥に。

 

「ああ……(かな)しいですね」

「哀しい…?」

 

 憂いと悲しみと(あわ)れみを湛えている。

 

 

「神が絶対の上位者であるのなら―――神様は一体誰に縋ればいいのですか?」

 

 

 趣返しとも言える言葉に、信一は本当に珍しく目を見開く。

 その台詞に、現人神を名乗る少女を思い出して。

 

「神様だって1つの命です。怒りたいこともあるでしょう。どうにもならない理不尽に泣きたいこともあるでしょう。何かに縋りついてしまいたいこともあると思います。でも、上位者だったら誰にも頼れない」

「……神の絶対性を否定するか」

 

 神も1つの命。

 神様はどこにでも居る。

 自分達と変わらない存在だ。

 そんな聖の言葉に、信一は複雑そうな声を零す。

 

「否定ではありません。そもそも、私と貴方では神の定義が違いすぎる。あなた方の神は唯一絶対でどこまでも特別な存在。私達の神はありふれた…とは言いませんが、八百万という言葉が示すように全てのものを示す存在。概念が違うのだから私達が幾ら話したとしても意見が合うことはない。そうではないでしょうか?」

 

 しかし、聖は相も変らぬ微笑みのまま首を横に振る。

 彼女は結論を急ごうとはしないし、無理に相手を言い負かそうとも思っていない。

 ただ、自分と相手がお互いによい時間を過ごせればいいと願っているだけだ。

 まだ高校を卒業したばかりの信一とは年季が違い過ぎるのだ。

 

「……そのようだな」

 

 故に信一も自然と鉾を下ろさざるを得なくなる。

 要は優しいおばあちゃんに喧嘩を売れるかという話だ。

 孫的には無理である。

 

「ええ。少し考え方が違うだけです。それに私も貴方の意見を理解できます。確かに人は弱いから誰かに縋りたいと思う。誰からも救われぬ平等は、尊いようで残酷なことだと理解もしています」

 

 穏やかな口調で、お茶を注ぎなおしながら聖は語っていく。

 

「でもですね。救いはなくても、助け合いは残ると思うんです」

「助け合い…?」

 

 救いではなく、助け合い。

 似ているようでその言葉は大きく違う。

 救いは一方的で。助け合いは相互関係だ。

 

「平等というのは誰が誰を助けてもいいということ。キリスト教徒の貴方が私を助けに来てくれたように、人間が神様を助けたっていいんです。上も下もないからこそお互いが肩を並べて歩くことが出来る」

 

 キリスト教としては人と神は平等ではない。

 神が人に手を差し伸べることはあっても、人が神に触れることは許されない。

 それはつまり、人間は神様を助けることが出来ないということだ。

 

「溺れているのに誰も救い上げてくれないのは辛いでしょう。でも、溺れている者同士で力を合わせて岸に這い上がることが、禁止されているわけじゃないんですよ? みんなが平等であるからこそ助け合いという美しい心が生まれることもある。私はそう思っています」

 

 そう言って茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせる聖。

 これが早苗ならば、信一も毒舌で返すこともできただろうが、何も反論できない。

 大人の包容力というものだろうか。

 

「……なるほど非常に勉強になった」

「いいえ、こちらも貴重なお話が聞けて良かったです」

「だが、我が考えを変えることはないだろう。我自身が誰よりも救いを求めているからな」

「ええ、私も同じように考えを変えることはないと思います」

 

 お互いがお互いを認めるものの、主張は曲げない。

 それが信仰というものなのだから。

 

「しかし……神は一体誰に縋ればよいのか…か」

「人間は弱いから縋るべき存在が必要…ですか」

 

 だが一考に値する意見はあった。

 神様が辛い時に手を差し伸べてあげる人間が必要だ。

 人間が辛い時に手を差し伸べてあげる神様が必要だ。

 

「聖殿。貴方の考えは宗教家としては異端だ。宗教は人の心に安寧をもたらすためにある。それは何かに身をゆだねて縋るということに他ならない。ならば、神や仏が人と平等では話が始まらない。そもそもの話、悟りとは救われたい、()()()()という欲すら捨てた先にあるもの。宗教としては相性が最悪だろう」

 

 聖本人の考えは宗教としては破綻している。

 他力本願に救われたいという弱い心を肯定せずに、平等という茨の道を()しとする。

 助け合いという平等(努力)がなければ救われぬと説くのだ。

 

「知っています。そもそもの話、仏陀(ブッダ)は宗教など作ってはいないのです。ただ、自らの哲学を他者に教え広めただけ。そしてそれも、自分が悟りを開くために修行をするという類のもの。万人を救おうなどという願いはなく、今の宗教としての仏教は後世に仏陀以外の人間が脚色したものに過ぎません。ええ、そうです。元々の仏教は他者を救うものではありません」

 

 それは聖も肯定するところだった。

 そもそもが、仏教は自らが悟りを開くために修行するもの。

 他の全てを救おうという大乗仏教的な考えは、他の宗教由来のものだ。

 

「ですが、貴方も言ったとおりに人は弱い。悟りを開きたくとも1人では難しい。だから助け合うのです。1人では悟りの道を歩ききることはできずとも、多くの者と一緒ならば必ず乗り越えられると信じて」

 

 だが、信じるという点では他の宗教と変わらない。

 悟りという境地があると信じて修行に励むのだから、それも当然だろう。

 

「それに西山さん。貴方達の考えも破綻しているのですよ。貴方達は神への愛を(うた)いながら神を救おうとしない。愛しているのだと言いながら、神様が泣いていても自分勝手に愛を叫ぶだけ。誰も神様の涙を拭いてあげようとしない。いいえ、誰も神様が()()()()()思っていない。愛とは相互理解の上に成り立つというのに、誰も神様を理解してあげようとしていない」

