私はそんな彼女が好きだった。
男女分け隔て無く平等に厳格で、良い意味でプライドが高く、前と上だけを見ながら王道を闊歩していく。頂では飽き足らず、その更に先を見据えては新たな道を作る人。
女尊男卑という馬鹿げた風潮が蔓延するまでもなく、あの人は世の女性が目指すべき女帝として完成されていた。
私は母を尊敬していたし、亡き今もその思いは変わらない。現に私自身も、一つの頂を目指しているのだから。
だがそれは母を模倣している訳ではなく、淀み無き私の意志だ。血は争えない、とでも言えば良いのだろうか。
母に抱く、今も昔も変わらない“好き”。彼女を思い浮かべる度、憧れ、誇り、そんな明るい言葉ばかりが脳内に羅列される。
なのに私は、母を「愛して」はいなかった様に思う。目指すべき偶像ではあったが、それとは別に私が求めているものを母は与えてくれなかった。子供が母親に対して抱く、当たり前なソレを。
寧ろ私は、母よりも父を愛していた様に思う。
誰の前でも腰が低く、何に対しても臆病で、母とは対照的な酷く情けない人だった。私も決して好きではなかったし、いつもそんな父を反面教師としていた。
それでも父は、父親として私に接してくれた。親が子に与えるべき愛を、弱腰な父なりに懸命に注いでくれた。
だから私も、嫌いなりに父を愛せた。本来なら母が与えるべきものを、代わりに担ってくれたから。
だが、終ぞ私の心が満たされる日は来なかった。
父がどんなに優しく抱き締めてくれようと、子守歌を歌ってくれようと、手を握ってくれようと、頭を撫でてくれようと、どうしても何かが欠けたままだった。
そして私は悟った。父がどれだけ私に愛情の光を当てようと、父は父であり、母にはなれないのだと。
母の愛が欲しかった。私を優しく包んでは、誰にも代わりなんて務まらない温かみを与え続けてくれる、母の愛が。
そうして2人が亡くなり、私は日に日に大人へと近付いていった。母の愛を知らないまま。
愛を知らず大人になる、というのは少し語弊があるかと思う。
愛に飢えている自覚が無いまま、心と身体だけ大人になる、というのが真に正しい表現だ。
IS学園入学初日、私はそんな自分ですら気付かない飢えと渇きを抱えたまま、1年1組の教室へと足を踏み入れた。
─────銀の福音討伐チーム 出撃直前
ヴーーーッ ヴーーーッ
地下施設にて待機している本音の液晶携帯が、彼女の手元で震える。
その液晶に表示された名前を見て、彼女は迷い無く通話ボタンを押す。何かあったのだろうかと、心配で震えそうになる声を気丈にも抑えながら。
「ハ~イ!どしたのセッシー?」
《本音!……今宜しかったでしょうか?》
セシリアは気色溢れる声で本音の名を呼んだ後、申し訳無さそうに声のトーンを下げる。
「全然問題無いよ~」
《そ、そうですか。貴女も含めて、皆さん大事無いでしょうか?体調を崩されてる方は…》
「今の所「ウゲェェ」ってなってる人は居ないかな~」
《それは…何よりですわ》
セシリアらしくもない、どうにも長い前置きだ。心配してくれてるのは本音も嬉しいが、そんな事を訊く為に態々連絡を寄越した訳でもなかろう。
余程言い辛い用件なのか、それとも何を話すべきか纏まってないのか。
「…セッシー大丈夫~?」
考えても仕方が無いので、本音はそう問い掛けた。
《…》
返ってきたのは沈黙だった。大丈夫じゃないのか、答える気が無いのか、本音はそんな結論を出さずにセシリアの返答をただ待った。
セシリアから声が返ってきたのは、数秒の間を置いてからだった。
《大丈夫、怖くはありませんわ。ただ…出撃前に貴女の声が聞きたくて》
