艦これ、始まるよ。   作:マサンナナイ

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TIME LIMIT(総攻撃開始まで)

 24時間50分 ・・・
 


第八十九話

 弥生の月も半ばを過ぎ日本の各地では桜の蕾が花開く時を今か今かと待ち望む早春の空。

 風が舞い踊る海上を飛ぶヘリの窓際に座り眺める先、空は青く澄み天高く輝く太陽が眼下の水面に立つ波を宝石の様に煌めかせている。

 

 人の体を得てから変わらず胸に宿る艦娘として深海棲艦から祖国を護る為に戦いへと挑む使命(決意)が静かに、それでいて燃え盛る炎の様に心の中で高まっていく。

 

 けれどその胸の内で騒めく抗い難い高揚感にはしゃぎ、持て余し、振り回されればまたあの日の様に私自身の拙いにも程がある失敗を繰り返して切なくも憂鬱な日々に再び戻る事になるのだろう。

 

 それを想像するだけで怖気に身震いしてしまう、だから私は二度とあの様な無様極まる失態を彼に見せるわけにはいかない。

 

 なにより栄誉ある金剛型戦艦の一人であると言うのに子供の様な失敗を繰り返す事となったなら私は親愛なる姉妹達にだけでなく敬愛する提督にすら合わせる顔が無くなってしまう。

 一時は水底に沈む貝になってしまいたいと願う程に反省していたと言うのに彼の事を考えるだけでドキリと痛みに似ているのに甘く感じる感覚が胸に走り、そこから広がった微熱が高揚感と綯い交ぜになってさらに私の心臓(ボイラー)に火をくべた。

 

 このまま待ち遠しい時間に一喜一憂していては傍目には上の空どころか我慢できずに癇癪を起すはしたない(・・・・・)戦艦娘なのだと同行者である仲間達に呆れられてしまう、そして、それが彼の耳に入ってしまったらと赤面どころではなすまないと思い直す。

 なので先程から揺らぎかけている忍耐の限界を察した私は胸中に秘めた溢れ出しそうな想いを同行者に悟られない為にもあえて全く別の事へと頭を働かせて隠す事にした。

 

 その為にも何か丁度良い黙考の話題はないだろうか、と私は海を照らす太陽の輝きに目を瞬かせ、そう言えばと声に出さず呟く。

 

 私がこの輸送ヘリに乗り込んだ時はまだ夜闇の中だったけれど今は外を見てわかる通りにもう朝日で見通しの良い空と海が広がっている。

 だから鎮守府港湾に集結した30人の指揮官とその指揮下にある百に達する艦娘達が夜明けと共に東京湾から進軍を開始して、今頃は比叡姉さまや霧島もその連合艦隊の一員として迫り来る姫級深海棲艦の予想進路に対する防衛線を海上で構築し始めているだろう。

 この大規模作戦が日本国首相の名によって許可され鎮守府の司令部から行動行程が発表されてからまだ二日も経っていないと言うのにここまで順調に事が進んでいるのは自衛隊が組織としては洗練されていると言う事でもある。

 

 そんな事を思い起こしてからかつて私の乗り手だった軍人達が今の状況へと立たされたならどうなっていただろうと不意に疑問が過り。

 大方は陸海両軍の不和から始まり、下は部隊間の情報の錯綜による暴走行為、上は政治家の真似事をして内部闘争を始めていたのではないだろうか、と荒唐無稽な(妙にリアルな)想像に辿り着いて我ながら馬鹿な事を考えたものだと思ってしまう。

 

 それはそうと、その大規模編成とも言える艦隊において艦娘の代表となる旗艦、すなわち連合艦隊旗艦にはかつて私達が鋼の船であった時代ではビッグセブンと称され世界に名を知らしめた戦艦である長門が立つ事となった。

 

 もちろん彼女が選ばれた理由は過去の勇名に肖ってというわけではない。

 

