誤解を残すな、言葉を尽くせ。
雄弁は銀色に輝くのだから。
2014年の早春、五年前に現れた人類全体に敵対的な存在への危機感はあれど奇跡的に深海棲艦の直接的な脅威とは縁が薄い世間では新年度に備えている時期。
主要な港湾に建設された防壁や太平洋側にある海水浴場の閉鎖などを過剰な対応と一部の市民や政党が与党を叩く理由に使ってテレビや新聞をにぎやかしている平和ボケしたある日。
日本の排他的経済水域に広がる哨戒網を我が物顔で突き進み、及び腰で追いかける護衛艦を歯牙にもかけずに日本本土へと複数の黒い異形。
東京湾に建設された防壁へと食らいつくように巨体を叩き付けた深海棲艦は鋭い牙が並ぶ巨大な口内から歪な大砲を突き出す。
咆哮するように爆炎を上げた砲塔の先で強化コンクリートが豆腐の様に砕け散った。
・・・
東京湾の湾岸に存在する自衛隊施設の一つ、現在、世界で唯一艦娘の研究開発を行うことが出来る鎮守府と命名された研究機関が存在する基地。
そこは深海棲艦の本土襲撃の報が届いた時点で蜂の巣を突いたような大騒ぎとなり、基地司令官の命令によって総員退避が通達されることになった。
「上官纏めてへたれしかいないのか!? 俺だって人の事は言えねえけど戦う前からヤル気の欠片も無く逃げの一手かよ!」
中村が艦娘の司令官の一人として着任してから顔を合わせる度にグチグチと嫌味を垂れ流す。
女の子の姿をした兵器のご機嫌を取る気楽なお遊びなんて彼と相棒を揶揄していた御立派な勲章付きの将校達が顔を青くして我先に書類をかき集めて逃げようとする。
そんな彼らの姿を横目にして中村は苦虫を噛み潰した顔で基地内の道を走っていた。
向かっている先には自分にとって唯一と言える部下の少女、かつて日本が軍を持っていた頃に造り出された駆逐艦の一隻である吹雪の記憶と力を与えられて生まれてきた艦娘がいる宿舎だった。
「・・・良介はクレイドルの閉鎖を手伝いに行くって言ってたがただのコンクリートで出来た研究所が深海棲艦相手に耐えられるもんなのかっ!?」
前世の肥満体型と違い現在の自衛官として鍛えられた身体は十数分の道のりを全力で駆けても少し息を弾ませるだけで疲れは無い。
だが頭の中で渦巻く不安感は中村に気味の悪い焦燥で背中を騒めかせて止め処なく脂汗が身体中に浮かぶ。
焦りで嫌な方向へと思考が向かいそうになった中村の視界に軍事施設に似つかわしくないセーラー服の後ろ姿が過る。
「っ!? 吹雪っ! なんでここにっ、何してるんだ、お前っ!」
「中村少佐・・・敵が、深海棲艦が来るんですよね、なら・・・、私が囮に出れば少しは時間稼ぎができます」
吹雪が待機しているはずの艦娘の宿舎ではなく港湾へと続く道の途中で見知った後ろ姿を見つけた中村は滑りそうになりながらも足を止めて彼女の名前を呼び振り向かせる。
出会った時のような暗さは無くなったが今の吹雪の顔には何の感情も見えない無表情で愛嬌のある良い意味で田舎娘っぽい顔立ちには何処か人形じみた不気味さが宿っている。
「そんな命令は出してない、行くぞ、ここから少しでも内陸部に向かって・・・」
