IS~筋肉青年の学園奮闘録~   作:いんの

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―――決行日 前夜

 昭弘は思い起こしていた。何をと問われると、それはシャルロットが吐き捨てていた「嘆き」とでも言えばいいのだろうか。

 一夏は昭弘を一番必要としていた。

 何度考えを巡らせても、やはり昭弘には解らなかった。
 
 何故自分なのか。友人とは言え、交友関係だって精々2ヶ月やそこらなのに。
 自分に何を求めているのだろうか。与えてやれるものなど高が知れていると言うのに。

 考える度、昭弘は思った。自分は本当に自分自身の事をちゃんと理解しているのか、と。
 此処における自分がどういう存在なのか良く解っていないから、一夏の気持ちにも気付けないのではないか。

 残念な事に、昭弘は自身の事を考えるのが苦手だ。他者の事は深く考えれても、自分の事は他者に訊かなければ解らない。

 だからこそ昭弘は自ら一夏の説得役を買って出たのだ。
 何故一夏が昭弘を欲するのか、昭弘自身には解らない。だがシャルロットの言葉を信じるとするなら、一夏は今も尚昭弘を必要としているのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
 もし仮にそうだとするなら、一夏は今この時も昭弘に助けを求めているとも言える。然らば、手を差し伸べるのが友人としての筋だ。

 兎にも角にも、自分にしか出来ない事がある筈だ。
 そんな想いを秘めながら、昭弘は明日の作戦内容を入念に確認し続けた。


第39話 ヒーローとは

 正直、箒にとってこれは無謀な戦いと言わざるを得なかった。例え4機掛かりで相手取ろうと。

 

 あの一夏が手も足も出なかった前回の模擬戦。数年のブランクがあって尚、千冬はあれ程の戦いをやってのけたのだ。それに付け加え、勘を取り戻した千冬は打鉄をやり過ぎなまでの超高機動特化にカスタマイズした。

 億が一にも、スピードでは誰も追いつけないだろう。

 

 箒たち4人チームも、戦術や立ち回りを考えたのは昨日一日だけ。互いの役割を理解しているとは言え、どれだけ連携を取れるか未知数な部分が多すぎる。

 だからと言って、決して諦観している訳ではない。箒自身、無謀な戦いはISTTで既に経験済みだ。その辺りは他の3人も一緒だろう。

 

 フィールドに飛び出してからずっとそんな事を繰返し考えていると、思考を遮る様にブザーが鳴り響く。4人はその遮りに身を任せながら、別々の方向へと一気に散開していく。

 当然、動いたのは彼女たちだけではない。

 

(ッ!?居ない!)

 

 一夏の時と同様、千冬がパッと消えた。当然、実際に瞬間移動(テレポート)してる訳ではない。肉眼でもハイパーセンサーでも追えない程、千冬が速いだけだ。

 しかし4人は知っていた、最初に狙われるのが少なくとも箒ではない事を。

 打鉄の堅牢さは言わずと知れた事。その上、箒用に更なる重装甲を追加装備している。いくら千冬でも、落とすには多少の時間が掛かるだろう。それは即ち、他の3機から狙われる時間が延びると言う事になる。

 故に打鉄は後回し、故にセシリアたちは一瞬の内に身構える。

 

(来ますわッ!)

 

(最初に食らうのは恐らく凰さ―――)

 

 彼女たちの予想はピタリと命中した。打鉄程の装甲は無く、射撃武装も少ない相手。セシリアは直ちに、真っ先に攻撃を受けるであろう鈴音にビットを送り出すが―――

 

ギィン!!

