あいであのおもちゃばこ   作:のんべんだらり

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衛宮くんちのおとなりさん (fate)
01


 父はサラリーマンで転勤が多く、母が産気づいているときも、上司から辞令を受けている最中だったと聞いた。引継ぎや引っ越しで忙しかった父が、一報を聞いて病院に顔を見せたのは、母子の退院の日だ。母はそのときのことで文句を言ったりはしないし、父は仕事と同等に家族を大切にする男だった。

 だから、小学校にあがり、友達ができた頃に転校と聞かされても、まあいいか、と竜樹は頷いた。

 新天地に向かう車中、ふと、竜樹はまだ行先を聞いていないことに気づいた。後部座席で寝転んでいた身体を起こし、運転席と助手席の間に頭を突き出した。

「なんていうとこ行くんやったっけ?」

「『冬木』言うてな、自然がたくさんあるとこや」

「寒そうな名前よね。風邪をひかないようにしないと」

 運転する父の隣で、母も楽しそうに笑った。

「竜樹。気ぃつけや」

「なんや?」

「恋は別れを辛くする」

「なにいうてんねん」

「関西と違うて、母さんのように話す人ばかりやからな。騙されかかねんで。お前、マザコンやし」

「おとんと一緒にすんな、ボケ」

 馴れ初めとして、母が話してくれたことがある。卒業旅行で観光していた母を、仕事まわりしていた父が口説き落としたのだと。

 黙って聞いていた母が、父の横顔を見た。

「今度は長くなりそうなの?」

「そろそろ頃合いやと思うてな。買うてしまいましたわ、マイホーム」

「あらまあ」

「まいほーむって?」

「言うてもええけど、もうすぐ着くから秘密や」

「おかん」

「大丈夫。きっと気に入るわ」

 二人揃って教える気がないとわかると、竜樹はふてくされて座席に背中を強く押し付けた。仲間外れにされたようで癪だったが、母が言うなら父の暴走というわけではなさそうだ。せめて残りの時間が少しでも早く過ぎるように、目を瞑った。

 

 

 

 がくんと頭が凭れた衝撃で、竜樹は目が覚めた。

 車内はに父と母の姿がなかった。積まれていた荷物も二人が運んでしまったようで、残されているのは竜樹だけだ。

 車から降りると、すぐに平屋の瓦が目についた。昨日まで暮らしていた街の家屋に似ている。ちょっと見慣れた景色があるだけで、ほっとしている自分がいた。

 だが、そのお屋敷と竜樹のいる位置の間には、テレビの時代劇に出てくるような白い壁が立っている。どうやら、あれは自分たちが住む家ではないようだ。

 屋敷の更に隣には、金の魚が乗っている屋根瓦が見えた。以前、母に連れて行ってもらった大阪城のような雰囲気だ。

 そんな屋敷と城の並びに、肩身せまく建っている白い家。三人で住むには十分だと思うが、どちらかの家の倉庫だと言われてもおかしくない。

だが、表札には秦と書かれており、残念なことに、玄関から父が出てきてしまった。

「起きたんか。ちょうどええ、ほな行こか」

 父のあとから袋を下げた母がついてきて、竜樹の髪の毛をてぐしで整えてくれる。

「どこいくん?」

「挨拶まわりに決まってん。何事も挨拶が基本やで」

 そうして父が隣の屋敷に向かった。

 チャイムを鳴らすとしばらくして、引き戸が開いた。出て来たのは、ぼさっとした黒髪の男で、着物にサンダルといったいで立ちでぼんやりと竜樹たちを見ていた。

「どうも、お隣に越してきた秦であります。どうぞ一つよろしくお願いします」

 父は仕事中、訛りがなくなる。意識しているわけではなく、気を張ると自然とそうなるらしい。

「秦の家内です。息子ともどもよろしくお願いします」

「こちら粗品ですが」

 と、母から手渡された箱を父は差し出した。

「はあ」

 男は気のない手つきで受け取った。竜樹が母の隣から見上げるとどろっとした男の目が見えた。水を含んだ砂のような目だ。真正面でそれを見ているはずの父はにこにことして、握手まで求めている。

