イベント海域が一海域で終わるわけないでしょ?
戦艦水鬼「アレ私って2015年冬イベのラスボスジャナカッタ?」
???「私、姫級ジャナクテ鬼級ナンダケド?」
全部、ゲームの通りに行くと思うなよ?
繰り返す、繰り返す・・・。
何度目だろう、少なくとも百は超えているだろう。
もしかしたら千に届いているかもしれない。
「左舷雷撃来ますっ! 直撃弾だけを処理します!」
「分かったわ! 西からくるパターンね、全員単縦陣で針路そのまま!」
戦闘を走る青い襟のワンピースセーラー服を来た陽炎型の八番艦が叫ぶ声に即応して私が叫ぶ指揮に従って全員が黒い海を必死に駆ける。
前衛をしてくれている駆逐艦と軽巡の脚から光の弾がポンッポンッと撃ち出されて輝きながら黒い海面の下を走り、目の前に迫ってきている敵の魚雷を起爆させるために体当たりして水柱を上げた。
「山雲、付いて来てるわよね!?」
「ええ、ちゃんといるわ~朝雲姉~」
白々しい光を放つ太陽モドキの下で真っ黒な波しぶきをあげる重油のような海に十数人分の航跡を描きながら私達は深海棲艦が放った残りの雷撃の間を身体の小ささを利用して通り抜けてとにかく前進を続ける。
水柱を目くらましに使ってより早く敵艦を撒き、ここを走り抜けなければ七日目の夜が来て背後から迫る岩壁に押しつぶされる未来が確定してしまう。
そして、予想通りの航路を通って来る重巡洋艦級、顔や体から突き出した無数の黒いサンゴに覆われ二股に分かれた火砲を備えた尾を持つ200mの巨体。
誰が言い出したのか、いつの間にかネ級という呼び名が定着した歪な人の形をした深海棲艦の索敵を猫の足下を走り回るネズミの様に素早く走り抜け、予定通りの地点にあった輸送船のスクラップに潜り込んでやり過ごす。
ここまでの全力疾走で全員が肩で息をしており、元々船足が早くない私も朝潮型駆逐艦である朝雲と山雲の姉妹に紐で引っ張ってもらって何とか艦隊から逸れることなくここまで辿り着くことが出来た。
「はぁ、ふぅ・・・予定通りにこれから一時間の小休止をとり次の行動に備えます、皆、良いわね?」
全員の返事を受け取り、鋼の船であった頃には感じなかったべたつく汗の気持ち悪さと早鐘を打つ心臓が要求する酸素の供給に痛む肺を少しでも癒す為に私は英語が書かれた貨物が並ぶ廃船の壁に寄りかかる。
「山城さん、どうぞ」
「ええ、ありがとう・・・満潮もちゃんと身体を休めなさい、さっきまで殿をやってたんだから」
「こんなの疲れたって言うには早すぎるわ」
朝潮型駆逐艦娘の制服を着た少女が船のコンテナを勝手知ったる様子でこじ開けて取り出した飲み水の入った瓶をこちらへ差し出し、礼を言いながら私は受け取ったそれの封を切った。
予定通り、予定通り、これまで数えきれないくらい繰り返してきた行動の中から最善を選び続けて今回はまだ誰も海に沈む事無く立ってくれている。
特に誰とも会話せず、ただひたすら身体を休める事だけに集中し後数十分もすれば白々しい太陽からおどろおどろしい月へと切り替わる時間を待つ。
繰り返す七日間、この不気味で私達の正気を削る為だけに作られたような世界で同じ敵と同じ航路に何度も挑み続ける気が狂いそうなほど苦しい戦い。
敵の出現する時間、敵の艦種、足に纏わりつく黒い海の潮流を調べ、外から流れ着いた船の残骸に残る物資を漁って糊口をしのぎ、私達はここから元の世界へと戻るためのもがきを続けていた。
今度こそと闘志を燃やして七日目の夜へと挑む。
最後の休憩地点から不気味に澱む月明りの下へと走り出して私たちはこの世界を造り出している怪物のいる場所へと、多くの仲間達が膝を屈した悪意の塊へと百から先は数えていない無謀な挑戦を敢行する。
無数の試行と思考を重ねて敵が現れない時間を選び、敵の目が反れている場所を縫うように進み、彼方に見え始めた巨大な要塞を思わせる玉座に座す白く巨大な怪物を睨みつけた。
