今日も元気にメゼポルタ広場からお届けします。【完結】 作:沙希斗
なので、こういう出来事もあるのかもしれません。
一万字を超えてしまったため、分けて投稿しようかとも思ったんですが、他の方の作品を見るに短編でも長い物も見受けられましたので、今回は分けずに投稿する事にしました。
なので今までのものよりも読み応えがあるものになっていると思います。
※かなりグロテスクな描写が含まれておりますので、苦手な方は注意して下さい。
二人で【火山】の依頼をこなしていたアレクトロは、ベナトールの様子がおかしいのに気が付いた。
なんとなく彼の息遣いが、僅かながら荒いような気がしたのだ。
それはきっと、勘の鋭さが無ければ気付かない程の異変だったろう。
始めは、また【クーラードリンク】をうっかり忘れて来たのだろうと思った。
だが、それならばもっと大きな呼吸をするはずなのだ。
彼が今している呼吸は、上がった体温を持て余すような大袈裟なものではなく、どちらかというと入る酸素の量がいつもより少ないような、普段よりも浅い呼吸。それは僅かな差だったのだが、彼が自分から体の不調を訴える事はまずないので、気になった。
「オッサンよ、ちと止まってくれ」
溶岩のエリアから離れている、砂礫と岩山で構成されたエリアである《2》に入ってもその呼吸が変わらないのを見抜いたアレクトロは、声を掛けた。
「どうした?」
声の調子がいつもと違うと判断したベナトールは、止まって向き直った。
ちなみに今回の狩猟ターゲットは【ショウグンギザミ変種】なので、今いる《2》には絶対来ない。というか戦闘に入るどころかまだ見付ける前だったにもかかわらず息遣いがおかしかったので、アレクトロは声を掛けたのだった。
「どうしたじゃねぇよ、あんたどっか体の調子悪いんじゃねぇのか?」
「……いや? 何も問題は無いが?」
アレクトロは少しの間無言で彼を見(正確にはそうしながら彼の呼吸を聞き)、溜息を付きつつ言った。
「隠すんじゃねぇよ……」
ベナトールは黙っている。
「オッサンよ、俺が気付かねぇでいられるとでも思ってんのか?」
「…………」
「俺の勘の鋭さはあんたも分かってんだろうが? 苦しいなら痩せ我慢しねぇでさっさと回復してくんねぇかな? 戦闘前だからってアイテムケチる腹なら無理矢理口ん中――」
「……回復は出来ん」
「――へ!?」
思わず間の抜けた返事をしてしまったアレクトロに、ベナトールはもう一度言った。
「回復は出来んのだ。これはな」
「どういう、こったよ?」
ベナトールは隠すのを観念したかのように、次のように言った。
「……。俺の肺の中にはな、今【フルフルベビー】が入っているのだよ」
「な――!?」
「王族の依頼でな、強いハンターの体内で育てて強い戦闘能力を備えて生まれて来るかどうかの実験をする事になったんだと。【モンスター闘技大会】に少しでも強い【モンスター】を出させるためにな」
「だったら、他の【モンスター】を鍛えて……」
「そう思うだろ? だがな、王族貴族の御婦人方には【フルフル】が殊の外人気なのだそうな。まあハンターの中でもこ奴を好きな輩は、特に女には多いらしいのだが……」
「でもよ、それなら入れられたハンターは内臓を喰い尽されるんじゃ……」
「安心しろ、肺の中だけに留まるように脳の一部を特殊改造されている。まあそれでも出て来る頃には片肺がほぼ無くなってるだろうがな。だから出てから【秘薬】を飲むつもりでいるのだよ」
「そんなんで肺が復活すんのか!?」
「そのために、なるべく肺活量が多く、肺の大きなハンターが選ばれているのだ。まあ俺の場合は【ギルドマスター】が依頼を受けた時点で自分で申し出たんだがな」
「なんでそんな事を……! てか、何で肺なんだよ?」
「王族は大事なスポンサーだからなぁ、【マスター】も無下には断れんのだよ。だからその手助けが出来るなら、【ギルドナイト】たる俺はむしろ願ったり叶ったりな訳でだな。あぁそれと肺なのはな、そこに留まる事でそれだけ酸素を効率的に得られて、それだけ早く、またハンターの呼吸に合わせた成長をするからなんだとさ」
「……。入ってんのはどっちだ?」
「右だ。左は心臓の位置の関係で、右より少し小さいからな」
