「そ、そうだ作者、(投稿を)や、止めっ―――」
ちんじゅふぐらし、始まるよ
ゾンビ? 出るわけないじゃん。
第十六話
阿賀野型軽巡洋艦一番艦、阿賀野の朝は早い。
まだ朝日が水平線から少し見える程度の薄暗い鎮守府の艦娘寮の一室、四人部屋のベッドの中で目覚めた阿賀野はまず顔を洗い制服へと着替えを済ませ、その後に部屋に備え付けられた共用の化粧台で艶が自慢の黒髪を丁寧に梳き、朝の静かな時間に思いを馳せる。
「あっかーーん! こらほんまっ、あかんーーぅっ!?」
ふと朝の日差しが差し込み始めた窓へと耳を澄ませると遠くから切羽詰まった甲高い悲鳴が聞こえた。
・・・気がしたけれど窓から見える東京湾は穏やかに波打つ綺麗な青い海が広がっている。
もう一度耳を澄ませても何も聞こえなかった阿賀野は小さく首を傾げてから身だしなみを整え終わり、彼女が朝食を取るために部屋から出る頃には何人かの仲間達も艦娘寮の廊下に顔を出していたので明るい挨拶の言葉を交わし合う。
そんな朝の廊下に若干名、眠そうに目を擦りしばたたかせながら自室へと入っていく子達の姿も見え、阿賀野は彼女達が夜間演習か出撃の帰りなのだろうと当たりを付け、労いの言葉と笑顔で小さく敬礼をした。
艦娘寮の一階の大部分を占める大きな食堂、廊下で挨拶をしてから何故か後ろに並んで付いて来ている駆逐艦の子達と阿賀野はAとBに分かれた二種類の献立が書かれた小さな黒板の前でどちらにするべきかを相談していた。
二つとも基本はご飯と味噌汁やお漬物、けれど焼き魚と野菜炒めのどちらが主菜になるかで中々に悩ましいと阿賀野は顎に手を当てて焼き魚派と野菜炒め派で議論を始めた背後の駆逐艦達の言葉に耳を傾ける。
阿賀野が言うのも何であるが艦娘には不思議な習性の様なモノが存在しており、その一つに駆逐艦は軽巡が前を歩いているとその後ろに一列に続いて歩くというモノがあった。
さらにもう一つの習性、近くに自分達よりも大型の艦種がいた場合にはその相手に意見を求めたり任せたりする。
というわけで一通り、自分たちの意見を言い終わった駆逐艦達が黒板の前で瞑目していた阿賀野へと視線を集中させた。
「先に湾内演習がある子は焼き魚にして、座学の子は野菜炒めで良いんじゃない?」
座学なら量も多く腹持ちの良さそうな野菜炒めの方が良い、逆に運動の前に量を食べるとお腹が痛くなりそうと言う単純な理由から阿賀野がそう発言すると彼女の言葉を聞いた駆逐艦たちがなるほどと言う顔で頷く。
と言うわけで相談を終えた阿賀野が厨房と食堂を隔てるカウンターへと注文に向かうとさっきよりも人数を増やした駆逐艦たちがぞろぞろと彼女の後を付いて並んだ。
艦娘である阿賀野が言うのもなんだけれど妙な習性を持っている艦娘は本当に多い。
・・・
焼き鯖の骨をガリガリと噛み砕きながら食器の返却所に皿とお盆を返し、朝の食事を終えた阿賀野は座学が始まる時間まで一時間ほどの暇をつぶす為に鎮守府をうろうろする。
とある理由から阿賀野は二年以上も鎮守府から離れており、やっと戻って来れたのが三か月ほど前で、さらに酷使された身体を癒すための治療で半月ほど寝たきりで過ごしていた間に自分達を取り巻く環境は大きく変化していた。
彼女が艦娘として目覚めた時には卑下た視線を向ける形だけ誂えたような軍人ばかりだった鎮守府が設置されている基地は彼女が帰って来た時期に大幅な人員の入れ替えが起こったらしく随分と様変わりした。
こちらを見下すような視線が無くなっただけでも精神的に楽になったのは良いのだけれど、逆にほとんどの自衛官が誠実ではあるが自分達に対して妙にかしこまった様な態度で一歩離れた場所から接してくる事に阿賀野は首を傾げる。
階級が高くてマニュアル通りに仕事をするのだけは上手い連中では無く、本当に海に出て国防の最前線に立った経験がある海上自衛隊員たちは最近とみに増えた船団護衛に参加して深海棲艦の脅威を肌で知っている者も少なくない。
今まで基地に勤めていた人員の半数近くと入れ替わる様に異動してきた彼らにとって艦娘は自分たち以上に国の防人としての力を振い、多くの人命を守っている事への尊敬や実際に自分自身を守ってもらった経験から感謝の念を持つ者も多くいる。
