IS~筋肉青年の学園奮闘録~   作:いんの

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 何処かに保管されていた、ある事件の記録。

〈20XX年XX月XX日 ○○:○○〉

 大会中、前大会覇者であり今大会の選手でもある織斑千冬。その弟が正体不明のテログループに拉致、監禁される。
 調査の結果、犯行に及んだグループは亡国機業の下部組織と判明。動機に関しては、織斑千冬の大会2連覇阻止が濃厚。しかしこの事件が亡国機業の指示によるものか下部組織の暴走によるものか、現時点では不明。拉致の手段等、詳しくは別紙を参照されたし。
 本事件に際し、織斑千冬は大会を途中棄権。時を待たずしてそのまま弟の救助に向かう。結果、ドイツ軍による情報支援もあって弟は無事救助される。しかし、織斑千冬は大会2連覇を達成出来ず。同じく、詳細は別紙にて。
 尚本件に関しては、織斑千冬の棄権以上の情報をメディア等及びその他一切に漏らさないよう留意せよ。



「もうここに一人全部知ってる部外者が居ますけど~?」

 自慢のハックで盗み出した文書の一部を流し読み、束はせせら笑いながらそう口にする。

「ふぇ~中学生で拉致監禁されるなんて、いっくん良い体験したじゃん☆」

 どこが良い体験なのかは理解に苦しむが、どうやら彼女の中では「珍しい体験=良い体験」と言う式が最初から出来ているらしい。

「おっとイカンイカン」

 と言って束は思考を切り替える。「未来の可愛い弟の事もっと調べておかないと☆」などと言う建前の元、気紛れで盗み出した第2回モンド・グロッソ誘拐事件の極秘資料。
 本命は一夏の変化だ。


 話が逸れるが、束は人間が持つ「思考・感情・精神」の変化に以前から興味を抱いていた。はて、かの天災科学者が興味とな。
 しかし、それもまた必然なのかもしれない。直接人間の脳回路を意のままに操る事など、いくら束でも出来はしない。精々可能な範囲と言えば、何らかの事象を起こす事でそれを見た人間の思考を変える程度だ。だがそれは、間接的で確実性に欠ける。
 束が今現在押し進めている計画も、それが起因となっている。もし束自身の意思1つで、全人類の脳回路を操る事が出来てたらMPSを量産させる等と回りくどい事はしない。
 つまり束にとってMPSの大量生産とは、全人類の思考や感情を変える為の第一段階に過ぎないのだ。


 話は戻るが、そんな訳で束は調べる。ホログラム化されたキーボード上に自身の両手を高速で這わせながら、彼女は資料をがめつくかき集めていく。
 誘拐事件が起こる前と起こった後での、一夏の違い。その大元となる、アリーナ中にセットされた監視カメラに映る一夏の表情。そして救出直後の綿密なメンタルチェック。それらの結果を示し、一纏めにされたレポート。
 それら全てに目を通した直後、束の一言目は―――

「…何じゃこりゃ」

 そんな反応を示した理由を、束は続けて独りごちる。

「いっくんの精神面に変化なし?と言うより、事件前から精神異常状態じゃんこれ。…拉致られる前、何か嫌な事でもあったのかな?」

 安直な予想を口にした後、束はあくまで可能性の一つとして次の言葉を脳内に作り出した。

―――まさかずっと前から?

 しかしコロッと気が変わった様に、束はその可能性を軽く一蹴する。

「んな訳ないって!束さんのお・バ・カ☆束さんの可愛い可愛い箒ちゃん♡その未来の旦那さんがそんな精神異常野郎であって堪るかっての!」

 少し年の離れた、束の愛おしい妹である箒。そんな箒が予てより想いを馳せていた、黒髪の剣士。
 束にとって、そんな2人が末永く結ばれる事は既に決定事項のようだ。
 当然、そこには根拠も何もない。あるのは、妹への歪んだ愛情だけだ。


第35話 憎悪

「千冬姉!はいお弁当!」

 

「ああ、いつもすまないな」

 

 何の変哲もない一軒家の玄関口で、毎日繰り返されている日常のワンシーンが、今朝もいつも通りに繰り広げられていた。他の家庭と異なる点と言えば、2人に両親が居ないと言う事だろうか。

