艦これ、始まるよ。   作:マサンナナイ

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命短し恋せよ乙女!

自由意志による競争を勝ち抜くのだ!


 


第百三十四話

《谷風出撃ぃっ! おとっとぉ、ぃっ、よいっしょぉー!》

 

 重量物が軋む鈍い金属音と叩き付けるような突風が唸る鼠色の甲板を照らす光の中から飛び出した駆逐艦娘が艤装が吹き上げる汽笛の音と共に威勢の良い声を上げたかと思えば反転し、押し寄せる高波に傾きかけた海上自衛隊所属護衛艦【はつゆき】の片舷を掴まえて自身の身体をバラスト代わりに安定を取り戻させた。

 

「良く戦った! 田中司令には及ばぬまでも貴官の戦いもまた軍人の名に恥じぬものであった!」

 

 その谷風が大部分の揺れを押さえ込んだ護衛艦の上で彼女の姉妹艦である磯風が焦げや生傷が見える顔に敬意を込め、常に揺れ動く不安定な足場にも動じず自分の目の前の座り込んでいる自衛官へと敬礼する。

 

「次の士官はどこか!」

 

 四方八方から吹き付ける海水の飛沫の中で磯風に相対している海自士官もまた消耗しきった青い顔ではあったが返礼を返し、【はつゆき】の甲板員の肩を借り支えられて艦内へと戻っていく彼の姿を見送ってから駆逐艦娘は暴雨に晒されても軽やかな身のこなしで振り返り。

 

「司令が戻るまで我々はこのはつゆきを守らねばならんのだ!」

 

 再出撃に必要な人材を呼び付ける様に良く通る声を上げる。

 

「こっちです! ですが、出撃用エレベーターが破損しました! 側舷からの出撃になります!!」

 

 一歩足を滑らせれば突風に押し飛ばされて艦の外へと投げ出されても不思議ではない悪環境の中でオレンジの救命胴衣を身に着けた自衛隊員が痛々しく捩れて軋む音を立てている護衛艦(はつゆき)の後部デッキに増設された昇降機(エレベーター)の前で側舷の縁に抱き着き身体を支え手を振り、突風の唸りに声を掻き消されそうになりながら磯風へと「ここにいる」と示す。

 

「ほぉ・・・」

 

 腰まで届く黒髪が真横にたなびく程の激しい風と揺れが襲う甲板で若干身体を傾げながら足を踏ん張りつつも足早に自分を待っていた士官の前まで辿り着いた磯風は自分と同じ様に沖からの暴風と水飛沫に襲われながらもしっかりと両足で踏ん張っている士官の姿に小さく感心した様な呟きを漏らす。

 

「なんですっ?」

「いや、何でもない、一航戦の護衛はもとより防衛線を支えている五月雨と雪風とも合流を急がねばならんし、寄せてくるはぐれ艦共も待ってくれんぞ・・・中尉!」

「いえっ私は二尉でっ、ってその傷、治療しなくていいんですか!?」

「怪我の一つ二つでこの磯風が深海の雑兵ごときを恐れるものか、だが貴官が臆病風に吹かれたと言うなら代わりの士官を待っても構わんぞ?」

 

 その姿と声が女性のものであると手が届く距離まで近づいてから気付いた磯風が自分を心配してくれる女性士官に対して鷹揚かつ挑発的なセリフを吐く。

 ずぶ濡れの二等海尉は少しだけムッと顔を顰めたがそのすぐ後に駆逐艦娘が浮かべる自信に満ちた快活な笑みに一拍目を瞬かせてから負けじと気を引き締めた軍人の表情を返す。

 

「出撃! お願いしますっ!」

「あぁ、共に征こ、ぅおっ!?」

 

 共に出撃するはずだった指揮官代理である女性隊員の出撃を告げる声を聞きながら差し伸べられた手を握ろうとしていた指先が横からの力で押し退けられてタタラを踏んだ磯風はいきなり横入りしてきた相手へと険しく顰めた顔を向け。

 

「ゴメンね、磯風」

「なっ、いきなり誰だ!! ぬぁっ!?

