私の名前は氷川 理奈。
今日はArtemisのボーカル、木原 梓さんが日本に帰ってくるという事で、私も一緒に空港に迎えに行く事になっている。
………え?
何でこの話のモノローグが私なのかしら?
この話こそ貴さんや渚がやるべきじゃないの?
Artemisのメンバーの誰かがやるとかあるじゃない。
それにしても新章に入ってからCanoro Feliceのメンバーって姫咲さんしか出てないわよ?しかもちょい役。
大丈夫なのかしら?
私が2階にある自室を出て、1階のリビングに行くと母がテーブルの食器を片付けている所だった。
「あら?理奈、おはよう。今日は下りてくるのが早いのね。作曲の方はいいの?」
「ええ。今日は用事があるから。それより、父さんはまた逃げたのかしら?」
「お父さんはもう仕事に行ったわよ。別に理奈から逃げてるとかじゃないでしょう」
私の父は15年以上前に趣味という形でバンド活動をしていた。学生の頃はメジャーデビューを夢見ていたようだけど。
メジャーデビューの夢を諦め、趣味であるバンド活動を辞めた父も、BREEZEと共にクリムゾンエンターテイメントと戦うアルテミスの矢の一員だったと聞いている。
その時の話も詳しく聞きたいのだけれど、私を大学に復学させた理由。その理由を問い詰めようとした日から、私は父の姿を見ていない。
母が今、父は仕事に行ったと言ったように、家には帰って来ているのだとは思うのだけれど…。
「理奈、朝御飯はどうする?パンでも焼こうか?」
「いえ、もう少ししたら出掛けるからコーヒーだけ淹れてもらえるかしら?」
私がそう言うのがわかっていたのか、母はすぐにコーヒーを私に出してくれた。
これが母娘で通じ合うという事かしら?それとも日常?
クスッ、そんな歌詞を作るのもいいかもしれないわね。
・
・
・
「では、私は行ってくるわ。今日も晩御飯はいらないと思う」
「タカさんとデートかしら?」
15年前のあの頃。私は父に連れられて、よくBREEZEのライブなんかにも行かせてもらっていた。それに貴さんや英治さんの話では、父は今でもよく3人で飲みに行っていたらしい。
母がBREEZEのTAKAを知っているのは当然だろう。
「気持ちの悪い事を言わないでちょうだい。そんなのじゃないわ」
「タカさんと会うのは否定しないのね。クスクス」
……。
そ、そりゃ今日は貴さんも来るわけだし…。
「そんなんじゃないわよ。行ってきます」
「あ、理奈、待って」
私は話をはぐらかしたい気持ちもあり、急いで家を出ようとしたら母に呼び止められた。
「何かしら?あんまり時間も無いのだけれど」
さっきリビングにある時計を見た時は、まだ余裕がある時間だったのだけれど、貴さんとの事を何か言われたら恥ずかしいと思い、私は早くこの場から去りたい気持ちでいた。
………恥ずかしい?
……私と貴さんはそんな関係でもないし恥ずかしく思う必要はないのだけれど。
「理奈は…」
何なの母さん。は、早く言って頂戴!!
わ、私は何をドキドキしているの……!
「理奈は……弟か妹ならどっちが欲しい?キャッ、言っちゃった///」
…
……
………
…………は?
母は何を言っているのかしら?え?本当に何なの?
あ、もしかして父のmakarios biosが存在する事がわかったとかかしら?父の遺伝子で造られたmakarios biosなら私の弟か妹と言っても過言ではないのかも知れない。
いえ、そういえばmakarios biosは女の子だけと言っていたわね。だとすれば弟になる事はないわ。それにmakarios biosはボーカルからのみ造られたと言っていた。
父はメジャーデビューを夢見ていた学生時代も、趣味としてやっていたバンド時代でもボーカルではなかったわ。
落ち着くのよ私。もしかしたら澄香さんのmakarios biosのようにボーカル以外から造られた可能性も…。
「理奈、お母さんもしかしたらね……」
……!?
こ、これはヤバい。これ以上聞くのは危険だわ!
「ご、ごめん、母さん。ちょっと時間無いから。い、行ってきます!!」
私は逃げるように玄関を出た。
あ、朝から何て話をするつもりだったの!?
父さんと母さんってそんなラブラブだった!?
いや、違う。そうじゃない。え?でも……。え?
