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降りしきる豪雨が暴風に煽られ、真夜中の鎮守府、執務室の窓を叩く。机を初めとする調度品は簡素な物ばかりのすっきりした室内。そこに弱々しい照明に照らし出される2つの人影があった。
1人は机を前にして椅子に座っているこの鎮守府の提督。もう1人はその正面に立つ、艦娘である雷だ。2人とも普段は明るい振る舞いをしているのだが、今はその真逆であった。
「俺の指揮が悪かった。そうに違い無い。」
嗚咽を押さえ込み、絞り出したような声を提督が漏らした。力無く俯く彼の手には、「Ⅲ」のバッジと錨の意匠がある紺色の略帽が握られている。しかしそれは所々がボロボロにほつれ、穴が空き、黒っぽいシミが浮かんでいる。持ち主の身に何かがあったというのは一見して明らかだった。
「司令官、それは違うわ。」
雷がキッパリと言った。
「近海の警備よ。今まで何も検知されてなかった以上、こうなるなんて予想もつかないのは仕方無いわ。」
提督がギリッと歯軋りをして首を振った。目尻に溜まっていた涙が溢れ、頬を伝う。
「せめて響と君の2人だけでなく、もう1人ぐらいつけていれば…!」
響―それが略帽の持ち主の名前だ。雷と響は共に暁型駆逐艦で、言うなれば姉妹だった。残りの姉妹2人と第六駆逐隊を成し、今日まで様々な任務をこなしてきた。そしてこれからもこなしていく筈だった。
今朝、第六駆逐隊は雷と響、暁と電に分かれて鎮守府近海の警備に出撃した。だが敵との睨み合いが続く前線は遥か遠く。敵影など全く見かけない近海では、警備と言うよりかは散歩に近い感覚であった。
しかし実際には違った。いつの間にやら敵潜が警戒網を掻い潜り、近海に出て来ていたのだ。突然の雷撃は狙い違わず響へと吸い込まれ、瞬く間に巨大な水柱が立ち上った。後には赤黒く染まった海面と、ボロボロになった略帽が漂っているのみだった。
響喪失の報せを受けた提督は、譫言のように「分かった」とだけ言った。彼にとって響の喪失は、大切な部下を喪ったというだけでの話では無かった。響と提督は並々ならぬ仲だったからだ。互いにハッキリと好意を伝える事は無かったが、幾度も逢瀬を重ね、さながら夫婦のような仲睦まじい姿は鎮守府内でも有名であった。
提督の手に握られた響の略帽に、止めどなく流れ落ちる涙が新しいシミをポツポツと作る。見兼ねた雷がそっと彼の傍へと進み出て寄り添った。
「司令官…。」
雷が声を掛けると、提督はおもむろに泣き腫らした顔を彼女へ向けた。そしてゆっくりと略帽を持ち上げて雷に被せ、口角をひくつかせながら僅かに上げた。
「姉妹だからか良く似合う。いや、響…響だ…。」
焦点の結ばれていない虚ろな視線が舐めるように雷を這う。最早正気を失ったようにさえ見える提督を、雷は優しく、赤子をあやすように抱きしめて囁いた。
「司令官…私は響じゃないし、響になれる訳じゃ無い。戦いの中に身を置く以上こうなるかも知れないって、司令官だって分かってたでしょ…?だからもう泣くのを止めて、帽子だけでも帰れて良かったって踏ん切りを付けて欲しいの。響はもう、居ないのよ…。」」
響はもう居ない。その事実は誰よりも現場に居た雷がよく知っていた。何があったのか、どんな最期だったのか。彼女は全てを見て、知っていた。
当時、響は雷の前方を航行していた。特段緊張する事も無く、軽い散歩気分。しかしそれは響だけだった。
背後に居る雷の心には、何とも形容し難い暗雲が立ち込めていた。提督に気があるのは何も響だけでは無い。雷もまた、提督に想いを寄せる1人であった。いや、想いを寄せるどころか何度も素直に好意を打ち明けていた。しかしそれに対する提督の反応は期待していたものではなかった。幼い女の子が父親と結婚したがるような一時的な気の迷い程度にしか思ってもらえず、まともに取り合ってはもらえなかったのだ。
そんな雷から見れば響は怨嗟の対象に他ならない。響が無防備に背中を見せている今、雷は己の内に渦巻く欲望を抑えきれなくなっていた。
(響を消せば、私を見てくれるかもしれない…。)
スッと主砲を響へ向けたが、やはり躊躇いが無い訳では無い。実行すれば味方殺し、姉妹殺しの汚名を着る事になる。だがそれでも彼女は覚悟し、決意した。如何なる汚名を着ることになろうとも、全ては司令官を我がものとする為。そこには一切の諦めも妥協も受け入れられなかった。
突如轟く12.7cm連装砲の咆哮。放たれた砲弾は響の背中へと突き刺さって艤装を滅茶苦茶に破壊した上に、響自身にも重傷を負わせた。倒れ込み、激痛に身悶えする響。砲の構えを解いた雷は荒い息をする彼女へと歩み寄り、その首に両手を掛けた。
「雷…?どう、して…?」
消え入りそうな掠れた声で響が訊いた。
「邪魔だった。他に理由が要るかしら?」
雷は飄々と笑って答え、手に渾身の力を込めた。指が柔らかな皮膚に食い込み、ギチッと音を立てる。響が物言わぬ肉塊へ変わるのに、さほど時間は掛からなかった。
雷が手を離すと、ソレはトプンと海に沈んで行った。海面に主を喪った略帽が漂っている。
「何も無いのも不自然かしら…?」
迷った末に略帽を拾い上げ、持ち帰った。
帰投すると、すぐさま敵潜の奇襲で響を喪失したと報告した。提督の悲しむ姿を見たくは無かったが、こればかりは仕方が無い。
「響はもう、居ないのよ…」
響を絞め殺したその手で、愛しい人を抱き締める。彼女の胸で泣き咽ぶ提督は、生涯真実を知る事は無いだろう。だがそれでいい。まだ第一歩を踏み出したに過ぎない。
雲間から稲光が閃き、一瞬だけ辺りが照らされる。浮き上がった雷の顔には、歪な笑みが張り付いていた。