阿賀野が嫌いなワケちゃうねん、むしろ凄く好きな艦娘なんや。
でもやっぱり那珂ちゃんがNo.1
ねぇ神様、私達はこんなにひどい目に合わなければならないほど悪い事をしてしまったのでしょうか?
「阿賀野さん、交代の時間です」
「ぇ?・・・うん、ありがとう」
海底を見上げる様な暗く重い空、私が此処へ沈んでから一度たりとも明けない夜は一歩先どころか手を伸ばした先すら見えない。
眼下に広がるコールタールのように黒く澱んだ海をぼーっと眺めていた私の顔を柔らかく小さな光が照らし、その光を手の平に宿した仲間の一人が私の名前を呼んだ。
「漂流物も敵艦も見えず。異常無しです、神通さん」
「了解しました。軽巡洋艦神通、これより哨戒任務を引き継ぎします」
背筋を伸ばして敬礼を向ければ神通さんも私に向かって返礼を返した。
「今日は少し前に流れ着いた桃の缶詰を開けると駆逐の子達が言ってましたよ」
「あはっ、それじゃあ急いで帰らないとね・・・」
鉛のように重く感じる足を動かして神通さんの横を通り過ぎながら外にいた頃のように努めて明るくしているつもりなのに私の声は力なく地面に落ち、彼女がそんな私の言葉に少し眉を落として悲しそうな苦笑を浮かべた。
「下ばかり見て歩いていたら危ないですよ、阿賀野さん・・・」
「っ・・・、ねぇ、神通さん、阿賀野達・・・ホントに日本に、本土に帰れるのかな?」
日本海軍の軍艦として大勢の船員さん達と一緒に沈み、気付けば艦娘として新しい命を与えられた私達は深海棲艦と言う化け物を倒す為に海へ出た。
今度こそ日本を守るんだって張り切って出た海は昔の戦争とは全く違うモノで、薄汚れた手袋をぼんやりと光らせる力は目一杯に力を込めて撃ち出しても深海棲艦にかすり傷を付ける程度にしか役に立たなかった。
次々に沈んでいく仲間達、人と同じ身体を手に入れてから言葉を交わした姉妹艦も敵艦の砲撃や雷撃を受けて私の前からいなくなった。
「ごめんねっ、なんか変な事聞いちゃった・・・忘れてよ」
「・・・最近、夢を見るんです」
「夢?」
暗闇の中で私と神通さんの手に纏わりつく頼りない灯り以外は真っ暗闇で彼女は少しだけ逡巡した後に自分でも確信が持てないような喋り方で私へと最近見る夢の内容を零した。
司令官を乗せて共に海を走り国を守る為に強大な深海棲艦を打ち倒す夢。
その夢を見始めた時は自分自身ですら妄想の類だと、過去の悔恨と自らの弱い心根が見せるのだと神通さんは思おうとしたと言う。
「でも、おかしいんです・・・」
「おかしくないよ、阿賀野だって同じような事思ってるから・・・深海棲艦をバッタバッタとやっつけてたくさんの人達からイッパイ感謝されたいとかねっ! 夢の中だけでも楽しいって事を・・・」
「いえ、そう言う話ではありません。その夢の中で私は司令官のことを・・・プロデューサーさんと呼んでいるんです」
私もたまに見る不思議な夢を神通さんも見ていたのだと知った私は暗く沈んでいた気持ちが少し上向いたような気がしてちょっと大げさに声を張った。
けれどその言葉をスパッと切るように言い切った神通さんはその夢が憧れからくる幻ではないと首を振って否定する。
「間違いなく言えることです。私は司令官の事をプロデューサーさんなんて変な呼び方はしません、知る限りですがそれをしていた艦娘は、私の妹・・・川内型軽巡洋艦三番艦の那珂だけだったそうです」
「じゃ、じゃぁ、ここに来る前にその妹ちゃんと話してたからそれで・・・思い出して・・・」
