昭弘が退室した直後、相川たちの部屋は静まり返っていた。相川の吐露と虚の鋭い確認、その両方によって。
「も~お姉ちゃん?」
こういう時、何ら臆せず声を上げるのは本音しか居ない。空気が読めないのか、それとも敢えて空気を読まないのか、姉の虚でもその判別は難しい。
「なんでアキヒーにあんなこと訊いたの~?」
どうやら彼女は、この気まずい沈黙を全て姉のせいにするつもりのようだ。
妹の叱責に近い質問。虚は溜め息混じりに答える。
「だからごめんなさいって言ったでしょ。私だって悪気は無いの」
だが虚のその様子から、後悔は無いように感じられた。アレは当然の確認であったと。
そして虚自身、昭弘の答えを信じてはいないと。
それを証明するように、彼女は言葉を続ける。
「逆に訊くけれど、アルトランドくんが寝返らない保証なんてある?」
虚の問い返しに対し、相川と谷本は必死で反論する。上級生とは言え、大切な学友を疑うと言うのなら見過ごせない。
「昭弘さんは裏切りませんよ!ISに対して熱心だし、他の誰よりも実直だし・・・」
「虚先輩は知らないでしょうけど、アル兄ほど頼りになる人なんて他に居ませんよ。その・・・保証とかは上手く説明できないですけど」
案の定、肝心の保証を2人とも述べることができなかった。
当然、それで納得する筈のない虚は、寧ろ更なる反論材料を得たことで言葉を紡ぐ。
「真面目で頼りになる人だからこそ、苦悩の渦に落ちていくものよ。相川さんだってさっき、IS学園のことを・・・自分たちのことを暗に否定していたじゃない。アナタの評する真面目なアルトランドくんなら、尚更その考えに行き着くんじゃないの。現に彼は、アナタの考えを否定しなかった」
「それは・・・」
何も言い返せず固まる相川たちに対し、虚は構わず続ける。心苦しさを隠しながら。
「それだけじゃないわ。私たちが一歩も部屋から出られない中、彼だけは自由に部屋を行き来できる。そして部屋からチラリと見た限り、彼は外の隊員たちと友好的な関係を築いている。それが今の現実なの。例え彼に寝返る気が無くても、アナタたちが彼を信じようともね」
少なくとも、虚から見た昭弘は最早人質ではなかった。
何ら労するでもなく、敵陣と自陣を行き来する存在。虚たちが亡国機業の真の名すら知らない中、敵の事情も味方の事情も把握している存在。昭弘のそれは、かのダリル・ケイシーを彷彿とさせる。
信じていた彼女ですら敵方だったのだ。そんな経験をしている虚が、どうして昭弘を信じることができようか。
次会った時には、亡国機業かも判らない制服に身を包んでいる昭弘。虚はただ、それが恐ろしいのだ。
虚の言葉は、相川と谷本の中に芽生えさせるには十分だった。昭弘への確かな信頼、それとはまた別の何かを。
というより、最初から心の片隅にはあったのだ。問答無用で囚われる裕福な自分たち、特別扱いを受ける元少年兵の昭弘、と言った境界線が。
だから虚の言葉を否定できないのだ。元から無自覚に抱いていたものに、自覚が芽生えただけなのだから。
「・・・お姉ちゃんはアキヒーのこと、嫌い?」
的外れなようでそうでもない問いを繰り出した本音。そんな妹に対し、虚は小さな笑みを零しながら答える。
このお人好しな妹だけは、何を言っても昭弘を信じ続けるのだろうと、虚は改めてそう思った。
「好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃないの。ただ自分の身を案じているだけ」
少し演技がかった言い回しのそれは、どこか虚自身を卑下しているようでもあった。所詮、己の保身が第一に過ぎないのだという、虚の醜悪さを。
妹という他者の為に、人質を買って出ておきながら。
「アナタたちもそう、他人よりも自分のことを考えた方がいいわ。7人全員が解放されるとは限らないんだから」
「それって・・・どういう意味ですか?」
谷本の問いに、虚は深く息を吐きながら答える。最悪の事態を想定するかのように。
「ミューゼル兄妹はあの時「生徒を解放する」とは言ったけど、「生徒全員」とは言ってない。つまり例えば、3人だけ解放して、残りの4人は手元に置いておく・・・なんて可能性も十分に考えられるのよ。アルトランドくんだけ扱いが違うのも、それを物語っているわ。そもそも人質が無事である限り、ミューゼル兄妹に致命的な影響は無いもの」
そこから導き出される、虚にとって最大の懸念こそスミルであった。