「・・・逃げてどうなるって言うんです? 少佐は私に今度こそ本当の役立たずになれって、そう言いたいんですか?」
無表情の裏側から少しの憤りを垣間見せた吹雪の迫力に彼女へと手を差し伸べようとした中村は息を詰まらせて自分が何を言うべきかすら頭に浮かばず無意味に口を開閉する。
「役立たずって、欠陥兵器なんて言われながらそれでも皆、頑張って、頑張って来て・・・沈んでいって!」
無表情の裏側から火が付いたように噴出した吹雪の叫びはその場しのぎの嘘ばかり上手くなった男にはあまりに苛烈な衝撃となって突き刺さる。
「ここで私が命を惜しんでたら本当に私達が産まれた意味なんて無いって証明するようなもんじゃないですかっ!!」
そんな驚愕でマヌケ面となった顔を晒している指揮官へと向けた怒りを覆い隠す様に苦笑を浮かべて吹雪は姿勢を正す。
そして、丁寧に腰を折り中村へと短い謝罪をしてから再び彼を正面から見つめて口を開く。
「艦娘の吹雪が何回沈んだのかは蘇生前の記憶を引き継げない私には分かりません、でも私が艦娘になって一年ちょっとしか経ってませんけどいつも上官からは役立たずだって、囮にしか使えない穀潰しなんて言われ続けました」
身を切る様な辛さを吐露するように自分の身体を両手で抱き締める吹雪の表情が歪な笑顔へと変わり始める。
そんな初めて見る彼女の昏い瞳に中村は気圧されて息を呑んだ。
「主任さんや研究員の皆さんからは弱く造ってしまったなんて謝られてばかりで、初めの艦娘達も今とほとんど変わらない扱いだった事は分かります。そう考えるだけで悔しくて申し訳なくて情けない気持ちでいっぱいになって・・・」
歪んだ笑顔のまま吹雪が話す言葉は今にも溶けて消えてしまいそうなほど小さいのに周りで鳴り響く非常ベルの音よりも強く中村の耳に届いた。
触れれば消える雪の結晶のような儚さを纏う吹雪の姿から目を離せなくなった中村の前で存在そのものを虐げられてきた一人の少女はこれが最期であると悟った様に自分の思いを独白する。
「だから、中村少佐と田中少佐が私達が本当は凄い力を持っているって言ってくれて嬉しかったんです。司令官が教えてくれた別の世界の私達の事を聞いて自分でも諦めてた自分にもうちょっとだけ期待しても良いんじゃないかって思えるようになって・・・だから」
最期ぐらいは自分を必要だと、役立たずなんかじゃないと言ってくれた人達の為にこの力と命を使いたいんです。
そう言って吹雪は中村へと微笑みを向けて右手を上げ指先を額に当てる。
「短い間でしたけれど・・・お世話になりました」
背筋を真っ直ぐに伸ばし女子中学生にしか見えない姿で軍人にとって見本のような敬礼をした吹雪は中村に背を向け、港へと続く道を再び歩き始めた。
背中を向けて歩き出した吹雪から告げられた呆気無いほど簡潔な別れの言葉に彼の息も汗も止まる。
基地の書類を持ち出す為に自衛隊所属の車両がエンジンを吹かす音や基地からの退去を促す非常ベルの音。
耳に聞こえるがそれら全てが気にならないほど中村は歯を食いしばり自分の不甲斐なさとゆっくりと遠ざかっていく吹雪の背中を見つめる。
(なんだそれは、何言ってるんだお前はっ!! こんな小さな女の子に何を言ってきたんだ俺はっ!?)