 姉は勿論、両親の顔も性格も知っている。

 しかし少年は覚えていなかった。少年が人の顔を覚えるには、両親の蒸発は時期が早過ぎた。だから少年は、本当の家族と言うものを知らない。姉こそが、姉だけが少年の知る家族と言う概念だった。

 

 そんな少年は姉が大好きだった。

 何故なら少年が好きで好きでしょうがない「ヒーロー」と言う存在を、その身一つで体現してくれるからだ。その雄大さは大地の如く、鋭さは雷の如く、美しさは海氷の如く、そして強さは竜の如し。

 そんな姉の存在を常に間近で感じていた少年は、そう在る事こそが絶対の正義であり自分もいずれそうなるであろうと確信していた。彼女の弟なのだから、彼女と血が繋がっているのだから、同じ血が流れているのだから。

 その感情が「憧れ」であると気付くまで、そう長い時間は掛からなかった。

 

 

 そんな少年にとって、学校は最適の場所と言えた。

 どんな行動がどんな言動が自分の思い描くヒーロー像に近しいのか、同級生たちの反応を見れば自ずと最適解も見えてくるからだ。そう、同い年の少年少女たちは格好の観察対象であったのだ。剣の道に身を費やすのも体育で良い成績を取るのも、虐められている同級生の少女を助けるのも、全ては姉に近付く為であった。

 現にそんな少年を見て、生徒も教師も皆口を揃えて言った。「流石は織斑千冬の弟だ」と。

 誰もが認め誰をも魅了する彼女の名を冠せられる事に、少年も又無上の喜びを覚えた。

 

 だが、何故か少年は自分から姉の話題を出す事が無かった。

 

 

 時が経つにつれて、少年の心に少しずつ黒点が出来始める。

 「いいぞー!織斑弟!」「凄い!本当に千冬様みたい!」と、その日も歓声や憧憬の眼差しを受ける少年。少年自身も、太刀筋がより洗練されているのを強く感じ取っていた。

 しかし、何故か少年の心は満たされなくなっていた。

 その原因に気付く事なく少年は次の日も笑顔で、唯一の家族である姉に自作の弁当を渡す。

 

「千冬姉!今日は野菜増し増しだぜ!最近摂ってないんだろ?」

 

「ウッ…やだ」

 

「オイオイ…ちゃんと全部食べてくれよ?」

 

「…分かった」

 

 少年の笑顔に隠れるごく僅かな変化に、姉は気付く事がなかった。

 

 

 謎の黒点は徐々に少年の心を蝕んでいく。

 その日もその次の日も、少年は姉を思い浮かべながら切磋琢磨していった。

 しかし、少年はジワジワと気づかされ始めた。周囲の人間は、自分を『織斑千冬の弟』としか見ていないと言う事に。どれ程剣を振るおうと、どれ程それらしく振舞おうと、少し小さなコピーでしかなかった。いや、剣の腕が劣る分コピーですらなかった。

 そんな少年の心の汚染をどうにか食い止めたのは、他でもない姉との血の繋がりであった。

 

―――オレも「14の歳」になれば、同じく14歳だった当時の姉は超えられる筈

 

 足りないのは時間と更なる研鑽、それさえ乗り越えれば自分はきっと姉を超えられる。そうして漸く、自分は『織斑一夏』として認められる。

 少年はそう思い込む事で、ずっと抱いていた確信を保ち続けた。

 

 少年は今日も毎日の様に、姉に弁当を渡す。満面の笑みが放つ太陽光で、心の黒点を覆い隠す様に。

 

「今日は何だと思う?」

 

「ほう…開けてからのお楽しみと言う奴か?だが匂いで大体解るぞ?」

 

「流石は千冬姉。けど、実際見てみないと解らないもんかもよ?」

 

「…開ける直前、肉料理である事を祈るとしよう」

 

 一日の始まり。今日も弟の笑顔に癒された姉は、軽い足取りで家の門から出て行った。

 

 

 少年の確信は皮肉にも時間が経てば経つ程萎んでいった。

 12歳になっても13歳になっても、どれ程研鑽を積んでも少年には当時14歳だった姉を超えられるビジョンがまるで見えて来なかった。剣の腕が上達しようと理想のヒーロー像を追い求め続けても、増えるのは歓声だけ。それも自分に対するものではない、原本である姉を称えるものだ。

