目が覚めた時、僕には記憶が無かった。
正確には『XFGQ-3:SA.BU.RO.』と言う機体識別名だけは覚えていて、それ以外の事は何も思い出せなかった。まるで名前以外の記憶等、最初から無かったみたいに。
怖かった。目覚めると同時に眼前に広がる形を成した見知らぬ「何か」が、例えようも無く怖かった。
動いているモノの中で、細身で小さいのが人間、太くて大きいのがロボット。透明なのはガラス、黒いアレがスーツでそれを纏っているのが教師。頭が勝手にそう物事を判断しても、僕の恐怖はただ有り様を変えるだけだった。
駄目だ、見ている景色が人間の発する声が、僕の頭に雪崩れ込んで来る。破裂しそうだ。
焼け焦げそうな頭の痛みに短い時間耐えると、人間の発する声が言葉として理解出来る様になっていた。解った事は、僕は周りのロボットと同様人間ではないと言う事。今此処に居る人間が敵ではないと言う事。
それ以外は小難しくて良く解らなかったが、僕にとってはそれだけで十分だった。
今はそんな事より、恐怖と頭の痛みが消えてくれた事にただ安堵するばかりだった。
少し時間が過ぎ、やっと地下施設から出れると言われた。
地上へ出てみると、様々な人間の中に1人だけやたら目立つ人間が居た。理由は2つ、その人間だけ性別が違うのと、単純に身体が大きいからであった。
『昭弘・アルトランド』と名乗るその青年は、「オレの事覚えているか?」と唐突に訊ねてきた。形状と名称を頭の中で探しても、何一つ一致する情報が出て来なかったので「初対面の筈だ」と答えた。
昭弘殿は明らかに気を落とすと、それを隠す様に謝罪した。
格納庫内に散らばってた人々が居なくなると、昭弘殿は僕たち3体のゴーレムに対して再度謝罪して来た。
彼の話によると、彼が僕たちの仲間を殺してしまったとの事だ。
滝の様に涙を流す昭弘殿だが、抑々僕たちには仲間の記憶なんて無いし、あったとしても彼を憎んだりはしないだろう。
だって、僕たちの命より人間の命の方が尊いから。機械の身体と肉の身体、どちらが脆く有限的なのかは頭の悪い僕にも解る。僕たち機械の命は、多分そんなに重くはない。
けれど、だからこそ僕たちの命を人間と同一視してくれた事が、堪らなく嬉しかった。
故に、僕は酷い嘘を吐いてしまった。「全てを思い出す日が来れば」等と。
昭弘殿の顔と名前を認識しても思い出せなかったのだ。そんな日が来ないなんて事は、馬鹿でも予測可能だ。
だが確かに抱いたこの嬉しさは、何故か初めての感じがしなかった。
また時間が流れると、僕たちは頻繁に地下施設と格納庫を行き来するようになった。何でも、僕たちについて調べる事になったらしい。
少女の事が気になり始めたのは、丁度その頃からだった。
水溜まりに映る青空の様に美しい色の髪を持ち、全体的に何処か幼さと儚さを感じさせる彼女は、触れれば潰れてしまいそうな印象を僕に抱かせる。
皆が協力し合っている中、彼女はいつも1人。活気に溢れた空間は、そんな彼女をより一層際立たせた。
僕はそんな彼女を哀れとは思わなかった。暖かな空間にポツンと咲き心地良い冷たさを放つ彼女に、ただ惹かれていたのだ。それは僕だけでなく、他の2体も同様だった。
何度も彼女に話し掛けている内、気付いた事があった。僕は彼女を誰かに重ねていたのだ。
その誰かとは、恐らく記憶を失う前の人物なのだろうなと僕は根拠も無く思い込む事にした。では彼女とその人物が似ているのかと問われると、僕は否と答える。これに関しても、足りない頭をどれだけ振り回しても解らなかったので「そんな気がする」と言う感覚的な答えしか出せない。
解っているのは、1人で居る彼女『更識簪』との会話がどうしようも無く楽しいと言う事だけだった。
時間は同じ速さで流れて行き、迎えたある日。
格納庫で互いに笑い合う、昭弘殿と簪殿。
それを目の当たりにした瞬間、僕は内側から串刺しにされる様な頭痛に襲われた。
蹲る僕、心配するシロとゴロ、駆け寄る昭弘殿と簪殿と周囲の人間たち。
だが集音機器は徐々に機能を失っていき、カメラアイが捉える映像も小刻みな波によって乱れていく。
