着々と消灯時間が迫っている中でも、セシリアに焦りのようなものはなかった。それこそまるで就寝前のように、リラックスした表情だった。代表候補生でなくなることへの葛藤も、その表情からは伺えない。
それに対し簪は、言いようのない薄気味悪さを感じた。この世の終末のようなものを、佇むセシリアから感じ取った。
一先ず、本音のベッドに座るよう促す簪。それはセシリアに気を回したと言うより、気味悪さを和らげたいという思惑の方が強かった。
セシリアが座るのを確認してから、簪も自身の椅子に深く腰を下ろした。
「・・・・・・それで?」
簪の第一声により、セシリアは己の内側に積もるあらゆる感情を、赤裸々に吐露し始める。
「単刀直入に申し上げますわ。・・・この戦いが終わったら、本音を貴女に託したいのです」
「?」
突然の申し出に、思考が止まってしまう簪。
結論から話した手前、セシリアは予定調和とばかりに動じることなく理由を述べていく。
「織斑先生を救出できたとしても、今後世界は非常に不安定な情勢となりましょう。あのMPSなる兵器があらゆる武装集団に渡れば、当然の帰結と言えますわ。そうなれば不干渉地帯であるIS学園も、決して安全な場所では御座いません」
そんな状況で代表候補生の肩書きにしがみついても意味は無い。そこはセシリアも理解しているようだ。
だがそんなこと、今の簪にはどうでも良かった。
「・・・だったらオルコットさんが・・・本音を護ればいいじゃない」
セシリアの理由が続くと分かっていても、簪は敢えてそう返した。先程から彼女が放つ終末感に、嫌な予感を覚えたからだ。
「ええ、分かっております。ここからが本題ですので」
そう言うとセシリアは、雰囲気を更に冷たいものへと変えながら切り出した。
「私が・・・本音の側に居てはならないからですわ」
それで漸く、セシリアの放つ雰囲気の正体が分かった簪。同時に、更なる不可思議も生まれる。攻防戦直後のあの時だって、必死に本音を庇っていたと言うのに。
当然、ずっと一緒に居たいというのがセシリアの本心だ。だがそうなるには、セシリアの心は余りに乱雑に燻り過ぎていた。他ならぬ愛と、様々な本心によって。
それらは自然と、思い人を自身から遠ざけていった。
「今回の一件で確信が持てました・・・私には戦いしかないのだと。両親が亡くなってから、私は常に戦っておりましたわ。IS乗りとしても、一人の貴族としても。そんな環境で、私の中には着実に芽生えているものが御座いました。あらゆる戦いへの喜び・・・それだけが、私の中にポッカリと空いた寂しさを紛らわせてくれました。その「私」という自己を築き上げた土台は、愛を知った所で変わることなど御座いませんでしたわ。それを証明するかのように、復讐すべき相手が目の前に現れました。これを宿命と呼ばず何と呼ぶのか」
憎悪と愛情。日々セシリアの中では、そんな過去と現在がずっと鬩ぎ合っていたが、寧ろそれで良かった。本音が傷付かなければそれで。
しかしその内の過去が、親の敵であるスミルと出会ってしまったことで、彼女の中で一気に増幅されてしまったのだ。己の力を有意義に使うことができると。己の中で膨らむ原初的な闘争本能に、正当性を持たせることができると。
それは歪んだ形で、セシリアの中にある方程式を否定していった。「闘争こそが愛を身体中に行き渡らせる、愛こそが闘争心を研ぎ澄ませる」という、戦いの中で編み出したものを。
しかし今更、愛という甘美な感情を捨て切れる筈もない。
尚も懺悔を零すセシリアに対し、簪は神父のように黙って聞いていた。
「何故ラヴィリスがそんな過去を暴き立てたのかも・・・今なら納得できます。私の愛が復讐心に勝るのかどうか・・・確かめたかったのでしょう。その結果がこれですわ」
結局の所、同じ規模の愛と憎悪が住み着いてしまった。頭の角を触りながら、セシリアは自身のそんな推察を吐き捨てた。