 誰も自分を見てはくれない。姉の肩書きが自分にのし掛かる限り、自分の剣も理想も所詮は姉の劣化版。

 段々と少年は姉に対する憧れの裏側に、別の感情を抱く様になっていた。その感情が明確になったのは、少年が14の歳を迎えてからだった。

 

 他の追随を許さぬ程、強く成長した少年。その剣筋は、遥か年配の高校生にも引けを取らない次元へと昇華されていた。

 そんな少年にとって肝心な事はただ一つ、姉を超えられたかどうか。だが少年の淡い願望は、偶然盗み聞いてしまった会話によってズタズタに引き裂かれた。

 

「確かにメチャクチャ強いけど、当時の千冬様程じゃないよね~」

 

 

 後日、少年は大会への出場を辞退した。

 当然トップエースである少年の唐突な辞退は、顧問を怒らせるには十分な材料だった。それでも少年は頑なに拒み、遂には部を抜けてしまった。

 その報は、既にIS学園へその身を置いている姉の下に届く事などなかった。

 

 

 その日、少年は弁当を作った。姉は、家族はもうその家に居ないと言うのに。

 レタスやブロッコリー、ウインナーやミニハンバーグの詰まった色鮮やかな弁当。少年はそれを光沢の無い黒一色の瞳で見詰めながら、憧れの裏側に潜む感情を増大させていった。

 

―――何故、どうして貴女は持っていて、オレは持っていないんだ。顔も似ていて、流れる血だって一緒なのに、何故オレは貴女に届かない

 

ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ憎いナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ

 

 自身の醜悪な部分に浸る事数分、少年の心に1つの野望が芽生え始める。

 それは今における少年の瞳を更に色濃くした様な、卑しくどす黒い野望であった。くつくつと引き笑いを不気味に響かせながら、少年はその野望をひとり口にする。

 

「……いつか、オレがアンタをマモれるようになって見せるよ千冬姉」

 

 自分が姉を超えた時、姉はどんな顔をするのか。

 血の劣る、剣の劣る自分に護られると言う絶望的屈辱。それにより、毎日毎日落ち着いていて何処か余裕そうなあの表情が一体どの様に歪むのか、少年は考えただけで狂笑が止まらなかった。

 

―――オレが味わってきた屈辱。アンタも美味しく味わってくれたら良いなぁ

 

 周囲の目に映るそんな自分は、宛ら神の様にでも見えてしまうのではないか。それを思い浮かべただけで、少年は胸の高鳴りが止まなかった。

 少年はその感情を、憧れの裏側に大切に保管する事にした。それこそ太陽の如き笑顔で、心の翳りを照らし隠す様に。

 

 

 

 それからも、剣の修練を今まで通り続けた少年。

 そうして時間が経つ事一年後。何の因果か、少年は男性の身でありながらISを起動させてしまう。

 同時に、予感に似た何かが少年の脳内を電流の様に駆け巡った。

 

―――今度こそ姉を超えられるかもしれない

 

 予感に呼応させる様に、少年はそんな言葉を一人高らかに宣言した。

 女性にしか扱えないISを、男性である自分が扱えると言う不合理。きっとこれは、神様からの啓示なのだ。もうISしかしがみ付けるものがない少年は、そう考えるしかなかった。

 

 

 

 

 

―――――6月10日(金) 放課後―――――

 

 アリーナBのフィールド上にて、打鉄を纏った千冬は軽い動作確認をしていた。手の平を閉じてはまた広げ、四肢の関節を曲げたり伸ばしたりもしていた。

 久し振りにISを纏うからか、心なしか彼女の表情も何処か初々しげだ。

 

 だが反対側で同じように佇む純白のISを見て、彼女はすぐに頭を切り替える。

 今回の模擬戦は一夏からの申し出だが、千冬自身も良い機会だと考えていた。一夏を今件における主犯だと睨んでいる千冬にとって、向こうから接触して来る事は寧ろ僥倖だった。

 何より千冬が気掛りなのは一夏のその様子だ。大会が終わってからと言うもの、まるで人が変わった様に一夏から活気が抜け落ちてしまった。唯一の家族である千冬でさえ、今までこんな状態に陥る一夏は見た事がなかった。

 

 そんな試合前に余計な事を考える千冬に、白式から専用回線で通信が入る。

 

