そんな苦しみに悶えながらどうにか生まれた話です。
黒、若しくは白か灰色のコード類。濁流のように複雑に絡み合うそれらの頭上を、あらゆるデバイスが陣取っている。一見乱雑にも思えるその空間はしかし、無機質な匂いも相まって、空室のような静けさを伴っている。
格納庫。簪にとってそこは、一人で頭を整理するには打って付けの場所だった。
「・・・」
壁にもたれ掛かるように座りながら、指に嵌まった待機形態の打鉄弐式を見詰める簪。
暫くそれを見詰めた後、深く息を吸い込み、そして吐き出す。その呼吸に意味が無いことは、何となく彼女には分かっていた。
(・・・駄目か)
やはり、どんなに力を込めて引っ張ろうと、打鉄弐式は外れなかった。
指の感触で解った。これはもう、外的な力で外れるものではないのだと。施術して外せば、激痛と代償を伴うものだと。
更識簪という身体が、打鉄弐式と一緒になったのだと。
それでも恐怖は無かった。ただ後戻りできないという事実だけが、簪の頭に浮かぶだけだった。
或いは、これから彼女が打ち明けねばならない恐怖に比べれば、些細な問題というだけなのかもしれない。
「かーんざーしちゃん」
透き通るように美しくも、大木のような安心感を与える声。姉である楯無の声に、簪は振り向く。
「お姉ちゃん」
「今日は本当にお疲れ様。自室でゆっくり休みなさい」
「ううん、平気」
そうぎこちなく笑って見せると、簪は言葉を続ける。それはどこか、打ち明けるのを避けているようであった。
「それより、制御室の実行犯は?フィールドの人質も・・・」
「拘束されたわ。何の抵抗も無く、すんなりお縄についた。人質は全員無事、捕まってた八尾先生もね」
姉からの確かな情報を得て、安堵すると共に、簪は頭を巡らす。
使い捨ての実行犯のことを考えても仕方が無いと、簪自身解っていた。尋問した所で大した機密は喋らないだろうし、面識も無い故、怒りや悲しみも特に湧かない。
ただ、想像してしまったのだ。ダリルが無抵抗で投降する様を。それこそ役目が終わったように、ダリル・ケイシーという人生を全うしたかのように。
そんな想像上のダリルに、スコールの言葉を重ねる簪。死が目前にあっても尚、行動を止められない、意志に背けない者が放つ力強い言葉。
強い精神、崇高な意志、揺るがない指揮系統、そして強大な組織力。そんな相手に、思考も心も統一できていない自分たちが太刀打ちできるのか。
それら不安は、自然と簪を次なる話へと誘う。今後の対応について。
「織斑先生は・・・今どうしてるの?」
「関係各所と連絡を取り合っているわ。日本政府にIS委員会、
「・・・私にできることは?」
妹の真っ直ぐな眼差しに対し、楯無は冷たい溜息を吐きながら答える。
「言ったでしょう、今は休みなさい。各国の出方も部隊編成も、敵の今後の動きも分かってないの。動けば体力を消耗するだけだわ」
正論で諭してくる姉に対し、簪は変わらない眼差しを向ける。
何秒か楯無を見詰めた後、簪はその場から立ち上がる。
「休むのよね?」
「・・・皆の意思を確認してくる。現状でどうしたいのか・・・事前に知っておきたい。話したいこともあるし・・・」
「・・・」
押し黙る楯無。
何も返せないからではない。この一言を放つべきか、迷っているからだ。もしかしたら、今の妹にとっては酷な言い方だろうから。
それでもやはり言うことにした。今は兎に角休んで欲しいから。
「簪ちゃん、アナタは昭弘くんじゃないのよ」
「・・・」
今度は簪が押し黙った。
姉の心境なんて、簪には分かり切っている。妹への不信から言ってるのではないこと、単に心配だからそう言ったに過ぎないことも。
何より、昭弘みたく立ち回れないことなんて、簪自身重々承知している。
それでも―――
「それでも・・・備えなきゃ」
はっきり言って今の学園は、風前の灯火だ。本校舎は安全面の観点から使用できず、教員の大部分も精神的不調を抱えている。生徒たちの不安も計り知れない。
その上、明日どうなるかも分からない。亡国機業は、今もどこかで「何か」をしているのだから。
