―――――7月6日(水) 08:20―――――
時間の通り、男子の制服を当然の摂理である様に身に纏っている僕は、今教室の前まで来ている。
本当はもう少しギリギリの時間に登校したかったんだけど、遅刻を意識するとどうしても少し早く着いちゃうよね。
で、何故こんなに遅く教室に来たのかと言うと、養父との対面を心配するクラスメイトに駆け寄られたくないからだ。
昨日は「一人で考えたい」と言っておいたから誰からも何も言われなかったけど、今日は正直何とも言えない。
一日経って「やっぱり心配だ」みたいになってなきゃいいけど。
ま、次の休み時間も考慮すると、ギリギリに登校した所で焼け石に水なんだけどね。
そんな不安を掻き消し、僕は1組の教室に片足を踏み入れる。
残念な事に、悪い方の予感が当たってしまった。
「デュノアよ、何も不安がる事など無いのだぞ」
「そ、オレたちが付いてるわ」
「助言が欲しいのでしたら、何なりと仰って下さいな」
「父親との接し方なら任せな!」
席に座った途端、一夏たちが僕を囲みながらそんな温かい言葉を浴びせてくれて、他の皆も同様の反応で迎えてくれた。息苦しさすら感じる朝日と湿気のコンボをものともしない勢いだ。
案じてくれている事は勿論、僕にとっても嬉しい。だからこそ心が痛かった。これから、皆に冷たい言葉を返さねばならないからだ。
「…ありがとう皆。けど実を言うと僕、そんなに悩んでないんだ。少し顔を合わせるだけで、今後も殆ど会う事なんてないだろうし」
僕がそう言うと、皆一様に居たたまれない様な不甲斐無さそうなそんな表情になる。本当に僕はもう気にしてないんだけどなぁ、そんな顔されても…。
そう言う意味では、僕の事なんかどうでも良さげに何の変哲もない外の景色を見ているボーデヴィッヒくんが、凄く有難く思える。
そんな皆とは別に、僕の背中を釘で打つ様な視線が後方から当てられる。
多分昭弘だなとか予想すると、この後訪れるであろう説教じみた言葉の数々が脳裏を過り、頭が痛くなる。
皆には悪いけど、僕はデリーさんとの顔合わせなんて何とも思ってないんだ。
身勝手で束縛が酷くて恐い、子供なんて自分にとって都合の良い操り人形としか思っちゃいない。僕の認識ではそれが父親だ。
だからあれこれ心の準備をする必要なんて無い。ただ嫌われない様、「いい子」な外面を作って振る舞うだけさ。此処に転入してきたばかりの時みたいにね。
向こうにとっても僕にとっても、それが一番当たり障り無くて楽だ。血の繋がってない養親子なら尚の事だよ。
昨日に引き続いて改めて自分にそう言い聞かせた後、僕は明日の一切を頭から切り離し、今日の授業と機動訓練だけを考えた。
いつも通りの、充実した学園生活だけを考えた。
その後も僕は、先生方がこの教室と言う空間で言い表し書き示す知識を、学友と共に貪欲に吸収していった。
そしてこの状況を提供してくれるそれら全てに、僕は昨日と先週と先月と同等の感謝を抱きながら、早くも遅くもない時間を過ごしていった。
―――昼休み 林道
これもまぁ予想した通りなんだけど、やっぱり昭弘に呼び出された。強引な感じじゃなく、仲の良い友達を時刻の通り昼飯に誘う様な感じだ。
けど例え昭弘だろうと、今回ばかりは何を言われても相槌だけ打って聞き流すつもりだ。
父親の事も含めて、僕の将来は僕が決める。
にしてもこうしてベンチに座ってみると、林道とは確かに2人で話すには穴場だ。
生徒なんて殆ど通らないし、まぁ研究員の人たちは格納庫が近いと言うのもあってちょくちょく通るけどね。