話し相手なら周りに仲間が居るだろうに、何故態々自身の声を。
等と、そんな細かき理由を本音は訊かない。これから命のやり取りをする場へ赴く人間に、態々問うべき話でもない。
「そっか~」
だからそうとだけ返した。
他ならぬセシリアが、自身の声を頼っている。本音にとってはそれだけで良かった。
そして、声を聞きたいのなら時間が許す限り話すべきだろう事も、本音は分かっていた。
恐らくだが、怖くないというのは嘘だ、声の調子と間の空き方で分かる。実戦経験が無いのは勿論、セシリアは本音と同様子供なのだから。
だのにそう言わないのは、本音に無用な心配を与えたくないからだ。
故に本音は、続けて掛ける声を決めた。
「セッシー、あんまり無理しなくていいからね?人間、やれることしかやれないものだから……」
自分と話す時くらい気を抜いて欲しいと、戦闘中に逃げたければ逃げても良いと、それらを込めて放った言葉だった。
《…》
返ってきたのは、またしても沈黙。
通話越しに揺れる無言の息遣いは先程よりも長く、地上と地下に別れた2人の間を支配した。
《…………ありがとうございます。…では、失礼致しますわ。お時間を取らせてしまいましたわね》
「……ううん」
そこで、2人の通話は途切れた。
放心気味に青空を仰ぎ見ながらセシリアは、そのまま用済みとばかりに己の液晶携帯を今立っている砂浜へ投げ捨てる。
セシリアは失敗したのだ。
恐怖を少しでも排するべく本音の声を耳へ入れたのに、寧ろ恐怖は益々の増大を見せてしまった。
セシリアは、怖くてどうしようも無かった。あの布仏本音と、二度と会えなくなってしまう事が。あの───
「大丈夫か?」
だが、そんな低く憎らしい声のお陰で、セシリアは辛うじて気持ちを切り替えれた。まるで意地が恐怖を塗り潰していく様に。
どうやら、余程彼女の様子は普段と掛け離れていたらしい。
「大丈夫でなければ、今此処にこうして立ってはいませんわ」
瞼を閉じながら、昭弘にそう返答するセシリア。
すると言葉の後、瞼を開けては隣の昭弘を睨む。今度こそ大丈夫だと、目指すべきモノの為に頭も心も不動となったと、そう示す様に。
「負けませんわよ」
「競走じゃねぇんだぞ」
「その位の心持ちで結構でしょう?やる事に変わりは無くってよ」
確かにと、昭弘は小さく笑った。
しかし昭弘は、元の真顔へと直ちに戻る。
セシリアは大丈夫と言ったが、あんなにもらしくない呆然としたセシリアを見た後だ。気にならない、という訳にも行かない。
何故通話の後、あんな表情をしていたのか。
昭弘の思い過ごしかもしれない。それでも、彼の妙に考え過ぎる性がそれを許さなかった。
セシリアは、本当は“何”に負けないつもりなのか。どうしても、そう思わずには居られなかった。
─────現在
成層圏から見下ろした紺青を、水面から見上げた天色を、二色の膨大な弾幕が雲の代わりとなって彩る。一つは黄緑色の光線、もう一つは水色を帯びた白き球体。
鋼鉄ですらないそれらエネルギーは、実弾では有り得ない音を奏でては、大空に異様なる色を残していく。まるで青の色紙に絵具でも零したみたく幻惑的なその様は、ここが戦場である事をも忘れさせる。
空間そのものを満たさんばかりに全方位から発射される、黄緑色の光線。それら8機の
蒼き流星と化しているブルー・ティアーズただ一点に、弾幕の全てを流し込むは2機の音檄。
中・遠距離重視の高火力高機動タイプ。端的な言葉で表せば似たもの同士だ。
だが両陣営の戦局は、片方に大きく傾いていた。
(これ程とは……ッ!)
