―――――‐年‐月‐日(‐)―――――
日付すらも存在しない、白い世界だった。
本来茶色い筈の地面、雲が無ければ青い筈の空、見える筈の地平線。それら全てにバケツいっぱいの白いペンキをぶちまけ、そのまま全てを同化させた様な。
そんな上下左右前後の方向が曖昧な世界だった。
その世界で唯一視認出来るのは、所々ボロついた木造りのベンチ1つだけ。
そしてそこには、昭弘がどっかりと腰を落としていた。
彼はその空間が初めてでないのか、酷く落ち着き払っていた。と言うより、ベンチを独占せずに隣だけ空けている状態から察するに、誰かを待っている様にも見える。
そして昭弘の待ち人は、何の前触れも無くパッと隣に出現する。昭弘と同じく堂々と腰を下ろしたその樣は、まるで最初からそこに居た様な錯覚を見た者に抱かせる。
「また会ったな昭弘」
長身を被う浅黒い肌。獅子とも虎とも捉えられる獰猛さに確かな冷静さをも内包させた顔面。その顔を更に際立たせる千山の様に尖った白髪に、一角獣を彷彿とさせる前髪。そんな男にワインレッドのスーツは初見では異質を極めるが、見慣れると恐ろしい程に良く似合う。
その姿は鉄華団団長『オルガ・イツカ』以外に、居る筈もなく。
「…オウ」
そう、昭弘は短くも確かな微笑を浮かべて返事をする。
死んだ筈の男が、目の前で何事も無かった様に腰を下ろしている。本来ならその事実は、冷静な昭弘でもベンチから転げ落ちる程の衝撃に襲われるだろう。
そうならないのは、ここ最近も同じ状況で会っているからに他ならない。そして昭弘の穏やかな表情を見れば、その時さぞかし愉快な時間を過ごしていたであろう事が解る。「今回はどんな会話をしようか、IS学園の誰の事を伝えようか」と言った浮き足立った感情に襲われているのだ。
しかしオルガは、普段から何か企んでいそうなニヒルな笑顔を静かなる真顔へと変貌させる。
それを見た昭弘も又、空気が変わった事を理解し表情を引き締める。
「なぁ昭弘。お前これからどうするつもりだ?」
低い声でそう大雑把に問い掛けられ、昭弘は硬直してしまう。だが、大して動じている様にも見えない。どうやら何か心当たりがある様だ。
それでも何も答えない昭弘を、オルガはまるで追い詰める様に問い掛け続ける。
「お前だって薄々感付いている筈だぜ?そう遠くない未来、ISとMPSによる馬鹿デケェ戦争が高い確率で起こるって事がよ」
昭弘も既知の通り、グシオンの戦闘データは束を通じてT.P.F.B.に渡っている(正確には、ゴーレム襲撃を最後に戦闘データ収集はもう行われていない)。
それにより大幅な性能向上を果たしたMPSの標的は、最早戦闘ヘリに留まらない。戦闘機、そして最終的にはISすらも迎撃対象になりかねないのだ。
そうなればMPSを大量保有する国に対し、ISによる抑止効果は望めなくなるだろう。起こりうる最悪のシナリオとしては、攻め入るMPSと守勢に入るISとの「全面戦争」と言った所か。
昭弘とて例え明瞭な未来を想定出来ずとも、「IS対MPS」と言う単純な構図は少しでも想像した筈だ。職員室での千冬とラウラの一悶着を、盗み聞きしていた時の様に。
だが昭弘の回答は、限りなく現実的でありふれたものだった。
「…どうするも何も、オレとグシオンで単身殴り込んでどうこうなる問題じゃないだろ。かと言ってそんな生きるか死ぬかの戦いに、学園の人間を巻き込む訳にも行かん」
「学園の人間を巻き込まず、オレにとって可能な範囲で情報を集める。そして束の企ての全容を暴く。先ずはそこからだ」
束の最終目的。
それさえ把握出来れば少なくとも彼女がISとMPS、一体どちらを勝たせたいのかが解る。そうなれば何処にどの程度の被害が出るのかも、現状より遥かに予測し易くなる。
それが今の昭弘にとっての限界であった。
今学園から出た所で昭弘を待っているのは、結局戦いの日々でしかない。戦いの渦中へ近付けば近付く程、背中の阿頼耶識は殺人の道具としかみなされなくなる。争いを止めるどころか、争いに加担する羽目になるのだ。
余計な面倒事は避けたいであろうT.P.F.B.も、学園から逃げ出した昭弘の事なんてきっと相手にもしない。もう既に、
学園の敷地から出れない現状、ハッキング技術等毛頭無い昭弘にやれる事は結局地道な情報収集しかない。
その情報収集でさえも、束の口封じを警戒するのならばやり方は限られてくる。彼女は、常人には思いもよらない方法で常に“見ている”。兎の視界と聴力に、死角は無いのだ。
少し控え目で冷たい印象を受ける昭弘の返答。だがそれは、目の前の現実を真っ直ぐ捉えてもいた。オルガの予想に反して。
