“言い訳などしないさ”
黒鉄の大壁が如く轡を並べる万の軍勢の中でその緑色の目をした駆逐イ級は気付く。
偉大なる泊地の女王の勅命を果たす事が出来なかった、と、間違いなく自分達は
奴らは貧弱で矮小な船体に相応しいひたすら逃げ回る事しかしなかった臆病者の群れ、きっと泊地の女王と戦艦の姫の鉄槌に成す術など無い、と
自分達が一隻残らず処分される事になるとしてもこの戦いが恙無く泊地水鬼の勝利に終わった後に楽園を守る為により新しく強く巨大な艦隊が建造されるのだから問題など一つも無い、と信じ切っている同胞同族達の中でたった一隻。
その駆逐イ級ノーマルだけは深海棲艦にとって例外なく魂に刻まれている
あの小さく貧弱な
今回を含めてその奇妙な能力を持った
だからこそ、その駆逐イ級は乱杭歯の並ぶ顎を大きく開いて喉の奥から野太い汽笛を響かせる。
偉大なる女王が座する水晶島、彼女の従僕である全ての深海棲艦にとって聖域と言っても過言では無い限定海域中枢部に敵が侵入した光景を前に僚艦達が泊地水鬼の不興を買う事への恐れによって追撃を躊躇う中で即座に同族の中でも下から数えた方が早い底辺の深海棲艦が鉄尾を振るって巨大な黒鉄の群れから飛び出し。
背後にキラキラとした光粒と白波を残して風よりも早く遠ざかって小さくなって行く敵艦の艦影を見失うまいと睨む緑色の目が
その駆逐イ級が成したそれは深海棲艦にとって明確な掟破り。
泊地水鬼の命によって配置された陣形を崩して命令されてもいない独断専行を行うだけに止まらず女王に認められた者だけが拝謁を許される聖域への無断侵入を行うなどその場にいる深海棲艦の全てが全て万死に値する罪と断言する気狂いの沙汰であり。
聖域へと土足で踏み込んだ艦娘達を追う事を躊躇ってしまった深海棲艦達は
しかし、過剰戦力による雷撃処分が実行される寸前、艦隊において最底辺と言っても過言では無い一隻の駆逐艦は背後に立ち並ぶ同族から無数の
緑色の灯火が今まで見てきたモノを全て吐き出す様に万の深海棲艦を密に繋げる通信網へと思惟を放った。
それは出来事の順序すら入れ違いになった記憶の欠片、同じ深海棲艦にとってにすら支離滅裂としか言いようがない一個体の主観視点。
しかし、その小石の様に貧相で断片的な
例えるならば幾つものフィルムを無理やり繋げ合わせた出来損ないの短編映画、その中で大きく逞しい鉛色の腕に抱かれた美しい白髪の姫級深海棲艦が昏い光粒となって海に還っていく光景に。
朝焼けの海にただ一隻立ち尽くし掌で揺れる黒いリボンを見詰める戦艦棲姫の姿に。
黒鉄の怪物達の精神はどうしようもなく動揺する。
海面を埋め尽くす様に犇めく大艦隊はそこでやっとあの駆逐イ級がどうして自身の死で償わねばならない程の罪を負う事も厭わずに躊躇い無く聖域へと駆け出したのか、
深海棲艦の魂に例外なく刻まれる規範、その生き方を定める命の理において絶対の存在と言っても過言では無い
だが、駆逐イ級によって投じられた小石が深海棲艦達の心に疑心を生み出す。
もしかしたら永遠の存在だと思っていた偉大なる泊地の女王があの異常な敵艦共の手によって弑逆されるかもしれない、と本来なら考える事すら許されない罪深い
一隻の駆逐艦の思惟から端を発してまるで凶悪な感染力を持った熱病の様にそれぞれの身の内で芽吹いたその感情は制御不能な速度で膨れて深海棲艦達から正常な思考力を奪い取り。