 

 直後に自分の目の前で発生した艦娘の出撃を意味する金色の輝きに目を眩ませて足を滑らせた磯風は護衛艦の甲板に尻餅を着きながら宙に浮かぶ巨大な金の輪に鈍い銀色の文字が記されていく光景にその赤瞳を瞬かせた。

 

・・・

 

『これはっ、一体どう言う事なんですか!?』

《ゴメン、今は説明している暇が無いんだ、急がないと間に合わなくなってしまうからっ!》

 

 予定と違う艦娘の指揮席に座らされる事になった若い女性士官の問いに答える事無く金の枝葉を茂らせる茅の輪を踏み越えた駆逐艦娘、時雨は青い瞳の左側にうっすらと白い花弁を浮かべて遠く東の海から迫りくる瑠璃色の侵食とそれを堰き止める淡い光の壁へと身体を向ける。

 

「時雨貴様!? 事と次第によってはただでは済まさんぞ!!」

《まだクレイドルの中の筈だったろ!? なんだってそんな恰好でこんな所に出てきてんだい!》

 

 甲板で地団太を踏みながら怒声を上げる磯風だけでなく船底をひっくり返しかねない荒波から通常艦艇である護衛艦を守る為にその鼠色の装甲に細身の体を押し付けている谷風が突然海上に現れ時雨の背中に声をかけるが当の本人は遠く曇天渦巻く限定海域を見据え。

 余程急いで支度したのか所々に肌色が見える着崩れた黒地のセーラー服、その襟では結ばれていない赤いスカーフと烏羽色の髪が風に弄ばれて踊る。

 だが治療槽(クレイドル)から出てきてまだ十分も経っていない病み上がりの艦娘は自らの艦橋や周囲から向けられる幾つもの声や視線を敢えて意識的に遠ざける。

 

 そして、祈る様に胸の前で手を組んだ時雨の青い瞳の中に描かれた花菱の紋様が徐々に青白い光を帯びていく。

 

《ってぃ、出て来た途端に神頼み・・・ぇっ!? 海が・・・!》

 

 沖に見える限定海域からやってきて【はつゆき】を含めたハワイ諸島防衛艦隊が機械的に造り出した霊力障壁によって堰き止められていた津波の様なうねりを無数に蠢かせていた昏い瑠璃色に染まった人外の領域が急激に遥か遠くの水平線に向かって後退を始め。

 東の空を覆い尽くしていた暗闇の曇天が光の筋に切り裂かれる様に解け始め、姫級深海棲艦が発していた霊力によって蒼い宝石の色に変えられていた海水が差し込んできた朝日によって見る間に駆逐されていく。

 

『限定海域が・・・消えていく、・・・がっ!? やっ・・やった・・・わ!!』

 

 その光景に驚きながらも喜びに震える幾つもの声が高濃度マナのせいでノイズがかかった通信網に飛び交い、時雨の胸の内にある艦橋に座る指揮官代理である女性もまた年甲斐も無く子供の様なはしゃいだ声を上げる。

 

 そんな周囲の音が時雨の感覚から遠ざかり、その身体にぶつかり肌を叩く風の音すら消えた時。

 

(皆、違うよ、違うんだ)

 

 夜闇の中で陰影だけで描かれていた荒海が空に昇る太陽に照らされ穏やかな波と極彩色を取り戻した南国の海の上で時雨は右目を閉じる。

 

(まだ、終わってない)

 

 朝日で清められ透き通ったエメラルドグリーンに戻っていく海へと向けて胸の前で組んでいた手を広げて両腕を向けたその左目が限界まで見開かれる。

 

(だってこの目には小さくて消えそうな、提督が苦しんでいる声が見えて(・・・・・)いるっ!)

