世界で最も強く、世界で最も崇高で、世界の英雄を務めるそんな姉に。
少年は青年に依存していた。
大きくて、厳しくも優しくて、自分の弱さを受け入れてくれるそんな青年に。
自分こそが姉に最も近しい存在だ。
何時までも青年は自分を見てくれている。
それらは少年にとって当たり前の事となっており、今後も決して崩れることはないと考えていた。
既に、そんな少年にとって「自分の意思」など二の次三の次となっていた。
「姉の勇姿」と「青年の目」。それが少年の全てとなりつつあった。
時間が経過する度一人、二人と大通りを通過した人の数は増していく。
そんな中昭弘たち4人だけが、時間の流れに逆らうかの様にその場で静止していた。昭弘とセシリアが、箒と鈴音が、気不味そうに互いの視線を送っている。
重苦しい空気を最初に切り裂いたのは、セシリアであった。
「丁度良いですわ。アルトランド、御話が」
あのセシリアから昭弘への申し出。それは水と油が馴染み犬と猿が相容れるのと同じ、中々にあり得そうにない出来事であった。
出店通りの比較的人混みの少ない場所を見つけたセシリアは、そこに孤立している八角テーブルを囲う椅子に座す。
昭弘もそこの椅子に重い腰を掛ける。
余り良い予感がしないのか、昭弘は「で?」と不機嫌そうに話を促す。
対し、セシリアは軽く息を吐くとゆっくり話を切り出す。
「……私はお前に「勝った」のでしょうか?」
「…あ?」
その抽象的な質問に対し、昭弘は感じの悪い聞き返しをしてしまう。
よもや表彰式まで終えた当の本人が、今だ勝利を実感してない筈があるまいに。負けた昭弘からすれば、たちの悪い嫌味にすら聞こえる。
最早深く考える事すら馬鹿馬鹿しいのか、昭弘はありのままの事実を意趣返しのつもりで懇切丁寧に答える。
「…SEが先に切れた方が敗者、残っていた方が勝者、試合に於ける絶対のルールだ。あの時オレも谷本も、SE切れで身動きが取れなかった。だがお前はそうではなかった。機械もオレたちの試合を観ていた人間も、お前たち2人が勝者だと判断した。それだけの事だ」
昭弘の「お前たち2人」という言葉に反応したセシリアは、虚しげに自嘲し始める。
「そう、私はあの時負けていたのですわ。 もし1人だったなら、鈴が居なかったなら」
鈴音が投げた牙月を手にしていなければ、確実に負けていたあの一瞬。セシリアは、その「有り得たもう一つの結果」がどうしても頭から離れない。
それでも尚、昭弘はあくまで淡々と答える。
「何が「もし」だ。大事なのはその状況でどう結果を残したかだろうが」
多対多による攻防が繰り広げられる空間において、戦況は刻一刻と変化する。
そんな状況で、セシリアはタッグマッチと言う状況を最大限に利用した。昭弘にはそれが出来なかった。要はそれだけの話であった。
「…しかしそれでも私は───」
バンッ!!
