─────花月荘周辺 自衛隊衛生科病院天幕
作戦終了から既に1時間が経とうとしていた。
屍みたく固まりながら両膝をついているグシオンの近くで、千冬ともう一人は座っていた。それはもう、やるせなさに包まれた表情のまま。
今や深緑色の天幕内は、重苦しい空気という不可視のバリアに包まれていた。
「……彼はもう、ずっとこのままなのですか?」
俯いたまま、ナターシャが千冬に悲観的な問いを繰り出す。
が、千冬が彼女の悲観に飲まれる事は無かった。
「何とも言えん。数時間でグシオンから解放され、半日と掛からずに意識が戻った…“前回は”そうだった」
優しい嘘を言えない千冬により、ナターシャの思考は下降し続ける。
「……この戦いで生じた被害は?」
既に一度説明されている事を、ナターシャは再度千冬に訊ねる。
だが千冬は少し間を置きながらも、仮の報告書を要約し読み上げてくれた。
「昭弘・アルトランド :意識不明、MPSの待機形態移行不能。損傷等詳細は検査中」
「セシリア・オルコット :意識不明、前頭葉への損傷を確認。現在治療中及び詳細検査中」
「ラウラ・ボーデヴィッヒ :超過機動による骨格全体への損傷を確認。治療の後、可能な範囲で要身体検査」
「凰鈴音 :軽度の火傷。極度の疲労から回復次第、要身体検査」
「織斑一夏、篠ノ之箒、シャルロット・デュノア :極度の疲労から回復次第、要身体検査」
千冬がそれら情報を淡々と読み上げると、ナターシャは蹲る要に更に視線を落とす。
すると今度は、一転して強い眼差しを千冬に向ける。それはまるで己の全てを差し出すかの様な、覚悟の籠もった、それでいて諦めに満たされた視線だった。
「…今、貴女に殺されるのなら…私は本望です」
暴走したのはあくまで銀の福音だが、それを助長したのはナターシャの「願い」だ。
国家代表に比肩しうるIS乗りでありながら、ナターシャはずっと抱いていた。いつか兵器としてのISが無くなるようにと。もしそうなったら、どれだけ素晴らしい事だろうかと。
それを、暴走した福音は歪んだ形で実現させようとしたのだ。主を母親の様に慕っているから、自身もその願いに強く賛同していたから、それしか手段が無かったから。
そう考えると、千冬の生徒たちを傷つけた者として、ナターシャが無関係とは言い切れないのもまた事実。
彼女のそんな負い目は、千冬も理解している。今回の一件を抜いても、2人の付き合いは決して浅くはないのだから。
「…良識ある人間は皆そうだ。ISが戦争の道具から解放される事を、心のどこかで願っている。そう…福音が暴走した時点で、誰が乗っていようと結果は同じだった」
千冬にとっては、許すも許さないも無い事だ。ナターシャも福音も、誰も悪くなんてないのだから。
若しくは、そう思い込みたいだけかもしれない。
「…それでも私は許せない。ゴスペルの暴走を止められなかった私自身を。そして───」
千冬の「逸らし」も虚しく、ナターシャの自己批判は止まらず、遂には憎しみの限りを露わにする。
「暴走させた諸悪の根源を」
アレが外部からのハッキングである事は、乗っていたナターシャだからこそ把握出来た。
だがその痕跡が残っていない現状、「技術面でのミス」か「福音が勝手に暴走した」という事になる。どの道、安全性の観点から福音のコアは凍結処理される。
そうなった「諸悪の根源」に対する千冬の憤りは、ナターシャへ向けた罪悪感に飲まれていった。最新鋭第3世代軍用機へのハッキング、加えてその痕跡を一切残さない人間なんて、誰なのか考えるまでもない。
