―――――8月12日(金)
お盆に入る前日、身も心も息苦しくなるような、晴天の猛暑の日。
日本の夏を凝縮したような日和だが、生徒も殆ど帰省しているからか、IS学園は対照的にも静まりかえっていた。
どころか、冷房の影響とは思えない、奇妙な薄ら寒さすら感じる。この小会議室内では特に。
織斑千冬と山田真耶は、ただ医師の代表らしき男の言葉を待っていた。
「結論から申し上げますと・・・脳波を含め、お2人の身体に異常は見受けられませんでした。食欲も歳相応にありますし、メンタルケアの必要性も感じません」
そんな、医師の簡潔な報告を聞いて、千冬と真耶は胸を撫で下ろす。まるで空気が抜けて萎むように、肩の力が抜けた。心なしか、薄ら寒さもどこか和らいだ気がする。
そんな2人を見たからか、男は申し上げにくそうに報告を続ける。
「ただ・・・一点だけ気になることが。お2人が覚醒してからこの二週間、どうやら夢を共有しているようなのです。毎晩、という訳ではありませんが」
そう言って男は、昭弘とセシリアの脳波らしきものが載った資料を、千冬と真耶に見せる。確かにグラフを見る限りでは、週に1回か2回程度だが、同じ夢を見ているようだった。
「一度だけなら偶然で片付けられますが、こう何度も続くとなると・・・。やはり、あの一体化した物体と何か関係が―――」
「アナタ方の仕事は、生徒2人の身体と精神に、異常があるのかないのか。それを調べることだけです。誓約書にもある通り、それ以上の詮索は控えて頂きたい」
追求も他言も容認できない。そんな圧を千冬から感じ取り、男は萎縮しながら言葉を続ける。
「申し訳ありません・・・。ですが一応、ご留意くださいますよう」
「ええ勿論。物体を特定した整備科教員にも、情報共有しておきます」
そこで、こじんまりとした報告会は終わりを告げ、互いに社交辞令を済ませると、医師の男は退室していった。
その男の行動に合わせるように、他の医師たちもIS学園から去って行った。
後はこの資料たちと報告書を理事会に提出すれば、千冬と真耶の仕事は終わりだ。
千冬から説明を受け、漸くの開放感を味わう昭弘とセシリア。当初の予定通りに終わったとは言え、あれほど事細かに調べられるとは思わなかったようだ。
そんな脱力しきった2人を、廊下の窓に広がる晴天が歓迎する。
「・・・」
「緊張していますの?」
「まぁ・・・な」
強張りを感じ取ったセシリアに対し、昭弘は不本意そうに返事をする。あんな対面からの再会なのだ。今は嬉しさよりも、緊張が先行してしまうのだろう。
かく言うセシリアも、昭弘と同程度には緊張しているのだが。
「皆、来ると思うか?」
「どうでしょう。織斑先生から連絡は行ってると思いますが、皆お忙しいでしょうし。スケジュールが空いているとは思えませんが」
そもそも今は夏休み。学園側の許可がなければ,登校した瞬間不法侵入だ。帰る家の無い昭弘は例外だが。
大体が会えたとして、今の昭弘とセシリアに対し、今まで通り接してくれるのかも疑問だ。当の本人たちですら、自分が人間なのかどうか、明確に答えることができないというのに。皆の優しさは熟知している2人だが、だからこそ何かしら気を使われるのは確かだろう。
思考により憂鬱へと落ちる2人は、制服に潜んだドームを、黒い包帯のようなもので覆われた角を、無意識にそれぞれ撫でる。
そうして溜息交じりに学園裏口を出て、千冬に指定されたルートを歩く。外気は見てくれ通り猛暑であるが、海風のお陰か、蒸し暑さは感じない。
虚しさと開放感の板挟みに遭いながら、2人は学園寮へと歩を進めていく。
2人の眼前には、見知った顔ぶれが待っていた。それだけで、先の暗い思考がなりを潜める。
箒も、一夏も、鈴音も、シャルロットも、ラウラも、本音と相川と谷本も、暑さなんて気にせず当然とばかりに居た。何名かは、大きく手を振っている。