「あんたその状態で依頼を受け続けるつもりなのかよ? それに【仕事】に支障あるんじゃねぇのか?」
「最悪片肺が全て無くなったとしても呼吸は出来るからな。ただ通常より酸欠状態になるのが早くなるのは否めん。だからキツイ依頼はなるべく受けたくないし、【仕事】も集団戦は回って来ないように【マスター】が調節して下さっている。俺としては個人の暗殺よりも、集団での殺害依頼の方が好みなんだがなぁ」
「悪魔かよあんたは……」
「好きに捉えてくれて構わん。俺は依頼があれば【仕事】としてこなすだけだからな。ただどうせ殺すならこっそり殺すより、死闘の果てに殺す方が好きなだけだ。その方がただ一方的に殺されるよりも、相手も反撃のし甲斐があるだろうからな」
「……。戦闘好きなのは【モンスター】との闘いぶりを見て分かってたが、そんな闘い方してたらマジで死ぬぜ?」
「『殺す』事を仕事にしている以上、報いを受ける覚悟はいつでも出来ている。ただ出来れば【フィールド】で死にたいとは思ってるがな」
「そういう点ではハンターらしいんだな」
兜の中で苦笑したアレクトロに、「まあな」と口の端を持ち上げたベナトール。彼がその表情を察した直後、急にベナトールは咳込んだ。
「ゴフゴフッ!」
僅かながら喀血もしている。
「お、おい!?」
「はぁ……っ! あぁこれはな、成長の過程で肺を食い破る関係でな、その時だけはどうしても……っ! ゲフッ!」
「馬鹿野郎! そんな苦しいんなら依頼受けてんじゃねぇよ!」
「苦しいのは肺を食ってる時だけだ。それが治まればどうって事はないのだよ」
「なに嘘みてぇにケロッとしてんだよてめぇは」
何事も無かったかのようになったベナトールを見て、アレクトロは呆れた。
「いつ起きるか分からねぇのに戦闘中だったらどうするつもりだ!?」
「その時は耐えながら頑張るさ。それに耐えられるからこそ【マスター】も入れるのを認めて下さった訳だしな」
「んな無茶苦茶な……!」
「それにこのくらい、肺がまともに機能してねぇ時に一人で【ラージャン】討伐しやがった奴に比べたら、何でもない事だと思うがな?」
自分を見ながらニヤニヤ笑っているのを察したアレクトロは、なんとなくバツが悪そうな顔をして頭に手をやった。
彼には以前、カイと二人でクエストに行って【ラージャン】と遭遇して攻撃され、肋骨を折ってそれが肺に刺さるという重傷を負いながらも、瀕死になっていたカイを助けるためにその状態のまま闘い続けて討伐した。という出来事があり、当時医務室でベナトールに呆れられたからである。
その様子が可笑しくて含み笑いをしようとしたベナトールだったが、まだ後遺症が残っていたらしくて再び咳込んだ。
ベナトールという男は、元からどんなに重症を負ったとしても平然と戦闘をやりこなす奴だし、滅多な事では攻撃を食らわない奴でもあるので、【クエスト】自体は何事もなく成功した。
【街】に帰ってクエストの結果を【ハンターズギルド】に報告しようと二人で歩いていると、【メゼポルタ広場】の彼らから少し離れた場所で、突然ハンターの一人が苦し気に喀血しながら蹲った。
「お、おい大丈夫か!?」
二人が駆け寄ると、
「……。【被験者】か?」
ベナトールは周りに聞こえないような小声で言った。
別に【ハンターズギルド】が公式に隠している訳ではなかったのだが、あまり公けにして良いものではないからである。
相手は大柄な男である。彼は苦し気に喘ぎながらも、その言葉に不信な目を向けている。
「正直に答えろ。【被験者】なんだな?」
彼はなおも黙っている。
「安心しろ、俺も右肺に【ベビー】を入れている。お前と同じだ」
その言葉を聞いて、ようやく男は擦れた声で「……そうだ……」と答えた。
「答えてくれた礼を言う。その状態では出るのも時間の問題のはずだ。医務室で出るのを待った方が良い。【マスター】には俺が報告する。それで良いな?」
男が頷くのを確認し、二人で医務室に運んだ。
「医療係! 【被験者】だ」
「畏まりました」
声を掛けると話が通じているのだろう。普段ハンター達に宛がわれるベッドのある大部屋ではなく、別の部屋に運ばれた。