「じいさん、誰か来たのか?」

 赤茶の髪をした少年は、こちらに気づくと足早に寄ってきた。

「士郎か……」

「ダメだろ、寝てなくちゃ。俺がやっとくから」

 士郎と呼ばれた子供は、男が中へ入ったのを確認して、父と向き合った。

「じいさん、具合がよくなくて。頂きもの、ありがとうございます」

「こちらこそ、突然で申し訳なかったね。士郎くん、でええかな」

「はい」

「僕たちは隣に越してきた☆☆です。そんで、これがうちの息子」

「これのたつきや」

「おう、俺はえみやしろうだ」

「竜樹も士郎くんと同じ学校に通うことになると思うから、面倒みてあげてくれるかしら?」

「ああ、わかった」

 士郎は快く引き受けてくれた。

 衛宮家を後にして、幼い姿が見えなくなると父は感心したような顔で頷いていた。

「しっかりしているな、士郎くんは」

「きっとおれより年長や」

「そやな。しっかり過ぎやわぁ」

 まるで、いけないことのように父は言った。それを聞く母も悲しそうな顔をしていた。父が酔った勢いで怪我をしてきたときの顔と同じだった。ならば士郎もどこか怪我をしているのだろうか。

「なぁ、竜樹」

「なんや。今、考え事しててん」

「もし、士郎くんが困っていたら、助けてやるんだぞ」

「そんときおれがまだおったらなー」

 そういえば、このときの父に訛はなかったと竜樹は後に思った。

 

 

1.《朝餉》

 

「んが」

 誰かのいびきで、竜樹は目が覚めた。辺りを見回すが、和室には誰もいない。

 マヌケな話だが、自分のいびきだったようだ。

「んだよ、まだ5時じゃねぇか」

 冬の朝の冷え込みは厳しい。部活に所属しておらず、特にすることもない男子高校生が次にとる行動は二度寝だ。

 頭から布団にくるまって寝転んだ。がすぐにパチリと目を開く。小さくだが、玄関の引き戸が開く音がしたのだ。聞き間違いではない。真っ直ぐ部屋に向かってくる足音に、竜樹はにんまりとしそうになる口元を引き締め、改めて目を閉じた。

「失礼します」

 背中を向けている襖がするすると開けられたようで、布団越しの空気がひんやりとする。

「先輩、おはようございます。朝ですよ?」

 畳を擦るような音が一歩ずつ、背中に迫ってくる。

「起きてください。朝ごはん、私が作っちゃいますよー」

 ぜひそうしてください、と言い出しかける口を手で押さえ、もう一歩近づくまで竜樹は息を潜める。

「先輩?」

 そして畳を擦る足音が聞こえると同時に布団を跳ね上げた。

「きゃっ」

「さっくらちゃーん!」

 飛び出した勢いのまま竜樹は、目の前の後輩を目掛けて両手を広げ、

「うぎゃっ」

 足元に絡まった布団でバランスを崩し、畳にしこたま顔面を擦りつけた。

「いてててて」

「秦先輩、どうして衛宮先輩の部屋で寝てるんですか」

「いつもは虎がいて近寄れねぇし、桜ちゃん意外とガード硬いし、士郎のフリして待ってりゃ油断すっかなって」

「先輩、最低です」

「だ、だってよ、士郎のヤツはいっつも桜ちゃんのモーニングコールで、俺は虎だぞ。俺だって桜ちゃんに起こされたい!」

 士郎の家に桜が出入りするようになってから一年が経つ。どういうわけか、初日から姉貴分兼教師の藤村大河が竜樹を桜から遠ざけ、半径一メートル以内に近づこうものなら、竹刀で滅多打ちにしてくるのだ。