 史上初の限定海域の発見とその攻略作戦、まだ私が要塞型深海棲艦の箱庭に閉じ込められていた時に行われた防衛作戦では海上から特殊装備を使用して限定海域内から仲間達を全て助け出すという功績を立て。

 その翌年、日本海に大艦隊と共に出現した私と霧島が閉じ込められていた七日間を繰り返す箱庭に対する作戦では限定海域崩壊後に海上へと姿を現した領域の主にして私と仲間達を苦しめた悪夢の元凶である巨大な深海棲艦にとどめを刺し撃破するという戦果を上げた。

 

 その鬼の姫を戦艦長門が討ち取った際に彼女の指揮官として艦橋に居たのがあの彼であったのだと聞いた時に私はその大手柄が当然の事であると納得する。

 

 だからこそ過去の名声だけでなく現代に艦娘として目覚めてから彼女がその名に恥じぬ勲功を誇り、さらには世間に艦娘の存在を周知し民意の信を得ると言う重要な任務で東奔西走してきた事を知っているからこそ艦娘の代表として戦艦娘長門が栄誉ある役目を担う事に私は不満など無い。

 

 それどころか自己顕示欲の強い一部(やんちゃな娘達)を除いてほぼ全ての艦娘は口を揃えて長門以外に適任者は無いと言い切るだろう。

 

 もちろん私もかつては天皇陛下より菊の御紋を賜った戦艦の一隻であり、今作戦で長門が浴する事となった栄誉が羨ましくないとは言えず。

 

 丁度、所属していた艦隊から在籍期限によって切ない休暇に項垂れていたその日、司令部の要請で望まぬ指揮官の下、彼女に続く艦列に加わるだけの一人となっていたのであったなら自分は大丈夫なのだと自らに言い聞かせ大艦隊の中でなけなしの見栄を張っていた事だろう。

 

 ただその子供じみた他愛ない不満は心の内に秘めるだけ、間違ってもその言葉を口にするつもりはない。

 

「お~見えてきた、あれがさわゆき(・・・・)って言うんだよね? 思ってたより小さい子ね」

 

 いや、今の私にとってその様な虚勢など口にするどころか考える必要すらなかった。

 何故なら私は提督から請われた、彼の艦隊へと!

 本土防衛の為に結成された連合艦隊とは別行動を目的とする艦隊への参加を提督から求められたのだから!

 

「って、あそこにいるのって提督じゃない!? わぁっわぁ! 私の事迎えに出てきてくれてるんだ♪ きっとそう♪」

 

 不意に同じヘリに乗っている戦艦娘が他の艦娘を統率する立場にある大型艦種にそぐわない落ち着きの無さで座席から身を乗り出し、ガラス窓へと張り付いて上げた喜びの声で胸の奥で疼く高揚感にまた思考を引っ張られかけていた私は現実へと戻された。

 彼女のやけに大きい声で横目に見た窓の向こうには確かにきらめく海原で白波を立てて進む護衛艦の姿があったけれど、それはまだ遠く船のオモチャと言われても頷いてしまいそうな大きさにしか見えない。

 なのに、その船の上に自らの指揮官の姿があると言い切った同艦種の目の良さには驚き感心してしまう。

 

「伊勢さん、まだ立ってはいけません」

「え~、でも・・・ん、ぁっ、鳳翔さんも見てみなって提督の横に居るの多分、中村さんだと思うよっ!」

「そんな事を言ってシートベルトまで外して、船が見えたのだから着艦が近いという事なんでしょう? 危ないですよ」

 

 童女の様にはしゃいでいる伊勢へとやんわりと注意を呼び掛けた鳳翔、鎮守府で受けた改造(強化)による能力の変化に慣れるためのリハビリを終えた空母が苦笑を浮かべながら自分よりも背丈のある戦艦の肩を掴み、子供を座らせるように容易くそれでいて有無も言わせず座席に戻した。

 

