艦これ、始まるよ。   作:マサンナナイ

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とある大学生と艦娘の葛藤。

メガネ君よぉ、・・・今、女の名前を呼ばなかったかい?

ったく!

兵隊にもなれない男が恋人の前で泣き言を言うんじゃぁあない!!
 


第百十九話

 

 まるで世界そのものが狙いすまして嫌がらせをしているかの様にただの大学生でしかない私には理解できない事ばかりが押し寄せてくる。

 知りたくなかった、見たくなかった、聞きたくなかった、なのに容赦なくこの数日で肌感覚に叩きつけられた頭を掻きむしりたくなる理不尽の連続は本棚やインターネットの中で拾った知識をひけらかしていた私の在り方そのものを否定された様な気がした。

 

「私と一緒に逃げましょう」

 

 だから、そう言って私の手を握る女の子の言葉が、表情がどこか現実のものとして感じられずに私は建物の日陰の中でまともな返事も出来ずにどもった。

 九日前に私ともう一人の友人と共にハワイにやって来て昨日の朝から行方をくらませていた女子大生【茅野志麻】であると同時に練習巡洋艦【鹿島】でもある彼女の姿が現実に存在するモノなのか信じられずに何度も瞬きを繰り返す。

 その二列のボタンが並ぶ白い軍礼服と膝上のプリーツスカートを纏うかつてここではない世界、私が平凡なサラリーマンとして生きて死んだ別世界でパソコンモニターの中にしか居なかったキャラクターと瓜二つな姿にどうしようもなく身体が震える。

 人として現実にいる時点でイラストだった二次元のそれとは別物だと分かる筈なのに私は記憶の中の艦娘(鹿島)と目の前にいる彼女(鹿島)の輪郭が重なった様な錯覚を覚えた。

 

「逃げるって・・・今は飛行機どころか船だってまともに動かないのにそんな事できるわけが」

 

 何とか声を絞り出し私の手を握る鹿島を見詰め返しながら考えるのは深海棲艦による奇怪な粒子散布によって飛行機どころか船すらまともに動かないオアフ島の現状。

 エンジンと舵だけとも言える単純な構造だったお陰で修理が出来た旧式モーターボートで近くの島から避難民を連れてきたり、風頼りの小型ヨットや手漕ぎボートを総動員して当面の食料を集める程度がハワイ諸島に閉じ込められた私達に許された行動範囲なのだ。

 とてもではないが外洋へと脱出する船など何処を探したってないし、仮にハワイを包むマナとか言う粒子が発生させる力場を脱出できたとしても日本までの道のりでハワイ諸島を襲ったものとは別勢力の深海棲艦と遭遇すればそれは貧弱な人間()にとって死を意味する。

 

「いいえ、日本まで辿り着ける船ならあります」

「そんなのどこにっ、まさか米軍から盗むとか言うんじゃ、ははっ・・・」

 

 何を馬鹿な冗談を、と強張った口から乾いた笑いを漏らした私の目の前で握られていた手が離され、白い手袋に包まれた鹿島の手が彼女自身の胸元を押さえて見せた。

 

ここ(・・)に、・・・私なら貴方を日本に連れて帰る事が出来ます」

 

 かつてパソコンモニターの向こうで彼女と同じ名前の艦娘が浮かべていた様なしっとりとした微笑みをその整った顔立ちの上に浮かべ鹿島は言葉を続ける。

 そして、この私が艦娘の力を完全に解放する事が出来る指揮官としての適性を持っていると、それによって戦闘形態と呼ばれる十数mの巨体となれば私を連れてハワイ諸島を脱出し日本へと帰還できる、と鹿島は言う。

 

 あまりにも現実離れした内容だった、なのにまるでそれが当たり前に出来る事だと確信している様に目の前に立つ彼女は淀みのない瞳で私を見つめ。

 

「ほ、本当にそんな事が?」

 

 目の前に飾られた鹿島の微笑みから目が離せなくなった私が呻くように問いかけると彼女は笑みを深めて頷きを返す。

 

「はい、だから先輩さん、ここから逃げちゃいましょう」

 

 彼女が艦娘であると言う事は本人から聞いていたし共に過ごす生活の中でたまに見せるその力の片鱗から鹿島が私の様な常人と似て非なる存在なのだと言う事はなんとなく感じ取ってはいた。