艦娘達はあくまで過去に自分達を建造した日本国に対する義理で協力してくれている英霊の具現である、という刀堂博士が残した注意書きのような原則文が徹底周知された事もそんな彼らの畏敬の念を高めるのを手伝い。
そして、そんな艦娘達をよりにもよって自分達の同僚が政治的な介入があったとは言え意図的に虐げていたと言う事実に愕然とした自衛官達にとって藪をつついて蛇を出すような事が無い距離を開けてしまうのは当然とも言える。
後、単純に女性とのお付き合いの経験が無い青年達が多い為に美人、美少女揃いの艦娘達の姿に及び腰になっているという理由も無きにしも非ずであった。
立ち止まってわざわざ敬礼してくれる自衛官の人達に敬礼を返しながら阿賀野は朝の散歩を終えて、そろそろ座学に向かおうと鎮守府の教室棟へと歩き始める。
そんな彼女の視界の端にタンクトップに枯草色のズボンを穿いた体格の良い陸上自衛隊の一団が朝の調練の為に走っている様子が映り、阿賀野よりも背の高いその男性の群れの中に頭二つ分ほど小さなセーラー服姿の女の子が混じっていた。
「深雪ちゃ~ん! そろそろ座学はじまるよ~!」
「あと二周だけだからっ、大丈夫だぜー!」
ただそんな近づくだけで恐縮する自衛官たちに積極的に関わって行こうとする艦娘も一部にはいる。
人としての身体と心を手に入れた以上は主義主張は個人の自由と言えるけれど阿賀野としては特に差別意識は無いが陸軍の人と海軍生まれの艦娘がベタベタするのは如何なものかとも思う。
たまに食堂の厨房で鍋を掻き混ぜている子や鎮守府の並木を整えにやって来る園丁の人達に話を聞いたりする子など積極的なのは良いけれど軍務に支障が出ない程度に収めて欲しいところである。
・・・
「なので、軽巡洋艦娘が持つ近接兵装はそのほとんどが刀剣の形を取り、総じて障壁を含む大半の霊的力場を切断するものと思われていますが、実際には刃に沿って発生する霊力粒子の振動が周囲の力場を撹拌する事で対象の切断に至っている事が・・・」
平均的な日本の学校のそれをモデルにしたと言う教室の勉強机にノートを広げて阿賀野は正面の黒板に書かれた自分達が無自覚に使っている能力を理論的に講釈するよれたシワだらけのシャツとズボンの上に白衣を羽織った研究員の言葉に耳を傾ける。
正直に言うと自分達が発生させている不可視の障壁や霊的なエネルギーを砲弾や魚雷に作り変えて撃ち出す事は全て感覚でやっているため学術的な解釈なんか考えなくても良いんじゃないかと慢心気味な考えも過るが阿賀野は軽く頭を振ってそれを頭から追い出す。
「はいっ、先生! 雷撃カットインってどうやったら使えるんですか?」
ここまでで分からない事は無いですか、と質問を求めた研究員に手を高々と上げた艦娘が講義の内容から外れた質問をした。
授業進行をぶった切るその言葉に眼鏡の中年は苦笑を浮かべる。
「雷撃カットイン? ぁあ、多層力場高圧縮推進弾の事ですね。あれに関してはまだ仮説の域を出ないのですが・・・」
まだ完全に性質や詳細の解析は済んでいないと前置いてから水雷艦である駆逐艦や軽巡洋艦にとって最大の破壊力を発揮させると言う能力についてのあれこれを黒板に書き加える。
クレイドルから目覚めたばかりの艦娘の興味はそのほとんどが自分の能力を戦闘で十全に生かす事にのみ集中している、と阿賀野がたまたま立ち寄った談話室で指揮官達が複雑そうな顔をして相談しているのを見た事がある。
艦娘として目覚めてから大半を深海棲艦が作り出した歪んだ空間の中とは言え二年ほど生きている阿賀野であるが鎮守府での生活や外の人達との関わり合いの経験はほとんどなく指揮官達が言う艦娘の興味の偏りという意見を聞いた当初は困惑し首を傾げた。
そんな彼女も余計な理論とか構造とか細かい事はどうでも良いから今すぐ使える技術や能力を教えて、という態度を隠さない目覚めたばかりの艦娘達の少し焦りにも似た感情を見え隠れさせる様子に司令官達の言葉に納得する事になった。
その感情自体は阿賀野にも分からなくはない、彼女自身も過去の醜態を返上せんと国民の盾となる為、護国の志を持って新しい身体を得た艦娘の一人である。