一ヶ月ぶりですらない、その普段通りの様子は、不思議と懐かしさを覚えるものだった。
皆、涙は流していなかった。泣けば昭弘とセシリアが困ると、分かっているからだろう。
「「・・・」」
昭弘もセシリアも、思考の代わりに色んな感情が湧き上がった。
心配を掛けて申し訳ない。
会えて嬉しい。
他にも予定があっただろうに、この日の為に集まってくれるなんて。
仲間思い過ぎて、少し呆れてしまう。
大袈裟だ。
何から話せば良い。
心が纏まらない。
そんな中、最初に声を上げたのは箒だった。何も話せない2人にとっては、まさに助け船であった。
箒は昭弘を見て、少しぎこちない笑顔のまま、たった一言だけを発した。その一言に、彼女の感情全てを乗せて。
「おかえり」
その声で、その言葉を聞いて、昭弘の目が潤んだ。涙となって流れ出てしまわぬよう、堪えるのに苦心していた。
この2週間、いや、あの戦いからこの瞬間まで、昭弘は彼女のその言葉をずっと待っていたような気がした。そして今、自分が生きてこの場所に立っているのだと、今更になって昭弘は実感した。
ならばもう返す言葉は一つしかない。箒と同じく、ぎこちない笑顔で。
「ただいま」
昭弘は、IS学園に帰ってきた。
―――――IS学園 食堂
先程のしんみりとした空気は、既にどこかへと離散していた。
「ハイ、それでは~。昭弘とセシリアの退院を祝して~・・・かんぱーい!!」
鈴音の号令に続き、皆も乾杯と叫んだ。シャンパン代わりにコーラを開ける音が、シュポっと轟く。
何台かくっつけられた白いテーブルには、事前に一夏と箒と鈴音が作ったであろう、タコ焼きやらお好み焼きやらが並んでいる。
計画していた鈴音たちには勿論、学園側の配慮にも、頭が上がらない昭弘とセシリアであった。再会の為だけに、夏休み中の学園での活動を許可してくれるとは。
「食堂か。一夏のクラス代表就任祝いを思い出す」
「そう言えばそうだな。もう4ヶ月近く経つのか」
昭弘と箒がそんな話をしていると、一夏が少し意地悪そうな笑みを浮かべて割り込んでくる。
「確か箒とセシリアで、オレの取り合いしてたよね」
「そうなの!?全然想像できないや・・・」
シャルロットの反応に、ラウラも軽く頷く。だいぶ後から転入した2人にとっては、寧ろ自然な反応だろう。
箒は少し赤くなりながら、小さくそしてわざとらしく咳払いをする。対してセシリアは、本音の隣にいながら余裕の笑みを浮かべる。
「みんなあの日から、アキヒーのことあまり怖がらなくなったよね~」
本音の何気ない言葉に、今度は相川と谷本が頭を掻く。対面するだけで震えていた入学当初が、遠い昔のように感じられた。
「ま、私は最初から怖くなどございませんでしたが」
「お前は馬鹿だっただけだろうが」
「脳筋からそう言われる日が来るとは思いませんでしたわ」
また始まったと、昭弘とセシリアに対し、みな呆れ果てたように笑う。約2週間同じ病室に居た筈だが、それで何かが変わる訳でもないようだ。
いつも通りな光景に、箒は密かに安堵する。
そして、やはり本音たち3人も誘ったのは正解だったと、言い出しっぺの鈴音に感謝する。もし3人が居なければ、きっと箒たちは心配という感情に流されて、「一体化」の話題を持ち出しただろう。そうなれば、こんなに明るい雰囲気にはならなかった。
「昭弘は擬似コアの不調でグシオンが外れなくなった」「セシリアは爆散した敵の破片が刺さった」。これらのシナリオのお陰で、この場の空気は保たれていた。
当然、質問は飛んできたが。
「にしてもオルコットさん、よく生きてたよね。昭弘さんもグシオン邪魔になりません?服で見えないけど」
頭に巻かれた黒い包帯と、盛り上がる背中とを交互に見ながら、無邪気に捲し立てるように訊いてくる相川。
