IS~筋肉青年の学園奮闘録~   作:いんの

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今回は楽しいような虚しいような、そんなお話です。


第52話 大人たちの詞

「…おっとそうだ」

 

 と言う具合で、特別諜報室の重々しい空気を軽く押し退ける千冬。

 

「今夜なんだが、一緒に焼肉でもどうだ?ホラ、先月奢る約束をしていただろう」

 

 そんな約束完全に忘れていた昭弘は、唐突なお誘いに困惑する。

 

「…気持ちは嬉しいんですが、放課後は更識さんのIS製作もあ―――」

 

「せっかくだから山田先生も誘っておこう。お前も一人位なら誰か連れてきても良いぞ?時間は―――」

 

(聞けよ…)

 

 

 

―――――教室 休み時間―――――

 

 有無を言わさぬ調子の千冬により、今晩のプランを半強制的に決められてしまった昭弘。簪たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだろう。

 だが、昭弘も肉は好物であるし、千冬や真耶とのプライベートも一興かもしれないと思っていた。大人と個人的な話をする機会は、この学園生活では滅多に無い事だ。

 

「織斑センセイと食事…ねぇ」

 

 小さくボソリと呟きながら、昭弘はどんな話題が相応しいか机に両肘をついて考え始める。

 

「誰と食事ですと?」

 

 気配は察知していた。だが耳元でそう囁かれれば、昭弘でも勢い良く振り向くしかない。

 視界の殆どを埋め尽くす至近距離で、おまけに中々の剣幕だったので、それが相川であると気付くのに少しの時間を要してしまった昭弘。

 一先ず、空気を読んで同じく小声で答える事にした。

 

「…織斑センセイと山田センセイだ」

 

 すると、相川は藁にも縋りそうな儚い表情で合掌し、無言の懇願を昭弘に押し付ける。

 

「いやお前、ハンドボール部はどうする気だ?」

 

「どうせ人工島の駅に18:30とかでしょ大丈夫です金曜日は比較的早く終わりますと言うか間に合わせますこの命に代えてでも」

 

 呪文の様に捲し立てる相川。こうまで凄まれては、余程の理由が無い限り断れる人間など居ない。

 

 教師を社会の先輩として尊敬する気持ちは解るが、少々度が過ぎる敬愛を滲ませる相川にストーカー的恐怖を見た昭弘であった。

 

 

 

 

 

―――――18:30 IS学園人工島 駅―――――

 

 私服の真耶に対し、着替えるのも面倒だからかスーツをラフに着こなしている千冬。

 そんな彼女から、普段の威厳は感じられなかった。干上がった蛙の様に乾いている彼女の目を見れば、誰しもが暑さにやられたものだと予想するだろう。

 

「ゼェ…ヒュー…ゼェ…ヒュー…」

 

「あ、相川さん?焼肉入りそうですか?」

 

「本当に間に合わせやがったコイツ…」

 

 完全にしてやられた。誰か1人誘っても良いとは言った千冬だが、まさか相川とは。

 

 昭弘の事だからてっきり部活動に所属していない鈴音やラウラ辺りを誘って来ると思い込んでいた千冬は、素面全開で飲み食い喋ろうと画策していた。

 だが、相川となるとそうもいかない。恐らく未だ自身に気があるだろう相手と、一体何を話せば良いのか。しかも同僚や生徒の前で。

 素面どころか気の使い過ぎで酒も無しに頭がショートしてしまいそうだ。

 

 しかも、嗚呼怖い。ハーフパンツのジャージ姿で汗を際限無く放流させ、瞳をピカピカ潤しながら此方を見ている。

 

(私の馬鹿。少しでも多い方が楽しいだろうと、何故あの時安直にも思ってしまったのだ…)

 

 後悔に浸る千冬。おっと、そろそろモノレールが発車してしまう。

 

 

 

―――――19:00 焼肉屋『陣帝』―――――

 