 

 直後、花菱紋が刻まれた碧眼(魔眼)が青白い光を溢れさせ、どれだけ離れていようと特定の感情を発している存在を見つけ出す能力を手に入れた碧い眼光が持ち主である時雨の意志に応じて海の向こうに見える無数のターゲットを捕捉する。

 

 助けを求める(悲鳴を上げる)者の声に応え手を差し伸べる、ただそれだけを願った時雨が手に入れた異能力(魔法)がその視界にねじ切れた船体(胴体)を晒し沈んでいく軽巡ヘ級の遠吠え(悲鳴)を、意識を朦朧とさせ転覆した重巡リ級の軋み(悲鳴)を、幾つもの深海棲艦が同族(味方)を探して不安げに鳴らす汽笛(悲鳴)を映し出し。

 それら敵である深海棲艦が藻掻く姿に感じてしまった悲哀に痛みをこらえるような呻きを漏らしながら時雨は自分が最も助けたいと願っている相手が発する心の声(悲鳴)を感じる方向へとさらに意識を集中させる。

 

(僕が探しているのは君達の声じゃないっ!)

 

 突然に始まった類色の異空間の崩壊によって直径数千kmまで広げられていた海が元の距離へと戻されていくと言う驚くべきその絶景を前に誰もが歓声を上げる中で時雨は水平線の向こうに消えていく瑠璃色を追いかけ、追い抜き、そこへと辿り着く。

 

《あぁ・・・提督》

 

 そして、光り輝きながら広大な海上を彷徨っていた隻眼の視線が一際強く見えた(聞こえた)悲鳴の発生源へと定まり、時雨は原油の様にヌメる深海色の大渦に探し求めた相手の姿を見つけ出した。

 

《君を見付けたよっ!》

 

・・・・

 

(残りの弾薬を燃料に変換しても渦潮から逃げ切れないっ!? 空母棲姫にトドメを刺そうとしたのが原因って言うのかっ!)

 

 東の空を背に海上に大きな影を伸ばす巨体から全速力でスクリューを回し離れようとしている駆逐艦娘、叢雲の艦橋で敵性反応を知らせる警告音に指揮席に座る田中はただでさえ連戦に次ぐ連戦によって消耗している神経をさらに削られ。

 現在、駆逐艦娘の弾薬を構成している霊力を弾丸一つ残らず燃料へと変換し直して叢雲の動力炉へとつぎ込んでも自分達の足下で蠢く玉虫色のタールとでも言うべき海面が造る渦潮から逃れられるには足りないと言う非情かつ正確無比な予測(妖精が知らせるアナウンス)に指揮官は顔を青ざめさせ。

 

(想定外にも程があるだろ! いや、空母棲姫以外の上位種がいる事は知っていたけど、認めたく無いが知っていてその可能性を考えなかったこっちがマヌケとでも言うのか!?)

 

 碌な休みも無く一昼夜戦い続けた状態で数え切れないぐらいの苦難の末に勝ち取った勝利の直後に現れた悪夢(現実)である玉虫色の油膜を渦巻かせる大潮流と戦艦棲姫、その鉛色の巨大艤装が発する威容に田中は苦渋にまみれた悪態を吐き捨てる。

 

「くそっ! だが、今はあれから逃げる事が最優先、何か、何か方法はないのか!?」

 

 幾つものデジタル表示とアナログ計器が並ぶコンソールパネルを叩く様に両手をついた田中が発した抽象的な問いかけに彼の思考速度が活性化する。

 

『司令官っ!』

 

 脳内に現時点で実行可能な生き残る為の方法が乱雑に並べられ間延びしたように停滞する時間の中に入り込んだ直後、艦橋に響いた叢雲の呼びかけにハッと顔を上げた田中は僅か一秒にも満たない間に意識にこびり付いた愚にも付かぬ危機を解決する幾つかの答え(妖精が提示する打開策)を振り払うように頭を振る。

 

「待ってくれ、今どうにか全員生き残れる方法を考えているっ!」

《いいから聞いて! アイツの攻撃に合わせて旗艦を変更するの、もうそれしかないわ》

 

 そして、艦橋に聞こえてきた叢雲の言葉へ直径数mの球体モニターの中心に座る指揮官は反射的に「ダメだ」と呻く様な声を吐いた。

 

「あの大砲の威力はどれだけ少なく見積もっても余波だけで大破する事になるだろうし緊急回避が成功しても無事ではすまないのは確実で、君が戦闘不能になって戦える艦娘が島風だけになればどうあがいても全滅してしまう!」