何度言っても納得しないセシリアに、昭弘も苛立ちを表面化させる。巨漢の平手で叩かれたテーブルは、軋みを上げながら波打つ様にグラつく。
「しつこいぞ。いい加減「結果」を受け入れろ」
しかしセシリアは揺らぐ所かより一層反発する様に、険しい眼光で昭弘を見据える。
「それでも私は負けましたわ。勝ったのは「私と鈴音」ですわ」
良くも悪くもプライドの塊であるセシリアが望むのは、自分自身を含めた全てが納得の行く完全勝利だ。相手が彼女最大の好敵手である昭弘なら、尚の事その想いは強くなる。
昭弘は理解に苦しんだ。
勝利は勝利敗北は敗北、それ以外に何があるのかと。その思想は前の世界において、脳細胞に二度と消えぬ程深く刻み込まれている。
昭弘だって負けたのは悔しい。だが試合である以上、勝敗を決めるのは自分達以外の第三者だ。
相容れぬ両者の間で幾分か沈黙が続いたが、先に抜け出したのはセシリアだった。
「先程から「結果が全てだ」とでも言いたげな口ぶりですが、では決勝戦に至るまでの「過程」に何も思う所はないと…そうお考えで?」
「…」
「そうだ」と昭弘は言えなかった。何故ならそれは、昭弘と谷本のこれまでを否定する事に繋がるからだ。「結果が全て」とはっきり言えなかったのも、それに起因する。
過程を無視出来ないその思考回路は、セシリアのソレと何ら変わりのない事に流石の昭弘も気付いてしまった。
しかし、昭弘は負けじと訊き返す。
「お前こそ「2人で掴み取った勝利」と言う解釈は出来ないのか?だとしたら、それこそ鈴音に対してどの面を下げるつもりだ?」
「それは…」
セシリアも又、その問い掛けに口籠ってしまう。
鈴音が牙月を投げ渡した事への「嬉しさ・安堵・感謝」も又、紛れの無い本物であった。それにより勝利を手にした事への感激も、心に根強く残っている。
問い掛けるだけで返答をしない問不答を繰り返す両者。
ただ、2人は今更になって解った事があった。それはタッグマッチの本質だ。
2対2で進行する以上、一騎討ちなど簡単に望める事ではない。それに気付けなかった最たる例が、正に決勝戦であったのだ。
無我夢中でやり合う昭弘とセシリア。
その結果があの勝敗だが、大会を迎えるまでの研鑽からパートナーと共にあった彼等は、どの道似たような結末を迎えていたのかもしれない。その時まで相方と培ってきた過程からは、逃れられないのだから。
その過程が有る以上、完全なる独力での決着なんて望める筈も無い。
それでも昭弘とセシリアが猛者たちを退け、決勝戦まで勝ち進めたのも偏にパートナーのお陰だ。
決勝戦においても互いが互いの勝負に挑めたのは、パートナーを第一に考える谷本と鈴音の立ち回りあってこそ。
誰が勝者・敗者だとか、結果やら過程やら、そう言う問題ではないのだ。
敵を抑え、仲間を助け、そして仲間に助けられる。それらの我を貫き通し、何の疑問も抱かない心根こそが肝心なのだ。正に鈴音の様な。
「…勝ったと思えば「勝ち」、負けたと思えば「負け」か」
昭弘の簡単な結論は、セシリアの脳内で何度も反響していった。
少し離れた所でベンチに座りながら、両者を見守る箒と鈴音。
やはりと言うか、お互い話し掛け辛い様だ。テーブルの2人と同様、彼女たちも時間の経過や試合と言った切っ掛けで仲良くなれるタイプではないらしい。
しかし何時までも沈黙に耐えられる鈴音ではないので、渋りながらも箒に話し掛ける。
「まぁ「
鈴音の発言は、恋敵に塩を送るが如き行為かもしれない。それでも折角箒が持っている「2つの最愛」。些細な事で、その片方を曇らせたくないと言う気持ちの方が強かった。
そんな鈴音に対し箒は「ありがとう」と言おうとしたが、やっぱりやめた。恋敵に対してそこまで素直になれる程、箒は子供でもないし大人でもない。
程無くして昭弘とセシリアが戻って来たので、4人は保健室への移動を再開した。
上下黄色で統一させた悪趣味なスーツを身に纏った男は、金髪の美少年と歩を進めながら話し込んでいた。
