今回はある日の鎮守府のお話。
あさっ♪
駆逐艦a「朝だぁ! 皆、朝から全開でいくわよ!」
駆逐艦a’「はい、お任せください! 艦隊全体に、総員起こしをかけてきます!」
重巡k「お願いだから・・・もうちょい寝かせてぇ・・・ホント、まじで・・・」
第四十話
走る、走る。
強く手を握った腕を振り足を大きくスライドさせて朝日が差し込み始めた廊下を駆ける。
淡い墨色の髪を振り乱して翔鶴型航空母艦二番艦を原型に持つ艦娘、瑞鶴はバタバタと上履きスリッパを突っかけた足で激しく足音を響かせ。
髪を整えていないどころか支給品である綿の寝間着姿のまま必死の形相で艦娘寮を駆け抜ける彼女の姿に廊下ですれ違った艦娘達が困惑に硬直して風のように走り去る空母艦娘を成す術無く見送る。
「間に合って、翔鶴ねぇっ! 今行くからっ!!」
丁度、通り過ぎた部屋の住人が廊下で上がった叫びに起こされて迷惑そうに眉を顰めながら枕元の時計を確認して総員起こしがまだだと確認してから二度寝を決め込む。
傍迷惑な空母艦娘の疾走は廊下から上り階段へと向かい、手すりを乱暴に叩きながら十二の段差を二回の跳躍で踊り場に着地し、更に片足を軸に身体を反転させて次の階段へと床を蹴りそのまま勢いを乗せて身体を上の階へと跳び上がらせる。
軍艦から艦娘として生まれ変わってから触れ合い言葉を交わした姉は一度瑞鶴の目の前で命を散らし消え、その姉の姿に絶望しながら彼女は突如現れた黒い渦へと飲み込まれて限定海域へと閉じ込められた。
地獄のような環境の中で姉を守れなかった事を悔い、せめて自分と同じ境遇の仲間達の助けにならなければと巨大な敵に挑むもその意気虚しく箱庭の主に呑まれて意識を失ってしまう。
そして、瑞鶴が次に目覚めたのは鎮守府のベッドの上であり、それから自分とは別の限定海域から助け出された翔鶴と再会する事になった。
その翔鶴は瑞鶴とは違い海で散った際に霊核に戻ってしまっていた為に再生する前の記憶を失っていたが、しかし、今度こそは守り切るのだと翔鶴と同じく五航戦を自負する瑞鶴は新たに決意する。
「そう決めたはずなのに! 生活がちょっと前よりも良くなった程度で油断するなんて、私の馬鹿ッ!!」
つい数分前まで眠りの中にいた瑞鶴は夢の中で自分の姉艦娘である翔鶴が
自分が見た夢が姉との精神的な共感によってもたらされたモノだと直感した瑞鶴は慌てる自分の騒がしさに同室の艦娘が起きて眠そうに目を擦る姿すら目に入らず着の身着のままで廊下へと飛び出して今に至る。
「翔鶴姉ぇっ!!」
艦娘寮の自室がある西棟から東棟の屋上まで数百mをオリンピック選手も脱帽するような速度で走り抜けた空母艦娘は頭上に見えた屋上の扉へと体当たりするように押し開いて光と風の中へと身体を投げ出す。
「あれ? 瑞鶴どうしたのそんな恰好で?」
「寝間着姿でそんな真似をするなんて、恥を知りなさい五航戦・・・」
とある理由から500キロ爆弾によって爆撃されても大丈夫と言う過剰に優れた耐久性を誇る特殊なカーボン樹脂によるコーティングが施された屋上へとヘッドスライディングで滑り込んだ瑞鶴は頭上から聞こえる驚きの声と呆れを滲ませる声に顔を上げる。
「しょ、翔鶴姉は!? 翔鶴姉は無事なのっ!?」
「は? 瑞鶴、貴女は何言ってるの? ・・・翔鶴、これってどう言う事?」
前髪を横一文字に揃えた艶黒のロングヘアを二つの白く細いリボンで飾る軽空母、紅白に金糸が煌びやかな衣装を身に着けた飛鷹が首元で紅い勾玉を揺らし、屋上に滑り込んできた瑞鶴の姿に首を傾げながら少し離れた場所で航空甲板を模した板を肩に付けようとしている白髪の美少女へと声を掛けた。