奴が狡猾なのは、交渉の場に居た虚も承知している。生徒解放に関する穴も、間違い無く網羅している。
そして、セシリアと何らかの因縁があることも見て取れた。恐らく本音は、セシリアをその気にさせる為の材料なのだろう。
この部屋から本音だけを連れ出し、セシリアと果し合うその時までスミル自らが預かる。もしそういう展開になった際、自身は一体どうすれば良いのか。
虚の思考は、留まる事を知らなかった。
相川と谷本もまた、考えを多少は改めざるを得なかった。
少なくとも、7人が同時に解放されることはない。隣の部屋の3人に関しては特に。虚の語り口からは、そんな懸念がひしひしと伝わってきた。
何が正しくて誰が悪いかなんて、もうそんなことを考えている場合ではない。次の日には、自分だけ別の独房へと引き離される可能性だってあるのだから。
本音はと言うと、話が長かったのか姉の膝に頭を預け、一人うとうとしていた。姉の心配も知らないで。
その寝顔を見て再び小さく笑った虚は、話を切り上げることにした。
「・・・一旦ここまでにしましょう。そろそろアルトランドくんが戻ってくるかも」
既に虚の中では、昭弘をそういう存在として認識していた。
そんな彼女に倣うように、相川と谷本も口を噤む。
2人だって、昭弘を疑いたくはない。普段は勿論、人質という特殊な環境下では尚のこと、彼の存在が頼りだからだ。何より彼は、IS学園の大切な仲間だ。
信じたい相手を疑わねばならない。その息苦しさを、2人は生まれて初めて味わっていた。
或いはその疑念こそが、大人に近付く為の一歩なのだろうか。
昭弘が出て行っても尚、箒と一夏の空間は沈黙が支配していた。
昭弘の居ない静寂。沈んだ箒、病んだ一夏にとっては、存外にも心地良いものだった。3人の時は、和気藹々としているのが自然体だから、何かあれば昭弘が庇ってしまうから。
若しくは、勝手知ったる幼馴染み同士だからだろうか。
故にこそ、言葉を発するのもまた、ただ沈黙から脱却する為のものではなかった。その発声には、自然そのものがあった。
何も覆う物がない、自然で鋭利な言葉が。
「昭弘・・・きっと戻って来るよね」
そう溢す一夏。2人の沈黙を破った言葉は、結局そんな昭弘に関する内容であった。
「・・・・・・何が言いたいのだ?」
覇気の無い声に、微かな鋭さを乗せて返す箒。
欲する返答が来なかった為、一夏は溜め息混じりに項垂れる。
「そこはさぁ箒、「戻って来る」って言ってくれないと」
冗談めいた口調だがしかし、微かに見えた一夏の表情に笑みは無かった。
そうして顔を上げた一夏の瞳に、やはり光沢は見えなかった。
「それとも本気で思っちゃった?昭弘が戻って来ないって」
一夏の言葉により、箒の中で確信が生まれた。輸送機の中からずっと感じていた、一夏の妄執について。
あの時の縋るような一夏の視線が、箒の脳裏に蘇る。拒絶を許さない、望まぬ変化を認めない、箒と昭弘を縛るような視線。
それに対する震えを押さえ込むように、箒は両膝を抱えては力無く答える。
「・・・私だって戻って来て欲しいさ、ずっと3人で居たいさ。けど―――」
箒は、可能な限り力を振り絞って続ける。それで声が情けなく震えようと。
「けど仕方がないではないか。人が変わっていけば、関係だって変わる。私たちだけ例外な訳がない」
昭弘と三日月の関係を知ってから、そして一人トネードたちに連れられる昭弘を見てから、箒は覚悟を決めていた。どうなろうと愛する人の、昭弘の選択を尊重すると。
そうなればきっと、昭弘とは敵同士になってしまうだろう。箒は、大好きなISを否定する者たちと相容れることはできない。例えそれで世界が良くなろうと。
それでも、これまで昭弘と一緒に過ごしてきた時間は残る。箒はそれで十分だった。
寧ろ箒は、昭弘の意思に自分という存在を介入させたくなかった。箒の無理で元の関係に戻ったとしても、それこそ偽りの関係性でしかない。
決めるのは箒だと、昭弘はそう言うだろう。だから箒も、同じ言葉を贈るつもりでいた。
唯一の心残りと言えば、かの憎らしいトネードに昭弘が取られてしまうという、矮小な乙女心だけだ。
幼馴染みの、覚悟を秘めたであろう解答。
それすらも、一夏の心に響くことはなかった。あるのはただ、諦めとも取れる発言への幻滅と、箒に否定されたという絶望だけだった。