男は、周囲からの突き刺さる様な視線にまるで気にする素振りを見せない。寧ろ自分への忌避の眼差しを、感賞の眼差しと勘違いしている節すらある。
そんな男を遠目に見ていた箒たちも、口々に毒づく。
「あの男、恥ずかしくないのだろうか?」 「痛々しいわね…と言うか本当に目が痛いんだけど」 「親の御尊顔を拝みたいものですわね」
そんな中、昭弘は少しずつ後ずさる。デリーに見つからない様ゆっくりと。
しかしその巨体をか細い少女たちの身体で隠せる筈もなく、昭弘を視界の端に捉えたデリーは相変わらずのハイテンションで駆け寄る。
「うぉっとぉ↑!!何処行ってたんですか昭弘スァン↑!」
箒たちから驚愕の視線を向けられる昭弘。彼はつい片手で両目を覆ってしまった。
デリーの来訪は昭弘も想定していたが、この「変態と知り合いであると友人から知られる」展開だけは避けたかった。
仕方なく、やむを得ず、出来ればやりたくなかったがデリーを紹介する昭弘。
箒、鈴音、セシリアも夫々引き攣った笑顔を向けながらデリーに挨拶する。美少女が一気に3人も増えたからか、デリーは余計にテンションを上げる。そのテンションだけは黄色のスーツと見事にマッチしていた。
「にしても意外だな。まさかデュノアがコイツと知り合いだったとは」
「ついさっき知り会ったんだ。アルトランドくんの上司さんなんだね」
「不本意ながらな」と昭弘は切実に返す。
話によると、シャルルと共に表彰式を観終えた後デリーは挨拶すべく昭弘を探し回るが、当然スタンド席の人混みではそう簡単に見つからない。
そこで「保健室のある校舎に向かえば」と言うシャルルの予想に従った結果、現在に至るそうな。
その後「打ち合わせがあるから」とデリーは挨拶も早々に彼等の下を去って行ったので、昭弘たちはシャルルも連れて保健室へと再び足を運ぶ。
シャルルの事を信用していない昭弘は、彼女がデリーとどんな会話をしていたのか気懸りだったので、道すがらの話のタネとして訊ねる事にした。
「…ゴメン、個人的な話だし…。それに、正直僕もレーンさんが言ってる事余り理解出来なかったから…」
大方下らない思想でも吹き込もうとしたんだろうと、困惑するシャルルを見た昭弘は普段のデリーを連想し、そう予想を立てた。
しかしシャルルの心の片隅には、デリーの新鮮な言葉がしっかりとこびり付いていた。
シャルルがその「言葉の真意」を理解するのは、もう少し先の話になる。
その後一夏の容態を訊ねてくる一同に対し、シャルルは落ち着いていると返した。
そうである確証はないが、意識の回復からもう大分時間も経っている。そう判断するのが妥当だ。
そうしてとうとう保健室へと辿り着いた一行。
シャルルの言葉を信じきっているセシリアと鈴音は、「自分たちの優勝」を聞いた一夏の反応に期待を膨らませていた。
昭弘と箒はやはり言葉が見つからないのか、セシリアたちとは対照的な雰囲気を纏っている。
唯一落ち着いているシャルルが、先陣を切ってカーテン越しの一夏に声を掛ける。
トーナメントの終わりまで、一夏はそのまま安静にしていた。
しかし、心は全く休まった気がしなかった。不安感が睡眠を妨げ、視界に入る真っ白な天井は一夏の体感時間を大幅に引き延ばしていた。
そんな状況が続いた一夏は、自然と「昭弘の目」を欲する様になっていた。愛想を尽かされていると思い込みながらも、やはり昭弘の顔を拝みたいらしい。
昭弘や皆と会えば少しは心も落ち着くだろうと、一夏はそう思っていた。
「一夏。皆が来たからカーテン開けるよ?」
「…ああ」
シャルルの聞き慣れた声を聞いた一夏は、生返事と共に意識を切り替えた。
純白の間仕切りが開かれた先には、無表情で俯いた一夏の姿があった。
ワンテンポ遅れて先ずシャルル、セシリア、鈴音を視認した一夏はぎこちない笑顔を浮かべてか細い声を発する。
「よぉみんな、ありがとな態々。もう大丈───」
そう言いかけた一夏は視界が昭弘を捉えた途端、まるで心臓が凍った様に全身が硬直してしまう。
───アレ?可笑しいな。折角昭弘と会えたのに。…怖い…寒い…どうしてだ?