「え、ふぇ・・・?」

「発着艦を甘く見れば痛いでは済まなくなりますからね?」

「は、はい・・・ごめんなさい」

 

 私が尊敬と親愛を捧げる金剛お姉様の気品とは違うタイプであるがその淑やかな気質を彼が好んでいると言う話を知ってから自分が見本とするべき艦娘(淑女)であると定めた鳳翔の底知れなさを改めて感じつつも先ほど伊勢が口にした中村という名にどうしようもなく胸が騒めく。

 もしかしたら先ほどの伊勢の様に窓に張り付いて目を凝らせば護衛艦さわゆきで私を待っている提督の御姿を見付ける事が出来るのだろうか、もしそうなら今すぐにでも一目でも、と彼を求めてそわそわと逸る気持ちが私の中で強くなっていく。

 

「あまりにも落ち着きがない様だったらまた(・・)艦隊から外されるわよ」

 

 チラチラと私から見て一番近い場所にある窓へと視線を向けていたその時、横手から掛けられた容赦の無い一言が胸に刺さりドクンッと心臓が跳ね上がり、見えない手で首を絞められた様に息が止まりかけた。

 自分で言うのも変だけれどヘリの窓へと顔を向ける動きは控えめだったはずなのにそれを悟られたのか、と慌てて姿勢を正した私は嫌な思い出をたった一言で引っ張り出してくれた鋭い声の主、隣の座席にいる軽巡の様子を窺うが彼女はこちらに視線一つ寄越さず澄まし顔で手元の資料へと眼を通している。

 

 長良型軽巡艦娘の五十鈴、鳳翔とほぼ同じ理由で出撃を禁じられ彼の艦隊から離脱したも同然となっていたと言うのに彼女は何故か今も彼の秘書艦として隊に在籍を許されている。

 そして、少し話しただけでも分かる非常に勝気で誰が相手だろうと物怖じしない性格と不正を許さずキッパリと白黒を断じる言動によって他人だけでなく姉妹艦からすら職務に熱心かつ口やかましい艦娘と言われている。

 そんな芯が一本通ったしっかり者なのに私の提督が鎮守府に着任した年に艦娘として目覚めて以来ずっと五十鈴は部下にすら遊び人と揶揄される程に不真面目な士官である彼の艦隊の一員であり続けていた。

 

 さらに私にとって重要なのは鎮守府に流れている風の噂、五十鈴は私の提督から厚い信頼を受ける優秀な部下であるだけでなく個人的には指揮官と逢引き(デート)までする親密な関係を築いているらしいと言う話。

 霧島が長良型の阿武隈から聞いたというその話がもし事実であるなら羨ましいとか妬ましいどころの話ではない、私と提督の将来にとって影を落としかねないゆゆしき問題なのだ。

 

「何、五十鈴の顔に何か付いてるの?」

 

 それの真偽を確かめ彼女と彼の関係の進展を防ぐ為にも何とか折を見て彼女とお話しする必要がある。

 さらに出来るならばその際には五十鈴の何に彼が惹かれたのかを分析し、彼と親密になる心得(コツ)を手に入れねばならない。

 

 いえ、それとも戦艦が軽巡に頭を下げると言うのは少々癪であるけれど彼女に頼み込んで彼との関係を取り持ってもらう約束を取り付けるべきかしら?

 

 いや、むしろそちらの方が頭が良い考えかもしれない。

 

 良く考えれば序列などは後から実力で追い抜かせば良い。

 幸い戦艦である私が本当の実力を提督に知って戴ければ彼から高評価を得るのは確実なのだから。

 つまり何をおいても私がスタートラインに立つ事を優先した方が良いと言う事。

 

「い、いえ、大丈夫、榛名は大丈夫です、・・・ところで五十鈴」

 

 まずは意図を悟られぬように何気ない会話から・・・。

 

「・・・提督の事なら他を当たってくれる?」

 

 ま、まさかこちらの思惑がたった一言で読まれたと言うの!?