「やっぱ顔か。顔が悪いのか」

「というより、行いじゃないでしょうか。先輩、学校でなんて言われているか知ってます?」

「知らん。俺が知っているのは全女子生徒のスリーサイズだ」

「……」

 桜がドン引きしていた。

「それだから穗群の『欲望』って言われてるんですよ。あ、ちなみに衛宮先輩は『理性』って言われてます」

「士郎が?むっつりで、押し入れにエロ本隠してて『理性』とか笑える」

「その話詳しく」

 と、桜が身を乗り出してきた。

「なにやってんだ、二人とも」

「おはようございます、先輩」

「なんだ、士郎。土蔵で寝てたんじゃねぇのか」

「でかい物音がしたから見に来たんだ。お前こそ人の布団、破くなよ」

「あ?わりぃ」

 隅の方に飛ばされた布団が捩じれて、ところどころ綿が零れていた。

 布団をテキパキと片付ける士郎を尻目に、竜樹は桜にアイコンタクトを送る。

「そういえば、布団借りるついでに家探ししたら、お前の秘蔵もの見つけたんだけどよ」

 士郎は押し入れにしまおうとしていた布団を落とした。

「実にバラエティに富んでたな。巨乳に美乳金髪黒髪あばばばば」

「おま、桜の前で何口走ってんだ!」

 顔を真っ赤にした士郎が枕を押し付けてきた。手を放してもらわないと息ができない。

「先輩、わた、私、聞こえませんでしたから!」

 これまた赤い顔で桜が否定になっていない否定をしていた。

「俺は今、こいつの息の根を止めないと安心してはいけない気がする」

「てめっ、この」

 地道に鍛えている士郎に腕力では敵わない。ましてや元運動部。ならば、竜樹は竜樹らしいやり方で対抗する。指を立て、躊躇なく士郎の顔向けて突き出した。

「お前のやりそうなことくらいわかるぞ」

「しろ……の、……せに」

 目つぶしをかわされ、もはや打つ手なし、と竜樹は沈みかけていた。

「おっはよう!士郎、タツキチ見なかった?」

 途端に、圧力が消え、息が吸えるようになる。

「ここで寝てる。……藤ねえに感謝しろよ」

「おま、まじ、覚え」

「なになに、みんなで楽しんじゃって」

「なんでもないさ。桜、朝飯つくるから手伝ってくれるか」

「はい」

 

 結局、士郎とは引っ越してきて以来の近所づきあいとなった。その間に、士郎がじいさんと呼ぶ――衛宮切嗣の死や竜樹の父の海外転勤、母がそれについていくなど、お互いの家庭環境は変わってしまったが、ケンカをしたり食事を共にしたりする仲で落ち着いていた。大河に言わせれば兄弟のようだが、竜樹にとっては友人以上で家族以下、幼馴染という言葉が一番近い。もちろん、その中には大河も含んでいるし、士郎だってそう思っているはずだ。

「なぁ、俺のメシ、これだけ?」

 食卓には湯気昇る白米に焼き魚、煮物にサラダ。味噌の香りが食欲そそる豆腐の味噌汁が並んでいる。だが、竜樹の前に置かれたのは、茶碗半分のごはんに梅干しが一個。

「健康な男子高校生になんたる仕打ち」

「あるだけでも有り難いと思え」

「可愛いらしいじゃない、日の丸みたいで」

「ピエロの鼻にも見えますけど」

 何気ない桜の発言が、もっとも竜樹の心を抉った。

「いいさ、いいさ。どうせ俺はしょうもない道化ですよーだ」

 さっさとかき込むと、竜樹は寝転んでテレビをつけた。何か別のものに目をやらなければ、隣に並ぶ大河のおかずを奪ってしまいそうだ。

「こらこら。食べてすぐ横になると、お腹が痛くなるのよー」

「痛めるほど食ってないから大丈夫っす」

「行儀が悪いんだぞ」

「アンタだって、新聞読みながらメシ食うてますやん」

「むぐ」

 大河との応酬の傍らで、竜樹はニュース番組しかないチャンネルと次々に変えていく。

「お。万里ちゃん、今日もかわええの」

 朝のお天気キャスター、粕谷万里。グラビアから転向後、猛勉強をして天気予報士の免許をとったらしい。ここ一週間はインフルエンザで公休し、中堅キャスターが代理を務めていた。病み上がりでも各雑誌の表紙を総なめした体型は健在で、朝から男性諸君の意欲を惜しみなく向上させてくれる。