勝てるとは思っていない、だが、あの熊手のように広く巨大な爪と繋がった手を玉座の肘掛に乗せてぼんやりと虚空を眺めている黒い一本角の深海棲艦、姫級に囚われた仲間を一人でも取り戻して次の反撃へと備えなければならない。
だけど、嗚呼。
そんな私達の熱意をあざ笑うかのように七日目の夜は終わる。
自分自身が認められないだけで頭の端の冷静な部分は初めから結果など分かり切っていたと囁き、今までの足掻きが無駄だったと、多くの犠牲が無駄だったと認めろと言う言葉が私の心をじわじわと蝕む。
「朝雲姉~・・・わたしね~、もう疲れちゃったんだ~・・・」
「まだ、まだいけるわよ山雲!? だからこっちに、手を伸ばしてぇ!!」
淡い水色の波打つ癖毛を若草色のヘアバンドで留めているどこか緩い口調の駆逐艦娘、山雲が傷だらけの身体で黒い海に座り込み、頭に巨大な大砲を乗せた蛇の頭が近づいて来るのをぼんやりと見上げている。
ああ、彼女もまた他の多くの仲間達と同じように心が負けてしまったのだろう、どれだけ光弾を放っても歯牙にもかけず、たとえわずかでも損傷を与えられてもその傷は時間が巻き戻る様に直る。
その傲慢な女王は玉座に肘を突いて頬に当てて私達の姿をまるで喜劇を見る様な笑みで見下ろしていた。
光る力を失い航行する事も出来ずに黒い海に溺れ始めた朝雲が腕を振り回して姫級深海棲艦に膝を屈してしまった妹へとがむしゃらに泳いででも向かうがその濡れた手が妹艦娘に触れる寸前、頭上から降りてきた蛇の顎が山雲の身体を咥えて上空へと持ち上げる。
「止めてっ!! 返して、山雲を返してよっ!」
胸から下を既に黒い水に沈めながらも必死に離れて行く妹へと手を伸ばす朝雲の姿を私はただただ見ている事しかできない。
たった二回、姫級が腕を薙いだだけで私の右足が千切れ飛び、身体の左側からは感覚が失われた。
前衛に立ってくれていた艦娘は降り注いだ砲撃の雨に半分以上の駆逐艦たちは血煙になって砕け、生き残った幸運とはいいがたい幸運を得た子も捩じれた雑巾の様に歪な血まみれの身体を晒している。
他の軽巡洋艦や重巡ですら四肢を欠損させその痛みで意識を保つことが出来ている事が限界という状態で、艦隊唯一の戦艦であるはずの私はただ覆いかぶさるように残った腕で捕まえた満潮を抑え込んで黒い海に浮かんでいる事しかできないでいた。
「山城さん放して、お願いだからっ・・・手を離しっ・・・なさいよぉっ!」
朝雲にとって妹であるなら同型姉妹である満潮にとっても妹であり、まだ少しだけ身体に光を残している彼女を今放してしまったら無謀な特攻でその小さな身体を砕かれてしまう。
それは駆逐艦の中でも一際気丈な性格を持つ彼女であってもその心を折るには十分すぎる暴力となるだろう。
「お願いだから、満潮っ、ジッとしていて・・・」
「見てるだけなんて、そんなのって、ふざけないでっ」
ハリネズミのように無数の砲身を突き出した玉座から生えた大蛇に咥えられた山雲が姫級の顔の前まで運ばれ、まるで見せびらかすようにその小さな身体を揺らして一本角の女が嗜虐的な笑みを浮かべ紅い赤い口を大きく開く。
「いやぁああっ!!!」
臓腑を全て吐き出すような悲痛な叫びを朝雲が上げ、私の身体の下で満潮が怒りと悲しみに満ちた表情で姫級を睨み上げ昏い海面に爪を立てて引っ掻く。
私達の見上げる先で怪物が耳まで裂ける口を開き、その上で蛇が咥えていた山雲が宙に放された。
倒れ伏している私達に見せつけるようにゴクリと音をたてて一人の駆逐艦娘が怪物の口の中に呑み込まれ、姫級は甘い果実を味わっている様に莞爾として笑う。
そして、自らの喉を爪でなぞり、不気味なほど白く肥大化した胸を撫で、玉座の上に座る下半身へとその指を下ろして自らの下腹部を撫でる。
まるで臨月を迎えた妊婦のように丸く膨らんだ下腹部は青白い命の光を淡く宿し、ぼんやりと光る白い胎の内部に押し込められた人の形をした影が、奴に食われた仲間達の姿が見えた。