「私自身も驚いておりますが、当たり所が良かったのでしょう。実際、症例も無くは無いようですし」
「阿頼耶識で慣れてるしな。邪魔どころか、いちいち装着しなくていいから楽だ」
2人の受け答えに対し、特に疑う様子も無く納得する相川と谷本。セシリアの破片に関しても、SEと操縦者保護機能が限界だったのだろうと、そう解釈してくれているようだ。
彼女たち2人は、1年1組を体現したような存在だ。良い子で、妙な偏見も持たず、邪な勘繰りも入れない。その2人が大丈夫なら、他のクラスメイトからも問題なく受け入れられるだろう。
ふと昭弘は、勘付かれないように本音を視界に入れる。
セシリアのそばで、いつも通りニコニコと笑っている。だがその視線は、時々だがセシリアの額へと向かう。その時の感情は、ふんわりとした笑顔からは読み取れない。
ただ、検査入院が無事に終わったことへの安堵、それでも拭いきれない心配。本音の視線には、その両方が混在しているように、昭弘には思えた。
だが今は祝いの場。そういった心配は、決して表に出してはならない。額の破片について決して何も訊かない本音から、そういった戒めのようなものを、昭弘は感じ取った。
箒も一夏も、そしてラウラも、似た様な視線を背中のグシオンに送っているのだろうか。そう思うと、昭弘は少しだけ怖くなってしまった。この雰囲気も、ただ皆が無理して作ってるだけではないかと。
そんな有り得ない被害妄想を振り払うように、昭弘はタコ焼きを頬張った。
「あっ」
隣で声を上げた箒に対し、昭弘は咀嚼しながら振り向く。
「あーいや・・・その皿のタコ焼き、私が作ったヤツでな」
動揺とも恥じらいとも取れる表情で、昭弘に説明する箒。
昭弘は返答に困った。
嘗てなら「そうなのか、美味いな」とでも言って終わっただろう。だが今となっては、そうも行かない。意識している相手が、恐らく丹精込めて作ったであろう料理。どう返すのが正解なのか、彼には解らなかった。
だが結局、美味いものは美味いのだから、それ以外の感想が見つけられない。
「そうなのか・・・美味しいな。その・・・アレだ、形も整ってるし・・・火も通ってる」
「あー・・・そうか!良かった!何か至らない点があれば言ってくれ。その・・・精進しよう」
「至らない点・・・」
本気で考え出す昭弘。対して、そこまで真剣にならなくてもと、オドオドしだす箒。
そんな初々しい2人を、一夏と鈴音は少し離れた所で、ニヤつきながら眺めていた。酒の肴にでもするかのように。
「おっ、箒が作ったのか。どれ、味見してやろう」
「あっ、僕も僕も」
雰囲気が全く読めないラウラと、その場のノリで生きているシャルロットが、そんな行動に出るのは最早必然であった。
全力で止めに入ろうと動いた一夏と鈴音だが、離れていた為か間に合わず。
「んー何か味薄くないか?ソース頼りって感じだな」
「チョッ!アッツ!ハフッハフッ!熱すぎるよコレ!」
(あーこれは・・・)
嫌な予感がした昭弘は、溜息を我慢するように、箒へと再び振り向く。そこには、先程の初々しい乙女はおらず、笑顔の鬼が威圧的に仁王立ちしていた。
「そうかそうか。私は味見してなんて一言も頼んだ覚えはないが、わざわざご指摘痛み入るぞ2人とも」
珍しく、ラウラとシャルロットに凄む箒。
ラウラは動じることなく首を傾げていたが、シャルロットは真っ青になりながら昭弘の後ろに隠れた。
取り敢えず、箒をどうやって宥めるべきか、短い時間で思案する昭弘と一夏と鈴音であった。
そうして夕刻。食べ物も飲み物も無くなり、更に小一時間くらい喋って小パーティーはお開きとなった。
後片付けをし、別れの挨拶を交わし、各々が各々の帰路へとつく。と言っても学園島の駅までは、皆同じ帰路だが。