「その・・・艦娘となってからの私は那珂に会った事が無いんです。その話も妹に会った事があると言っていた川内姉さんから任務の合間に少しだけ聞いた程度で、なのに声も顔も知らないはずの妹が深海棲艦と戦う姿を夢に見てしまう」
司令官を乗せて戦う、船だった頃なら当たり前の事。
「まるでその存在を私に知らせているように・・・」
深海棲艦を打ち倒す、艦娘となった私達に求められた役割。
「知らないはずの妹の姿が鮮明になっていくほど、遠くから聞こえていた声が近付いて来る。そんな予感が・・・」
私が見る夢の中で私はここに落ちる直前に受けた護衛任務の最中、目の前で水柱の中に砕けて消えたはずの妹の一人になる。
少し速力を上げただけでヒーヒー喚くちょっと情けないけどそこがちょっと可愛い司令官や会った事も無いのに名前が分かる僚艦娘と一緒に白黒斑の歪な巨体を持つ深海棲艦と戦っていた。
腰から左右に広がる大砲を積んだ機械が咆哮すれば深海棲艦の障壁がいとも簡単に輝く砲弾によって砕かれ、振り被られた敵艦の歪な腕を私が着けている手袋と同じ手が受け反らす。
背負った機械の中から取り出されたスカートと同じ色合いを持った朱塗りの巨大な鞘。
そこから抜き放たれた光り輝く太刀が戦艦のように大きな怪物を切り裂いて大海へと鎮める。
「夢だよ神通さん。阿賀野達はこんな小さい身体で、こんなちょっとピカピカ光るだけの力しかないんだよ? 深海棲艦と同じ大きさにもなれないし、あんな立派な大砲も持ってない・・・」
「えっ・・・? 阿賀野さん?」
「変な事言ってゴメンねっ! それじゃ、阿賀野補給行ってきまーす!」
これ以上は泣き言が出てしまう、お互いに耳に聞こえの良い甘い夢を共有してしまえば待っているのは相手に寄りかかり足を引っ張り合うだけの存在となってしまう。
一歩先も見えないような暗闇の孤島で外から流れ着く物や死体を探して漁る情けなく浅ましい姿を見ぬ振りが出来ても。
敵が来れば蹂躙される事しかできない非力さから目を反らして形だけの見張りを続ける延々とした時間に耐えられても。
深海棲艦に負けて飲み込まれた地獄の底で流れ着いた敗残兵同士で肩を寄せ合っていつか帰れると言う偽物の希望に縋っていたとしても。
どんなに追い詰められても仲間と塞がらない傷の舐め合いだけはしたくない、そんな事をしてしまえばもう私はそれに頼り切って寄りかかって離れられなくなってしまう。
挫けてしまえば、一時の快楽に溺れてヒトでも無くフネでも無い存在となってしまったら阿賀野は二度と海に立てなくなる。
「やっぱり考える事は誰でも一緒なのかな。夢に甘える事も許してくれないなんて神様ってホントに意地悪なんだね・・・」
軽巡洋艦として指揮下の駆逐艦や仲間達を鼓舞するためのやっているお調子者の演技にヒビが入れば後は砕けるまであっと言う間だろう。
この地獄の底で絶望に耐えられなかった子、酷い怪我を負って仲間の負担になる事を憂い自らに手を下した子。
心が折れてしまえば漂流物の中に紛れていたナイフや杭を手に自分の胸に突き刺し霊核となって地面に転がった何人もの仲間達と同じ運命を辿ってしまう。
それだけは妹たちの代わりに生き残ってしまった阿賀野型軽巡洋艦の一番艦である矜持が許さないと私の心を縛り、空元気でも賑やかしの道化でも守るべき者達を一人でも多く守るために使えと命じている。
「あっ、阿賀野さんお帰りなさい・・・? どうしたんですか、桃缶ありますから一緒に食べましょうよ!」
「阿賀野さん、白いのと黄色いのがあるっぽい♪」
ぼんやりと歩き続けていたらいつの間にか孤島の中ほどにあるコンテナや船の廃材で出来たスクラップ置き場のような私達の拠点に戻ってきていた。