それと入れ替わる様に、知らない空間が映像として浮かび上がる。
―――人と人だ。楽しそうに談笑している
更に映像は鮮明になっていき、登場人物の顔が遠目からでも認識可能な程度にはなった。
―――1人は昭弘殿、今と寸分違わぬ姿だ
―――もう一人は…銀色の長く美しい髪、小さくて華奢な身体、時折見せる小さな口元。だがそこから上はぼんやりと歪んでいて、顔の全体像が見えない。少なくとも、ボーデヴィッヒ殿でない事は確かだ。ましてや簪殿とは外見からまるで異なる
誰だ一体。だが酷く懐かしい。簪殿と同じ、冷たくも優しそうで、人一倍脆そうな体躯は激しい保護欲を掻き立てられる。
どうしてだ。どうしてこれ程の情報が目の前にあるのに、少女の顔も名前も思い出せない。どうして2人と過ごした日々が、見えて来ない。
どうして、奥の方でそんな2人を見つめている「真っ黒な影」が思い出せない。
アナタは一体何なんだ。
頭には、2本の突起物がある…悪魔か何かなのか。
嗚呼、どうして機械の脳と言うのはこんなにも不便なんだ。
僕の憤慨に反して、視界に広がる輪郭はどんどん薄くなっていき、線が無くなった事で混ざり合った色は白く染まった。
目が覚めた時、僕はこの映像を覚えているのだろうか。
《………ウゥ》
「!…気が付いたか」
「だ…大丈…夫…?」
サブロの消えていたカメラアイが再び赤く点灯し、安堵の息を漏らす昭弘と簪たち。暴走する様子も、特には見られない。
《……銀色ノ…長イ髪ノ……少女ト…》
《…2本ノ角ガ生エタ……黒イ影…ガ……》
そう並べられた単語を聞いて、昭弘は真っ先にある人物の名前を浮かべる。
(ッ!クロエと束か!?)
だがそこから先を、サブロが口にする事は無かった。
それより何より、一同動揺を隠せない様子だ。こんな状態へと陥ったゴーレムは、今までにない。
まさか、実験に対して何らかの拒否反応を起こしてるのだろうか。情報漏洩を防ぐ為に、何を仕掛けられているか分かったものでもなし。
等と勘繰る井山だが、かと言って此処で実験を取り止める訳にも行かない。
「来れそうかい?サブロ。厳しい様なら無理に動く必要は…」
《…イエ、行ケマス》
そう言い、サブロは滑らかな動作で立ち上がる。やはり、義体の方にも何ら異常は無い様に見える。
その後、念の為に義体とコアを検査したがやはり普段との変化は無かった。
確証の無い嫌な予感が残る各員だが、どの道地下には連れてくしかない。
仮に暴走しようと、地下施設と地上は分厚い隔壁で分断されている。最悪閉じ込めてしまえばどうとでもなるし、人工島から逃げ出される方が遥かに危険だ。
―――地下施設
実験は至ってシンプルだ。
先ず、井山たちが予め持ち込んで来たゴーレムボディに代わる義体を用意する(元々無人IS開発用に作られたボディで、外見や性能は打鉄を基本ベースとしている。その名も『打鉄零式』)。
その胸部にタロとジロのコアを夫々セットしたら、拡張領域の機能を一時的に停止。ある程度様子を見たら再びコアのエネルギーを調整し、拡張領域を機能させる。
ただこれだけだ。
「…本当にこんなんで成功すんのか?こんな…「もっかい電源入れたら蛍光灯が直った」みたいなやり方で…」
確かに、これではまるで単なる接触不良だ。
「…さっきの…シミュレーション…観たでしょ?シンプルだけど…この方法が…一番成功率が…高かった」
拡張領域へのエネルギーを遮断する事で、ゴーレムコア内部ではエネルギーの流れが混乱する。
そんな状態から脱却する為、エネルギーは新たな領域を探し始める。この時、拡張領域への門を再度開くと鉄砲水の様にエネルギーが雪崩れ込み、コア内部は一時的な過剰循環状態へ。
そうなるとコア内は激しく流れるエネルギーにとって酷く手狭になり、更に広い領域を求め出す。
結果としてエネルギーはVTシステムと言う抜け穴を逃げ道に使い、遂には義体へと流れ行く。
小難しい原理を大幅にすっ飛ばして簡略化した説明になったが、以上が大まかな理屈だ。
そんな訳で、強化ガラス1枚を隔てた先には其々黒と白の打鉄零式が悠然と佇んでいる。特段細い胴体と猛禽類を思わせる鋭い頭部が有る点以外は、打鉄とそこまで外見上の変化は無い。