最早、一夏から見た3人の相違は決定的だった。一夏はこれ以上の変化を嫌がり、箒はどんな変化にも身を委ね、そして昭弘は全ての変化を見守る。
「・・・・・・変わったね箒」
吐き捨てた言葉に、箒と同じく否定を乗せる一夏。
昭弘と三日月の関係に、自身の行き着く所を見てしまった箒。亡国機業の所業ではなく、ISの行く末を憂いてしまう箒。そして、人をその手に掛けたと認めようとしている箒。
一夏の知る箒はもう、穢れてしまっているのかもしれない。取り返しがつかない程に。
そして昭弘も、亡国機業に寝返ろうとしている。
それら2つの疑念が、一夏の魂よりも大切な「三角関係」を壊していく。それに連なり、一夏の狂気が加速していく。
一夏の瞳に、冷たい漆黒の炎が燃え上がる。
―――何か手を打たないと
自分たち3人は、いつかは別れる。だがこのまま離れ離れになれば、心理的にも物理的にも3人の関係は消えてしまう。
そして、変わりゆく人間を元に戻すのは難しい。
ならばせめて物理的な距離だけでも、3人共ずっと近くに居なければ。
そんな考えを纏めていく自身もまた、亡国機業と同じくイカれているのだろう。そう自覚しながらも、一夏は黒い思考を止めることができなかった。
思考が、昭弘の脳内を巡り続ける。全てを知ってしまっているが故に。
誰にも共有できない、自身だけが知る情報を。
誰にも打ち明けられない、自身だけが抱える苦悩を。
それでも考え続けなければならない。正しさの為に動くのか、本心のままに動くのか。そして何が最優先なのか。
三日月と再び出会ってから、昭弘の中で延々と蠢くこの
そうして考えている内に、気が付けば部屋の前へと着いてしまった昭弘。深い悲壮に沈む少女と、黒い妄執に浸る少年が待つ部屋に。
2人の為に動くのなら、昭弘は生きてIS学園へと戻る選択をすべきなのだろう。だがその末に、IS学園の未来は無い。「IS学園での日常」という寿命が、少し延びるだけだ。
第一、此処から生きて脱出するにしても、今の昭弘たちだけでは余りに無力だった。
もっと根本的な、それこそ全てを終わらせるような力が無ければ、何も始まらないし何処へも辿り着けない。
―――終わらせる力・・・・・・・・・終わる?
その単語で昭弘は思い出した。あの黒い世界で、セシリアの言葉から学んだことを。
セシリアと、そして昭弘自身にとって、何が一番肝心なのかを。
―――オレ自身が・・・どう終わるか
無意識に、背中の阿頼耶識を触ろうとする昭弘。当然、ドーム状のグシオンに覆われている為、触れる筈がなかった。指先はただ、昭弘の身体となりつつある、肉とも鉄とも判らない物体を撫でるだけだった。
だが不思議と、嫌な感触ではなかった。まるでグシオンが、或いはグシオンを撫でる昭弘が、全てを受け入れているかのような。
終わりが見えているような、自身で終わりを操作しているような、そういう「絶望に見せかけた希望」を昭弘は感じていた。
それとも結局希望などではなく、「心優しい絶望」なのだろうか。
「あの・・・昭弘さん?」
扉の両脇に立つ見張りの隊員に急かされ、昭弘は我に返る。
「ああ、悪い」
そう短く謝り、今度こそ扉の前へと近付く昭弘。
だが隊員たちが声を掛けたのは、何も昭弘を急かす為だけではなかった。まるでこの世の全てを悟ったかのような、仏頂面の青年が見せる穏やかな表情。昭弘に自覚があるのかは分からないが、隊員たちはその表情が不気味でしょうがなかった。
「なぁお前ら」
そんな表情で急に声を掛けてきた為、隊員たちは更に身体を震わせてしまった。それは正しく、蛇に睨まれた蛙そのもの。
「な、なんですか?」
「ラッシュを呼べるか?」
また唐突なことを訊かれ、隊員2人は顔を見合わせる。
「は・・・はい。昭弘さんのお呼びなら、多分またスッ飛んで来ると思いますが」
「頼む。大事な話があるんだ」
大事な話。その言葉を聞き、2人は一転して歓喜に震えた。漸く鉄華団に入る決心が付いたのかと。でなければ、態々顔の広いラッシュを呼ぶ理由などない。
「任せて下さいよ!5分以内に来させます!」
「そこまで急ぎじゃない。・・・オレは部屋の中で待ってる」
そう言いながら、昭弘は箒と一夏の待つ部屋へと入っていった。
その後ろ姿が悲哀に満ちていることに、見張りの2人が気付くことはなかった。
IS学園の学友たちなら、瞬時にその悲哀を見抜いただろうに。
まさか虚の出番がここまで増えるとは思いませんでした。
そして意外と描いてて楽しい。
あと短くてすみません。