 この世界においての艦娘はその力を完全な形で発揮した場合に見上げる程の巨体へと変化する事は多くのメディアで毎日のように取り上げられる題材となっているし、それぞれの艦種にあった装備がその身体に施されると言う既に日本政府から公表された情報もある。

 

 ただそれが情報として頭にあっても目の前の鹿島と去年の佐世保で行われた彼女と同じ艦娘達が繰り広げた公開演習の光景が結び付かない。

 どうやったって私のとって目の前の女の子は同じ大学の違う学科に通う後輩で家庭的な世話焼きで、たまにお互い世間ずれした事を言って笑い合う相手としか思えない。

 そう思い込んでしまえるぐらいに私にとっての茅野志麻(鹿島)はその人目を惹きつける銀色の輝く髪と並外れた美しさ以外はどこにでもいるちょっと悪戯っぽいだけの女の子だった。

 だから私の中の感情的な部分が「彼女は戦争とは無縁な自分と同じ平穏の中に生きる女性(ひと)なんだ」と事実から目を背ける様に支離滅裂な感情論を脳内で喚きたてる。

 

 だが、冷静に頭を整理すれば確かに彼女の言う通りに従えばいつ深海棲艦が再侵攻を行うか分からないこの死が身近になった危機的状況から私が脱出する事自体は不可能か可能かで言うならば可能な事だと分からないわけでもない。

 ついさっきだって艦娘と言う私にとってはアイドルに等しい存在の魅力に眼が眩み飛び込んだハワイに閉じ込められた自分の軽率さを酷く後悔していたし、それ以上に彼女と友人を巻き込んでしまった事実に自らの愚かしさを呪ったばかりでここから脱出できると言う選択肢があるならそれを選ぶに足る動機は十分だった。

 

 ただ自分だけが痛い目を見るなら滑稽な話だと自嘲すれば良い、でも実際には目の前で痛いと泣く罪無き人々に包帯を巻く程度の事もままならない自分の不器用さを悔やむ事しか出来ず。

 水の入った大きな水桶を運び数回往復しただけで疲れ果て泣き言を言い、用意を手伝った炊き出しの列へと横入りした空腹の男性を諌めようとしたクセに口下手な上に引け腰な態度のせいでただでさえ余裕の無いその相手を怒らせ。

 深海棲艦の侵攻前は観光客や現地民の笑顔で溢れていたショッピングモールで昨日の朝に強盗が発生したと言う話を聞き、手伝いしていた病院で見た銃創や切り傷で呻く犠牲者達と医者の苦渋に満ちた表情に胃が重くする。

 

 どれもこれも中途半端にしか出来ない事へ申し訳ないと思っていると同時に自分がそこに居なくて(被害者にならなくて)本当に良かったと浅ましい安心を感じて胸を締め付ける様な自己嫌悪に呻いた。

 

 日本には当たり前にある平穏が何処にも無い状況では私の前世を含めたこれまでの人生が何の役にも立たず、ただただ自分の無力さを痛感させられるだけの拷問の時間が続いている様な気さえする。

 猫の手も借りたい程の状況だからこんな私だっていないよりはマシなはずなんだ、そう自分に言い聞かせなければ情けない自分への嫌悪感で頭がおかしくなってしまう。

 

 こんな狂った場所から逃げ出せると言うなら私にとってこれ以上に都合が良く嬉しい事はない。

 

「大丈夫ですよ、ここの人達は私達二人が居なくなった程度の事なんて気にしません」

 

 そして、私の躊躇いを見抜き背中を優しく押す様にそう言った鹿島が少し屈み上目遣いになり、その睫毛でけぶる青い宝石の様な瞳に揺れる光で奥へと心を吸い込まれそうな錯覚に陥りかける。

 

「むしろ私達が居なくなる事で食べ物とかに少しでも余裕が出来ればそれで助かる人はきっといます、だから先輩さんが気に病む事なんか何もないんです」

 

 耳の奥へと染み込んでくるような優しく甘い囁きは緊急事態だからこそ自分達の行為の正当化に足る理由を口にして、さらに媚びる様に可愛らしい微笑みを零した鹿島は抗い難い誘惑の香りまで付け加えた。

 

「私だって・・・叶うなら今すぐにでもこんな場所から逃げ出して日本に帰りたい」

 

 口にしてから確かにその通りだと気付く。

 

 どう取り繕い言い訳しようと利己的な自己保身と罵られようと、これが紛れもなく自分の中にある本心だって事は私自身にも分かっているのだ。

 