可愛い女の子達にちやほやと持て囃されたい。
誰にもできない事をやってのけて尊敬を集めたい。
楽しく楽な仕事で大金を稼ぎたい。
自分には他の人間には無い前世の記憶があり一歩も二歩も先を進めるアドバンテージを生まれながらに持っていたと言う事実が将来に対する欲と楽観主義を中村と言う俗物に与えた。
しかし、かつての彼は確固たる意志も無く二流の高校を卒業してから勉強どころか学習意欲すら遠ざけていた人間が、死ぬまでアルバイトで日銭を稼ぐ生活をしていた遊び人が、幼児からやり直したところで怠惰に任せて同じ轍を踏む事になっただろう。
だが中村は幸か不幸か自分と同じ転生者である田中と友人となり、付き合いを続けていく内に安っぽいプライドから友人と対等な立場を維持する努力を不本意ながらもする事になった。
自分よりも高学歴で学者肌の努力家と対等に立っていたいと言う安っぽいライバル心と深海棲艦の出現と艦娘の存在への確信。
それらが意欲の引き金となり彼は前世では考えられないほど努力して遂には日本で指折りに狭き門である防衛大学に入学し自衛隊士官の地位を得るに至った。
「・・・だからっ! 俺はまだお前に出撃を命令していないって、言ってるだろうが吹雪ぃっ!!」
友人からは口が良く回るお調子者と評され今も昔も自分に必要以上の努力や挑戦を課す事を嫌う性質があるのは見た目以上に人生経験を積んだ今の中村には理解できている。
それを生まれ変わった今の今まで矯正する必要性を感じてこなかった男は前世の記憶を基にして都合の良い作り話を無責任にベラベラと垂れ流した。
それが原因で目の前にいる吹雪に死に逝く覚悟を決めさせたと言う事実を突き付けられ、数日前までの呑気に笑っていた自分を殴り殺したいと思うほどの後悔と怒りを心中で疼かせる。
「私が少しでも時間を稼げば、基地の被害を少しでも減らせばまだ眠っている仲間が生き残る可能性が高くなります、そしたら、司令官は生きてその子達と今度こそ深海棲艦をやっつける為に私にしてくれたように・・・」
「俺はっ! んな事を言ってんじゃない! 出撃するなら司令官である俺の命令に従えって言ってるんだ!!」
頭から自分が死ぬことを前提にしてモノを言う少女の後ろ姿に八つ当たりじみた叫びを吐き出して肩を怒らせた中村は大股で吹雪に歩み寄る。
その女子中学生にしか見えない兵器の肩を掴んで強引に自分の方へと振り向かせた。
彼の方へと振り返った少女は何を言われたか分からないと言う呆けた顔で渋面を見せる中村を見上げて立ち尽くす。
「艦娘は指揮官と共にある事でその能力を十全に発揮する! これはお前ら艦娘を設計した科学者が残した艦娘運用の原則の一つで、つまり吹雪が出撃するってんなら指揮官である俺も一緒にいなきゃいけないって事でもあるんだよ!」
マトモな思考を放棄した脳みそが垂れ流したセリフを言ってしまってから自分は何をバカな事を言ってるんだと恥じて中村は顔を紅潮させる。
だがそんな羞恥心も自分を見上げてくる吹雪の呆気にとられた顔に妙な可笑しさへと変わり小さく笑ってしまう。
「だから、お前が戦いに行くなら司令官である俺だって・・・一緒に行くよ」
「司令官が私と一緒に戦ってくれるんですか・・・? でも、敵は海の上で、司令官は人間で・・・」
「そんな細けぇ事はどうでも良いっ! 俺はお前と一緒に行く! だから、吹雪、付いて来い!」
その言葉は数秒前に吐いた臭いセリフを勢いで誤魔化す為にいつもの口先三寸から出た時間稼ぎでしかなかった。
碌に解決策など無い状態だが自分よりも確実に頭が良い田中と相談する為の暇さえ作れれば良いなんて他力本願極まる心算から出た言葉。
「っくぅ、・・・はいっ、特型駆逐艦、吹雪型一番艦、吹雪行きます! 司令官!」
まさかそれこそがこの世界の艦娘に本来の能力を発揮させる言わば安全装置の解除を意味するものだった。
などとは、顔を真っ赤にして叫んだ中村も涙を零しながら返事をした吹雪ですら想像だにしていなかった。
その条件とは一定以上の資質を持つ指揮官と艦娘の接触、そして、指揮官による出撃指示とその命令を艦娘が承諾する事。
かくして中村はまるで意図していなかったが艦娘の能力を目覚めさせる条件は満たされ、駆逐艦娘である吹雪が自分を含めた全ての艦娘に組み込まれていた能力を発動させ。
