IS~筋肉青年の学園奮闘録~   作:いんの

44 / 110
第33話 己の価値(後編)

「………少なくとも、オレはお前を必要としている」

 

―――は?

 

 シャルロットは己の耳を疑った。

 

 彼女にとっては縁遠い言葉。だが同時に、今の彼女が最も欲している言葉でもあった。

 

 そしてそれにより、もう全て出し切ったであろう感情が再び彼女の頭で増殖していった。

 

 しかしそんな彼女よりも早く、昭弘が再び口を開く。

 

「お前のお陰で少しずつだが、一夏の心情が解ってきた」

 

 確かに一夏が何も話してくれない今、この収穫は決して少なくない。

 シャルロット自身自覚がないのだろうが、彼女は大会前から一夏の事をいつも間近で見てきたのだ。

 

「…少々悔しい気もするが、オレも知らない一夏の一面を多分お前は知っている」

 

 その後も、昭弘は捲し立てるように話を進めた。

 

「デュノアよ、頼み込む前に先ずはさっきの言葉について謝罪する。お前の気持ちも考えずに、己の感情を優先した言動だった。…すまなかった」

 

 こんな適当に謝っておいて、虫がいいのは昭弘だって百も承知だ。彼女が望む見返りも、与えてやれないかもしれない。

 それでも頼むしかない。

 

「手を貸してくれ。一夏の事をもっと知るには、他人の気に敏感なお前の力が必要だ」

 

 最後にそう締め括ると、昭弘は両手をテーブルに付けて頭を深々と下げる。

 

 展開が急過ぎて、イマイチついていけない様子のシャルロット。

 

 しかし、彼女の心には一度だけ感じた事のある「気持ち良さ」が芽生えつつあった。それは、大会中パートナーとして一夏に期待を寄せられていたあの日々の心情に良く似ていた。

 

 だからこそ同時に、シャルロットはその顛末を思い出してしまう。決勝戦に向けてのトーナメント戦。自分の力が及ばなかったせいで、一夏は一番勝たなければならない相手に敗れてしまった。

 そう思い込んでいる彼女にとって、それは期待に応えられなかったと言う事を意味する。

 

 今回も同じ様な結末を辿るのではないかと言う恐怖が、彼女の口に「分かった」と言わせてくれない。そんな故で黙るしかない彼女に対し、昭弘は雷のような一声を突き出す。

 

「無理なら無理と言ってくれて構わん。お前の心のままに答えてくれ」

 

 無理。

 一体今まで、何度シャルロットはその言葉につき従ってきたのだろう。周囲の環境がそうさせたのだろうか。だが今の彼女に、そんな(しがらみ)は存在しない。故に彼女は自由に答えられる。

 逆に言えばそれは、自分で考えなければならないと言う事でもある。

 

 ここで無理と言ったら、増々自分の価値が無くなってしまうかもしれない。

 だが昭弘の頼み事は、自分には何のメリットもない。引き受けたとしても自分はまた失敗するのではないか。そうなれば、今度こそ周囲から忌避の目を向けられてしまう。

 それらネガティブな打算に、シャルロットは支配されそうになる。

 

 それでも、彼女は昭弘の言葉をもう一度頭の中で復唱する。「自分の心はどう思っているのだろうか」と。

 利害だとか体裁だとか自分の能力だとか、それだけで答えられればどんなにシャルロットも楽だろうか。

 残念ながらそうは行かない。心の奥底で燻る感情は、それらの要素では一切測れないのだから。

 

 そんな事を頭に巡らせながら自身にとっては比較的短い時間、昭弘から見ればかなり長い時間悩んだシャルロット。

 そうして遂に彼女は心の声を曝け出す。そこには、打算などと言う要素は欠片も感じられなかった。

 

「……分かった、手伝うよ昭弘。心の底から喜んで」

 

 まるで己の意思表示の様に、初めて『昭弘』と名前で呼んだシャルロット。

 

 昭弘自身も予想外の回答だったのか、彼女の強い眼差しを睨み返しながら確認を取る。

 

「…本当にそれで良いんだな?」

 

「うん。一夏は僕を、父から解放してくれた。その恩は返したいしそれに―――」

 

 それが一番の理由ではないのだろう。自分に何が出来るのか、自分の価値とは何なのか。昭弘の「必要」という言葉を切っ掛けに、それらへの疑問と期待が強力な燃料となり彼女の心を熱したのだ。

 だから彼女は、「それに」の次へと続く言葉に想いの全てを乗せる。

 

「今のままじゃ駄目だって事だけは、僕にも解るから」

 

 それが一夏に対しての言葉なのかシャルロット自身に対する言葉か、昭弘には知る由もなかった。

 しかし昭弘もまた、彼女と同じ言葉をずっと脳内に浮かべている。この2人にとって「今のままじゃ駄目」という言葉は、少なくとも辿り着く方向性は一緒なのだろう。

 

 言葉を介さずにその点を理解したのか、2人は右手を突き出して固い握手を結んだ。

 

 

 

「シャルロット・デュノア、か…」

 