脳から突き出る、脳そのものとなりつつある翡翠色の角。それを見る度、触る度に、セシリアは自身の人間性が薄れていくのを感じた。
若しくは、最初から振り切れた方が良かったのかもしれない。愛も何も無い、復讐の獣に。
「簪さんもお気付きなのでしょう?私とアルトランドの状態を。私も彼も・・・必然からこうなったのですわ。親を殺され、戦いの中でしか己を解放できなかった。だから一体化した・・・同じく戦うことしかできない兵器と」
刃を振り下ろす、銃を撃つ、相手を負かす。その根源的快感から、昭弘とセシリアは逃れることができない。孤独を埋めてくれるのは、いつだって戦いだけだった。
逃れる術を教える筈だった、他の生き方を与える筈だった両親は、もう既に何処にも居ない。そして新たな仲間を得るまで、その孤独は余りにも長すぎた。
その果てに待ち受けているものは、闘争心だけが残った、ISでもMPSでも人間でもない形を持ったナニかだ。
だが、と。セシリアは顔を上げた。自身や昭弘とは違う、唯一の例外が存在すると。
「ですが貴女は、闘争の果てに死んでいく私やアルトランドとは違う。一体化しても尚、揺るがぬ明確な意志がある。貴女にとっては闘争も一体化も、単なる手段の一つに過ぎないのでしょう。護りたいものを護る為の。・・・そして何より本音と貴女は、互いに互いを好いている」
簪に抱くセシリアの感情は、最早嫉妬心すらも通り越し、絶対的な信頼へと昇華していた。
IS乗りとしての圧倒的実力、高度な頭脳、そして一体化しても揺るがない高い精神性を併せ持つ簪。昭弘の言う通り目の前の少女は、いずれ闘争に呑まれる自分たちとは違う。
そんな彼女ならきっと、本音のことも護ってくれる。そして互いに護り護られる。そう解釈した簪は、セシリアがこれから言おうとしていることも、先読みするが如く代弁する。
「・・・つまり何?そんなオルコットさんと一緒に居れば・・・本音が危ないと?だから本音と仲の良い私に押し付けて・・・アナタは闘争心のままに、この戦いでのうのうと死んでいく・・・ってこと?」
それを肯定してしまえば、セシリアの言っていることは自殺とほぼ同義だ。
それは命を掛けて戦うこととは、本質的に全く異なるものだ。戦いが目的となっているのだから、生きようと思っていないのだから。
そのことを十分に理解した上で、尚もセシリアは幽霊のように冷たく答えた。
「要約すれば・・・そういうことになりますわね」
沈黙が、622号室を支配する。超防音の部屋では、夜闇の中に居る虫の鳴き声も聞こえない。
双方、何の言葉も発さない。外の暗闇に言語を奪われたような、永遠にも感じる長い沈黙だった。
セシリアは不動の姿勢で、目を閉じる簪を見詰めていた。時折、癖のように額の角を触りながら。
返答を待つその様子は落ち着いており、永遠の牢獄に身を委ねるかのようであった。
一方、目を瞑ったままの簪。眠っているだけにも見えるその表情からは、心の内を窺い知ることはできない。
しかし、沈黙から1分か数分が経過した所で、簪は漸くその瞼を開けた。
そして今度は、自身の手の平を見詰める。視線の先には、今も指から離れない待機形態の打鉄弐式が、美しく自己主張していた。
昭弘やセシリアと同じ、機械と一つになった証。ごく一部の選ばれた者にのみ宿る、禁断の力。
セシリアの言う通り、簪は皆の為にこの力を使うのだろう。成程確かに、その点は昭弘とセシリアとは異なる在りようだ。
簪は、セシリアとは違う。自身か最愛の一人、ただ一つの為に力を振るうセシリアとは。
そう思うと、簪は手の平を握り締めた。指に嵌まる打鉄弐式を覆い隠すように。
今、簪がどんな表情をしてるかなんて、眼前のセシリアにしか判らない。だったら今、簪がどんな心境でいるのかも、果たして解っているのだろうか。
「ふざけるな」
気が付けば、簪はセシリアの胸倉を掴んでいた。
IS戦以外で初めて、人に手を上げてしまった簪。本来なら彼女は、こんな直情的な行動に出る人間ではないのに。