山雲が姫級に呑まれ、それを合図にしたのか映画の場面が切り替わる様に不気味な月が白々しい太陽に場所を奪われ七日目が終わり、目を焼くような光が私達の視界を白く塗りつぶし身体の感覚さえも奪っていく。
「・・・また、戻ってきたのね」
体感ではたった数秒の後に呻くように呟き、いつの間にか海の上から船の墓場のような瓦礫の上にいた私が周囲を見回せばもう何百回と繰り返してみてきた一日目の光景が広がっている。
姫級に打ちのめされ失ったはずの手足は何事も無かったようにそこにあり、身に着けた服もボロ布では無くちゃんと服としての体裁を保ち、砲撃の雨で消し飛んだ仲間達が五体満足で立ち尽くす様子が私に一日目へと時間が巻き戻ったことを知らせていた。
「山雲っ! 何処! 何処にいるの!? 隠れてないで出て来てよ!! 戻っているんでしょっ!?」
少し離れた場所から朝雲が妹の名を叫ぶ声が聞こえ、それがついさっき見た光景が幻ではなく現実にあった事で、もう朝雲の少し呑気な性格をした妹は戻ってこないのだと私に知らせている。
遊ばれているのだろう、あの支配者が下僕を使ってキツネ狩りのように私達を追い立て絶望に屈した艦娘を戦利品として呑み込む。
それがこの世界のルールであり、抵抗し続ける限り私達はあの怪物のオモチャでしかない。
「姉様は、姉様は今何処にいるのですか・・・? 山城はいつになったら姉様に会えますか・・・?」
この世界に閉じ込められる前は嫌らしい視線を向けてくる指揮官や邪険にされ続けた自分達のままならない状況へと繰り返し言い続けていた口癖すらもう出てくる事は無く、ただひたすらに敬愛する姉に会いたいと言う想いと願いだけが口から洩れた。
・・・
「っ・・・!? ぁ、っぐっ・・・!!」
上布団を跳ね上げて汗まみれになった寝間着が着崩れるのも考えられず、頬に張り付く長い自分の髪を煩わし気に掻き上げる。
その直後に襲い掛かってきた胃から食道を登って来る酸味に二つの枕が並んだ布団の中から慌てて這い出して寝室の隣にある洗面所へと駆け込み大きな鏡が掛けられた洗面台の前で嘔吐く。
夕食の量を減らしているはずなのに喉から逆流する胃液は思い通りに止まってくれず、口の周りを散々に汚して見上げた鏡にはまるで幽鬼のような酷い顔色の女が恨めしそうな上目遣いを返してきた。
「芙蓉、大丈夫かい・・・ほら、口元を拭いて・・・」
ゼイゼイと気味の悪い呼吸を繰り返してた私の頭上でパッと洗面所の灯りが点き。
人の気配に振り返った先には私の行動でこんな真夜中に起こしてしまった愛しい人が心の底から心配しながらこちらへと歩み寄ってくる。
そして、持ってきたタオルで彼は汗と吐瀉物で汚れた私の顔を拭いてくれた。
「裕介、さんっ・・・ごめんなさい、ごめんなさい」
「良いんだ、僕は大丈夫だから・・・芙蓉が落ち着くまでこうしておくからさ」
そして、まるで幼い子供にでもなったように言葉に出来ない感情を泣き声にして吐き出し、伸ばした腕でしがみ付くように内縁の夫の身体へと抱き付く。
抱き返してくれた相手の温かさと心音を確かめるように耳を彼の胸板に押し付け誰に対してかも分からない謝罪を繰り返した。
ただ近くに生きている相手がいるという事実を確かめて自分勝手な満足を得る為に。
・・・
この旅館に転がり込んでから約二年、彼女がたまに見る奇妙な夢は日を追うごとに頻度と鮮明さを増しているようでここ一カ月ほどは妹達の窮地を追体験するまでになっていた。
自衛隊にいた頃でも見た事が無い深海棲艦の姿とその性質や能力、時間経過によってトゲのような岩を突き出して迫って来る壁から逃れながら敵を避けて人の形を持った巨大な要塞へと無謀な戦いを挑み続ける夢。
仲間を見捨てて逃げ出した後ろめたさが見せる幻と言うにはあまりにも強い現実感を伴ったその夢を見る度に真夜中に飛び起きて洗面所に駆け込む扶桑は元から儚い雰囲気がさらに際立ち周囲から心配の声を掛けられることが多くなっていた。