昭弘の視線は普段と変わらない。一夏を心配する眼差しだ。
拒絶しているのは、一夏の方だった。
あんなにも欲していた、昭弘の視線。しかしその視線に映る「今の一夏」は、一夏自身が一番良く知っている。
その事実が、一夏は耐えられないのだ。今の無様な自分を見られるのが。そしてそれを見た昭弘がどう思っているのか、考えるだけで胃が圧迫される。
「気分は如何程で?本当に大事ありませんこと?」
セシリアのそんな言葉ですら脳が理解を拒む程に、視界が波打つ。
込み上げて来る吐き気を懸命に堪える一夏。しかし全ての言葉は劇物となって、彼の脳を揺さぶる。
そんな一夏の変貌も、端から見ればごく微細なもの。気付けたのは、一夏の弱い一面を知っている昭弘だけであった。
嫌な予感がした昭弘は面会を切り上げようとするが、一足遅かった。
「聞いて驚かないでよ?一夏。「優勝」は何とアタシたち!」
「…」
そう思い切り良く告げた鈴音であったが、一夏からは何の反応も返って来ない。
「ちょ、ちょっと一夏大丈夫?聞いてる?」
「やはりまだ気分が優れませんか?だとしたら、ご無理はなさらないで下さいまし」
尚も黙り続ける一夏。
そして漸く口を開くが、その言葉はセシリアと鈴音が期待していたモノとはまるで別のモノだった。
「……なぁ」
低く曇った声で、一夏は投げやり気味にそう始める。
「「当て付け」のつもりなのか?トーナメントで醜態を晒した、オレへの」
再び視線を自身の膝元に落としながら、突然そんな事を言い出す一夏。
余りに予想と違う反応にセシリアと鈴音は酷く困惑するが、直ぐに意識を切り替えて否定する。
「い、いきなり何よ!んな訳ないでしょーが!」
「私たちはただ…」
それ以上先を言えば、それは「告白」に近しい。今の彼女たちに、この場でそんな事が出来る程の勇気は無かった。
「ただ何だよ?…嗤いに来たんだろ?無様なオレを」
それは昭弘に向けた言葉でもあった。
その事に気付いた昭弘は、彼女たちと一夏の間に入る。罵声を一身に引き受けるかの様に。
「…一夏。見舞いに来た人間に対して、勝手な思い込みをぶつけるのは止めろ。お前も相手も苦しむだけだ」
それを聞いた一夏は、昭弘を下からカチ上げる様に睨みつける。その瞳には憎しみと恐怖が複雑に混在している様に、昭弘には思えた。
「一番苦しいのは…オレだよ!」
その後、息苦しい程の沈黙が彼等の居る空間を覆い尽くした。
余りに予想外の展開に対し、シャルルは嫌な汗をかいてしまう。
先程から押し黙っている箒は、今迄見た事のない幼馴染の変貌ぶりに目を見開いて絶句していた。
「…もう出てってくれ」
漸く沈黙を破ったのも、一夏のそんな冷たい言葉であった。
5人は暫くの間、一夏を見詰めたまま黙りこくる。
その後セシリアは一夏に一礼し、悲し気な表情のまま退室して行く。
鈴音も、沈痛な面持のままその場を去って行く。
そんな2人にシャルルも続いた。
昭弘と箒は、あの時箒と一夏が気絶したままの昭弘に寄り添うみたいに、未だ弱々しい一夏に相対していた。
「…出てけって言ってんだよ…!」
一夏が再度そう言い放つと、昭弘は物悲し気に奥歯を噛み締めゆっくりと一夏のベッドから離れる。
箒は去り行く昭弘を見た後、再び一夏に振り替える。
それを何度か繰り返した後、まるで縋る様に昭弘に続いた。
昭弘たちが去った室内で、一夏は両手で頭を抱えていた。
「オレは何を…」
先の発言を心底後悔する様に、一夏は一人そう吐き捨てた。
校舎の外に出ても尚、一行が口を開く事は無かった。
そんな中、閉ざしていた口を最初に開いたのはまたしてもセシリアであった。
「皆さん、先に行って下さいまし。…少し一人になりたくて」
セシリアは木造りのベンチを視界に入れた後、軽く微笑みながらそう言った。