そ、そんなラブラブ夫婦は奈緒の所だけでいいのよ…。
うちはそんな事はないはずだわ…。うん、ないはず。
私は心にモヤモヤしたものを残しながら、渚のマンションへと向かった。
・
・
・
予定の時間より早く渚のマンションに着いてしまった。
あんまり早すぎるのも迷惑よね。もう9月の中頃だというのにまだ暑いし、そこのコンビニでアイスでも買って行ってあげようかしら?
私が近くにあるコンビニに入ろうとした時、大きめのトラックが数台、渚のマンションの前に止まっているのが見えた。引っ越しかしら?梓さんの荷物?
それにしてはトラックの台数が多いわね。
「あれ?理奈?」
私は不意に名前を呼ばれ、声のした方へと目を向けた。
「志保、おはよう」
そこには私達Divalのリードギターを担当している雨宮 志保が居た。
「予定の時間より早くない?」
「ええ、ちょっとね。早く来すぎてしまったものだから、アイスでも買って伺おうと思っていたところよ」
「え?そんな気を使わないでもいいのに!」
そう言って志保はコンビニのアイスコーナーへと走って行った。そうね、好きなのを選んで頂戴…。
「志保、そう言えばマンションの前にトラックが数台止まっていたのだけれど…」
「ああ、うん。なんか来夢ちゃんがうちのマンションに引っ越してくるんだって。う~ん……チョコミントにするか…それとも無難にバニラ…?う~~~ん…」
志保…。
「そうなのね。来夢ちゃんの引っ越しにしては遅くないかしら?もうこっちに異動になってから半月くらい経ってるじゃない」
「んー、何か今までは社宅に住んでたらしいよ。あっちで荷物の準備が終わったから、うちのマンションに引っ越して来るんだってさ」
来夢ちゃんというのは、私達Divalのボーカル水瀬 渚の妹であり、私達Divalのチューナーになってくれた女の子。
渚と同じマンションに引っ越してくるのね。
でもそれにしたってあのトラックの台数は…。
「よし!あたしはガチガチ君にしよ!なんてったって氷雪系最強だしね!」
志保、さっきまでチョコミントかバニラかで悩んでいたのに…。
「そう。来夢ちゃんも渚のマンションに引っ越してくるのね。梓さんもこのマンションに引っ越してくるようだし、色々な意味で騒がしくなりそうね」
渚も来夢ちゃんや梓さんも同じマンションになって嬉しいでしょうね。
……梓さんもこのマンションに引っ越しという事は、貴さんも頻繁に出入りするようになるかしらね。
って、私は一体何を考えているの…。
「あー、それなんだけどね。何かうちのマンションの屋上に何か改築が入るみたいでさ。その為の工事のトラックも今日は来てるみたい。改築工事終わるまで、ほんと騒がしくなりそうだよ」
屋上に改築工事?
このマンションのオーナーは渚のお父様よね?
どんな改築をするのかしら?
私は渚と香菜の分のアイスを適当に選び、志保の選んだガチガチ君と一緒にレジに出した。
「そういえば志保は何故コンビニに?」
コンビニを出て、渚のマンションに向かう道中で私は志保に尋ねてみた。
「ああ、夕べもそよ風でご飯になったし遅くなったじゃん?だから残り物っての無いからさ。朝ごはんはコンビニのパンにしようと思って」
夕べも遅かったものね。そよ風の後も美来ちゃんがラーメンを食べたいと言うものだから、結局みんなでラーメン屋にも行ったし。
「渚はもう起きてるかな~?」
「あら?渚はまだ寝ているの?てっきり梓さんと会えるものだから、早起きしていると思ってたのだけれど」
「あ、うん。それのせいで夕べはなかなか寝れなかったみたい。だけど、朝方に寝ちゃってね。あたしが起きた時はまだ起きてたみたいだよ」
ああ、遠足とかの前に寝れなくなるって感じのやつかしらね。
「さ、あがって」
「ええ。お邪魔するわね」
渚の部屋にあげてもらい、志保に断りをいれてから冷凍庫に買って来たアイスを入れた。
渚や志保と出会ってまだ3ヶ月程だというのに、この部屋にも何度も来ているわね。
「もぐもぐ。理奈もアイスコーヒーでいい?」
「志保、食べながらは行儀が悪いわよ。私が淹れるわ」
「あ、ありがと。もぐもぐ」
私が冷蔵庫に入っていたアイスコーヒーをコップに注いでいると志保が聞いてきた。
「渚も理奈も、もちろん貴もだけど今日は梓さんのお迎えに行くじゃん?」
「ええ。その予定よ」
「そうだよね」
志保?どうしたのかしら?