病院でカウンセリングを受けることが出来れば何かしらの改善法を見つけられるのかもしれないが扶桑は船団護衛中に仲間を失い自衛隊を脱走した艦娘である為に戸籍すらなく社会的には存在しない偽名を名乗って生活しているのでそれも叶わない。
自らの行動の後ろめたさに憂鬱に表情を曇らせどこかにいる妹を思い溜息を繰り返す、そんな息子の嫁の姿に呆れた大木屋の女将が客に若女将の不景気な顔を見せないために庭の掃き掃除を命じる回数も増えている。
そんな優しくも厳しい人々に受け入れられ若旦那の愛情に縋りつくように大木屋での生活を続けていた扶桑は数日前にテレビ局のスタッフに混じって現れたお騒がせな大学生の話を聞いてから幾分か被害妄想に囚われる時間が減ったが、それでも度々見せられる悪夢は彼女の精神を苛んでいた。
その日も料理の仕込みや客室の支度をこなしていた扶桑は女将から少し外に出ている様にと言われ、自分では上手く隠しているつもりでも不調を見破られたのかと肩を落として竹ぼうきを手に庭へと出た。
そして、曇り空を見上げる日本庭園の入り口に立った扶桑はその庭の中に立っている一人の少女の後ろ姿に息を詰め目を見開いて立ち尽くす。
その彼女の気配に艶やかな烏羽色の三つ編みを揺らしながら振り返ったその少女の顔は扶桑にとって忘れる事の出来ない仲間のものと同じだった。
「・・・時雨?」
「なんだか不思議だね・・・、僕は貴女と会った事が無いはずなのに昔から貴女の事を知っている気がするよ」
忘れたくても忘れられない自分とある約束を交わした艦娘、白露型駆逐艦時雨を原型に持つその少女は中性的な雰囲気を持った言葉遣いと微笑みで扶桑と向かい合う。
「・・・ここにいたんだね、扶桑」
「っ!? ・・・追いかけてきたの? 私を連れ戻す為にっ?」
「違うよ、扶桑に会いたいって提督にお願いして連れて来てもらったけど僕は付き添いみたいなものだから」
恐慌状態に落ちかけ後退りをする扶桑に時雨は苦笑を浮かべて首を横に振り、大木屋旅館の建物やよく手入れのされた庭をぐるりと身体ごと回すように見る。
「良い場所だね、提督が名乗った途端に貴女を守るために隠そうとするんだから、鎮守府の外にも艦娘を受け入れてくれる優しい人が居るのはとっても嬉しいんだ」
「時雨、あなたはここに何をしに来たの? 私はどうなっても良いけれど、旅館の皆さんにはっ!」
今すぐに自分を如何こうするつもりは無いと言う時雨の態度に恐れを胸に押し込めて扶桑が問いかければ庭の真ん中に立っている少女は特に気負った様子も無くまた首を横に振って見せた。
「僕らは君を連れ戻す為に来たわけじゃないよ。むしろその逆なんだ」
「逆? どういう事なの?」
「詳しくは提督と会ってくれないかな、今、女将さんに事情を話しているんだけどなかなか耳を貸してくれないみたいでね」
時間がかかるみたいだから自分は散歩がてら見事な庭を見に来ていただけで、貴女と会ったのは本当に偶然なのだと言った時雨が軽い足取りで扶桑に歩み寄り、自分よりも小柄な女の子の接近に追い詰められたかのように若女将は後退りして躓き後ろへと倒れかける。
「危ないよっ、大丈夫?」
「えっ!? ええ、ありがとう・・・」
黒いスカートを翻して4mほどの距離をトンッと一足飛びに縮め、倒れかけた扶桑へと近づいた時雨は彼女の手を取り自分よりも背の高い女性の重みを軽く支えて相手の無事を確認する。
その時雨の態度に今すぐ自分を如何こうするつもりは無いらしいと扶桑にも理解でき、自然と手を引いて旅館の中へと向かう駆逐艦娘に導かれた戦艦娘は旅館の受付で顔を顰めている女将と体格の良いスーツ姿の男性が向かい合っている場面に遭遇する事になった。
・・・
受付で行われていた一方的に相手を睨みつける女将とそれを甘んじて受ける黒いスーツの男性の膠着状態は時雨と扶桑を交えた説得で何とか女将をテーブルに着かせることが出来た。
応接間に通された時雨とスーツ姿の男性、そして、女将と扶桑に大木屋の若旦那が机を挟んで向かい合う。