【ギルドマスター】の所へ行き、【被験者】の報告がてら自分達のクエスト報告もついでに行う。
依頼を受けたハンターは、必ずクエスト結果を【ハンターズギルド】に報告しなければならない決まりがあり、それは貰う報酬の額や素材などに影響するものなのだが、大抵は受付嬢に証拠として剥ぎ取った素材と書類を提出するだけで済むため、直接【マスター】にまで報告に行く必要はない。ただしどちらにせよ不正があると【マスター】直々に罰が下されるため、直に【マスター】に報告した方が早かったりもする。
まあハンター自体の数が多過ぎてその日だけではとても一人一人の報告を受けられないのもあって、わざわざ直に報告に行くハンターは滅多にいないのだが。
「――左様か。了解した」
「今現在、【被験者】は何人程度なんですか?」
「五十人くらいかのぉ……」
「けっこういんだな……!」
尋ねたアレクトロは思った以上に実験に参加している事を知って驚いた。
「比較のために、ある程度の数は必要じゃからな。じゃがのぉアレクトロ。その中には成長過程に耐えられずに途中で死んだりだとか、戦闘中にやられたりだとか、【フルフルベビー】が出る過程で出血多量を起こして死んだりだとかする者もいてのぉ。じゃから【被験者】の数は多ければ多い程良いらしい。儂としては狩猟以外で命を落とす行為をさせるのは耐えられんのじゃがのぉ……」
「辛い所ですな……」
「んむ……。そういやお主の【ベビー】の育ち具合はどうなのじゃ?」
「入れて三日程ですからどうとも言えませんな。出るとしたら後一週間ぐらいでしょうか……」
「さっきのハンターは今にも出そうだったのに、個人差があんのか? いやに日にちが掛かるもんなんだな?」
「個人によって入れる【ベビー】の大きさや育ち具合を計算されているからな。俺のはじっくり育つタイプなんだそうな」
「んじゃさっきの奴に入ってたのは早く育つタイプだったという訳か? そりゃまたどうして?」
「少しでも早く出さないと【本体】が耐えられん場合と、そうでない場合があるからじゃよ。当然長く【本体】に留まらせるほど強い【フルフル】になるのではないかと言われておる。まあこれはあくまでも実験段階じゃから、まだ結果は分からんのじゃがな」
「長くいるタイプってよ、それだけ【本体】の負担がデカいんじゃ……」
「……。まあ、それを耐え得る体力があるからこその【被験者】なのだ。俺はな」
「すまんのぉベナトール。そういう【被験者】はほんの一握りじゃから貴重なのじゃよ。儂としてはあまりお主に負担は掛けさせたくないのじゃがのぉ、【仕事】にも影響するしのぉ」
「何をおっしゃいますやら。志願したのは俺なんですから」
「じゃが許可したのは儂じゃからのぉ。最終的には儂の責任になる。お主に何かあったらと思うと心配でのぉ」
「大袈裟ですぜ【マスター】。例え片肺が無くなったとしても【秘薬】を飲めば復活するんですから心配には及びません。その間呼吸が止まる訳でもないんですから」
「分かってはいるんじゃがのぉ……」
「そんなに心配なら途中で出す訳にはいかないんですかい? それでもある程度は育っているんでしょう?」
アレクトロの疑問に、【ギルドマスター】はこう答えた。
「自力で出るまで育たないと死んでしまう関係で、また他の者に入れなくてはならなくなるのじゃ。それに途中まで育ったものを入れるとなると、それこそその者に相当な負担がかかる。下手をすれば入れる途中で死にかねん」
「なるほど、やっかいなもんですね……」
「ただの【フルフルベビー】なら、途中まで育った段階でも出せるんだがな。が、それはそいつを生かす必要がねぇから出来るんであって、今回のように生かす必要があるものは、自力で出るのを待つしか方法がないのだよ」
「そうなのか……」
「どうじゃ? お主も入れてみるか?」
「冗談言わないで下さいっ!」
「かっかっかっ。勇気の無い奴じゃのぉ」
「いやそういう問題じゃないのでは……」
一週間後――。
その頃には流石の彼もかなり肺機能が低下しており、クエストを休みがちになっていた。
当然【仕事】もこなせる状態ではなく、他の者に任せて部屋で休む事が多くなった。