薄っすらと青白い光が漏れているコンテナの一つから桃色の髪の上に可愛らしいベレー帽を乗せた子と元気の良いその子の姉が出て来て私に手を振ってくれる。
「ぁっ、えっとぉ、実は阿賀野あんまりお腹空いてなくてぇ・・・見張りのお仕事の後で眠いから、また今度ねっ♪」
「・・・阿賀野さん?」
「阿賀野さん、お眠っぽい?」
自分の手に浮かべていた光を消してワザと闇の中に表情を隠した私は足早に迎えに出てくれた子の横を通り過ぎて自分が寝床に使っているコンテナの中へと逃げ込む様に入った。
入り口に掛けてある仕切り代わりのビニールシートをくぐると青白い不思議な温かさを感じる光とカチャカチャと機械部品を弄る音に迎えられる。
そして、ぼんやりと光る様々な形の瓶が並ぶコンテナの奥で腰まで届く長い髪を麻袋を切って作ったヒモで結っている私と同期の艦娘が大きな木箱に向かって忙しなく動かしてた手を止めて肩越しに振り返った。
「お帰りなさい、阿賀野・・・ひっどい顔してるわよ」
「夕張も人の事言える顔じゃないでしょ・・・目の下のクマまた濃くなってる。いい加減に寝ないとダメだよ」
「ん~、分かってるんだけどねぇ・・・ちゃんと動いてるはずなんだけどなぁ、現代の通信機ってすっごく複雑で難しいったらないわ」
同じコンテナに住んでいる軽巡の仲間が私の方へと顔を向け、疲れがにじむ笑顔でお帰りと言ってくれる。
そんな夕張は油とと煤汚れで元の色が見る影も無くなった伸ばしっぱなしのボサボサ頭を掻き混ぜて無造作にコンテナの壁に背を預けて手元で弄っていた機械を作業机に使っている木箱の上へと置く。
「さっき駆逐の子が桃缶持ってきてくれたんだけど、一緒に食べる?」
「食べない、寝る・・・夕張が全部食べて」
「そっか、じゃあ、阿賀野が起きたら一緒に食べよっか、さてっ、もうひと踏ん張り! 電力は霊核の子達から借りて何とか出来てるんだし後は電波を強くする方法だけっ!」
寝床として使っている床に敷いた薄汚れた毛布の上に寝そべり私は枕元に置いている二つのガラス瓶へと手を伸ばして引き寄せ、その存在を確かめるように胸に抱きしめた。
青白い光を宿して水の中にぷかぷかと浮かぶ拳ほどの大きさをした二つの水晶、名前も書かれていない、人の形をしていた時の面影もない、声だって聞こえないけれど私にはこの二つが、二人が大切な私の妹たちだと知っていた。
コンテナの中は他にもいろいろな瓶の中に入った同じ様な形の霊核がたくさん並んでいて、その子達が灯した柔らかい光で満ちてこのまま一緒になんにも考えずに眠り続けていられればどんなに楽だろうとそんな妄想が頭の片隅に浮かぶ。
「能代、酒匂・・・」
「そのまま寝たらいくら艦娘でも身体冷えちゃう・・・って、もぉ仕方ないわね」
目を閉じれば外の澱んだ暗闇とは別の柔らかい暗さに張り詰めていた心が解け、近くで少し呆れたような声を出した夕張が私と妹たちの上に毛布を掛けてくれたのが分かったところで意識がどんどん何処かへ引っ張られていく。
能代と酒匂も一緒に矢矧の夢が見れれば良いね、と願って私は毛布の中で子供のように身体を丸めて眠った。
「一応、これで大丈夫なんだけどなぁ・・・ちょっと試してみても良いかしら?」
夕張、通信機、早く直ると良いね・・・。
みんなも一緒に外の夢が見られると良いね・・・。
何時か矢矧も一緒に四人でまたお話しが出来ると良いな・・・。
『・・・阿賀野姉?』
瞼を閉じた向こう、どこかの青空の下で、いつか見た母港で、私と同じ色をした黒髪が振り返るように揺れた気がした。
・・・