《織斑先生、本気でお願いします》

 

 それはまるでアナウンス音の様に、抑揚の無い無機質な声だった。それでも千冬は、敢えて普段通りを貫こうとする。

 

「オイオイ、2人で居る時くらい名前で呼んでくれてもいいじゃないか。それに、私にとっても久方ぶりのISバトルだ。相当なまってるだろうから、余り期待はするなよ?」

 

 そう軽口を叩く千冬だが、一夏からは何の言葉も返ってこない。それどころか、表情すらも変わらない。

 あの笑顔を見せてはくれないのかと、千冬までどんよりとした気分になってしまう。

 

(…切り替えろ。弟との折角の立合いなんだ。楽しもうじゃないか)

 

 そう自身に言い聞かせながら、半ば強引に気分を引き戻す千冬であった。

 

 

 

 スタンド席から、昭弘はフィールド上に浮かぶ黒と白のISを見比べる。

 色とは不思議なもので、並ぶ2つの色が補色であればある程互いの色合いをより際立たせる。丁度、今の打鉄と白式の様に。

 

 千冬の打鉄は、見たところ背部に一対の追加ブースターを付けてるだけだ。焔備も取っ払っている。

 

(構えは…IS戦でその構えは有効的なんだろうか)

 

 同じ構えを取る2機のISに対し、昭弘はついそんな事を考える。

 無駄を徹底的に排除したその中断構えは、見た者に透き通った流水を彷彿とさせるだろう。

 そんな構えも、剣道にそこまで精通してない昭弘にとっては決して合理的には思えなかった。ISの空中機動に、何か特別な働きかけでもするのか。それとも儀礼的な意味合いが強いのか。

 だがそれ以上に、昭弘には入学当初から解せない事が1つだけあった。一夏の「構え」を見ていると、どうしても昭弘はその疑問を思い出してしまうのだ。

 

「なぁ箒。一夏はずっと中学時代は帰宅部だったんだよな?」

 

 隣に座す箒に、今更な過去を確認する昭弘。

 

「…ああ。そう訊いているがこれは…」

 

 しかし、箒の様子に戸惑いは見られない。寧ろ昭弘の疑問に同調している様に見える。

 中学時代ずっと帰宅部だったと言う事は、少なく見積もっても3年はブランクがある筈だ。だが一夏は最初のクラス代表決定戦において、あれ程の剣技を披露してみせた。たったの一週間それもごく限られた時間の中で、3年のブランクをああも簡単に埋められるものなのか。

 昭弘も箒も、薬指にできたささくれの様にその事がずっと気になっていた。

 

 結論から述べると昭弘と箒は、一夏が自分たちに嘘をついていたのではないかと疑っているのだ。

 もしそうだとしたら何故そんな嘘をついたのか。中学時代、剣技に纏わる事で何か嫌な事でもあったのだろうか。

 

 もう一つ昭弘には気になる事があった。非常に些細な事と承知で、昭弘はそれを箒に訊ねる。

 

「そう言や部活はどうした?」

 

「……顧問には遅れると言っておいた。理由を探すのに苦労したが」

 

「そりゃ気になるよな、特にお前は」

 

 人が変わったみたいに、様子が可笑しい箒の想い人。そんな状態で、模擬戦の相手に態々実の姉を指名した。相手なら他にいくらでも居ると言うのに。

 きっと何かある。五感と言う枠組みを超えた第六感的な何かが、箒をこの場に導いたのだ。

 

 箒でなくとも、かのブリュンヒルデとその実弟によるISバトルなのだ。スタンドにはそれなりの人数が詰め掛けていた。

 セシリア以下「いつもの面子」も、昭弘と共に居る。セシリア、鈴音は箒と同じ理由であろう。シャルルも恐らく、それに近い所以だ。

 ラウラやついでに居る相川は、ここ数年では滅多に拝めない千冬のISバトルが純粋に観たいだけだ。

 

 ただ昭弘、箒、シャルルはやるせない気分でいっぱいだった。どう転ぼうと決して良い終わり方など出来ない。今の一夏を見ていると、どうしてもそんな予感が込み上げて来るのだ。

 

 

 各人そんな様々な想いを胸に秘めているからか、まるで心の準備が出来ていなかった。

 

