昭弘そして箒が各々の相手と対面し話を進めている頃、シャルロットは恐る恐る128号室のドアノブを握る。
当然此処はシャルロット自身の部屋だ。ノブが回ればそのまま勝手に入室し回らなければ
ノブが回ったので、そのまま彼女はドアを押して玄関に足を踏み入れる。鍵が開いていると言う事は、大抵の場合中に人が居ると言う事だ。
シャルロットはその事を念頭に置きながら、差し足気味に奥へと進む。前室を何歩か進みベッド等が置かれている主室へと続く扉を、彼女はソッと開ける。
すると、見えた。シャルロットが帰宅を恐れていたその元凶が。
織斑一夏。
彼女のルームメイトであるその少年は、ソファチェアに腰を落としながら虚ろな瞳で窓を眺めていた。
正確には、窓の外に広がっている暗黒の世界をだ。暗い外の景色を背にしている窓には、部屋の様子が鏡の様に反射して映っていた。
故に、一夏の眼球はソッと部屋に入って来たシャルロットの姿を捉える。
一夏は夜闇に視線を向けたまま、低くそしてくぐもった声を彼女に掛けた。
「……ああシャルロット。おかえり」
「アッ…う、うん!ただいま…」
自分から挨拶が出来なかった事を若干後悔しながら、シャルロットは一先ず自身のベッドに座り込む。
そして今一度、チラリと一夏を見る。先程千冬に惨敗した直後と比べると、幾らか落ち着いている様に見えた。
しかし反射した窓に映る瞳の輝きは鈍く、顔もまるで魂が抜けた様に蒼白としていた。そんな状態を保ちながら、一夏はいつまでもどこまでも窓一面に広がる暗黒の世界をただボーッと見ていた。
それはまるで窓に反射して映る自分自身を覗いている様にも、シャルロットには見えた。
己を隠し、姉を妬み、自身の才能に落胆し続けてきた一夏。その成れの果てを見ながら、彼は何を思うのだろうか。
今における一夏の感情なんて、いくらシャルロットでも解らない。出来る事と言えば、一夏の外見と言う名の視覚情報で判断した一方的な解釈のみ。
一夏自身、先の戦いで嫌と言う程解ってしまったであろう千冬を超えられないと言う現実。だがそれを受け入れた瞬間、一夏は自分が何の為に生きているのかきっと分からなくなってしまう。
一夏の頭では絶対的な実力差が確実に存在すると言う現実と、何も成さずに消えたくないと言う願望が激しく鬩ぎ合っているのだ。それはまるで生と死の狭間に取り残される感覚に、何処か似ているのかもしれない。
心がそんな状況にある一夏は、自分の事だけで精一杯だった。他人を気遣い言葉を交わす余裕など、今の彼にはない。
先程、昭弘と箒に対して一夏の件で強気な発言を繰り返していたシャルロット。
そんな彼女も、一夏に何と声を掛けたら良いのかまるで頭に浮かばなかった。どんな慰めの言葉も激励の言葉も今の彼には毒にしかならないと、そう思っているようであった。
それともデリーが彼女に対してそうした様に、シャルロットも一夏に言えば良いのだろうか。「価値の無い人間などこの世に存在しない」と。
だがその言葉の真意を未だ理解していない彼女にとっては、やはり単なる受け売りでしかなかった。そう考えると、どうしても言葉に出せなかった。
互いのそんな心境によってか結局この日、冒頭の挨拶以降2人が会話を進める事は無かった。
消灯時間が過ぎ去り、日付までも跨いだ深夜。
128号室では、夢に入り浸っているシャルロットの静かな吐息だけが四方へと染み渡っていく。
その空気と空気が擦れ合う音色を、一夏は未だソファチェアに座りながら聞いていた。聞きながら考えていた。
此処IS学園に来てから、一夏は初めて考えるようになった。「家族とは何だろう」と。
それが良くも悪くも一番身近な存在だと言う事は、一夏も物心ついた時から知っていた。一夏にとってその存在は
一夏が家族に抱いていたものは、それら負の感情でしか構成されてなかった。
そして疑問も抱かなかった。他の家族なんて気にも留めなかったから、千冬しか見えなかったから。
IS学園に来てからも、そうあり続けると思っていた。
だが違った。唯一、一夏が弱さを曝け出せる人物が現れたのだ。最初は一夏も、その人物に当り障りなく接していた。数多く居る友人の一人に話し掛けるように。