「え、もうそんな時間?」

 毎日、竜樹が万理を観賞しているため、番組で時間を計る癖がついたのか、大河が席を立った。

「ごちそうさま、朝練行ってくる」

「待ってください、藤村先生。私も行きます」

 大河が顧問を務める弓道部は時間に厳しい。大河は大変マイペースで自由人なのだが、主将が典型的な武道の人なので、遅刻はそれなりにペナルティがあるらしい。

「二人とも気を付けてな」

「いってらー」

 ごろりと倒れた頭上をどたばたと二人が出ていく。

 慌ててついていった桜も一年生部員として、精を出して頑張っているようだ。

「残念、見えなかったか」

「なにがだ?」

「桜ちゃんのパンツ」

 士郎は無言で食器の片付けを始めた。彼も二か月前までは彼女たちと同じ生活サイクルにいたのだが、大会に出場することなく辞めてしまった。

 腕はいいのに、と大河が溢していたのを竜樹は記憶している。見るからに人付き合いが下手くそな男なので、団体行動する部活自体、長く続くはずがないと竜樹は思っていた。

 水を流す音が止まった。支度をしようと竜樹が立ち上がると、食卓の上の食器が目についた。主夫歴のある士郎にしては珍しい。

「おーい、皿残ってるぞ」

キッチンに声をかけるが、士郎は洗い物を終えて、着替えに行ったらしい。

「しょうがねぇな。……どっこいせっと」

 伸ばした手を竜樹は途中で止めた。残っているのは一人分の皿で、おかずもそのまま手を付けられていない。

「大河は食べ残さねぇし、桜ちゃんもあれで食い意地張ってるし」

 大河と違って栄養は身体の一部分に吸収されているようなので、許すが。

「あいつは決めた分量しか食べないし、弁当用か?」

 誰もいないのに思わず辺りを見回してしまう。これくらい食べても、いやいやバレたら飯抜きになるかもしれん。空腹との激戦を経て、竜樹は皿にラップをかけて冷蔵庫にしまうことにした。

 一旦、カバンを取りに家に戻ってから、のんびりと竜樹は学校に向かった。今日は朝早くに起きたせいか、あくびが止まらない。

「竜樹」

「し、士郎じゃねぇの。ぐぐ偶然だな」

「何言ってんだ?さっきまでウチにいただろ」

「ははは、ソウダタネ」

 怪訝そうな顔をしているが、いつも通りの士郎だ。

「もう怒ってないから、その気持ち悪い言動やめろ」

「うっす」

「ほら、弁当」

「さんくす」

 青い包みの弁当袋をしまい、カバンを脇に挟んだ。

 竜樹が通う高校は、歩いて三十分ほどかかる小高い丘の上にあった。文武両道の精神を育てる穗群学園として地域では有名だ。遊びまわっていた竜樹の成績ではとても入学できない雲の上の学校だったのだが、怠惰な竜樹を見兼ねた大河が家庭教師となり、補欠入学となった。おかげで歩いて通えるので、今では感謝している。

 途中、洋館が立ち並ぶ方角と、士郎や竜樹の家のある和式の家が並ぶ道の三差路を曲がり、上り坂を進んでいく。

 ここまで来ると学園まで一本道なので、学生服が集まり始める。見知った顔もちらほらいた。

「坂なんて、なく、なれば、いい」

「ただの運動不足を坂のせいにするなよ」

「うっせ、筋肉、バカ」

「はいはい。先行くぞ」

 すいすいと歩いていく士郎に必死に追いすがるが、息が上がってしまい、足が前に出ない。

 ひいひい言いながら昇りきるとようやく校門が見えて来た。門の脇には仁王像よろしく、腕章を嵌めた生徒たちが時間を確認している。生徒会以上の堅物が揃うと噂される風紀委員だ。