「楽しみだよね。あたしも梓さんに会うの楽しみだし」
ああ、そういう事ね。
この子はもう少し素直になればいいのに。
「貴さんも迎えには来るみたいだけれど、顔を見せたら私と渚、澄香さんに任せるらしいわよ。貴さんはLazy WindとAiles Flammeのライブには間に合うようにファントムに向かうつもりみたいよ」
そう。今日はファントムで元BREEZEのベーシスト拓斗さんのバンド、Lazy WindとAiles Flammeの対バンがある。
貴さんには当日にサプライズのつもりで拓斗さんから言うつもりだったらしいのだけれど、梓さんの帰国の報を受けて予定が変更になった。
貴さんは『え?何でライブの予定とか当日報告なの?何のサプライズ?誰も喜ばないじゃん。Ailes Flammeのライブとか俺も見たいんだけど?』とか言っていた。
普通そうよね。ライブの日程をサプライズとか、予定を入れちゃってたらどうにもならないわけだし…。
「あ、そ、そうなんだ。貴も来れるんだね…」
「貴さんに今日も会えると思って嬉しいかしら?」
「いや、理奈や渚と一緒にしないで」
何て低い声を出すのかしら。正直謝る所だったわ。
「明日香の楽しい音楽もだけど…貴には江口達の、Ailes Flammeの演奏を見てもらいたいから」
「大丈夫よ。拓斗さんも江口くんも貴さんに内緒にしてるもんだから、昨日、拓斗さんは貴さんに殴られてたじゃない」
貴さんもAiles Flammeの演奏を見たいのよね。
きっとファントムのバンドとなったLazy Windの演奏も…。
「えへへ。今日も貴に会える…///」
志保?
-ピンポーン
呼び鈴?あら?こんな早くに誰か来たのかしら?
香菜は今日はバイトがあるから無理と言っていたのだけれど…。
「はいはーい」
志保が返事をしながら玄関へと向かった。
いつも思うのだけれど、呼び鈴が鳴って玄関へ向かう時に、室内で返事をして相手には聞こえるのかしら?
「理奈、ごめん」
玄関から戻って来た志保が私に謝ってきた。
どうしたのかしら?
「今日のAiles FlammeとLazy Windの対バンの準備が大変みたいでさ。あたしもさっちと一緒に準備の手伝いに行って来るよ」
「対バンの準備?」
ああ、今日は貴さんもトシキさんも梓さんのお迎えに行くのだものね。それにしても…。
「ええ。わかったわ。準備がキツそうなら私もそっちの手伝いに回るわよ?でも、そんなに大変なの?」
貴さんやトシキさんがいないとはいえ、英治さんも三咲さんも初音ちゃんも居る。
それに今はSCARLETのスタッフも居るのに…。
「あ、んとさ。Lazy Windってお客様に来てもらう為に…あの…その」
どうしたのかしら?何か言いにくい事?
「理奈にはちょっと言い辛いんだけど…、『Blue Tearの架純ちゃんがバンドを始めました』って宣伝をしたみたいで……当時のファンの人が殺到したらしくて…」
ああ…そういう事ね。
まぁ確かにLazy Windもファントムのバンドとして活動をする以上は、たくさんのオーディエンスに聴いてもらいたいでしょうし、お客様がたくさん来てくれた方が収入的にも……ね。
でもだからと言って、御堂さんの名前を使って呼び込みをするのはどうかと思うけれど。音楽を聴きに来ると言うよりアイドルのショーみたいな感じにならないかしら?