しかし話していく内、次第に一夏は気付き始めた。「この男は違う」と。他の人間と何がどう違うのか、説明するのは難しい。
ただ一つ言える事は、その青年と一緒に居ると表現し難い安心感が生まれるのだ。本来安心とは誰もが経験する感情だが、人と接していて安心した事の無い一夏にとってそれは余りにも未知なる感情であった。
その安心感を享受する為、青年に依存・傾倒していくのは自然の成り行きであった。
奇妙な現象だ。血の繋がっている姉を憎み、血の繋がっていない元は赤の他人である青年を慕う。同じ血の通う姉には本心を隠し通し、血の異なる青年には本心を見せる。どっちが家族と言えるのだろう。
そもそも家族とはどういう存在なのだろう。邪魔な存在が家族なのか、それとも必要不可欠な存在が家族なのか。
結局この日も答えは出なかった。
だが、先程の模擬戦で解った事がある。千冬へ向けた憎悪、昭弘に振り向いて貰うべく奮い起たせていた気力、その両方を一夏は失ってしまったのだ。
それらを失ったと言う事は、一夏自身の目的自体をも失った事を意味する。千冬を超える為、昭弘に認めて貰う為、ISにその身を捧げてきたのだから。
それらが抜け落ちた一夏の心は、正に外郭だけを残した蝉の脱殻と言えた。
そんな自身に今更気付いた一夏は、遂には考える事すら止めた。己を動かす燃料であった憎悪の炎も安心への依存も、今の一夏にはない。
故にどれだけ熟考しようと、家族の定義は最早過去の産物でしかない。
「二兎追う者は一兎をも得ず…か」
最後にそんなことわざを一人ボソリと呟いた一夏は、力が抜けた様にソファチェアへ寄り掛かり瞼を閉じた。
外灯も月光りもない暗黒の世界。瞼を開けようと閉じようと、どの道一夏の視界には闇しか広がっていない。
結局その日、何も活力が湧いて来なかった一夏は部屋から殆ど出てこなかった。そう言う意味では、この日が土曜日である事に感謝した。
更に運の良い事に、シャルロットも夜まで部屋を出ていた。誰と何処で何をしているのだろうと、多少はシャルロットの事に思考を割く一夏だが―――
(…どうでもいいか。シャルもオレと居るより100倍は有意義な時間が過ごせるだろうし。…オレも落ち着く)
一人で居ると、誰とも会わないと、何となく安心する。仲違いを起こすリスクもゼロだ。今一夏にとってこの部屋は、他者の視線から守る強固なシェルターに思えるのだろう。
しかし閉じ籠る事での安心は、所詮その場凌ぎの紛い物でしかない。皆はどうしているのか、自分は何の為に生きているのか。頭のどこかにそう言う不安がある限り、心が満たされる事は決してない。今の一夏の様に。
―――6月12日(日)―――
頭に響く目覚まし時計が奏でる不快な爆音によって、一夏は仰向けの状態からモソリと上体を起こす。
そのまま普段通り目覚まし時計に振り向く。時間は普段過ごす日曜日と同じ、短針は8と9の中間点を、長針は6の位置を指していた。
少し前なら宿題、勉強、ISの特訓、そして昭弘たちとの約束事と言ったその時間に起きる目的があった。
だが今、一夏には何の予定も何かをしようとする活力もない。休日であるのに目覚まし通りに起きても、ただ眠たいだけだった。
だが少し経つと、シャルロットの安眠を妨げてしまったのではと一夏は罪悪感を抱き始める。恐る恐る隣のベッドに視線を向けてみると……ベッドは既にもぬけの殻だった。
ホッと胸を撫で下ろすと同時に、一夏はどうでもいい疑問を抱く。何時、彼女の
そんな些細な疑問を頭から追い出し、一夏はシャルロットが何処へ行ったのか考え始める。確か昨日も彼女は一夏に内緒で外出していた。
しかし眠たいからか気力が無いからか、まるで頭が回らない。やがて馬鹿馬鹿しくなり、一夏が再び頭を枕に預けようとしたその時―――
ピィン…ポゥン
情けない電子音が、一夏の行動に待ったをかける。眠気のせいかその音が128号室の前で待つ客人からの呼び出し音と気付くのに、数秒程時間を要した。
「…」
今誰にも会いたくない一夏の取った行動は、言うなれば居留守であった。幾らか間を置いて2度目の呼び出し音が鳴るが、尚も一夏は意地悪く無視する。
更に間を置いて今度は―――
ドンドンドンドンドン!!