 

 そもそも、そんな簡単な方法で解決する問題なら頭の中の妖精に「この窮地を脱する攻略法を恵んでください」などと頼み込んでいない。

 

 そんな言葉に出来ない胸の蟠りを吐き出す様に部下からの提案を跳ねのけて強く荒い息を吐き出した田中は自らの汗まみれの髪ごと頭皮をひっかく。

 

《ええ、アンタ(・・・)の言う通りよ・・・あれが日本海に現れたデカ物の同類なら私にだってあの大砲がとんでもない威力を持ってるのぐらい簡単に想像できる》

「ああ、だがすぐに俺が何とかする方法を見付ける、だからあと少しだけ待って・・・」

 

 相当に興奮しているのかいつになく高圧的な叢雲の声に少し驚きながらも田中は宥める様にそう言って自分の頭の中に隠れている妖精が提案した論外な返答を投げ捨て、脳内の居候から思考加速を行う力だけを借り今度は自分の頭でこの危機を乗り越える作戦を編み出そうと深いシワを寄せた眉間に手を当ててて集中しようとした。 

 

《そうよ、とんでもない威力だからこそ都合が良いんじゃない(・・・・・・・・・・)

「は・・・?」

《水平線の向こうまで吹っ飛ばしてもらおうじゃない、・・・大丈夫よ、直撃したって耐えて見せるわ、特型駆逐艦を舐めてるんじゃないわよ?》

 

 

 ・ 

 

 

 言われた言葉の意味が分からず指揮席で呆然とした顔を晒す田中の背後から聞こえてくる重々しい鋼が駆動する重低音、太陽を背に黒々とした影と雄々しくそそり立つ大口径が向けられる気配を誰よりも強く感じていると言うのに銀髪の特型駆逐艦娘は不敵に笑い飛ばす。

 

『私が大破しても強制解除までのタイムラグを利用すれば十分な飛距離を稼げる、その後は・・・』

「ウチらの出番っちゅう事やろ、ホンマ難儀やなぁ」

『・・・叩き起こす手間が省けて丁度良いわ、皆聞いてたわよね?』

「こんな海の真ん中で水切りだなんて、子供みたいですわね」

「なら三隈はやらないの?」

「いえ、二番手を承りますわ、くまりんこは僚艦を盾にしておめおめと生き残る重巡ではありませんもの」

「やるしかないわね・・・なら島風、提督の事頼むわね」

 

 いつの間にか目を覚ましていた床に倒れ伏して身動きも出来ない少女達が旗艦の声を聞いて血が混じる咳をしながらまるで明日遊びに行く予定を相談する様な軽い調子で戸惑う指揮官を他所に何かの順番を決めていく。

 

「っ・・・うん、わかった、島風に、任せてください」

 

 仲間達が何を言おうとしているのかを艦橋の中心にいる指揮官よりも先に察した駆逐艦娘がわずかに息を詰まらせてから自分を見上げる矢矧、龍驤、伊168、三隈の四人へ彼女の性格に似合わない妙に丁寧な口調で了解の言葉を口にした。

 

《時間が無いわ、もうすぐにでもアイツは撃ってくる・・・でも何があっても、あの化物がどんな強敵だろうと私達の司令官だけは絶対に生き残らせるわよ!! そうでしょ!?》

 

 いっそ壮絶と言って良い程に深く強く笑みを浮かべ足元(船底)に絡む玉虫色の光沢を滑らせる渦潮の外へと前傾姿勢を取って最大出力でスクリューを回す叢雲の叫びに艦橋で田中を除く全員が躊躇い一つ無い返事の声を上げる。

 

《さあっ! アンタ程度の深海棲艦がこの私に相応しい死に花を咲かせられるってならやって見せてもらおうじゃない!!》

「さっきから何を・・・言って!?」

 

 見栄を切る様に自分の船足を邪魔する渦潮とその主である姫級深海棲艦へと威勢良く叫ぶ叢雲の啖呵を切っ掛けに田中の思考が強制的に加速する。

 目に見える全ての動きが停滞する今では慣れてしまった感覚の中、田中の視界でベージュ色の水兵服を着た妖精がいつの間にか空中に浮かんでいた小さな池に向かって小石(艦娘)を投げた。