ハナに隠せなくなったのは五日ほど経った頃だったのだが、それでも今まで彼女のクエストに同行していた事を考えると、かなり無理をしていたに違いない。
入れて間もない頃には「片肺でもなんとかなる」と豪語していた彼なのだが、自身の体躯と筋肉を維持するには通常の者よりもより多くの酸素を必要とするらしく、なので今の状態ではかなりしんどそうだった。
喀血の量が多くなり、いよいよという頃、報告を受けた【ギルドマスター】は、希望者を彼が宛がわれている特別室に招き入れた。
それほど彼の中に入っている【フルフルベビー】の存在が注目されていたからである。
それらは主に実験依頼を提供した王族だったり【フルフル】好きの貴婦人方だったりしたのだが、その中にアレクトロはいた。
カイとハナにも一応話はいっていたのだが、どちらも「見たくない」と断ったのだ。まあどちらにしても最後まで見届けるつもりでいたので、彼らの代表というつもりもまったく無く参加していたのだが。
大勢に見守られるのは良い気がしなかったベナトールだったが、【マスター】が呼んだ手前追い出す訳にもいかないので、目を閉じて喘ぎつつ、その時を静かに待つ。
やがて急に上半身を起こし、苦し気に喀血し始めた彼の右胸が、中から大きく膨らみ始めた。
そして皮膚を食い破りながら、まず何列もの細かい牙が同心円に並んだ、円筒状の頭が現れた。
その口だけで出来ているかのような頭が、蠢きながら徐々に傷口を広げ、血塗れの首をにゅうっと伸ばして辺りを窺うように見回した。
いや「見回した」というよりは「臭いを嗅ぎ回した」といった方が正確だろう。なぜなら元々【フルフル】には目が無い(退化して皮膚に埋没している)からである。
こんなもん見た日にゃあ、あいつらはこの段階で卒倒してるだろうな。
そんな光景を眺めながら、アレクトロは二人を思い浮かべて苦笑した。
体内から首だけ伸ばしてしばらく嗅ぎ回る仕草をしていた【フルフルベビー】は、首を縮めて意を決したように、ゆっくりと外に出始めた。
が、肩口が出たあたりで自力で出切るまで我慢出来ないとでもいうように、ベナトールが首をむんずと引っ掴み、なんとそのまま引き摺り出したのだ。
無理矢理引き摺り出したもんだから傷口が大きく広がって抉れ、右胸全体に赤い空洞が出来たかのようになっている。そう見えた次の瞬間、当然のように大出血し、鮮血の血飛沫が彼の前方に吹き上がった。
「がはぁっ!!!」
大量喀血したベナトールは、それでも血を浴びながらビチビチと暴れる【フルフルベビー】を見詰め、次のように言って血だらけの口で破顔した。
「よぉベイビィ、待ってたぜぇ!」
この精神力にはその場に居合わせた全員が、戦慄に身を震わせた。
暴れていた【フルフルベビー】はずるっと滑ったように、彼の太腿付近に着地した。
血で滑ったのか、彼の握力が無くなったのかは分からなかったが、後者だと思われる。
なぜなら疲れたかのように、彼が今まで起こしていた上半身をベッドに預けたからである。
出て来た【フルフルベビー】は、未発達の翼を持つ小さな【フルフル】のような姿をしていた。
ベナトールは苦し気に喘ぎながらも、静かな眼差しで【フルフルベビー】を見詰めている。
と、皆が見守る中、【フルフルベビー】は体全体を縮めるようにしてジャンプし、彼の腹の上に着地した。
まるで親を慕うかのような仕草に、【フルフル】好きの貴婦人方が「まぁ可愛い♪」などとにこやかに話し合っている。
が、そうではない事を居合わせた全員が目にする事になった。
【フルフルベビー】が尾の先を円状に広げ、吸盤のようにしてベナトールの腹に吸い付けたのだ。それが何の予備動作を示すかを知る者は、そうされているベナトール本人と参加しているアレクトロ、そして見学者を招き入れた【ギルドマスター】の三人だけであった。
ハッとなったアレクトロが動く間も無く、血に濡れたままの【フルフルベビー】の体全体が青白く発光、放電した。
ベナトールは歯を食い縛り、呻きもせずにビクビクと痙攣している。いやもう呻く力も無いのかもしれない。
今の彼にとっては放電中に気絶してもおかしくない程のダメージなはずである。なのに放電が終ると嬉しそうな目で【フルフルベビー】を見た彼は、苦し気な擦れた声だがハッキリとこう言ってのけたのだ。