「あら? どうしたの瑞鶴? そんなに慌てて」
「翔鶴姉っ、その格好・・・まさか・・・」
瑞鶴と顔立ちは多少似通っているが気の強い瑞鶴と対照的におっとりとした雰囲気を感じる穏やかな少女であり、さらに透き通るような白い髪と肌のせいで薄幸さが際立ち常日頃からちゃんとご飯は食べてるのかと心配され周囲から気を掛けられている。
実際にはその細身を裏切る健啖家で日頃からしっかりと健康を維持している翔鶴型一番艦を原型に持つ艦娘は右肩に模造の飛行甲板を取り付けて紅白の弓道着の上にシの一文字が書かれた胸当ての調子を確かめ。
そうして鎮守府で製造された訓練用装備を整えていた翔鶴は艶めく白髪に映える額に巻いた紅い鉢巻の下で少し目尻に下がった目を瞬かせ屋上に這いつくばって震えている瑞鶴へと向ける。
「まさか翔鶴姉っ、本当に飛ぶ気なの!? ここから!?」
「え、ええ、そうよ? ・・・ああ、もしかして今日の事を秘密にしてたのを怒ってるのかしら、瑞鶴?」
「なんや翔鶴、瑞鶴に言うてへんかったん?」
屋上の柱に付けられた風向きを知らせる吹き流しの下で金属製のサンバイザーを頭に乗せたツインテールの軽空母、龍驤が頭の後ろで腕を組んだまま片眉を上げる。
「すみません、この子ったらただでさえ心配性なのに、私が飛行訓練するって言ったらきっと大騒ぎしてしまうと思ったんです・・・」
「現にそうなっているわね、中途半端な気遣いは邪魔になるだけよ」
「お騒がせして本当にすみません、皆さんにもご迷惑をおかけしてしまいました」
その場にいる空母艦娘達へと頭を下げる姉の姿にまるで自分が悪い事をした様な申し訳なさを感じながらも瑞鶴は立ち上がり口元をへの字にしてすぐ近くで冷たい雰囲気を放つ黒髪をサイドポニーに結った正規空母を睨み上げた。
「加賀さんっ! なんで皆揃って翔鶴姉にこんな危険な事をさせようとしてるのよ!!」
「彼女は貴女と違って規定以上の座学と演習の単位を修めたわ、次の訓練課程に移る事に何の問題があるのかしら?」
無感情な瞳を向けてくる加賀から未熟者と蔑むように見える視線を感じて反骨精神に唸った瑞鶴だが言われた事自体は正論であった為に肩をわなわなと震わせながらも何とか言葉を探す。
「こ、こんな所から飛んで怪我したらどうするのよ! 危ないじゃない! 他の空母の人だって同じ事して怪我したって聞いたわ!!」
ズイッと指を突き付けるように加賀へと向けて叫んだ瑞鶴の言葉に
「そりゃぁ、ちょっと前までは度胸試しみたいな感じでちょっち怪我ぐらいしたけどなぁ、今は司令部とか司令官達と一緒に考えた方法でやってるから危な無いで?」
その加賀の態度にそんな簡単な事も分からないのか、と言外に言われた気がして瑞鶴はますます肩を怒らせ柳眉を逆立て苛立ち、その二人の様子に苦笑を浮かべた龍驤が口を開く。
戦闘を目的に生み出された為か艦娘達は総じて痛みに対する耐性が強く、骨にヒビが入るような打撲ですらこの程度は大した事ではないと言い切る者達が大半を占め、一部には怪我の痛みを好むと言う意味不明な
そして、単純骨折ぐらいなら半日ほど治療装置に入れば治ってしまう事がそれに拍車を掛けて、彼女達にとってのちょっとの怪我のレベルがどこまでのモノなのかさっぱり分からないと言う疑問を多くの指揮官達が抱えている。
とは言え、管理者側としては無意味に負傷したり基地内施設を壊されるなどもっての外であり、度重なる墜落による鎮守府の修繕費増大などの関係から厳重注意を受けた空母達は新人空母の通過儀礼的な教育と言う悪い慣習となりかけていた紐無しバンジーじみた飛行訓練を是正される事となった。