ほんの少し前には女王の不興を買う事を恐れて踏み込む事を躊躇っていた筈の目に見えない境界線を異形達が我先にと競う様に踏み越え、小さな小石が生み出した波紋によって呆気なく秩序を失った直径数百kmの超巨大輪形陣が内側に向かって崩れ始め。
そして、一隻の駆逐イ級ノーマルを先頭に黒い雪崩と化した万の深海棲艦が未曽有の
・・・
天を衝く炎の龍と大地を持ち上げる巨神、黒い海原は神話の怪物共が幻想の中から現実へと這い出てきただけで怒涛の勢いで猛り、最前線で行われた戦闘の余波に赤い飾り布が鮮やかな白い袖が戦旗の様にはためき。
音よりも早く一発の砲弾が艶やかな白真珠を貫く。
不意を打つ一撃によって片手の掌を失った泊地の鬼姫の手首から溢れた黒い血飛沫が輝く水晶の島に降り注ぎ。
その光景を目撃した星条旗の下に集った戦乙女達は皆が皆、可憐な顔を飢えた獣じみた表情で歪めてまるで歓声を上げる様に《敵を撃て!》と口々に叫ぶ。
見上げる程に巨大で分厚い無数の津波に身体ごとぶつかって押し退け、ただひたすらに倒すべき敵に向かって引き金が引かれ砲声が高らかに響く。
艦娘達は星条旗の様に色鮮やかな衣装を激しい向かい風に叩き付けて《彼女に続け!》と勇敢に叫ぶ。
正しく山の様にとしか言いようがない巨大な敵二体を相手に怯まないどころか巧みな攻防の中で放った反撃によって鉛色の巨人に膝を突かせた
黒鉄の要塞から生えた巨腕が本体の損傷の影響で取り落とした浮遊島が如き水晶巨岩が地面に叩き付けられまき散らされた轟音と光煙の波の向こうに姿を消した日本の艦娘部隊が叩き出したあまりにも大きな戦果。
その目がつぶれるぐらい輝かしい雄姿に煽り立てられた艦娘達は『自分もまた彼女と同じ艦娘なのだから同じ事が出来るはず、いや、
そうして艦橋に座る屈強な指揮官達が泡を食う程に激情を伴って狂奔する人型兵器の集団が自分達の存在意義を果たす為に有り余る闘争本能を滾らせ。
大量の炸薬が打ち鳴らす轟音と共に放たれる無数の砲弾が水晶の島を乱暴に砕き抉り。
広い水晶島の地面を余さず耕そうとしているかの様な制圧射撃に反応して真珠色のドレスから膨れ上がる様に放出され、半透明の障壁に弾かれた無数の砲弾が次々に花火となって眼孔に紅い灯火を燃やす白角の鬼女を照らす。
眼下の敵一体に気を取られて生まれた完全な意識の空白を刺し貫いた最初の一撃以外は悉く不可視の壁を貫く事は叶わず強固な防壁に微かな傷跡を残しては炎と煙に消え。
絶え間なく降る着弾の音が強固なドーム状のバリアの中心で無くなった片手を胸元で押さえる泊地水鬼の神経を苛立たせる。
血走った紅い炎瞳は眼下に這い蹲っていた筈の敵を探すが沖から絶え間なく降り注ぐ弾の雨によって砕け飛び散る水晶片と小爆発に紛れて見付ける事は叶わず、その額から生えた
あまりにも思い通りにならない状況に黒から毛先に向かって白へとグラデーションする長い長い艶髪を振り乱した限定海域の支配者は紅く燃える憤怒を込めた視線で今も自分の
義姉妹である戦艦棲姫を傷付けた
僅か十数秒後、持ち主の身体と比べてもなお長く太い巨大な見た目を裏切る速さで照準を完了させた砲身の根元で煮え滾る灼熱を押し固めた弾底が打ち鳴らされて轟雷を凌駕する大音声が黒鉄の矛先から迸り。
針路上の全てを速度と質量と灼熱によって
そんな着弾点で膨れ上がる超規模爆発を他所に泊地水鬼は白い美貌を怒れる獣のそれに変えたまま砲弾の雨が止んだ自分の