 

《ングッ!!》

 

 鈴音もまた分かっていた。来ると分かっていて尚、回避も受け身もセシリアからの援護すらも間に合わない。

 

 しかし斬撃を免れた3人の行動は速かった。

 一番不味いのは、攻撃が鈴音1人へと集中し早くも4人から3人へと仲間が減る事。

 よって箒は鋼の集合体と化した己を突っ込ませる。セシリアとシャルルは、弾数など気にしない勢いで様々な色合いの光を降らせる。鈴音を助ける為。

 

 そして、絶望的戦力を誇る力の権化に一矢報いる為。

 

 

 

 IS(インフィニット・ストラトス)戦闘機(ラプター)よりも速く飛べる超高性能のPS。

 しかし言わずもがな出せるスピードには物理的限界があり、その速度性能もISによって様々だ。戦闘中に至っては急旋回(ハイGターン)や急減速等、速度を落とさざるを得ない状況も必ずある。

 

 一夏にとって千冬の動きは、そう言ったISにおける絶対原則の様なものから大きく逸脱している様にさえ見えた。

 どうしてたかが量産機である打鉄で、あんなスピードが出せるのか。ISとは、あんな動きが出来る様に設計されているのか。そんな疑問が1つ、また1つと際限無く増えていく。

 が、増えるだけで何の解消もされないので唯々頭だけが風船の様に膨れ上がっていった。

 

 そして何より、観客スタンド(外側)からだと千冬の機動(マニューバ)がより全体的にはっきりと見える。

 それがどれ程途方も無いモノなのか、千冬がスラスターを噴出する度に一夏は思い知らされる。前回の模擬戦で十分思い知った筈なのにだ。

 

 そんな感想を抱きながら千冬を目で追う一夏に、昭弘が問い質す。

 

「…一夏、今だから問うぞ。お前は今の戦闘スタイルで、織斑センセイを本当にいつか超えられるか?」

 

「…」

 

 その無言が答えとも言うべきだろうか。

 ISの稼働時間が長ければ長い程、技術もそれに比例して上達する。だがIS適性、そして何より戦術とISとの相性によって伸びしろは大きく左右される。一夏のIS適性は確かに高い。だがそれは千冬(IS適性「S」)には到底及ばない。剣術も千冬に大きく劣る。

 つまり近接剣術を駆使したIS戦で一夏が千冬を超える事は―――ここから先を、一夏はどうしても口にしたくなかった。受け入れたくなかった。

 それでも昭弘は何の躊躇も容赦もしなかった。

 

「一夏。直視したくない現実ってのは誰にだって必ず来る。けどな、いずれは受け入れなければならないんだ。例えその現実が、今までの自分を否定するようなものでもな」

「受け入れて自分を見つめ直して、新しい道を探すしかないんだ。でないと一生前に進めやしない」

 

 そう言われて一夏は思わず頭を抱える。「ならどうすればいいんだ」「一から全部やり直せとでも」と投げやりにそんな言葉を吐こうとした一夏だが、まだ昭弘の話は終わってなかった。

 それも、今までより声色が明るくなっていた。

 

「視野を広めれば、その「道」はいくらでもあるんだがな。一夏、お前さっきから織斑センセイしか観てないだろう?」

 

 昭弘の言葉によって誘導される様に、一夏は今千冬を相手に戦っている4人の猛者へとその視線を変える。

 

 

 

 数年のブランクから解放された千冬。今、スラスターも大小のブースターも生身の手足同然に千冬の命令を聞いてくれる。

 

(…不味いな)

 

 しかしそんな心模様の通り、決して余裕ではなかった。最初に狙いを付けた甲龍が予想以上に粘る粘る。その上、甲龍に張り付く箒の打鉄が邪魔で仕方が無いのだ。完全に捨て身覚悟で甲龍を護っている。

 更に厄介なのが、ティアーズとラファールのまるで遠慮を知らない弾幕だ。仲間が近くを飛んでいるといった躊躇いがまるで感じられない。よってか未だ直撃こそないものの、段々と千冬に弾丸やらビームやらが掠り始める。

 

 そんな状況だと言うのに、千冬は口角を上げ真っ白い歯をギラつかせて笑い出す。五体を流れる戦士としての血が戦いに反応して沸騰し始めているからか或いは―――

 

(良い仲間を持ったな一夏)

 

 一夏の為ここまで奮闘する彼女たちに、称号(ブリュンヒルデ)以上の輝きを見出したからだろうか。

 何れにせよ、彼女たちは我武者羅に戦い続けるしかない。だから千冬は、何度も次の言葉を戦闘中に繰り返していた。

 

(頼むぞアルトランド。コイツらの生き様、しっかり愚弟(馬鹿一夏)に伝えておくれよ?)