けれど、彼女は碌な教育も現代の情報も得ぬままに戦場に駆り出されて数度の出撃の後に深海棲艦が支配する悪夢のような領域に囚われた。
そこでの経験は過去の船だった頃の記憶はほとんど役に立たず、流れ着いて来る外からの情報や物資だけが唯一とも言える命綱であり、その学ぶことを選り好みしていられない環境が文字通り彼女や仲間達の生死を分けた。
そう言う視点から多くの艦娘が正常な環境で過ごしている今の鎮守府の様子を見てみると指揮官達が言っていた思考と嗜好の偏りというモノもあながち間違いではないと感じる。
あの時、貪欲に現代技術を学んだ夕張が直した通信機が無ければ、誇りだの恥だのに拘って廃材や物資を漁る様に集める事を怠っていたなら、今の阿賀野達は再び太陽の下に戻る事は出来なかった。
自分達を支えていたのは確かに船であった頃の過去の想いではあるけれどそれに執心するあまり周囲への考慮を怠れば待っているのは深い奈落の穴であると思い知らされた。
「ですので、理論上は一人の艦娘だけでは発動は不可能ではありますが力場を安定させる装置を複数あれば、そうですね。現在開発中の増設艤装にそう言った機能を持った装備が予定され・・・」
「えっ!? それってどんな装備なのかしらっ? 阿賀野達はいつ使えるの!?」
自分をあの闇から救い出した軽巡洋艦が姫級と呼称される最大級の深海棲艦を討ち取ったという一撃、それを目撃した仲間達の言葉から強い憧れを感じていた阿賀野は心に沸き上がった強い興味につい声を上げてしまった。
全体的に艦娘の興味や思考は戦闘方面へと偏っている。
これもまた彼女達が生まれ持った習性の一つである。
・・・
艦娘の能力に関する講義だけでなく現代の社会や数学、国語など彼女らが船として活動していた昭和初期とはかけ離れた世情を学ぶ座学で数時間が過ぎ去り、気付けば昼食の時間となり阿賀野はまた艦娘寮の食堂で焼き魚と白ご飯を頬張っていた。
午前を湾内演習で過ごした艦娘達も同じように食事をとりながら雑談を交わすざわざわとする明るい雰囲気はただそこにいるだけで阿賀野は温かな感覚に包まれる。
「早く私達にも司令官が着任しないかなぁ」
「木村大尉の艦隊に一人分の枠が出来たらしいよ」
「でもあの人、ちょっと顔が固いよねぇ、あと考え方も」
艦娘の設計者である科学者が残した原則の一つ、艦娘は指揮官と共にある事でその能力を十全に発揮する、という言葉の通り、阿賀野を含めた艦娘全員は指揮官としての素養を持った人間が居なければちょっと丈夫な身体と不思議な力を持った女の子でしかない。
そのため艦娘達は自分の実力を引き出してくれる指揮官を常に求めているが、肝心の指揮官となってくれる人材と言うのが思いの他集まらないのが現状だった。
阿賀野も自分の装備や能力を測定する一環として指揮官の候補者として鎮守府にやって来た人達を乗せた事はあるが、一人目は彼女が戦闘形態となり一歩歩いた直後に白目を剥いて気絶して海面に浮かび、二人目は主砲の試し打ちを行った直後に顔を青くして試験を中断した。
その日、意気軒昂と言った様子で彼女の前に立った六人の指揮官候補がたった数十分後には重病人のような様相で鎮守府の港に並べられ、その姿を阿賀野は呆れ顔で眺め。
すぐ近くで阿賀野と同じように候補者の相手をしていた艦娘の中にはちゃんと航行から砲撃雷撃をこなして胸を張りながら入港した子もいたので彼らに失礼だとは分かっていても自分はハズレを引いたのだな、と彼女は口の中で独り言ちた。
ちなみにその日の候補者としてやってきた二十人の内でまともに艦娘を運用できた自衛官はたった3人であり、そのほとんどが真っ青な顔をして港に看護されながら寝かされ並ぶ様子は夜戦病院と言うよりは漁港の競り市場を思わせる光景となった。
その時の阿賀野の頭にあった疑問は参加した士官の中に高所恐怖症の人が一人だけ混じっていた事であり、何故に巨大化する艦娘の指揮官候補として彼を連れてきたのだろう、と言う客観的に見てどうでも良い考えだった。
「この前の着任した人達はまだ一人づつしか編成できないみたいだよね」
「巻雲も早く司令官様の選定に参加を申し込んでみたいです」