そして、田中良介と名乗ったスーツ姿の自衛官の男性は丁寧な挨拶の後に手に持っていたカバンから取り出した書類を応接間のテーブルへと並べる。
自分が艦娘を管理運用する鎮守府に所属している自衛官であり、隣に座る時雨が自分の指揮下にある艦娘だと言う事など説明してから彼は今回の訪問に関しての本題へと移った。
「じゅ、十年で私が、人間に?」
「鎮守府の記録によれば戦艦娘扶桑が目覚めてからほぼ五年、そして残りの時間が経過する事で貴女は霊核を失う事になります」
そして、彼の口から語られたのは艦娘が人の身体を得て目覚めてから十年前後で力の源を失うと言う説明であり、その中でも扶桑を驚かせたのは艦娘だった頃の力の名残はあれど肉体的には普通の人間になると言う内容だった。
その直前に告げられた先日の大学生達とは関係無く半年前に自分が政府の調査員に発見されていた事や自分以外にも日本各地に少なくない人数の脱走艦娘が隠れ住んでいると言う情報すら霞む精神的衝撃に扶桑だけでなく同席している者達も唖然とする。
「よ、良かったじゃないの! ようちゃんっ!! 裕介も何ぼけっとしてるのよぉ」
「お、女将さん!?」
「いった、痛いって母さん!?」
そして、我に返って今にも万歳でも始めそうなほどに表情を明るくした女将が我が事の様に歓声を上げて扶桑の身体に抱き付き、バシバシと乱暴に自分の息子の背を叩く。
「ここにサインをしていただければ正式に貴女は阪芙蓉としての、人間としての戸籍だけでなく医療行政など公的機関を利用する権利も得る事になります」
一通りの説明を終えた田中は突然の情報に呆然としている扶桑へと一枚の書類を差し出す。
それに視線を落とした彼女は自分の使っている偽名の下には身に覚えのない出身地や存在しないはずの経歴が書き込まれた書類の内容に目を見開く。
彼曰く、既に確認されている脱走艦娘にも同じ書類が渡され明確な人数は言われなかったが人としての戸籍を得る選択をした者もいると言う話だった。
「なぜ脱走者である私にここまでの事をしていただけるのですか?」
あまりにも自分達が望む展開を実現してくれる至れり尽くせりな彼等の対応に現実感を喪失しかけている扶桑はまさかこれが周りの人達を巻き込む謀略の一種ではないかと疑心暗鬼に囚われかけてその言葉を口にする。
「そうですね、正直に言いますと私個人としては戦艦である貴女に自衛隊へと戻っていただきたい」
田中の言葉に色めき立っていた女将と若旦那が表情を強張らせるが、それに向かって自衛官は手を突きだして制してあくまでも個人的な見解であると言い切り言葉を続ける。
「艦娘とは過去の日本に対する義理で協力してくれている英霊の具現である、これは彼女達と相対する際に考慮しなければならない大原則として艦娘の設計者である刀堂博士が残した言葉です」
そして、誠意の無い人間によって艦娘にとっての戦いに赴くための義理が無くなれば見放されるのは当然の事であり、そうなってしまったのであれば責任は我々の側にあるのだ、と田中は自分の見解を話す。
責められるべきなのは扶桑に脱走を決断させた司令官側にあり、既に彼等は法的に物理的に、あらゆる方法で責任を取らされ組織としての処理は全て終わっている。
だが、だからと言って被害を被った当事者である艦娘達から自衛隊や政府と言う組織に対する疑念と恨みが消えるわけではない。
「去る者追わずと言えば都合が良く聞こえるかもしれませんが、組織としては完全な和解もせずに脱走の経験がある者を引きずり戻して不満を増大させるよりはと言う思惑が無いとは言えません」
そこまで聞いて扶桑は目の前のこれが今までの艦娘としての自分への手切れ金のようなモノである事に気付く。
これは数年後に自分から離れた霊核が鎮守府に戻り新しい扶桑となった時に過去の自分に対する仕打ちに彼女が機嫌を損ねないようにする為の保険なのだ。