そうやって自身を諫めようとしても、その怒りはまるで静まらなかった。どころか、制服の襟を握る力はどんどん強くなっていく。
「そこまで自分を分析できているのに・・・どうして本音の気持ちは考えられないの?アナタがそんな死に方をすれば・・・本音がどうなってしまうか想像つかない?」
眉間に皺を寄せ、歯を食い縛りながら怒りを言葉にする簪。前髪により出来上がった影からは、紅い瞳が普段以上に紅く燃え上がっていた。
そんな簪を前にしても尚、セシリアは動じずに言葉を返す。
「ええ分かっておりますわ、これが自身のエゴだということは。彼女は酷く悲しむでしょうが・・・それでも私は、彼女に傷付いて欲しくはありませんの。何より貴女なら、本音の心の傷もきっと癒してくれ―――」
セシリアが言い終える前に、簪はもう片方の手も胸倉へと持っていき、両手でセシリアの襟を締め上げた。
「全然分かってなんかないよ、アナタは。アナタの代わりなんて・・・」
そこまで言うと、簪は変わらずセシリアの胸倉を掴んだまま、少しだけ力を緩める。自身を落ち着かせるかのように。
「・・・セシリア。これから放つ私の言葉に、昭弘の意志は介在しない。それを踏まえた上で・・・あくまで私の言葉として、よく聞いて欲しい。・・・・・・・・・私はずっと、アナタが羨ましかった」
己の聞き間違えかと、セシリアは目を見開く。胸倉を捕まれても動じなかったというのに。
「昭弘たちと出会うまで・・・私はずっと、他者を拒絶してきた。そんな私の唯一の親友が・・・布仏本音だった。きっと本音にとっても、私が唯一の親友だと・・・自己中心的だった私はそう思っていた。なのに・・・」
簪は怒りと衝動を抑え込むかのように、再び両手に力を込める。
「なのに本音にとっての一番は・・・私なんかじゃなかった。認めたくはなかったけど・・・ISTTでタッグを組んでみて、それがよく分かった。今でもそれだけがずっと心残りで・・・そして悔しかった」
6月末のあの時。ブルー・ティアーズのビットを増設する際、本音と共にアリーナDへと訪れたセシリアは、簪に酷く嫉妬していた。付き合いの長さでも、一日を共に過ごす時間の長さでも、そして互いの心を打ち明かせる親密度でも劣ると、そう思っていたからだ。
だが簪の羨望もまた同等だった。彼女は気になった、本音とセシリアがどんな話をしているのか、どうして自分以上に本音に慕われているのか。付き合いの長さも共に過ごす時間も、自分の方が勝っていると言うのに。だからあの時、ぎこちなく声を掛けてしまった。作業の邪魔をしたくないと思っても尚。
7月の臨海学校も、心の奥底では本音に行って欲しくなかった。一緒に、打鉄弐式を作り上げて欲しかったのだ。
そして何より今、最大の羨望が簪を襲っているのだ。
「アナタの真っ直ぐな思いも・・・羨ましい。ずっと一人の人間を思い続けられる・・・凄いことだと思う。世界を選んだ私なんかとは違う」
自分の世界を開拓していく反面、その帰結として相対的に薄れていく親友との繋がり。
時折、簪は思った。セシリアのように愛を選んでいれば、本音と親友以上の関係になれたのではないかと。
そんな選択肢自体、抑も最初から無かったが故に、セシリアを羨むしかないのだが。簪は、変わるべくして変わったのだから。
「もう・・・分かるでしょう?私にはアナタの代わりなんて・・・務まらない。セシリアの代わりは・・・セシリアにしか務まらない。それで本音に危険が迫っても・・・彼女なら嬉々として受け止める。彼女は・・・セシリアが思っている以上に強い」
親友として幼馴染みとして、セシリアより遥かに昔から共に過ごしている簪が言うのだ。強がりでも誇張でもないのだろう。
「だからそんな・・・愛を捨てるようなこと言わないで欲しい。あんな奴に・・・復讐心なんかに負けないで欲しい。私のこの羨望を・・・無駄なものにしないで欲しい・・・!」