 

 

 千冬も、箒も、セシリアも、シャルロットも、鈴音も、そして昭弘も、皆必至だ。一夏を、絶望の淵から引き上げる為に。

 

 

 

 試合が始まってから3分。未だ、千冬が操る打鉄へのダメージは僅かだ。

 しかしそれ以上に、かのブリュンヒルデ相手に未だ誰も脱落してないのは更に驚嘆すべき事実であろう。

 

 一夏は考え始めた。何故そうまでして自分の為に戦うのかと。4人掛りと言う些か卑怯な手を使ってまで。

 

 昭弘は一夏のそう言った思考を読み取ったのかそれとも最初から想定していたのか、今度は箒たちについて語り出す。

 

「箒の基本戦術は至近距離での斬り合いだが、打鉄の高い防御力を活かす事で敵からの弾幕を気にせず突撃出来る。そのまま仲間の楯になる事もな」

「オルコット最大の強みは、ビットで仲間を援護出来る点だ。状況に寄っては、近接型の味方を強引に重火力型へと変貌させられる」

「近接格闘に務めながら見えない砲弾を無限の射角で扱いこなす鈴音は、遠近共に隙が無い。衝撃砲の短所も既に改善済みだ」

「そしてシャルルが操る多彩な武装は、どんな戦局にも対応出来る。相手からすれば、何を仕掛けてくるか予測の難しい厄介な奴だ」

 

 今回も彼女たちは、昭弘が大まかに述べた分析通りに戦っていた。まるで己の長所を存分に活かす様に。これこそが自分だと、誰彼構わずアピールする様に。

 昭弘は彼女たちの戦い方に敬服しながらも、その感情をどうにか抑える様に口だけを動かした。

 

「…けどな、最初は4人共目指していたものは同じだった筈なんだ」

「光の様な速さと、剣一本で敵を圧倒する純粋な強さ。それはIS乗りなら必ず一度は夢見る力だ」

 

 一夏は千冬に憧れ、そして最終的に憎悪した。しかし一夏だけではない。箒、セシリア、鈴音、シャルロットもまた、一度は千冬に憧れたのだ。

 

「だがISとはそんな生易しく出来ちゃいない。己の望む力と実際に強くなる為の最適解は、必ずしも一致しない」

「アイツら4人だってな、断腸の思いで織斑センセイの戦闘スタイルを諦めたんだ。強くなる為に、前に進む為に。そうして何度も何度も戦術を変え様々な武装を試し、試行錯誤を繰り返してきた。アイツらの戦い方は、そうやって漸く手に入れたものなんだ」

「そして…アイツらは好きになっていったんだ。自分で見つけた自分だけの「強さ」を」

 

 一体どれ程の時間をISに費やせばあんな戦いが出来るのか、戦闘スタイルを変えた事のない一夏には到底想像出来なかった。

 だが実際、目の前で繰り広げられている戦いは4対1。一夏からしてみれば、やはり箒たちが酷く滑稽で卑怯に見えてしまう。

 一夏がその事に突っ込むより先に、昭弘は尚も話を続ける。

 

「こう思ってるんだろ?それでも千冬より大きく劣る事に変わりはない…ってな。確かに、アイツら単独じゃとても織斑センセイには敵わない。故に徒党を組んだ訳だ」

 

 その後、少しの間を置いて昭弘はまるで一夏を蔑む様に睨んだ。そして北風の如く冷たく言い放った。

 

「それでもお前より遥かにマシだ。何時までも自分が望んだ強さに固執し続け、無理と判ったらそれが己の終わりだと思い込み塞ぎ込むお前よりはな」

「あの4人の内誰か1人抜けたとして、お前にそいつの代わりが務まるのか?箒の様に仲間の楯となれるのか?鈴音の様に敵を引きつけ、執拗な攻撃に耐えられるのか?セシリアの様に自由自在にビットを操って、仲間を援護出来るのか?シャルルの様に数多くの武装を使い分け、戦況に応じて弾幕を変えられるのか?」