 

 五十鈴の恐るべき洞察力に愛想笑いの裏側で絶妙な角度で急所を打ち抜かれたかのような精神的な衝撃に襲われた私は心の底から動揺し狼狽え、着艦に備えて高度を下げた事で揺れが少し強くなってきたヘリの座席にあって微動だに出来ず彫像の様に硬直する。

 

「まっ、私がどうこうってよりも、榛名さんにとってはあの子の方が問題だろうれけど」

 

 五十鈴が手に持っていた書類を閉じて溜め息交じりに何かを呟いたがそれを正確に聞き取る事は軽巡の放った先制口撃によって思考に風穴を開けられてしまっていた私には不可能だった。

 

 後日、知った話なのだけれど私が彼に近づいたり彼の事を考えている時に喋るとほぼ必ず言葉の中に「自分の名前」と「大丈夫」というフレーズを付け加えてしまう癖の様なものがあり、それは私が気付いていなかっただけで仲間(艦娘)内では有名な話だったらしい。

 でも、それさえ出なければ提督とも穏やかにお話が出来るようになる、と後に五十鈴からアドバイスを受ける事となり、手厳しい口調の軽巡が実は世話焼きで人付き合いの良い艦娘である事に私は感謝する事になる。

 

『これより当機は護衛艦さわゆきへの着艦に入ります、艦娘さん達は座席から立たないでください』

 

 どれほど呆然としていたのか機内に響いたパイロットからのアナウンスに正気を取り戻した私は目を瞬かせて窓の向こうに見えた護衛艦の近代的な艦橋に自分達の乗っているヘリがついに目的地へと到着したのだと理解し。

 機体を揺らす振動を合図に空から降りてきたヘリがさわゆきの甲板で車輪を軋ませ、機体の隔たりの向こうに感じる不思議な暖かさに私を惹き付けて止まない提督()がすぐそこに居るのだと体や頭よりも先に心で確信する。

 

「提督! 超弩級伊勢型の一番艦伊勢。 お呼びに預かりただいま参上よ!」

 

 外で待っていたらしい護衛艦の乗組員によって輸送ヘリのドアが開かれたと同時にリードを離された犬の様に飛び出した伊勢が逆光で眩しいヘリポートを走り、少し遠くに見える士官服の青年の前で嬉々とした声を上げ後ろ頭で結われた黒髪とベージュのスカートを海風にはためかせる。

 そんな我慢の出来ない戦艦娘の姿に苦笑しながら機内に吹き込んでくる潮風で乱された前髪を手で押さえている鳳翔が後ろの私達や操縦席に居るパイロットへと丁寧に目礼して機内から降りていった。

 

「それじゃ私から先に行くわよ」

「ええ、どうぞ」

 

 先ほどの書類を手持ちカバンに仕舞った五十鈴が座席から立ち上がり肩越しに私を振り向き、平常心である事を心掛け努めている私の姿に少し意外そうな顔をしてからその調子よ、と励ましの言葉を残してヘリから降り。

 

「そう言えば・・・神威(かもい)さん?」

「へっ、はい、何でしょうか? 神威に御用ですか? ご安心ください、榛名さん大事な装備はきちんと私が運びます」

「いえ、降りるのを手伝いましょうか、と」

 

 輸送ヘリの後部ハッチの方へと顔を向けると背中にその体よりも大きな長方形のコンテナを背負う全体的に白い印象を受ける輸送艦娘、神威さんが背中の荷物にもたれて座席ではなく床に敷かれたマットレスにペタンと座っていた。

 

イヤイライケレ(ありがとう)、でも神威はそちらからは出れませんから後ろの方を開けてもらうまで待ちます」

「いやい? ・・・輸送艦って大変なのね」

「いえいえ、これが神威のお仕事です♪」 

 