親友の救出、亡国機業の殲滅、学園の復興、そして昭弘の言葉。それら全てに通ずる準備こそが、会って話すことなのだ。思考と心を繋げる為に。
そう、話さなければならない。今この場に居る、自身を常に想ってくれているこの人には、特に。
故に立ち上がった後も、簪は歩き出さなかった。
後はどう切り出すかだ。
きっと昭弘なら、上手く機転を利かすのだろう。だが姉の言った通り、簪は彼のような機転を持ち合わせていない。
「アタシに打ち明けることがあるのも、備えの一つ?」
故に、そんな風に促されなければ何も話せないことが、少し悔しかった。
それも相まって、簪は楯無の視線を避けるようにしながら、嗚咽のような声で話し始めた。
「・・・・・・お姉ちゃんは・・・人殺したこと・・・ある?」
突然の問い掛け。常人なら動揺するか、何故と逆に問い返してくるだろう。
しかし楯無は、表情を一切変えることなく黙って妹を見詰めていた。数秒程そうしていると、力無く視線を落として返答する。
「ええ。数え切れない・・・って程でもないけど」
そう答えると再び、楯無は簪に視線を戻す。
アナタはどうなのだと、二択を迫るが如き紅い瞳。答えてしまった相手の瞳をも同じ紅に染め上げるような、吸い込まれそうな瞳。
しかし簪の瞳は、最初から姉と同じ紅だ。染まりようがない、つまりは躊躇うこと自体が無意味だ。
そう自身に言い聞かせ、簪は嗚咽の声で続ける。得物を握っていたその手を、その手の一部となっている打鉄弐式を眺めながら。
「嫌な気分だった・・・よね、きっと。
尚も簪は、手の平の打鉄弐式を見詰めたまま続ける。鏡に映る自身へと話しかけるように。
「その小さな反応が・・・最初で最後だった。後は血飛沫を見ても、飛び散る肉を見ても・・・何も感じなかった。相手への哀れみも・・・何も湧かなかった」
そうして簪は、漸く楯無へと視線を戻す。涙を滲ませる紅い瞳には、懺悔の色が見えていた。
「お姉ちゃん。アナタの妹は・・・そういう人間だった。人を傷付けることができる側の・・・人間だったの。ごめんなさい・・・背中を押してくれたのに、こんなことしか返せなくて。ごめんなさい・・・こんな風に育ってしまって。ごめんなさい・・・突き進むことしか頭に無くて・・・」
深く頭を下げ、何度も謝罪の言葉を述べる簪。
常に自身のことを見守ってくれている、心優しい姉。だからこそ簪は、今の楯無が酷く恐ろしかった。愛想を尽かされてしまうことが、悲しみの余り泣かれてしまうことが、もう妹として見てくれないことが。そして、やはりあの時に止めるべきだったと、愚かな姉として己を蔑むことが。
ISコアと一体化していたからだと、言い訳をするつもりはなかった。敵兵を殺めたのは、紛れもない簪の意思だ。そもそも打鉄弐式との一体化自体、他ならぬ簪の選択だ。
常人が持つべき躊躇いは、澄んだ瞳で打鉄弐式を見ていたあの時から、既に失われていた。
「私も
そう。簪は亡国機業の力を恐れているが、その彼女もまた亡国機業たり得る存在なのだ。その力が今必要とされていることも、簪は解ってしまっていた。
だから、という訳では無いが。そんな己を変えるつもりは、簪にはなかった。
彼女はただ、謝罪と共に打ち明けただけだ。自身の人間性を。
もしこれで姉との繋がりが切れたとしても、寂しさを引き摺りながら簪はただ進む。歩みを止めることなく。
寧ろそれが望ましかった。その方が、定めた物事に集中できるのだから、振り返らずに突き進むことができるのだから。
簪から見た、昭弘とセシリアのように。
そう思っていた、そう思いたかったのに。
「知ってるわ」
優しく柔らかい姉の声が、シャボン玉のように簪の心を浮かせようとする。
「全てアナタの選択ということ、止めなかったアタシの選択であることも、そして・・・人間誰しも綺麗なままでは居られないこともね」
そう言って、妹の頭を撫でる楯無。髪の間を細い指が通過する度に、進む力が抜けていく。