 絞り出す様に声を出してから私は歯を食いしばる。

 

 正直に言おう、私は見ず知らずの他人の為に命を投げ出せる聖人君主であったことなど一度だってない、手助けを求められてそれに応えた理由の大部分は周囲の人間を敵に回さないようにして自分の保身を確保する為だった。

 

 そもそもからして私は日本なら石を投げれば当たる程度にありふれた珍しさの無い小市民だ。

 

 「私」なんて恰好を付けた一人称で聞きかじりの知識をさも自分が見つけ出したかの様に嘯く。

 どれだけ賢そうな人間であるかのように振舞おうと些細なトラブルに遭えば簡単にその薄っぺらな面の皮が剥がれる程度の人間でしかない。

 

「はい♪ それで良いんです・・・それじゃぁ」

「でも、それは駄目だ、駄目なんだ」

 

 だからこそ、私は彼女に向かって首を横に振る選択肢しか選べなかった。

 

 よくできました花丸をあげましょうとでも言いそうな程に自分の思い通りの返事が返って来た事を悦ぶ笑みを浮かべた鹿島の表情が私の一言で凍り付き、笑みの形で静止した彼女の顔が人形の様に首を傾げて二つの銀色の房がさらりと揺らす。

 

「お友達の人の事が心配ですか? なら、少し面倒ですがあの人も連れて行きますよ?」

 

 艦娘の操縦席である艦橋に乗り込める人間(・・)は指揮官一人だけであるが巨大化した状態なら人間数人程度なら手に乗せて運べない事も無いと言う鹿島へともう一度首を横に振る。

 

「違うんだ、そうじゃない」

「先輩さん・・・ああ、なるほど」

 

 苦渋でしわくちゃになっているだろう私の顔を下から覗き込んでくる鹿島が胸の前で小さく手をぽんっと合わせる。

 

「心苦しいですが私だけではハワイに住む人達全員を助けるなんて出来ません、もちろんRIMPACに参加する為にいる田中艦隊の艦娘を含めてもです」

 

 このままだと本当に死んじゃうんですよ、と聞き分けの無い相手を諭す様な言葉を鹿島が口にするけれど私を見つめるその表情はまるで仮面の様に変わらない微笑みのまま。

 

「先輩さんが責任を感じる必要なんてどこにもありません、貴方は何も悪い事なんかしてないんですから」

 

 向かい合っているだけでざわざわと悪寒が背中を這い上ってくる空恐ろしい彼女の様子に漏れそうになった呻きをなけなしの根性で噛み潰して喉の奥へと押し込めた。

 

「先輩さんが優しい人なのは知ってます、でも貴方は自分の出来る事と出来ない事をちゃんと分かってる賢い人でしょう? だから・・・」

 

 どれほどまで私を美化すればそんな肯定的な言葉が出てくるのか、無性に胸が痛い、目の奥が何か鋭いモノで引っ掻かれた様にチリチリと熱く痛む。

 今まで出会った誰よりも好きになってしまった相手が軽薄な笑みを浮かべて嘘を並べる姿に心が引き裂かれそうな程苦しい。

 

「私は優しくなんかないっ、いつだって自分さえよければ良いと思ってる身勝手でっ! 聞きかじりの知識を振りかざして見栄を張って賢いフリをしているだけの頭でっかちだ!」

 

 しかも、彼女にそれを言わせているのが自分だと言う事実が何よりも気持ち悪かった。

 

「きゃっ、・・・えっ・・・?」

 

 そして、突然に目の前で私が声を荒げたからか驚いた様子で目をぱちくりと瞬きさせた鹿島へと私は穴が開いたようにゼイゼイと嫌な音を漏らす肺から空気を押し出す様に問いかける。

 

「鹿島、仮に、仮に私が君の言う通りに此処から逃げ出して日本に帰れたとするっ」

「はい、心配しなくても良いんですよ? 私達、香取型練習巡洋艦にとって遠洋航海は十八番なんです、私は必ず先輩さんを日本まで送り届けて見せます」

 

 私にはとっくの昔に彼女(鹿島)がとても頭の良い女性である事など当たり前の様に知っている。

 

 それは知識の量や理解の深さと言う話ではなく状況を正しく把握して周囲の人々を手玉に取る様に立ち回れる類の強かな賢さ。

 そして、前世で触れたゲームや無数の二次創作から私の頭の中へと集められた記憶(偏見)ではなく人間としての鹿島の個性を見て聞いて肌で感じたからこそ知る事が出来た思い出が私自身の判断を肯定する。