ただただ、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。諸悪の根源が、千冬の親友である事が。それでも尚、色々と考えが巡ってしまうが故に、束の名を出せない事が。
謝るのはナターシャではなく寧ろ自分の方なのだと、千冬は心の中で謝るしかなかった。
「ソイツだけじゃない。そもそも“上の連中”さえ居なければ、ゴスペルがあんな軍用ISになる事なんて…。どいつもコイツも私自身も、いつか必ず───」
「ナターシャ」
遂に千冬は、いたたまれなくなったのか口を開いた。
「君のそれこそ、争いの火種じゃないのか?」
「…」
誰よりもISを愛し、平和を求めるナターシャ。そんな彼女が争いの根源となろうものなら、千冬も黙っている訳にはいかない。それとも、ナターシャに抱く罪悪感故だろうか。
或いは千冬自身、逃れたかったのかもしれない。誰が悪いだの、どうしてこんな事になっただの、そういった負の方面から。
「君の恨みは理解しているつもりだ。だが真にISの事を想っているのなら、憎しみを抑えろ。その憎しみはいつか必ず、ISを人殺しの道具に変える」
それはISの力を知ってしまった、味を覚えてしまったIS乗りなら尚更だ。例えどんな信念を抱いていようと、人間本来が持つ残虐性には逆らえない。
「ナターシャ。福音はあの時、その「殺人」という禁忌を犯す一歩手前だった。…それを止めてくれたのは誰だ?」
言いながら、千冬は物言わぬ石像と化したグシオンの元へ、ゆっくりと歩を進める。そして肩を覆うショルダーアーマーに、力の抜け切った手をストンと乗せる。
「最悪の結末は回避された。憎しみを捨てろとは言わんが、今はどうか喜びに気持ちを傾けて欲しい。そして…それを成し遂げた生徒たちに、感謝しては貰えないか」
福音を失ったナターシャと同様に、千冬も大切な生徒たちを傷つけられている。
それでも前を向けるのは、生徒たちが無理難題なる作戦を完遂してくれたからだ。確かなる成長を、未来に繋がる可能性を見せてくれたからだ。
この状況下で、嘆くのは簡単だ。だがそれは戦い抜いた生徒たちに対し、余りに失礼だ。
「千冬さん…」
ナターシャは己の弱さを恥じた。心に傷を負っているのは、千冬も同じだというのに。
本当に前を向いているのか、単に心を切り替える為なのかは分からないが、どちらにしろ千冬の姿勢は見習わねばならないだろう。
何かの、誰かの為に、恐怖の最中その命を賭けた昭弘たち。結果として作戦は成功し、無事とは行かずとも全員が生きて帰れたという奇跡。
こんなにも素晴らしい事がそうそうあろうか。
その結論に至ったナターシャは、千冬に倣いグシオンへと歩み寄る。その目は子供を微笑ましく見るものではなく、一人の男に敬意を払うものだった。
そして、俯くグシオンのフルフェイスマスクに、己の額を当てる。
悲しみの灯火も憎しみの大火も、未来永劫消えない事はナターシャも承知している。だがこういう時くらいは、それらを一旦忘れ、そして休むべきなのだ。
「ありがとう、昭弘・アルトランドくん。ゴスペルの暴走を止めてくれて、そして…私の命を助けてくれて」
昭弘に聞こえる筈のない感謝の言葉を、ナターシャはそれでも声に出した。
意味が無くとも、言うのなら今しかなかった。昭弘が長い時間の後目覚めたとして、会えるかどうかなんて分からない。
「オルコットにも。そして、治療が済んだら他の連中にも、言ってくれると助かる」
「分かっています」
ただ感謝して欲しいというだけではない。
千冬は、ナターシャに見せてやりたいとも思っていた。強大な壁を乗り越えた、自身の生徒たちの勇姿を。