しかし、要塞型艤装の強大かつ大規模な攻撃によって天井に輝く虹色の照明を覆い隠すほど巨大なキノコ雲を立ち上る光景を背に忌々しい敵を探していた泊地水鬼は突然に横から体当たりしてきた戦艦棲姫に押し倒される。
今は亡き空母棲姫を除けば誰よりも信頼する同盟者である戦艦棲姫、それも敵に焼き切られた胸から噴き出す大量出血をそのままにしてまで行われた妨害に驚いた泊地水鬼の視界の端に自分の白亜のドレスが造り出した不可視の大障壁が薄いガラスの様に砕けて割れる様子が見え。
彼女達がいる水晶島の中心から約20km離れた地点で照準器を一心不乱に覗き込む碧眼がこれ以上ない程の歓喜に染まり、ノーザンプトン級の名を冠する五人姉妹が濡れた前髪を端整な顔立ちに張り付けたまま会心の笑みを浮かべた。
そして、ハワイ沖で姫級空母を撃破した一撃と同じ、直径200cmの
まさか足下で逃げ回る敵も正面から突撃してきた群れも、どちらも囮で敵の本命はさらに別方向からの奇襲だったのか、と。
その攻撃を受けてから遅れて敵の策略に気付かされた泊地水鬼は身体に豪雨の様に降り注いだ黒色に顔を顰めながら軽く頭を振って身体にも艤装にも損傷がない事を確認して一息吐き。
続けて自分よりも先に敵の動向と意図を察していたらしい戦艦棲姫へ向けて少しの不機嫌とそれよりも大きい自分を守ってくれた事への労いを込めた思惟を向けつつオイルの様に粘つく黒血がこびり付いた美貌を無事な方の手で拭う。
だが、巨大な要塞艤装の腕を支えにして黒鉄の城の上に再び立ち上がった彼女はいつもなら打てば響くと言うぐらい早い戦艦棲姫からの返事がない事を訝しむ。
改めて戦艦棲姫へと
重厚な鉛の胸板は見る影も無く。
嵐を呼ぶ咆哮を放つ鋼鉄の大顎も失い。
天を衝く巨腕も鋼鉄の連装砲も残らず砕け散り。
夥しい黒い沼の様な血溜まりの中で辛うじて残った
そこにあったのは歪に抉れた残骸と化した姫級深海棲艦の姿。
遠距離から放たれた五つの
しかし、姫級深海棲艦の血で汚れた指が触れたと同時に生命である事を止めてしまった戦艦棲姫の身体は昏い霊力の光粒へと急激に分解し、その残滓である黒血の川が泊地水鬼の足下に流れ落ちる。
“我ラ二隻・・・、変ワラヌ・・・忠誠ヲ”
消えていく黒血に濡れた戦艦棲姫の頬を掠った指先から伝わった一秒にも満たない精神の交わりと共に聞こえた
虹色の光を浴びて眩しい程に光り輝いていた水晶島が主人の盾となって力尽きた姫級深海棲艦の死と共に溢れ出した血の濁流によって黒く染まった。
・・・
自分の次に強く大きく、そして、美しい
最も大切な
空色の天井を蒸気と熱波で叩くキノコ雲の根元、舞い上がる水柱と分厚い白雲の様な高温蒸気の壁が金色の光を放ちながら突き破られ、それぞれの手に主砲を掲げた自由の国の戦乙女達が鬨の声を張り上げる。
上空からその無謀な突撃に反応し泊地水鬼の忠実なる
敵の背後を突く為に大きく迂回してきた米戦闘機編隊が曳光弾の様に光る機銃弾を空に撒き散らしながら無人機である事を差し引いてもなお軽々しく敵機へと燃料弾薬をその翼ごと叩き付け一機の
その下で空から絡み合う様に墜ちてくる戦闘機の残骸にぶつかって服が焼け手足が折れようとも気に留めず倒すべき敵を前に自分達の命すら厭わぬ狂戦士と化した艦娘の隊列が海を駆ける。
遂に、遂にこの時が来た、と。