それにそもそも御堂さんのBlue Tearはクリムゾンエンターテイメントに……。
私はそこまで考えてハッとした。
そうよ。御堂さん達Blue Tearの居た事務所はクリムゾンエンターテイメントに潰された。
それだけじゃない。御堂さんはその後はクリムゾンエンターテイメントに移籍になって喉を壊した。
それから拓斗さんと出会ってLazy Windとして、クリムゾンエンターテイメントのバンドと戦っていた。
クリムゾンエンターテイメントが御堂さんの事を知らない訳がない。
御堂さんの名前を使ってBlue Tear時代のファンを呼び込む事は出来るでしょうけど、大々的に宣伝をしたのなら、クリムゾンエンターテイメントにも知られる事になる。それって危険じゃないかしら…。
「理奈?やっぱり怒ってる?架純さんの名前を使って宣伝するとか…その…」
「いえ。怒ってなんかいないわ。今の自分達の音楽を聴いてもらいたいなら、一番手っ取り早い方法だもの。
私達も元charm symphonyのRinaの居るバンドと宣伝してもいいのよ?」
「も、もう!何言ってんのよ!」
「冗談よ。クスクス」
そう、冗談。
私がcharm symphonyのRinaだという事はバレているにしても、大々的に宣伝してしまえば、クリムゾンエンターテイメントも私達Divalを放ってはおかないでしょうね。
charm symphonyの事務所も今はクリムゾングループの会社な訳だし、Kiss Symphonyの事もあるものね。
拓斗さんももちろん御堂さん達もそんな事をすればどうなるのか想像は出来るはず。今までクリムゾンエンターテイメントと戦って来たのだし、私達よりもクリムゾンのやり方はわかっているはずなのに…。
「ねぇ、志保」
「ん?何?」
急いで出掛けようとしている志保だったのだけど、私はひとつの疑問があった。これは聞いておきたいわ。
志保が知っているかどうかはわからないけど…。
「その御堂さんの件なのだけれど、拓斗さんもその事は知っているのかしら?」
「え?元Blue Tearの架純さんが…って宣伝した件?」
もし拓斗さんも知っていて、Lazy Windの案なのだとしたら、考えられる事はふたつ。
自分達を囮にしてクリムゾンエンターテイメントのミュージシャンを炙り出す為。
クリムゾンエンターテイメントが下手に手を出せないように、一般のお客様を増やす為。
恐らくこのふたつのどちらか…。
だけれど、もし拓斗さんがこの案に関わっていないのなら…。
「ん~?拓斗さんは知らないんじゃないかな?
明日香と架純さんと聡美さんで話し合って決めたって言ってたよ」
そう、拓斗さんは知らない可能性があるのね。それなら…。
「んで?それがどうかした?」
「いいえ。何でもないわ。気を付けて行ってらっしゃい」
「え?うん。ありがと。行ってきます」
そう言って志保は出掛けて行った。
沙智さんもいるのに長話でひき止めてしまって申し訳無かったわね。
しかし、拓斗さんが知らないのなら選択肢は増えたわね。拓斗さんに内緒で…となると。
自分達を囮にする事や、一般のお客様を巻き込み兼ねない案って事も考えられないか…。そうなる事を懸念はしていたとしても。
そう言えば夏野さんの事や、クリムゾンエンターテイメントに入った元Blue Tearのメンバーが居ると言っていたわね。拓斗さんが知らないのならこの為と考えた方が…?
「アン♪ダメッ!せ、先輩!こんな所じゃダメですよ!あ、梓お姉ちゃんも見てるのに…!」
「え?」
私がLazy Windの事を考えていると、渚の寝室から訳のわからない叫びが聞こえてきた。
先輩って何を言っているの?貴さんがここに居るわけないじゃない。
………居ないわよね?実はこっそり渚とお泊まりとかありえないわよね?志保も居るのだし。
私は渚の寝室へと入ってみた。
「もう。この娘は…」
まだ暖かいとはいえ、お腹を出して寝てると冷えるわよ?
私はソッと渚にタオルケットを掛けようとした。
だけど、ふと渚のおへそが目に入った。
「……それにしてもこの娘。あれだけ毎日毎日ビールばっかり飲んでるくせに、何でこんなに細いのかしら?くびれとかも…」
「ふぁ…せ、先輩…こんないっぱいダメですぅ…。梓お姉ちゃん…見ちゃ…やだ…」
この娘どんな夢を見ているのかしら。寝言と言えどもそれはさすがに…。
「先輩…!これ以上は…ダメ…梓お姉ちゃん…!」
本当にどんな夢を見ているのかしら?
これはとても寝苦しそうね。しょうがないから起こしてあげるわ。……夢の中とはいえ、貴さんに何をされてるのよ。
「渚…そろそろ起きなさい」
私は渚を揺すり起こそうとした。
「あ、英治さん!それはパンじゃないですよ!?」
本当にどんな夢を見ているの?