 

 水面でポンと跳ねた小石(叢雲)が次の着水と同時に粉々に砕け、それは次に水面(海面)に飛び出した時には違う小石(三隈)の形へと変わり、気付けば池の縁に置かれていた歪な人形(戦艦棲姫)がそのヒビだらけの石を狙い撃つ。

 池の水面を丸ごとひっくり返すような水柱に弾き飛ばされ宙に飛んだ小石(三隈)が光粒を散らしながら砕け散り、今度は空中で新しい小石(矢矧)へと入れ替わった。

 

(そんな、嘘だろっ!? やめてくれぇっ!!)

 

 限界以上の戦闘によって砕けて(轟沈して)しまった小石(艦娘)手元(艦橋)に戻らず()に消えるだろう、ただし、計算上では指揮官(キミ)と五人の艦娘から最後の旗艦を託された艦娘(島風)は間違いなく生き残れる。

 

 そんな命を文字通りの盾にして己の指揮官を生き残らせると言うこれから叢雲達が行おうとしている自己犠牲の極致(シミュレート)を見せられた田中良介はすぐにでも彼女達の行動を制止しなければと悲鳴を上げようとする。

 だが時間へ干渉する能力を持たない肉体的には常人でしかない青年は意識だけが加速した世界で呻く事はおろか身動ぎ一つ出来ず。

 

 彼さえ生き延びれば後方に残る仲間達と共に再起して自分達の艦隊は必ず勝利を掴んでくれる。

 

 そう本気で信じている戦乙女達の感情がコンソール上に座る小さな妖精を介してまるで遺言の様に指揮席で硬直した青年の中へと送り込まれてくる。

 

(貴方は生き残るべき人だとか、一緒にいれるだけで幸せでしたとか、好きになった人が俺で良かったとか、毎日が楽しかったで・・・とか・・・なんで俺の為にそんな・・・)

 

 混じり気の無い自分への好意、彼女達の心に秘められていた愛とすら言えるだろう想いの伝達はイタズラ描きみたいな顔の猫を抱く人外が「彼女達の意志を尊重してやるべきだ」と言っているかの様でもあった。

 

(でも、君達がそれを望むなら、その責任()は背負わなければならないんだよな、俺は指揮官なんだから、・・・な)

 

 諦観にも似た感情が胸に満ちて周囲の渦潮よりも荒立っていた精神が落ち着ついていく感覚はこの状態ならば叢雲達が自分に求める役割を問題なく果たせるだろうと田中自身に確信させる。

 

 かつて親友と共に愚行だと唾棄した意図的に艦娘を切り捨てる作戦(捨て艦戦法)を艦娘自身が望んでいるから行う、その後に自分にのしかかる計り知れない後悔は必要不可欠な代価なのだ、と。

 

 これが現状で最も正しい行動なのだと自らに言い聞かせる田中が気付く事なくその意識は選ばれた(選ばされた)最も生存確率の高い作戦(答え)に向かって合理的に動けるように狭窄(調整)されていく。

 

 そして、思考の停滞から抜け出した彼の視界に混じる小人の指先が戦艦棲姫が砲撃を行うタイミングを知らせる様にカウントダウンを始め。

 

「誰か・・・」

 

 コンソール上に浮かぶ叢雲の立体映像へと触れてコンマ一秒単位で旗艦を変更できる姿勢になった田中は静かに整えられた心の中に残った最後の躊躇いをか細い悲鳴(・・)に変えて喉から絞り出す。

 

「助けてくれ」

 

 背後に迫る熱量の恐怖に押されて零れた一粒の涙と共にコンソールに落ちた震える言葉は情けない泣き言と笑われる事は無く。

 彼の泣き顔を見上げた床に横たわる傷だらけの艦娘達は少し申し訳なさそうに微笑んだ。

 

 

 -・-・

 

 

 僕はその言葉を待ってた。

 

 

 ---

 

 