「あらあら、巻雲さんったら私達はまだ座学も訓練も、単位が足りてないでしょう?」
艦娘として目覚めたばかりの子は表面上は問題無く見えても中身は少しどころでは無いほど現代の常識がない事や人間としての身体に慣れていない事もあって、座学と湾内演習で規定の単位を履修するまでは実戦はおろか指揮官を選ぶ場にすら立つことが許されないと決められている。
そして、よっぽど性格が合わない時を除いて指揮官は初めに乗った艦娘を初期艦として指揮下に置くことが暗黙の了解となっているらしく、指揮官の選定でアタリを引いた子は晴れて実戦要員として着任できるため多くの艦娘から羨望の眼差しを受けている。
阿賀野に関しては極限の環境でサバイバルを強いられた経験から身体と霊力の使い方を覚える事を前提にした湾内演習はほぼ必要ない状態で座学にも意欲的に取り組んだおかげで三週間前には司令部から実戦に出ても大丈夫だと許可が下りていた。
そんな指揮官が居ない宙ぶらりんになっている艦娘は彼女以外にも複数いて、中には自分にふさわしい相手が現れるまで待つと言う考えの娘や今いる指揮官の編成枠が増えるのを待って申請を行おうとしている娘など個人によって様々であった。
「そう言えば阿賀野さんはどうするんですか?」
「ん~・・・私は待つ方かなぁ、中村少佐なら阿賀野の提督さんになってくれると思うんだよね」
正直に言って適性があり司令官となった新人の人達を見るに例え自分がアタリを引いても任される任務は碌に実力を発揮出来ない、精々が単艦ではぐれの深海棲艦の討伐や漁船団の護衛に駆り出される小間使いだろう。
阿賀野に限らず軽巡洋艦娘は水雷戦隊の旗艦や大型艦の護衛として艦隊行動をとる事が前提として建造されたと言う自負から単艦で運用される事を嫌がる傾向が強い。
「でも中村少佐の艦隊は競争率高いらしいですよぉ?」
「軽巡ももう、那珂ちゃんさんや五十鈴さんがいますです」
「でも、指揮下にたくさん軽巡艦娘がいた方が提督さんも嬉しいと思うっ、うん、そうに違いないよ」
一緒に昼食をとっている駆逐艦の子達が阿賀野でも薄っすらと分かっている正論を突き付けてくるが、あえてそれを自分理論で交わした軽巡艦娘は両手を胸の前で握り気合を入れる。
この世界と似通った別の世界から転生してきたと言う中村義男と田中良介、二人の指揮官は窮地にあった鎮守府と艦娘の状況を見事に解決し、さらに彼らの指揮下にある艦娘達は他の者達とは一線を画す実力者として多くの深海棲艦を打ち倒してきた。
現金な言い方になるが彼らなら自分達も見事に乗りこなしてくれるだろうと言う期待、それが良い乗り手を求める船としての本能とも言える感情によって多くの艦娘の配属申請書に彼らの名前を書き込ませる一因となっていた。
「それに提督さんったらこの前挨拶した時、阿賀野に見惚れてたもん♪ きっと阿賀野型の性能に首ったけになっちゃったのよ。絶対に次の申請は通るんだからっ、くふふっ♪」
「いや、まだ阿賀野の提督にはなってないし、申請だって私達の希望通りになるわけじゃないし、基地司令部の采配も考慮されるんだから貴女みたいに主砲の連射力がやたら高い子は安全確保の為にまだ指揮の拙い新人の司令官に配属されるんじゃない?」
背後から野菜炒め定食のお盆を持って近づいてきた軽巡艦娘が上機嫌に笑っていた阿賀野に水を差しながら近くの椅子に腰かける。
「なによぉ、夕張だって申請出した田中少佐の所にちゃんと配属されたじゃない」
「私の場合は自分の申請が通ったって言うより、増設できる装備が多いから実戦で新兵装の試験をして欲しい研究室から推薦もらえたからなんだけどね」
自分と同じように限定海域と呼ばれる深海棲艦が作り出した奈落から救い出された友人へ阿賀野はへの字に口を向けるが苦笑でそれを受け流した夕張はお箸を手に合掌する。
今、鎮守府の艦娘が注目している艤装の増設装備を一足先に扱っている軽巡洋艦に阿賀野と一緒に食事をしていた艦娘達がここぞとばかりに質問をするが、機密関係は話せないと言う前置きをした夕張から聞けたのは彼女達が午前の座学で教員代わりをやってくれている研究員から聞けた話とほとんど同じだった。