 彼女が部屋を去った後、昭弘はソファに寄り掛かりながらそんな言葉を静かに呟いた。それを切っ掛けに思い出すのは、彼女の強き眼差しと意気の籠った言葉だった。

 

「…ああ言われるとな」

 

 昭弘はついさっきまで、シャルロットとは深く関わらないようにしていた。親しくもない他人の厄介事に首を突っ込む程、彼もお人好しではない。だからこそ先程は話だけさらりと聞いて、とっとと帰って貰おうと考えていた。

 しかし彼女は言ってくれたのだ。「手伝う」と。嫌な表情一つ見せず、昭弘の顔色ではなく自分の意思でそう言ってくれた。昭弘も「見返りはない」とは言ったものの、やはりこのまま何もお返し出来ないと言うのは気が引けた。

 と言うより、彼女の必死な雰囲気が言葉よりも雄弁に伝わって来た為か、謎の御節介心が昭弘の中に芽生え始めた…と言った方が正しい。

 

(悪ぃなシャルロット。オレはオレで勝手に行動させて貰う)

 

 心の中でそんな事を決めると、昭弘は未だ制服姿のまま鋼鉄まみれの部屋を出て行く。廊下に満遍なく敷かれている絨毯の上を歩きながらも、昭弘は夢中でシャルロットの心境を考察する。

 

(…アイツは恐らく、自分の本当の望みが自分でも分かってないんだ)

 

 だから実父との関係が断てても、素直に嬉しさを感じられない。人から必要とされたいと言うのも、心に充満しているボンヤリとした輪郭の無いモノだ。

 

(じゃあオレに協力してくれた理由は…)

 

―――「今のままじゃ駄目だから」か?

 

 そう、そのままの意味だ。

 ここから先は昭弘の勘に過ぎない。良く当たってしまうのが末恐ろしい所だが。

 

 今の彼女は、自分の力で答えを見つけ出そうとしているのかもしれない。今のままじゃない、本当の自分が何なのかを。なら昭弘に出来る事、それは誰にもシャルロットの邪魔をさせない事だ。例え尊敬すべき担任だろうと。

 

 そんな昭弘は当然のように本校舎、その一角にある職員室へずいずいと進んで行った。

 

 

 

 巨大なオフィスビルにおけるテナントの貸室のように、広く白く小奇麗な職員室。

 しかし各教員のデスクには、PC液晶上の文字列やデスク上の書類が仕事の単位を現すかのように大量に積み重なっていた。

 教員たちがそれらの処理に追われている中千冬は自分の机上に重なっている仕事の山を無視し、グラス内で静止しているアイスコーヒーを眺めていた。千冬が目の前の仕事を無視してまで考えている事は、シャルル・デュノア改めシャルロット・デュノアの事であった。

 

(何とかしてやりたいが…せめて素直に事情を話してくれればな)

 

 シャルロットに対して脅す様な尋問を繰り出した彼女だが、それでも担任は担任、教え子は教え子だ。シャルロットがどれ程反抗的だろうと、心配しない筈がない。

 ただ、こうして仕事を中断して心配する事しか出来ない自分を、千冬は段々情けなく思うようになっていった。

 

 その時、千冬の右肩にか細く優し気な平手が置かれる。その手の主は真耶であった。千冬は自分の元後輩に対し、弱った瞳を静かに向ける。

 

「織斑先生…アルトランドくんが、私とアナタにお話があると…」

 

 途端、千冬は真耶も他の教員もビックリする程勢い良く立ち上がる。昭弘なら何か知っているかもしれないと、千冬は無言ながらも行動で表現していた。

 

 

 

「……もう一度言って貰えるか?」

 

 誰にも聞かれたくないと言う昭弘の要望を受けた千冬と真耶は、再び生徒指導室を貸切る事にした。そこで昭弘から言い渡された言葉を、余りに信じられなかったのか千冬は眉を顰めてもう一度確認しようとする。

 

「…シャルロットの一件、今暫くは手出し無用でお願いします」

 

 2たび同じ言葉を発した昭弘は、彼女たちが声を荒げない内に訳を話す。

 

「御二人の気持ちは良く解ります。事情はどうあれシャルロットが学園側を欺いていた事、そして間接的にではありますが、学園のハッキングを誰かに依頼していた事。それらを考慮すれば、彼女の行いはれっきとした犯罪行為だ」

「しかし、男性として入学していたと言うデータも書面も奇麗さっぱり消えちまった。そんな証拠もない状況じゃ、どの道どうにもできないでしょう」

 

 しかし真耶は怯む事なく反論し、千冬も静かに問い詰める。

 

「問題はそこじゃありません!我々も教師である以上、そう言う事は細かく把握しておく義務があるんです!」

 

「…何故お前まで庇う?」

 

 そう訊かれた昭弘は、自身の部屋におけるシャルロットの強い瞳を思い出しながら普段通りの調子で答える。

 

「…アイツは今、自分自身と戦っているんです。自分の何が正しくて、何が間違っているのか。今の状況で自分にできる事は何なのか。それらを必死に探している。だから今のシャルロットに、余計な横槍だけは入れないで頂きたい」

