戦闘シーンを挟むと、どうしてもこうなりますね・・・。
『OM-002』
その記号が少女の全てだった。
織斑千冬を完全に模倣する為のクローン体。科学者たちにとってその存在は、名前を付けるには余りにも畏れ多く、それでいて全くの無意味であった。親でもなければ、その義務も愛情すらもないのだから。
全ては人類の進歩の為。或いは利益の為、名声の為、そして自己満足の為でもあった。
年端も行かない少女に対する、血も涙もない大人たちの所業。しかし少女にそう言った願望は無いし、大人たちも一作品として管理し易かった。
製作者と作品という、絶対的な距離感。それこそが、少女にとっても科学者たちにとっても、精神衛生上好ましいものだったのだ。
銀縁眼鏡を掛けたボサ髪の、この『所長』と言われる男だけは、良くも悪くも例外なのだが。
バリ・・・ボリ・・・
病院にあるような無機質なソファに座り、所長は休憩がてら気怠げにクッキーを頬張っていた。隣に座る少女もまた、慣れているのか特段気にすること無く同じクッキーを口に運んでいた。
どこか、少しばかり似た雰囲気を放つ両者。そんな2人の違いと言えば、今この瞬間に集中している対象くらいだろうか。
「相変わらず好きだねぇ、ブリュンヒルデ」
テレビの映像に熱い視線を送る少女に対し、所長は呆れながら声を掛ける。
少女はそんな所長を一瞥だけすると、またすぐブリュンヒルデへと視線を戻す。
殺風景な空間に流れる、紅一点の華やかな映像。薬品の匂いを嗅ぎながら観る、織斑千冬とISによる交じり気無しの攻防。
この映像を観ている時だけは、少女の乏しい表情も変わっていく。それこそ年相応な子供の顔へと。
そんな少女を見ながら、所長は心の中で呟く。
(この子の殺処分、明日の何時だっけ?)
それは所長が決定した訳ではないが、彼からしてみても残当な判断だった。
少女の能力テストはIS適正、身体能力、瞬発力、反応速度、空間認識能力等々、どれを取っても素晴らしいものだった。しかしそれでも尚、オリジナルである織斑千冬に到底届くものではなかった。
ならばもう、この少女に機材と人材、そして衣食住を投じるのは資金の無駄でしかない。予算も時間も限られている。
この研究所に勤めているのなら、差程珍しいことではない。仕事として割り切っている所長もまた、特に異を唱えるつもりはなかった。
「・・・」
再び少女の横顔を見る所長。
織斑千冬を見るその表情は、正に恋する乙女だった。頬はうっすら紅葉としており、瞳もまた星々のように輝いていた。クッキーを食べる手も、今や完全に止まってしまっていた。
巨大な山脈を、広大な大海原を、果ての無い砂漠を見渡すような眼差し。それこそ正しく、自身もまた織斑千冬であることを忘れているかのような。
少女のそんな様を見て、意を決した所長は懐からある平たい物体を取り出す。そしてメモ帳に何かを記入し始める。
すると、その物体と破いたメモ紙を少女の側に置いた。
「・・・あーヤバい!スペアのSC失くしちゃったよぉ!管理者権限のカードだから、拾われたら終わりだよもう」
わざとらしくそう嘆きながら、所長は少女のことを横目で見る。少女は既に、置かれたスペアカードとメモ紙を手に取っていた。
当然、少女は訝しんだ。
「・・・どういうつもりだ?」
しかし、所長がその問いに答えることはなかった。
「実験体が手にしたらマズいよなぁ。下手したら今日中に逃げられちゃうかも」
先の言葉と同じく、独り言の中にキーワードを入れるだけだった。そんな所長の意図は、少女にだって伝わっている。
少女が訊きたいのはそんなことではなかった。今更になって、何故自分を逃がすのか。
何故このメモ紙に『織斑マドカ』と書いてあるのか。
どんなに疑問を抱こうとも、所長の死んだ表情からは何も読み取れない。
それが彼の答えだと悟ったマドカは、諦めたようにカードと名前をポケットに仕舞った。何はともあれ、これで彼女は自由の身なのだから。生きるも、死ぬも。
憧れのあの人に会うことだって。
そうしてとうとうマドカは踵を返し、その場から立ち去ることにした。