・・・
昼食の後、秋の終わりが近づく肌寒い海原で阿賀野は首から下げた警笛を片手で握りながら口に咥え、もう一方の手を腰に当てて目の前で行われている湾内演習の風景に目を光らせる。
阿賀野達が鎮守府に戻るまで動ける艦娘は30人前後しかいなかったが、限定海域から助け出された彼女を含めた18人の艦娘と百数十個の霊核によって劇的に鎮守府の艦娘人口は増える事になった。
この三か月でクレイドルと呼ばれる治療槽から新しい身体を得て目覚めた艦娘は既に60人に達することになったのは良いが、それに伴って現れた問題も多々あった。
「はいっ! 菊月ちゃん大破判定! 後方に下がりなさ~い!!」
「ぐっ、阿賀野さん、この菊月はこの程度で沈むほど柔ではないぞっ」
「はいはい、文句言わない、身体の光が消えちゃっているからさっさとこっちに来ないと危ないよっ!」
口に咥えたホイッスルの音を上げてから阿賀野は大きな声で白髪と黒いセーラ服を赤いペイント弾で汚した睦月型駆逐艦を呼び、幼い顔立ちに似合わない口調で文句を言う少女に小さくため息を吐いてから軽巡艦娘は海面を滑り菊月の腰に輝く三日月の付いたベルトを掴んで引きずる様に彼女を避難させる。
「ペイント弾でも霊力がくっ付いてるとかなり危ないんだから、障壁が作れなくなったら
ちゃんと避難しなさい、メッ!」
「うぅ、こんな前半戦で直撃を受けるとは・・・睦月型の名折れだ・・・」
ベルトを引っ張られて肩を落とす菊月の額に人差し指を当てて注意を行った阿賀野はもう一度ホイッスルを吹く、すると演習用に用意された港湾に光を纏ったペイント弾がポンッポンッと少し間の抜けた音を上げながら飛び交い始める。
数人の艦娘が二つのチームに分かれて手に持った単装砲や連装砲の様なモノを向け合う演習風景を大破判定で撤退させられた菊月と並んで阿賀野は今日の午後の湾内演習の担当艦として監督を続行する。
目覚めたばかりの艦娘達は本能的に海上歩行と手足から光弾を放つ能力は使えるがそれ以外ははっきり言って戦闘の素人としか言いようがない有り様だった。
さらに戦闘艦だった頃の記憶から自分の力を過信したりするくせに人間としての身体に慣れず頻繁に何もない所で転ぶなんて事もしばしばであり、昭和初期からタイムワープしてきたような時代錯誤な感性と現代の常識との齟齬に混乱する事も多々ある。
そんな世間知らずの艦娘一年生が一気に元から鎮守府に居た艦娘を上回った事で船では無く艦娘としての戦闘方法を教える人員が圧倒的に不足する事になった。
艦娘の人数が少なかった数か月前までは鎮守府の研究室で作られた人間サイズに縮尺を合わせ重量配分も本物に近づけた張りぼて艤装を背負って高波などに転ばないように走れるようになったら司令官と共に実戦に出て先輩艦娘の艦橋から戦闘方法を学ぶ方法が取られていた。
だが、艦娘の人数が司令官の人数を圧倒的に上回ってしまった為にこのままではただでさえ少ない司令官達が胃を大破させるか過労死するかと言う危険が出てきたため、急遽、湾内演習の方式が改善されることになった。
そして、その改善策が現在ではスタンダードとして鎮守府の艦娘達に定着する事になる。
まず演習の監督を担当する艦娘が立候補や推薦で決定して艦娘寮の入り口にある掲示板に日付ごとに朝、昼、夜に分かれた担当時間と共に張り出される。
そして、演習を希望する艦娘がその当日の朝までに担当艦に参加を申し込んで、人数の集まり具合や参加する艦娘の艦種や練度などから担当艦が演習の内容を決定するという方式が採用される事となった。
今、阿賀野が担当している艤装モドキを装備して行う湾内演習の他にも身一つで海上に浮かんだ的をより早く、より多く、より高い命中力で打ち抜く無装備演習や陸上もしくは海上で艤装が使用不能となった場合を想定した格闘戦や撤退戦を学ぶための演習などが現在の鎮守府で行われている艦娘の訓練の主だったものである。
そして、全ての演習で共通するルールが演習中には障壁を常に展開し続けなければならないというモノであり、霊力の消費によって発光する事が出来なくなった艦娘はその時点で担当艦から演習の終了を告げられそれに従わなければならない。