「ほら!渚…!」
なかなか起きない渚をさらに強く揺する。
「フッ、いいよ理奈。フルパワーで来て…!」
本当にどんな夢を……わかったわ。フルパワーね。
「な!ぎ!さ!!」
私は思いっきり渚を揺さぶった。
これで起きないようならお手上げね。
「ん?あれ?理奈…?」
「おはよう渚。やっと起きたようね」
「ふぇ?あれ?ここ私の部屋?」
目の覚めた渚は、着替えて顔を洗いに行き、今は私と一緒にテーブルに座り志保の買ってきたパンを食べている。
「もぐもぐ。そっかぁ。あれは夢だったのかぁ。道理で変だと思ったんだよ。もぐもぐ」
「どんな夢を見ていたの?」
「んとね~…」
貴さんだけじゃなく私も出てきたみたいだものね。気になるわ。
「私がスマホを見てたら先輩が私のスマホを奪って、梓お姉ちゃんの前でバンやりを起動させて、ガチャを引きまくったの!酷いと思わない!?」
ガチャ…?
「それがSSRも全然出ないし、単発ばっかりで引くからRばっかりでさ!梓お姉ちゃんに『ぶははは、Rばっかりだわ。まじわろす』とか言ってるんだよ!」
……最後まで聞きましょうか。
「そしたら今度は英治さんが先輩から私のスマホを奪ってね!『これは美味しそうなパンだな』って言ってスマホを食べ出したの!」
本当に何て夢を見ているのかしら……。
「そしてそれから…それから…どうなったんだっけ?」
そこから!そこからが大事なのよ!
「う~…ん、思い出せないや」
私は!?私はどうなったの!?フルパワーの私!!
「そこまでしか思い出せないのかしら?ほら、例えば私が出てきたとか」
「え?理奈が?」
ああ、もうこれはダメね。思い出す事はないでしょうね。
「理奈が…私の夢に?」
「いえ、もう大丈夫よ。夢の話だものね」
「あ、そういえば志保は?てか、何で私の家に理奈が?」
今更そこなのね。いいわ、一から説明してあげる。
そして私は今日のこれまでの事を渚に話した。
「はぁー!なるほどなるほど!そうだったんだね。
そっか。先輩もトシキさんも澄香お姉ちゃんも、梓お姉ちゃんのお迎えだもんね。ファントムは忙しいのか~」
「そうみたいよ。今日は夕方からのライブでカフェタイムは無いから、盛夏も美緒ちゃんもお休みだしね」
まあ多分だけれど、盛夏も美緒ちゃんも梓さんのお迎えに行きたいだろうっていう英治さんの計らいかも知れないけれど。
「そっか~。あ、まだ時間あるよね?」
「時間?ええ、梓さんのお迎えにはまだ余裕あるわよ」
「良かった。梓お姉ちゃんのランダムスターを引き継いだ私としては、いつまでもヘタっぴのままじゃかっこつかないしさ。ちょっと私のギターの練習に付き合ってほしいんだけどいいかな?」
渚ったら…。梓さんの帰国は私達Divalにも良い風になりそうね。
「ええ、もちろんよ。やるからには厳しくいくわよ」
「あ、あははは。お手柔らかにね」
・
・
・
「すみません運転手さん。このタクシーにターボは付いていませんか?」
「え?た、たーぼ?」
「落ち着きなさい渚。運転手さん、すみません。この子の言う事は聞き流して下さい」
私達は今、梓さんの到着する予定の空港へとタクシーで向かっていた。
思いの外、ギターの練習が長引いてしまい、時間に遅れそうになった私達はタクシーを使ったのだけれど、タイミングが悪かったのか渋滞に巻き込まれてしまった。
「うぅ~…間に合うかなぁ…」
「渋滞なのだししょうがないわ。もし梓さんが先に到着しても私達を待っててくれるわよ」
「いや、それはいいんだけどね。いや、あんまりよくないか。えっと、そういう事じゃなくてさ?
私達が遅れて梓お姉ちゃんが待っててくれるとしたら、先輩も待っててくれそうじゃん?」
ああ、なるほど。私達が遅れてしまったせいで、貴さんまで待っててくれる事になったら、貴さんがLazy Windのライブに間に合わなくなるかも。という事を心配しているのね。
「先輩も見たいだろうな。拓斗さんの今の音楽…」
本当に。私もそう思うわ。
クリムゾンエンターテイメントへの復讐の為に音楽をやっていたLazy Wind。
南国DEギグの日にBREEZEとデュエルをして、音楽は楽しんでやるものだと変わったLazy Windの新しい音楽。
貴さんにもトシキさんにも見てもらいたいものね。
・
・
・
私達が空港に着いた時。
梓さんの到着予定時刻より30分も過ぎていた。
そこには貴さん、トシキさん、盛夏、奈緒、美緒ちゃん達Glitter Melodyのメンバーと、澄香さんと翔子さんが居た。
みんな私達の到着を待っててくれ………ていた?