「・・・・・・・・・恩に着る」
最後にそんな言葉を残した後で。
少女が去った後で、所長は深い溜息を吐いた。感謝される筋合いなど、微塵も無いからだ。報告書なんて己の権限で捏造できると、そういうことを言いたいのではなく。
あのカードを手にした所で、マドカが無事脱出できるかは未知数だし、脱出できたとしてもどこまで生きていけるか分からない。
あの名前だって、識別番号から抜き取って適当に考えただけだ。
何より所長は、情に駆られて彼女を逃がす訳ではない。科学者としてか人間としてかは彼自身にも判別し難いが、純粋に興味を抱いたからだ。ブリュンヒルデを見る時の、マドカの表情に。
単に織斑千冬のクローンとして作られたから、染色体が同一だからあんな反応を示すのか。それとも新たに生まれた全く別の自我として、織斑千冬を見ているのか。
一体どちらが本当の織斑マドカなのか。ただそれが知りたいというだけの、身勝手な理由に過ぎないのだ。
(寧ろ此処で安楽死した方が、幸せかもね)
嫌味などではなく、本気で所長はそう思っていた。今後マドカの人生には、暗い底無し沼が待ち受けているからだ。
織斑千冬になど決してなれない。その余りに残酷過ぎる現実が、マドカの終着点に佇んでいるのだ。
安らかな死か、生き地獄か。
そのどちらを良しとするかは、マドカ本人にしか解らないのだが。
雲一つ無い夜空、星々が支配する青黒い天界。そこで一層強く輝く、複雑な軌道を描く三色の帚星。
純白の機体を、巨大な蝶が追っている。その後ろを、更に黄金色の機体が激しく追い縋る。音速で動き回るそれらこそが、3つの帚星の正体であった。
《どうしたどうしたぁ!!》
白式に容赦無く襲いかかる、6機のビットとサイレント・ゼフィルス、計7方向からの光の針。それらの攻撃を一夏は零落白夜で薙ぎ、時に躱し、時に雪羅で防いでみせる。
(ヤッバコイツ。学園襲撃の時よりずっと)
それでも、全て防ぎ切るには限界があった。四方八方から絶え間なく降り注ぐビームの嵐は、嘗てのブルー・ティアーズを彷彿とさせる。
そして、それ以上と言わしめる特徴を、サイレント・ゼフィルスは持ち合わせていた。
ギャギィン!
大型のブレードが、雪片弐型とぶつかり合う。
《バカが!》
(しまった!ここで鍔迫り合っちゃ―――)
瞬間、雪羅を周囲に展開できなくなった白式に、全方位からビームが降り注ぐ。
「チッ!」
SEの大幅な減少を感じ、直ちにその場から離れる一夏。
(ブレードとビットのコンビネーション・・・やっぱり厄介ね)
6機のビームビットに、本体が携帯する銃身一体型の機械刀。相手は正しく超万能型のIS、或いは超攻勢型に改良されたブルー・ティアーズとも言えた。
こういう相手は通常、今の一夏と白式にとってはやりやすい。意識を自身に引き付けるには恰好の相手だからだ。そしてその隙に、紅椿が猛攻で削り切れば良い。
しかしこの戦法は、敵の意識を白式に逸らすという「意識の分散」が本来の趣旨だ。それをこうも執拗に攻撃されては、意識の分散も何も無い。防ぎ切るのに限界があるというものだ。
既に絢爛舞踏の恩恵があるにも関わらず、白式のSEは減少傾向にあった。それだけの、最早紅椿をまるで意に介さない白式一点集中型の猛攻であった。
マドカも犯罪シンジケートの一員というだけあって、ある程度の機体情報は筒抜けのようだ。一夏と箒の戦法も、それ故に逆手に取られていた。
それだけではない。懸命に躱し、どんなに雪羅を展開しても尚、突き抜けてくる刃と光線。白式の機動力すらも捉え、紅椿の攻撃にも全く気を取られないその様は、そのままマドカの実力を物語っていた。
忘れてはならないのが、ビットを自在に操りながら、それら全てのタスクをこなしているということだ。あのセシリアですら、その段階に至るまで血の滲む努力が必要だった。
これで未だ14歳なのだから、伸び代が計り知れないというもの。
だが普通なら紅椿からのビームビット、雨月、空裂により、相手のSEは風前の灯火となる。
それすらも封じているのが、ゼフィルスの保有するもう一つの兵装だった。
(ちょこまかと邪魔なシールドめ!)