 竜樹の場所から校門までおよそ五〇メートル。校舎の時計は八時九分。閉門まで残り一分を切っている。腕章をつけた男子生徒が、門に手をかけた。

「ちょっとマテェいっ!」

 重い足に鞭打ち、竜樹は力を振り絞って走り出す。鉄門は重く、閉められていく速度はゆっくりだ。あと一歩、僅かな隙間に滑り込ませようと一歩踏み切った瞬間、閉門した。

 むろん慣性に則って、竜樹は勢いよく鉄柵に頭から突っ込んだ。

「んが!」

 クリップボードを手にした生徒が、事務的に遅刻者を記録しては門から中へと入れ始めた。崩れていた竜樹はむくりと体を起こした。

「はい、学年クラスと名前を」

 風紀委員の襟を見ると、Iの学年章が光っていた。まだ新米だ。

「あんさん、目の前で倒れている人間にそらないやろ?」

 竜樹は鉄門を掴み、ずいと顔を寄せた。

「走っとる人間の真ん前に、こんなぶっとい金属当てたら死ぬやんけ。見てみぃ、血ぃでとるやないか」

「そんな擦りむいたくらいで大げさな……」

「あんさん医者か? 医者でもないのに頭の怪我を甘く見たらあかんとちゃいます?」

「それはそうですけど……」

「ほな、悪化したらあんさんに慰謝料請求させてもらいますわ」

「そんな! こ、困ります」

「せやったら落とし前つけんかい。ここ開けてーな」

「そ、それは学年や名前を記帳してからでないと」

「そこを融通利かすから落とし前なんや。ええんやで、わいは慰謝料でも」

「ううっ……」

 風紀委員はうつむいて黙り込んだ。あとひと押しすれば落ちると竜樹は内心にんまりと笑って風紀委員の苦悩を眺めていた。

「なら、私が払ってあげるね、秦くん」

「げ」

「ふ、藤村先生ぇ」

「よく耐えた、あとは任せなさい」

 風紀委員は泣きそうになりながら、大河へ一礼すると仲間の元へ向かった。

 これはまずい。大河が相手となれば話術は効かない。

「下級生をいじめちゃダメよー?」

「えー? ボク、被害者なんですけどぉ」

 竹刀を肩に担いだ大河と丸腰の竜樹。二人を隔てる障害物はたった一つだ。

 にこやかに会話していた大河と竜樹が門を掴んだのは、ほぼ同時だった。

「こらタツキチ、手を放しなさい」

「嫌じゃ!野生の虎をみすみす放つような真似できるか」

「トラっていうなーー!」

 手加減を忘れた大河の突きが額にもろに入った。柵の間から寸分狂いなく、竜樹の意識を奪うには十分すぎる一本だった。

 

 

2.《優等生》

 

 保健室で目覚めたら、昼休みになっていた。

 ぐっすり眠ったおかげで疲れはとれたが、腹が減って仕方がない。

購買の誘惑を掻い潜り、二階に上がる。教室に戻ってきた頃には、ほとんどの生徒が食事を終えていた。

「くそ、大河のヤツ……」

 途中、窓ガラスを見たら額に餅のように膨れたたんこぶができていた。どおりですれ違う生徒がくすくす笑いながら竜樹を見てきたわけだ。モテ期だと思ったのに。

 席に着いて、大河あたりが持ってきてくれたのだろうカバンから目当てのものを引っ張り出していると、隣の席からじとっとした視線を向けられていた。

「朝から見せつけてくれるね」

 クラスメイトの築地和哉だ。この男、どういうわけか、藤村大河が理想のタイプだという変わった男子生徒だ。入学早々、「アンタ、あの子のなんなのさ」とガンを飛ばされ、大河に名前呼びされたところを聞かれて呪怨をかけられ、近所に住む幼馴染だと理解してもらうまで半年かかった。

