水着はその性質上、露出だ何だと堅苦しい服則が余り意味を成さない。加えて空からも砂浜からも灼熱が襲ってくる夏の海が舞台とあっては、周囲に釣られて我も我もと素肌を露にしたくもなろう。
だが哀しいかな、子供にはやはり限度を設けねばならない。それが、子供を正しい方向へ導く教育者の務めなのだ。
レゾナンスモール通路上のベンチに腰掛けてるこの織斑千冬教諭も、そういった名目で生徒らに付き添っている。その名目が無くともこれだけの大勢でお出かけとなれば、トラブルが起きないとも限らない。
彼女はまるで生徒らに見せつけんばかりに眼光を薄く研ぎ澄まし、マイクロビキニ等いかがわしいモノを手に取ってないか見張る。
(ラウラOK、相川OK、デュノア…まぁOK、アルトランドOK)
店内から隣のテナントからそして今座っているベンチから、あらゆる角度へ移動しては一人一人事細かにチェックしていく彼女。
如何なる国家予算よりも優先すべき生徒たち、及びその見張り。但し「名目」の通り、これは他ならぬ千冬がすべき仕事ではなかった。他の教員に任せれば済む話だ。
早い話が、合間の息抜きみたいなものだった。
ただでさえ書類整理とカリキュラム作成で忙しい上、それと並行して束や中央アフリカ近辺で活動している亡国機業の動向も調べねばならない。再来週には臨海学校ときた。
少しでも気晴らしに逃げねば身も心も持たないだろう、例えブリュンヒルデだろうと。
目の保養とまでは行かないが、生徒たちが和気藹々と水着を選ぶ様子は懐かしい気分になる。千冬も嘗て体験した喜楽の一つだ。
思えば彼女たち一人一人も、今日の様な時間を目一杯息抜きに使いたいのだろう。千冬も教師となって短いが、そのくらい解る。
非限定空間におけるIS機動演習。本臨海学校の主旨でもあるそれは、生徒たちを焚き付けるに十分以上の火力を有している。平素から小さな空間でしか飛ぶ事が許されない彼女たちだ。境無き自由な空での戦闘訓練、入学したその時から心待ちにしていた筈だ。
だが、ただ楽しく飛んでいれば良いとは行かない。与えられた重要な役割を果たすべく、強い意気込みを持たねばならない。専用機持ちなら尚の事。
数百メートルなんて次元ではない、数キロ~数十キロ或いは更に長い射程下での戦闘訓練だ。専用機の開発社からすれば試したい新武装などごまんとあろう。それの試運用を任される搭乗者たちが受ける重圧は、子供が背負える許容範囲を超えている。
それは専用機だけでなく、量産機に於いても同じく然り。つまりは一般生徒たちにとっても、決して他人事ではないという事だ。
何も彼女たちは海水浴に浮かれてサボっている訳では無い。
顔には出していないが、一般生徒も代表候補生も皆不安を和らげる為、己が精神的に追い詰められない為に必死なのだ。
安息の時間は今日この時間と海水浴だけ。後は只管に鍛練と試行錯誤、そして本番だ。
だがISに関わる者なら、誰しもがそういった踏み潰されん程の重圧を必ずどこかで受ける。鋼かダイヤモンドに並ぶ程硬く屈強な精神を以てして、それら重圧を跳ね返すしかない。
だからこそ、千冬はその当事者たる彼女たちを愛おしく思ってしまう。
その感慨に時折現れる懸念は、彼女たちとは立場や心境がまるで異なる生徒の存在を知ってしまっているからだろう。
(……無理だけはするなよアルトランド)
昭弘が思い詰めてる事、己に罰を与えるが如く今迄以上に過酷な訓練を敷いている事、どちらも千冬にはお見通しだ。
千冬も大人だ。束に都合良く誘導されたとは言え昭弘が責任を感じるのは解るし、彼がそれに対して何をしようとどう償おうとしても千冬は咎めたりしない。
昭弘は大人ではないが、周囲程子供でもない。意味が有る無いの基準はある程度解ってるだろうし、精神も強靭だ。
ただ、余り自分だけを責め過ぎないで欲しいのだ。どんなに硬く割れにくい精神を持っていようと、積み重なった自責の念はいずれ心を折る。
「隣、いいスか」
噂話をしていた訳ではないが、千冬は「噂をすれば」と思いながら顔を上げる。すると、先程生意気にもVパンツを会計に持って行った生徒が居た。
それでも、こいつなら履いても問題あるまいと千冬に思わせる程には筋肉質な青年だ。筋肉を余さず見せるにはVパンツが良いし、Vパンツを履くのならガリよりもデブよりもマッチョマンだ。
「おう、いいぞ」
千冬は特に嫌がる素振りも見せず、昭弘を隣端に座らせる。
すると彼は千冬と同じく、生徒が至る所に散っているショップ内へその目を移す。
「こっからだとよく見えますね」
「ん?何がだ」
「織斑センセイを何度もチラ見する相川ッスよ。店に入った時から様子がおかしいとは思ってたんですが…」