そして、言うべき事は全て言ったと態度で示した田中は彼女達の前で背筋を正してテーブルの上の書類を受け取るように扶桑へと促した。
しかし、選ぶまでも無く幸せな日々の為に目の前の書類に筆を乗せるべきだと囁く声が頭の中で聞こえるのに扶桑の指はピクリとも動かず膝の上にあった。
・・・
扶桑の今後に大きく影響を与える話し合いが終わり、彼女が人間としての権利を得るための書類を一方的に受け渡した田中と時雨は並んでこちらへと頭を下げて別れの挨拶もそこそこに応接室から出ていく。
信じられないほどの幸運に喜びあっている女将と恋人の姿に扶桑の心は何故かグラグラと不安定に揺れる。
気付けば飛び出すように応接室から走り出て扶桑は玄関で靴を履いている自衛官と駆逐艦娘の前に呼吸も荒く立っていた。
「その子と、時雨とお話しさせてくださいっ! 少しで良いんです、お願いします!」
何故そんな願いを言い出したのか扶桑本人にも分からず、それでもここで完全に自分にとっての過去の清算が終わってしまったら何か大事なモノを失ってしまうと言う強迫観念に近い予感に大きな声を上げた。
そして、田中から許可を得て先ほど時雨と再会した庭まで移動した扶桑はかつての仲間と同じ姿と声を持つ
だが勢い込んで話の場を作ったはずの扶桑は時雨と向かい合った途端に何を言えばいいのか分からなくなって無為に口をパクパクと開閉してしまう。
「落ち着いて、大丈夫だから、僕はここにいるよ」
言うべき言葉が見つけられず泣きそうな顔になった扶桑と向かい合った時雨が人懐っこい笑みを浮かべて自分よりも背の高い若女将の顔を見上げ。
その優しい声色に乱れていた心が徐々に静まり扶桑は胸に手を当てながら時雨と視線を交わらせる。
「貴女はどうして戦えるの? 貴女の前の時雨も他の子達も顔も知らない人達の都合で沈んでいったのよ?」
「どうして戦えるのか、そうだね・・・、実は僕自身もちょっと分からない部分があって、これはどう言えばいいんだろう」
組織が改善されたとしても自衛隊に所属している艦娘に待っているのは深海棲艦との終わらない戦いの日々であり、扶桑の目から見て今の日本は十年後に人となった艦娘を受け入れられると言う保証も感じられない。
それ故に愛国心の一言で命を捧げる価値が今の国にあるとは扶桑には思えない、そして、同じ艦娘であり自分と同じように自らの現状を理解しているはずの相手が戦い続ける事が出来ているのか無性に知りたかった。
「・・・あの田中と言う人の為?」
「うん、それも理由の一つかな、ははっ」
田中を話題に出され少し照れた顔で前髪を弄る時雨は続く扶桑の幾つかの問いかけに首を横に振りと違うと答えていく。
現在の国の為。
仲間がいるから。
指揮官への信頼。
そのどれもが彼女にとって必要な理由であるのに、その全てが彼女自身が戦うための一番大きい理由と言うワケではないらしく時雨も徐々に自分を動かす最も大きな理由が不明である事に気付き表情を曇らせて首を傾げた。
「そうだ、僕が・・・」
「時雨どうしたの?」
そして、扶桑が思いつく限りの戦う理由を問いかけた後に時雨が不意に空を見上げ空色の瞳を瞬かせ、自分でも気付かなかった自分の中に隠れていた思いを見つけ出して浮かされるように言葉にしていく。
「今の僕が目覚めた時に言われたんだ・・・もう仲間を見捨てたりしないでって、皆を助けてって・・・」
その言葉に扶桑は強く動揺して胸を締め付けられるような息苦しさに呻き、目の前に立っている時雨の心につっかえていた何かが取れたと晴れやかな笑みを浮かべる姿に戦場から逃げ出した戦艦娘は目を見開いた。
「僕じゃない時雨が言っていた。そうしなければならない、忘れちゃいけない約束だからって」
今にも雨が降り出しそうな曇り空を見上げて空色の瞳で灰色の空を見上げ、独白する駆逐艦娘の言葉に扶桑の身体は硬直する。
そして、不意に扶桑の目に映る今の時雨の姿とかつて自分と同じ海に立っていた時雨の姿が重なった。
「時雨、あなたは覚えている・・・の?」