目の前を白く染め上げるほどの発光と共に二人の姿は強い輝きの中へと消えた。
「よし、行くぞ! まずは良介にぇっ?」
付いて来いとは言ったが今すぐ海に出るとは言っていない、なんて考えが光に飲まれた時点での中村の内心であったがそれは声にならず。
当たり前ながら吹雪を含めた誰の耳にも彼の言い訳は届くことはなかった。
・・・
突然の発光、燐光をまき散らして巨大化した吹雪の中であろう操縦席で飛ぶように通り過ぎていく風景に目を走らせる。
中村は恐怖と混乱で叫び出しそうになる感情を必死に歯を食いしばって押し留める為に精神力を振り絞っていた。
海上を二本の脚で駆ける吹雪の中から見える東京湾の長大な防壁とそれを突き破って巨体を乗り上げている巨体がぐんぐんと近づいて来る。
「撃てぇっ! 吹雪ッ!!」
中村の前世で見たゲームの中で駆逐イ級と呼ばれ雑魚敵扱いされていたそれと似通った姿。
しかし、その全長100mに総重量は数百トンでは収まりきらないだろう黒い船体を持ち。
芋虫のように這いずり砕けた防壁の間から湾内へと侵入を始めていた。
そこへ目掛け吹雪が背面艤装の煙突とスクリューから燐光をまき散らして100ノットに迫る勢いで矢のように基地から飛び出して海上を駆ける。
≪はいっ! 司令官っ!≫
そして、中村の指示に従い初めて触る筈の連装砲を吹雪はまるで自分の身体の一部であるかのような自然さで真っ直ぐに敵艦へと向ける。
目視した深海棲艦との距離から逆算して主砲の仰角を素早く調整し引き金を引いた。
人間大だった頃とは明らかに異なる大質量の発砲音と共に光の塊が左右の砲から連続して放たれる。
燐光を散らしながら砲弾が遠く離れ場所にいる金属を削りだして作った肉食魚の頭を思わせる深海棲艦の艦首へと風切り音をたてながら突き刺さり額の骨格を叩き割る。
「当たった! 上手いぞ吹雪っ!」
『でも一発外れましたっ・・・すみません司令官、止まってる相手なのにっ、発砲音!?』
「面舵! 回避しろっ!?」
不甲斐なさや使命感だの若気の至りだのなんだのをひっくるめた言葉に出来ない感情に突き動かされて巨大化した吹雪と共に海に飛び出した。
そこまでは良いが作戦と言える作戦など中村には無く。
事前に得ていた情報は太平洋の南東から東京湾へと複数の深海棲艦が哨戒網を突破して近海へと侵入してきたと言う話だけ。
さらにゲームの設定には詳しいが実際の深海棲艦がどんな存在であるかなど伝聞と資料頼りで実物を見るのは今日が初めてである。
「うぉっ! 壁の向こうにもいるのか!? いやまずは目の前の駆逐イ級を叩く!」
『い、イ級? はい! あの壁に乗り上げてる深海棲艦ですねっ!?』
壁の外から打ち込まれてきたらしい砲撃は運が良い事に吹雪のいる場所とは見当違いな場所に着弾して水柱を上げる。
だがその迫力は中村の心肝を寒からしむるには十分すぎる威力を持っていた。
鏡を見れば確実に情けなく鼻水を垂らしているだろう自分の顔を頭の片隅に追いやって声だけは勇ましくなるよう訓練学校仕込みの大声を発する。
中村は忙しなく視線を動かしてコンソールパネルに並ぶ機能の把握に全力を続けていた。
『し、司令官っ!?』
「どうした、何か問題か!? 落ち着けヤツの目は緑だからノーマルだ、強さは大したことない!」
『主砲が撃てません!!』
「・・・はっ? た、たった二発しか撃って無いのにか!?」
回避の為に進行方向を変えていた吹雪が再び防壁に引っかかっているイ級へと砲を向けたと同時に悲鳴じみた声を上げて中村は言われた言葉に動転する。
ふと視線が引っ張られるような感覚に従って吹雪の現在の状況を知らせる立体映像へと彼は視線を走らせ。
いつの間にか現れていた主砲部分を指して表示されている再装填まで4分12秒と言う数字に顔を引きつらせた。
「これは主砲に・・・、再装填まで四分だと!? 何か他に武装は無いのかっ!?」
『よ、四分も掛かるんですかっ・・・どうしましょう、司令官!?』
予期せぬ事態の連続でもう混乱の極致となりながらもその場しのぎを続ける中村の思考がついに止まる。
(どうしましょうって、俺にどうしろって、言うんだよっ!?)