 ザアザアと空に舞い上がっていた大量の海水が豪雨の様に降り注ぎ、巨人の拳で抉れられたかの様な海面の割れ目が重力に従ってならされていく。

 その頂上(超常)の真ん中に聳え立つ巨体の主は今も高らかに硝煙の様な煙を立ち上らせている自らの主砲が消し飛ばした敵のいた場所に向けていた赤い灯を揺らめかせながらも冷たく細められていた流し目を手元へと戻す。

 

 何たる無様か。

 

 艤装やおろか装飾すら全て失い船体の大半をも喪失した同じ主の下で同胞となり(同盟を結び)、仮にも己と同格と認めた相手に向けて戦艦の姫は思惟(落胆)を吐き捨て、自らの艤装の掌に乗る程度まで小さくなってしまった空母棲姫の閉じた目蓋すら動かない顔を蔑む様に見下ろす。

 

 貴様は(さか)しく強き者であると思っていたが買い被りだったようだ。

 

 相手に意識があれば即座に音速に達するビンタが飛んでくるだろう思惟(侮辱)にも下半身を失い体中の傷と言う傷から黒い血を溢れさせる空母の姫は反応せず、戦艦棲姫はつまらなそうに鼻を鳴らしてから同胞の身体を自分の本体へと引き寄せる。

 その冷たい視線とは裏腹に鉛色の巨腕は壊れ物を扱う様に丁寧に空母棲姫の身体を500mに達する艤装の胸板に収まる本体の目の前へと移動させ、悍ましくも逞しい艤装を従える女神はずるりと巨大な胸板からその両腕を引き抜いて深く傷付きながらも白い美貌を損なっていない同胞の身体を巨腕から受け取り。

 

 そして、生ける女神像は抱きしめた姫級の唇を強引に奪い、黒い吐血を漏らしている口を貪る様に開かせた。

 

 差し込まれた長く紅い舌を通じて深海棲艦の力の源である昏い霊力が液体に混じりながら既に生命活動を終えて黒血に溶けようとしている空母棲姫の口内へ流し込まれ。

 そして、一時、この世の全てを消し飛ばさんばかりの一撃が放った轟音から打って変わって雲一つ見えない突き抜けるような晴天の下に広がる青海で聞こえる音は微かな潮騒だけになる。

 

 凪いだ海を再び乱したのは白くしなやかな腕が鞭のようにしなり振るった一撃。

 

 それは下手なビルよりも太く大きな巨腕で壊れた(死した)同胞を慈しむ様に抱きしめていた戦艦棲姫の補給(キス)を中断させ、硬く鈍い音を立てながら戦艦棲姫の肌を守る障壁が撃ち割られ。

 爪を黒髪がしなだれかかる首筋へと突き立てられた痛みに冷たさを感じる程の無表情だった戦艦棲姫の美貌が変化する。

 

 しかし、その戦艦の姫が浮かべた表情は不意を打つような攻撃による痛みへの不快に歪んだものでは無く、どこか不遜で高慢さすら感じる笑みだった。

 

 動力炉(心臓)を止めてまでの偽死とは恐れ入る。

 

 喉で笑う様な低い笛の音を口元から漏らし顔を上げた戦艦棲姫は自分の首筋に指を食い込ませた空母棲姫へ、いつまで眠っているつもりだ、さっさと起きろと肌が触れ合う距離で思惟(呼びかけ)を行い。

 それでも目を開かない同胞に首を傾げた戦艦棲姫は抱きしめている相手の身体が蘇生するどころか千切れてなくなった腹部から急速に分解を始めている事に気付く。

 

 戦艦の姫が笑みから一転して唖然とした表情を浮かべた直後、異物の侵入を察知して巨大な艤装の中心である心臓が心拍を不規則に跳ねさせ、眩暈と共に鋼に刻み込むが如き鋭さを持った思惟(命令)が戦艦棲姫の精神へと書き込まれる。

 

 -- ・

 

 

 かの欠陥品共を何としても廃棄処分にせよ!!

 

 どれだけ奴らの能力が有用に見えても惑うな!!

 

 アレらは命の理を冒涜する害悪に他ならぬ!!