 

 だからこそ相手の感情を読み取る洞察力に秀でた彼女なら私にとって魅力的なその提案を私が受け入れられないと答えた矛盾の理由も本当は気付いていているのだろう。

 それとも、もしかしたらだが、私がそれに気付かない程度の鈍感な男だと彼女の中で見くびられているから鹿島から見て今の私は良心の呵責で我儘を言っている様に見えているのかもしれないのか。

 

「香取姉は政府側なので大っぴらには頼れませんが財団にいる香椎、妹なら日本に着いた後の先輩さんの助けに絶対なってくれますからその後の事も大丈・・・」

 

 まるで教壇に立つ教師が根気強く聞き分けの無い子供へと言い聞かせる様に、それでいて大切な壊れ物を扱うかの様に優しい口調で鹿島は人差し指を立てた片手を振って私がハワイ諸島から脱出した後の手筈や身の振り方も何一つ心配する事など無いのだと手短な計画に太鼓判を押そうとした。

 

「その後、()はどうなるんだ?」

「っ・・・」

 

 だが、そのセリフは途中で私の短い問いかけによって途切れ息を詰まらせた。

 

「正直に言うよ、私はここから君と逃げ出して全てが丸く収まるならきっとそれを躊躇いなんてしない」

 

 鹿島の胸の前に添えられていた白い手袋が握り込まれ、整った顔立ちに貼り付けられた微笑みの一部で桃色の花びらが一文字に引き結ばれる。

 

「逃げた後にハワイで何人死んだとかニュースで流れたって、私にはどうしようもない事だったとか、最善の判断だったとか自分自身に言い聞かせて何日か後にはきっとケロッとした顔で普通の生活に戻っている自信すらあるんだ」

 

 あの小憎たらしく調子の良さだけが取り柄の親友がこの世から居なくなったと聞かされたなら死ぬ程に後悔したり鬱病を患うかもしれない、それは私にとって死ぬ程辛いかもしれない。

 

 でも、あくまでも死ぬ()であって実際に死ぬわけでは無い。

 

 そうだ、私はどれだけ精神的に打ちのめされようと、艦娘が存在しないなんて勘違いに悩み、深海棲艦を恐れて廃墟に身を隠し緩慢な死を想像した事があろうと。

 他人の死に対する罪悪感を理由に自分の首を吊る様な事は絶対にしないと言い切れるぐらいには生き汚い人間だと言う自覚がある。

 

 今の私にとっては今から二十一年前、あの終電に間に合わせようと急いでいた雨の日に歩道橋から転げ落ち物心ついてから三十後半のサラリーマンになるまで生きた一度目の人生を丸ごと暗闇の中に喪失した日に感じた絶望感。

 そして、二度目に産声を上げてから今日に至るまでの時間をもう一度失うなんて何を引き換えにしたって受け入れられるわけがない。

 

「君の言う通りこのハワイで何人の人間が不幸のどん底に落ちようと結局は私に関係ない、でも・・・君の事だけはそうじゃないだろっ!」

 

 仮に鹿島の言う通りに彼女の善意に頼りきったとする。

 だが、先程の言葉通りに無事日本へと帰れたとしても私達に待っているのは国と言う個人では到底抵抗できない巨大な組織による責任の追及だ。

 私の様な一介の大学生であれば事が発覚して公権力に拘束され尋問を受ける事となったとしても数年の禁錮刑で済む可能性が高い。

 だけど指揮官の資質を持った人間さえいれば軍事兵器としての能力を遺憾なく発揮できる艦娘が個人の意思でその能力を使用した上に海外から日本への渡航を試みたとすれば間違いなく下手なテロリストよりも危険な存在として国に認識される。

 

「君自身が言っていたんだっ、自分は自衛隊から脱走した艦娘で、でも能力を使わない事を条件に自分は見逃されていると!」

 

 絞り出すように声を荒げ前のめりになった顔全体が腫れたように熱く、その熱に浮かされたまま一歩踏み出すが鹿島との距離は縮まらない。

 さっきまで馴れ馴れしい程の笑顔で私の手を握っていた彼女の顔は見るからに強張り、詰め寄ろうとする私の一歩から逃げるように同じ歩幅で後退るからだ。

 