 

 耳の痛い言葉とはこういうことなのだろうと、信一は思う。

 しかし、反論の言葉が出ないことはない。

 

「神を理解しようという時点で思い上がった行為だ。神とは人間に理解できぬ存在だからこそ神なのだ。正義と悪の極致に至りながら、矛盾をせぬ完全無欠のお方。決して弱みを見せぬ理想の父性。我らは神を父と呼ぶが、人間の父親とて愛しい子らに弱き姿を見せんだろう? ()()の弱さを理解しようなどというのは、余計な世話でしかない」

 

 『愛は両想い、恋は一方通行』という言葉がある。

 しかし、この言葉にも誤りがある。愛にはただ与えるだけの無償の愛(アガペー)が存在する。

 神が人間に与えるのは、まさにこの類の愛だ。

 

 故に人間は神に愛を返さなくともよい。

 ただ、懸命に生きていれば受けた愛への恩返しとなるのだ。

 

「やはり、これに関してはどれだけ話しても平行線を辿るだけでしょうね」

「ああ…だが、しかし。神を聖書の神ではなく、八百万の神とするならば」

 

 この会話には勝者も敗者も生まれない。

 そう結論付ける聖だったが、信一が待ったをかける。

 そうして一度言葉を切り、信一は1人の少女を思い起こすのだった。

 

「我が彼女()の涙を止めてやるとしよう。相手を理解した上で愛を叫ぼう。これを平等と呼ぶのかどうかは分からんが、泣いている神を笑わせてやることなら我にもできる」

 

 それは聖の平等論を一部受け入れた考え。

 神様が何かに縋りたいときは、自分が支えになってやるという強い意志だ。

 

「ふふふ」

「む? なぜ笑うのだ」

「すみません。だって、貴方の言う神様はきっと好きな人のことなんですよね?」

 

 だが、しかし。実際の所はただののろけだ。

 それが分かったために聖は抑えきれずに笑ってしまったのだ。

 当然、笑われた信一はなぜ分かったのだと怪訝な顔をする。

 

「……なぜ分かる」

「簡単ですよ。だって貴方―――凄く優しい顔をしていますよ?」

 

 言われて、パッと自分の顔を触れて確かめてみる信一。

 聖はその行動にさらに微笑ましそうに笑みを深める。

 

「そうやって確かめるということは図星なんですね」

「……誰だってああ言われれば確かめるだろう」

「そうですね。そういうことにしておきましょうか」

 

 ああ言えばこう言う。

 まさに、年季が違う対応に信一は渋面を作る。

 それに対して、聖は素直になれない孫を見るような顔をする。

 

「ふふふ、そうした年相応の顔の方が好きですよ」

「そういう貴方は年相応の顔には見えんな」

「はい、よく皆さんから年齢より若く見えるって言われるんですよ」

 

 信一の精一杯の皮肉に対してもサラリと流す聖。

 そんな対応にこれは勝てないと彼は溜息を吐く。

 

「もう十分休憩はした。作業に戻るとしよう」

「そうですね。タメになる話が出来て私も楽しかったです」

 

 お茶を飲み干し、スッと立ち上がる信一に続き聖も立ち上がろうとして、空に浮かぶあるものを見つけるのだった。

 

「あら、あれは?」

「信一さーん! やっと見つけました」

「早苗か。我に何か用か?」

「用がなかったら会いに来たらいけませんか?」

 

 スタッと地面に着地をすると、本当にうれしそうな顔をして信一の傍に駆けていく早苗。

 その途中で聖へと色んな意味での牽制の視線を向けるが、聖の方は苦笑するばかりである。

 

「それで、信一さんはやっぱりボランティアですか?」

「無論。助けを求める者ならば異教徒だろうとも救わねばならない」

「いつものことですもんね。まだ手伝うことがあるようなら私もやりますよ」

 

 さりげない仕草で信一の隣をキープしながら、共に歩いていく早苗。

 そんな愛しい彼女の姿を横目で捉えながら、信一は先程の言葉を思い出す。

 神は一体誰に縋ればよいのか。

 

「……早苗よ。つかぬことを聞くが何か困っていることはないか?」

「ほえ? どうしたんですか、藪から棒に?」

「いや、何となくだ」

「ふーん……何となくですか」

 

 若干怪しむような目を信一に向ける早苗だったが、すぐに呆れたように笑う。

 分かっているのだ。こういう時は大体が照れ隠しだということを。

 だから、そういう時は自分がリードしてあげることにしている。

 

「それじゃあ、今度里に買い物に行くときについてきてくれませんか? 重い物を買うので男手があると楽なんですよ」

「お安い御用だ」

「言いましたね? 約束を破ったら針千本の奇跡ですからね」

「汝の場合、本気でやってくるだろうから恐ろしいな」

 

 あっさりとデートの約束をこぎつける早苗。

 これが正統派ヒロインの底力である。

 

「若いっていいですねー」

 

 そんな2人の姿を見ながら聖は微笑む。

 その姿はまさに年長者。圧倒的な余裕すら感じさせる。

 しかしながら。

 

「……ちょっと羨ましく感じちゃいますけど」

 

 彼女も乙女。

 仏門に入った以上、結婚などということは捨てているが、羨ましいと思うこともあるのだ。

 

 




試合に負けて勝負に勝つ。
多分今回はそんな感じだったはず(棒)

次回はなんかオリジナル書いてからだと思うので少し遅くなると思います。

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