「うわあぁん! 魚雷の群れに突っ込んじゃうなんて! 巻雲のばかぁ!」
「はいっ! 巻雲ちゃんっ大破っ! 早く避難して~!」
玩具のモーターが使われている魚雷モドキが発生源とは思えないほどの水柱に跳ね飛ばされて悲鳴を上げる駆逐艦に向かってまた阿賀野はホイッスルを吹き鳴らし戦闘を中断させ、濡れ鼠になった夕雲型の二番艦がとぼとぼと阿賀野の方へと避難してきた。
ちなみに担当艦はある程度の実戦経験や海上活動の実績から選ばれる事が多く、立候補する艦娘もその手の事に自信がある者なので大抵は座学と演習の単位を修めたが特定の司令官の指揮下にいない阿賀野のような宙ぶらりんな艦娘が担当艦をやる事が多い。
・・・
座学や演習などを真面目に受けたり実戦で戦果を挙げると教員や指揮官から貰える銀色のコイン、枚数に応じて艦娘酒保で色々な物品と交換出来る硬貨を数枚ほどポケットの中でちゃりちゃり言わせながら阿賀野は夕ご飯までの間に出来た暇をどう過ごそうかと思案する。
そんな事を考えながら夕暮れが近づいてきた鎮守府の港区画に何気なく立ち寄った阿賀野の耳にコーンッと小気味の良い音が聞こえ、小さく首を傾げた彼女はそう言えばたまに夕方になるとこんな快音が港から聞こえてくる事があったなと思い出す。
暇もあった事も手伝い、その正体に興味をひかれた阿賀野は音がした海を臨む港湾の広場になっている場所へと歩いて行った。
そこにはコンクリートの地面に引かれた白い菱形、木製のバットを持った駆逐艦と白いボールを手の上で遊ばせている軽巡洋艦が数mほどの間を開けて相対している。
菱形の白線の上には数人の艦娘が片手にグローブを付けた状態で中腰になりいつでもボールが飛んできても良いように構えているようだった。
「・・・野球なの? でも何で打者が真ん中に立ってるんだろっ?」
「あれはね~♪ 野球じゃなくて敵の砲弾を受け反らす為の訓練だよ☆ あがのちゃん、ばんわぁ♪」
「あっ、那珂ちゃん、ばんわぁ♪」
そこで行われていた奇妙な球技に没頭している仲間達の姿にますます首を傾げた阿賀野の横から妙にテンションの高い挨拶してくる自称艦隊のアイドルに彼女は同じようなテンションで返事を返す。
自分達を助けに来てくれた突入艦隊の一員でなおかつ阿賀野が限定海域で見た希望の象徴であった彼女とは始めは畏まってしまっていたけれど話している内に自分と同じ妙に明るい性格からか馬が合い気付けば友人となっていた。
ちなみに那珂は駆逐艦が近くにいない時には割と普通の喋り方になるので実は自分と同じように艦隊の賑やかし要員を敢えて演じているのでは、と阿賀野は考えている。
本当のところは艦娘である那珂が特に理由が無く持っている習性の一つなのだが、もちろんそんな事は阿賀野の知るところではない。
そんな二人が挨拶を交わしたと同時に本来ならバッターが立つ場所で白球を握り込んでいた川内型軽巡洋艦の一番艦、川内が革靴を大きく振り上げるように脚を天へと向けて腕を地面すれすれまで撓らせる。
その手の中でボッと白球に光が灯り、コゲ茶色のスカートを跳ね上げながら大股で踏み込まれた足の先へと突き出された手先から光弾と化した野球のボールが猛スピードでマウンドのはずの場所に立っている駆逐艦娘、白露型の四女へ目掛けて明らかにデッドボールになる角度で突き進む。
「でやぁああっ!」
「ッ! ・・・ぽっおぉいっ!!」
そして、顔面に目がけて直線で突っ込んできたボールを夕立が霊力の光を纏った身体を大きく捩じり、下から掬い上げるようにバットを振り抜く。
そして、快音を広場に響かせながら川内の頭上を大きく飛び越えて金色に輝くボールが夕暮れの海へと飛び出し、海原でミットを付けて待っていた駆逐艦娘が上から降ってきたそれを慣れた様子でパスッと受け止めた。
「だからぁっ、芯で打っちゃダメって言ってんでしょ! 打つ時にはバットの上か下に掠らせて反らすの! そうじゃないと駆逐の近接武器だと壊れちゃうんだってば」
「川内さん、ごめんなさいっ・・・でも、わざとファールするのって、とっても難しいっぽい」