あら?梓さんは…?
「先輩!遅れてしまってごめんなさい!あ、梓お姉ちゃんは…?」
「あー……?」
ど、どうしたのかしら?
私と渚が不思議に思っていると、トシキさんが声を掛けてくれた。
「あ、あははは。何かね、飛行機のトラブルで梓ちゃんの乗った便の到着が遅れてるみたい」
「「飛行機のトラブル!?」」
それって大丈夫なの?一体どんなトラブルが…。
「もうちょっとで到着するみたいだけどね」
心配する私達を見て澄香さんが答えてくれた。
もうちょっとで到着するのなら、大事ではないようね。少し安心したわ。
「貴ちゃんもトシキちゃんも~。叔母さんの事はあたし達に任せてファントムに行ってもいいよ~」
「そうですよ。貴も拓斗さんの今の音楽見たいでしょう?梓さんは私達が必ずファントムに連れて行きますから」
「は?お前ら何言ってんの?拓斗のライブとかどうでもいいしな。………ちょっとタバコ吸って来るわ」
そう言って貴さんは何処かへと歩いて行った。
何処かと言っても多分喫煙所なのでしょうけど。
「またかよあいつ…。あたしもタカに付き合って来るわ」
翔子さんが頭を掻きながら貴さんの後を追って行った。この中で喫煙者は貴さんと翔子さんだけだものね。
「はーちゃんもあんな事ばっかり言って…。本当は宮ちゃんのライブを見たいくせに」
「お兄さんもう何本も吸いに行ってますよね?喉とか大丈夫でしょうか?」
「美緒~。心配なら美緒も行って来たら?美緒も一緒なら葉川さんもタバコ吸わないかもよ?」
「わ、私は関係ないでしょ!?それならお姉ちゃんが適任だよ。ね、お姉ちゃん」
「ねぇ、渚。ギターの練習はどう?良かったら今度一緒に練習しない?」
「あ!いいね、それ!また家に来てよ。一緒にやろ!」
「お姉ちゃん?私の事無視なの?」
貴さんは喫煙者だけどあんまりタバコを吸う方ではない。やっぱり梓さんやLazy Windのライブの時間を心配しているのかしら?
「理奈~。それだけじゃないと思うよ~」
それだけじゃない?
いえ、その前に私は何も言っていないわよ?
まさか盛夏に心を読まれている?
「それだけじゃないってどういう事かしら?」
「んとね。せっかく美しく堕天使シャイニング梓お姉様が帰ってくるのにさ?美来ちゃんはやっぱり来てくれなかったから……」
美来ちゃん…。
昨日の飲み会の後もみんなで説得をしてみたけれど、美来ちゃんは梓さんと会うのを拒んだ。
15年前に梓さんに会いたい一心でクリムゾンエンターテイメントから脱走を試みたというのに…。
その時に梓さんが事故にあったものだから、色々と思うところがあるのかしら?