紅椿の行く手を阻むように展開される、シールドビット2機。それら縦横無尽の盾は、紅椿が放つ熱線たちを悉く遮断していく。
突破できたとしても、ゼフィルスの高速機動を捉えるには精密さと弾幕が足りない。同様の理由で、接近戦に持ち込むことも難しい。
だが逆に言えば、接近さえできれば勝機もあるというもの。白式が墜ちる前に、どうにかその状況を作り出さねばならない。
そしてそれは、マドカも承知の上だった。
《そらそらぁ!!》
掛け声と共に、攻勢を更に強めるマドカ。ビームビットによって進路を絞られ、逃げ場を無くしていく白式に、容赦無くブレードが襲い掛かる。
そして相手の刺突を白式が躱した時だった。通り過ぎたゼフィルスが、クルリと反転して機械刀の銃口を向ける。
(ビーム・・・来る!)
一夏は最小限の動きで、眼前に雪羅を展開する。それで一先ず、この攻撃は防がれる筈だった。
ドドドドドドド!!
それがビーム兵器であれば、だが。
「な!?」
弾丸は雪羅をすり抜け、その全てが白式に直撃する。
(実弾にも切り替えられんの?あの機械刀一本にどんだけ仕込んでんのよ)
それは白式にとって致命的な不利であった。実弾ともなれば、回避する以外に選択肢は無い。しかもフルオートタイプと来た。
加えてそれが、ビームと同じく一本の機械刀から放たれるのも厄介だった。撃たれる瞬間まで、ビームなのか実弾なのか判別できない。
最悪の相性。普段通りの戦法では、逆立ちしてもマドカには敵わない。
敗北の二文字が、一夏の脳裏を掠める。
《ハーッ!ハッハッハッハ!!最高だなぁ!力で何もかもねじ伏せる感覚は!》
勝ち誇ったように、高らかに笑うマドカ。己が全能感に酔いしれている彼女の精神は、嘗て無い程に昂ぶっていた。
今の自分なら織斑千冬に届く、と。
成程確かに、それは彼女にとっては切実な問題だろう。唯一のアイデンティティと言っても良い。嘗て一夏もそうであったから、マドカの歪んだ願望は容易に想像が付く。
だがお陰で、一夏も新たな戦法が見えた。
それは最早、戦法とも戦術とも、作戦とも呼べない稚拙な思いつきであった。それでも、己が力に絶対的なプライドを持つマドカにこそ、効果を期待できるものだった。
そして残念ながら、この織斑一夏という少年に、戦いに対するプライドというものは一切無かった。あるのはただ、目的の為ならどんな手を使ってでも勝つという、禍々しい精神性だけだった。
今回も少年は、その精神性を惜しみなく発揮することにした。
「力でねじ伏せるって・・・よく言うよ。ビットだの万能機械刀だのフェイクだの、小細工ばっか繰り出しといてさぁ。千冬姉なら、刀一本でどうとでもなるんだろうけど」
陰湿な言葉を、ネチネチとマドカに送り届ける一夏。
早速、マドカから反応が返ってくる。
《何だぁ?打つ手が無くなったら挑発か?出来損ないのお前らしい悪あがきだな、可愛そうに思えてくる》
「挑発じゃなくて事実を言ってるだけ。アンタも心の奥底では分かってんじゃない?千冬姉に届くことは、未来永劫有り得ないって」
《フン、一生ほざいてろ》