聞いていると敵艦の砲撃を手持ちの武器で受け反らしてダメージを軽減する方法の練習として野球のボールとバットを使っているらしく、ルールも球を単純に遠くに飛ばすのではなく目的の方向へと反らせる事を目的にしているらしい。
手持ち武器による砲撃の【受け反らし】とは中村が前世の世界で艦娘が行っていた戦術の一つとして騙ったモノの一つであり、元々は頻繁に前世の記憶を材料にして法螺を吹く彼の創作に近い所謂、虚偽の技であった。
なのに彼の指揮下にいた吹雪を始めとして複数の艦娘が本当に使えるようになってしまった為、今では必修では無いが使えたら便利という技術として多くの艦娘が習得に精を出している。
「元々はぁプロデューサーさんが持ってきたピッチングマシンを使ってんたんだけどぉ、ちょっと前に天龍ちゃんがピッチャー返しで壊しちゃって☆ 今は皆で代わりばんこにピッチャーとバッターしてるんだよっ♪」
「へぇ~、そぉなんだぁ」
肩を落として守備に就いていた艦娘とバッターを交代する夕立の姿を那珂と並んで見ていた阿賀野にとって艦娘になってから少なくない時間を共にした下がり眉が少し気弱そうに見えるもう一人の川内型艦娘である神通が歩み寄り話しかけてくる。
「では、阿賀野さんも一度体験してみてはいかがですか?」
「あ、いや、阿賀野はぁ、そう言うのに向いてないって言うかぁ・・・」
「そんなっ! 貴女も、そして、妹の矢矧さんも、かつて勇名を馳せた赤揃えの武将方を思わせる立派な朱塗りの太刀を持っているのです。技を磨かねば折角の武具を錆びさせる事になってしまいますっ!」
そして、こう言う状況の神通が厄介な性質を発揮する事を知っている阿賀野は苦笑いを浮かべて遠慮しようとしたが川内型の次女はいきなり気勢を上げて詰め寄り彼女の手を握りながら熱心に砲弾の受け反らしの有用性を語り始めた。
案の定、訓練の事となると鬼気迫る勢いとなる神通に慄き、阿賀野は助けを求めるように那珂へと視線を向けると自称アイドルは小さく肩を竦めてから取り敢えず話だけは聞いてあげてとアイコンタクトで返事をする。
その後は神通に捕まり結局、マウンドでバットを構える事になった阿賀野は太陽が沈む直前までに受け反らしを十回中六回は成功するようになり、命中弾を受けてヒリヒリするお尻を押さえ汗を滴らせながらも周りの艦娘から初めてなのにスゴイスゴイと持て囃される事に少し上機嫌になった。
「阿賀野姉、私達の太刀は幅広でおまけに長いから重心の関係で取り回しが悪いの。だから砲弾の受け反らしにはハッキリ言って向いてないわよ?」
いつの間にか広場の端から練習の見学をしていた妹の矢矧が澄まし顔でそんな事を言い、神通を筆頭に周囲からの気まずそうな視線を集めた阿賀野はバットを手にマウンドでへなへなと頽れた。
・・・
夕食を出撃任務から帰投した妹と一緒に食べた阿賀野は一日の最後に必ず行う日課の為に鎮守府の中心にある一際大きな建物へと矢矧と一緒に足を踏み入れ、当直であるらしい研究員に挨拶をしてから目的地を前にする。
青白く光るガラス管を実らせた巨大な金属の樹木、そう表現すると妙にぴったりとする鎮守府における重要施設、クレイドルと呼ばれる艦娘の治療と蘇生を一手に担う巨大な機械へと阿賀野は近付き、そのクレイドルを囲むように設置された円形多層型の足場の階段を上りいつも訪れている場所へと足早に向かった。
「こんばんわ、能代、酒匂、今日も会いに来たよっ♪」
青白い光が満ちた2mほどのガラスの円柱、阿賀野の目の前にある二つにはそれぞれ彼女の妹達が新しい身体を得るまでの眠りを過ごしている。
片方のガラスの揺り籠には栗毛色の長い髪を揺らす阿賀野型軽巡の二番艦である能代がほぼ完全に再生された身体を弛緩させて水の中に漂わせ、もう一方の末妹である酒匂のクレイドルの中は薄っすらと透けて見える人型の輪郭とその胸の辺りにきらめく水晶体が鼓動するように青白い光を明滅させている。
「能代姉の方はもういつ起きても大丈夫みたいよ・・・まぁ、身体が再生し終わっても目覚めない子は結構いるみたいだけど」
下の方で研究員から現在の姉妹の治癒具合を聞いてきた矢矧に笑顔で頷いてから阿賀野は深い眠りについている二人へと向かって今日あった色々な出来事を取り留めない調子で話していく。