それが嬉しいのか悲しいのかオルガは瞼を閉じて小さく笑うと、何の反論も返さなかった。
「…そりゃそうだわな。悪い昭弘。どうやらオレも、わりと無茶な期待を抱いちまってたみたいだ」
「連中、昔のオレたちと境遇が似ているからついな…」
やはり少年兵への少なくない感傷が、オルガにはあったようだ。救えるのなら救いたいのだろう。無謀だと解っていても、昭弘に飛んで行って欲しかったのだろう。
昭弘もそんなオルガの気持ちが痛い程解るからか、力無く視線を落とす。
「…すまないオルガ。やはり今のオレはオレらしくないのかもしれん。鉄華団に居た頃のオレならきっと…」
「そうだな。鉄華団に居た頃のお前なら、後の事は難しく考えねぇで兎に角ブッ潰していった。オレもそんなお前だから安心して命令出来た。けどな―――」
そこで一旦区切ると、オルガは昭弘の左肩をまるで平手打ちする様にその右手を置く。そしてそのまま軽く揺さぶりながら、昭弘に告げた。
「『昭弘・アルトランド』っつー芯は、何にも変わっちゃいねぇだろうが」
寡黙な仏頂面も不器用さも、仲間を放っておけない一面も、それらは
それはまるでこれまでの昭弘の学園生活を、間近で見聞きしていたかの様な言い草であった。
「寧ろスゲー事だと思うぜ?あんだけ平和な学園に身を置いてんのに、芯がブレねぇのはよ。それどころか、ずっと先の事考える頭まで持っちまうなんてな」
「…戦いの日々を忘れられないだけさ。いいや、戦場からも離れられず平穏にも馴染めない、中途半端な存在なのさ」
先程から続く昭弘の発言が彼自身の行いを強く非難している事に、オルガは気付いていた。
今も戦場で戦い続ける、遠い地の戦士たちの身を案じた。平穏を生きる子供たちの事も傷付けたくなかった。そして、後先の事も考える様になってしまったが故の判断。
昭弘が此処IS学園で束にやらされていた事。それがどんな結果をもたらしたのかオルガは知っている。恐らく昭弘も。
だがだからこそ、オルガは昭弘に言わねばならない。例えその言葉が、事の気休めに眺める風景画程度の効用しか無かったとしても。
昭弘が一人抱え込む所を一番見たくないのは、他でもないオルガ自身なのだから。
バヂンッ!!
まるで電源が落ちた様な異音が、至る所から不規則に響く。
実際ほぼその通りであった。音が鳴る度、空間の小さな一部が白から黒へと暗転し、純白の世界はジワジワと闇色に包まれて行く。
そして連鎖する消灯音も徐々に変化していき、終いには昭弘の良く聞き慣れた音になっていた。
「…言っとくけどな昭弘」
そう。オルガは言う。彼に昭弘の行いの善悪は決められないが、それでも言う。
「あんまウジウジ気負うんじゃねぇぞ?でないと先に進めなくなっちまう」
昭弘がその言葉を心に受け止めた時には、オルガを含めた全てが闇に侵された。昭弘の身体さえも。
―――――6月22日(水)―――――
ジィリリリリリリリリリリリリリリリリ……
けたたましい目覚まし音を止めた昭弘は、朦朧とした意識のままソレが指し示す時刻を見る。
06:30。学食で振る舞われる朝食には、十分間に合う時間だ。
だが意識が回復しても昭弘の表情は晴れなかった。
「……オレのせいで戦争が起ころうとしてるんだな。オレとグシオンの戦闘データのせいで…」
誰に対するでもない言葉を、虚空へと垂れ流す昭弘。
箒との出会い、セシリアとの大勝負、台風の如く現れた鈴音、そしてゴーレムとの邂逅。間も短く押し寄せて来たISTT、ラウラの更正、シャルロットの国際問題、そして一夏の闇。
それら全てが片付き漸く他の事を考える余裕が生まれた昭弘を待っていたのは、己の行動がこれから起こるであろう戦争の発端を担っていたと言う現実であった。目を背けていた…と言った方が正しい。学友たちが抱える問題だけを真剣に考える事で。
束の命令だったから仕方無くと言うのも、今更何の言い訳になるのだろうか。他ならぬ昭弘が、一番ISバトルを楽しんでいた癖に。
「MPSの性能が上がれば、それを乗りこなす少年兵たちもより安全になる」。入学前の昭弘はそう考えていて、ずっとその考えは変わらないと思っていた。
だが実際はそう単純でもなかった。IS学園と言う平穏そのものな世界は、昭弘の頭に潜む常識をも書き換えていった。
誰も死ぬ事の無いこの世界こそが、彼女たちの当たり前であり日常。もしMPSの性能が更に向上されれば、戦火は何処まで広がるか分からない。もしかしたら此処まで広がるかもしれない。
そうなれば彼女たちにとっての「当たり前」は、銃声と硝煙と爆風によって塗り替えられる。
