海神討伐から数日、ガッツ達を乗せたシーホース号は人魚たちの先導のもと、順調な航海を進めていた。
人魚たちが海中の化け物たちをその歌で追い払ってくれていたので、それからの航海は穏やかなものであった。ガッツの傷もシールケやファルネーゼ、そしてパックとイバレラの献身的な治療の甲斐もあり、ほぼ全快していた。
航海は文字通り順風満帆、乗組員たちは海神との戦いを熱く語り合い、人魚と時に談笑していた。
日に日に、目的地である妖精島に近づくにつれ、乗員の心には安堵が広がっていった。
…一人を除いて。
月が天頂に達し、皆が寝静まったころ、聞こえるのは船が波をかき分ける音と、船の木材がたてるギィッギィッという音だけだった。
ガッツはそんな船の甲板に、一人佇んでいた。
日ごとに妖精島近づくごとに、ガッツの心は揺れていた。
もう二度と失わない
その思いだけで、今日までがむしゃらに剣を振り、闇をかき分け、自分の愛する
者、キャスカが心静かに暮らせる唯一の場所、エルフヘルムを目指して来た。
しかし、旅の終わりが近づくにつれ、本当にこれで終わりでいいのかという思いが頭をもたげていた。
今こうしている瞬間も、アイツは、仲間を、自らの野望のために捨て去ったあの男
は、自らを光の鷹と名乗り、そしてその仲間を食い殺した使途どもが「鷹の団」を名乗っている。
…それがガッツには許せなかった。
そのことを考えると、ハラワタが煮えくり返る思いがする。
そして自分の中の黒いものが、その度にせきたてる。
「なぜこんなところにいるんだい?」
「お前の牙が届くこの世界に、アイツは居るのに。」
「さっさとアイツの所に行こうよ」
「お前の憎む<愛しい> 敵<友>のもとへ」
…自分でも分かっている。キャスカを守ることとアイツに挑むことは両立し得ないことは。
それでもガッツの中で葛藤が消えることは無く、この夜も寝付くことはできずに
こうして船をうろうろしていたのだ。
月に照らされた海を、しばらく眺めていたが、こつこつと杖を突く音と足音が近
いてきた。
ガッツが振り向くと、そこにはいつもの魔女姿のシールケが少し頬をふくらませて立っていた。
「ガッツさん! また甲冑を付けて…」
まったくもう、傷に響きますよと言いながらガッツに近寄っていった。
「なに、ちょいと夜風に当たりに来たのさ。お前こそどうした、こんな夜中に。」
チビ共はもう寝たのかとガッツは聞き返した。
夜風に当たるだけなら、鎧も剣も必要ないだろうとシールケは思ったが、もう諦めている。
言ったところで、ガッツが改めるとは最早思っていなかった。
パックとイバレラならもう寝ています。と応え、
「いえ、私も眠れなくて。ほら、こんなに月も明るいですし。」
そう言ってシールケは天を仰ぎ見た。
それにつられて、ガッツも空に煌々と輝く満月を見上げた。
二人ともしばらくそうしていたが、唐突にシールケがガッツに話しかけた。
イスマの母親が言うには、このまま順調にいけば、朝日が昇る頃にはスケリグ島に着くこと、もうここは妖精の王の領域のため、魔物が襲ってくる心配もないことを告げた。
その情報に、ガッツはいよいよ来るときが来たのだと感じた。
ガッツの脳裏に最後に海辺で出会った、髑髏の騎士の声が木霊する。
守るか挑むか、己の魂に問い続ける
今までそのことで悩み続けていた。
だが、もう目的地はすぐそこだ。そうなった今、まずは目の前の戦(いくさ)に
集中しよう。そう思えた。
そう考えがまとまると、ガッツは少し体が軽くなったような気がした。
となれば、明日に備えよう。戦の前には体調管理が最優先だ。
「そうとわかりゃあ今日はもう寝よう。明日が辛くなるぜ。」
ガッツはそう言うと船内への入り口へと向かっていった。
そんなガッツを見て、シールケは少し安堵していた。
ガッツは気づいていなかったが、ここのところ、ただでさえ強面の顔が日ごとに険しくなっていた。
念話で繋がっている影響か漠然とだが、日が経つにつれガッツの焦りのようなものが強くなっていくのを感じていた。
だが今、もう寝ろと言ったガッツからはそういったものを感じることはできなかった。
「待ってください。」
シールケはガッツの横にまで小走りで駆けていった。
そして、やけに船内からの明かりが眩しいなと思いながら、二人は入口から船内
へと入っていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこには入口など無かったはずなのに
「「なっ!? 」」
ガッツとシールケの二人は驚愕し、声を上げた。船内に入ったと思った次の瞬間、二人は白い空間に放り出されたのだ。
どこまで続いているのかも分からないほどの、まっ白な空間。そこをガッツとシールケは漂っていた。
「いったい、どうなってんだ…こりゃ?」
ガッツが焦りを隠しきれない様子でシールケに疑問を投げかけた。
「わかりません!しかし、感じます。ここは時間や空間が極度にひずんでいます。
離れないでください。一体なにが起こるか予想もつきません!」
バシュッ
「「!!!」」
「シールケ!!