 

 そう言われて、優しく気弱な真耶は言い返せなくなってしまう。しかし千冬は小難しい事を考えるように頭を掻きながら、落ち着いた口調で尚も食い下がる。

 

「私たちだって別にデュノアをIS学園から追い出したい訳じゃない。寧ろ教師として―――」

 

「教師としてどうにかしてやりたいのでしょう?…オレはたかが一生徒ですが、オレだってどうにかしたい」

 

 千冬の台詞を、昭弘の言葉が遮る。そして昭弘は間髪入れずに「互いに想いが一緒ならどうかお願いします」と、深く深く頭を下げる。

 そんな最中、千冬は返答する前に現状の整理に努めた。

 

 シャルロットの情報改竄。この事を知っているのは千冬たち教員、シャルロット本人、昭弘、そして恐らくだが一夏と束。

 シャルロットの詳細な事情を知っているのは昭弘、推定だが一夏と束。

 シャルロットは今自分を見つめ直す為に行動し、昭弘もそれを手伝っている。

 

 軽くそれらを纏めた後、千冬は次なる問いを昭弘に繰り出す。

 

「デュノアは今、具体的には何をしているんだ?」

 

 昭弘は少しの間悩む仕草を見せた。どこまで話すべきか、回答を事細かに調整しているのだろう。少なくとも千冬と真耶を安心させる為にも、最低限の情報は与えるべきであろう。

 

「…オレと一緒に、本件の計画を立てたであろう人物に関する情報収集を行っています」

 

 間違ってはいない。ただ、言い方としては疑義を感じてしまう。

 現に千冬は以下の様に解釈してしまった。

 

「成程、主犯格の真なる目的まではデュノアも知らないって訳か」

 

 これではまるで捜査だ。だがそこまで細かい事に拘る性格でもない昭弘は、それ以上訂正もしなかった。

 そして千冬から最後の問いが投げられた。

 

「で?その主犯格に関しても、我々から直接手出しをして欲しくはないと?」

 

「…申し上げにくいのですが」

 

 そこで昭弘からの回答は終わりだ。

 結果として、狭く無機質な空間にいつ終わるかも分からない沈黙が訪れる。真耶は幾許か瞼を閉じた後、縋る様に千冬の横顔を見詰める。そんな真耶の潤んだ瞳に気付いた千冬は、増々回答を先延ばしてしまう。

 そうして8~9分程が経過した所で、漸く千冬は声を出した。

 

「分かった。我々もこれ以上デュノアを直接問い質すような事はしない。…但し猶予は1週間だ。主犯格に対しても、手出しをしないと言う約束は出来ない」

「それともう一つ。事が全て片付いたらデュノアとその主犯格、私と山田先生に直接叱らせろ。涙を流すまで徹底的にな」

 

 1週間以内に関しては、昭弘も特に問題は無い様子だった。一夏を一刻も早く立ち直らせたい昭弘自身、長引かせるつもりはない。

 説教に関しても、まましょうがないとタカを括った。説教と反省文50枚程度で済むのなら正直安いものだ。そんな訳で、一夏とシャルロットには残念ながら泣いて貰う事になるだろう。

 出来れば一夏を問い質す事も止めて欲しかった昭弘だが、流石にこれ以上は千冬も譲ってくれないと諦めた。

 

「…分かりました。本当に、ありがとうございます」

 

 そう感謝の言葉を述べて生徒指導室を出ようとした昭弘は、最後に振り向いてもう一言だけ添える。

 

「…織斑センセイ、山田センセイ。いつもいつも迷惑を掛けちまって、本当に申し訳ありません」

 

 昭弘からの謝罪に対し、千冬は少し此度れた様な笑みを零しながら返す。

 

「全くだ。お前の周囲では毎回色々起こって、我々も退屈しない」

 

 千冬の言葉を皮肉と捉えた昭弘は、冷や汗を掻いて早々にその空間から退室していった。

 

 

 昭弘が退室して再び生徒指導室には沈黙が訪れたが、先のそれよりもずっと短かいものだった。千冬が弱音に近い言葉を、真耶に吐いたからである。

 

「…私は教師失格かもな山田くん。生徒に生徒の問題を任せるようなマネを…」

 

「…仕方がありませんよ。時には生徒を信じる事も大事だって、織斑先生も良く言っているじゃないですか」

 

 そう言って先輩教師を慰める真耶だが、最後の最後に少々余計な一言を発してしまう。

 

「それにホラ!アルトランドくんって1組における3人目の担任みたいな存在ですし!」

 

 真耶なりの冗句なのだろう。

 しかしここ最近の昭弘を見ている千冬にとっては、中々どうして冗句に聞こえてこない様だ。その為か、千冬は弱音を吐いた時以上に瞳の生気を失ってしまう。

 

「…イヤイヤ織斑先生!?じょ、冗談ですよ冗談!」

 

 ここは生徒指導室。教師と生徒が入室してからは、終始張り詰めた空気が蔓延する。

 今回は普段の数倍空気が張り詰めていたが、最後の最後で何とも言えない微妙な空気で締め括られる事になってしまった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。