 そんな彼女らが呑気に植物を毟り食うシカなら、突如として鳴り響くブザーは密林から躍りかかるベンガルトラと言った所か。

 

 そうして試合が始まってしまった。

 

 

 直後、戦いですらない一方的な蹂躙が幕を開けた。

 

 

 

 一夏のコンディションは極めて良好だった。

 呼吸も乱れておらず、倦怠感も一切ない。何より、千冬への集中力が極限にまで高められていた。今の彼は、千冬以外一切見えていないと言っていい。

 それでいて試合開始のブザーだけは拾える様に、両耳には必要最小限の意識を回していた。

 

 ブザーは一夏の予想した時間帯にピタリと合致する様に鳴り響いた。直後、白式は千冬に向かって瞬時加速を使―――

  

 

えなかった。

 

 消えたのだ、千冬が。瞬きもせず、ずっと両の目で捕捉していたと言うのに。

 

 しかしその更に一瞬後、一夏は左側から針の様に細く鋭い気を感じ取る。瞬発的に自身を護る様に掲げた雪片へ、葵の刃が激突した。

 当然一夏は何が起こったのか分からない。目を丸くしながら、少し経って漸く目の前で自身と鍔迫り合っているのが千冬だと認識する。

 

《こうして直接立ち合ってみると、本当に凄いな一夏。この数か月で今の一撃を見切れるようになるとはな。…私の腕が落ちたと言うのもあるが》

 

 そう自身を褒め称えてくる千冬だが、一夏には分かっていた。今の一撃が、本気ではないと言う事を。

 その事が腹立たしいのか、一夏は鍔迫り合っている刃への意識をそのままに怒りをどうにか押し留めながら物申す。

 

「…接近した時、何故オレの背後を取らなかったんですか?本気でお願いしますと言った筈ですが」

 

《さっきも言っただろう?ブランクは短くないんだ。背後を取れるか怪しかったんだ》

 

 一夏は腹立たしさが消えなかった。「何がブランクだ化け物め馬鹿にしやがって」と、一夏はそう声に出したい衝撃を抑え低い声で念を押す。

 

「もう一度言います織斑先生、本気の本気でお願いします」

 

 凄む一夏とは対照的に、千冬は軽く溜め息を吐きながら応答する。

 

《……分かった。努力する》

 

 

 

 試合は1分と掛からずに終わった。

 

 

 

 観客スタンドでは、昭弘を含めたほぼ全員が動きを止めていた。「信じられないものを見た」と語る彼女たちの瞳は、生身の状態で地面に両手を付く一夏と打鉄を纏ったままそれを見下ろす千冬が映っていた。

 いまいち現実味がない一同は、もう一度先の出来事を頭の中で再現する。

 

 白式、背部(バック)ブースター装備の打鉄。高機動近接特化と言うだけあって、2機の戦術は全く同じであった。

 だが同じなのは戦術、そして空中を通った跡(軌道)だけ。2機の間に存在する次元の壁は、10枚も20枚も重なっていた。

 白式が1動けば打鉄は10動く、白式がその一刀を振り下ろせば打鉄は五刀も六刀も振り下ろしてくる。そして白式の雪片は打鉄に掠りもせず、打鉄の葵は何度も何度も白式の装甲に叩き込まれた。

 そんな光景が閉鎖空間で幾度となく繰り返された。

 最後には打鉄からの上段一文字を食らいグラウンドへと叩き落され、白式のSEは尽きた。

 

 ブランクを感じさせないどころではない、これが世界最強(ブリュンヒルデ)

 生徒たちは改めて思い知らされた。千冬が一体、どれ程途方もない存在であるのかを。大地の様な存在感、雷の様な剣の鋭さ、それでいて海氷の様な美しさを内包していて、その強さは最早神話の生物「竜」としか表現できない。

 

 

 ラウラは覚悟を決めていたつもりだった。

 だが実際に戦う千冬(ブリュンヒルデ)を目の当たりにしたショックは、やはりそれなりに大きい様であった。今の自分と、一体どれ程の差があるのか。

 ラウラもそんな事考えたくはないのだろうが、差を埋めるにはその大きさを細かく測り何が足りないのか分析するしかない。

 

(…私はこんな怪物に並ばねばならないのだな)

 

 そう心中で呟いた後、ラウラは油ぎった汗を体外に排出すると同時に生唾をゴクリと飲み込んだ。

 