「それでもアナタは、アタシを今でも「お姉ちゃん」と呼んでくれる。それだけで十分よ」
その言葉と同時に、あの世界で見た2人を簪は思い浮かべる。無機質に泣く、昭弘とセシリアを。
2人が何故泣いていたのか、結局今でも簪には分からない。
ただ、少しだけ解ったような気がした。2人にもまた、振り返るべき何かがあったのではないかと。姉の言葉が、簪の思考をそんな方向へと誘った。
「・・・」
止まるつもりなんて、簪にはさらさら無い。しかし、弱音を吐かない昭弘のような鋼の精神性も、彼女は持ち合わせていない。
だから、姉の前でくらいなら振り返っても良いと、今はそう思うことにした。
どこまで行っても妹でしかない彼女は、楯無を「お姉ちゃん」としか呼べないのだから。
意志を遂行するには、そういうモノが簪には必要なのだ。
簪は格納庫を出てから、そのまま学生寮へと赴いた。
夕日が照らす彼女の表情には、先程までの不安定さは無く、心の切り替えができていると伺えるものだった。
そうして正面玄関から入ってすぐのエントランスホール。そこでは、セシリアたち専用機持ち4人が、静かに座していた。
自室に籠るのが落ち着かないのか、互いを慰めているのか。どちらにせよ呼び出す手間が省けたので、簪からすれば都合が良かった。
そして早速、簪は皆に向かって声を上げる。
「みんな・・・お休み中にごめんなさい。話しておくことがあるんだけど・・・今いいかな?」
4人は困惑気味に互いを見やる。セシリア以外、簪との面識は殆ど無い故に、思惑が計りかねないのだろう。
しかし断る理由もないので、その困惑もまた短かった。
「構わん、話してみろ」
ラウラにそう促された為、簪は落ち着いた口調で語り始める。
「先の戦いで・・・皆も声を聞いたと思う。アレ・・・全部私の仕業なんだ」
何の話だと、セシリアだけが首を傾げた後、当事者であろう3人を見渡す。説明を求める視線にはしかし、追求的なものは無かった。
3人の反応は様々だった。驚きの表情を見せるシャルロット、そうだこの声だと思い出す鈴音、変わらず静かに簪を見据えるラウラ。
それらを把握した所で、簪は続ける。
「私と打鉄弐式の・・・能力なの。それだけ伝えたかった」
「ほう。勝手に人様の頭に入り込んでおいて、謝罪の言葉は無しか?」
ラウラの鋭い問いに対しても、簪は何ら動揺を見せずに続ける。
「嫌な思いをさせた自覚はある・・・けど謝るつもりは無い。アレは戦術上・・・必要な措置だったし。今後も同じ状況に陥ったら・・・またこの能力を使うと思う」
そう言われてしまえば、誰も何も言い返せなかった。苦戦していたことも、それを打開できたことも事実なのだから。
しかしラウラは、何も本気で謝罪を求めていたのではない。どちらかと言えば、それに対する簪の出方を窺っていた。
「それで?わざわざ私たちに能力を明かす理由は何だ?」
ラウラの言う通り、簪にとってはここからが本題であった。
「この先、皆が戦うのか戦わないのか・・・それを確認したかっただけ」
人質の奪還作戦であろうと何だろうと、生徒が招集されるかは未知数だ。第一、代表候補生で各国のしがらみがある簪たちだ。行動は制限されるだろう。
それでも、戦う意思があるかはまた別の話だ。それも弱いものではなく、再び生殺の場を体験する覚悟が、簪に操られる覚悟があるかという強い意思。
それらを思い浮かべながら、簪は4人を見る。普段のように静かな、去れど力強さを内包している紅い瞳で。
その目を前にして尚、最初に答えたのはセシリアだった。
「当然戦いますわ。立場だのお国だの、知ったことでは御座いません。ただし―――」
そう言うと、セシリアは簪の眼前にまでズイと近付き、至近距離で激しく睨む。
「その「脳内に入って操る」とやらは、私には御遠慮頂きたいものですわね。私の戦いは、あくまで私のものですので」
対し、簪は変わらず静かに見据えたままだ。意に介するものなど無いように。
簪のそんな心の有り様は、次の言葉に現れていた。
「安心して。オルコットさんがちゃんと強ければ・・・操ったりしないから」