 困った時はレゾナンス、迷った時はレゾナンス。

 

 そう決めている千冬は、今回も此処のテナントを利用する。1週間前から予約していた、全国展開しているごく普通の焼肉屋だ。

 高いお給金を貰っている千冬としては高級焼肉店でも良かったのだが、余り高過ぎても奢られる生徒たちが萎縮してしまう。

 千冬の名誉の為に一応述べておくが、決してケチった訳ではない。多分。

 

 肉が好きと言っても、焼肉屋なんて初めてな昭弘は、不思議の国に迷い込んだみたく店内を見回してしまう。

 和風っぽい店の雰囲気や構造は、前回行ったしゃぶしゃぶに近いものを感じる。酷く混んでいて、若い店員が声を張っては目まぐるしく店内を流れて行く。

 金曜のこの時間帯は、いつもこうなのだろうか。

 

 昭弘がそんな感想を抱いている内に、店員が昭弘たちのテーブルへ赴いてコースの確認とメニューの説明をし、テーブル中央のコンロに火を付けて去って行く。

 

 千冬は早速テーブル端にあるタッチパネルを操作していく。

 画面を見る限りだと、1人当たり2500円で肉類とサラダ類が食べ放題になるらしい。ジュースや酒類は一枠一枠に値段が付いている事から、別途支払う必要があるのだろう。

 

「はいはーい!アタシ豚トロの塩と烏龍茶でー!」

 

「私はイベリコ豚と、お酒はコークハイを」

 

「了解だ。後は大ジョッキと牛タンと…」

 

 一応教育者なのだから、せめて生徒の前では酒を控えるべきではないか。そんな感想を抱く程、昭弘も馬鹿真面目ではない。

 前の世界でも、団員たち未成年で集まっては飲んでいた。

 

「アルトランドは?」

 

「…じゃあ、適当に何か牛肉を。あとは水で」

 

「分かった。牛カルビにするぞ」

 

 だが、この国の法律で未成年飲酒は許されない。酒に拘りなんてないが、昭弘は寂しそうにお冷を選択した。

 そうして最後に千冬が注文ボタンを押し、お待ちかねの晩餐が始まる。

 

 

 飲み物と4種の肉が届くと、4人は各々のグラスを掲げて乾杯の挨拶をする。

 

 千冬がグビリと大ジョッキ内の黄金液を流し込んでいる内に、真耶と相川が他愛もない話をしながらトングで肉を摘み、金網に置いて行く。昭弘もそれを真似、慣れない手つきで肉を焼く。

 

「にしてもこうして並んでみると、2人共お似合いですよ!身長差が映えます!」

 

「え?…まぁ」

 

「…そりゃどうも」

 

 真耶の勘違いに、昭弘と相川は苦笑を漏らす。確かに仲は悪くないが、()()()()()()ではない。

 真耶の中では真っ先に昭弘が相川を誘った事になってる分、仕方ない所もあるが。

 

 それを聞いて、千冬がチラリと相川に目配せした後ほくそ笑み、相川がむつける。

 

「織斑先生が昭弘さんを食事に誘うのも意外ですよねぇ?マッチョがお好みなんで?」

 

 上目遣いで真正面から千冬をそう挑発し、反応を伺う相川。その傍ら、焼けの早い豚トロはしっかりと掻っ攫っていくのだから抜け目ない。

 

「いや、一夏の様に線の細い男が好みなんでな。ま、流石に同性よりかは断然アルトランドだがな。女同士なんざ気色悪い」

 

「…やっぱり女子にだけモテるの、気にされてるんですね」

 

 “だけ”が余計だったと即座に気付いた真耶は、睨む千冬から逃げる様に肉を引っ繰り返す作業に没頭する。

 当然、千冬の発言が皮肉混じりな牽制であると、気付かない相川ではない。故に、ついムキになってしまう。

 

「織斑先生、アタシや山田先生の前でその言い方は酷くないですか?デリカシー無さすぎ」

 