「……でかした、ベイビィ……」
そして驚愕の目で見守られる中で、彼は口元を笑みの形に歪めてから目を閉じ、体全体の力を抜いて、ベッドに沈ませた。
「オッサン!!」
思わず固まっていた身を弾かせるようにして、アレクトロはベッドに駆け寄った。
もしやと狼狽しながら震える指を頸動脈に持って行こうとし、僅かながら息をしているのに気が付いて、安堵の長い溜息を漏らす。
「アレクトロよ、ベナトールはもしや――」
「御安心下さい、生きてます」
慌てて続いた【ギルドマスター】に報告し、安心させる。
だが、僅かに口を開けて呼吸している様は今にも止まりそうで、予断は許さない。
なのにそんな状態でも、アレクトロは彼の胸部を観察していた。
先程そう見えたように、ベナトールの右胸は大きく抉れ、赤い空洞のようになってしまっている。
肺は殆ど喰い尽され、気管支に繋がる僅かな部分しか残っていない。
なので動きもほぼなく、従って右肺は完全に機能を失っているといっていい。
右肺が丸見えになっているのは、肋骨が中から押し出されるようにして右部分だけ一部が開いているからである。
穴が空いているようになっているその切り口は刃物で切り取ったように綺麗になっていず、ギザギザに噛んだ後、全体の長さの三分の一くらいが溶けたようになっていた。
そうか、硬いから喰いながら唾液で溶かしたのか。
アレクトロは【フルフル】の唾液が強酸なのを知っているので、そう思った。
押し出されるように開いているのは【フルフルベビー】のせいではなく、ベナトールが無理矢理引っ張り出した影響であろう。
「オイ医療係! 何ボケッと突っ立ってやがる! 早く【秘薬】を――!?」
そこまで観察してそんな場合じゃねぇ! と、まだ固まっていた医療係を叱りつけようとして、少し前までベナトールの腹の上にいたはずの【フルフルベビー】がいないのに気が付いた。
慌てて周りを見回すと、【フルフルベビー】はいつの間にかベッドから降りており、よちよちとした足取りで貴婦人の一人に近付いている所だった。
「あらおチビちゃん、ワタクシと一緒に帰りたいザマスの? あなたほど強い子ならば、ワタクシが直々に飼ってあげてもよくってよ?」
「あらワタクシに近付いたんですわこの子は。ねぇ、そうよねぇおチビちゃん♪」
そんな事を言いながら、近くにいた貴婦人の何人かが手を差し伸べようとしている。
「そいつに触んじゃねぇ!!」
怒鳴りながら駆け寄ったアレクトロは、今まさに【フルフルベビー】に触れようとしていた一人の手を乱暴に払い除け、掻っ攫うようにして【フルフルベビー】を胸に抱いた。
「あら独り占めはよろしくありませんわよ!?」
やや怒ったような口調で言った貴婦人は、次の瞬間彼の胸の中で青白く放電した【フルフルベビー】を見た。
「ぐがぁああぁ!!!」
アレクトロは苦痛に顔を歪めつつも、【フルフルベビー】を離さずにいる。放電自体は成体に比べるとそれ程大した事はなかったが、胸に抱いている影響で直接心臓に電気を送り込まれたため、かなりキツイ。
放電終わりに横倒しになった衝撃で【フルフルベビー】が手から離れてしまったが、鼓動が不規則になってしまったためにその場から動く事が出来ずにいた。
「アレクトロ、生きとるか!?」
近付いた【ギルドマスター】が心配そうに覗き込んだ。
「……はぁっ、はぁっ。死んでます……」
「……生きとるの」
苦し気に喘ぎながらも軽口を叩く彼に、【マスター】は安堵の笑みを返した。
「……そ、それよりも、早くこいつを専用の……檻へ……。こいつは、こいつはかなり危険に……育っちまってます……」
「どうもそのようじゃの。流石は【親】の血を継ぐと言うべきか……!」
「……感心してる、場合じゃ……ない、ですぜ……」
出てすぐの幼体が放電出来る程には、普通は育たないはずなのだ。
「素晴らしい! 結果は良好なようだな!」
実験依頼をしたであろう、王族が嬉し気に【フルフルベビー】を眺めている。
だがよりによってそこに向けて、【フルフルベビー】が床に尾を吸着させつつ、ゆっくりとした動作で反らせるように首を持ち上げた。
まずい!