何より、木漏れ日とその隙間を縫う様な蝉の鳴き声が気持ち良いや。
校舎から若干距離はあるけど、友達からの誘いなら断る理由も無いし苦にもならない。異性への抵抗とかも、別に昭弘が相手なら特に感じないかな。
それよりも、僕に照準を当ててきた一夏と箒の眼力の方が怖かった。何故に君たちが怒るんだよ。
「…明日の事、割とどうでも良さそうだな」
焼きそばパンを噛み千切りながら、普段通りの口調で昭弘は言い当てて来る。
サンドイッチを齧る僕は否定して取り繕おうとも考えたけど、昭弘相手ならどうせ直ぐ看破されると思ったので止めた。
「まぁ…ね。デリーさんの事は嫌いじゃないけど、親密になる必要も無いかなって。どうせ在学中は殆ど会わないだろうし」
「それもそうだ。アイツだって経営放っぽいてまで毎度毎度会いには来ないだろう」
なぁんだ、デリーさんの仕事仲間(?)なだけあって、昭弘も良く解ってるじゃないか。それなら僕も変に意識しなくて済むかな。
なぁんて考えた僕の思考回路はマカロンより甘いと言う事が、続く昭弘の発言によって判明する。
「だが昨晩話した限りじゃ、お前の事で割と真剣に悩んでたぜ。デリーはよ」
「えっ?」
本当かな?…何か嘘くさいな、タイミング的にも。僕の心変わりを誘う為の方便なんじゃないの?昭弘。
等と考えても、そんな事を言われてしまえば否が応にもデリーさんの事を意識してしまう。
「意外だったよ。利益の事しか頭に無い奴だと思ってたからな」
うん、デリーさんには悪いけど、僕も第一印象的にそんな風に思ってたから意外。
まさか僕の予想に反して、本当に子供が欲しかったりするのかなあの人。
だとしてもそれは彼の心境であって、僕には関係ない。僕はもう、父親と深く関わるなんて懲り懲りなんだ。
疲れるんだよね、父親って…大人の男ってさ。相手の立場が弱いと踏んだら、男尊女卑なんて古い価値観を翳してきてさ。仕事しか能の無い癖に。
…血の繋がった実父とは言え、つくづく僕はあの男『アルベール・デュノア』が心底憎い。アイツさえ居なければ、僕はこんな荒んだ心を持たずに済んだのに。
もう過ぎた事とはいえ、いや過ぎた事だからこそ、やり場の無い憤りが際限無く溜まっていく。
……何はともあれ、デリーさんが真剣な気持ちで会いに来るんなら、僕ももっと真面目に「良い子」を演じないとね。こりゃ男装もNGかな…。
「だからってお前が遠慮する必要は無いがな。普段通りで良いだろ」
それじゃ駄目なんだって。面倒くさいんだよ僕にとってはそう言うの。
僕の中身をちゃんと見て欲しいなんて、僕は毛程も思ってないしさ。父親に本心晒したってしょうがないでしょ。
「……けど、やっぱり明日以降は当面会わないだろうから、後腐れなく終わった方が良いんじゃないかな」
僕、何も間違った事言ってないよね。
けど、これで中々折れてくれないのが昭弘なんだよね…。
「寂しい事言うなよ。仮にもお前の父親になる相手なんだ、もっと本心で行ったらどうだ」
出たよお節介。別に寂しくなんかないでしょ、僕もデリーさんも仲間なんて周りに沢山居るんだし。
気が付けばもうサンドイッチ全部平らげちゃったよ。美味かったよ、流石はIS学園の売店。
良し、飯も食べたし、もうそろそろ適当に理由つけてこの場から退散しようかな。昭弘が何か語り出す前に。
と言うか…親の事とか、昭弘に余り語らせたくない。僕の為に、態々凄惨な過去思い出さなくてもいいよ昭弘。君から直接聞いた訳じゃないけど、紛争で両親亡くしてるんでしょ?