 

 セシリアと鈴音が未だに放心気味である中、昭弘、箒、シャルルの意識は既に跪いている一夏へと移動していた。

 昭弘たち3人が予想した結果と言う名の線を、そのまま奇麗になぞった今試合の結末。

 俯く様に一夏を見詰める彼等からは、強い後悔の念が感じ取れた。さっき教室で力づくでも一夏を止めるべきだったと、今更そんな事を考えた所で最早どうにもならない。

 

 そう一夏を中心に捉えている3人の視界に、千冬と打鉄が舞い降りてくる。その佇まいは悪魔の様に黒い姿をしていながら、天使の様な清廉さをも兼ね備えていた。

 

 

 

 少し湿り気のある地面が、一夏の眼前に広がっていた。だがそれを見る一夏の瞳はガサガサに乾いていた。それはつまり、瞬きを忘れる程のショックが一夏を襲っていると言う事だろうか。

 地面から見た一夏の目は、生気を吸い取られた様に黒く染まっていた。

 

 いつまでも四つん這いの姿勢で跪く一夏に、グラウンドへと降りた千冬が近づいて来る。

 そして暫く一夏を見ながら思案すると、右手で後頭部を掻く素振りをしながら口を開く。

 

《いつまでそうしてるつもりだ?本気を出せと言ったのはお前だろう》

 

 千冬の声が、一夏の心をチクチクと突く。

 

《大体、お前はまだISと関わってから半年も経っていない。教師に勝てないのは当たり前だ。ブリュンヒルデである私が相手なら尚の事だ》

 

 千冬は別に、慰めているつもりではなかった。千冬の言う通り、教師はISのプロだ。教育段階にある生徒に負ける事など、そう簡単にあってはならない。

 だが今の一夏には、いい加減な慰めにしか聞こえなかった。一夏は風船の様に膨らんでいる自分の心を、尖った何かが厭味ったらしく小突いてくる様な気がした。

 未だに顔を上げない一夏を見て、千冬は良かれと思ったのか次の言葉を言い放った。

 

《それにお前は私の「自慢の弟」なんだ。きっといつか、私を超えられる日は必ず来るさ》

 

 微笑で千冬はそう言った。

 

 

 

 一夏の心は破裂した。

 

 

 心から流れ出た感情は出口を求めて彷徨うが、直ぐに口と言う「言葉の出口」を見つけてそこに殺到する。

 

「……アンタに何が解る」

 

 思わぬ一夏の反応に千冬もまた微笑を止める。すると一夏は遂に顔を上げ、奇声に近い怒声を張り上げる。

 

「オレは…!オレは努力してきたッ!してきたんだよずっとッ!!アンタを超える為にィッ!!」

 

 顔を上げたと思った矢先、突如、千冬が今まで見た事もない程顔を醜く歪める一夏。流石の千冬も動揺するが、一夏はそんな彼女の様子など気にせずに続ける。

 

「分からないだろうなぁ!!?全部持って生まれたアンタにはッ!人の痛みなんて…何も…何もォッ!!」

「アンタさえ…アンタさえ生まれてこなければオレはこんな感情を抱かずに生きていけたッ!!普通の…普通の子供として生きていけたんだ!ブリュンヒルデの弟でさえなければなぁ!」

 

 涙と鼻水を派手に飛び散らせながら、一夏は叫び続けた。

 そして最後、一夏は力尽きる様に言葉を吐き出した。

 

「憎い……アンタの事が憎くて憎くてしょうがない…。オレの…全てを奪っていったアンタが。自分だけ「ヒーロー」でいられるアンタが…」

 

 憎悪で濁り切った瞳を、一夏はこれ見よがしに千冬に見せつける。

 

 一夏の瞳に映る千冬は、ただ茫然と立ち尽くしていた。信じられないものを、受け入れられないものを目の当たりにした様に。

 身体と表情をピタリと静止させながらも、千冬は瞳だけをあらゆる方向へ細かく移動させていた。

 彼女は自身が今まで慕っていた存在が崩れ落ちていくのを、身体全体で感じ取っていた。

 それが完全に瓦解すると、笑顔の絶えない一夏は彼女の心から消え失せた。

 

 

 千冬の眼前には、彼女をひたすらに憎み醜く歪んだ一夏の顔があった。


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