二人はそう思ったがアレクトロはまだ動けなかったし、【ギルドマスター】は元々杖を頼りによたよたとしか動けないので、これは最悪な事になると思った。
ビチュンッ!
案の定その口から、小さいながらも電気ブレスを吐く【フルフルベビー】。成体が三方向なのに対してまだ一方向しか吐けない様子だったが、それでももうブレスを吐けるまでになっているという事実自体が脅威である。
小さくても【モンスター】の電気ブレスには変わりないので、まったく耐性の無い者が当たれば最悪麻痺ってしばらく動けなくなってしまうはず。だからそれを想像していた二人だったのだが――。
「ちとおいたが過ぎるぜ? ベイビィ」
聞き慣れた野太い声がしたと思ったら、ブレスを遮るように褐色の大男が立っていた。
「……おお、オッサン!?」
「おうよ、よく頑張ったなアレク」
「お主もう動けるのかぁ!?」
「御心配お掛けしました。この通りですぜ【マスター】」
二人が素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。目の前でブレスをまともに受けながらも平然と立っているのは、今の今までいつ死ぬかも分からないような状態だった、ベナトール本人だったのだから。
「お、お主幽霊ではあるまいな!?」
「ちゃんと足はあるつもりなんですがね。ベッドにももう一人の俺はいませんし……」
「そ、そうじゃのぉ……」
「……タフにも、程が……あるぜ……」
「言ったろアレク。『【秘薬】を飲めば復活する』とな」
「……誰が全快するっつったよ……」
「がっはっはっ! あまり動けなくなった間に回復力が上がったのかもな」
「相変わらず化け物じゃのぉ……!」
「お褒めに預かり光栄でございます」
「……それ、褒めて……ねぇんじゃ……」
ベナトールは豪快に笑った。
「信じられん……!」
しゃがみ込んだベナトールが【フルフルベビー】をふん掴み、暴れるままに任せていると、ブレスを免れた王族が、戦慄を交えた表情で言った。
「あれ程見るに堪えぬほど惨たらしかった胸の傷も綺麗に消えている。【ハンター】とは、それ程までの脅威の回復をするものなのか……?」
「いえ、単に俺が特別にタフに出来ているだけです。通常ならば、いくら【ハンター】でもあの程度にしかなりません」
心臓に負担が掛ったがために、【秘薬】を飲んでもまだ休まなければならないでいるアレクトロを、彼は顎でしゃくった。
「な、なるほど……」
すぐに動けないのを情けなく感じていたアレクトロだったが、オッサンと通常との比較に使われてるならいっかと思った。
「実験を依頼した御方と御見受けする」
「いかにも」
ベナトールは畏まり、真面目な顔を作って王族に話しかけた。
「御覧になった通り、こいつは体は【宿主】から出たばかりの【フルフルベビー】と大差無いながら、通常よりも高い攻撃能力を備えた個体として生まれて来ました。そういう意味では実験は成功したと言えましょうし、このまま育てば通常よりも遥かに強い個体として成長するでしょう。ご希望ならばこのまま連れ帰って思う存分【モンスター闘技大会】に出場なされませ。連勝間違い無しで無敗を誇る事も可能かもしれません。ですが……」
ベナトールは言葉を切って、それから諭すように続けた。
「こいつは俺から生まれて来ました。ですから【親】としての責任がございます。御存知のように通常種より戦闘能力の高い個体ですから、逃がせば通常種を喰い尽しかねません。【フルフル】は雌雄同体の【モンスター】なので単為生殖が可能です。そうなればこの個体のような【フルフル】が繁殖し、通常種の生態が潰れて絶滅し、いずれは俺から生まれた個体と同じものに全て置き換えられてしまいます。それは本来の【フルフル】では無く、同じ形の違う【モンスター】になってしまうでしょう。ですから決して『逃がさない』と約束して下さいませ。俺は自分の【子供】のせいで生態を壊し、【フルフル】を絶滅させたくありません」
「分かった。約束しよう」