最早彼等、彼女等は、この昭弘・アルトランドという青年と並べるだけの強靱な心を持っている。
───そうだろう?アルトランド
声には出さず、最後に千冬はそう心の中で言う。
他ならぬ昭弘が、強くなった仲間に助けられた当事者なのだから。葛藤し這い上がってきた仲間たちを、ずっと外側から見てきたのだから。
もしこの心の言葉を唱えたら、昭弘はどんな反応を示すだろうかと、千冬は石の様に動かないグシオンを見つめる。
当然、何の言葉も返って来なければ、視線すら感じる事は無かった。
血の通っていないマスクは、ただ虚ろを見ているだけだった。
相変わらずの快晴である、花月荘周辺地域。
波打際の潮騒も、今日はどこか透き通って聞こえる。まるで遙か太平洋から流れ着く塩水が、天から注がれる光の恩恵を享受している様に。
そんな海岸線の一区画で一人、束は腰に手を当てながら立っていた。視線の先は、何処までも広がる藍色のカーペットへ。だが海が一つであると考えると、それはまるで全世界を見渡しているかの様でもあった。
今日はどんな笑顔なのかと覗いてみた表情は、まるで別人の様相であった。それは正しく、彼女の妹が刀を持つ時とまるで同じ、精悍な顔つきであった。
(邪魔者は消えた)
束の思惑通り成された、銀の福音及び音檄の破壊。アメリカへの嫌がらせも理由の一つだが、そんな私怨が全てではない。
銀の福音、そしてそれが引き連れる無人随伴機。余りに強大な力である彼等の存在は、束にとって今後大き過ぎる障害となる。これ以上、IS側に戦力を偏らせてはならない。
彼等が試験中に暴走すれば、福音のコアも当然ながら凍結処分される。そうなれば開発資金もパーとなる訳で、当面の間は新たなIS開発も行われない。
無論、福音を消す方法なら幾らでもあった束だが、そう簡単に済ませる訳にも行かなかった。
(それは良いけど、まさか全員生還するとは思わなかったかな)
束としては、今後の脅威となるかもしれない「2人」にも、ついでに死んで貰いたかった。暴走した福音たちが人を殺めたともなれば、アメリカ主導のIS開発も当面どころか半永久的に頓挫する。アメリカが揉み消さなければだが。
その内の一人は『昭弘・アルトランド』、もう一人は『セシリア・オルコット』だ。可能なら『ラウラ・ボーデヴィッヒ』にも消えて欲しかった。
だが、お陰で昭弘たちがどの程度の力を秘めているのか、今後どれだけ強くなるのかも束には見えた。亡国機業による「革命」が始まる頃には、グシオンだのラヴィリスだのがどの陣営に付こうと、大局は揺るがなくなっている。もう銀の福音も音檄も、量産化される心配は無い。
束の計画に支障は無い、その確認が出来ただけでも収穫だろう。
脅威となる人間でただ一人、千冬には革命が起こるまで生きていて貰わねばならない。腐った世界への見せしめの為に、そして新たな世界の礎となる為に。
(まいっか。目的は果たせたし)
人間たちとコア・ネットワークで繋がった束の無人ISが、同じく高度な連携を取る機械を凌駕出来るかどうか。そうして人間と共に危難を乗り越えられるかどうか、人間を正しく導けるかどうか。
それらを試す事こそ、今回の目的であった。
束にとってこの戦いは「実験」に過ぎなかったのだ。
存在そのものが災いとも言える頭脳を持つ彼女は、ISであれ何であれ基本的に一発で完成させてしまう。故に毎回、実験や試験を行う必要性が無い。
そんな彼女でも全知全能な訳ではない。100%の予測が困難な心理面や精神面に関しては、今回の様に試してみるしかないのだ。
結果は成功であった。