 千冬の策略通り、相川の一本釣りだ。突き放すチャンスだ。

 

「私はな、女には遠慮も容赦もしないぞ。生徒や同僚でなければ殴るし蹴る。つまり学園を卒業した瞬間その元生徒は御愁傷様と言う訳だ。可哀想にな、顔面が腫れるまでぶたれるなんて」

 

 よっしゃ言ってやったりという具合のドヤ顔を決めながら、千冬は辛い黄金水を飲み干す。さぞかし歯軋りしてるだろうと、千冬は泡の付いた空のジョッキ越しに相川を見る。

 

「織斑先生はそんな酷い事しません」

 

 真顔で放った相川の一言は、千冬の長ったらしい言葉を一刀の元斬り伏せる。

 

 その後、相川はなんでもない様子で塩ダレに漬けた豚トロを頬張り、逆に千冬が小さく舌打ちしながら追加の酒やら肉やらを端末から送信した。

 

 

 謎の攻防を繰り広げている2人をそっと遠ざける様に、真耶は昭弘に話を振る。

 

「そ、そう言えば!アルトランドくんは最近、クラスの皆とはどうですか?」

 

 真耶は一見明るくてふんわりとした印象を受けるが、その実は並の教師以上にお堅い。生徒との会話となると、プライベートでも今みたくクラスに関する話題となってしまう。

 おまけに、男経験の豊富でない彼女だ。相手が歳の近い異性であれば尚の事話題も制限される。

 

 昭弘は暫し考えたのち、なるべく短めに答える。

 

「何名かと仲良くさせて貰ってますし、隣席のオルコットとも上手くやってるつもりです。時々、疎外感は覚えますがね」

 

「疎外感?…あ!ごめんなさい!無理して話さなくても良いですよ!?」

 

 どうやら真耶にとって、昭弘の過去を掘り返す事はタブーらしい。

 

「別に気にしてはいません。育った環境は人それぞれでしょう」

 

 何の動揺も見せず、赤身の少し残った牛カルビを2枚重ねて頬張りながらそう返す昭弘。タンクトップをピチピチに苛め抜いている大胸筋も大喜びだ。

 

 対して、真耶は何だか恥ずかしくなり、ミスを忘れようと黒い愉液を喉に流し込む。

 何か話さねばと思い話題を振ったが地雷を踏みかけ、逆に生徒から諭されてしまった。酒を飲んでなきゃどっちが年上なんだかと、真耶は溜め息をしながら俯く。

 

 そんな後輩を見かねた千冬は、励ます様に話題を広げる。

 

「クラスと言えばアルトランド。誰か好きな女はいないか?いるだろ?見渡す限り獲物なんだから」

 

 また随分と愉しそうな顔で聞いてくるものだ。

 昭弘に意中の相手は居ないし、作ろうとも思わない。堅物親父と思われるかもだが。

 性別など関係無く、皆昭弘にとって大切な仲間だ。それ以上の関係性なんて望まない。もう十分過ぎる程満たされてるのに、これ以上溢れ返れば過去すら思い返さなくなってしまう。

 

「…生憎ですが」

 

 対し、カァーッと言いながら平手を自身の頭に乗せる相川。

 千冬も同様に幻滅しながら、届いた大ジョッキの取っ手を掴む。

 

「味の無い学園生活っすねぇ」

 

「言ってろ。そう言う相川はどうなんだ?」

 

「ちゃんと居ると胸を張りますよー?毎日そして「今」も、その人を堕とすべく勉強訓練の傍ら頭を働かせていますとも」

 

 仕返しのつもりで聞いた昭弘だったが、そうきっぱりと答えられれば揚げ足も取れない。「誰」と聞いた所で「教えない」と返されて終わりだ。

 ただ、千冬は何も言及しなかった。あんなに恋愛話に食い気味だったのに。

 