「扶桑?」
呻くようにか細い声が静かな庭に落ち、空を見上げていた時雨が視線を下ろして目の前で狼狽えている扶桑の姿に首を傾げる。
「だって、霊核になった艦娘は、死んだ娘は記憶も何もかも忘れてしまうはずなのにっ!? 貴女は覚えている・・・の?」
「全部は覚えてないけど、幻みたいにあやふやな気持ちだけど、残って、ううん、これは覚えてるって言って良いのかな? 自分の事なのに分かんないや、はは・・・」
扶桑からの問いかけで偶然に見つけ出した自分の中に存在していた正体が分からない記憶と感覚に時雨は戸惑い苦笑を浮かべる。
「あぁ、でも・・・だから、そうなんだ」
姿形が同じ様に見えても過去にいなくなった時雨と目の前の時雨は別の存在であると思っていた扶桑の考えを図らずも否定する事になった駆逐艦娘は彼女の動揺に何かを感じ取ったのか小さな微笑みを漏らした。
「・・・僕が、前の僕がこの約束を交わしたのは貴女だったんだね?」
既に知っている答えを確認するような時雨の声に扶桑は言葉を返す事も出来ずに反射的に目を反らして身を縮めて震え、過去に隠した罪が彼女の脳裏で輪郭を結び這い上がって来る。
囮扱いで使われた船団護衛中に遭遇した深海棲艦、その後に突然現れた奈落の底に繋がるかの様な深く渦巻く黒い渦潮。
自分を庇い直撃弾を受けて瀕死になった時雨を背負い足に纏わりつく潮の流れに逆らって走る。
そして、後少しで渦から逃れられるところで力が尽きかけた扶桑は背後にいた妹の手から伝わってきた光に押された事で地獄の入り口から逃れ。
振り返った先で今にも泣きそうな笑顔を浮かべて自分へと手を伸ばす山城の姿に目を見開き、扶桑が悲鳴を上げたと同時に戦っていたはずの深海棲艦も仲間達も全て呑み込んだ渦潮は消えてなくなり、不自然なほど青く澄み切った空と海の間で扶桑は瀕死の時雨を背負って立ち尽くした。
「“泣かないで”」
その悍ましい思い出の最後から抜け出してきたような少女の穏やかな声が重なって聞こえ忘我から戻った扶桑の手を時雨の温かい両手が包むように握る。
曇天の下、まばらに雨が降り始めた庭で濡れ烏羽髪の少女が励ますように微笑み唖然とした表情で固まった和服美人を見上げていた。
「扶桑はここで幸せになって良いんだ・・・だから、泣かないで」
その優しさに満ちた言葉で扶桑は頬に当たる雨粒とは違う水滴がいつの間にか自分の目から零れていた事に気付き、時雨に掛けられた言葉をきっかけにして心が無性に粟立っていく。
(何故、私は泣いているの? 許された事への感謝? ここでの生活が続く事への安堵? 一人だけ安全な場所に隠れる申し訳なさ?)
違う、コレは決してそんな軟弱な罪悪感から溢れたモノなんかではない。
雨に濡れながら旅館の入り口へと時雨に手を引かれて戻った扶桑は自分の指揮官と共に別れの挨拶をしてから去っていくかつての仲間と瓜二つの姿を持った少女を見送る。
「芙蓉? そのままじゃ濡れてしまうよ、中に入ろう?」
背中に恋人の優しい言葉をかけられても雨の中に立ち尽くしていた扶桑は目を閉じて自分の中で暴れ出そうとしている感情、今まで自分の中で見て見ぬふりを続けていたそれと二年ぶりに再会して向かい合う。
何故、戦艦である
これではまるで蝶よ花よと愛でられる姫のような扱いではないか、と。
そして、今まで苦境と失意を言い訳に蓋をしてきた感情が、逃げ回る事を良しとしてきた情けない自らへの憤りが胸の奥で点火の火花を散らし始めた。
自分よりも小型の艦種に気遣われた悔しさ、妹の悲鳴を受け取っていながら耳を塞いだ愚かしさ、与えられる幸運に溺れて愛する人を理由にして今もなお逃げる事を弁護する自らの浅ましさに筆舌に尽くし難い怒りの火が燃え上がる。
これでは自分の事を好きだと告白してくれた愛しい人にすら失礼極まりない事ではないか、と艦娘である扶桑が内側から彼女を叱咤する。
(皆は僕が助けるから扶桑はもう戦わなくて良い・・・?)