 

「…」

 

 ネチネチと厭らしく、昭弘の辛辣な言葉は一夏の逃げ道を塞いでいった。そして遂に止めの一言が言い渡された。

 

「無理だろうな。もしお前が誰かの代わりに戦ったとしたら、今頃全滅してたろうぜ。それは決してお前の戦闘スタイルだけが問題じゃない」

「自分がヒーローじゃなければ、中心じゃなければ気が済まないお前にはチーム戦なんて無理なんだよ」

 

 か細い頂にて、もう周囲360°何処を見渡しても逃げ道など無い一夏はそのまま転がり落ちるしかなかった。

 

 そうして奈落で蹲る一夏の中には、純粋な感情だけが残った。その感情を隠す外殻は、もう昭弘の指摘によって全て取り払われてしまったのだ。

 故にもう隠す事も出来ないからか、一夏は何の躊躇も見せず言葉に変えて声に出した。捨てられた子猫の様にか細い声で。

 

「……ヒーローに、ずっと憧れていた。自分だけの力で悪を懲らしめて弱い者を助けて、皆から崇められる、そんな存在に。……駄目なのかよ、そんな存在を目指したら」

 

 一夏はずっと、理想のヒーローになる事を諦めきれなかった。ただそれしか、自身のアイデンティティを見出せなかったが為。千冬と言う一夏の理想を体現する存在が、余りに身近過ぎたが為。

 しかし、一夏の定義するヒーロー像とは果たして本当にヒーローと呼べるものなのか。そして一夏の道は、本当にそれしかないのか。

 それらを一夏に諭す為、昭弘はいくらか口調を優しくしながら切り込んで来る。

 

「ヒーローなんて本人がなりたくてなれるもんじゃない。そいつの行いを人々がどう思うかだ」

 

 そう言われた一夏は、不思議そうに昭弘を見るが…。

 

「ッ!」

 

 一夏の視界端がフィールド内の「大きな動き」を捉えた。すると思わず、一夏は昭弘に向けていた視線を今一度フィールド内のバトルへと戻す。

 

 鈴音と甲龍はもう既に限界を迎えていた。

 最早数える事すら馬鹿らしく思えてくる程の、目まぐるしい千冬からの斬撃。彼女自身の巧みな剣捌きや衝撃砲に箒たちの援護もあってか、鈴音はどうにか猛攻を凌いでいた。

 

 直後、余りに呆気なく甲龍のSEが尽きる。

 

 しかし一夏はその目でしっかりと目撃した。鈴音の表情を。

 笑っていた。一片たりとも悔いはないとそう言いたげに。

 

 箒たちの苦戦は更に加速する。次なる千冬の狙いはシャルロット。

 3人にまで減らされた現時点では、鈴音以上に早く脱落してしまう。

 しかしやはり気のせいなどではない。シャルロットも何処か楽し気に笑っていた。

 

―――…何でだ。負けると分かっていながら何でそんなにも

 

 一夏は首を戻しては傾げる行為を繰り返す。

 

 そんな戦況の激変に合わせる様に、昭弘は続ける。

 

「織斑センセイもアイツらも、ただISが純粋に好きなだけなんだ。だから負ける事が判り切っていても勝つ事がほぼ確定していても、絶対にバトルを止めはしない」

 

 話の途中、シャルロットのラファールも遂に食われた。

 ビット全機による援護、盾となる打鉄、そしてシャルロットが魅せる色とりどり大小様々なる弾丸の嵐。

 それら全てを千冬はまるで海中を泳ぐ様に躱し、最小限のダメージで凌いで見せた。

 

 残りは箒とセシリアのみ。

 

 気を取られる事なく昭弘は絶えず口を動かす。

 