「婚期過ぎてもお前がもらってくれりゃ、安心だな」

「……僕は、キミが一番の恋敵なんじゃないかと思えてきた」

「どあほ。お前の早とちりで殴られる身にもなれよ」

 鼻で笑ったのが不満なのか、築地は真剣な顔のままだ。

「前にも言っただろ、俺のタイプはボン、キュッ、ボン。あいつじゃスタイルが足りねぇの。せめて桜ちゃんクラスじゃねぇと」

「間桐の妹だね。あれはキミの手に余ると思うけど」

「だよな。手から零れ落ちるほどにたわむ乳!」

 前の席に座る女生徒が、汚物を見るような目で見ていた。雑談は築地もしていたというのに、女子の嫌悪は竜樹が独り占めだ。

「ほんとバカだね」

 呆れたように築地は息を吐いた。

 取り繕うように笑い、取り出した弁当箱を広げた。

「さってさて、今日の衛宮弁はなんやろな~」

「毎回思うけど、男のお手製弁当でよくそんなに喜べるものだね」

「たしかに。おかずは夕飯の残りもんでかわり映えしねぇし」

 だが、味には満足しているし、なにより食費がかからない。残飯処理くらい寛容な心で目をつぶろうではないか。

「それ、衛宮が言うならわかるんだけどね」

「そういえば士郎は?」

「キミの鞄を置いて出ていったよ。生徒会長直々のお勤めに」

「またパシられてんのか」

 昔から日曜大工の真似事をしてきたせいか、士郎は修理や組み立てが得意だ。

 寺育ちの生徒会長がケチで、ちょっとやそっとじゃ備品の買い替えの許可を出さないせいで、よく備品の点検に駆り出されている。

「いくら会長っつっても、贔屓じゃないすかー?」

「ならキミが代わってあげれば?」

「ふっ、俺にはやるべき使命があるのだよ」

 部活動で汗を流す女子高校生の観察とか。

「考えてること、顔に出てるよ」

「そこは口だろ」

 築地は眉を寄せた。

「垂れ下がった目尻、伸びた鼻の下、半開きの口から涎。どんなことかなんて聞きたくもないけど」

 わかってしまう自分が嫌になる、とうんざりしているようだ。

「失礼な。俺は一途な男だぞ」

「ま、確かに。入学式、公衆の面前で女の乳を揉むような奴だからね」

 すぅっと背筋が凍った。

「一撃で返り討ちにしてた彼女の名前、なんだったかな」

 思わず、股間を押さえた。

「秦は盛りのついた万年犬だからね、ああいう女に手綱握ってもらえば案外出世するだろうね」

「……朝の仕返しのつもりかよ」

「当然だろ。僕のタイガーを独り占めした罰さ」

「プロマイドSランク券で手を打とうじゃないか」

「……ほんとキミって」

 と、築地が言いかけたとき、教室の扉が勢いよく開かれた。

「秦くん、いるー?」

「ふ、ふふふ藤村先生!」

 噛み噛みの築地に気づかず、大河は一目散に大河に近づいて来た。

「朝のホームルームで伝え忘れちゃったんだけど、今学期の遅刻十回目、達成しちゃったんだよねー」

 家を出る時間は士郎と同じはずなのになんでかなー、とうんうん唸る大河はこれでも教師。C組の担任だ。

「ってわけで罰掃除。今日からだからサボっちゃダメよー?」

「……うーっす」

「よろしい。それと午前の授業の補習もあるから」

「なんでやねん」

「テストも近いし、赤点補習の前倒しみたいな?」

「ほんっと藤村先生って生徒想いですね。教師の鑑だなぁ」

「真面目な顔で生徒の弁当つまみ食いしてる奴のどこがじゃ」

 大切に残しておいた唐揚げは、既に大河の胃袋へと消えてしまった。

「というわけで築地くん、もぐもぐ、逃げないように見張りお願いね」

「任せてください、藤村先生」

 大河は去った。去り際に卵焼きを口に挟みながら。