外側からは見えにくいが、2機の間にも強化ガラスが走っている。
今日までずっとガラクタ同然だった2機の打鉄零式に、果たして魂は繋がるのだろうか。
「さて、じゃあ皆下がって」
井山の静かな号令により生徒・研究員は非常扉まで下がり、昭弘・ゴーレム・教員はその前面にて強化ガラス奥の2機を睨む。
実験が失敗した場合の配置だ。
「…良し。はいポチッとな」
そう言い、井山は薄いキーボードの「ENTER」を中指で軽く叩く。
すると液晶画面に映し出されていたコアの3Dモデルに、拡張領域停止の警告が表示される。
そうして数分が経過。シミュレーション上ではそろそろの時間だ。
井山はキーボード上に細い両手を幾度か這わせた後、再びENTERへと指を持って行く。
すると液晶画面のコアから、夥しい数の警告マークが現れる。
マークの数は秒毎に増えて行き、遂には画面が埋め尽くされそうになる正にその瞬間―――
ヴィィン
深紅のバイザーが、2機の頭部を横切る様に点灯する。
時を同じくして、液晶画面の警告マークも全て消えた。
「せ……成功か!?」
研究員の一人がそう声を張り上げ、皆もそれに続こうとするが―――
グラッ…
直立不動だった2機は、操り糸が切れた様に体勢を崩し始める。酔っ払いの様に、或いは立ったばかりの赤子の様にヨタヨタと歩き回る。
思わず昭弘は強化ガラスへと駆け寄る。
生徒たちも突然の異変に恐怖し、非常扉へと手を掛ける。
「皆落ち着いて!いきなり意識が現実世界に引き戻されて混乱してるんだ。平衡感覚も、時間が経てば慣れてくる筈だ」
そうして更に5分が経過。
タロとジロが少しずつ重力に慣れて来たであろう事を確認した井山は、恐る恐るマイクを握る。
すると深呼吸し平常心を保たせ、落ち着き払った声をガラスの向こう側へと送る。
「やぁ初めまして」
今初めて聞き取るであろう人間の声に対し、2体は驚く様に首を激しく左右上下へと動かす。
「混乱するのは解るが、少し落ち着いて聞いて欲しい。オレの名は井山千持。大丈夫君たちの味方だ。…解ったのなら、ゆっくり右手を挙げて欲しい」
再度井山の言葉を聞いた2体は、少しの逡巡の後言われた通りに右手を挙げた。
「(もう言葉を理解し始めたのか…)ありがとう。次に君たちの機体識別名を教えて欲しい」
対して、黒い打鉄が最初に答え、それに白い打鉄も続いた。
《………私…ハ…『XFGQ-1:TA.RO.』…ト、申シマス》
《…『XFGQ-2:JI.RO.』ト申シマス》
そこまで聞いて、整備科の教員たちは漸く安堵の息を漏らす。
攻撃の意思は特段見受けられず、言葉も即座に理解、更には自身の名前も憶えている。これは、サブロたちが再起動した時と全く同じ状況だ。
つまり実験は―――
「フゥー……一先ずは成功…かな?」
まるで今迄貯め込んでいた緊張を一気に追い出す様に、井山は軽く宣言する。
それを契機に皆一斉に歓声を上げ、拍手で施設内を満たしていく。
歓声はこの1ヶ月以上、研究に食い下がって来た自分自身に対してか。拍手は、そんな自分をいつも支えてくれた仲間への贈り物か。
こう言う雰囲気に慣れていない簪は、そんな風に深く考えるしかなかった。
若しくは、単純な嬉しさから来る気恥ずかしさを誤魔化しているだけなのかもしれない。
皆が達成感を味わっている中、昭弘は強化ガラスの中央に立つ。丁度、向こう側でタロとジロを分け隔てている位置だ。
すると昭弘を視認した2対は、静かに歩いて近付いて来る。
《…》
《…》
無言で立つ、黒と白の鋼人。言語でしか感情を表現出来ない彼等は、喋らなければどこまでも単なる機械にしか見えない。
2体の無機質で紅いバイザーは、昭弘を鏡の様に映しているだけだ。
記憶も失い、姿形も変わり果ててしまったタロ、そしてジロ。今の2体は、本当にタロと、ジロと呼べるのだろうか。
黒と白の機体をガラス越しに見比べながら、昭弘はそんな事を思ってみる。
《…オイオ前》
隔離室の集音装置が、タロの声を昭弘の下へと届ける。