鈴音はそんな彼女に何か言おうとしたが、一人にしてあげる事にした。
昭弘たちが去った後、望み通り一人ベンチに腰掛けるセシリア。
少しだけ青い部分を覗かせる空を見上げながら、彼女は物思いに耽る。
(…今思い返してみれば、何と軽率な行動だったのでしょうか)
一夏の精神状態を何ら考慮せず、己の一方的な愛を優先させようとした自身をセシリアは責める。
(やはりアレは勝利などでは御座いませんでしたわね…)
勝ったとしても、それにより一夏との距離が遠ざかっては意味が無い。
結局彼女の心は、昭弘にも試合にも勝った実感を味わえないままであった。
その時だった。
「あ~居た居た~!セッシー!」
セシリアのコバルトブルーの瞳に、アリーナAの方角から駆けて来る『布仏本音』が入り込んだ。
突如として現れ、セシリアの隣に座する本音。「何故私の居場所が?」と訊いても「何となく~」と返すのだろうなと予想したセシリアは、少し違う訊き方をした。
「…何故私を探しておりましたの?」
「ん~セッシーに会いたくなって。ここ最近会ってなかったから~」
確かにと、セシリアは納得する。
5日間教室と言う空間に足を運ばなければ、学園内だろうと案外そう会わないものだ。いや、広大なIS学園内だからこそだろうか。
「セッシーは一人で何してたの~~?」
セシリアは考える。先の出来事を本音に話すべきかどうか。一人になりたかったのは事実だが、このまま自身を苛み続けるのも精神衛生上好ましくはない。
結局セシリアは話した。無論、本音を巻き込みたくはない。それでも、当事者ではない彼女の客観的な意見が聞きたかった。
「……そんな事があったんだ~」
彼女は余った袖をプラプラさせながら、先のセシリアと同じ様に空を見上げる。
すると彼女はニッコリと頬笑みながら、セシリアの右手に優しく両手を添える。
「誰も悪くないと思う」
優しい、然れど嘘偽りの無い強い言葉。その本音らしい答えを聞いたセシリアは、彼女の笑顔に引き寄せられて口元を緩めてしまう。
それは慰めの言葉等ではない。彼女の言う通り、誰も悪くなどないのだ。様々な偶然と結果が、その時重なってしまっただけなのだ。
「…貴女は凄いですわ本音。少し、心が軽くなった気がしますわ」
───貴女に訊ねれば或いは
別の正しい答えを心の奥からパッと出せる本音に対し、セシリアは「こんな事」を訊いてみる。
「本音は私の勝利…どう感じましたか?」
神妙な面持ちで訊ねるセシリアに対し、本音は笑顔を絶やさずに答える。
しかしセシリアの右手に添えられていた両手がギュッと握る様に震えた為か、その笑顔は普段より真剣に見えた。
「勝敗よりも、最後まで諦めないセッシーの姿に…凄く感動した」
「!」
本音は、それはもう嬉しそうに笑っていた。本音の喜びの根源は、正しくそんなセシリアの姿にあったのだ。
───部外者に言い渡される勝敗等ではない。勝利を手にする為に足掻く「私の姿」そのものが…貴女を笑顔に
セシリアは胸の内が熱くなるのを感じた。ソコには先の敗北に彩られた部分など、奇麗に溶けて無くなっていた。
勝つか負けるかのギリギリの攻防こそが、試合において最も輝く瞬間。
その一面において本音を喜ばせたと知った彼女の心は、今確かなる「勝利」を感じていた。
(今になって、その意味が漸く解った気がしますわ)
セシリアが手にした勝利は、自分自身の「心の状態」によって勝利にも敗北にも変化するものだったのだ。
それは一夏を介して敗北へと変わり、本音を介して勝利へと変化していった。
「勝利」とは元々セシリアの中にあったのだ。
重要なのは完全勝利ではなく、心にある自分だけの勝利。
それは鈴音の様な揺るぎない勝利とは、また違う答えでもあった。