「ちくしょう。大河のやつ、肉類全部かっぱらいやがった」

「ふふふ、は・だくん」

 そして築地は般若となっていた。ぎりぎりと歯ぎしりがうるさい。

「ただの事務連絡だろうが。お陰で大河と話せただろ」

「ありがとうございます!このクソ野郎」

「笑顔で暴言とか器用よな、お前」

 ときどき築地がわからなくなる。

 

 

 

 文武両道を理念に掲げる穂群学園の学校施設は公立でありながら充実している。丘の上の広大な敷地を活かして建てられた弓道場や剣道場、体育館など学生だけで使用するには勿体ない設備が立ち並んでいた。

 つまり、広い。全校生徒が集まっても余りある広大な床に、モップを片手に立ち向かうなど、歴戦の亡者でも逃げ出すに違いない。表向きは学生自らの精神を鍛えるためと言っているが、清掃業者が引き受けないだけじゃないかと竜樹は思う。

 だが、やらないことには帰れない。監視と称して煎餅かじっている大河もいることだ、竜樹はせめてフリでも掃除をすることにした。

「ふつー、罰掃除って言ったらトイレが定番じゃね」

「それを理由にして女子トイレに入るからダメ」

「その手があった」

「だがしかし! 全校トイレは私監修のもと、他の当番くんによってピカピカに磨き込まれているのでしたー」

 きっと、築地とかいう当番員だ。

「せめて部活動中だったらやる気もあがるのによ」

「朝練ならともかく今週は無理そうだわー。職員会議で決まっちゃったから」

「無情な!藤村先生が運動不足で肥えたらどうすんですか?」

「こ、肥えないもん!」

 確かに顧問と言えども、弓は射ず、技術的な指導は滅多にせず、お茶や茶菓子をほお張って見ているばかりだから、部活動が休止したくらいでは大して変わりはないのかもしれない。

「ふふん、そうやって掃除を手伝わせようとしたってその手には乗りませーん」

「チッ」

 いくら花より団子の大河であっても有段者だ。逃げきる前に朝の二の舞になるのは目に見えている。竜樹は腹をくくって、黙々と奉仕することにした。

 

 

 

「お、終わった……」

「うんうん。竜樹はやるときはやる子だものねー?」

「ヒマで飽きたアンタがバケツをひっくり返さなきゃ、もっと早く片付いたんスけどねぇ」

 大河はへたくそな口笛を吹いて、横を向いていた。

「というか、生徒を早く下校させないといけないから、掃除当番もホントは免除だったりー」

「……なぬ?」

「でもほら一応、校則だしー? それに今日は士郎がバイトだから、時間稼ぎもできて一石二鳥みたいな?」

「ということは、帰れば桜ちゃんと二人きり」

 しかも、今晩は桜の手料理。

「こうしちゃおれん、一刻も早く帰らねば」

「わたしも戸締りしたら帰るから、あんまり迷惑かけちゃダメよー?」

 大河の忠告も耳半分に、竜樹はカバンを掴むと、弓道場を飛び出した。――ところで、「きゃ」と可愛らしい悲鳴にぶつかった。

 条件反射で相手よりも先に、舞い上がったスカートの中からあらわになった黒いニーソックスに目が釘付けになった。

 黒のニーソ。すらりとした脚に無駄な肉のない尻。間違いない、ヤツだ。

「貧乳のお凛!」

「……ごきげんよう、秦竜樹くん」

 背筋が凍りつくほどの笑顔あふれる遠坂凛がそこにいた。

 

 




衛宮さんちがもう少し進行してからになるけれど、
(はだ)家の引っ越し先が某洋館のおとなりさんなIF話もそのうち更新したいなぁ。
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