 

 汚泥が如き()共を貴き御方に触れさせるな!!

 

 

 -・・・

 

 何をおいても我らが泊地の姫を御守りせよ、と死してもなお残る空母棲姫の規律正しき鋼鉄の思惟()が戦艦棲姫の胸で響く。

 

 それは戦艦棲姫を狙ったものでは無く空母棲姫の遺体に同族が触れれば自動的に実行される様に仕掛けられていたプログラム。

 

 その正体は激しい怒りとそれ以上に深い己が主人への忠誠によって空母棲姫が自らの身体に書き込んだ遺言(・・)だった。

 

 そして、首筋に食い込んだ空母棲姫の爪から送り込まれた黒血を媒体にして戦艦棲姫へのまるで自らの目でその光景を見たかと錯覚する程に高圧縮された艦娘との戦闘記録の受け渡しが終わる。

 

 並の深海棲艦ならば送り込まれた記憶(情報)によって自我を塗り潰されその命令の実行以外を考えられなくなるだろう強すぎる思惟を強制的に受け取らされ海原の真ん中でひきつけを起こしていた戦艦棲姫が紅い炎を漏らす目を瞬かせる。

 

 我に返った姫級が周囲を見回せばついさっき水平線に顔を出したばかりだったはずの太陽が既に昼に近い高さまで登り。

 彼女が手元へと目を向ければその磨き上げられた様な大理石を思わせる光沢をもった白い腕には空母棲姫の姿は既に無く黒い蝶結びのリボンだけが海風にはためく布地から血の残滓を滴らせ空気の中へと昏い瑠璃色に解ける光粒を散らしていた。

 

 あれほど愛でてやった(ワタシにも一言ぐらい)と言うのになんてヤツだ(置いていけば良いだろうに)

 

 やはりあの空母の姫は可愛げのない義妹だった、と思惟(独り言)を漏らしながら自分の首筋に刻まれた手痛い傷跡(義姉妹の置き土産)を撫でた戦艦の姫は手の平の黒いリボンを握り微笑み。

 

 一呼吸の後、その紅い瞳が業火を宿し、黒血に濡れた唇が野獣の様に牙を剥いた。

 

 

 ・-

 

 

 前触れ無く、青天に轟雷の大音声と聞き紛う程の咆哮が轟く。

 

 それは空母棲姫から戦闘記録と共に受け渡された艦隊指揮権をもって戦艦棲姫が振るった絶対的な召集命令。

 

 艦隊の指揮艦である空母の姫が造り出した限定海域から突然に投げ出され右往左往していた普通種の深海棲艦達は心胆を震え上らせながら一斉に昏い霊力の波動となって広がる思惟が放たれた方角へと舵を切り。

 

 少しでも新たな姫への帰順に遅れれば焼き殺されると感じる程の怒りの篭った思惟(命令)に震え上る残存戦力の心情を他所に巨大艤装を背に仕舞い戦闘形態を解除した戦艦棲姫は自分の手首へと空母棲姫の遺品(リボン)を巻き付ける。

 

 そして、玉虫色にヌメる重油が如き渦潮が繋げる深海領域から追いかけてきた直属の艦隊が次々に浮上して隊列を組む。

 その先頭に控える黄色い目の空母ヲ級を横目に見た姫級戦艦は不意に、もうあの気持ち良い姫級空母の身体(との時間)を楽しめないのか、と改めて理解し。

 

 どうしようもなく溢れてくる喪失感にウンザリとした気分になった黒髪の姫級深海棲艦はその身に纏った闇色の薄衣(ネグリジェ)と共に風に揺れる腕に巻いた黒いリボンに向かって(もう居ない白髪の義姉妹へと)思惟(悪態)を吐いた。

 

 

 -・-・

 

 

 自分達に何が起こったのかさっぱり分からない。

 

 いや、頭の中の居候(妖精)からある程度の状況説明を受けているから現象としてのそれの正体は分かるのだが実際体験した立場から言わせてもらうとやっぱり訳が分からない。

 

《む、叢雲ぉ!? こりゃっ一体全体何がどうなってんだい!?》

 