「もしかしたらもっと私が考えているよりも複雑な事情があるのかもしれない、本当は政府とか国とか雲の上の大きな何かとの取引の末に君は私の前に現れたのかもしれない・・・でも、どれだけその相手との間に太いパイプがあっても大学生一人を助ける為だけに軍事兵器のっ、艦娘の力を使う事を許される様な事だけはあり得ない」

 

 清濁併せ呑む事が世の常である国家組織と言えど深海棲艦への対抗兵器として生まれた艦娘が個人の意志でその力を振り回すなんて事を許すわけがない。

 一時期、彼女が映画の中の女スパイの様に国家機密である艦娘にやたらと詳しい不審人物である私に忍び寄り、好意を装って探りを入れてきているのではないだろうかなんて妄想した事がある。

 けれども、そうだったとしても今さっき提案された内容は客観的に見れば明らかに彼女が負うリスクに対して得られるメリットが何一つないのだ。

 

「昨日、君が書き置きを残して居なくなった後、目の前が真っ暗になったかと思ったんだ!」

 

 震える手を伸ばして白地のダブルボタンブレザーの前で握られている手を捕まえようとして指先が空を撫で、また一歩離れた鹿島へ向かって芝生を踏みしめるように足を動かす。

 

「病院で強盗に遭った人を手当てしてた時、ここが日本と違う銃のある国だと今更に気付いて! 苦しんでる人が目の前にいるのに君が運ばれてこなかった事に胸を撫でおろして!」

 

 だと言うのに私は何をおいても彼女を探しに行くと言う選択を後回しにして自分の安全を守るためにボランティアを率先する良い人間になりきり。

 おそらくは鹿島が自分を犠牲にしてでも私を連れて日本へと帰ろうと決心している時に私は自分を有益な存在として周囲に印象付けて外国人(余所者)として虐げられたり爪弾きにされる可能性を減らす事だけに腐心していた。

 

「でも空き巣や暴漢の話を聞く度にもしかしたら君が襲われたんじゃないかって・・・考えてっ」

 

 何故かどうしようもなく息が苦しい、鼻水の音がズルズルと声を濁らせてコテージの壁に背をぶつけて立ち止まった鹿島の両肩に手をかけて私は何かに殴られたかの様にグラグラと揺れる視界に酷く怯えた様な顔をした女の子の姿を映す。

 

「なのにこれ以上、お願いだから、そんなモノを私に背負わせないでくれ・・・お願いだから、もういっぱいなんだ」

 

 我ながらなんて自己中心的で身勝手で救い様がない程に浅ましい物言いだろう。

 

 子供の我儘の方がマシな事を言っている、それが分かっているのに私は溢れ出る女々しい泣き言を吐き出し鹿島の前で懇願する様に頭を下げ。

 

 伏せた顔の目や鼻から滴り落ちる水滴でメガネのレンズが水面の様に揺らぎ足元の地面が濡れていく。

 

「君が居なくなるなんて考えたくない、何よりも自分のせいでそんな事になるなんて絶対に嫌だ・・・」

 

 鹿島の力を借りればこの深海棲艦の脅威に晒されているハワイ諸島から脱出する事が出来ると言うのは彼女の同類である艦娘達が公開演習で見せた実力から不可能ではないと素人の私にだって想像できる。

 けれどそれをやらせてしまったら私のせいで彼女はその能力の無断使用に関わる責任を負って何かしらの罰を受ける事になるだろう。

 

 それが重いモノになるか軽いモノになるかなんて権力側ではない一般人には想像もできない。

 

 だけど、まず間違いなく彼女とごく普通の大学生として他愛ない話に花を咲かせたり、他愛ない悪戯にからかわれてどちらともなく笑い合ったり、私のベッドの上に寝転んで鼻歌交じりに料理本を読む彼女の無防備な姿に見惚れる事も出来なくなるのは間違いない。

 

 ある日突然に私の前に現れて気付けば生活の中だけでなく心の奥深くにまで食い込んで来たどうしようもなく私を惹き付ける女の子が手の届かない所へと去っていくなんて認められない。

 そんなのは恋愛小説で使い古された失恋の痛みなんて表現よりもヒドイ、言葉では良い表せられないナニカとして私に刻み付けられ一生心に残り続けるだろう。

 

「だから、だから私は・・・私は、グズッ、イヤなんだ、イヤなんだよ・・・」

 