「奇麗だよな。自分の好きな事を、やりたい事をやっている人間ってのは。…ヒーローだって同じじゃないのか?ただ純粋に目の前の困っている人間を助けたいから、助ける。ヒーローだなんだと称賛されたいからじゃない」

 

 大いなる目的があり、それを成す為に切磋琢磨しそして成し遂げる。その者の生き様に強く共感し延いては憧れを抱く人間が、あくまで一方的にその者をヒーローと認識する。

 ただ単に皆から称えられるヒーローになりたいから、したくもないのにそれらしい事をする。それでは例え感謝されても、心が満たされる日など永遠に訪れない。

 

 一夏は考え始めていた。それはヒーローについての定義ではなく自分の本当に好きな事、本当にやりたい事をだ。

 一夏の為だけじゃない、戦いたいから戦う。彼女たちの戦い(ISバトル)には、重ね重ねろ過されたみたいにまるで不純物が無かった。

 そんな彼女たちの戦いを、昭弘の言葉がより煌びやかに輝かせる。

 

 網膜が映し出す戦いと、鼓膜を響かせる昭弘の言葉。それらが、一夏の本当の心を引きずり出そうとしているのだ。

 

 だが肝心の戦いはと言うと、最早万事休すと表現すべき状態だった。

 

 予想通り最初にビットを全機落とされたセシリアは、残されたビームライフルで箒と共に決死の抗戦を続けていた。一応それなりのダメージは千冬に与えたつもりのセシリアだが、彼女自身も後がない。

 セシリアが落ちたら、千冬と箒の一騎打ち。そうなればもう…。

 

 そして遂にその時が訪れる。得意の回避で躱しても躱しても、追跡してくる千冬の白刃。とうとうその斬撃に捕まってしまったのだ。

 

 もうこれで、残っているのは2機の異なる打鉄だけ。SE残量は五分だが、箒の敗北は濃厚どころか最早決定的と言ってもいい。

 しかし箒は諦めない。ISを纏っている限り、SEが切れるその瞬間まで戦い続ける。このひと時が楽しいから、己の感情には逆らえないから。

 対する千冬も一切の加減をしない。どんな時でも、大好きなISで全力を出し切る。そしてそれこそが、相手への礼節となるからだ。

 

 その姿を一夏は固唾を飲んで見守り、昭弘は静かに見据えていた。

 そして案の定、昭弘は話し続ける。一夏の為だけじゃない、昭弘自身の為、そして皆の為。

 

「この戦い、よく目に焼き付けておけ一夏。そしてもう一度「自分」と言う存在を感じてみるんだ」

 

 一夏は昭弘の言葉にそのまま身を預けるが如く、戦いを最後まで見届ける。

 

 箒は躊躇う事無くブースターを炸裂させ、千冬へと突っ込む。何度も何度も、そして何度も。

 しかし千冬にはやはり追い付けない。いくら葵を振り下ろしても、掠りもしない。

 

 そして躱した分、千冬は同じ葵を切り込ませてくる。何度も何度も、そして何度も。

 

 

 とても届かない。一矢報いるどころですらない。

 

ヴーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 

 試合終了のブザーが鳴り響いた後、箒は…泣いていた。

 彼女だけじゃない。セシリアも鈴音もシャルロットまでも、程度は違えど皆泣いていた。

 悔しいのだ彼女たちは。負けると分かっていても、やはり負けたくはなかったのだ。

 

 その光景を観て、一夏は己の心が沸騰しているのをはっきりと感じ取っていた。それはまるで入学したての頃、昭弘や箒と特訓を繰り返し日付も忘れて作戦を練っていたあの日々の中感じていた、胸の昂ぶりによく似ていた。

 

 昭弘はそんな一夏の両肩をガシッと掴み、一夏の身体を左へ90°方向転換させる。フィールドから視線を外された一夏の視界全体を、昭弘の顔面が埋め尽くす。

 

 そして昭弘は話す。一番一夏に話したかった事を。

 