マドカは尚も変わらず、凄まじい音速機動で白式を追い詰めていく。
とはならず、攻撃パターンが少しばかり変わった点を、一夏は見逃さなかった。
(少しだけど、機械刀による斬撃が増えた。メッチャ意識してんじゃない)
一夏は内心でそう言うが、実際は無意識なのだろう。逆に言えば、無意識下で動きが変わってしまう程に、一夏の突き付けた言葉はマドカにとって強烈だったのだ。
一夏の口角が嫌らしく上がる、術中に嵌める好機だと。あとはこのままより接近戦に傾くよう、白式の機動で誘導してしまえば良い。それでシールドビットの動きも鈍れば、紅椿と挟み撃ちにできる。
一夏の挑発を聞いて、何となく彼の作戦を理解した箒。実際、シールドビットの動きも先程より幾らか鈍ってきている。
一夏と同じく好機と踏んだ箒は、雨月・空裂・ビットによる弾幕を強め、突破する隙を窺う。
しかし、敵を倒そうとする冷静な思考とは裏腹に、その内心は決して乗り気ではなかった。
(・・・出来損ない、か)
この少女もまた、ブリュンヒルデという絶対的存在に囚われているのだ。今も目の前で戦っている幼馴染みが、嘗てそうであったように。
いや、箒もまた囚われている。天災である姉に、ISという兵器に、そしてかの筋肉青年に。
それは箒だけではない。きっと誰もが皆、誰かに何かに囚われているのだ。
そのことを、箒自身も悪いとは思わない。結局の所、囚われながらも前に進めるか否か、そこに尽きると彼女は考えていた。
この少女は果たして、前を向けるのだろうか。自身が織斑千冬の劣化判だと、気が付いて尚。
そう気付かせる権利が、箒と一夏にあるのだろうか。
(それでも・・・やるしかない)
マドカという少女がどう転ぼうとも、箒はありのままの自分をぶつけていくしかない。現実を見せるべく。そして気付かせるのであれば、せめてそんな現実にも僅かな希望はあるのだと説きたい。
そう気持ちを切り替えた箒は、ポツリと哀しげに呟いた。
「夢はいつか、覚めるものだから」
昭弘のことを思い浮かべながら、自身にも言い聞かせるように。
白式をビットで追い込んでは、機械刀を叩き込んでいくマドカ。時に激しい剣戟を制し、時に全方位から連続で突撃していく。
対する白式は最早、防ぐか避けるかでやっとな状況であった。
(まだだ・・・まだ足りん!)
狂笑を携えながらも、その渇望は留まることを知らなかった。
もっと圧倒的に、もっと華麗に、もっと絶望的に、そしてもっともっと強く。
(コイツじゃあない・・・私こそが!)
勝つだけでは足りない。自身が納得できるまで勝ち続ける。そう、一夏の顔が絶望に歪むまで。その済ました顔、自分は何とも思っていませんよと言いたげな顔が。
「!?」
その顔を見て、マドカの背筋が凍る。見えてしまったのだ。自身と同じく狂笑で歪む、一夏の口元が。それは表情の無いマネキンが、突如として笑みを零したような不気味さであった。
しかしそこは腐ってもブリュンヒルデのデッドコピー。何が何処から仕掛けて来るのか、思考するよりもマドカの身体が反応した。
ガギィッ!