だが、空母達曰く早いうちに自分の最大出力や上昇速度を把握しておかないと後で痛い目を見る事になると言う意見だけは頑として譲らず、その頑なさに司令部が折れる形で障害物が無い海への直線方向かつ飛行する本人にも十分な安全に配慮する事と言う条件の元に艦娘寮の屋上からの初フライトと言う常人にはちょっと理解し難い空母艦娘達
しかし、取り決めが成されてからそれなりに時間が経った現在でも月に一、二回は一航戦の赤青、もしくはとある装甲空母が鎮守府の屋根や壁、地面に穴ぼこを作っている事を考えるとその取り決めがしっかりと守られているかどうかは少々怪しい。
「っちゅうワケで、安全には気を付けとるからよっぽど運が悪くない限りは大丈夫や、心配せんでええよ」
「それの何処が心配ないのよ! おかしいでしょっ! 飛ぶだけなら海の上で良いじゃない!!」
「ああ、それかぁ・・・慣れてへん内はそっちの方が危ないんやけどなぁ・・・」
姉の無鉄砲を止める為に詰め寄ろうとしているパジャマ娘の前に立ちふさがった襟に勾玉をあしらった水干風上着の朱袖を振る小柄な空母が一通りの訓練内容を説明しながら何かを誤魔化す様な苦笑いを浮かべる。
「ふぅ・・・みっともないわね、素人みたいなことを・・・ぁぁ、ごめんなさいね、貴女がまだ素人だった事を忘れてたわ」
澄まし顔で見下すような視線を向けてくる加賀に対しての反抗心と我慢が限界に達して激高した瑞鶴は相手に詰め寄る。
「な、何ですってぇ!? 私が素人なんていくら何でもふざけんじゃっ!」
だが、加賀の弓掛を着けた二指が素早く墨髪が揺れる額に突きつけられ、それと同時に原型であった船の経歴から栄光ある五航戦を自負する瑞鶴は金縛りにあったようにその場に硬直してしまった。
「艦娘としての年ならっ、んぁっ!? え、えっ? あれ・・・?」
「とりあえず大人しく見ていなさい、これはまだ未熟な貴女にとっても新しい知識を学ぶには良い機会だわ」
「今度は未熟ってぇ、んぎっ、な、何これ・・・か、体がっ、な、何で・・・?」
まるで見えない糸で雁字搦めにされた様に体の自由を奪われた瑞鶴は加賀にポンッと軽く頭を撫でられたのを合図に、体の向きが自分の意志とは関係無しに姉が立つ方向へと向き直った事に驚愕して呻く。
「翔鶴、準備は出来た?」
「はい、大丈夫なはずです・・・変なところありませんよね?」
「ええ、大丈夫よ、気合入れていきなさい」
気を付けの姿勢で動けなくなった瑞鶴の前で翔鶴が自分の身に着けている装備の緩みが無いかを飛鷹に確認してもらい、そして、屋上の縁に設置されたプールの飛び込み台に似た板の上に立ち海からの向かい風で銀糸の様な白髪をふわりと舞い踊らせる。
背筋を真っ直ぐに伸ばし肩幅に足を開いた姿勢で背中の矢筒から一矢を抜き取って弓に番える翔鶴の表情は少し緊張しているようだが動作そのものは何度も練習を繰り返してきた事がうかがえる滑らかな動きだった。
「翔鶴姉・・・きれい・・・」
「そうやって大人しく見ていなさい、・・・大丈夫よ」
朝日に髪を輝かせながら風の中で弓を引く凛とした美しさを纏う姉の立ち姿に見惚れて黙り込んだ瑞鶴の肩を加賀が軽く叩く。
するとその弓掛を付けた指先で注意して見ないと分からない程に細い光糸がプツンと切れて瑞鶴の身体を解放した。
「さっき言うた通りに飛ばした矢に糸繋いだら障壁最大で目一杯に引っ張りや! 半端にしたら飛ぶどころか地面とキスする事になるで!」
「はいっ! 何から何までお世話になりました。 五航戦、翔鶴行きます!!」