昭弘とセシリアは、それぞれ自身の部屋へと向かった。
昭弘はただ部屋へと入るだけだが、セシリアは英国に帰る為、荷物を纏めねばならない。それ故か、それなりに慌ただしかった。本音もそれを手伝う為か、一緒にセシリアの部屋に居る。
ここ130号室前でも、本音以外に未だ帰路へとついていない2人が居た。
「また、9月までお別れだね」
一夏がしみじみとそう言い、昭弘も仏頂面に寂しさを浮かべる。
すると途端に一夏は、昭弘の身体全体を品定めするように見回して、自身の評価を述べる。
「さっきは言わなかったけど昭弘、結構痩せたっしょ。また筋肉付けなよ?」
「ああ、そのつもりだ。身体が疼く」
やはり、制限だらけの入院生活では、昭弘の肉体を維持することはできなかったようだ。
タンパク質を欲する肉体が、早くドアノブに手を掛けるよう昭弘を急かす。3人でもう少し話したい気持ちが、昭弘の筋トレへの欲求を辛うじて食い止めていた。
「・・・フフッ」
急に何か思い出したみたいに笑う一夏を、昭弘と箒は不思議そうに見る。部屋前に来てから、やたらと唐突だ。
「やっぱオレたち、3人じゃないとね」
2人を見ながらそう言う一夏に、今度は昭弘と箒が微笑み返す。
「今更何を言うのだ一夏」
「でも確かに、そこだけはずっと変わんねぇよな。オレら」
思えば、昭弘にとって入学式の日から一緒にいるのは、箒と一夏だけだ。
当然、心境の変化から距離を置かれる時期もあったし、性格も考え方も変わっていった。そして、各々3人の関係性もまた、その姿を変えていった。
それでも結局、3人は3人で居られた。
それは友情のお陰か、恋愛の力か、それとも単なる依存によるものか。
きっと、そのどれか一つでも欠けたら、この関係性も崩れてしまうのだろう。あくまでそう考えている一夏にとって、3人一緒に居るということは、この上なく尊くて貴重なものなのだ。
そしていつかは壊れてしまうと解っているからこそ、尚のこと大切にするのだ。この、3人で居る時間を。
そう考えてしまうと、ますます別れが惜しくなる。
それに関してだけは、昭弘も箒も同じだった。
「・・・帰り辛くなるではないか、一夏」
「ゴメン」
これではまるで、「帰りたくない」と駄々をこねる子供だ。そう思いながらも、やはり足はなかなか動かない。
そんな2人の背中を押すように、昭弘は優しく言う。一緒に居たいという気持ちを押し殺しながら。
「故郷があるなら、帰れる時に帰った方がいい」
故郷の無い昭弘にそう言われてしまえば、もう箒も一夏も帰るしかなくなる。
最後の最後で、昭弘に情けない姿を見せてしまった箒と一夏は、意を決したように別れの挨拶をした。
「またな昭弘」
「またね昭弘」
「ああ。じゃあな2人とも」
互いの言葉を確認し合うと、昭弘はドアを空けて自室へ、箒と一夏は踵を返して正面玄関へと向かっていった。
結局、箒と一夏は最後の最後までグシオンの話題を出さなかった。
パーティーの雰囲気が尾を引いていたのか、誰かに聞かれる可能性を考慮したのか。
そのどちらでもいい、話題にしなかったのは正解だった。親友との別れ際に、する話ではない。
そう決して、現実から目を背けていたのではない。寮の正面玄関を開けるまで、2人はそう自身に言い聞かせ続けた。
部屋の明かりがつくと、久しく見てない筋トレ器具たちが、昭弘の視界に広がった。
「さて」
主の帰還を祝うように、若干埃を被った鉄たちが、それでもなお照明を力強く反射する。
「待たせたなお前ら」
昭弘が、130号室に帰ってきた瞬間だった。
駅までの帰り道、虫がヒソヒソとざわめく中、一夏は白けた目を箒に向けて言い放った。
「ハグくらいすれば良かったのに」
「大きなお世話だ」
彼女の一言に合わせるように、夜の虫の合唱が、ほんの一瞬だけ止んだ。