田中と名乗った自衛官から限定海域と呼ばれる異空間から多くの艦娘が戻ってきたと言う前例を聞き、未だに鎮守府へ戻らない妹や仲間達の話を受けて彼女らも別の異空間に囚われている。
それは
(それで良いわけがないでしょう? いつまで私は不義理な愚か者を続ける気なの!)
握り込んだ手の平に爪が食い込み、食いしばった歯がギリリと音をたて、雨の向こうへと並んで去っていく二人を睨みつけるように目を見開く。
薄紫の着物の袖や襟からぶわりと揺らめく光が溢れその身体を立ち上った霊力の気炎が包み込む。
その自分自身に対する怒りに顔を歪めた扶桑の姿に心配そうにこちらを見ていた大木屋旅館の面々が顔を強張らせた。
(そうよ、時雨、貴女も何を言っているの? あの子は私に、
二年以上も時間を使って出すには余りにも遅い決心だと自分でも呆れ果てるしかない。
だが彼等から伝えられた情報と自分が見る悪夢が不思議と符合して火が入った心臓が扶桑の胸の内側を強く押した。
今さら脱走艦娘が一人戻ったところでどこかに閉じ込められて拘束されるだけかもしれない、過去の管理者の失態を知る存在を目障りに感じた者達によって秘密裏にいなかった事にされるかもしれない。
それを承知した上で扶桑は自らの怒りに従う事を決めた。
・・・
一人の司令官と艦娘が扶桑の今後の生活を保障する書類を置いて去って行った後の旅館を雨足を強めた雨粒の音が覆い、旅館の跡継ぎと若女将がが寝室に使っている一室にもその音は止め処なく届く。
「裕介さん、折り入ってお願いがあります」
その真夜中の部屋に敷かれた広い布団の上に正座した扶桑は大木に向かって両手を突いて深く頭を下げ、それを見た旅館の若旦那は彼女と正座で向き合ったまま苦笑いを浮かべて頭を掻く。
目の前に置かれているのは扶桑が人間としての戸籍を得る為に用意された書類であり、まだ無記名のそれを預かっていて欲しいと願われた大木は彼女が何を言わんとしているのかを嫌でも察する事になった。
「芙蓉、行くのかい?」
「今まで裕介さんや女将さん、旅館の皆さんに数えきれないほどの、返しきれないほどの恩を受けてこんな事を言うのはあまりにも恩知らずだと、自分でも分かっています、けれど、それでもっ!」
床にまでつけるほど下げた頭を上げずに恩人への申し訳なさに涙を滲ませる扶桑の肩に裕介の手がかかり、上半身を押し上げられた彼女は真剣な顔を浮かべる彼と向かい合う。
「僕は君の事が好きでずっと一緒に生きていきたいと思ってるし、芙蓉もそうだと言ってくれたらこれ以上の幸せは無いんだ」
「っ、はい・・・でも私は」
「好きだから、愛している人がそんな必死な顔で願っている事を止めるなんて僕には出来ないよ」
裕介の言葉に呆気にとられた顔をした扶桑は優しく自分の身体を抱きしめられて伝わって来る命の温かさに、別れへの恐れに小刻みに震えているのにその言葉を言ってくれた彼の思いやりに目を閉じ、強い強い感謝の想いを返す為に抱き返した。
「私は、芙蓉は、・・・扶桑は妹達を、助けに行ってまいります、ですから・・・」
「僕はここで待ってるから君がやるべきことを終えた時には必ず、帰ってきて欲しい・・・何年だって待っているからさ」
再会の約束を交わした二人の声は雨音の中へと溶けるように消えていった。