 膝から力が抜けそうで駄々をこねる子供の様に要領を得ない泣き言を吐いた私はいっその事これで鹿島に幻滅され突き離されてしまえば少なくとも心が未練で腐る事だけは無いだろうと後ろ向きに己の言動を自嘲する。

 そう皮肉った考え方でもしないと男らしさの欠片も無い泣き言を好きな女の子の前で喚き散らした醜態で自分自身を殴り倒したくなってしまう。

 

「情けない人・・・さっきから自分の事ばっかり、弱くて頼りなくて優柔不断で、恰好悪い」

 

 散々に泣き言を吐き出し伏せた私の頭の上へと掛けられた冷めた声に心臓を握られたかの様な苦しさを感じ、彼女の肩から手を除けようと動こうとした私の顔が左右から包み込む様に白いシルクの両手で挟み込まれた。

 

「だけど、目の前で傷付いている人がいたなら助ける事を躊躇わない勇気のある、その手が汚れる事を厭わず一人でも多くの命に手を差し伸べられる人・・・どうしようもなく愛しい」

 

 ―――さん、私の提督さん。

 

 優しく囁く声と共に目を閉じてどこか幸せそうに微笑んだ彼女の額が私の汗ばんだ肌に触れ、滑る様な肌触りの細い指に頬を撫でられ、鹿島はか細く囁くように私の名前を呼ぶ。

 キスでもないのに彼女とくっついた部分が妙に熱くて泣き言を喚き散らして茹蛸になっている顔がますます赤くなっていくけれど私はそれでも構わないからと一度は離しかけた手で彼女の肩を引き寄せて抱きしめた。

 

・・・

 

「おぃーす、二人で盛り上がってるとこわりーんだけど、ちょっちいい?」

 

 数分、涙は止まったけれど鼻水は変わらず啜っている情けない顔の口元に吐息同士が交わり薄紅色が触れ合いかけた時、物凄く私にとって馴染み深く、それでいて今一番聞きたくない声が背後から聞こえた。

 

「うわぁあっ!?」

「せ、先輩さん!? きゃぁっ!」

 

 直後、抱き合っていた鹿島と揃って短い悲鳴を上げてその場で自分でも驚くほど高い垂直飛びした私は着地と同時に足を滑らせて後ろに倒れ、そんなマヌケな私を助けようとした鹿島が突然の事に踏ん張りがきかなかったのかそのままつられて私の上に倒れ込む。

 

「おいおい、そんなふうに見せつけんなよ~、恥ずかしいじゃん?」

「くっ・・・どっちかって言うとそれ、こっちのセリフじゃないかな?」

「もぉっ! ホント、お邪魔な人っ!」

 

 アロハシャツを腰に巻き付け鼻の頭に油汚れを付けたランニングシャツのお調子者を上下が逆転した視界の中に収めた私は大きく溜め息を吐き出して鹿島の背に回していた手で顔の半分を隠す様に撫でた。

 

「それにしても、ほ~、やっと仲直りかよ」

「いや、だから元から喧嘩なんかしてないって言ったよね?」

「まぁいいや、なんかさー、赤城さんとバリッちゃんが夕ご飯ご一緒しませんかって誘ってくれてんだけど、お前どうするよ?」

 

 念のために「バリッちゃんって誰?」と聞き返せば「夕張ちゃんって名前のけーじゅん?の女の子、もう俺とバリちゃんってばマブダチよ?」とか言う頭の悪い返事が返って来た。

 

「なんでここに志麻っちがいんのか知らねーけど一人ぐらい増えてもダイジョブだっしょ?」

 

 コイツにとって軍事とか政治とか関係なく「艦娘=可愛い女の子」ぐらいの認識しかないと言うのは普段の言動から分かっていた事だが、下手に近づけば国家権力に拘束されて社会的かつ物理的に文句が言えなくなるかもしれない相手をここまで気安く扱えるのはある種の才能ではないだろうか。

 

 それはともかく・・・。

 

「いや、私達はホテルの部屋に戻る・・・か、こほんっ、志麻さんと一緒にやる事があるんだ」

「え、は、はい、それに私はここに黙って入って来ちゃったのでバレるとマズイかなーなんて、あはは・・・」

 

 事前に連絡しているかどうかは不明だが鹿島の様子を見るに彼女にとって古巣である自衛隊との接触は好ましくなさそうと言うのもあるが、それよりも私は今回の事で一つ自分の身の振り方を決めねばならないと決心したのだ。