弓の弦を引いていた翔鶴の指が離されバシュッと風を切る音と共に勢い良く早朝の空へと光を纏った矢が飛び出し、その機動が直線から旋回して艦娘寮の屋上を一周する。
そして、その霊力の光を散らして飛ぶ矢が目の前を通過したと同時に弓を矢筒と揃えて背中に背負った翔鶴は利き手を突き出して指先から霊力で編んだ糸を打ち出し10mほど離れた空中を飛ぶ矢に命中させ絡め取った。
「や、やった、翔鶴姉!」
空母艦娘としての能力故にある程度は放った矢を操作できるとは言え、それを行いながら霊力で作り出した糸を飛ばして細長い的に命中させる事は容易ではない。
少なくともその時点の瑞鶴はそう思っていたし、それを成功させた翔鶴自身も糸の先に繋がった矢が龍驤達の言っていた通りに跳躍の為の中継機として空中に固定された手応えに満足げな笑みを浮かべた。
「あっちゃ、やりおった」
「ふぅ・・・やっぱりそうなったわね」
そして、背後から聞こえた龍驤と加賀のどこか呆れの混じった呟きが翔鶴と瑞鶴の耳に届き、姉艦娘が先輩から言われた通りの手順を行ったはずなのに自分が何か拙い事でもやったのかと疑問符を頭に浮かべた瞬間、自らの原型だった翔鶴型空母の船首船尾をイメージさせる重厚な黒鉄のブーツの踵がガリガリと床を削る。
急に矢に霊力の糸を繋いでいる腕が凄まじい力で引っ張られ始めた事に驚いた翔鶴はとっさに腰を落として屋上に踏みとどまってしまう。
「うぁ、しかもそうするわけ?」
続いて飛鷹の呻きが聞こえた翔鶴だったが自分の行動の何が問題なのかを聞く暇もなく、光糸から伝わって来る激しい振動で上半身を振り回されそうな感覚と共に自分の弓掛から伸びる糸に引っ張られ、耳に痛い音を立てて靴がジャンプ台に二本の線を掻いて刻む。
「まぁ、何事も経験やねぇ・・・光糸を矢の真ん中に当てるとなぁ、ああなってまうねん」
「鏃に当てるのは問題外にしても、慣れれば回転軸を後から操作できるようにもなるんだけど、・・・まぁ、初めてじゃ仕方ないわねぇ」
呑気な調子で会話する軽空母の二人を背に翔鶴は驚愕に見開いた視線の先で光る矢が暴れゴマの様に乱回転する様子にやっと気付いた。
まるで初めからそうなる事が分かっていた様なセリフを吐く龍驤にそうなったら自分はどうなってしまうんですか、と声を上げたいが必死に踏ん張っている今の翔鶴にはその余裕が無い。
そして、恐慌状態一歩手前の翔鶴は自分を引っ張る力に耐えようと糸と繋がった手にもう一方の手を添えて腰を落として両足に力を入れる。
「しょ、翔鶴姉は大丈夫なの!?」
だが、そこまでやっても無情にスクリューを模した部品が張り出しているブーツの踵は床を削りながら屋上の縁へと滑り引っ張られ、今にも屋上から引き落とされそうなその姿に瑞鶴が姉の気持ちを代弁して周りに助けを求めるように叫ぶ。
「ダメね」
正体不明の現象に悪戦苦闘する姉の姿に焦り助けを求めて声を上げた瑞鶴へと常日頃から澄まし顔を張り付けている正規空母は無情な一言を端的に告げ。
「「ダメって、何が!?」」
早朝の屋上で翔鶴型姉妹の叫びがハモり、白髪を振り乱して後ろを振り向いた為に体勢が崩れ姉艦娘の脚が滑り、シの字が書かれた漆塗りの胸当てが硬い音を立ててジャンプ台の床にぶつかる。
「えっ、ぁ、ひっ・・・きゃあぁああっ!?」
「翔鶴ねぇえっ!?」
妹艦娘が目を見開いた先で床にうつ伏せた翔鶴の身体が勢い良く滑り出し、まるで発射台から飛び出すロケットを思わせる高速で艦娘寮の屋上から中空へと飛び出していく。
「ふぅ・・・瑞鶴、覚えておきなさい。機動ワイヤーは矢羽に繋がないと矢が無駄な回転を起こすのよ、あんな風に」