阿賀野が限定海域と言う奈落の底から帰ってきて治療を終えた日から続く日課、自分達を日の元に帰すまでの間ずっと心を支えてくれた妹達が少しでも早く目覚めますようにと言う願いを込めて阿賀野型の長女は大げさな身振り手振りを加えて今の鎮守府の様子を夢の中にいるであろう彼女達に教える。
一通りの話のネタが尽きてそろそろ寮へと帰ろうと阿賀野と矢矧がクレイドルから降りようと踵を返したそんな時、彼女達の背中に艦娘の目覚めを知らせる警告音とガラス管の中から排水される水音が届いた。
まさかと言う期待に高まる気持ちに顔を明るくした二人が勢いよく振り返った先で一本のガラス管がせり上がり揺り籠の蓋が開く。
「ぁあ、・・・ほんま、エライ目に合ったで、うち、空母やで? 何で艦載機やなくて自分自身が飛行訓練なんかせなならんねんな、おかしいやろ絶対・・・」
開いたガラス管の中から明るい栗色の髪を首筋や肩に張り付かせた小柄な少女がぶちぶちと妙なイントネーションの関西弁で文句を言いつつぺたぺたと裸足で阿賀野達が立つ足場へと出てきた。
「んぅ? あれ、なんや阿賀野と矢矧やん、どうしたんこんな所で?」
「・・・龍驤、貴女なんでクレイドルから出て来てるの?」
「確か昨日も普通に食堂で会ったよね? まだ演習の単位が残ってるから出撃もしてないんでしょ? 何で怪我してるのよ」
恥ずかしげも無く素っ裸で立つ軽空母の姿に二人そろって困惑する阿賀野型に龍驤は苦笑いを浮かべながら水滴を滴らせる前髪を掻き上げる。
「んーぁ、何て言うかさ、ちょっと朝早くに鳳翔に呼び出されて空母に必須の訓練っちゅうのさせられたんやけどなぁ」
紆余曲折あって訓練場所の近くにあったレンガ倉庫に激突して肋骨などの幾つかの骨が折れたりヒビが入る怪我を負い、つい今しがたまでクレイドルで治療を行っていたのだと関西生まれでも無いのに関西弁を扱う空母は自身の内情を明かす。
何をどう間違ったら艦娘が倉庫に激突して治療槽を使うような怪我をするのか想像もできない阿賀野が困惑した顔を隣に立つ矢矧に向けると、妹は何やら訳知り顔で小さくうなずいていた。
「矢矧、何か知ってるの?」
「あのね、阿賀野姉・・・多分聞いただけでは信じられない話だとは思うんだけど、空母艦娘はね・・・」
自分でもその言葉を言うのを躊躇っているような調子で矢矧は言葉を切り、その勿体ぶったような様子にさらに困惑を深めた阿賀野は続きを促すように小さくうなずいて見せた。
「空母艦娘は、空を飛ぶのよ・・・」
「・・・何言ってるの、矢矧、大丈夫?」
絞り出すように告げられたその言葉に阿賀野は真面目過ぎる妹が働き過て少し神経衰弱でも起こしているのではないかと疑ってしまった。
「本人が言うのもなんやけどありえへんやろ、なんで空母が飛ばなあかんねん。うち等艦娘作ったって言う博士な、絶対頭おかしいわ」
「え、二人して冗談よね? そうよね?」
「阿賀野姉も司令官の元に付いて出撃するならその内、嫌でも見る事になるわ」
そう問いかける阿賀野に矢矧も龍驤も沈痛な面持ちで頭を左右に振り、突然意味の分からない情報を聞かされた阿賀野は今日一番の困惑に顔を歪める事になった。
そして、龍驤が素っ裸のままくしゅんっと小さくくしゃみをしたのを合図に取り敢えずは彼女の身体を拭いて服を着せるべきだと判断した二人は当直の研究員の元までタオルを貰いに行くことにした。
「阿賀野姉、空母艦娘の艦橋に乗る時には絶対に自分を固定するベルトか紐を持ち込んでね」
そんな苦いモノを噛んだような妹の忠告に瞠目し、少しの間離れていた内に鎮守府は自分達の想像をはるかに超えた場所へと変化していたらしいよ、と阿賀野は妹達が眠る二つのクレイドルへと向かって呟いて二人と連れ立って足場を降りる。
そして、揺り籠が開く警告音を聞いて巨大な治療装置の根元に駆け寄って来きた大判タオルを抱えた女性研究員と合流した。
「プロットの1/5も書けてねぇじゃねぇか!?」
「うわぁーーーっ!!」
まぁ、海にはゾンビより質の悪いヤツが無限湧きしてるわけですけど?
酒匂? そんな子いないヨ。
だから、俺達はそのしわ寄せで6-2大破祭りを……強いられているんだ!