もう出尽くしたと錯覚する程、冷えた汗を流すセシリア。
第三世代機をも凌駕する音檄、それを2機同時に相手取るという無謀と解っていながらも、セシリアはこの采配を快諾した。
他ならぬセシリアにしか出来ない事だと、そう千冬から皆から言われてしまえば当然彼女も引き受ける。自惚れ故ではない、仲間と彼女自身の為だ。
そんな千冬への返答を今、セシリアは後悔しそうになっていた。
開幕から音檄Aに狙いを絞ったセシリアは、MT8機とセシリア自身の計9方向から敵の片割れを囲んでいた。もう片方(音檄B)に追い回されようと、構う事無く。
その一見正しい判断が、今回に限っては誤りであった。
ずば抜けた回避力を持つセシリアとブルー・ティアーズだが、驚異的推進力を主軸とした音檄の空中機動からは逃げ切れない。その上、別の目標に意識を集中させながらとなると、どれだけ躱そうとしてもどこかで光弾がボディを掠る。
その問題に拍車を掛けたのが、集中砲火の的としていたもう一機の音檄Aであった。奴は自身を囲うMTに反撃するどころか、絶えずブルー・ティアーズへ光弾を吐き続けているのだ。間の無き光線を、全て避けてみせながら。
セシリアは、二方向からの弾幕に挟まれてしまったのだ。流石にこうまでなっては、ブルー・ティアーズの機動力で全弾躱し切るのは不可能。
極めつけには、阿吽の呼吸とも言える二方向弾幕の凄まじさ。追い撃つ音檄B、逃げるブルー・ティアーズの横方向から並び撃つ音檄A。後ろと横、互いの射線上から外れている音檄AとB、それらが放つ弾幕はブルー・ティアーズの位置で奇麗に重なっていた。
セシリアがそれとは別に危惧していたのは、ブルー・ティアーズのエネルギー消費量であった。
MTが放つ強烈なビームは、必然としてその分膨大な源を食らう。故に短期決着を望んでいたセシリアであったが、光の塊は音檄にまるで届かず。9機で1機を囲んでいるのに、だ。スターライトMkⅢのレーザーすら当たらない。
ただでさえ高度な操縦技術が必要となるISに乗っての戦闘、それと同時にこれまでとは次元の違う巨大な物体を8機も操作しているのだ。その状態で「素速く動く物体」を「狙い」「撃つ」ともなれば、もうそれ以上の事は出来ない。「相手の軌道先を読んで撃つ」といった偏差射撃にまで、容量が回らないのだ。
よって、当たらない。どれだけ弾幕を張っても、狙えば狙う程に光線は音檄の残像を貫くばかりだ。
そんな当然の事、言われるまでもなく想定して訓練を積んできたセシリア。だのにこの技量不足。
だが果たして、本当に技量の問題なのだろうか。
(頭が痛い…重い…!)
苦痛と苛立ちで、バイザーから下の顔を歪めるセシリア。
それでも全ての歯を見せては顎を噛み締め、黙々と耐える。仲間を想っての事だが、それ以上の意地が彼女にはある。
頂きに立つ。それを成すスタートラインである昭弘を超える為にも、彼女はここで負ける訳にはいかない。何よりここで無様を晒せば、彼女の大切な人も悲しむ。
どれだけ苦しい状況だろうと、それら全てを彼女は決して頭から離さない。
兎も角、このままではブルー・ティアーズのエネルギーが無駄に減少するのみ。一度戦法を変えるしかない。
時間を掛けるまでもなくその結論に至ったセシリアは、重く痛む頭脳を懸命に回す。
(ならばMTで「狙う」のではなく、「撃つ」事で敵の軌道を絞る)
アレだけ練習したセシリアとしては不本意の極みだが、MTの攻撃が当たらない以上その戦法に務めるしかない。現状命中する可能性があるのは、スターライトmkⅢだけだ。
MTを全機戻して固定砲台として使う手もあるが、そうなれば間違いなく纏めてMTも墜とされる。敵はブルー・ティアーズ一機にご執心なのだから。
そしてMTの配分だ。現状8機+ブルー・ティアーズで音檄Aを囲んでいるが、当てる必要が無いのならこれだけのMTは過剰だ。
戦闘開始から1分半。脳が判断したセシリアの次なる行動は、コレだ。
ビキン ビキキン
脳の指令により、変化を見せる8機のMT。そのまま射撃を続ける5機に対し、離れていく他3機の行き先は音檄Bだ。
セシリアと5機が音檄Aを追い詰める間、3機のMTが迫る音檄Bの足止めを行う。弾幕を止められずとも、距離が広がれば被弾率も大幅に下がる。
これがごく短い時間で、セシリアが下せた最良の判断だった。
それぞれ異なる光の模様を描く、5機と3機のMT群。
5機はまるで音檄Aの為に道を用意するが如く、後方から追い立ててはビームのガードレールを放つ。その間、3機は音檄Bの軌道先を塞ぐ様にビームを放ち、光の壁を作る。
セシリアの狙い通り、音檄たちはそれらを律儀に避けていく。一発でも当たれば大ダメージ必至である以上、そうしざるを得ない。
これら全てへの指令を、セシリアは2機分の光弾ラッシュを避けながら行っていた。突撃ではなく後退を主軸として立ち回る事で、どうにかそれが可能となっていた。アサルトモードでも、有効射程ならマルチスラスターや光弾ガンよりスターライトに分がある。
「そこッ」
デュデュデュデュデュデュゥン!!