ガッツさん!!」
シールケがくっついているのが得策だと言い、正面の互いに手を伸ばしたところで、ふたりは同時に声をあげた。
突如として二人の背後にゲートが現れ、ものすごい力で引きこもうとしたからだ。
シールケもガッツも、渾身の力を込めて互いに腕を伸ばした。
シールケがガッツの指先をつかんだと思われたが、ガッツの右手の指先に巻かれた包帯が解け、ガッツはシールケを捕まえることができなかった。
そうして二人は、別々のゲートに飲み込まれた。
シールケが目を覚ますと、そこは深い森の中だった。すでに日は落ちて暗闇があたりを包み、わずかな星の光さえ鬱蒼と茂る木々が遮っていた。
しばらく周囲を見回していたシールケだったが、あることに気付く。
「ガッツさん!!」
そこにはガッツの姿はなかった。急いで念話も試してみたが、通じない。
かなり遠くの、別々の場所に転移してしまったようであった。
まずい、とシールケは思った。あのゲートが何であったのかは分からないが、今まで海の上にいた自分が森の中にいるというだけでかなりの距離を移動したということだけはわかる。
名のある魔術師は、幽界を通り、遠方へと瞬時に移動できると聞いたことがあるが、もしかしたら自分たちはその入口に踏み入ってしまったのかも知れない。
そこまで考えたところで空を仰ぎ見たシールケは、何はともあれ、まずは火を起こさなくては、と思い立った。もう日が落ちている。
獣や浮幽霊、トロールの類の気配は今のところ近くにはないが、火を焚けばとりあえず獣は寄ってこないし、望みは薄いがガッツが見つけてくれるかもしれないと考えたからだ。人とはぐれた時はその場を動かないのが一番だ。
そこで、ふとシールケは手に何かを握りこんでいることに気づいた。
手を開いて見てみると、それはガッツの手に巻かれていた包帯であった。
シールケはそれをきつく握りしめると、大切に鞄の中にしまった。
パチパチと、音を立てる焚き火を眺めながら、たった一人で夜を過ごすのは、一体何年ぶりだろうかと、シールケは考えていた。
小さなころから、自分のお目付け役だと言っていつも一緒にいた妖精のイバレラは、そばには居ない。
時には煩わしいと感じる程によく喋る、あの小さな友人の声はなく、一緒に飛ばされた人物は行方も知れない。
寂しかった。
あれから光体を飛ばし、上空からガッツを探してみたが、生い茂る木々が邪魔で見つけることは出来ず、ガッツの気(オド)を辿ることも出来なかった。
幸い、気温は低くなく、凍えることはなかった。しかし、心はとても寒かった。
考えこんでいる内に、魚の焼けるいい匂いが漂ってきた。シーホース号では、薬草を煎じるのに専念していたため、夕食をとっていなかったのだ。
そうすると、人間どんな状況でもお腹は空くもので、焚き火の準備ができたところで盛大に腹の虫が鳴いたため、近くの小川から取ってきたのだ。
オドを操れば魚は勝手に岸に打ち上がってくれたし、味付けも清めの塩を幾分か持っていたのが幸いした。
程よく焼けたところで、手を伸ばそうとした。
しかし、その時シールケは、凄まじい速度で人間でも獣でもないオドが、こちらに向ってきているのを感じ取った。
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その人物はアスファルトで舗装された道路の上に倒れ伏していた。
空腹だった。
これ以上何も食べられなければ、野たれ死ぬと確信する程に。
もう少しで町がある。そこならば食べる物もあるかも知れないと思いここまで来たが、そろそろ気力の限界だった。
うつろな目線の先には、故郷を出た時から持っていた木刀が転がっていた。
自分には為すべきことがあるのに・・・
そう思いながらも、もう一歩も踏み出す力さえ残っていなかった。
ここまでか、情けない。
勝手に飛び出したのに、何もできずに終わってしまうのか…