「となると、主な候補としてはアルトランドくんに織斑くんにボーデヴィッヒくん、それと織―――」

 

「一夏だな、うん。昔から罪作りな男だったからなぁ」

 

 真耶が挙げ連ねた最後の候補を自身の憶測で覆い隠した千冬は、慌ただしく液晶に触れながら次頼むべき肉と酒を選別する。

 彼女とは対照的に、相川は涼しげな顔で烏龍茶を飲み干す。

 

「織斑先生、焦っちゃって可愛い」

 

「きっと弟を取られるのが怖くて、気が気じゃないんですよ」

 

「いや、違うと―――」

 

「そうそうよくぞ言ってくれた山田くん!」

 

 今度は昭弘の突っ込みを遮り、千冬は締め括る様にそう結論付けた。

 相川は、そう動じる千冬を正面に捉えてニタニタする。

 

 窓際で愉快そうな相川に、疲れきった様なうんざりした様な視線を向ける昭弘。胸焼けする程他人の惚気を見てきたからだろう。

 

 相川が誰に好意を抱いているのか、朝の様子と合わせてもう大体見当が付いた昭弘。千冬本人も、動転ぶりを見る限りその好意を存じている。

 

 千冬は、年下の同性から好かれるのに嫌気が差してる伏がある。だから一刻も早く相川の色恋話を終わらせたいのだ。

 昭弘的には相川に加勢しても良いが、奢られる立場としては気が引ける所だ。仕方無く、話題を変えてあげる事にした。

 

「因みに、オレは年上が好みです」

 

 これは水を得た魚になれるとばかりに、千冬は昭弘の色恋話に花を添えようとする。

 

「ほう、もっと詳しく」

 

「大人しいよりかは、派手で明るい女っすね。金髪で、それ程年齢差を感じない位の相手…がいいですかね」

 

 また理想が高いと言うか好みが細かいなと、聞いていた3人は思った。

 

「…だそうだ。残念だったな山田くん」

 

 同情と歓喜の合わさった目を向けながら、千冬は真耶の左肩にぬるりと右手を乗せる。

 

「うぅ…やっぱり、華やかな女性の方がモテるのでしょうか」

 

 あからさまに悄気る真耶。それで人生が終わる訳でもあるまいに。

 

「何せアルトランドよ。この後輩は大人の様に落ち着いた年下の男が好み―――」

 

「ゲッフ!ゴホァッ!!」

 

 完全に意識がバラけた為に、折角飲み干す所だったコークハイの炭酸が喉に絡み付いてしまった真耶。黒霧がもう少しずれていれば、激甘金網の出来上がりであった。

 

「えー山田先生、生徒は不味いですよー」

 

 他人事の様な相川に対し、気管が落ち着いてきた真耶が激しく弁明する。

 

「当たり前ですッ!そう言うのは生徒が卒業してからに…アッ」

 

 相川の誘導通り見事落とし穴へ飛び込んでくれた真耶。

 見逃す千冬ではない。

 

「オイ聞いたかアルトランド。お前卒業したら山田くんに告られるらしいぞ?」

 

 真耶は両手をパタパタと振りながら、赤くなった顔を冷却する勢いで激しく左右に動かす。一々可愛らしい生娘だ。

 

 昭弘も真耶の事は教師として尊敬しているが、残念ながら()()()()()では見ていない。3年後、互いに互いをどう思ってるかも分かる訳ない。

 第一、自分の様な男が好みな事自体意外だ。確かに落ち着いてはいるかもしれないが、真耶が思っている程大人ではない。

 

 何であれ、ここは当たり障りの無い返答が無難だ。

 

「山田センセイみたいな美人に気に入られたなら、男としては本望っすよ。教師生徒っつー関係じゃなきゃ、お互い脈ありだったかもっすね」

 

 昭弘も自分でそう言っておきながら、どんな異性が好みかなんて正直解らないのだ。さっき述べた好みだって、唯一異性として意識していたラフタの特徴を上げただけだ。

 