そうして放った、本命のフルオートレーザー射撃。それらは吸い込まれる様に、音檄Aの進路先へ到達する。
何発かは腕部と翼を掠めるが、多くは外れてしまった。どんなに軌道を限定しようと、常にマルチスラスターと小スラスターで小刻みに震える様な機動を見せる音檄は、やはりそう易々とは当てられない。
尚も掃射を継続するセシリア。
この時、彼女は更なる判断を迫られていた。それはミサイルをどのタイミングで使うかだ。
本来なら開幕から使い、MTとミサイルによる飽和攻撃で一気に決める手もあった。だが、音檄には高い掃射能力を持つ翼角光弾ガンがある。ミサイルを全弾放てば撃ち墜とされて終わり、かと言ってミサイルを小出しにすれば早い段階から敵に対応されるだろう。
結局そういった危惧や、情報を与えたくないという心理が重なり、ここまでミサイルを温存してしまった訳だ。
(何とも相性の悪い…)
焦りに、冷静な思考を侵食されそうになるセシリア。こうして避けながら撃ち続けている間も、エネルギー残量はどんどん底へと近付いていく。
この戦法を継続すれば音檄Aは墜とせるかもしれないが、残った音檄Bを相手取るとなるとSEが足りない。
(…かくなる上は)
先に待っているその状況が、セシリアの迷いを払った。
彼女らしくない戦法となってしまうが、残った音檄Bはミサイルとレーザーライフルの連携攻撃で仕留めるしかない。もうその頃には、MTの高出力ビームを撃てる様なエネルギーは残っていない。
そうプランを纏めた、その時だった。
「ハッ!?」
ハイパーセンサーの拾った情報が脳を刺し貫き、セシリアは思わず声を上げてしまう。
後退しながら、敵機、MT、そしてブルー・ティアーズの3つに主な意識を向けていたセシリア。もしハイパーセンサーが無ければ、海面が迫っている事にずっと気付かず墜落していただろう。
これで後退は出来なくなった。後は横に避けるか、一か八かで前進し音檄と擦れ違うしかない。だがそれでは、音檄2機分の弾幕を避けきる事が出来ない。
軌道を操られていたのは、音檄だけではない。ブルー・ティアーズもまた、敵に誘導されていたのだ。
もうここまで来ては、戦法もへったくれも無い。少しの未来を見据えたプランは崩れ、退路は断たれた。
後はもう、己とブルー・ティアーズの全力全開を出し切るしかない。
―――……やってやりますわ
ボシュッ!! シュバババババババババッ!!