「オマケに途中で糸切るどころかわざわざ力んで中継と光糸に霊力溜めまくったからなぁ、あの子、相当回されるで」
「集中も出来て無いわ、中途半端に張った障壁のせいで重量が読めないわね。あの子、何処に飛んでくかしら?」
光り輝き乱回転する矢を中心に白い残像を幾つも作りながら耐G訓練じみた球体加速器と化した翔鶴が遠く近く聞こえる悲鳴を上げて縦横無尽に振り回される。
それを見ながらも何処か遠い目をしている三人の先輩空母の姿と現在進行形で発生している姉の危機の間で瑞鶴はただ忙しなく首を左右に振りながら指を咥えてオロオロとしている事しかできなかった。
「ひあぁあぁっ いゃーああぁっああぁぁーっ!!」
そして、一流の体操選手も真っ青な空中大回転を散々に体験した翔鶴の指から霊力の糸が途切れた事で遠心力を溜め込んだその身体が大きく弧を描きながら瑞鶴達の頭上を飛び越え、ドップラー効果を残しながら海の方向ではなく鎮守府の港湾施設へと銀の流星と化して飛んでいく。
「瑞鶴ーぅぅっ!!」
「うぁあああっ!? 翔鶴姉ぇぇえええっ!!」
早朝の屋上で翔鶴型航空母艦を原型に持つ姉妹の傍迷惑な悲鳴が鎮守府の空へと響き渡った。
・・・
阿賀野型軽巡洋艦姉妹の朝は早い。
まだ朝日が海から顔を出したばかりの時間に長女である阿賀野は寝床で伸びをして身体を軽く解し、艦娘酒保のお取り寄せカタログで注文し手に入れた淡いピンク色のネグリジェから阿賀野型に支給されている制服へと着替え。
そして、洗面所で顔を洗ってから部屋共用の化粧台で艶が自慢の髪をブラシで梳き、肌を磨くようにリキッドタイプの化粧水を顔や手に塗り広げてから暫し阿賀野は静かな朝の雰囲気に取り留めなく思いを馳せる。
「翔鶴姉ぇええっ! 無事でいてーっ!!」
突然に廊下から聞こえた激しい足音と絶叫に化粧台の前で物思いに耽り穏やかに目を閉じていた阿賀野は椅子の上でビクリと跳ねて後ろにひっくり返りそうになったが、すぐ近くで着替えを終えていた能代が素早くその背中を支えて姉を救う。
「阿賀野姉、大丈夫?」
「う、うん、能代ありがと・・・今の何だったんだろ、出撃時間を寝過ごしたのかな?」
能代に礼をしてから鏡台の前を譲った阿賀野はさっきの自分と同じように身支度を始めた赤毛の妹の髪を梳かしながらその長い髪を三つ編みに結っていく。
「でも、こんな時間に出撃があるなんて話聞いてないわよ? 緊急かしら?」
「緊急だったら全体放送があるでしょ?」
彼女達に身体には少し丈が短いように感じるセーラー服に袖を通して姉妹でお揃いの白手袋を口に咥えた矢矧が長めの横髪を揺らし、阿賀野と同じ艶のある黒髪を無造作に束ねて頭頂部でポニーテールに結ぶ。
「ああっ、もぉ、矢矧ったらちゃんと梳かしてからじゃないと絡まって髪が痛んじゃうでしょ」
「阿賀野姉はちょっと見た目に気を使い過ぎなのよ、それに私だってこれでもちゃんとトリートメントは欠かしてないわ」
「お風呂だけじゃダメだよ~、私達は女の子なんだから身嗜みには特に気を使わないといけないの! 矢矧だって可愛くないな~、って言われたくないでしょ?」
自論が女の子の常識であると力説する長女の言葉に憮然とした顔をした三女だったが何か思うところがあったらしく。
「可愛いとか可愛くないとか・・・私は気にしないわよ、それにそんな事を言う人じゃないわ」
「んふふ、私ぃ~、誰にとは言ってないよ?」
「・・・そういうの止めて、私の事はいいでしょっ、もうっ」
と、そんな事を言うが姉から顔を背けた後に矢矧はさりげなく自分用の事務机から化粧道具が入ったポーチを取り出してそそくさと小さな櫛で髪先を、コンパクトで目元を整え始める。