途中で【フルフルベビー】を入れる専用檻(といっても相手が小さいので籠と言っても良い物)が到着したので、ベナトールはようやく【我が子】を手放した。それは何処かへ運ばれて行った。
「決して気紛れの約束ではないとお誓い下さいますか?」
「うむ。誓う」
「もし少しでも約束を違えた事が後で分かった時には、例え王族と言えど【ギルドナイツ】が黙っていないでしょう。それがどういう意味かお分かりですね?」
脅しとも取れる発言に、周りの者が騒めく。
【ギルドマスター】は、そんな彼に全て任せているかのように、黙って見ている。
先程から、「王族相手に臆するどころか堂々と対等に話し合っているこいつは何者なんだ?」などとヒソヒソ話されているが、ベナトールはそれら全部をひっくるめて、完全に無視して話を続けていた。
「分かっておる。私も彼らの手には掛かりたくはない」
王族を脅す、という打ち首に処されかねない発言をしている彼に対し、しかし眉一つ動かさずに素直に応じているこの御方は、余程寛大なのだろうか?
見ているアレクトロは冷や汗が出た。
「くれぐれも申し上げて置きますが、『違えた事を分からないようにしよう』などとは
「承知した」
「今入れている【被験者】全員の【フルフルベビー】が出て来るまでは、まだ実験は続いております。もしかしたら他の【被験者】からは、俺から出たものよりも強い個体が出て来るかもしれません。出て来ないまでも、通常とは違う個体になる場合もあるでしょう。そういう個体も同様です。貴方様が引き取れないと仰るならばこちらで処分いたしますが、引き取ると仰るならば全て同様にお願い致します」
「分かっておる」
「実験は、まだお続けなさいますか?」
「いや、今の【被験者】の分だけで良い」
「承知致しました。この実験のために既に何人かのハンターが命を落としております。恐らくこれからも増えるでしょう。強い【フルフル】はハンターの犠牲の上に成り立っている事をお忘れなきよう」
「ちょっと、あなたさっきから何なの? 王族相手に偉そうに!」
たまりかねたように、貴婦人の一人が話の途中で割って入った。
「俺は単なる【ハンター】ですよ。ただ有難い事に、他の者より【ギルドマスター】に近付く機会を多く与えられているだけです」
「その単なるハンターの分際で、我々と対等に話せると思ってるの!? 身の程をわきまえなさい!」
「お言葉ですが御婦人、我々【ハンターズギルド】の中には国との交渉が出来る者もおりまして――」
「だからと言って、あなたが王族貴族と対等に話して良い理由にはならないでしょう!?」
「もう
「ですが殿下――!」
「私が対等に話す事を許しておるのだ。出しゃばるな」
「なりません殿下、このような野蛮で下賤な者と対等だなどと」
「この者は下賤な者ではないぞ?」
「い、今なんと仰いました!?」
「『下賤な者ではない』と言ったのだ。【ギルドマスター】が特別扱いしているのが何よりの証拠。そうでなければこれまでの愚行を黙って見ているはずがない。なにせ脅しとも取れる発言をしても、諫める事すらもせずに彼に任せていたのだからな。だからこちらも素直に応じられた」
「素晴らしい御洞察、恐れ入りましてございます」
ベナトールは畏まり、深々と頭を下げた。
「ですが、俺は本当に単なる【ハンター】で――」
「……。【ギルドナイト】、なのであろう? しかもかなり特殊な任務を扱うような、な」
含みのある言葉を聞いて、そこにいる者達は皆、それぞれに息を飲んだりヒソヒソ話したりし始めた。ざわめきが広がるその中で、アレクトロはベナトールが僅かに口の端を持ち上げたのを見逃さなかった。
「……。【ギルドナイト】の存在は、【ハンターズギルド】にとっては国家機密に値する程の秘密事項です。もし俺がそうであるならば、口封じのためにここに居る者全員を、もちろん王族貴族関係なく抹殺しなければなりません。俺がそんな大それた事が出来る人間だと御思いですか?」
「思う、と言ったら?」
「……貴方様の仰った【任務】をこなすだけです。それが【ギルドマスター】の命ならば、ですがね」