一拍遅れて自分へと迫ってきている艦娘の隊列へ泊地水鬼は感情の抜け落ちた顔を向け、ノロノロと持ち上がった掌の無い右腕が身を護る障壁を修復する為に昏い霊力を放出する。
エネルギーの供給によって泊地水鬼を中心に展開されている巨大な障壁に空いた五つの風穴が徐々に小さくなっていくが正面から突撃を敢行した艦娘達がそうはさせじとそれぞれの手に握る砲塔をオーバーヒートするのも構わずに大量の砲弾を叩き込んでバリアの修復を阻む。
休む暇も無く砲弾を連発して赤く加熱した砲身が波しぶきを浴びて蒸気と硝煙を砲口から猛る竜の吐息の様に噴き出させ、泊地水鬼を守る為に群がる白髑髏の大群を突き抜いた数少ない戦闘機が火の玉になりながら要塞壁へと特攻をかける。
正しく後先など考えていない自殺志願者の様なと言うべき米軍艦娘達の猛攻が泊地水鬼の防御力を上回り、修復が追い付かずにバリアドームの表面に無数のひび割れが走って幾つかの砲弾が勢いを失いながらも黒く染まった地にクレーターと爆炎を生み出す。
流石に泊地水鬼にも側近である戦艦棲姫が目の前で討たれ、さらに自分の身も窮地に追い詰められつつあると言う事は理解できている。
しかし、泊地水鬼の魂に刻まれた
そして、あり得ない事があり得てしまっている矛盾と義姉妹を失った精神的な衝撃を処理できなくなった泊地水鬼の思考は負荷に耐えきれず停止し、辛うじてその身に備えた要塞型艤装と戦闘機達が半自動的な防衛を行う。
黒く染まった水晶島の中心、汚れ傷付き立ち尽くす
そんな黒鉄の巨大艤装の上で無数の砲弾が奏でる爆音すら無視して呆けていた泊地水鬼の意識は不意に黒い水平線の向こうから響いてきた無数の咆哮に揺り動かされる。
ぎこちなく動く紅い瞳、その目に映った纏まりや規律など欠片も無い濁流が如く水晶島に押し寄せようとしている深海棲艦の大群が一斉に“我ラガ
彼女にとって戦艦棲姫以外の下僕達は一隻残らず領地への侵入者を討ち払う防壁として配置しており、同時にそれらは色鮮やかな島々への近道が開いた際に尖兵となる以外の役割は求めてすらいない。
だからこそ、それ以外に何もしてはいけない筈の下僕が一隻残らず自分の命令から逸脱した行動をとっている事に、勝手に
姫級達とは大きさも格も劣る下僕達が
水晶島に向かって文字通り押し寄せてくる深海棲艦の大艦隊に気付き、興奮に焦燥が交じる歪な表情を浮かべて悪態を吐く艦娘達の攻撃が危機に追い立てられてさらに激しさを増していく。
艦娘に劣るとは言え通常艦艇と比べれば遥かに速く重厚な装甲を備えた巨体はただ動くだけで数千トンの破壊力を生み出す、激しく炎を噴く数千の眼窩が行う砲撃は狙いこそ出鱈目であっても数の暴力によって強引に戦果をもぎ取る。
最早、決着は時間の問題だった。
たとえ、今から自らの足で海上へと逃れようとも要塞型艤装と言う足枷を持つ泊地水鬼はその防御力故に艦娘達の優れた機動力から逃れる事は出来ない。
まかり間違い、押し寄せる数の不利に怖じ気づき撤退を試み様ものならば消耗しきった艦娘達は紙細工よりも容易く深海棲艦の餌食になる。
もしも、姫級すら屠るこの世に在ってならない
艦娘と深海棲艦、お互いにお互いが天敵である存在がひたすら狂暴な本性を剥き出しにして砲口を突き付け合う。
そして、大した間を置かず均衡は崩れ、情けも容赦も無く決着の時が来る。
自分を助けに来た