墜落する様に直下へと飛んでいたセシリアは、ほぼ水平に近い斜め下方向へと軌道を変えては全速後退した。2機分の光弾幕を最小限の被害で回避する唯一の手だ。
同時に、ミサイル全弾を解き放った。2機のミサイルビットから射出されたその総数は20発。狙うは片方ではなく、2機同時だ。
「ハァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!!」
セシリアは絶叫すると同時に、再びMTを攻撃色溢れる動きへと変える。彼女の殺意が込められたそれらは、我先にと光の槍を音檄へ向け放つ。
セシリアも気力の限り動き、トリガーを引き続ける。音檄はミサイルのお陰で真っ直ぐ迫れないが、それで猛攻を止めてくれる訳ではない。
燃料がある限り、音檄の高速機動をどこまでも追尾していく誘導弾。
その群れを直ちに墜としたい音檄ABだが、光弾ガンで撃ち落とすその時だけは直線的な機動となってしまう。例え命中精度の低いMTだろうと、当たる確率は高まる。
そんな行動を取った音檄2機に、セシリアは感情と思考の全てを集中させたMTで迎え撃つ。超越、到達、栄光、守護、それらに対する多大な想いが殺意の先にはあった。
それに応じて、脳髄が内側から膨らむ様な痛みに彼女は襲われる。
残り少ないエネルギーで狙うは、音檄の進行先。2機のMTで音檄の進行方向を限定し、もう2機のMTによる横列同時射撃。これを音檄ABに対し、同時進行で行う。
だが2本の光線はそれぞれ、あと寸での所で音檄のボディを捉えず。更には音檄の高過ぎる基本速度故か、どれだけMTで妨害しようとミサイルが届かない。
───あと……
それでもセシリアは止めない。特訓で得た技能技術を生身IS全てで体現するが如く、更に深き思考の核へと沈んで行く。昭弘を中心とした未来への様々な激情を原動力として、ISに流し込んで行く。比例して、痛みが眼球にまで及ぶ。
その間にも、ブルー・ティアーズを構成する黄緑色の源は上から底へと削れて行き、光弾の土石流はそんな蒼き機体に構わず雪崩込む。
───あと少しが……!
まだMTの攻撃は当たらない。変わらず猛追しているミサイルの燃料も、あと僅か。
尚も、どんなに状態が悪くなろうと、セシリアはずっと先に待つ彼女自身の為に頭と心を振り絞る。濡れた雑巾から、水分の一滴をも絞り出すが如く。彼女の鼻腔からは、その証拠とも言える赤い雫がタラりと流れ出て来た。
だが───
───あと少しが足りない!!
何が足りないのか、何故これだけやっても駄目なのか。
こんなにも脳を酷使しているのに、こんなにも心の隅々を出し切っているのに、こんなにも鍛練の成果を出し切っているのに───
どうしてMTの攻撃が当たらないのか。
MTと音檄、主の指示にのみ従う点では大きな違いなんて無い筈。だのにこの性能差だ。
なら主が優秀か無能か、そんな次元の話でもない。音檄は操られる以前に一つの知能であり、MTは主の脳波だけで動く砲塔に過ぎない。
構図こそ同じだがその中身はまるで別物であり、音檄からすればビット兵器こそ古の産物だ。己では何一つ判断出来ない、主に負担を強いる劣化兵器なのだ。
無論、音檄にそんな感性は備わっていない。劣った兵器を見下す、優越感に浸る等と。
MT、やはり自分には過ぎた代物だったのか。AIにはとても敵わないのだろうか。
そんな己への落胆に浸る事すら無く、セシリアは解答を探すべく思考の渦に飲まれて行く。目から鼻から血が滴る。
段々と、視界が白く薄くなっていく、痛みすら感じなくなっていく。それでも彼女は、決して意識を疎かにはしなかった。己の動き、MTの動き、敵の動き、そして毎秒急変する360°の景色、委細変わらずそれらに意識を割いていた。
遂に、全ての危難は限界点に達した。
ミサイル全弾は燃料切れで墜ちていき、SE残量は最早1%も残っておらず、海面は少し大きめの波が起これば爪先に擦る程まで迫っていた。
そんな一瞬の中セシリアは、嘗て体験した事の無い状態に至っていた。
まるで白い球体の中に閉じ込められたみたく、360°何も見えない視界。だが何故か全て把握していた。敵とMTの位置、セシリアを囲む無数の光弾、互いのSE残量から読み取った戦局。
そしてセシリアは辿り着いた。頭と心が融合して出来た、己の中に潜む“真”に。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
白い世界は、本当に刹那で終わった。
代わりとしてセシリアの前に現れたのは、1年1組の教室であった。
そこで彼女は、自身の座席に腰掛けていた。最前列の一番窓際、セシリアが入学当初に座していた席だ。
「ようこそ」
だがそれらへの困惑は二の次で、セシリアが第一に即刻反応すべき人物が眼前には居た。
「本音……?」