 

「え・・・? ぅっあっ、それマジで言ってんの?」

「なんだいその顔、別に私だっていつも艦娘ばっかり追いかけてるわけじゃ」

 

 私達に向かってこの世のモノでは無い何かを見たかのように驚愕に震える友人の態度を訝しみながら身体の上の鹿島に退いてもらい土ぼこりを払い落しながら立ち上る。

 

「二人揃ってホテルでやる事って、ひぇ~、マジかよ! おまっ、どんだけ大胆なわけ!? 逆に尊敬するわ!」

 

 ワーワーとスポーツ観戦で興奮の声を上げる観客の様な馬鹿っぽい顔をした男が囃し立てる様な口笛まで吹き始め様子に私は顔を顰めて早歩きで馬鹿野郎へと掴みかかり、暴れる男の頭に腕をかけて無駄口を吐き出す顎を無理やりに閉じさせた。

 もがもがと何か言っている男にヘッドロックをかけながら振り向けば顔を赤らめてモジモジし始めた鹿島の姿になんともいたたまれない気持ちになってくる。

 

「私はこのまま彼女を連れて帰るけど、絶対に変な勘違いはするんじゃないぞ!?」

「はっはっはっ、分かってる分かってるって」

 

 数分間、芝生の上で低レベルな取っ組み合いをした後に念押しの言葉を吐いた私は土ぼこり塗れで鹿島の手を引き。

 絶対に分かっていない友人の能天気な笑顔に背を向けて鹿島がこの公園に入り込む際に通った人目の無い道を通ってモアナルア・ガーデンを後にした。

 

「それで、先輩さん私と一緒に脱出しないならどうするんですか?」

「まずは目標を定めないといけない・・・君と一緒に正式な手順(・・・・・)を踏んで日本に帰る、これが絶対条件、今からそれを叶える為の方法を考える」

 

 鹿島の手を引き無人の道路を数キロ離れたホテルに向かって歩きながら出来るだけ客観的にそれでいて混乱しないように簡潔な考えの道筋を頭に描いていく。

 

「情けない話だけどそれを手伝って欲しい、私は君と一緒に元の生活に戻りたいから・・・」

「そこまで言われたら仕方ありませんね、ふふっ、はい、仕方ありません♪」

 

 日本からハワイの間で行われた彼女の出入国手続きはごく普通の女子大生が友人と一緒に楽しむ旅行という形で問題なく行われた。

 そこまで考えて、もしかしたら艦娘と言う正体を隠す為に何かしらの監視の目があるのか、と本人に聞いてみれば私と手を繋いで隣を歩く鹿島ははっきりと首を横に振る。

 

「まぁ、私の場合は監視の必要が無いって言うべきですけど、ここには艦娘部隊、あの田中艦隊の艦娘達が居ますから」

「それはどう言う?」

 

 彼女の何気ない一言に首を傾げた私へと鹿島は艦娘が持っている特殊な性質の一つ『姉妹艦同士の間にある精神の繋がり』を説明し始め、姉妹艦でなくとも戦闘形態となった艦娘ならその身に備えた通信能力や電探機能によって待機状態の艦娘を簡単に探知できるらしい。

 それを聞いた私はあの虹色の津波が襲い掛かって来たあの日、海岸線の遊歩道で虚空を睨みつけながら姉である姉妹艦の名を叫びまるで会話をしているかのような様子を見せた鹿島の姿を思い出す。

 

「万が一に私がさっき先輩さんに言った様な国外逃亡を企てたり、ここで能力を使って問題を起こした時にはあの艦隊が事態を収拾する事になっていました、ある意味では彼女達が私の監視ですね、まぁ、あっちにとっては私が政府からの監視みたいなものでしょうけれど」

 

 そして、悪戯っぽくチロッと舌を出して笑う彼女から教えられた艦娘の不思議な力の話が妙に私の頭に引っかかった。

 

「それは、つまり君は日本と連絡が取れるって言う事なのか?」

「精度は周囲のマナ濃度にもよりますけど、集中すれば大丈夫です」

「じゃぁ、今、私達の状態は既に日本へと伝えられている?」

 

 重ねた問いかけに鹿島の首がまた縦に揺れて頷く。

 

 つまり、国際的な合同軍事演習へと参加した田中特務二佐が率いる艦娘の持つテレパシー能力によって既に自衛隊へと報告が行われ、さらにその上にいる政府関係者は此処で起こっている事態をある程度は把握していると言う事。