途端、セシリアは自らの威圧が全て跳ね返された気がして、道を開けるように下がっていった。毅然と努めようとするその様子は、僅かな揺らぎを隠すようでもあった。
そんな彼女に構うことなく、簪は残り3人の返答を待つ。
「・・・私も戦うつもりだ。操られるのは癪だが・・・何もせず待つのは性分じゃない」
悩む時間も短く、戦いの選択を取るラウラ。ここで尻込みするようでは昭弘に顔向けできないと、そうも考えているのだろう。
残りは鈴音とシャルロット。
しかしやはりと言うか、先に答えたのは鈴音だった。弱々しい笑顔を繕いながら。
「・・・ありがとう更識さん」
謝意を述べられるとは露程も思っていなかったのか、鈴音に対しこの場で初めて動揺を見せる簪。
「お陰でモヤモヤが一つ晴れた。アンタが良い子だってのは、何となく分かる。操ったのがその更識さんなら、何だか怖くない」
そこまで言い終えると、鈴音は安心した顔を視線と共に落とす。
「けど、今回ばかりは戦わないつもり。昭弘にも言ったんだけどね」
「・・・そう」
肯定も否定もせず、簪はそう一言だけ返した。
そして最後に、残されたシャルロットを簪は見る。
有無を言わせない眼差しから、シャルロットは逃げるように視線をずらし、愛想笑いを浮かべながら答える。
「えーっと・・・僕も遠慮しとこうかなぁ・・・なんて、ハハ」
途端、突き刺すような視線が周囲から注がれる。理由を求めているのは明らかだった。
何故自分にだけ理由を求めるのかと、釈然としないシャルロットはあたふたしながら続ける。
「いや、そりゃ僕だって助けたい気持ちはあるよ?ただ、今回は学園祭を台無しにされたからカッとなって戦ったけど、流石に殺し合う覚悟は無いというか・・・。またあんな風に操られるのもさ・・・。あとホラ、向こうさんも織斑先生が来たら解放するって言ってるし、下手に刺激しない方が・・・」
申し訳なさそうに弁明するシャルロットだが、簪は表情を変えずに黙って見ているだけだった。
そんな中、ラウラだけは溜息交じりに物申した。
「まさかと思うがシャルロット。戦場で織斑教諭と敵部隊が戦って、それでハイ終わりだと本気で思っているのか?」
「えっ」
「アレだけ綿密な作戦を立てて多大な犠牲を出してまで、生徒を攫っていった連中だぞ。他にも何かあると考えるのが自然だ。世界を巻き込むような何かが・・・な」
「そうですわね・・・いずれにせよ、今後は小まめにニュースをチェックした方が良いでしょう」
救出部隊として出撃しようがしまいが、どの道どこかで亡国機業と交戦する可能性は高い。それがラウラの考えだった。
そうなれば、結局命を賭けて戦う羽目になる。専用機を保有している者は特に。
しかし、現時点での簪の目的は敵の行動予測ではなく、あくまで意思の確認に過ぎない。
故に、戦わないという選択として受け取るだけだ。
「気にしなくていい、別に強制じゃないし・・・。ただ、気が変わったらいつでも言って欲しい」
そう言い終えて、一先ずこの場から去ろうと踵を返す簪。
「お待ちなさい、簪さん」
セシリアに呼び止められ、背を向けたままピタリと止まる簪。
「貴女はどうしますの?」
簡単な問いを背中で受け、簪は振り返らずに即答する。
「戦うよ」
「何故?」
立て続けな、しかして強く求めるような問い掛けに、今度はゆっくりと振り返りながら答える簪。
少し笑みを携えたその表情は、迷いの無い精悍なものだった。
「IS学園が好きだから」
その一言で、その表情で、この場に居る全員が思った。彼女なら、この凍てついた学園を纏め上げてくれるかもしれない、と。
あの大きな青年のように。
その中でセシリアだけが、全く別のことを思っていた。
簪とは違う、安心したような諦めがついたような、小さい笑顔を貼り付けて。
―――私なんかじゃない。やはり本音には貴女ことが相応しい
簪がその笑顔から、セシリアの内心を読み取ることは無かった。
次話以降も引き続き苦しみに悶えながら執筆しようと思います。
・・・Mなのかな?