誰か助けてくれと叫びそうになった彼の視線がまた、まるで何者かに教えられたかのように吹雪が装備している武装の制御装置へと向かう。
初めて見る兵器の使用方法など訓練はおろか説明書も読まずに使える人間などいるはずはない。
いるはずは無いのに中村はそれが吹雪の魚雷管を起動させ標的を照準誘導する為に存在していると気付かされる。
「吹雪、魚雷管を起動させる、奴を正面に捉えろ!」
『はいっ! 進路を駆逐イ級へ向けます!』
反射的にコンソールパネルを操作して魚雷管を起動させるとガシャンガシャンと重苦しい金属音が吹雪の太腿に装備された二機の三連装魚雷管から響く。
操作盤の右側にある立体映像の中にある吹雪の両脚に装備されている上を向ていた三連装魚雷の先端が水平へと切り替わり前方の360度モニターに魚雷の予想軌跡が自動で表示される。
装備の名前や形状は原型の駆逐艦に準ずるモノであるのにその性能は現代兵器と比べても遜色ないモノだと感じさせられた。
中村は魚雷の軌跡が壁から這い出ようとしているイ級と重なったと同時に発射ボタンを全て押し込んだ。
ボポンっと気の抜けるような音をたてて魚雷管から飛び出した白い泡の線を引きながら六発の魚雷が水面下を走り抜ける。
数十秒という短い間に2キロほど離れた場所にいたイ級と防壁の下まで駆け抜け立て続けに破壊と水柱をまき散らした。
「うっぉ、これ、壁の修理代とか請求されたりしないよな・・・?」
『ぇっ!? そっ、そんな事、私に言われてもっ・・・、っ、また発砲音っ多いです!』
「加速して回避する取り舵をっ! うぁっ、マジかっ、魚雷再装填は二十分だとっ!?」
赤く赤熱した巨大な雹にも見える砲弾が吹雪と中村が居る地点を目がけて飛び込んでくる様子に顔を青くしながら素人指揮官は推進器の出力を上げるレバーを押し上げる。
コンソールパネルに第二戦速と表示された同時に指揮席で張り付けになった。
轟音をまき散らして背部艤装のスクリューが空気を掻き混ぜて吹雪の背中を押し飛ばし、セーラー服を纏った14mの少女が砲弾の雨が降り注ぐ海面を駆け抜ける。
「ぐっぉ、2っ、200ノットって、冗談だろ・・・なんて加速力してやがるぅ、ぐぅぅっ」
レバーを握った彼の視線がデジタル表示で光るスピードメーターとエンジンの出力計へと向けられ、その視線の先でその数字の桁が凄まじい早さで上がっていく。
『大丈夫です司令官、これくらいなら回避できますっ!』
急激な加速による慣性によってシートの背凭れに押さえつけられて呻き声を上げる中村。
彼とは対照的に吹雪は生まれて初めて体験する高速航行の中で怯む事は無く敵の砲撃で立ち上る水柱の間を縫って駆け抜ける。
まるで初めから当たり前に出来る事だと理解しているかのような迷いの無い回避運動。
その彼女の内部で重圧に翻弄される指揮官は目を白黒させながら舌を巻く事になった。
『司令官、主砲も魚雷もまだ再装填できないんですか!?』
降ってきた敵の砲撃を全て回避した直後に中村は握ったままの出力レバーの表示を原速まで戻した。
下がっていくスピード計の数字と緩む慣性に彼は一息吐いて撃破したイ級が居た場所へと視線を向ける。
「まだだっ! くそ、魚雷撃つの二発ぐらいにしとけば良かった! 爆発で穴広げちまって、あれは軽巡のホ級かっ?・・・まずいな湾内に侵入される」
『深海棲艦の軽巡・・・ホ級』
その広がった壁の割れ目の向こう側から姿を見せたのは頭の無い人間の上半身と巻貝を混ぜた様な気味の悪い奇妙な怪物の姿だった。