セシリアの胸倉を掴んだまま、懇願するように項垂れる簪。力み過ぎたのか、それとも感情の高ぶりからか、握り締める拳は震えていた。
再び訪れる沈黙。
しかし今度のそれは短く、セシリアが溜息を吐いたことですぐに終わった。
「・・・・・・貴女がこれほど激情家だったとは、思いも寄りませんでしたわ。もし本音を悲しませたら、それこそ貴女に殺されかねませんわね」
セシリアの言葉に対し、項垂れた簪は少し間を置いてから小さく頷く。例えセシリアが死んだ後だろうと、もう一度殺しに行くとでも言いたげに。
それを見て、セシリアは小さな笑みを零した。その表情はどこか、腫れ物が落ちたようにすっきりとしたものだった。
「貴女こそ、良き愛をお持ちではありませんか」
復讐心に負けるなと言われた所で、スミルへの憎悪が消える訳では無い。それもまたセシリアの一部なのだから。
ただ、セシリアが本音の側に居ても居なくても、どちらにせよ本音は傷つく。遅いか早いか、肉体的か精神的かの違いでしかない。
ならばいっそ、セシリアの望む通りに、そして本音の望む通りに動いても良いのではないか。感情に訴えかける簪の言葉を聞いた後だと、そんな考えさえ浮かんで来る。
それにセシリア自身、スミルに殺されるつもりは更々無い。奴を確実に始末することは、セシリアにとって全てにおける大前提だ。どんなに奴を憎んだ所で、殺せなければ意味が無い。
もしも、復讐心を完全に制御できるのなら。もしまたあの時のように、愛のままに戦えるのだとしたら。
セシリアは、一先ずといった具合で考えを纏めた。
「取り敢えずは「死なないように努力する」・・・とだけ言っておきましょう。もしそれで納得できましたら、手を離して下さります?」
「・・・」
数秒の沈黙の後、簪は少々不服そうに襟から手を離した。本来なら「必ず生きて帰る」と、そうセシリアに言わせたかったのだろう。
そうして立ち上がったセシリアは、去り際の言葉を放った。
「こんなことを言えば、また貴女を怒らせるかもしれませんが・・・。簪さんが何と言おうと、私にとって貴女は恋のライバルでしてよ。その思いは変わりませんわ。・・・では、失礼致しますわ」
そうしてセシリアは深々とお辞儀をし、622号室から退室していく。その姿からは、先程から纏わり付いていた終末感は無かった。
一縷の希望を得たのか、単に気が楽になっただけなのか、簪には判別できなかった。
それより、一方的にライバル認定されても困る簪。どこまで行ってもセシリアのようにはなれない彼女は、本音の親友の域を出ない。
だが本音の親友として、道を踏み外したセシリアを殴る程度のことはできるかもしれない。
ライバルならそのくらい構わないだろうと、簪は都合の良い解釈をすることにした。
622号室に、簪だけの静寂が訪れる。
本来なら居る筈のルームメイトが居ない部屋、本音が居ない部屋。簪の吐息だけが、その部屋を虚しく回っていた。
そんな中で、簪は再び打鉄弐式を見詰めていた。
そして、さっきセシリアを引き留めてでも言うべきだった言葉を、無意味に声に出した。
「セシリアは怖い?自分の結末が」
一体化に伴う代償を、セシリアは常に気に掛けている。そして恐らく昭弘も。
だが両者は、自身がどうなるのか感覚的に理解している。闘争の果てによる、自己の崩壊だと。
では簪の場合は。彼女は一体化の果てに、どうなってしまうのだろうか。簪の負う業とは何なのだろうか。
そう考えることで、遅れて簪は気付いた。代償があるのか無いのかすら、まるで理解していない自分に。
先が見えないことに震えるその様は、暗闇を手探りで歩いて行くかのようだった。
簪は、昭弘やセシリアとは違う。その言葉がずっと、簪の脳内に雨雲のように滞留していた。
自分だけ置いてきぼりにされているような、そんな孤独感に簪は苛まれた。
すいません!また暫く空けます!1ヶ月以上は空けないよう努力します!
ほんで次こそ昭弘が出ます。次こそ。