 しかし、深海棲艦が攻撃を仕掛けて来てからもう五日、被災者へ救援の手を差し伸べている自衛隊員達から日本政府が動いていると言う話は聞いていない。

 そして、間に艦娘の伝言ゲームが挟まっているとは言え事態が事態なのだから日本と軍事同盟を結んでいるアメリカにも連絡は届いていると考えるべきだろう。

 

 それはどこかで情報の流れが意図的に押し止められていなければの話だが。

 

「ちょっと前に通信を繋いだ時に香取姉や香椎も動いてくれてるって言ってましたけど・・・状況は良くないらしいです」

「日本の艦娘はこの事件に介入できない・・・彼女達が海外で戦う事を特務法は禁じているから?」

「・・・はい」

 

 日本の自衛隊と艦娘達に海外で発生した戦闘に介入する権限がない。

 だから私達はその助けを期待する事そのものが出来ない。

 現代兵器では追い払うのが背一杯、頼りの14人の艦娘達もハワイに閉じ込められたまま防衛戦を続ければジリ貧になる。

 なのに現在、世界中のどの国よりも艦娘の運用と深海棲艦に対する戦闘経験に最も長けている日本からの助けは来ない。

 

 だから、この場にいる誰よりも絶望的な自分達の状況を理解している鹿島は私へと自分の能力を使うハワイ脱出を提案した。

 

「・・・日本の艦娘には介入する権限がない?」

「先輩さん?」

 

 なるべく簡単に考えを纏めようとしているのにグルグルと頭の中で回転する自問自答の末に私は色とりどりの熱帯植物が生い茂るホテルの前庭の真ん中で立ち止まり声を上げる。

 

「そうか、日本の艦娘には(・・)介入できないんだ!」

 

 人間同士の情報戦ならばともかく今の災害と言って良い深海棲艦との戦闘で怯える民間人にとって自分達が助かる可能性が高まるポジティブな情報は自暴自棄が原因となる犯罪を抑止する特効薬になる。

 だが、マナ粒子の除去装置の建設や被災者の生活支援などを今も行っている日米の軍人達が表向きは外との連絡が取れず現在のハワイが世界から孤立しているとしている理由とは。

 

 おそらくは外部からの救援が期待できないか、何らかの事情で大きく遅れているからだろう。

 

 さらに仮定に仮定を重ねるが、もしどこかで情報の流れが滞っているかそれを扱う者達が何かしらの理由で行動する事を躊躇し足踏みしているとするならば?

 

 その動かない権力を持った者達が動かざるを得ない状況を作る場合、・・・私ならどうする?

 

 艦娘のテレパシーと言う少々どころではない変則的な方法でだが外との連絡手段はある、そして、きっと今この瞬間だけは世界の誰よりも幸運な私には一番頼りになる鹿島と言う味方がいる。

 

「鹿島、君の、君達の事をもっと教えて欲しい・・・二人で、いや、アイツを入れて来た時と同じ様に三人一緒に日本へ帰る為に!」

「うふふっ、なんだか急に先輩さんがカッコ良くなっちゃいました」

 

 正直に言うとそんなふうに土汚れが付いた私の腕にかまわず胸を押し付けた上に魅惑的な上目遣いで迫り、極めつけには耳元に甘い吐息で囁かれると小心者な私の心臓がびっくりしてしまう。

 

「鹿島に何でも聞いてください、優しく教えてあげますから♪」

 

 決して嫌というわけでは無いが今はそんな方向に元気になるわけにはいかないわけで。

 それにあの馬鹿にまた「ゆうべはお楽しみでしたね」とか茶化されるなんて冗談じゃないわけで。

 

 あと考えが纏まらなくなるので出来れば時と場合を選んで、ちょっとだけ容赦して欲しいです、鹿島さん。

 




 
これは終ぞ英雄として歴史に名を刻む事無く、それでも激動の時代を生きた凡人の物語。

普通の日常に戻る為に深海棲艦に全身全霊をかけ立ち向かったその他大勢の一人の記憶。

ただ一人の艦娘の味方として生きた彼の名前は決してこの歴史(物語)に刻まれる事はない。


何故なら、その名を呼べるのは(ヒーロー)と最期まで連れ添った彼女(ヒロイン)だけの特権なのだから。
 
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