「うぉっ!?」
振り向き様に掲げた機械刀には、紅椿の振るう刀がぶつかっていた。飛び道具としてではない、剣としての空裂が。
刃が届かなかったことに箒の表情は歪むが、マドカも不意の一撃に面食らっていた。
《箒ィ!そのままァ!》
それでもマドカの切り替えは早かった。
このまま紅椿と鍔迫り合っていては、先の白式と同じ状況に陥ってしまう。況してや、背後から零落白夜をモロに喰らっては、流石のこの機体でも堪ったものではない。事実この瞬間も、瞬時加速で白式は迫ってきている。
故に一刻も早く紅椿から、篠ノ之箒から脱さねばならない。
その方法を、この少女はこの土壇場で、即興で編み出す。
《何ッ!?》
「シールドビットにはなぁ!こーゆー使い方もあるんだよ!」
背後から迫っていたシールドビットが紅椿を捉えた。鍔迫り合いの最中、2枚のシールドはそのままゼフィルスの機械刀に並んで加勢し、空裂ごと紅椿を押し出す。
自由になったマドカは本日二度目の、振り向き様の機械刀を掲げる。防いでみせたと、そう確信していた。
「―――」
機械刀の先には、ただ闇夜が広がるだけだった。居る筈の空間に、白く輝く機体は居なかった。
(さっきの掛け声はフェイク。だが直線でしか動けない瞬時加速なら、間違いなく目の前に来る筈。そして織斑一夏は、個別連続瞬時加速を扱える領域にはない。なら・・・・・・機械翼による二段階瞬時加速か!)
その解答に至るまで、僅かほんの一秒。
だがその一秒は、頭上からの白式の一撃を防ぐには遅すぎた。そう、一夏の嘲笑顔が物語っていた。
ギャアァァンッ!
夜空を裂く稲妻のような一閃は、無慈悲にゼフィルスへと落ちる。
「グォオォォッ!!?」
零落白夜が、肩付近の装甲を斬る。顔面等の露出部位への直撃はどうにか避けたマドカだが、瞬時加速を乗せた零落白夜の一撃だ。SEの減少は甚大だった。
通常のIS乗りなら、この敗北への流れを断ち切るのは不可能だ。想定外の動きにより、戦闘の未来予想図が破綻してしまえば、大抵の人間は混乱するか動けなくなる。
織斑マドカ最大の強みは、そんな絶望的状況でも立て直すことができる点だった。
「次!紅椿からの突きィ!」
読み通り、シールドビットから脱した紅椿が雨月を繰り出す。空裂以上のリーチで迫るそれを、マドカは機械刀で無駄なくいなす。
《これも防ぐか!》
「そうやって絶え間なく交互に攻める必勝パターンだろうが!なぁ織斑一夏!?」
一夏は再び、二段階瞬時加速で死角から攻め込む。とは行かず、敢えて通常の瞬時加速で突っ込んだ。紅椿との連続攻撃を維持する為と、マドカを二段階瞬時加速に慣れさせない為だった。
そこまでマドカは読んでいた。
《分離した!?》
叫ぶ一夏から笑みが消えた。マドカは紅椿との鍔迫り合いをそのままに、実弾銃のみを機械刀から分離したのだ。
その銃口は当然ながら、瞬時加速中で回避できない白式へ。
メリッ
音速の白式に、同じく超音速の12.7mm弾が真正面から激突する、それも何発も。重ねられた速度は、単なる徹甲弾を強烈な一撃へと変えた。
白式のSE残量は、今や風前の灯火であった。あと一撃でも斬撃を当てればそれで終わりだ。
空裂で追撃しようとする紅椿に対しても、マドカの勢いは止まらない。
今度は鍔迫り合う機械刀から、更にビームガンを高速分離。ビットのようにその場に浮遊したソレは、至近距離で紅椿へと光を放つ。
展開装甲による防御は間に合わず、箒の顔面に直撃したことで、絶対防御が発動してしまった。
もう勝ちだ。そう思った瞬間、同時にマドカの脳裏を冷たい霧が満たす。背筋が凍るのとはまた違う、徐々に冷え込むような悪寒だった。
何かがおかしいと、そう感じたマドカはコンマ秒単位で思考を巡らす。
(・・・そうだ、ビットだ。何故篠ノ之箒は2度の鍔迫り合いの最中、ビットで追撃しなかった?幾らでも撃てただろうに)
考えられるのは、不意の一撃を入れる為。そして今のマドカに対し、最も効果的に不意を突ける瞬間はどれか。
(私が織斑一夏を仕留めようとする瞬間か!)