もう昭弘は、自分と似た境遇の者だけを考える事が出来なくなっていた。どんな目的があろうとそこにある平穏は決して乱してはならないものなのだと、頭ではなく身体全体で覚えてしまった。
その新たなる物事の捉え方により、昭弘は今になって苦しめられているのだ。自分が彼女たちの平穏を焼き尽くす戦火を広げる、その元凶となってしまったのではないのかと。
それでも夢の中でオルガに言った通り、今の昭弘には情報を集め、又は提供する程度の事しか出来ない。
(すまないオルガ。やはりオレはオレを赦す事が出来ん)
恐らく、今後もずっと昭弘はこうなのだろう。
誰も巻き込む事無く愚かな己をこのままズルズルと憎み続けながらも、やれるだけの事をやるしかない。いずれ先に進めなくなろうと、足りない頭で考え抜いて新しい脚を創るしかない。
不器用な男にはそれしか術がないのだ。
そうして気持ちを切り替え、訊き込むべき対象を頭の中で絞り込む昭弘。
―――……タロとジロ、難しいがクロエくらいか
最も長く束に仕えていた、ゴーレム部隊の1番機と2番機。記憶を消される前の彼等なら、束の最終目的の断片だけでも何か知っていた可能性がある。
現状ゴーレムたちのコアは、他のISコアと一切交信不能だ。だがもしサブロ・シロ・ゴロの3機がコアだけのタロ・ジロと交信出来れば、何か状況が動くかも知れない。
そうなると、やはりサブロたちの協力が不可欠になるだろう。
クロエに関しては半ば駄目元に近い。束にとっては箒の次に大切な存在なのだから、クロエへの監視の目は当然にして厳しいと見られる。
対象人物をある程度絞ると、昭弘はベッドからゆるりと降り登校の準備をしながら細かなプランを練った。
ただ、昭弘には一点気掛りな事と言うか根本的とも言える疑問があった。
束がISとMPSを戦わせようとしているとして、では何故彼女が愛するISではなく忌むべきMPSを強化させているのかと言う事だ。思考と行動が矛盾している様に、昭弘には思えた。
そしてこの疑問は、後々まで昭弘を苦しめ続ける事となる。
―――同日 放課後
「ゴーレムの所へか?別に構わんが…」
少し忙しない職員室へとタイミングを見計らいながら入室した昭弘は、千冬にゴーレム見学の許可を頂く。その時の千冬は、何やら拍子抜けた顔をしていたが。
「今回はまた随分と久しぶりの見学だが、ゴーレムたちを勝手知ったるお前なら別に今更許可など要らないぞ?」
「一応規則ですんで」
「まぁそう言うとは思っていたよ。おっと一応理由も聞いておかんとな」
昭弘の相変わらずな堅物ぶりに軽い安心感を覚えつつも、千冬は昭弘の急な訪問の理由を訊ねる。
対して昭弘は、予め用意しておいた定型文を口にする。
「ゴーレムたちに何か変わった所がないか、直接この目と耳で確認しようかと」
「ふむ…分かった。じゃあそら、
昭弘は台帳にSC番号と貸し出し時刻を記入すると、SCが入っているケースを受け取る。
「では失礼します」
ケースに結着された紐をそのまま首に掛けると、昭弘は他の教員に気を使う様な足取りで職員室を後にした。
―――格納庫―――
もう既に、ゴーレムが学園預かりとなってから1ヶ月半は経つ。
それでも尚、格納庫の外にまで微かにだが研究者たちや整備科生の声が漏れ響く。
ISTTへ向けた訓練等もありここ最近は余り顔を出していなかった昭弘だが、相変わらず活発にやっているようで少し安心する。
格納庫裏口に近付くと、シンプルながらも頑強そうな裏口扉が見えてくる。その直ぐ横にはSCを翳すであろうカードリーダーが、壁に溶け込む様に張り付いていた。
SCを翳そうとした昭弘は、何を思ったのかSCを一旦引っ込める。
(…浮かれてんな)
ゴーレムたちと話すのが、どうやら昭弘は純粋に楽しみな様であった。
しかし今はそんな感情を振り切らねばならない。今もほくそ笑んでいるであろう天災の目的を知る為、どうにか彼等の記憶を呼び覚ましたい。無理だとしても、何らかの欠片だけでも掴まねばならない。
改めて自身にそう言い聞かせた昭弘は夢で逢ったオルガの顔を思い出す事で、浮いた心を水底へ沈める。
「余り気負うな」と言われたばかりなのだが。
そして今度こそSCを翳す。
Pi
と言う通行許可が下りた音を、昭弘はしかと確認する。
その音は、まるで何か見えない幕が開けた様な不思議な感覚を昭弘の中に生じさせた。
果たしてそれは今迄と一風違った波乱が訪れる事を、遠回しに示唆しているのだろうか。
夢って基本何でもありだから、描写が結構楽しいです
あと完全に冷戦状態な昭弘と束。