 彼女の輸送艦としての能力を使って小さくしてですら輸送ヘリの後部を占有する大荷物、それを涼しい顔で背負いながら機内に運び込んできた神威の膂力には畏敬の念を感じずにはいられない。

 さらに言うならその荷物の中身がこれから始まる私の提督が立案した作戦に必要不可欠な装備であると言うのだから心の底から頭の下がる思いだった。

 そんな感謝を込めて静かに輸送艦へと小さくお辞儀して、図らずも私は彼女の深い紺色の袖と分離した白い貫頭衣の様な服の側面から覗く白い肌を間近で確認する事になり。

 

 次の瞬間、大胆に肌色の丸みが零れそうな服装を無防備に見せつけてくる神威が私の提督に近づけてはいけない危険な艦娘であると確信した。

 

「っ! いけない、そんな雑事に気を取られるなんて・・・こんな事では提督に申し訳が」

「榛名さん、どうかされましたか?」

「いえ、なんでもありません、ええ、榛名は大丈夫ですっ!」

 

 非の無い相手に一方的なレッテル張りをしようなどと誇りある金剛型戦艦のするべき事ではない、そう誰かに諌められた気がして頭を振って提督の前に持っていくには相応しくない雑念を追い出した私は顔を上げて輸送ヘリから足を踏み出した。

 

 そして、一歩、日の下に踏み出しただけで海を進む船が作り出す風で髪が踊り、ヘリの中では気にならなかった護衛艦側の作業音や乗員達の声が聞こえ、その活気のある雰囲気の中で私よりも先にヘリから降りた戦艦娘の伊勢が少しナヨッとした青年士官の前で嬉しそうに何事かを話している。

 

 けれどそんな二人の姿に目が行ったのは一瞬だけですぐに私は見えない糸に導かれる様に()の姿を見付けて自然と足がそちらへと向いた。

 見た目だけなら士官服だけが小綺麗なだけで軍人としての士気を感じない青年、私の提督(・・・・)は隣に寄り添いながら微笑む鳳翔に見守られその反対側で肩を怒らせて手に持ったカバンを叩き何事かで声を荒げている五十鈴に詰め寄られて頭を掻いている。

 

「だから、ちゃんと聞きなさい!」

「あのなぁ、無理な手続きを頼んだのは悪いと思ってるが、こっちも事情がだな・・・いや、ちょっと待て、五十鈴」

 

 不満そうに口を尖らせまだ文句が言い足りないという顔ではあったけれど提督に手で制止された軽巡艦娘は黒く長いツインテールを翻して私を振り返ってから小さく肩を竦め彼の一歩後ろへと控える様に下がり、いつの間にか同じ様に彼の斜め後ろへ移動していた空母艦娘と並んで背筋を伸ばし二人の艦娘が姿勢を整えた。

 

「良く来てくれたな、俺は君を待っていた」

 

 その優しくかけられた彼の言葉に少し前の私ならば歓喜と共に青空へと祝砲を打ち上げていたかもしれない。

 だけど、この激情に押し流される幼稚な戦艦などは彼の隣に相応しくないのだと必死に勇み立つ心を律し、ブーツのヒールを鳴らし足を揃え、風に袖をはためかせながら脇を絞め、まっすぐに立てた右の手を自らの額に向ける。

 

「高速戦艦、榛名、これより貴艦隊に着任します。 提督、よろしくお願い致します!」

「これから始まる作戦が成功するかしないかは君に掛かっている、いきなりで悪いが俺と修羅場に付き合ってもらうぞ、榛名」

 

 嗚呼、何と、男子三日会わざれば刮目して見よ、とは正しくこう言う事なのか。

 

 金剛お姉様のアドバイスに従い何度も鏡の前で「私は大丈夫」だと自己暗示を繰り返し、比叡姉様のとても辛いカレーを顔色を変える事もなく完食出来るようになり、霧島に手伝ってもらってイメージトレーニングまでして鍛えた精神力を総動員していたと言うのに彼が見せた凛々しい表情とその内側で張り詰めた意気に目を奪われる。

 

 彼の目に宿っていた負けられない戦いに挑もうとする戦士としての強い意志が見つめ合う私の中へと逃れられない感動の波となって押し寄せてきた。

 

「ええ、・・・望むところです、提督。 この榛名にお任せください!」

 

 お姉様、今の私の顔、おかしな事になっていませんよね・・・?