ここからはマドカの推定だが、ビットは恐らく白式の背後に隠している。実際の白式の空中機動も、不自然なまでに背後を向けてこない。
マドカが斬撃で鮮やかに勝とうとする瞬間、雪羅で目眩まし、ビットでマドカの顔面を撃ち、更に怯んだところを零落白夜で決めると言った所か。
白式が引き付け、紅椿が仕留めるというのが両者のセオリーではある。そしてセオリーでないこの戦法だからこそ、相手の裏を掻くこともできる。
(ハン!乗るかよ!)
ならばマドカの次なる行動は単純明解だ。白式に近付かず、ビットと実弾銃で削り切るだけだ。冷静さを取り戻している今なら、白式相手に近接戦闘をしないで済む。挑発への耐性も付き始めている。
そして紅椿がビットを温存しているのなら、飛び道具は空裂と雨月のみ。シールドビットだけで十分対応可能だ。
そうと決まれば、早速オールレンジ攻撃と実弾銃で墜としにかかるマドカ。白式も回避機動と雪羅で応戦するが、桁違いの弾幕に対し防戦一方だった。
今度こそと、そうマドカは思いたかった。自分こそが織斑千冬になるのだと、一夏の絶望顔を見て証明したかった。
なのに、少年の表情は変わらない。能面のような顔から、血の通ってない瞳がマドカを捉えていた。哀れみ、侮蔑、無関心、そのどれとも取れる冷たい視線であった。
それが、マドカは堪らなく恐ろしかった。
マドカの存在意義を否定してくる相手が、織斑千冬と同じ顔をしている事実。「千冬に似せた肉人形」と、他ならぬ千冬本人に言い渡されるかのようであった。
千冬になる為に作られたというマドカの存在意義が、そのままマドカ自身の呪いに転じようとしていた。
―――嫌だ
消えたくない。そう感じると同時に、マドカは振り返った。
おぞましい現実から、遂に目を背けたくなったのか。
違う、それだけではなかった。戦士としての直感が、そしてあらゆる予感の集合体が、彼女の魂と肉体を強制的に振り返らせたのだ。
研究所で流れていたあの映像に、飛び付く時と同じように。
振り返った先には、刀を水平に構えた奇妙な体勢の篠ノ之箒が居た。
裏の裏を掻いたとばかりに。
番である紅椿と白式は、ある種の線のようなもので繋がっている。紅椿はその線から、白式にエネルギーを絶え間なく供給する。絢爛舞踏発動から白式へ届くまでに要する時間は、1kmにつき0.1秒。時速換算で36000km、マッハ29.4に相当する。
そしてこの図式は、ある現象を引き起こす。この現象は昭弘すらも知らない、番の主である箒と一夏にだけ開示されているもので、任意で繰り出せるようになったのはごく最近のことだ。効果も紅椿と白式を結ぶ直線上のみで、供給が届く範囲に限定される。
雨月と空裂を重ね合わせ、新たな一振りの刀として生成。その刀に、ビットを含めた全ての展開装甲、紅椿のあらゆるエネルギーをも集約していく。
その状態で絢爛舞踏によるエネルギー供給すらも、白式からその刀に移すと、果たしてどうなるのか。
狭い空間で過度に濃縮されたことで、刀は青白い光を帯び始め、やがてエネルギー体そのものとなる。そして刀というエネルギー体は、本来向かう筈の白式へと直進していく。
「第3の刃」
ブリュンヒルデも、シュトラールも、レールガンをも上回る速度で。
「“
マッハ29.4の速度で。
篠ノ之箒の目に、マドカは釘付けとなっていた。
焔が揺蕩うように輝く、どこまでも愚直な瞳。相手の心まで見透かし、その全てを受け止めるかのような、力強くもどこか儚げな瞳。