「あ、そろそろ飛行機が到着するみたい。タカ達も戻って来たみたいだしゲートの方に行こっか」
喫煙所から戻って来る貴さんと翔子さんを確認した澄香さんが私達に声を掛けてくれた。
もうすぐ梓さんとお会いする事が出来るのね。
「うぅ…もうすぐ梓お姉ちゃんに会えると思うと緊張してきた…」
「そだね~。あたしも会うのは久し振りだし~」
「そっか。盛夏はたまに会ってたんだっけ?私も昔に会った事あるみたいだけど…」
私も少し緊張して来たわ。何を話せばいいかしら。
・
・
・
「なかなか出てこないな。梓のやつ」
私達は梓さんが出てくるであろうゲート前で待っていた。先程からたくさんの人が出て来ているけれど、梓の姿はまだ見えていなかった。
そんな時……
「え?あれ?みんな何でここに居るの?」
私達に声を掛けて来た人。ゲートから現れた人物は
「いや、それはこっちの台詞だけど?何でお前がこんな所に居るの?」
「お~!杏子さんお久しぶり~♪」
そこに居たのは、南の島で出会ったモンブラン栗田さんの孫娘である杏子さんだった。
「あ、杏子ちゃん久し振りだね。こっちに旅行かな?」
「あ、トシキさん…。いえ、実は私は…あ、もしかしてお祖父様に聞いて迎えに来てくれたとかですか?///」
「え?いや、俺達は…」
「いやー!久し振りだねーあんこ!!」
杏子さんと話しているトシキさんとの間に、翔子さんが割り込んで行った。
「ひ、久し振りだねー翔子。私の名前はきょうこだから。って、まだトシキさんに付きまとってるの?」
「何を言ってるのあんこったら。別に付きまとってるとかないよ?ほら、あたし達は同じ仲良しギター仲間だし?」
「「うふふ、ウフフフフフ…」」
「本当に翔子ちゃんと杏子ちゃんって仲が良いよね。いつも翔子ちゃんと話してたら杏子ちゃんが入ってくるし、杏子ちゃんと話してたら翔子ちゃんが入ってくるし。俺としては助かるけど」
「トシキって本当に…もうアレだよね」
「澄香さん、やっぱり翔子さんと杏子さんはトシキさんの事?」
「トシキも本当に何で気付かねぇかな?あれか?モテない俺への嫌味か?」
「お兄さん、どの口がほざいてるんですか?」
美緒ちゃんの言う通りね。貴さんも渚と奈緒の気持ちに微塵も気付いてないものね。梓さんと澄香さんにも想われていたようなのに。わ、私は違うわよ。
「タカくん」
「梓…」
私達が声のした方に目を向けると、そこには車イスに乗った女の子が私達に微笑みかけていた。
女の子!?
ちょっと待って頂戴!この方が梓さん!?
渚の部屋にあった写真の頃そのままなんだけれど!?
「梓お姉ちゃん…」
私達が梓さんを見ていると、貴さんとトシキさんと澄香さんが梓さんの方へと歩いて行った。
「お、おかえり…」
「うん、ただいま」
「梓…元気だった?」
「うん。澄香こそ元気にしてた?」
「梓ちゃんお帰り。荷物持つよ」
「トシキくん、ただいま。ありがとう」
そう言ってトシキさんは梓さんの荷物を持った。
「飛行機のトラブルだってな?大丈夫だったんかよ?」
「うん。あたし達は大丈夫だよ」
私は横目に渚を見てみる。
「梓お姉ちゃん」
今にも泣き出しそう。こんな渚を見るのは初めてね。
「渚、行ってらっしゃい。ずっと会いたかったのでしょう?」
「え?で、でも…」
「ほら~行こうよ渚~」
そして盛夏は渚の背中を押しながら梓さんの方へと向かった。
「渚さん、嬉しそうですね」
「あの人が梓さんか。翔子ちゃん先生のデスクにあった写真から歳取ってないね」
「ほんとだよね。BREEZEのメンバーもだし、神原先生も年齢よりずっと若く見えるし。妖怪とかじゃないよね?」
「ま、麻衣ちゃん…妖怪って事はいくらなんでも…」
「梓お姉ちゃん…」
「なっちゃん。お久しぶり~」
そう言って梓さんは渚に手を振った。
「梓お姉ちゃん…!」
渚は我慢が出来なくなったのか、走って梓さんに飛びついた。って、ちょっと!梓さんは車イスなのよ!?
-ドン
「フッフッフ~、セ~フ♪」
「あ、あれ?せっちゃん?ありがと」
「何の何の~」
渚が梓さんに飛びついたのとほぼ同時に、盛夏は梓さんの後ろに回り、車イスを止めたのだった。
もう…渚は…。危ないところだったわ。
「あ…ごめ…ごめんなさい…。梓お姉ちゃんごめんなさい!盛夏もごめ…」
-ギュッ
「ごめんね、なっちゃん。全然連絡してなくて。
大好きだよ、なっちゃん」
「梓お姉ちゃん…梓お姉ちゃん…!」
「渚…良かったわね」
「あれ?理奈泣いちゃってる?」
「奈緒は何を言っているのよ。な、泣いてなんかいないわ」
「り、理奈さんの涙…ハァハァ…」
「美緒、落ち着いて」
「ねぇ?美緒ちゃんってどんどんヤバくなってない?」
「私がタカさんタカさん言うから変に拗らせちゃったかなぁ?」
え?藤川さん?今、何て言ったかしら?ちょっとその話を詳しく聞きたいのだけれど…。
「さて、時間もねぇしな。そろそろファントム向かうか」
「そ、そうですね。梓お姉ちゃんも行くよね?」
「ファントム?英治くんの所?」
「うん、今日は拓斗のバンドとAiles Flammeのライブをやってるからさ」
「ええええええ!?拓斗くんのバンド!?」
あら?梓さんは知らなかったのかしら?