それを見た中村は忌々しそう呻き、その言葉を繰り返すように呟いた吹雪はかつての囮作戦に駆り出された時にも自分や仲間達を追い詰めた怪物を正面から見据える。
『・・・司令官、駆逐艦娘は格闘戦に高い適正があるんでしたよね?』
当たり前の話だが中村は前世で艦娘などを実際に見た事は無くその悉くが創作の中にあるキャラクターである。
この世界で吹雪に出会ってから今の今まで彼女に語った艦娘達の姿はいかにも実際にいるかのように彼によって脚色された物語の登場人物でしかない。
「いや、それは・・・そのなんだ、吹雪はそう言った接近戦の訓練を受けてない以上無理は、おっおいっ!?」
故に前世の世界で海の平和を守る正義の味方の活躍などは存在しない。
彼がその存在を保証する事もできるわけも無いが中村は往生際の悪い思わせぶりな誤魔化しの言葉を吐く。
『大丈夫です、司令官の話、私は信じます!』
物語を創作するように前世で過剰にかき集めたサブカルチャーの知識から『自分が考えた最強の艦娘』の設定を練り上げて面白おかしく得意げに話した虚構。
「そんな、吹雪っ、嘘だと言ってくれぇっ!?」
現実化したそれに首を絞められる形となった中村は中二病から我に返ったような羞恥心と自分から先ほどのイ級よりも巨大な敵へと突撃を始めた部下の無謀極まる行動に悲鳴を上げた。
『私がやっつけちゃうんだから!』
原速ですら90ノットを超える快速で海上を突き進む吹雪は自分に砲口を向ける軽巡ホ級へと迫り、彼女の中にある指揮席で怖気づいた中村の気も知らずに突撃を敢行する。
焦りと恐怖に頭がおかしくなりそうな状態となった中村が顔中を脂汗で湿らせながら打開策を求めてコンソールパネルへと視線を向け、そこに艦娘の戦闘形態を切り替えるレバーを見つけた。
(待て・・・なんで、さっきから俺はこれの使い方が分かるんだ!? そもそも戦闘形態の変更って、ゲーセンのロボゲーじゃあるまいしっ)
その触った事すらないレバーの下には『砲雷撃戦』と表示されている。
左右に操作できるソレに触れた中村はまるで疑問に思った事への答えが頭に直接を刻まれたかのような感覚でその機能を理解させられた。
そして、中村は気付けば右手を推進出力レバーに掛け、左手で艦娘の形態変更を行う取っ手を強く握っていた。
「吹雪、最大戦速で、接近戦形態に移行する! 転ばないように備えろぉ!」
『了解しました!』
まるでこの空間に入ってから付き纏う何者かの思惑に乗せられて動いているかのような感覚に戸惑いながら中村は推進機の出力レバーを全速まで押し上げ吹雪を急加速させる。
一気に赤いラインが引かれた場所まで針を上げた出力計、速度計は一足飛びに桁を三桁に跳ね上げる。
先ほどとは比べ物にならない慣性の圧力に反比例するかのような速度で前方から飛来する敵の砲弾を吹雪は背後へと全て置き去りにした。
「さ、320ノットぉ・・・まだ上がるって、うぞだろぉ・・・?」
そして、吹雪と敵艦との距離が急激に接近する中で呻く中村は全力で掴んでいた形態変更レバーを操作する。
レバーの表示が砲雷撃戦から格闘戦へと切り替わり魚雷管を起動した時よりも力強く響き渡る鋼の音。
背部艤装の一部が変形して艤装の後部に鎖で繋がっていた錨が吹雪の肩越しに前方へと突き出された。
突き出された錨の柄を吹雪が握り引き抜いたと同時にその手にあった連装砲が背面艤装から突き出てきた懸架装置に回収されて駆逐艦娘の背中へ移動する。
その艤装の動きを初めから知っていたように戸惑うことなく駆逐艦娘は400ノットと言う出鱈目な速度に達した状態で切り裂くような鋭い航跡を海面に刻みながら錨の柄を正面に構えた。