疑問を言いたそうに名前を上げるセシリアに対し、彼女は笑みを零しながらも首を横に振る。事実、声まで本音そのものであるが、その笑顔はセシリアの知ってる本音のものではなかった。
「私は布仏本音ではありません。コアである私に、姿形なんてものは存在しませんから」
その返答だけで、セシリアは彼女が誰なのか此処が何なのか、朧気ながら理解していった。
「私のこの姿もこの領域も、セシリア様、貴女の欲するままに私が具現化したものです」
「…」
段々とぼんやりした解は輪郭を帯びていき、困惑から覚めてきたセシリアは眉を顰める。
そんな彼女の変化に合わせ、ブルー・ティアーズのコアはわざとらしく窓の外へと視線を移す。
コアの思惑通り、セシリアも釣られて窓の外へと振り向く。
窓の外には、まるで氷漬けにでもなったかの様な静止した世界があった。
波すら止まった海面の2m程真上には、目から鼻から鮮血を滴らせてはスターライトMkⅢを構える、ブルー・ティアーズを纏ったセシリアが居た。
それは正しく先程までの、いいや“今”のセシリア自身であった。
では今、自身が意識を置いているこの空間は何なのか。
いや、肝心なのはそこでなく、何故この教室で何故本音なのかという事だった。
「そう…貴女は解ってしまったのです。あんな状態になるまで己の中へ潜り続けて、漸く」
「…」
「……」
「………違いますわ」
長い間を置いた後、セシリアはまるで強がる様に否定する。
「私が目指しているのは、IS乗りとしての頂。そこまでの道のりに、「愛」は少しあれば十分」
嘘だ。確かにそれはセシリアの目的ではあるが、純粋に今欲しているものではない。
脳の中で固まる事無く絶えず変わっていく、思考と感情。それらをブルー・ティアーズとMT計9機分に血が噴き出すまで注ぎ込んだセシリアは、今本当に必要なモノへ手が届いてしまった。全てを掻き出した押入れの中から、探していた宝物が見つかる様に。
現にこの空間も、セシリアの座席位置もコアの立ち位置も、全て本音と初めて接した時のものを再現しているのだ。
その真を、セシリアは認めねばならない。
「少しではありません。貴女はいつも、そして今も、愛を他の何よりも欲しています。母の愛、或いはそれ以上のものを」
誰よりも目的意識が強いセシリアは、頑なにそれを否定し続けるしかなかった。
「私はIS乗りとして、アルトランドを超える。それこそが「私」という存在の完成への近道となる。それらを頭から切り離せば……私はISに乗る意味を…」
その為だけに、彼女はISに乗り続けてきた。今、愛を欲するままに戦えば、目的へと続くそれらの存在意義は消失する。
それを聞いたコアは、困り果てた様に笑う。どこまで生真面目なんだ、と。
「目的意識を原動力としたこれまでの研鑽も、それにより得た技量も、もう消失する事なんてありません。後は貴女の愛を、感情を乗せるだけ」
それでも、セシリアは自分自身が信じられなかった。ただ一つの愛のままに戦って、本当に己を見失わないかと。
コアはそんな弱々しいセシリアの手を、両手で優しく包んだ。
「貴女が目指すべきモノたちなら、もう貴女が消えないくらい深く染み込ませてくれました。貴女自身と、私の中に」
言われてセシリアは、再び窓の外の自分自身とブルー・ティアーズを見やる。
そう、決死の形相でライフルを構えているセシリアが、頭と心の深淵から浅瀬まで余す事なく、セシリア自身とブルー・ティアーズに行き渡らせたのだ。
つまりは戦闘中、態々目的たちを意識する必要性すら無い。最早それらはセシリア・オルコットそのものであり、ブルー・ティアーズそのものでもあるのだから。
「貴女が今想っている相手は、
「だからどうか、今最も強い生の感情を…貴女が思い描いた「私とこの空間」を、受け入れて下さい」
受け入れる以外の選択肢など、もうセシリアには無かった。
それしかないから、進化する為に必要だから、そのどちらの義務感でもなかった。
ただ好きだから、彼女を愛しているから、生まれた時から乾いているから。
この戦いにも、到達点へと居たる道にも、これらの感情は何ら関係無いのかもしれない。だが、それでも良かった。
ISとは、感情の兵器なのだから。
「……新しい名前が必要ですわね」
その言葉を「了」と捉えたコアは、本音の様にニパリと笑いながら新名を待った。
だが何となく、どんな名なのか想像は出来ていた。
元の自分は「蒼い涙」。もうその涙は上がり美しき霧となって、降り注ぐ陽光を「愛の彩り」へと変換するのだから。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△
遂にブルー・ティアーズを海面へと追い詰めた音檄たち。SE残量も最早小光弾を当てるまでもなく僅かであり、MTからの射撃すら警戒するまでもなく来ない。
想定以上に手こずったものの、やはり2機で掛かれば勝てない相手でもなかった。
そうして音檄Aがトドメを刺そうとした時だった。
ピキィンッ!!