 遠回しにフラれた気がしてシュンと縮こまる真耶の左肩を、今度はバンバン叩く千冬。

 

「ダハハハ!アルトランドの卒業まで辛抱だな山田くん!」

 

「待・ち・ま・せ・ん!新たな殿方を探します!どれだけ重い女なんですか私は!?」

 

 そこで丁度、漸く千冬が連打した肉共と麦酒が届いた。5皿の内3皿が鶏モモ肉だろうか。焼くのに苦労しそうだ。

 

「けど、アタシは昭弘さんの気持ち解りますよ。やっぱ年上って良いですよねー、支えてあげたくなると言うかー」

 

「…そんなもんか?」

 

 自分もラフタに抱き締められた時、相川のそれと似た心境だったのだろうかと、鶏肉を鉄網の上で何度も引っ繰り返しながら考える昭弘。鶏肉は、半生じゃやばいと聞いた。

 

 実際、昭弘も未だ大人と子供の中間点に位置する存在だ。大人が日々溜めている苦労なんて、中々頭に浮かんで来ない。

 だが、やはり何らかの形で発散せねばならない程には大変なのだろう。ただ怒られるだけの、目標を追うだけの自分たち学生とは、ストレスの次元が違う。

 

 昭弘たちを奢る為だけに、焼肉へ誘った訳ではない。定期的に羽を休めなければ、飛び続ける事は出来ない。

 自由気ままに喋り続ける千冬も、飲んでは色んな表情を見せる真耶も、社会で受けた疲労を癒す為に必死なのだ。

 

 そう考えてみると、相川の言う通り支えたくもなるのかもしれない。社会と言う名の荒海では、心までは誰も支えてくれないのだから。

 

 

 それもまた愛なのだろうかと、自分の愛を未だ見つけられない男はゼロから想像するしかなかった。

 

 

 

―――21:21

 

 駅のホームでベンチに座る千冬は、口を抑えながら項垂れていた。上半身は波に揉まれる昆布の様に揺れ、人々の馬鹿騒ぎが頭に響き、肝臓に叱られている胃袋は主に仕返ししようと暴れる。

 鏡を見たら自分の顔は赤いか白いのだろうなと、千冬は目前まで迫っている絶望から思考を逸らそうとする。

 

「織斑センセイ、水買って来ました」

 

 500mlの天然水を2本携えて戻ってきた昭弘が、千冬には仏樣が何かに見えた。

 彼女は清水を口から食道から胃へと流し込み、胃の怒りを宥める。

 

「…すまない、アルトランド」

 

「センセイ、やっぱトイレで吐いては?」

 

「吐くのは嫌いなんだ…」

 

 ビール大ジョッキを15杯も飲めば、いくらブリュンヒルデと言えど無事では済まない。

 もしさっきそのまま学園行きの列車内で揺られていたら、教師として最悪の結末を迎えていただろう。生徒に介抱されてる時点で、最悪の二歩手前辺りまで来てるが。

 

 真耶と相川には、先発の列車で帰って貰った。下心満載の相川は当然として、真耶も確実に小言を浴びせて来るので却下となり、千冬の介抱役は消去法で昭弘となった。

 朦朧としたまま2人を刺激せずに帰す言葉を探すのは、さぞかし骨が折れたであろうに。

 

「また借りが出来たな…」

 

「貸し借り無しでいいッスよ。色々と知れましたし」

 

 昭弘のその言葉が脳内へ染みの様にこびりついた千冬は、こそぎ落とすべく揺れる意識のまま昭弘に訊ねる。

 

「それは山田くんの事か?それとも相川の事か?」

 

 それは勿論、両方だ。皆の新しい一面が知れた事は、昭弘も嬉しい。2時間が足りなく感じたのは、もっと詳しく聞きたかったからだ。

 だから昭弘は相川と聞いて、千冬に問わずにはいられなかった。

 