ザーザーだかゴーゴーだか耳障りなノイズ音が艦橋に配置されている通信機から聞こえてくる。
「・・・な、なんなのよ・・・アレ?」
「し、司令官、あれも深海棲艦なんですか?」
360度を見渡せる全周モニターには深い紺碧に染まったの海流とクラゲの形をした巨大な影、赤黒く脈動するように蠢きながら太平洋の海流に流されてゆっくりと日本へと近づいているそれは遠目に見ても巨大過ぎた。
なにせその近くにいる100m級の深海棲艦が小魚にしか見えない程で、あれは生き物と言うよりは島と言った方がしっくりくるぐらいだ。
『ザージッ、ジビッ・・・こちら、軽巡夕ば・・・ザーザッ・・・救援を・・・ジジッ・・・ッ・・・・』
『・・・司令官、捉えた救難信号が止まったのね』
「あぁ確認した。イク、ご苦労さん」
日本に接近する超巨大物体の調査としてEEZから大きくはみ出た目標地点の海底の岩場に文字通り、張り付いて身を潜めている潜水艦娘の伊19の艦橋で俺はノイズを止めた通信機から意識を目の前に広がる海中へと戻した。
「よりにもよって限定海域かよ・・・」
「限定海域? えっと、確か周期的に発生する深海棲艦の巣の事でしたっけ? あれがそうなんですか?」
「二、三回言っただけなのに良く覚えてたな。まぁ、根拠は前の世界のネットで見た画像と似た形をしてるだけだから別物である可能性もあるけどな・・・」
調査に同行している駆逐艦の吹雪が俺の言葉を補足するように呟いて遠くに見えるデカブツに恐れを含んだ視線を向ければ、その言葉を聞いた周りの艦娘達が目を丸くして俺とクラゲの怪物の間で視線を行き来させた。
「それにしても、良介がお偉いさんとやらから聞いてきたあの話は本当だったみたいだな・・・」
「行方不明になった艦娘の霊核が鎮守府に戻らないのはどこかで生きているからって話ね、よくもまあそんな重要な話を黙っててくれたもんだわっ!」
「なら早く助けに行かないと! ねぇっ、しれぇー? はやくはやくぅ!」
胸の前で腕を組んだ朝潮型駆逐艦娘の霞が足場の手すりに背中を預けながら不機嫌さを隠すことなく恨み節を吐き捨て、味方の窮地に錨に巻き付いたオレンジ色のスカーフタイと小柄な体を跳ねさせて陽炎型の時津風が緩い喋り方に反比例した戦意を漲らせる。
その二人の言葉を合図にしたように俺が座る指令席を囲むキャットウォークから五対の視線が俺に集中した。
『提督どうするのー? イク行っちゃう? もっと近づいちゃう?』
「・・・イク、もう一度、エコー取れるか?」
今すぐ突撃など現在の戦力を鑑みても無謀であるし、仮に十分な戦力があっても法律的にEEZから出てはいけないはずの艦娘が司令部からの要請でとは言えこんな場所で隠密行動している時点で違法であるのに、この上に戦闘まで起こすなど以ての外である。
諸々の事情から不可能である事は分かっているのだからここは撤退するしかない、そう結論付けた俺は瞑目して前方に浮かぶ巨大物体の外見から分かる情報を整理する。
周囲を回遊する目を赤く光らせる深海棲艦の群れが小魚に見えるほどの巨大な物体、人間ですらここまで巨大な建造物は未だかつて造り出した事は無いだろう深海棲艦の中でも一際異様な化け物への恐怖が俺の眉間へ勝手に皺を寄せた。
根元から毛先へと青紫から赤紫へとグラデーションする不思議な色彩を持った長いツインテールを大きな花びらのような髪留めで飾っているスクール水着を着た少女、俺の手元にあるコンソールパネルの右側に浮かぶ伊19の立体映像がうつ伏せに寝そべっている状態から上半身を軽く上げて顔を前方に向ける。
『オッケーなの、そぉーれっ!! ・・・ッ!!』