保身から仲間を見捨てようとする者、絶望から生を諦める者、混乱から無益な殺生を敢行しようとする者、そして自暴自棄に陥る者たちを、無人ISは見事正した。それにより、自分たち以上の戦力である強敵を斃してみせた。
(あの子たちなら、私のISならなれる。私が目指す世界の「天使」に)
文字通り「神の使い」。
束の思い描く新たな世界に人間だけを放り込めば、また愚かな過ちを繰り返す。戦争、環境破壊、差別、搾取、まさしくこの世界の様に。
束にとって他人なんてどうでも良いが、「夢の持続」である自身の世界だけは正しく運用せねばならない。それには、人間の心を持ちながらも欲を持たないAIによる、間違いの是正と安寧への先導が必要だ。
大袈裟かもしれないが、その存在は“天使”と呼んでも差し支えない。
少なくとも、ただ単に人類全てを地球の外敵として駆除する“心を持たない機械”が、天使などと呼ばれるよりはマシだ。
彼等無人ISがその様な「モビルアーマー」となるのは、観測すら出来ない程遠い世界の話である。若しくは、気が遠くなる程未来の話か。はたまた、歴史ですら捉えられない程過去の話か。
どんな天使であれ、共通する部分は一つ。「神」という絶対者の存在だ。
束も別段、神になりたい等とは微塵も思っていない。だが頂点として天使を纏め上げるのなら、そうなるのが自然だ。そうでなければ、彼女の理想とする世界は成り立たない。
自覚は無い様だが、束は誰よりも「神」らしい。自分の目指す世界こそが第一で、人間はその次点以下でしかない。彼等がどうなろうと知った事でないそれは、正しく自分の都合で人間を一掃する神の如しだ。
そんな彼女を神にさせてくれないのは、彼女の中にある人の心だ。
私情とも言えるそれは、彼女自身の世界に余計な歯車を組み込もうとする。彼女にとってのそれこそ、「イヴ」と「アダム」であった。
束にとっての一番である箒とそのパートナーとなる一夏、2人が安寧を築ける理想郷。そんな2人が絶対的な力を持つ世界。
それも実験で証明しようとした、その為の紅椿と白式だったのだから。互いが互いを想い、ISとISが一つになり、大いなる力を以て難敵を討ち果たす。そうしてより一層、箒と一夏を結ぶ赤い糸は強度を増す筈だった。それはいずれ、真にISが中心となる新たな世界での“男女”の象徴となる筈だった。
だが無常にも、赤い糸なんてものはとうに無くなっていた。番は紅椿と白式だけに過ぎず、2人の矢印は別の一人に向いていた。
もし2人が思惑通り結ばれたとしても、そんな私情を中心に回る世界が長続きする筈無い。それは歴史が証明している。
(上手くいかないのは、やっぱ束さんの幼稚な我儘だからかな)
妹の幸せを思っての事だろうと、箒と一夏が望まなければそれで終わりだ。
解り切っていた、束自身、己の愛情表現が歪んでいる事は。
確かに、束が見ない間に箒は変わってしまった。それでも束の愛は変わらず、今も昔も箒には気付いて貰えない。
つまりは昭弘の言葉通り、束が姉として愛を示せていないのだ。
こんな事でしか、妹への愛を表す事が出来なかった。己が夢を実現する為に、ひたすら奔走するしかない束には。他者の気持ちを理解出来ない、自己中心の権化である束には。口八丁で心を覆うのに慣れてしまっているが故、己の本心すら満足に伝えられない束には。
妹に抱きつかれて「会いたかった」と泣かれた時も、束はどうすれば良いのか解らなかった。ただ何か言葉を返さねばと焦りだけが先行し、気が付けば形式的な挨拶を発していた。
何をしても、何を言っても、箒は喜んでくれなかった。束の愛は結局、妹に伝わらなかった。
───……………私は?