人間からすれば瞬きする程度の僅かな時間、ブルー・ティアーズが光ったのだ。不自然な程に白く。
一瞬の光が晴れても尚変わらぬ色合いの蒼きISは、まるで海面を疾走する様に飛んでいく。光弾の着弾予測地点だけを、海面ごと切り取る様に避けながら。
その純粋な速度は音檄と同等レベルにまで上昇しており、とてもではないが後方から距離を詰めれなかった。
せめて上方へは逃がさないとばかりに、弾幕で覆い尽くそうとする音檄ABだが、蒼きISはそれらに構う事無くとうとう海面付近から急上昇。遙か天上へと逃れる。
数秒前までブルー・ティアーズだったその機体は、色だけをそのままに他全てが変わっていた。
太かった脚部は、搭乗者に合わせるが如く細くしなやかになっており、しかし膝から上の大腿部は素肌すら見えない。というのも、腰から膝下にかけては蒼きスカートアーマーで覆われており、その内側には先程剥き出しだった残弾0のミサイルポッドが形状に合わせて仕込まれていた。スカートの裾と思しき先端部にはスラスターが環状に幾つも並んでおり、それだけ見ても大幅な推進力上昇が想像出来た。
上半身においても肌の露出部分は少なくなっており、甲冑が胴体部を覆っていた。だがその蒼き甲冑も何枚かに分かれており、戦闘に必要な可動域は確保されていた。ウイングは変わらず6枚であるものの配置が変わっており、内2枚はスカートの装飾品が如く腰から尾のように伸びていた。
様々な体勢でライフルを構える以上、上腕部だけは変わらず生肌が露出していた。が、前腕部は左右どちらも盛り上がっており、背面側手首の手前辺りではそれぞれ2門の銃口が覗いていた。
そして顔。前頭部の翡翠らしき球体は鋭い山の如く伸びており、まるで女王の冠を思わせる。青藍色に紅のラインが入っていたバイザーは直線的でシンプルな白色に変わっていて、右目尻の下辺りには七色の水玉が小さくペイントされていた。
以前のブルー・ティアーズが少しお転婆な生娘だとするなら、このISは正しく煌びやかなドレスを纏った淑女だ。
(既に予備エネルギーが戦闘時用タンクに回してありますが…長くは持たないでしょう)
(今の私にはそれで十分以上ですが)
そのISの名は。
「参りましょう、感情の赴くままに。『ラヴィリス』」
「love」と「イリス(ギリシャ神話における虹の女神:Wiki参照)」を合わせたらこんな名前になりました。愛は言わずもがな、イリスは「涙は上がって虹が架かる」という意味合いで付けました。
英語読みでは「アイリス」ですが、そうなると「ラヴァイリス」という何とも微妙な響きになってしまうので、日本語読みの「イリス」と合わせる事にしました。
発音する場合、そのままくっつけると「loveiris」、Loveの「e」を抜けば「loviris」ともなります。そう考えると、やはりローマ字で表すなら後者かもしれません。いや、「vir」となるとラヴァーリスでしょうか。いや、Irisを日本語読みで「イリス」にすれば「ラヴィリス」と読めなくもないかもしれません。
この辺は英単語の発音にまるで明るくないので良く解らないです。