硬く力の強い何かで、ドアを叩く音だった。一夏は心臓をビクンと震わせ「賊か!?」と身構え、傍に立て掛けてあった竹刀を構える。
当然もうここまで来たら、意地でも出ようとしないだろう。
ピッ
一夏は一瞬、己の両耳が飾りなのではと疑う。何と、玄関口の方面からカードキーによる解錠音がしたのだ。
一夏の他に、128号室のキーを持っているのは同室のシャルロットだ。普段なら、一夏にとってルームメイトが部屋の扉を解錠する事など日常茶飯事だ。
しかし今回は違う。態々インターホンを2回も鳴らしあまつさえ扉を激しく叩いた後、解錠したのだ。どう考えても異常だ。
故に一夏は、業を煮やした寮長である千冬がマスターキーを使って乗り込んで来たのかとも考えた。
そのどちらなのかと言った一夏の推察は、正直余り意味を成さない。もう既に玄関扉は勢い良く開かれ、ズシンズシンと響く足音は前室と主室を隔てる扉の目前まで迫っていたからだ。
誰なのか考えるまでもなく、セキュリティの掛かっていない内扉は直ぐに開けられてしまうだろう。
実際、直ぐに開いた。
その顔を見て、思わず一夏は名前を呼んでしまう。此処に来た理由を、訊ねるよりも遥かに早く。
「昭弘」
静かにその名を呼ばれた青年は、ごく普段通り仏頂面で口を閉ざしたまま一切曇りのない瞳で一夏を見ていた。
決して広くない空間で互いに見つめ合う、昭弘と一夏。一夏は寝間着姿のまま、昭弘は上下をタンクトップとジーンズで組み合わせていた。
じめっとしたこの季節、密室で男2人が対面するその光景は中々にむさ苦しいものがあった。
もうまともに顔を合わせる事もないと、勝手に思い込んでいた一夏。昭弘と改めて顔を合わせた彼は、蒸し暑さ以外に何を感じているのだろうか。
そんな感情に浸るには、頭に浮かぶ疑問が余りに多すぎる一夏。彼は、何をどう訊けば良いかも分からずに硬直していた。
そんな一夏が抱いているであろう最初の疑問を、昭弘は鈍く輝くカードキーを見せつけながら答える。
「シャルルから借りた」
それだけ伝えると、昭弘は間髪入れずに一夏の二の腕を乱暴に引っ掴む。
「イッ!!」
筋肉と骨が激しく圧迫され、一夏は歯を剥き出しにして苦悶の表情を浮かべる。
「な、何を…!」
抗議と反抗の意が籠った眼差しを昭弘に向けるが、昭弘は表情だけ普段のまま一夏を部屋から引きずり出そうとする。
突然過ぎて意味が分からな過ぎて二の腕が痛過ぎて、唯々混乱に飲まれる一夏。
兎も角、一夏は昭弘から逃れようと必死に藻掻いた。だが全身が膨大な筋肉の塊である昭弘に捕まっては、一夏も成す術がなかった。
次第に、藻掻いても体力を無駄に消耗するだけだと気づいた一夏は一先ず抵抗を止めた。それでも、昭弘は寝間着姿の一夏を無理矢理引き連れて行く。その行為に、普段の優しさは欠片も感じられなかった。
寮から出て何歩か進むと、漸く昭弘は再度口を開く。
「お前に見せたいもんがある。拒否権は無い」
それだけ一方的に言い放つと、昭弘は再び黙り込む。「先程から何なのだ」と、一夏は理不尽と言うより最早別人の様な昭弘に憤慨し始める。
そんな一夏の視界端に、ある巨大な構造物が入って来た。始めこそ小さく映っていたそのアリーナAは、昭弘が脚を前へ前へと動かす度に段々とその大きさを増していく。
一夏の不安は、それに比例する様に増大していった。
―――嫌だ、