その様子に満足げに頷いた阿賀野は次女の三つ編みを更に弄ってアップスタイルへと纏めようとしていたが、それに気付いた能代本人にその手を止められた。
「ちょっ、阿賀野姉、アタシの髪で遊ばないでってばっ!」
「遊んでないよぉ、・・・ねぇ、能代たまには新しい髪型も試してみない?」
「髪型弄りたいなら自分の髪ですればいいでしょ?」
「能代と違って私のは結んでもすぐに解けちゃうんだもん、阿賀野も三つ編みとかシニョンとかしてみたいなぁ~」
艶が自慢ではあるが艶がありすぎる為か不思議と髪飾りやリボンなどが滑り落ちる自分の髪の毛先を指でいじりながら口を尖らせる阿賀野の姿に能代と矢矧が顔を見合わせて苦笑した。
実は矢矧の髪も同じような性質を持っており、彼女と同じ様にポニーテールにするだけなら阿賀野にもできるが妹とファッションが被るのは姉の矜持が許さないらしい。
そして、一通りの身支度を終えて後は総員起こしのラッパを待つだけとなった阿賀野は同じ部屋に住んでいる末っ子のベッドを覗き込み、可愛らしく緩んだ寝顔を浮かべてピュゥピュゥと妙な寝息を繰り返している阿賀野型四番艦の身体を揺する。
「酒匂ぁ、朝だよ~、起きる時間だよぉ~」
「ぴゃぁぅ・・・もうちょっとぉ・・・ぴぅ」
そんな風に後五分などと子供っぽくぐずる酒匂の様子を阿賀野がクスクスと微笑ましく眺めていたら横から伸びてきた白手袋がだらしなく緩んだ末っ子の頬を抓んでグニニと引っ張った。
「酒匂、しゃんとしなさい! 起きる時間よ!!」
「ぴふぃゃあっ!? いひゃ、ふぇっぇ!」
二人のやり取りを見つめながら頬に手を当て、阿賀野は今度から容赦の無い矢矧の目覚ましを自分も見習うべきだろうかと思案する。
そして、四姉妹の長女は近くで持ち物の確認をしている次女へと振り返って末っ子の教育方針の変更案を姉妹艦テレパシーに乗せて打診してみた。
その長女の視線の先にいる次女は姉妹共通の制服であるノースリーブで丈の短い臍がちらりと見える白地に紺のラインが入ったセーラー服、それに包まれた軽巡と侮れない豊かな胸の下で腕を組んでから少しだけ黙考した後に無言で首を横に振る。
「何? そんな顔して二人ともどうしたのよ?」
『別に何でも無いよ』
『ええ、何でもないわね』
寝起きの酒匂が身支度を始めた様子を確認してから振り返った矢矧は直接に頭の中に聞こえてくるような音にならない二人の姉の返事に眉を顰め。
「瑞鶴ーぅぅっ!!」
「二人ともこの距離で通信使う意味ってあるの?」
「うぁあああっ!? 翔鶴姉ぇぇえええっ!!」
「ん・・・? また何か言った?」
ドアに隔たれた廊下よりももっと遠くから微かに届いた悲痛な叫びに目を瞬かせて矢矧が首を傾げる。
が、今度は心当たりが無かった阿賀野は首を横に振り、そのすぐ近くでは能代に錨マークの入ったネクタイを上に乗せた阿賀野型の制服を差し出されて受け取る酒匂が少し眠そうに目を擦っていた。
「よ~し、ご飯食べたらすぐに提督さんの所に所属申請を出しに行っちゃうんだからぁ」
そんなこんなで朝の支度を終え、今日も良い日にするために一日お仕事をかんばろう、と阿賀野は期待とやる気に胸を膨らませ自室のドアを開ける。
「阿賀野姉、中村提督の事まだ諦めてなかったの・・・?」
「これで何回目だっけ? すぐに出戻るだけならまだしも司令部からの要請蹴ってまでやる事じゃないわよ」
「ぴぅ? 中村提督さん?」
背後で聞こえる妹達の溜め息や呆れ声を敢えて無視して阿賀野は颯爽と朝の廊下を歩き始めた。
何がとは言わないけれど反省してます。
いや、まぁ、自業自得なんですけどね。
(2021/11/14)