その瞳が何なのか、マドカの魂は知っていた。映像越しに誰よりも見ていたという、強い自負があった。そんな訳がないとどんなに頭で否定しても、感情の前では無駄な抵抗だった。
どうしてこの瞬間まで気付かなかったのだろう、その眼光の既視感に。どうして忘れてしまっていたのだろう、この胸の昂りを。
どうして今まで理解できなかったのだろう、この憧れの本質を。
気付けばマドカは、縋るように手を伸ばしていた。自身とは全く違う細胞で作られている、篠ノ之箒という少女に。
そうして無意識に、箒に向かって口走ってしまった。
「千冬姉さ―――」
キィィン
次の瞬間には、紅椿の姿も箒の瞳も無かった。何が起きたのか脳髄の処理も追いつかず、帚星が通過したような感覚だけが残った。
星々も闇夜も、憧れも憎しみも置き去りにする一閃。まるでその後を追うように、ゼフィルスも淡い光を放ち始める。
機体の粒子化。それにより、漸くマドカはゼフィルスのSEが尽きたことに気付いた。
勝敗の訪れは、そんな余りにも呆気ないものだった。
受け入れられる筈の無い、自身の敗北。
このまま落下死することも、逆に助けられることさえも、同程度なまでにマドカは許容できない筈だった。こんな未来は想定していないし、有り得ない結果だからだ。
自身はブリュンヒルデ、敗北などあってはならない。本来ならばそう言えた。その為に自身が作られたのだと、割り切れていたのならば。
《怪我は無いか?》
そう言いながら、箒はマドカを優しく抱えていた。先程と変わらない、敵意でも同情でもない混じりけ無き瞳を、何ら躊躇いもせず向けながら。
「・・・あ、ああ」
恥ずべきことなのに、何故が屈辱は感じない。故にマドカは、そんな気の抜けた曖昧な返事をするしかなかった。
こう言う時どんな反応を示せば良いのか、肉体年齢14歳の少女には分からなかった。
それでも、彼女は負けたのだ。織斑千冬でも織斑一夏でもない、実力ならマドカよりもずっと下の篠ノ之箒に。
実際、マドカはそれで納得してしまっていた。あの時の千冬と同じ瞳をした、この少女に負けたことに。あの映像を見ていた胸の高鳴りが、細胞ではなく魂によるものだったことに。
自分と同じ遺伝子だからでなく、ただ千冬の力強い瞳に惹かれていたのだという真実に。そこに気付けた幸福は、敗北の悔しさを凌駕していた。
それが答えだと言うのなら、マドカの次なる言葉は一つだけだった。
「ハァ・・・・・・私の負けだ」
頭の靄が晴れたからか、そうすんなりと清々しく言えてしまった。箒に対する詫びと感謝を込めた、その言葉を。
一夏に勝てもしなければ、体内の爆弾も解除できず。己の計画が台無しになってしまったマドカ。仮に千冬を救出できたとしても、こんな体たらくではブリュンヒルデになど到底届かない。
それでも、絶望はしていなかった。マドカは千冬ではないのだから。それで千冬への愛が、曇ることなんてないのだから。
頂きに届いて当たり前から、いつか頂きに届きたいへ。それこそがマドカにとっての希望であったのだ。
マドカはマドカとして、その憧れを胸に進んで行けば良いのだと、そう箒から教わったような気がした。
身体は千冬、心はマドカ。そんな矛盾を抱えながらも、少女の人生は延々と続いていく。馬鹿らしい程に長く。
生き地獄へようこそ、織斑マドカ。
一夏の怖さよりも箒のイケメン度が際立ってしまいました。
そのせいか若しくはそのお陰か、思い描いていたよりサッパリとした終わり方になりました。