 

・・・

 

 前後左右だけでなく上下からも吹きすさぶ激しい風に風速計が暴れる様に数値を混乱させる中、海面から見て標高7000mを超えた地点、そそり立つ崖に手を掛けて16mの身体を持った軽巡艦娘が黙々と絶壁を登攀している。

 岩だけでなく砂や泥の塊が入り混じり一部には何かの残骸を押し潰した様な鉄塊まで見える壁はその気が遠くなりそうな程の高さに比べて壁面にある無数の凹凸のおかげで彼女は掴み登る足場に不自由する事はなかった。

 

『神通、あと少し・・・次は、左斜め上3mに』

『休息が必要なら早めに言え、朝潮も回復している、それに・・・戦闘形態を解除して休む場所にも困らなそうだ』

 

 顎から伝い落ちて光に解ける汗を拭く手間も惜しむ神通はしかし、自分の内側から聞こえた声に微笑みを浮かべ、命綱無しで高層ビルの頂上を目指しているとでも言うべき状況に怯む事無く黒いロンググローブで次の支点へを握る。

 

《ご心配していただいてありがとうございます、ですがまだ問題ありません》

『こんな冗談みたいな崖登り、いくら神通さんでも辛いんじゃない?』

垂直登攀(クライミング)は鎮守府でも嗜んでいました、なので、自分がどの程度までやれるかは把握しています》

 

 限定海域から救出された神通が今までの遅れを取り戻そうと湾内の模擬戦ばかりにのめり込んでいた時期に彼女を心配した姉妹艦から趣味となる選択授業を探してみてはとアドバイスを受けて挑戦した幾つかの中、なぜそんなカリキュラムが存在しているのかは不明だがロープ一本を頼りの懸垂降下や手足のみが頼りの登攀技術の授業(修練)は神通の気質に合っていたのかその訓練の成果によって川内型軽巡洋艦の次女は落下すれば戦闘形態ですら大怪我を免れない高さを順調に登っていく。

 

『それにしてもこんなにも高い場所まで来たと言うのに温度も気圧も変化無しか、常識も何もあったものじゃないな』

『そのおかげで助かっている身としては皮肉な話ですね』

 

 いくら優れた身体能力を持っていようと、体を防寒と耐熱に優れた不可視の障壁で覆える超能力があったとしても十分な物資も装備も無く無計画にヒマラヤ山脈に挑戦すれば人数分の死体が出来上がる。

 

 幸か不幸か、その本来なら人間には到底覆しようがない常識と法則が今の彼らが閉じ込められている空間には適用されていないらしく、十数mに巨大化した強靭な身体があるとは言え慎重に麓から歩を進めてきた神通達は夜を明かした野営地から見上げた時よりも近く頭上に広がる白灰色の天井とそこへ向かって聳え立つ山の頂上を見る。

 

 その奇妙な登山の途中で立ち塞がった数百m大岩壁に神通が挑んでから少なくない時間が過ぎ、天井から届く光が徐々に弱くなり三日目の夜が近づいてくる気配で軽巡艦娘の額に汗が浮かぶ。

 自分達にどの程度の時間が残されているのか、それは限定海域の主である深海棲艦の胸三寸で決まってしまうのだとかつて閉じ込められた終わらない夜の中で黒い海に追い詰められた経験が疲れをわずかに滲ませる神通に多少の無理(やせ我慢)を選択させる。

 