 馬鹿みたいに口をパクパクとしている俺の目の前、艦橋のモニターには近くに居る筈の無い艦娘の姿がちらほらと映っておりその全員が全員目を皿の様に丸くして、すぐ近くでこちらを指さしている谷風が俺の気持ちを代弁する様なセリフを叫ぶ。

 

「叢雲だとっ!?、司令は、田中司令は無事なのか!?」

 

 意味の分からない状況に戸惑い辺りを無為に見回せば何やら叫んでいる聞き覚えのある女の子の声が聞こえ、そちらへと目を向ければ俺達が戦闘を行っていた最前線に存在するはずのない護衛艦【はつゆき】とその甲板で手を振り回して飛び跳ねている磯風の姿がメインモニターに拡大された。

 そうだ、俺達を乗せて黒い渦潮から逃げ出す為に全速力でスクリューを回していた叢雲がいきなり目の前に現れた通常軍艦の艦列に突撃しかけ、あまりの事に鶏の鳴き声の様な悲鳴を上げながら推進機関を停止させたのがついさっきの事。

 

《お帰り提督、ずいぶん遅かったね》

 

 機関は止めたが勢いは殺しきれず叢雲は【はつゆき】に追突しかけたのだが、それを待ち構えていたかの様に受け止めたのは白地のワンピースセーラーと銀髪の駆逐艦とは対照的な黒を基調とした駆逐艦で、その時雨は今メインモニターの正面で大きく朗らかな笑みを浮かべながら解けた艶黒の髪を沖からの風にたなびかせている。

 

「さ、最前線の艦隊を空間転移で回収って・・・まさか、これが撤退なのか・・・?」

 

 そして、俺はあの一瞬に起こった事を思い返す。

 

 直視すらしていないのに背を照らす光にすら肌を焼かれると錯覚する戦艦棲姫の砲撃に言われるがまま【捨て艦戦法】を実行しようとした俺の前で少し悲しそうな顔をして座っていた猫吊るしがいきなり背中を蹴飛ばされ、コンソールパネルの上に星模様とリボンで飾られた三角帽子をかぶったツインテールの妖精がハンドベルを片手に躍り出て。

 ガチンと床に落下した猫吊るしと飼い猫の頭がぶつかる妙に大きな音の直後にチリンッと随分久しぶりに聞いた鈴の音を合図にして目の前が紅い爆炎では無く青白い閃光に包まれて即死の砲撃に晒される筈だった最前線から俺達は途方も無い距離を飛び越えてオアフ島沿岸が見える場所まで戻って来た。

 

《ああ、そっか、僕のコレってそうなんだ、けっこう前に吹雪から聞いた事があるよ「司令官が言ってました」ってさ》

 

 どこか呑気に感じる中性的な時雨の声に自分の中で張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、いきなり視界が明滅し始める。

 

 というよりこれは重くなった目蓋が勝手に瞬きさせて完全に閉じさせようとしているのか。

 

《時雨、アンタねぇ、なんでそんなに落ち着いてんのよ、こっちはさっきまで生きるか死ぬかってとこだったのに・・・あぁ、でも私、死なずにすんだのよね、は、はは》

 

 他愛無いどこにでもある様な会話が聞こえてくるだけで胸がつっかえ息が乱れる、何とか気力だけで開けた目はまともに周りの様子は見えなくて、何度汚れた手で拭っても潤んで歪む視界は元に戻ってくれず。

 

《司令官に告白するタイミングは完全に逃したけど、生きてさえいればチャンスなんていくらでもあるわっ》

 

 それどころかどうしようもない目頭の熱さに喘げばズルズルと情けない音を立てて鼻水まで胸元に垂れた。

 

《ほらほら動けないんだったら谷風さんが曳航してやるから手かしな、ってかさっきから何ブツブツ言ってんだい?》

《なっ、なんでもないわよ!?》

 




 
どれだけ情けなくたって「助けて」って言うだけで、その小さな声を見付けてくれる人はいるもんさ。

見付けてもらえない?

なら耳元でうるさいぐらいに叫べばいいんじゃない?

 
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