掛け声の直後にコォーンッとまるで甲高い鐘を打ったような音が艦橋に響き、イクの口から放たれた不可視の波が秒速300mに達する速さで円錐形に放たれる様子が前方のモニターに開いた小さなウィンドウに表示されていく。
小窓の中で大小無数の赤い点が円錐の中に表示され、約1.3km地点を境に巨大な赤い壁が円錐の底にぶつかる。
「ぱっと見だけでも120はいるか・・・どいつもこいつもエリート、一部にはフラッグも混じってんな」
「確か赤い目がエリートで黄色いのがフラッグシップですよね、ノーマルだけなら蹴散らせなくも無い数ですけど・・・あっ、でも海中じゃ私達戦えませんね・・・」
「どっちが強いんだっけぇ? この前やっつけた黄色いのは弱かったから赤い方かなぁ?」
「アンタが前にやったのは駆逐艦級だから差を感じなかっただけでしょ、艦種が上がれば黄色い方が圧倒的に厄介に決まってるじゃない」
真面目に考え事をしている時に時津風のゆる~い口調を聞くと非常に緊張感が削がれるが、目の前に突き出されている危機的状況に何とか気を張ってイクが放った広範囲ソナーの結果を見つめる。
「やっぱりおかしいよな・・・これ」
「提督、先ほどのソナーの時にも首を傾げておられましたけれど何か不審な点があるのでしょうか?」
茜色の小袖に深い紺色の袴を纏った純和風な装いに艶やかな黒髪を緑のリボンでポニーテールにした貞淑さと言う言葉を形にしたような雰囲気を纏う美女、航空母艦に分類される艦娘である鳳翔が小首を傾げて問いかけてきた。
「何度調べてもアイツの大きさが見た目と計測で食い違うんですよ・・・近くにいる深海棲艦のサイズから考えればおおよそ横600mに縦が300mぐらいの楕円形、なのにエコーの結果も、アレの中から放たれていた通信電波から逆探した距離も桁違いの数字を出しているんです」
さっき取ったデータをまとめたノートを開いて新しい計測データを書き込んで比べてみてもやはりその数字は目に見えるそれとは明らかにかけ離れている。
もしこのデータが正しいのであれば前方で海流に乗ってゆっくりと移動している赤黒い巨大クラゲは東京ドーム四個分ほどの大きさにしか見えないのに実際には四国を千数百mほど岩盤ごと抉って浮かせているような文字通りに動く島と言う事になってしまう。
「あの、提督?」
「あ、すいません勝手に喋って急に黙り込んじゃって、何ですか鳳翔さん? んっぉ!?」
考え事に集中し過ぎて黙り込んでしまった俺は自らの失礼に気付いて頭を下げようとしたところでコンソールパネルを乗り越えて伸びてきた革製の弓掛に包まれた手にトンッと額を押されて背もたれに仰け反った。
「もぅ、私は提督の指揮下にある艦娘なんですから変に敬語で話すのは止めにしてください、と何回頼めばいいのです?」
「あ、いや、すみませ・・・気を遣わせてしまったな鳳翔、すまない」
品の良い和風美人であるが高嶺の華では無く全体的に柔らかな母性を感じさせる鳳翔の子供を注意する母親のような優しい苦笑に俺は小さく咳払いしてから彼女の意向に沿えるよう出来るだけ胸を張って鷹揚な態度を見せる。
正直に言うならゲームで見た時も気に入っていたが現実に会った鳳翔の容姿や性格は俺、中村義男の好みの女性象に完璧なまでに当てはまる魅力的な女性だった。
前世では青臭い青春を中二病で台無しにしてからは職の定まらない独身で死ぬまで過ごした為か色恋沙汰とは縁が無く好きな女の子の前で照れて舞い上がるなんて経験も終ぞしたことが無かった。
今回は今回で自衛隊に幹部候補として入るため勉強と運動とコネ作りに時間を費やして彼女いない歴は前世と合わせてまさかの60年超え。