王族は黙って彼の目を見た。
ベナトールはそれでも臆せずに、目を逸らすどころか真っ直ぐ見詰め返している。
アレクトロはあまりにも恐れ多い彼の様子に、いつ打ち首にされるかと気が気ではない。
「まま【マスター】! あんなの放っといて良いんですかい!? 今に切り捨てられますぜ!?」
「落ち着けアレクトロ。あ奴に任せて置けば問題無い」
「任せてたら首が無くなるんじゃ……」
二人はヒソヒソ声でそんな事を話していた。
騒めく周囲を無視し、二人はしばし、沈黙して見詰め合った。
「――なるほど」
溜息と共に口を開いたのは王族の方である。
「確かに私と対等に話せる程の度胸は脅威すらあるが、やはり
「とんでもございません。こちらこそ大変御無礼な事を申し上げました。度重なる愚行と共に、重ね重ね御詫びを申し上げます」
ベナトールは足元に平伏した。
「【マスター】」
「ははっ! ここに」
「良い部下を持ったな。近衛として雇いたいぐらいだ」
「それはどうかご勘弁下さいませ。この者は【ハンターズギルド】に無くてはならない存在でございますれば……」
「冗談だよ。それを充分に承知しているからこそわざと意地悪を言ったのだ。引き抜くつもりは無い」
「恐れ入ります」
「ベナトール……、と言ったか?」
王族は、まだ平伏したままのベナトールを見下ろしている。
「――はっ!」
「これからも励めよ。また会うような事があれば、その時はよろしくな」
「光栄の至りでございます」
「【マスター】、【被験者】から【ベビー】が全て出たら、一所に集めて共喰いさせよ。残った一頭を育てる故、後で届けに参れ」
「畏まりました」
「皆の者、帰るぞ」
「ははぁっ!!」
見学者が帰って三人だけになった途端、アレクトロは腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「オッサン度胸あり過ぎだぜ……」
「がっはっはっ! 生きた心地がしなかったか?」
楽しそうなベナトール。
「こっちはいつ首を落とされるかと冷や冷やしっぱなしだったっつの。心臓に悪ぃのは勘弁してほしいぜまったく……」
「そういやお前、心臓やられてたんだったよな。すまんかったな」
「いやそっちの方はもう回復してたんだがよ、違う意味で心臓やられたっつの」
「寛大な御方で助かったぜ。【ギルドナイト】と分かりながらも黙って置いて下さるとは。しかも殺人担当と見抜いていたにもかかわらず、だものな」
「寛大だからこそ我々【ハンターズギルド】に対しても対等に接して下さるのじゃろうのぉ。有難い事じゃ」
「さて。緊張が解けたら腹が減ったな。お前もそうだろ?」
「あれで緊張してたとは、とても思えんのだが……」
「見えんかったろうが、あれでも心臓バクバクもんだったんだぜぇ?」
「嘘つけ嘘をっ!」
「ほっほっほっ。二人共にようやってくれた。褒美に儂が奢ってやろうかの」
「ほ、本当ですか!?」
「いえそんな手を煩わせるわけには……」
「構わんよ。今夜は特別じゃ。あの二人も呼んでやるが良い」
「ありがとうございますっ!」
気が変わらない内にと、アレクトロはもう医務室を飛び出して行った。
盛大な御馳走を振舞われた四人だったが、アレクトロがわざと詳しく二人にベナトールから出た【フルフルベビー】の様子を話すもんだから、特にカイが食欲を無くしたようだった。
といってもカイは食いしん坊なので、それでも呆れる程食べてはいたのだが。
タフで頑丈なベナトールは、それ故に結構な目に遭わされております。
てか、こんな状態になっても死なないどころか即全快するオッサン怖い((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
王族貴族は無理難題を押し付けて来るので、大事なスポンサーと言えどギルド側も扱いには苦労するのでしょうね。
あ、ちなみにアレクトロが重症のまま「ラージャン」を討伐したエピソードは「霞んだ視界に映るもの(第91話)」を参照して下さい。