そうして哀れな天災科学者様は、馬鹿みたく自分で考えに考え抜いた末、その簡単過ぎる答えに今になって辿り着いた。
妹に何をすれば良いのかではなく、自分はどうしたいのかと。何も言えない自分は、言葉の代わりに何が出来るかと。
日も沈んで暫く経った夜。
初の実戦で受けた疲労もある程度回復し、身体検査も終えた箒と一夏。既に仲間の現状も把握した2人は少しの自由時間を貰い、自分たちが寝かされていた場所とは別の病院天幕に来ていた。
遠目からチラと見えた限りでは、天幕内の奥にてグシオンが安置されており、衛生科隊員が2名配置されていた。天幕入口にも、当然ながら見張りの隊員が。
控えめに言って、とても入って良い雰囲気ではない。
「…」
「……まぁ、駄目で元々だったけれど」
2人共、特別な用事がある訳でもなかった。ただ昭弘の様子を、昭弘を閉じ込めたグシオンの様子を、近くで確認したいだけだった。
だが遠目だろうと近くだろうと同じで、そこには両膝をついた動かぬ鉄人が居るだけだ。そうと解っていても、2人は昭弘の側に居たかった。
「…」
「大丈夫。あの時だって、1日と掛からずに目覚めたでしょ?」
沈んだ顔のまま終始無言を貫く箒に、一夏は言わないよりはマシ程度の励ましを贈る。
箒だって信じてはいる、昭弘なら直ぐに目覚めてくれると。
だが、昏睡状態に陥ったセシリアの姿を見た後では、元気を出せというのも無理な話だ。
ニ次移行を果たし、脳に尋常ならざる負担を掛けた彼女は、今や意識不明の重体にある。顔の下半分が人工呼吸器で覆われたその顔は、箒たちにとってショッキングなものだった。悲痛の表情で床へと崩れ落ちた本音の姿も、記憶に新しい。
花月荘で見た時と何ら変わらないその美しい寝顔が、箒たちをより混乱させた。何かの冗談なのではないかと。
神が居るとするなら、余りに酷い話である。今回の作戦、セシリアが最も困難な状況にあったというのに。それをたった一人で遂げたというのに。
そんな、大切な仲間が2人も意識を失ったままでは、気を強く持つのもより困難になる。
そして例えどちらかが目覚めたとしても、手放しで喜べる筈がない。真の喜びは、2人が目覚め全員揃うまで訪れる事はない。
心が不安定なのは、一夏も同じだ。
誰一人欠ける事なく、成功した作戦。結果として意識を失ってしまった、昭弘とセシリア。それら喜びと哀しみに挟まれた一夏の心境は、鍾乳洞の如く複雑に入り組んでいた。
「どうする?箒。もう少し居る?」
一夏の問いに対し、箒は無言のまま小さく頷いた。
「そう。…事前に持ってくべきだったけど、何か飲み物でも買ってくるね」
そう言って、一夏は一旦その場を後にした。
遠くから、いつ解かれるかも分からないMPSという甲冑をただ眺める。決して有意義な時間ではないが、だからと言ってしてはならない訳でもない。ならば一夏は、箒の気が済むまで付き合うだけだ。
そんな、箒が一人きりになってすぐの出来事だった。
ヒュゥゥゥ~~~~~… ドォォン!
「!?」
真夏の生き物たちが静寂を彩る間も無く、突如としてそれは起こった。
夜空を、熱と光で出来た一輪の花が照らしたのだ。
(……何かのサプライズでもあるまい、戦闘の後だぞ?)