「困った提督ですね・・・ふふふっ」
「あ、ははっ、面目無い、頑張っているつもりなんだがどうにも、な?」
言い訳がましい言い方になるが、経験がない故に免疫が無い事はまさしく仕方がないとしか言いようがないのは火を見るよりも明らかなのだ。
「司令官っ! それでどうするんですかっ!! 撤退ですか!? 進撃ですか!?」
「ぅえっ!? いきなり耳元で叫ぶなっ! ・・・俺達はそもそも正体不明の巨大物体の調査だけしに来てるんだから帰るに決まってるだろ。それにしても吹雪なんでこんな狭い場所で叫ぶ必要があるんだっ」
クスクスと上品に笑う鳳翔に見惚れそうになって俺は意味も無く頭の上の帽子に手を伸ばした。
手が帽子のツバに触れたか触れないかの所でコンソールパネルの向こう側から身を乗り出してこちらに近づいてきた眉を怒らせた吹雪が顔全体を口にしたかの様な大声を上げて俺の鼓膜を突き刺す。
『はぁー、ビックリしちゃったの・・・イクの中でそんなに大きいの出さないでほしいの、心臓ドキドキしちゃうぅ』
「デレデレしてなっさけないったらないわ。ホントなんで私こんなクソ司令官の艦隊に配属されてんのかしら」
「ぶふっ、くくっ♪ しれぇーすんごい変な顔したぁっ♪ あははっ、ひひっ♪」
痛いほどキンキンと響く吹雪の問いかけに叫び返してから軽く耳に手を当てて呻く。
他の司令官に就くはずがその新人が不甲斐なかったと言う理由で尻を蹴っ飛ばして出戻ってきた自分の事を棚に上げている朝潮型の末子は姉艦が言うはずのセリフを勝手に使い。
清楚さの欠片も無い陽炎型の十番目の妹は何がそんなに可笑しいのか目尻に涙まで浮かべて腹を抱え小学生低学年レベルの感性でゲラゲラ笑っている。
肩を怒らせた吹雪は俺から不機嫌そうに口を尖らせた顔を背け、その様子を鳳翔が自分の頬に片手を添えてあらあらと見守っていた。
無自覚か自覚しているのかは未だに分からないが変にツッコミを入れるとさらに妖しいセリフを連発するのでイクの発言はあえて無視する。
「てーとく、皆もあんまり潜航中に五月蠅くするのダメだよ。ソナーもレーダーもたくさん使ったんだからいつ怖いのに見つかっちゃうか分からないんだから」
「あ、ああ、そうだな・・・イク、取り敢えずはあのデカブツから見えない程度までは浮上せずに離れてくれ」
「まったくぅ、水上艦は潜水行動中のいろはがわかってないでち。酸欠の怖さをちょっとは想像するべきじゃないかなっ」
丸く弧を描くピンク色の前髪を揺らして傍観に徹していた少女が呆れ顔で俺に声を掛けてきた。
声の主へと顔を向ければセーラー服の下にスクール水着を纏う趣味性が高いと言うべきか業が深いと言うべきか迷う恰好をした伊号潜水艦の伊58が手すりに腰掛けて素足をプラプラと揺らしている。
伊19が行動不能に陥った際に交代要員として連れてきた伊58はゲームでも同じデザインの服装で行動していると設定されていたが、艦娘が現実になったこの世界でも同じだとは思ってもみなかった。
『イク頑張ったから、帰ったら提督のご褒美、期待しちゃうなのね♪』
「期待するだけならタダだからな、茶菓子ぐらいしか出ないぞ」
『田中少佐が銀蝿してきたお菓子はもう皆で食べちゃったから丁度良いのね~』
海流に流されないように岩場を掴んでいたイクの手が離され、動き出したエレベーターのようなフワッと身体が浮くような感覚の中で艦娘の進行方向が深海棲艦の巣窟から反転する。