『相川』と聞いて、千冬は薄い笑顔を濃い真顔へと変貌させる。それは昭弘を隣に招き入れた事を後悔する様に、今すぐ移動すべく算段を立てる様に。
勿論、千冬が此処に座っていたのは偶然で、相川を見たかったからではない。寧ろ、相川が千冬の視界に合わせて移動したと見るべきだろう。
「……まさかとは思うが、そんな事を言いに来た訳じゃないだろうな?」
「いえ、ただ単に疲れたから座りたかっただけっス」
「…ならいい」
余計な気を回すな、相川を話題に出すな。うんざりとした一言に千冬はそんな思いを含める。
何を言われた所で千冬の心情が揺らぐ事なんてないが、余計なお節介も過ぎるとただ疲れるのだ。
だが昭弘に千冬の心境は届かず、或いは存じた上でなのか彼は構わず口を動かす。
「水着、センセイも今(相川と)買ってきては?」
「生憎だが事前に買ってる。例え買っていなくとも、女子高生とキャッキャウフフしながら水着を物色なんてしないが」
「誰もそこまで訊いてないッスよ」
ここ最近接する機会が増えて来たからか、それとも千冬のポンコツな部分が少しずつ露呈してきたからか、少々生意気になってきた昭弘はまるで煽る様に揚げ足を取る。
対してそれを咎める気配など千冬には無く、寧ろ疲れた様に肩を落とす。もうこれ以上疲れさせるな、少し丸めた背中からそんな気配が漏れ出る。
「…何故お前はそうまでして私と相川をくっ付けたがる?」
昭弘も、先日千冬が放った言葉を忘れた訳ではない。教師と生徒である以上、告白も振られもせず片想いで終わる事が一番だろう。
だがもし、それが片想いでなければ───
少しの間にそんな考えを纏めた昭弘は、さっきとまるで変わらぬ低いトーンで答える。
「……織斑センセイ自身も、相川に気があるからッスよ」
「…あ?」
疑問と憤慨の声を千冬が漏らした後、昭弘はその後に続くであろう反論を先制する様に続ける。
「焼肉の帰り、アンタは「どうとも思わない事が
「相川との距離の取り方も不自然だ、生徒平等を謳ってるアンタが。裏を返せばそれだけ意識しているって事になる」
「…」
千冬の睨みは獲物に狙いを定めている様であり、何か機会を伺っている様でもある。
だがそれも数秒程で、千冬はまるで睨み合いなんて端から無かったかの様に先の倍近く首と肩を落とした。
他者の関係性に対して頗る鋭敏な昭弘、生徒に対して教師として上手く立ち回れていない自分自身、それらが同時に彼女の後頭部へと容赦無く伸し掛かる。
「……学園で教鞭を執る前から、熱い想いを伝えて来る女なんざいくらでも居た。私の見た目、肩書、強さ、そんな告白するには到底及ばない、「私」を見ようとしない連中がな」
「そんな数えるのも馬鹿馬鹿しい有象無象の中で、私だけを見据えて努力し、その努力が報われなくとも尚諦めず私を求める。どころか私の事を内面まで隅々知ろうとする。……私だって情を切り離せない人間だ、そんな少女に出会ってしまえば嫌でも気にしてしまうさ」
物心ついた時から最美、最優、最高、そして最強という“頂”に居た千冬には、その隣に立ち心通わせてくれる人間が居なかった。皆ただ千冬を見上げ、拝めるだけだった。今日厳格な様でどこか明るく軽い彼女だが、今も昔も心は孤独なのだ。
そんな千冬にとって、ただ純粋に千冬の傍に居たいというISの様に硬く曲がらない想いを持つ相川は、少なくとも周囲の人間と同等に扱える存在ではないのだ。
千冬が教師である以上、一人の生徒を特別扱いなんて出来ない。
だが千冬も昭弘同様、決して器用な人間ではない。他の生徒と同じに見れない以上、平等に接するのも難しい。だから突き放す様な感じになってしまう。
「……で、お前は私の想いを汲んで、私と相川を結ぶ恋のキューピッドになってくれる訳だ」
冗談が大半を占めているであろう軽い口調で、皮肉ここに極まれりな言葉を吐き出す千冬。
対して冗談にも本心にも惑わされない昭弘は、変わらず冷静に言葉を返す。
「アンタの立場は理解しているつもりです。オレはただ、もう少し肩の力抜いても良いんじゃないかって言いたいだけだ。現状お互い辛いだけでしょう」
「この際ハッキリ言いますが、水着くらい選んでやったらどうです?相川の為にも織斑センセイの為にも」
「織斑センセイの為」という部分が、千冬の反論する余地を狭める。
気晴らしの為に付き添った今回の買い物。そんなただ中まで堅苦しい思考に囚われては本末転倒、とても気晴らしになんてならない。その堅苦しさこそ、相川を極力考えない様にする正に今この状態であった。
逆に言えば千冬は、買い物であれ何であれ相川と接すれば気が晴れると、心の隅っこで感じているのだ。