『羅針盤はこの上にある何かに反応している、あと少しだが油断はするな』

『ねぇ、司令、結局その反応ってなんの反応なの?』

『分からん、だが少なくとも危険な物を感知した時の反応ではない、はずだ・・・』

 

 慎重であるが故に確かな技術力を見せる神通のロッククライミング、無数に突き出た岩や黒鉄の塊のおかげで足場に不自由は無くとも下を見れば命の危機を感じる高さの恐怖を誤魔化す為かいつもより口数が多い指揮官とそれに同調している仲間の声を聴きつつ神通は黙々と頂上を目指す。

 そんな彼女へと危機を鋭敏に察知する第六感と艦橋に置かれている食料や医療品など物資の消費が自分達に残されている時間が少ない事を知らせ、だからこそ神通はこの程度の疲労で休憩をとり徒に時間を使うよりも目の前の試練を迅速に登り切らねばならないと考える。

 

『そう言えば途中にあった小さな反応は汚染されていない潮溜まりとお魚でしたよね』

『その羅針盤って一体どう言う仕掛けで動いてるんでしょうか』

 

 いくら全員が並んで寝れるスペースがある場所もちらほらと見えるとは言えこんな壁面に突き出した岩の上でキャンプするなど、肉を切らせて骨を断つを文字通りやってのける戦いぶりから恐れ知らずと言われる事もある神通であっても遠慮したいと真摯に願う事でもあった。

 

『まさか山の上で、魚釣りする事になるとは思ってなかったわよね、司令』

『お前は寝ていただけだろうに、さて・・・やっと頂上か』

 

 山の中腹にいくつかあった潮だまりとそこに取り残されていた魚を話題にする仲間の和やかな会話に励まされながら何とか神通は崖の頂上へと辿り着いて手を掛け。

 

『何があるか分からない、神通はまず状況確認を優先、朝潮はもしもの時の緊急回避に備えておけ、・・・敵が待ち構えていた場合にはここを飛び降りる事になるかもしれない』

 

《『了解しました』》

 

 そして、艦橋でレーダーによる観測を担当している駆逐艦と声を合わせて神通は指揮官の言う通り慎重に崖の淵から顔を半分ほど出してその上を覗き見て、山の上だと言うのに広く開けた台地と言って良い場所の一角へと視線が向いた瞬間に驚きと共に目を見開いた。

 

『熱源及び動態反応ありません、司令、あれらは全部・・・死んでます』

 

 崖の頂上にあったのは岩石が無数に転がる荒涼とした高山の広場、その周囲には歪な深海棲艦の残骸がまるで食い散らかされたかの様に打ち捨てられている。

 長時間の運動による疲労で震え始めた腕と足に力を振り絞らせて這う様に台地へと身体を持ち上げて崖を登り切った神通は周囲に目を配りながら自分の艦橋で羅針盤が針を向ける場所へと歩き出す。

 

《・・・この機械、鎮守府研究室のマークが描かれていますね》

『確か、霊力力場からエネルギーを得て機能するとか言う新型の発信機だったか?』

 

 そして、羅針盤の指すその場所まで辿り着きそれを見下ろす神通の目の前には地面に半分ほど埋まった黒い円筒がその一部を断続的に発光させていた。

 

『潜水哨戒任務の時に戦艦レ級に使用されたモノですよね・・・それ』

『周りに散らばってる死骸も、いったい・・・何があったらこんな事になるのよ』

 

 確かに艦橋からの知らせの通り敵は存在していなかったが同時に脱出の手がかりを求めてここまで少なくない時間と労力をかけて仲間達と励まし合って険しい山を登ってきた神通は崖の上にあった発信機、新種の深海棲艦を捕捉する偵察任務に参加していた伊168が戦艦レ級へと仕掛けたそれを前にして言い様の無い徒労感に肩と眉を下げた。

 




 
TIME LIMIT(脱出可能限界まで)

 ・・・  18時間13分

時計の針は止まらない。
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