それこそが、彼女が勝利の果てに得た真なるモノであった。
4人は再度アリーナ方面に向かっていた。
1年生の場合、表彰式が終了した後に関しては別段指示が出ている訳でもない。なので、何か手伝える事がないか探している最中であった。単に動揺する気を紛らわせたいだけかもしれないが。
「皆…ごめん。僕も一夏があんな酷い状態だなんて、思わなくて…」
シャルルは3人に謝罪するが、鈴音はいつもの調子で返す。
「ま、幼馴染であるアタシですら気付けなかったし、気にしない気にしない!」
異様に元気良く振る舞う鈴音を、昭弘は却って心配する。
「鈴、余り思い詰め過ぎるなよ?」
「別にあんな馬鹿の事、もう毛程も気にしてないし」
そう強がる鈴音だが、声が震えているのをその場に居る全員聞き逃さなかった。
普段明るくて快活な人間は、それだけで周囲の人間に安心感をもたらす。逆も又然りで、その人間が明るくなくなれば周囲の人間にも不安感をもたらす。
その究極形が、今の一夏と昭弘たちだった。
その後、鈴やシャルルと一旦別れた昭弘と箒は一足先に寮へと向かっていた。
結局、手伝える事は凡そ無かった様だ。
「箒、さっきから一言も喋らないが…やっぱショックだったか?」
歩きながら、昭弘がずっと無言の箒にそう声を掛ける。
「…側に、居てやろうと思ったのだ」
しかし彼女にはそれが出来なかった。
今迄一度たりとも見た事の無い、幼馴染みの別の顔。それを見た時のショックは、箒の正常な判断力を鈍らせるには十分だった。
「別人の様だった。そんな一夏が怖くて…。それは一緒に居たいと言う想いすら、凌駕していって…」
永い時間を共に過ごして来た幼馴染みだからこそ、受けた衝撃は昭弘の比ではない。
そしてその衝撃を受け止められる程、箒の心は未だ強くはなかった。
弱々しい声を変えずに、箒は続ける。
「もう“あの日々”は戻って来ないのだろうか」
昭弘が心の何処かで恐れていた事だった。
小さな不安だと思っていたが、箒の言葉によってそのおぞましい未来が現実味を帯びてきた事に、昭弘は気付かされる。
そんな未来死んでも御免だと、心の中で強く否定の意思を示した昭弘は、心に掲げた誓いをそのまま言葉にした。
「戻って来る」
昭弘は思った。もう負けられないと。
結局、優勝と言う目的を果たせなかった昭弘。彼は負けていい試合等何一つ無い大会において、最後の最後で大敗北を喫してしまった。
しかし、それ以上に迎えてはならない「敗北」がある。それは、大切な友人との関係性の消失だ。
昭弘は今回の敗北を深く胸に刻み、これ以上の苦痛を味わわないと心に誓う。
しかしこの時、彼は未だ知らなかった。
これから挑むソレが、セシリアをも上回る程の強敵だと言う事を。
後日、予定通りに2年生・3年生のトーナメント戦が行われた。
相も変わらず満員御礼での盛り上がりを見せた2つのトーナメントだったが、双方とも大判狂わせが起こる事無く終わりを迎えた。
それは1年生の戦いが如何に特別で異質であったのか、遠回しに伝えているかの様でもあった。
正確に言えば、戦いは未だ終わってなどいない。
一人の青年の奮闘は、この先もまだまだ続いて行くのだから。
果ての見えない、勝利を追い求めて。
と言う訳で、漸くトーナメント編が終了しました。
それと誠に恐縮なのですが、2ヶ月~3ヶ月程投稿を休ませて頂く事になるかと思います。
物語の構成や文章力をもう少し勉強したいのと、先の展開をもう少し固めてから、投稿したい所存です。
そんな訳で次編では、よりパワーアップした本二次創作をお見せ出来ればと思っております。
皆さん、それまでどうかお待ち頂けたらなと思います。では!!
重ねて申し上げますが、失踪だけは絶対に無いのでご安心下さい。・・・ホントダヨ?