「…相川の事は、もう振ったんですか?」

 

 相川の片想いを知っているどころか、先の先を射抜く様な直球質問だった。

 千冬にとっては()()()()()()丁度良い。

 

「振るも何も、面と向かって告白されなきゃ振りようがないだろう」

 

 それもそうだと納得すると同時に、告白しなければ振られる事すら叶わないと言う真理に昭弘は気付く。

 

 違う。相川が振られる前提で先を見据えるのではなく、肝心なのは千冬が相川をどう思ってるかだ。

 

「…じゃあ、もし告白されたらどうするんです?」

 

「その時になってみないと分からん。人の心なんざ、時間と共に変容する」

 

 だが、昭弘の表情は変わらず、千冬を見る目は納得の色を見せない。今の回答がはぐらかしである事ぐらい、昭弘にはお見通しだ。

 千冬は観念した様に浅い息を吐くと、再度答える。

 

「……振るだろうな」

 

 昭弘ではなく正面のモノレールを見ながらそう言うと、警告音の後に扉が閉まり、静かに学園島へと鉄の巨体を這わせて行った。次の列車は16分後だ。

 

「理由なんて言わんでも解るだろう。私は教師で、相川は生徒だ。私は女で、相川も女だ」

 

 だが、またもはぐらかされた様に感じた昭弘は、理解なんて示さず額に熱を貯めて追及する様に問う。

 

「オレが訊きたいのはアンタが相川をどう―――」

 

「どうとも思ってない。…これで満足か?」

 

 疲れごと投げ捨てる様に、千冬は答えた。

 あれだけ一途で必死な相川の事を、どうとも思ってない。昭弘はそれを聞いても、不思議と怒りが込み上げてこなかった。

 感じるのは、今にも夜に溶け出してしまいそうな顔をした千冬への労わり。そして、熱くなり過ぎた己への、強い戒めだった。

 

 その後、長々と持論を展開すると思われた千冬も、そして昭弘も、同様に口を一の字に閉じた。

 

 そのまま2人は喧騒の中にある沈黙を享受し、ただ無言で次の列車を待った。

 

 

 

 もう直ぐ列車が到着する時刻になると、四方から聞こえる話声に釣られるが如く、千冬が先に沈黙を破った。

 

「どうとも思わない事が、互いの為だ」

 

 そう言う千冬の半開きな瞳は冷たい光沢を放ち、精力も疲労さえも残っていない様に見えた。

 

 対して、昭弘も長い沈黙を破る。と同時に、学園島行きのモノレールが右方から風切り音だけを立ててやって来た。

 

「本当にそれで良いんですか?」

 

 水と夜風で大部吐き気から回復した千冬は、車両に乗り込むべく先にグッタリと腰を上げながら答える。

 

「ああ。ずっと告白せず、私に振られない事が、相川にとって一番の幸せだ」

 

 そう言う千冬の揺れる背中は大きく分厚く、それでいて絶対零度の悲壮感を纏っていた。

 自分を削って全ての生徒を平等に愛さねばならず、特別な感情を一人に向けてはならない。大きくも冷たい背中は、その孤独な戦いによって作られたのだろうか。

 

 アレが大人の背中だと言うのなら、あんな事で熱くなる自分が如何にまだまだ餓鬼なのか、昭弘は改めて思い知らされた。

 そして、自分の背中は他人からどう映ってるのだろうと、思いながら昭弘は千冬に続いた。

 

 

 大人とは、教師とは本当に大変だ。

 思いやる人間の心と、先を見越す機械の頭脳、その双方を適切に使い分けねばならないのだから。




どうにか8000字以内で纏まりました。要らない文字を削ったり新しい表現を加えたりするのが楽しいです。



にしてもいいですねー焼肉。私も肉が恋しいです。
皆さんも外食行けなくて辛いとは思いますが、せめて気分だけでも焼肉屋を味わってくれたら幸いです。

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