本来なら陽の光など届かない水深1300mの海底を暗視能力を持った潜水艦娘が疎らに見える岩を掴んでスムーズに進む様子は匍匐前進と言うよりは滑る様な動きで速度は岩を掴んでは離す度に加速度的に速くなっていく。
(やっぱり、アレ見た目通りの大きさじゃないな、どう言う原理かは分からんが内部はとんでもない大きさになってるぞ・・・)
「何ぶつぶつ言ってんのよ気持ち悪い、分かった事があるんならはっきり言葉にしなさったらっ!」
「確証が無い事言って場を混乱させるわけにはいかんだろ・・・」
両手を腰に当てた霞はふんっと鼻息を強くしてから俺から顔を背けて周囲に流れていく薄暗い海中へと気の強い琥珀色の視線を向けた。
「えっと、限定海域は内部でいくつかの領域に分かれていてE1から数字の大きな順番に突破しないと海域を造り出しているボスに辿り着けない特殊な空間になってる・・・でしたよね?」
「ホントに吹雪はよく覚えてるなぁ、おい、何度も言ってるけどな。あれは飯の時にうろ覚えの知識で言った事だから鵜呑みにするなよ?」
「はい、司令官。私、司令官の事信じてますから♪」
実はゲーム知識に捏造と脚色を加えた話だとは今さら言うに言えず、それをしっかりと覚えていた顔に褒めてと書いてある地味系美少女の頭を撫でるとさっきまでの不機嫌さがあっと言う間に消えて嬉しそうな笑顔を見せる。
「吹雪、汽笛の時とか鳳翔さんの時とか、このクズの前世の知識は微妙にズレてるってこと忘れるんじゃないわよ」
「でも全部大まかには合ってたでしょ? だから大丈夫だよ霞ちゃんっ」
純粋に俺の事を信じてくれている吹雪の信頼感がかなり重い。
一時期は仲間を次々に失ったショックから人間不信を拗らせ病的なまでに落ち込んでいた彼女を元気付ける為に騙った希望に満ちた別の世界の艦娘の設定のせいであるから周り回って自業自得なのだが。
気休めと時間稼ぎになれば十分だと思って吐いた嘘は俺の予想を裏切り、何故かこの世界の艦娘達が持つ能力と異様なほど符合していく。
理想と現実、普通なら時間が経てば経つほど離れて行くはずのそれは吹雪を含む艦娘達には当てはまらないどころか嘘であると知っている俺の目の前で自分が語った『僕が考えた最強の艦娘』の設定と同じ荒唐無稽な能力が次々に現実となって発揮されている。
「だけどなぁ、限定海域は無いわ。モノによっては轟沈者や発狂者が続出したって言われた地獄じみた代物まであったって話だし・・・」
「最大規模で七つの階層に分かれたモノまで確認されて、そこは熟練の艦娘と提督でも突破出来たのはごく一部だったんですよね・・・?」
「行く前から不安になってんじゃないわよ! 二人ともしゃんとしなさいってば!!」
椅子に座ってなかったら確実に俺の尻は口をへの字に曲げたサイドポニーが振り抜いたミドルキックの餌食になっていただろう。
クズ呼ばわりは大法螺吹きである自覚から言われても仕方がないと思えるがいい加減に姿勢が悪いとか机が汚いとかってだけでローキックやミドルキックを放つのは止めて欲しい。
「・・・何考えてんのよ? 言いたいことがあるならちゃんと目を見て言いなさいな!」
「考えるだけなら個人の自由だろよ・・・」
その日、小学生サイズの足によるストンピングを下っ腹に受けた俺は艦娘が指揮席と円形通路の隔たりを結構簡単に乗り越えられるものだと知る事になった。
中村達が目撃した限定海域の全景はとある過去イベで使われた赤いステージ背景をグチャグチャに混ぜつつそれっぽくクラゲの傘形にまとめた感じを想定しています。
クラゲと言っても軽空母ヌ級とは似て非なるモノなので細かい事は気にせずこれはこう言うモノと感じていただければ幸いであります。