本当に、僕の事は大丈夫だから。
そんな事を僕が心に願っても、こうなった昭弘は止まってはくれない。こうと決めたら、突き進む人間だ…。
「…なぁシャルロット。当分会えないからこそ、明日の内に目一杯甘えておけ。我儘も、言えるだけ言って構わんだろう」
「ギリギリ子供の内にそうしておかないと、きっと後悔するぜ。オレの親はもう居ないが、あの時甘える事が出来て良かったと、今でも思ってる。…いや、今だって会えるもんなら会いたい」
「それは多分、もう直ぐ大人になるオレたちだからこそ、身近な大人が必要だからだ。前に進むしかない、子供には戻れないオレたちだからこそ…な」
「父親を面倒な存在だと考えてるお前だって、そうなんじゃないのか?」
昭弘はそう締め括ると、焼きそばパンどころか他のおにぎりやら菓子パンやらも気が付けば食べ終えていて、空のラップをレジ袋へと押し込み始める。
僕が校舎に戻る口実を考えるまでもなく、昭弘はそれだけ言うとベンチから立ち上がった。
僕もそれに吸い寄せられる様に立ち上がり、共に本校舎へと続く小道をじっくりと踏み締めて行った。
何だか、致命的に先を越されてしまった感じがした。あともう数秒早く、この場から立ち去る旨を伝えていればと。
それだけ、昭弘が最後に放った言葉には、肉体をすり抜けて心だけに覆い被さる様な“重み”があった。とてもとても、聞き流せる様なものじゃなかった。
それは、僕と昭弘が座していた木の下と似ていた。木がどれだけ葉を付けようと、陽光は木漏れ日となってどうしようもなく地に注がれるのだ。
―――5時限目
この時間は、織斑先生が教鞭を執る「現代社会とIS」に関する授業、略して「現社I」だ。
織斑先生、普段の授業は勿論厳しいけど、この授業については更にもう一段階厳しくなる。
だから僕も食後の眠気を必死に追い払って、彼女に全神経を集中させる。
―――子供の内に甘えておかないと後悔する
けど今の僕を眠気以上に妨害してくるのは、昭弘の重々しい言葉だった。
悩むまでもない、馬鹿馬鹿しいよそんなの。
卒業するまで同じ屋根の下で一緒に暮らす訳でもないし、下手すると一生別居状態まである。
親の愛情だって、今は亡き母さんから惜しみ無く注がれてきた。
なら顔を合わせて、少し話す程度で良いじゃないか。それが一番リスクの少ない接し方だ。
けど、頭ではそう何度も自身に言い聞かせても、僕の心は暴れ馬の如く言う事を聞いてくれない。
昭弘の低く小さい発言が、破裂音となって僕の本能を叩いたんだ。
父親を愛したい、父親から愛されたい。僕の内にほんの僅かに残っていたその原初的且つ当たり前な感情は、昭弘の余計な一言によって嘗て無い程膨張していた。そう、父親と言う存在を煙たがる、ずっと不動だった感情を押し潰しながら。
明日の事を考えるだけで、緊張が心臓の鼓動を早くする。下腹部の異物を押し下げる様な鈍痛が走る。さっきまでの飄々としていた僕がまるで嘘みたいだ。
そりゃあそうさ。僕だって、自覚がある程度にはまだまだ子供だ。
甘えられる、反抗出来る、見守ってくれる親が欲しい。
優しく包み込む母の愛だけじゃなく、強く厳しく自身を導いてくれる父の愛が欲しい。
…こんな風に心が苦しく変質する位なら、さっき昭弘の誘いに乗らなきゃ良かった。でなけりゃ、僕は今も変わらず授業に集中出来た。
そしてそんな苦しみに晒されても、全く嫌悪感は湧いて来ないのだからタチが悪い。
結局この時間、運良く当てられはしなかったけど全く授業には集中出来なかった。
まさか今更になって、明日の事で頭がこんなにもゴチャゴチャするなんて。さっき澄まし顔で皆の心配を退けた自分自身が、酷く恥ずかしい。
けどそんな恥を忍んででも、僕はやっぱり皆に相談する事を決めた。
正直、親についてなんて訊き辛い。詳しくは分からないけど、皆家庭の事で色々あるみたいだし。
でも、心の中が散らかった今の状態でデリーさんに会うのは、もっと嫌だった。
昭弘のせいで今の僕には、父親への無関心よりも、僕の父親となるデリーさんへの純粋な興味の方が何倍も大きく膨れ上がってしまっていた。
そこには何と言うか、父子がどう言う関係なのか強い理解を求める、子供としての本能があった様な気がした。
そんな感情今まで湧いた事なんて無いから、確証は無いけれど。
今回それを逃せば、僕は酷く後悔する。
そうだろう?昭弘。
と言う訳で、僕が今日貰った助言を纏めてみるね。
そうねぇ…親がどうなのかは分からないけど、素直な気持ちで対面するのが一番大事なんじゃないかしら。by一夏
父親なんぞ恐れる存在では御座いませんわ。何も意識せず、そのまま素直な心で挑みなさいな。byセシリア
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何も飾る必要無し!普通に素直で良いのよ素直で!素直素直!by鈴音
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男装するシャルくんは最高、つまり素直なシャルくんこそ最高。と言う訳で素直に頭ナデナデして。by鏡
うん、皆アドバイス本当にありがとう素直。
……けど殆ど同じ内容じゃないか素直。