もやたすの日常   作:もやたす

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10話 Knowing is not enough; we must apply. Willing is not enough; we must do. 作:きあん

「全作戦は失敗。又、予想外の人物に遭遇。直ちに撤退する」

 そう口にし、無線機のPTT(送受切替)スイッチから指を外すその刹那、背筋を走った怖気に促されるまま、俺は手に持っていた本体を投げ捨てながら横に飛び跳ねた。

 一瞬の後に耳をつんざく轟音。

 回転する世界。

 その視界の中で、今しがた俺の居た場所に赤い岩のような塊が落着しているのを視認した。

「ヴォゥゥ……」

 どこか不満げにも感じられるケモノのような唸り声を聞きながら、収まってきた回転の勢いを利用して片膝立ての形で姿勢を整える。

「上手ぅ避けるなあ。あれで終わっとったら楽じゃったんだがの」

 気だるそうな声が耳に届く。

 見ればそこには、二人――いや、二匹の姿が有った。

 片方は三メートルはあろうかと言う巨躯。その後方には、対比により小さく見えるが、それでも二メートルに少し届かないくらいの背丈の痩身。

 そのどちらもが人間のものではない鮮やかすぎる朱と蒼の肌色をしていて、双方共が黄と黒の、いわゆる虎柄の腰巻きのみを身にまとっている。

 彼らの姿を端的に表現するのならば、いわゆる鬼の姿。それも御伽噺、いや、絵本の中でよく見られる『それ』だった。

 眼の前に広がる光景に、脳が理解を拒否する。しかし、両の手の――姿勢を整えた時に手に取った、左肩に装着した軍用ナイフの柄と、左後ろの腰に収めた拳銃のグリップの感触が、今が現実であるという事実を如実に語っていた。

「ああ、そがいな殺気立たんでもええ。大人しゅう帰ってくれんのなら、手荒な真似はせんって約束するけぇの」

 飄々とした声色で、青い人型――仮称『B』が目の前の虫を払うように手を振ってみせた。

 言葉を鵜呑みにする訳にはいかない。唯でさえこれまで培ってきた常識が数分前に瓦解しているのだ。見た目のインパクトに引きずられているのは承知しているが、それでも鬼の言い分を呑気に受け入れることは出来なかった。

 

 

「……タイセイ、じゃ」

 小さく、気負いのない緩やかな笑みで、仮称『B』が短く言葉を漏らした。

「ワシん名はタイセイ。鬼人が分族、青鬼の一門じゃ。呼んでくれるんなら「ターくん」やら「セイさん」がええな。だが、間違うても「アオっさん」たぁ呼びんさんなや。まだ若い思うとりてえけぇのぉ」

 少しの無念そうな色を表情に滲ませながら、右手の親指で自身を指した。

「ほいでこいつがダイシャクじゃ。ワシと同じで鬼人が分族、赤鬼の一門で、コヤツの事は「ダイちゃん」って呼んじゃると凄い喜ぶ。めったに呼んじゃる奴が居んけぇのぉ。言葉は喋れんけど、気のええ奴じゃけぇ仲良うしちゃってくれ」

 青鬼が自己紹介に続いて、横に立つ巨躯の仮称『A』改め、赤鬼を紹介した。

 赤鬼は、先程俺の居た場所にとんでもない跳躍に任せて叩きつけた鈍色の棒、正しくはこれまた絵本で描かれていそうな棘付きの金棒――巨躯のせいで調和が取れているように見えるが、おおよそ平均的な成人男性の背丈ほどの長さを持ち、先端部の太さはやはり成人男性の太もも周りくらいある巨大さだった――を軽々と肩に担いでみせた。

 その赤鬼の表情は、喜色満面。青鬼によって紹介された事が嬉しいようで、更に、これはあくまで想像だが、こちらからの呼びかけを待っているかのようだった。

 その、あまりにもバカバカしい想像に応じることはせず、二匹の動向に最大限の注意を払いつつ、全身のコンディションを確認していく。

 両足は驚愕に寄る緊張が解れ、いつでも飛び出せる。

 両の腕も問題無い。ナイフを握る腕も、トリガーに掛けた指も思い通りに動きそうだ。

 しかし、同時にこの二人は油断をして良い相手ではないことを感じ取っていた。

 笑顔を浮かべる赤鬼はもちろん、体躯では特色のない青鬼もその位置取りや視線運びから只者ではないのが分かる。

 その青鬼が、達観したような面持ちで軽く息を吐いた。

「やっぱりか。『仲良うなるにゃあ、まず自己紹介から』なんてあのチビっ娘は言うとったけど、こがいな状況じゃ無理な話じゃなぁ」

 続けて赤鬼が「ウォゥ……」と悲しげに呻いた。

「……一つ」

「おっ、なんじゃ? 何でも言うてくれ。さっきも言うたけど悪いようにゃあせんし、穏便に済むなら出来るこたぁするけぇ。……こっちもワレの事をおさめて、早ぅ姫さんの方に合流せにゃあならんけぇな」

 青鬼の気さくな言葉に、聞きたくない、しかし、聞かねばならない事を舌に乗せた。

「アレは。あの女は……『R.I.P.』なのか?」

 問いの言葉に、青鬼はバツの悪そうな苦笑いを浮かべ、頬を掻いた。

「あー、それ聞いてしまうか。……悪いがそりゃ答えられん。少ない筈の「出来ん事の内の一つ」じゃけぇな」

 大仰に首を振ってみせる青鬼に、しかし、その言葉で問いに対する答えを得た。

 違うのであれば、ただ否定すれば良い筈だ。もしくはとぼけたって良い。しかしこの青鬼は「答えられない」、即ち「答えを知っている」と答えた。

 それは、問いが真実であると言う証明に他ならなかった。

 頬を冷や汗が伝い落ちた。

 はっきり言って、状況は最悪に尽きる。

 頑健さと強靭さを感じさせる赤鬼の巨躯は、認識外からの跳躍という非常識な手段を可能とする身体能力を有している。

 青鬼は、出し抜こうとする此方の思惑を、視線一つ、僅かな動き一つで封じている。その所作はまるで罠を張り巡らせた蜘蛛のようだ。

 そして。

 恐らくここに向かって来ているであろう、かの存在。

 どんな奮戦地帯ですら、ここまでの絶望的な状況は無かったと言って良い。

 俺が死ぬだけで済めば気は楽だったが、これまでに得た情報は捨てるにはあまりにも危険で、同時に得難いものだった。

「……GO AHEAD」

 小さく、己を奮い立たせる為の言葉を呟く。

 直後に飲んだ唾の嚥下音が、やけに大きく鼓膜を震わせたような気がしていた。

 

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