「一夏。勝った織斑センセイと負けた箒たち4人、どんな違いがある?どっちも、ただ好きな事を自分の好きな様に続けていただけだ」

「一夏、もう答えなんて解っている筈だ。お前自身もISが好きで堪らないんだから」

 

 そんな事、他ならぬ一夏本人が一番良く解っていた。

 一夏も同じだった。ISが好きなのだ。本当にどうでもいいなら、ISの事で昭弘や箒たちと熱く語り合ったりなんてしない。

 つまりは、そうやって育んできた此処(IS学園)での人間関係も決して偽りではないのだ。

 

 なら自分の「好き」に従って生きれば良いと言うのに、一夏にはそれが出来ない。好きな事をした所で、ヒーローになれる訳でもないし千冬を超えられる訳でもない。ずっと、そう考えて来たのだから。

 だから一夏は、何も答えられなかった。

 

―――もういいんだ一夏

 

 無言の一夏を見てそう思った昭弘は、最後の一言を添える事にした。一夏を雁字搦めに縛る「千冬を超えるヒーロー」と言う夢を、完膚なきまでに破壊すべく。

 

「…別にな、皆のヒーローになる必要はないんだ一夏」

 

「その一時だけ誰かのヒーローになれればいいんだ」

 

 一夏の心の奥底そして五体に至るまで、昭弘の言葉は血流へと乗る様に浸透していった。

 今に至るまでの、箒たちの試合と昭弘の言葉。それら全てを簡素に凝縮した様な言葉だった。

 

 何と言う事だろうか。誰だってヒーローになれるのだ。

 意のままに好きな事を続け、その様を見た100人中1人の心を揺さぶれれば、ただそれで良かったのだ。

 

 今更そんな簡単な事が解った一夏。では今までの一夏は何だったのか。千冬に憧れ千冬を憎み続けて来た一夏は、一体。

 

 違う、肝はそこではなくこれからなのだ。

 自分の好きな事をすると言うのは、自分に正直になると言う事でもある。それ即ち、偽りの無い自身の本当の心を理解すると言う事。

 至極簡単に聞こえるそれは、中々どうして難しい。

 果たして一夏にそんな事が出来るのか。ずっと自身を偽り続けて来た、一夏に。

 

 それが怖かった一夏は、昭弘を見詰める。普段悩みを相談する時みたく、縋る様な目で。

 

 対して昭弘は微笑を零し、小さく1回頷くだけだった。

 

 そんな昭弘の優し気な表情を久しぶりに見た一夏は、自然と涙が溢れて来た。

 その涙は懐かしさから来るものではなく、安心から来るもの。そしてとうに諦めた筈であるその安心感こそ、今一夏が一番欲しかったものだ。

 お陰で余計な不安は涙と共に流れ出て行った。

 

 故に一夏は「もう大丈夫だ」と言いたそうに覚悟を固める。“何か”から解放されたみたいな表情で。

 だって、もう千冬を目指さなくていいのだから。好きな事の為に、自由にそして素直に生きればいいのだから。受け入れるべき現実なんて、もうとっくに見えているのだから。

 

―――今からオレは、本当の『織斑一夏』だ

 

 そう決心した一夏は、パジャマの袖で涙を粗雑に拭き取り再度昭弘に向き合う。

 

 そして思い起こす。もう昭弘の目を気にする必要はない、と。気にしなくとも、昭弘は常に一夏を見てくれている。一見目を逸らしている様でも、ちゃんと一夏を見ているのだ。

 今回、一夏にはそれがはっきりと分かった。

 

 だが常に昭弘の目があるのだから、好きな事には本気で取り組まねばならない。さもなくば、またも昭弘に要らぬ心配を掛けさせる事になる。

 

 それだけではない。「誰かのヒーローになれればいい」と言った、昭弘の提唱。

 一夏はもうその実体験に巡り合えたのだ。

 

 

 何故なら昭弘こそが、たった今一夏にとってのヒーローとなったのだから。

 

 いやもしかしたら最初から、昭弘は一夏にとってのヒーローだったのかもしれない。




次回、一夏・シャルロット編、最終回です。前半後半に分けるかもです。

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