自分が呼ばれたのかと振り向く昭弘だが、タロのバイザーはガラス越しにジロを捉えていた。
《サッキカラボーットシテナイデ何カ話セ。コノ御方、機嫌ヲ損ネテイルゾ》
高圧的な口調のタロだが、ジロは尊大な態度を崩さない。
《黙レ、次ノ発言許可ガ下リテイナイ以上私カラ人間ヘ話シ掛ケル事ハ無イ。ソンナニ人間ノ御機嫌ヲ取リタケレバ、貴様ガ話セバ良カロウ》
《何モ話題ガ浮カバナイカラッテ、ソンナ格好付ケタ言イ訳シナクテモイイジャナイカ》
《大体貴様自体ニ問題ガアルノデハナイカ?ソノ下水ノ様ニ黒ク禍々シイカラーリングハ、見ル者ニ多大ナル警戒心ヲ与エルダロウカラナ》
《ソレヲ言ウナラオ前ノ白イボディノ方ガ、見ル者ノ毒ダト思ウケドナ。目ニ悪ソウダ》
記憶が無い以上、初対面であろう筈のタロとジロ。
だのにいきなり罵詈雑言のぶつけ合いと来た。
当惑する昭弘。
だが同時に過去の記憶が昭弘の網膜に覆い被さり、懐かしい気分にもなる。
あの日々もそうだった。性格も物の考え方も正反対だからこそ、毎日毎日些細な原因で諍いを起こしていたタロとジロ。今繰り広げている口論は内容こそ違えど、昭弘には全く同じに見えた。
それはつまり、この2体が紛れもなくタロとジロである証明でもあった。
が、安堵している場合ではない。
皆も会話を聞き付けたのか、何事何事と昭弘の元へ集まり始める。
意識を切り替えた昭弘は、2体を宥めるべくマイクを取る。
「落ち着いてくれお前たち。オレは不機嫌なんかじゃない、この顔面は生まれつきだ」
「あと、ジロはもう喋っても良いんだぞ」
再び昭弘へと向き直る2体。
《ソレハ大変失礼シマシタ!何セ目覚メタバカリデ、人間殿ノ表情ガ判別シ辛イモノデスノデ》
《私モ見苦シイ所ヲオ見セシタ事、深ク謝罪致シマス。大変、申シ訳御座イマセンセンデシタ》
と、ここでシロが昭弘を押し退けマイクをぶん取る。
《イイカオ前ラ。オレタチ3体ハ起動シテカラ1ヶ月以上経ッテイル、言ワバオ前タチノ先輩ダ。デカイ態度取レルト思ウナヨ?》
《マァマァ落チ着イテ》
《事ヲ荒立テナイデ下サイネ》
昭弘との会話に割り込んで来たゴーレム3体組。
それらを視認したタロとジロは、ガラリと態度を戻す。
《何ダコイツラ?ヤタラ太イケド豚カ?》
《馬鹿カ貴様。形状カラ推定スルニ、ゴリラト見ルノガ妥当ダロウ》
毒がたっぷりと含まれた機械音声を聞いたシロは拳を振り上げて強化ガラスを叩き割ろうとするも、サブロとゴロに止められる。
先が思いやられると、昭弘は軽く溜め息を吐く。
その溜め息と共に雑念も出て行ったのか昭弘はタロとジロに言っておかねばならない事を思い出し、再びマイクに手を添える。
「そうだ言い忘れる所だった。…オレはな」
名前。自己紹介の基本型でありある種の象徴でもあるそれを、昭弘は中々言葉に出せない。
昭弘には、タロたちと過ごした記憶が鮮明に残っている。だからこそ、改めて自身の名前を言う事が憚れる。
名乗る事、それ即ち相手との初対面を自ら認めると言う事でもある。それはまるで、昭弘がタロたちと過ごした日々を無かった事にする様ではないか。
だが名乗らなければ、永遠に『昭弘』と呼ばれる事は無い。
タロもジロも、昭弘に関する記憶が無いのだから。
否、抑が仕方がないとかそう言った話ではない。これは昭弘にとって、過去との決別を意味している。
人一倍過去を尊ぶ昭弘が、ラボでの過去を心の奥へ押し留め、ゴーレムたちと此処で1からやり直す。
その覚悟を名前に込める。
サブロたちに名乗る時、そうした様に。
「『昭弘・アルトランド』だ、これから宜しく頼む」
昭弘の自己紹介は、短いながらもガラスの向こうへ響き渡る。
そして、タロとジロの中へと確かに流れて行った。
タロ&ジロ、漸くの復活です。記憶を失う前よりも、毒舌がより激しくなってる気がします。
機体としてのスペックは、やはりゴーレムボディと比べると劣ってしまっていると思います。でも、格好良さなら断然ゴーレムより上だと思います。
サブロの身に起きた謎の変調は、次回軽く説明して、その後も追い追い触れて行きたいと思います。
因みに、次回がコア編の最終回です。