軽く見積もっても1tはある鉄の塊が吹雪の手の中で軸に対して半月形を描く錨の爪が傾き、半月は軸に対して垂直になりその表面が割れるように開く。
背面艤装と繋がった鎖をジャラジャラと騒めかせる錨は元の形から数倍の体積を得て、複雑な部品が覗く内部機構を露出させた黒鉄の斧へと変形した。
「やれっ! 吹雪ぃいっ!!」
『お願い! 当たってくださいぃ!』
バリンかガシャンか、とにかく薄いガラスが割れるような呆気無い音が東京湾の海面を震わせ。
キロではなくトン単位の質量を得た上に400ノットの砲弾と化した吹雪が振るった錨斧が敵軽巡の胴体へと吸い込まれるように衝突する。
深海棲艦が纏う速射砲やトマホークミサイルすらはじき返す不可視の障壁ごと水死体のような気味の悪い体色をした巨体が熱された飴細工のように千切れ飛びながら砕けた。
「うぉおああっ!?」
≪わぁあきゃぁああっ!? んぼヴぁぁっ!!≫
斧を手に軽巡ホ級を跳ね飛ばすように引き千切り防壁の外へと飛び出した吹雪の身体は墜落した飛行機のように顔面から海面に叩き付けられて滑る。
吹雪の口から飛び出た乙女が出してはいけない類の叫びと共に海水で巨大な壁のような水柱が生まれ。
そして、時速700kmオーバーの滑走は中村が出力レバーを引き下げた事で背面のスクリューが停止して減速していき、距離にして約5.4kmほど走ってからやっと止まることが出来た吹雪は太平洋の入り口にフラフラとした様子で立ち上がった。
「はぁ、ひぃっ・・・ひぃ、大丈夫か、吹雪?」
『うぶっ、はぃ、だいじょう、ぶです・・・っ、まだ敵艦が! けぶっ! げぅヴぇぁぁっ・・・』
衝撃的かつ世にも珍しい艦娘の胴体着陸を彼女の内部で体験した中村は顔を真っ青にして喘ぎ。
その手元にあるコンソールパネルの上で立体映像の吹雪が口から大量の海水やら魚やらをマーライオンのような姿で噴き出している。
中村は精神的な余裕も無かったのでとりあえず手元の通信機らしい部分から聞こえてくる吹雪の吐瀉音をあえて聞かなかった事にした。
「いや、あれは撤退しているみたいだ。砲の装填は終わったが・・・」
急激な緩急に振り回された戦闘を経て疲労に息を切らした二人は遠い海原にこちらへと尻尾を向けて離れて行く黒い巨体を見つめる。
「今の状態で追いかけても骨折り損のくたびれ儲けになるだけだ。吹雪、鎮守府に帰投するぞ」
戦闘の終わりに深く息を吐いた中村はコンクリートの防壁を背に立ち尽くす吹雪へと帰還を促し。
『追撃すれば、勝てるんじゃないでしょうか・・・?』
「はぁ・・・吹雪、初めての勝利で興奮するのは分かるが引き際を間違えるんじゃない、命令に従ってくれ」
水平線へと消えていく敵艦の背を見つめながらボソリと呟いた吹雪の言葉に肉体的にも精神的にも疲れ切った中村は珍しく真面目そうな喋り方をする。
その裏にはもうただひたすら陸に帰りたいと言う私情極まる思いが籠っていた。
『はい、司令官・・・吹雪、帰投します』
艦娘として目覚めてから初めての勝利、散々に自分達を苦しめていた相手と対等以上に戦えると言う事実。
それらに後ろ髪引かれているような態度を隠すことなく何度か振り返ってはいたが吹雪は中村の命令に従って大穴が開いた対深海棲艦用の防壁へと足を向けて海面を滑っていった。
でも、いくら言葉を尽くしたって相手に伝わるのは精々1/3だよね。
2019/1/4 一部表現の変更。内容に変更はありません。