地面に倒れ伏し、目の前が暗くなっていくのを感じながら、自分の死を覚悟したその時
鼻腔を、魚が焼ける旨そうな匂いがくすぐった。
その途端、その人物は木刀を拾い上げ、飛び起きた。
そして、己の身体のどこにそんな力が残っていたのかと、本人でさえ不思議に思うほどの速さで匂いの方向へと駆け出した。
夜の森をまるで風の様に走り抜ける
そして、その先に明かりが見えた。
焚き火の光だ
匂いはそこから漂っていた
そのすぐ横に人影があることにもそこで気づく。
まずい、人だ。こちらには背を向けているため、顔は分からない。
背丈はそんなには大きくない。
――頼めば一匹くらい分けてくれるかもしれない――
そういう考えが一瞬頭をかすめたが、振り払う。
物乞いするなど、己のプライドが許さなかった。
ならば、仕方ない。
自分には絶対に為さねばならないことがあるのだ。
相手には悪いが、少し眠っていてもらおう。
そう一息に決断すると木刀を握る手に力を込め、未だこちらに気づいていない人影に飛びかかった。
バチンッ
その次の瞬間、目の前で強い光がほとばしり、強い衝撃に弾き飛ばされた。
そして地面に叩きつけられたところで、今度こそ、その人物は意識を手放した。
高速で自分に近づいてくる気(オド)を感じたところで、シールケは鞄からロープを取り出し、結界を張っていた。
そして、茂みから飛び出した黒い影は結界に阻まれ、はじかれた。
「ぎゃん!!」
そう言って転がった影に、シールケは杖を構えながら近づきその正体を確認した。
「人間の子供?」
自分に飛びかかってきたのは、年のころ10歳ほどの少年だった。
見慣れない服と靴をまとった少年で、白い頭髪の真ん中にだけ、真赤な髪が生えていた。
シールケはそんな子供に違和感を感じていた。
「しかし、この気(オド)は……これは!!」
うつ伏せに倒れていた少年を観察したシールケは、そこであることに気付く。
それは少年のお尻から生える、まっ白い尻尾だった。
がふがふ、バリボリ、むしゃむしゃ、ごっくん。
しばらくして、目を覚ました少年が、焼いた魚を骨ごとかじる勢いで平らげていくのをシールケは眺めていた。
あのあと、少年を起こし、シールケは何者かと問いただそうとしたが、目を覚ました少年は開口一番に
「ご、ご飯・・・」
と呟いたため、シールケは魚を譲ったのだった。
襲ってきた相手なのだから、問答無用で退治してもいいようなものだが、見た目が人の子供であることに少し気が咎めたのであった。
やがて、爪楊枝で歯の間に挟まった食べかすを取っていた彼は、
シールケに目を向けると急に、シールケに深くお辞儀をした。
「不意打ちで襲いかかるという無礼を働いたにも関わらず、食糧まで分けていただき、真に感謝するでござる!!」
頭を地面に擦りつけんばかりのお辞儀に、シールケは少し狼狽した。
「い、いえ。」
それよりも、とシールケは言う。
「お腹が空いているのなら、襲いかかる前に一言声をかければ良いでしょう。」
もっともな発言だったが、目の前の少年は気まずそうに言った。
「拙者は武士でござるゆえ、物乞いは出来ぬ。んで仕方なく・・・」
’ブシ’とはなんだろう、騎士とは違うのだろうかとシールケは思ったが、まずは相手のことを知ろうと思った。
なにしろ、この右も左も分からない地で出会った話の通じる相手だ。
何か有益な情報を得られるかもしれない。
「私はシールケといいます。あなた、ウェアウルフ(人狼)のようだけど・・・まずは名前を教えてくれる?」
自分から名乗るあたりがシールケの律儀なところだろう
その言に少年は、これは失礼をば と居住まいを正し名乗りを上げた。
「拙者はシロ。犬神族の子、犬塚シロと申す。」
これが、この世界に来て初めての、本来の歴史にはないはずの邂逅だった。
この出会いがどう物語に作用するのか、それは作者にもまだわかりません。