その考えは辺りの自衛隊員たちも同じだった様で、天幕内の隊員も含め皆警戒態勢となる。
しかも花火は一発に留まらず、色や形状の異なる光が連続的に上がる。遅れてやって来る破裂の音と、花月荘周辺で飛び交う無線の音とが、夜空の下で入り乱れる。
ただその花火は余りに優美であり、見事な青緑はまるでオーロラが姿を変えたかの様であった。
戦闘から1日と経ってないが故の激しい警戒、余りに美しいが故の見惚れ。その2つに支配された各隊員たちは、もう花火に釘付けだった。
箒もまた、ただ呆然と見上げていた。戦いが生み出す光とは正反対な、優しく包み込む様な色をしたその光たちを。
ギュ
完全に無防備であった箒は、その背後からの接触に為すがままだった。
危害を加える接触ではなかった。
その両腕は箒の肩ごと大きく包み込んでおり、肘をしっかりと掴み固定していた。離す気配はまるで無いが、それ以外特に何もしてこない。
唐突過ぎて、顔を向ける余裕は無かった。
だが箒には分かった、見るまでも無く。体温、衣服の感触、素肌の弾力、か細い腕。そして忘れもしない、あの頃から変わらない匂いと雰囲気。
「姉さん…」
そう呼んでも、束は変わらず抱き締めたままだった。涙で溢れた顔を、箒の後頭部に埋めながら。
それこそが、ずっと束がしたい事だったから。妹と離れ離れになってから今まで、ずっと。
それ程までに、自身は完璧に紅椿を使いこなしたのだろうか。そんな思い当たり、とうに花火が夜空の彼方へと飛ばしている。
余計な思考は止まり、ただ姉の温もりを感じているだけだった。
花火の音に掻き消される事無く、束の吐息と涙を啜る音が、箒の後ろ髪から静かに耳の奥へと染み渡る。必死に声を殺しているその様が、箒の心を擽る。平常心とは懸け離れた小刻みな鼓動が、背中から伝い箒の心臓をも細かく震わせる。
箒は、未だ振り向けないでいた。姉の涙で濡れた顔を、見たくはないから。同じくそんな顔を見られたくないであろう姉が、パッと消えてしまう様な気がしたから。
そしてその瞬間は、またしても唐突に訪れた。
箒を強く優しく抱き締める両腕が、スゥと尾を引く様に力無く解かれる。
「姉さ───」
込み上げてくる寂しさに一瞬でも耐えられなかった箒は、遂に振り向いた。
姉の姿は無かった。照明と暗闇とその他諸々で構成された世界には、姉の残り香だけが微かに浮遊していた。
同時に、かの怪しく美しい花火も止んでいた。
家族がバラバラになったあの時と同じ、もう味わいたくもない孤独感。箒の今浮かべている顔もあの時と同じ、口角も眉尻も下がった「悲愴」の一言が相応しいものだった。
「…」
だがそんな表情は早くも鳴りを潜め、代わりに浮かんだのは寂しげながらも微笑であった。
次はいつ会えるのか、妹である箒ですらまるで分からないし想像も出来ない。なのに最後の最後で顔を合わせる事も叶わなければ、積もる話もまるで消化出来なかった。姉の心からの言葉を、ただの一つも聞けなかった。
それでも十分だった、寂しさを片手間で吹き飛ばすくらいには。先の背後からの抱擁は、無言ながらも雄弁に伝わった。どんなに脚色をつけた、綺麗に着飾った言葉よりも。
束は姉として、妹である箒の事を愛しているのだと。
そんな姉妹のごく短い触れ合いを、天幕の奥から
意識は無くとも、本当は見える筈なんて無くとも、それでも確かに無機質なツインアイをダイヤの様に輝かせていた。
だがそれは、グシオンが放つ輝きではなかった。
ただ単に、隊員がバタバタと動き出した時にぶつかり、位置がずれた天幕内の照明を反射しているだけであった。
という訳で、第一章はこれにて終幕となります。取り敢えず、描くべき話は大体描けたんではないかと思います。
まさか終わらせるまでに3年も掛かるとは思いませんでした。自分の鈍足執筆と一話一話の長さが原因です、皆さん本当にお時間お掛けしました。
第2章からは、もっと短くサクサクと進めていきたいです。
さてその第2章ですが、暫し休ませて頂いたのち投稿しようと思います。
休ませて頂いている間、色んな人の小説を読んだりして、またチョイチョイ勉強していきたいと思っております。
一先ず、一旦はここで区切りという事で、皆さん今までご愛読ありがとうございました。
それとお気に入り登録してくれた方、評価してくれた方、コメントしてくれた方、誤字報告してくれた方、「ここすき」してくれた方、本当にありがとうございました。皆さんが居なかったら、モチベーション的にここまで続けられなかったと思います。
色々と大変で、難産する話もたくさんありましたが、なんやかんや自分で話を作っていくのはとても楽しかったです。