アリーナは自分が負ける場所だ、恥をかく場所だ。そんな恐怖が脳裏に刻み込まれてしまっていた一夏は、さっき以上に激しく暴れ始める。
一夏が暴れると、昭弘は更に強く一夏の腕を握り締める。その激痛は、二の腕が引き千切られてしまうと錯覚する程であっただろう。
端から見るとそんな光景は、母親が駄々捏ねる子供を叱りながら無理くり引き連れていく様であった。
一夏の抵抗も無駄に終わり、2人はとうとうアリーナAに到着する。精神的苦痛のせいか目眩がする一夏は、完全に抵抗を諦めてしまっていた。
その後もグイグイと引っ張られ、遂にはスタンド席へと着かされる。何を見せられるのか鮮明に想像出来た一夏は、目眩だけでなく腹痛にまで襲われる。
此処はアリーナしかも観客席。見るものと言えばISバトルに他ならず。
そしてそのISバトルは、今や一夏が最も敬遠しているものの一つだ。逃げ出したい一夏だが、真後ろに座している昭弘は一夏の両肩を肉のもみじで押さえつけている。
そうしてある程度時間が過ぎると、5機のISがフィールド上にその姿を現す。
一夏から見て右側に集まっているのは箒:打鉄(重装甲追加ブースター装備)、セシリア:ブルー・ティアーズ、鈴音:甲龍、シャルロット:ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡの4機だ。
「お前の仇討ちなんだとよ」
昭弘の言う仇討ちの相手は、一夏から見て左側。これからその4機を同時に相手取る事がさも当然であるかの様に、悠然と佇む打鉄が1機。
搭乗しているのはブリュンヒルデ、
一夏は、そんな千冬をもうこれ以上見たくはなかった。自分との間に確実に存在する、最早何を詰め込もうと埋めようのない実力差。
その現実を直視出来ない一夏は、観戦を避ける様に瞼を閉じて俯く。
しかし昭弘はそれすら赦してはくれなかった。
「逃げるな」
そう言うと一夏の両側頭部をまるでボールをガッシリと捕まえる様に押さえ、強制的にフィールド上空へ顔を向けさせる。そのまま両手で側頭部を掴みながら指を一夏の目元へと這わせ、上瞼と下瞼の間に指を捻じ込む。
瞼を強制的に開けられた事で、またしても一夏の視界に現実が映り込む。
千冬の打鉄は前回よりも更に極端な改造が施されていた。
背部から延びる一対の大型ブースター直下にはもう一対のブースターが付けられ、各脚部にも小型のブースターが見え隠れしていた。装甲も、打鉄がISとして機能するギリギリのラインまで削がれている。当然、武装は一本の
それは即ち、前回の模擬戦を大きく上回る超超高機動特化の打鉄と言う事になる。
「お前との模擬戦は、久々のISに慣れる為の言わば「
一夏のメンタルなど構わんと言わんばかりに、そのままの事実を何の脚色もせずにズバズバと言い放つ昭弘。つまりは今の装備こそが、モンドグロッソで見せた本来の千冬に限りなく近いと言う事になる。
逆に言うと一夏と戦ったあの時、千冬は本気ではあっても
しかし既に絶望しきった一夏にとっては、大して心に堪えるものでもなかった。絶望的強さを持つ怪物が、更に強くなったと言うだけだ。
ヴーーーーーーーーーーーーー!!!
前回の様に、試合開始のブザーは唐突に鳴り響いた。まるで一夏の終わりを告げる様に。若しくは一夏の始まりを告げる様に。
はたまた、これから始まる昭弘の孤独な戦いを告げる様に。