「ちょっと!タカくん!拓斗くんのバンドって何!?」
「あ?言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ…。だから、英治くんも拓斗くんもいないのか…」
「梓ちゃんも英ちゃんや宮ちゃんに会いたかった?」
「そりゃそうだよ!でも、拓斗くんのバンドかぁ。どんな音楽なんだろ…」
「日奈子も居ないけど日奈子は気にならへんの?」
「あ、うん。日奈子はバンやりのイベント更新で忙しいかな?って。新規カードの原画送ったの昨日だし」
「梓…俺はマイミーちゃんが好きだ」
「タカくんは何を言ってるの?」
「あ。そだそだ~」
盛夏?どうしたのかしら?
「ねぇねぇ、貴ちゃん」
「あ?どした?」
「美しい堕天使シャイニング梓お姉様の車イス。貴ちゃんが押して行って~。ほら、あたしまだ渚に砕かれた腕が~」
「ちょっ!盛夏!私に砕かれたとか…!?」
「は?俺は荷物持ってるし渚に押してもらえば……」
「先輩!!」
そして渚は貴さんの持っていた荷物を無理矢理奪い取った。
「私…も、車イスとか押した事ありませんし、先輩が梓お姉ちゃんを押して下さい…」
「あ?でもお前…」
「お願い…します」
「え?せっちゃんもなっちゃんも。あたしひとりでも大丈夫だよ?………って、わっ!?タカくん!?」
「……まぁあれだ。俺も押すの久し振りだからな。あんま上手く押せねぇかもだが」
「あ、あの…ありがと」
「別に」
貴さん…梓さん…。
悔しいけれどお似合いよね。
え?悔しい?いや、全然悔しくなんかないわ。断じて!
「ほら!先輩、梓お姉ちゃん。急ぎますよ!」
渚。頑張ったわね。
「なぁ、梓」
「なぁに?タカくんどしたの?」
「おかえり」
「何それ。さっきも聞いたよ?」
「あ?ああ、まぁな」
「タカくん」
「あ?」
「ただいま」
「何だそれ?さっきも聞いたぞ」
「あはは、うん、そだね」
・
・
・
そして私達はファントムへと向かった。
私達が到着した時には、Lazy Windのライブも終盤を迎えていた。
「何とかギリギリ間に合ったか…」
「そうね。これからラストコールでLazy Windの最後の曲のようね」
私達はファントムの関係者席に座り、Lazy Windの演奏を聞いた。何とかラストには間に合って良かったわ。
「すごいね拓斗くん。でも拓斗くんってよっぽどタカくんの事好きなんだね。タカくんのパフォーマンスにそっくり」
「あ?そうか?」
「俺は少し安心したかな。宮ちゃんの音楽、こないだまでとは全然違う」
「トシキさんもそう思いましたか?あの時と全然違いますね。みんなすごく楽しそうです」
「ま、それでもあたしにはまだまだ敵わないけどね~?やっぱり貴ちゃんの隣はあたしの場所だよね~」
「え?せっちゃん?」
Lazy Windの演奏が終わり、次はAiles Flammeの演奏が始まる。江口くん達の演奏も楽しみだわ。
「次はAiles Flammeくんだっけ?澄香にBREEZEに似てるって聞いてるし楽しみにしてたんだ~♪」
Ailes FlammeがBREEZEに似てる?
そう言われてみたら確かに似ている感じもするわね。
曲調や歌詞も似てはいないのだけれど、雰囲気というか何というか…。
私達はLazy Windの退場を見守っていたのだけれど、Lazy Windは退場をせずに、ギターの御堂さんの位置とベースボーカルの拓斗さんの位置が交代しただけだった。
「あ?あいつら何やってんだ?……あっ」
貴さんがそう言った後、ステージのライトは消され、センターにいた御堂さんにスポットが当てられた。
「皆さん、Lazy Windの曲を聞いてくれてありがとうございました。………次の曲が、新しい私達の、新しいLazy Windの音楽です」
え?新しいLazy Windの音楽?
そして御堂さんの歌でLazy Windの演奏は再開された。