その至りたくない結論に至った千冬は、見えない力によって押さえ付けられている後頭部を気怠そうに押し上げる。
視線の先では相川が、笑顔に幾分かの侘しさを漂わせながら水着を見比べていた。
(……何て事は無い。ただの気晴らしだ)
自分の内側にそう言い聞かせると、千冬は両手で両ひざを押しながらゆっくりと立ち上がる。その様は産まれたての子鹿か或いは老鹿か。
「今日の所はアルトランド、お前の口車に乗ってやる。ただ勘違いの無いよう一応言っておくが、私の相川への気持ちに「ほ」の字は無いからな?」
最後にそう付け足した千冬は肩やら首やらを鳴らし、そして表情をガラリと変える。
傍から見れば細微な変化、よくよく見れば大き過ぎる変化。授業時の厳格な顔でも合間に冗句を挟める際の小洒落た笑顔でもない、ただ気の抜け落ちた様な間延びした顔がそこにはあった。それは無感情というより、座り慣れたソファに身体全体を投げ出している時の様な、穏やかな無表情であった。
その顔のまま、千冬は後頭部を掻きながら姿勢良くしかしノロノロとした足取りで、店奥に居る相川の方へと向かって行った。
憧れの君が来た事で大きく燥ぐ相川、適当に受け流しながら満更でもなさそうな千冬。
昭弘はベンチに座ったままそんな彼女らを観察する。千冬の代わりに生徒たちの見張りを担ってやろうとも思ったが、本人も周囲への気を疎かにはしていないので止めた。
やはり千冬の今の顔は中々新鮮さを感じるものだ。怒っているでも笑っているでもないのに、不思議と楽しそうに見える。最も的を得た例えとしては、表情を変えずに只管玩具を追い掛ける猫とでも言えばいいか。千冬の場合猫というよりシベリアンタイガーだが。
「気になる」にも色々ある。心配や警戒の意である「気掛かり」、人としての興味を示す「気」もあれば惚れているに近しい「気がある」というのもあり、単に周囲の人間と違うから意識しているだけである場合も。
それらの内のどれが、今の千冬に当て嵌まるのだろうか。若しくはそれら全てが大小の差はあれど含まれているのだろうか。
彼女は今、相川に対してどんな感情を抱いているのか。
考えた末、昭弘は一つだけ別に気付いた事があった。
(……そうか、オレは)
同じだったのだ、先の昭弘自身を今の千冬に重ねてしまっていたのだ。
昭弘もまた、箒に抱いている自身の感情が解らない。皆と同じ学友なのか一線を画した異性なのか、それとも本気で彼女に恋愛感情なんて抱いているのか。或いはごく少ない共通点を頼りに、ただラフタの面影を重ねてしまっているだけなのかもしれない。
昭弘にとっての『篠ノ之箒』とは一体どんな存在なのか。
だが昭弘と千冬とでは「ある一点」において埋め難い差がある。それは自身に向けられた相手の感情だ。
確かに千冬は相川へ抱く「気」の正体が解っていないのかもしれない。だが相川が千冬自身へ向けている想いに関しては、千冬は学園の誰よりも詳細に知っている。
昭弘にはそれが解らないのだ、箒が昭弘にどんな感情を向けているのか。
だがそれでも、箒が他の誰を好いているのかは判ってしまっている。だからそればかりに思考を向けてしまう、一夏と箒の事ばかりを考えてしまう。
箒は一夏の事が好き。
昭弘にとってそれは、最早変更の効かない確定事項となってしまっているのだ。故に昭弘の中では、箒が昭弘にチラつかせる気持ちなんて「友情」としか変換されない。
昭弘はそれで満足なのだ、友情だけでも十分過ぎるのだ。ただほんの少し箒と一夏の、皆の助けになれればそれで良いのだ。
正に「己の軽視」の極致。そんな昭弘が他人の向けてくる好意になんて、どの道気付く筈がないのだ。
そんな思考の“大木”を担っているものこそ、夢でラフタにも話した学園の皆を「高位な別の生き物」と見なしてしまう疎外感だ。
だから箒が昭弘を昭弘が箒を愛する事なんて決して有り得ないし、あってはならない。そんなリミッターが、昭弘の心の何処かにあるのだ。
それら全てを、今一度見直す時が来たのかもしれない。さもなくば昭弘自身と箒の感情は永遠に解らないままだ。
(……オレは何をどうすれば、今のアンタみたいになれる?)
視線だけでそんな心情を伝達出来る筈も無く、千冬は変わらず和やかな無表情で相川を見ていた。
自分自身に対する相手の気持ちが理解出来れば、延いては自分自身がどんな人間なのかも知れる。相川の愛を理解した上でどうにかこうにか受け止める千冬を見て、昭弘はそう感じた。
もしそうなれば、昭弘は「愛」が何なのか解るのだろうか。
もしそうなれば、昭弘はラフタへの“愛”から解放されるのだろうか。